はじめに

〜このWeblogの生い立ち〜

2000年1月〜2001年の暮れまで、私は目覚めてから眠るまでを病室のベッドの上で過ごしました。入院生活が1年と4ヶ月が過ぎようとしていた頃、友人が「無料のHPがあるけど、気晴らしに書いてみたら?」と、提案をしてくれたことがきっかけとなって、ポケットボードという物を入手し、日々思うことを綴り、それを友人の携帯に送ってUPしてもらうという形で日記はスタート。住む場所、職業、性別、何も明かさずに始めた日記でした。

「wasa-b」は、当時お気に入りだったわさびふりかけから命名。

投稿日:2014年06月07日

2014年06月07日

昨日、一時退院の為の赤血球と血小板の2種類の輸血を受けて、今日は予定通り退院をして家に帰った。

ヘモグロビンも血小板も、家で過ごせる数値に持ち上げてもらったので体調がいい。

次の外来日が16日。それまでは、まぁ自己責任において何をしてもいいということなのだ。旅行に行ってもいいだろうし、ライブをしたっていいだろうし、雑貨屋さんめぐりも、東京ハトバスツアーに参加してもいいのかと思うとちょっと嬉しくなる。

退院したら美味しいものが食べたいと多くの患者さんは言っているが、私は退院したらお出かけがしたい。

でも、一番はやっぱりダンボに会えることかなぁ。

ダンボは数日前に急性腸炎になって友人に病院に連れて行ってもらった。2日程具合が悪かったので心配をしたが、家に帰ったら元気になっていたのが何より嬉しいことだった。

16日の外来日まで普通に過ごせばいいのか。

洗濯をして、掃除をして買い物をして。家で出来る仕事もすればいい。

ライブは、22日に自由が丘の龍坊で橋本仁&近藤ナツコ&私の3人のライブの予定があった。二人にも迷惑をかけてしまっているが、長い付き合いなので、もういろいろ、いろいろと、甘えさせてもらっている。もしもその日、入院をしていなかったら遊びに行きたい。

梅雨入りしたんだなぁ。

15階の鉄筋高層階では聞こえなかった雨の音が近くに聞こえてくる。

ダンボが私のそばに座り、毛繕いをしている。

なんてことのない日常は、急に遠くに行ってしまったり、かと思えば思わぬ戻ってきてくれたり。

明日のことはわからない。

わからない方がいいから、きっとわからないように出来ているんだろう。


投稿日:2014年06月05日

2014年06月05日

なんとなく、午前中から夕方にかけて気分が重かった。

やっぱりスパっと切り替えられないのだろう。

隣りのベッドの患者さんは骨髄移植を控えていて、今回は移植に備えて抜歯をする為に入院をしたのだそうだ。もうすぐ一時退院。次は移植の為の入院が待っている。

「ヘモグロビン、幾つなんですか?」

とか、

「血小板、下がっちゃったんです」

とか、

「私は一週間に一度の輸血なんですよ」

とか…。

この数日でいろいろ話をした。

「赤血球」の輸血と違って「血小板」の輸血は、効果のある期間が短く、かつ輸血を繰り返しているうちに効果が出なくなる。だからあくまで暫定的な処置で使われるのみで、頻回には出来ないのだそうだ。私も血小板をいよいよ輸血せざるを得なくなって、何らかの治療をするしかなくなってしまったのだが、隣りのベッドの患者さんは私がはじめて会うことが出来た「自分と同じ状況」の方だった。病名は違うのだが、それでも似た状態の人に出会えたことが嬉しかった。

「もうね、頑張るしかないから」

そうです。頑張って元気になって下さい。そうか、みんな心細さを精一杯払って一歩踏み出しているんだ。

生検の結果はやはり一週間以上はかかるらしい。とにかくその結果が出ないことには、何科が主導する治療になるかの方針もたたない。そう説明があって、土曜日に一時退院することになった。

外来で輸血と血小板輸血を受けての自宅待機。まさか想像もしていなかった流れだが、こんなこともあるのだろう。治療が決まらないのなら自宅で何にもせずに過ごすのもいいかもしれない。

夕方、ブルースアレイで一緒に演奏した失速バンドのCちゃんとYちゃんがバンドメンバーのメッセージを持って訪ねてくれた。

外は雨。

二人が帰ったあとで、天気に気づいた。

こんな雨の中時間を作って来てくれたんだなぁ。

悲しく辛いことばかりじゃない。暖かい想いを私はいつもたくさんもらっている。

もうちょっと頑張ろう。

今日をつないで、つないで、行こう。


投稿日:2014年06月04日

2014年06月04日

昨日の午前はCTガイド下生検を受けた。

事前に血小板輸血を受けてから10時20分予約で地下1階の放射線科の検査室に行く。CTの機械があって先生と数名の看護師さんや技師さんが手術着で仕事をしていた。

私も術着に着替えて頭からシャワーキャップみたいなものを被り、CT台に横になると心電図のチップを貼られて自動血圧計を右腕にはめられる。

CTを撮りながら場所を特定して組織を取る、とは聞いていたが頭からスッポリシートを被せられてからは詳しく何がどうなっているのかは見ることが出来なかった。

‘息を吸って’

‘止めてください’

これを何度も繰り返すのだが、特定する場所に誤差が出ない様に、息の吸い方を毎回同じようにしなくてはいけないのと、身体を動かしてはいけないのだそうだ。

麻酔の注射があって、繰り返しCT撮影をして、その後大きめの針が刺されてからは撮影と少しずつ針を深く刺し進めて行くことを繰り返した。

初めてのことって何でもそうだが、今どのへんまで来ているのかがよくわからない。長く感じるし、痛みで麻酔は合計3本打った。骨髄検査の方が比べれば全然楽だった。

その後組織を採取する工程に移った。

パチン。

刺した胸の針のあたりで何度か銀玉鉄砲が鳴る様な音がしたらようやく検査が終わった。帰りはストレッチャーで運ばれてその後2時間うつ伏せで止血をして次に起き上がれたのは2時だった。

この採取した腫瘍が何なのか特定をして、そしてまずはそちらの治療を先にすることになったのだが、検査の結果が出るまでしばらく時間がかかるらしい。

今日の夜になって’もしかしたら一度退院をしてもらうかもしれない’と先生から言われた。

次の治療が決まったらまた入院。それまでは輸血でまたつないで過ごすことになるかもしれない。が、その時に血液の方の治療は骨髄移植も少し考えなくてはいけないという言葉も出て来た。

えぇえええっ‼
腫瘍の治療に加えて骨髄移植⁈

もう十分あちこちパンチを受けて来て更にそんな怖い複数の病気の治療に私は耐えられるんだろうか。実際に似た経緯を克服して元気になった人が居たらもう少し心強くなれるかもしれないが、どちらか一つだけで十分恐ろしい。

自分の身体に‘ごめんね’という気持ちがはじめてわいてきた。

心をなるべく平穏に。

限りある命の中で誰しもが大なり小なり、自分のこれからはどうなってしまうんだろうと途方に暮れる時がある。だけれども、どんなに見えない不安な未来も、何かしらの答えを現実として知る日が来る。時間がそれを必ず教えてくれるのだ。

体育の授業で、一段高くなった跳び箱に挑戦する時、足がすくんで怖くて仕方がなかった。恐怖心を伴う未来はいつも身も心もきゅーっと締め付ける。

過ぎてしまえばただの点。

どんなに恐ろしいことも、過ぎてしまえば、いつだって事前に抱いた恐怖心の方がうんと恐ろしさの力は大きかった。

だから心を整えられるのが一番いいなと思う。

もっともっと動物のようにシンプルに。


投稿日:2014年06月02日

2014年06月02日

今日は造影剤を使ってのCT検査。予定していたATG療法は延期になって、今週は胸の検査が先となった。

同じ病室の患者さんは同じ血液内科の患者さんと、それから膠原病の疑いで入院したという患者さん二人。それぞれ難病疾患なのにみんな明るいので救われる。一見するととても病気には見えない。でも血小板数や白血球数が少なかったり、反対に数値が高すぎる項目を抱えていたり、実際に身体に異常を感じていたりする。

それでも笑えるものなんだ…。

病室の患者さんの強さに、しょんぼりしおれていた気持ちに元気をもらう。

午後、CTの検査を受ける。

明日はCTガイド下生検が予定通り行われる。

今日のCT検査でシロ判定が出て明日の検査がなくなればいいなと願っていたが…。

胸の腫瘍、肺の影、胸腺腫の再発、リンパ腫かもしれないもの…。

ここ数日、教授と担当医、研修医のそれぞれの先生の説明が微妙にニュアンスが違ったままで、私は画像での説明も受けていなかった。なので、明日の検査の説明に来た放射線科の先生に尋ねて、やっと心臓の周りのところと左の胸膜のところに腫瘍があると具体的なことを聞くことが出来たのだった。

二箇所?

肺炎の痕じゃなくて?

胸膜と心臓のまわり?

そうなんだ⁈

腫瘍が二つ?

放射線科の先生が担当医の先生に伝えておきますと言って去ってからしばらくして、担当医がパソコンを持って来て、そこで画像を見ながらの説明をあらためて受けた。

するとCTの画像で2月の肺炎の時にはなかったものがはっきり写っていた。

そっか…。

気を取り直して少しは穏やかになったはずの心。

また。

少しずつ気を取り直していけるものなのかなぁ。

良性か悪性かを検査する必要もなんだかいらない気もしてきた。

深く考えずに明日の検査を受けることがまず先決だとは思う。

今はそれだけ考えるようにしよう。


投稿日:2014年05月30日

2014年05月30日

一昨日、入院をした日に受けた事前検査のレントゲンで気になる影があると言われて、昨日はCT検査を受けたのだが、昨日の夜になって左の胸に腫瘍があるようだという説明を受けた。

来週からの血液の治療は一旦白紙になった。

えぇ…⁈

自覚症状もなく、まさか腫瘍があるだなんて。そんなことは思いもしなかった。血液の治療を受けるということでようやく気持ちもその方向で整い、それなりに平穏な心を取り戻せてきたかなぁと思っていた矢先だったので、腫瘍と言われて先生が去って行ったら、一人ベッドに座った狭いその空間がとても広くて寂しい場所のように思えてきて涙が溢れてきた。

今朝の採血は沢山の本数の試験管だった。何を調べるのかなぁ。だけど少なくともネットで自分で検索をして調べた結果よりちゃんとした状態がわかることだけは確かだ。

午後、友人のTちゃんが訪ねてくれた。Tちゃんのご主人も血液難病で闘病中。旦那様は今はバリ島にいらして、西洋医学とは違うアプローチで養生されていて、7月に検査でまた帰国予定なのだそうだ。私も西洋医学とそれに加えた東洋医学であったり、もっと自然界の大きな恵みの力の必要さを感じている。バリでの静養生活はきっと身体にいいと思う。3月にパラオからオーストラリアまでの船旅のお仕事に出た時に、確かに広い空と海から大きな力を感じたからだ。

担当医の先生からは、来週CTガイド下生検をやりましょうとお話があった。CTを受けながら場所を特定し、麻酔をしてそこから針を刺して腫瘍の一部を採取するらしい。そこで腫瘍を特定してまず治療を考える。とのことだった。

血小板減少で入院をせざるを得ない状況で、腫瘍が見つかる。自覚症状もない状態でこうなったことが、何かの導きなのか単なる不幸なのか今はわからない。でも生きることを前提にまだ周りは動いてくれていることだけはわかる。

今の私は、身を委ねてシンプルな頭でそこに乗っかること以外何があるというのだろう。

心を平穏に。

雲を払っていけば、変わらずいつも青空がそこにはあるのだ。


投稿日:2014年05月29日

2014年05月29日

昨日は骨髄検査と血液検査、レントゲンと心電図があった。骨髄検査は3回目。入院したら何かしらの針を刺されるのがフツウのことになるのだが、この骨髄穿刺は家にあるドライバーと同じくらいの太さなので、やっぱり怖いのだ。

私はネジ。

いや、ネジを入れられる板か何か。

板はうつ伏せになりながら思う。

ここはひとつ、研修医の先生じゃなく慣れた先生にお願いできませんか。お願い。

ミシミシ…。

ドリルが入って行く時は毎度音がしそうだ。

背中の上で聞こえてくる先生のレクチャーの会話が不安にさせる。途中で研修医の先生は降板となり、その後はちょっとホッとしたが、やっぱり練習台になるのは嫌なのだ。痛い検査は“早く終わってほしい…“といつもそのことばかり考えて耐えている。

骨髄検査の結果は前回と同じような状態、なので治療を進めていく予定ですということだった。

レントゲンでは左肺に影があるということで、今日CTで再検査を受けた。三月に飛鳥の船上で胃炎になった時に、レントゲンにてチェックが入った影のことみたいだ。4月に胸部外科で診てもらった時は多分問題ないでしょうと言われたのだが…。

昨日はやはり第一選択として、去年秋に受けたATG療法をまずやる方向で、という話をされた。それまでに検査を進めて、問題なければ来週月曜日から個室に移ってのウサギさんの血清を使った治療を受けることになる。

入院治療の目安期間は約3週間ともらった予定表には書いてある。

予定通り順調にいきますように。

青あざは日が経つとイチジク色にかわる。見た目、ひどい打撲の痕なのに、ぶつけた記憶のないものが多く、痛みもない。時間があるので手をあてて、治れ治れとおまじないをする。

今週は治療が受けられる状態かの検査になりそうだ。


投稿日:2014年05月27日

2014年05月27日

明日から入院することになった。

昨日の外来で白血球数が2.2。血小板は8000まで減っていたので危険レベルということで、ベッドが空き次第入院と言われてしまった。

暫定的な処置として輸血と血小板輸血を受けて即日入院はなかったので、リハーサルには間に合わなかったが夜は予定通り「失速バンド」イベントでブルースアレイのライブに参加をした。

音楽の場所に居ると、「私、本当は病気じゃないんじゃないかしら」と思う時がある。色々な意味で救われた昨日のライブだった。

この一ヶ月は毎日のように青あざが出来るようになっていた。軽くぶつけただけですぐに青あざが出来る。血小板が減ってきたなという嫌な予感は当たって、それが日に日に悪くなっていった。ぶつけた覚えもないのに青あざが出来る。誰かにひどく殴られたような感じになっていて増え続ける青あざが恐怖に変わった。

まだ頑張れると思える日と、もう疲れちゃったなぁという気力を失う日と。

ここまでだって、決して強い人間として病気に向き合えたわけじゃない。いつも「あともう少しだけ頑張ろう」の連続でなんとか乗り越えられただけで、心細さの方が自分の中を占めてきた。

去年の秋に受けたATG療法。一瞬効果が出たあと一ヶ月後にはまた白血球の中のT細胞が異常細胞に変わっていた。2回が限度の治療みたいなので、次が最後のトライになるが他に方法がないならやるしかない。

なるべく雑念や不安にとらわれる時間を少なく出来たら。と思う。

また元気になって帰ろう。

ダンボ、またしばらく会えなくなるけれど。

どうかキミが元気で穏やかに毎日を過ごせますように。

また会おうね。


投稿日:2014年05月16日

2014年05月16日

少し前に頼んでいたカーテンが届いた。

今の家の窓のサイズが、全て前の家のサイズと違うので少しずつ整えて行きたいなと思っていて、3ヶ月程探して見つけた。以前から遮光カーテンは好きじゃなかったので、全部閉じても光が感じられるタイプのものを掛けていたが、結局部屋によっては閉めることがなかった。じゃぁと試しに今の家ではベランダに面した部屋はレースカーテンのみで過ごしているところだ。

レースカーテンは遮熱効果や遮像効果がなくても、ボイルカーテンが好き。

ボイルカーテンの方が布地の感じが好きかなぁ。

20代の頃、あるお洒落なおねえさんがよく言っていた。

「大好きなものが見つかるまで、買わないの」

「大好きなものに囲まれて暮らしたい」

そんな発想はその年齢になるまで一度も触れたことがなかったので、”大好きだけど高いからやめておく”というのが当たり前になっていた私にとっては驚きだった。だが彼女が口にしていたことはその後の私に大きく影響を与えたように思う。あくまでも身の丈にあった「大好き」の範囲ではあるが、好きな物に出会うまで買わない暮らしをするようになったと思う。

カーテンは部屋のタッチを大きく左右するもの。

一部屋分はこれでなんだかしっくり収まった。

あとはまだサイズもちんちくりんなままで発展途上中。

片窓ずつ違うカーテンを下げるもよし。

自由な発想で「これ、いいかも!」という出会いがあったら、その時が買い時。

いいなぁ。網戸の季節は。

は〜〜ふぅう〜〜〜。

深呼吸するようにカーテンが揺れている。


投稿日:2014年05月01日

2014年05月01日

今朝のニュースで、27年度限りで学校で行われる健康診断のうちの「座高測定」と「ぎょうちゅう検査」が廃止されるということを知った。

率直な感想は、この「座高測定」「ぎょうちゅう検査」という二つの言葉、私の生活の中からすっかり消えていて、すんごく懐かしい単語を久しぶりに聞いたという新鮮な気持ちとなったのだった。

みんな座高が高く出るのを嫌がっていた。

ちょこっと猫背になって座ってみたりして、なんとか少しでも”足が長い”結果を得ようとしたものだ。

私は「吉川」という名字のおかげでクラスの女子の中でも一番最後かもしくは最後から1〜2番目という並び順で、運動靴に白いグンゼのパンツ一丁というあられもない姿ですぐ後ろに次のクラスの男子が並んでいるのがすごくイヤだった。小学校低学年であっても”私は、女の子なのよ!”という自意識があったのだろう。キムラさんやオカモトさんだったら別のクラスの男子が後ろに並ぶことはなく、五十音順の最後に来る名字は不幸だとそのときはよく思ったのだ。

<結婚するなら、カ行かサ行の人>

私が結婚相手として設けた基準は名字が五十音順の早めの人、であった。

愛でもなく、お金でもなく、名字が全てだった。

今も五十音順の最後の方の名字の女子は辱めを受けているのだろうか。座高測定だけでなくこちらについてもちゃんとケアをお願いしたいのだ。

そして「ぎょうちゅう検査」については、まだそんな検査が行われていたのかとちょっと意外だった。あれは私が子供の頃は、衛生環境がまだ今程よくはなっていなかったので必要だったかもしれないが、今はお腹に虫がいる子供なんていないんじゃないかと思う。

私自身は2回ぎょうちゅう検査でひっかかり、先生に呼び出されお医者さんへ行くこととなった。

黄色い割りと美味しいラムネみたいな薬を飲んだ記憶がある。

犬の散歩で父と妹と3人で、堤防を歩いていた時に急にウンチがしたくなり、土手でウンチをしたら白くて長い虫が出て来てビックリしたことがあった。

これは幻。

信じたくない気分と恐ろしさでいっぱいになって、ウンチに振り向きもせずに、「パパー!」と叫んで父と妹のところに走って行ったのを覚えている。一体どうしてあんなものがお腹の中から出てきたのか今でも私としては理由がわからないし、自覚症状も全くなかったのである。

ぎょうちゅう検査は、やっぱり廃止じゃなくて残しておいた方がいいかもしれないなというのが私の意見なのだ。


投稿日:2014年04月29日

2014年04月29日

流れ星の夢を見た。

「流れ星!」

誰かが声を出して慌てて顔を上げたがそのときは見損ねてしまった。

<一つ流れたのなら、また流れるかもしれない>

期待して空をしばらく眺めていたら、スーっと流れ星が流れるのを見る事が出来た。

お願いごとは言えなかった。

というか、流れ星が流れている間に3回も願いごとを唱えるだなんてそもそも無理なのだ。

見れたことでよし!

という夢だった。

流れ星を見る夢は、初めてだったので何か意味があるのかなぁと夢占いを見てみたらあんまりいい内容ではなかった。不運に変化する予兆・・・って・・・。

がっくり。

調べるんじゃなかった。

ま、私の頭に予知能力があるとは思えず。

過去、吉兆を知らせる夢でも特にラッキーなことも起こらなかったので、夢は夢として置いておこう。

ゴールデンウィーク。

新緑の木々の色が大好きだ。