はじめに

〜このWeblogの生い立ち〜

2000年1月〜2001年の暮れまで、私は目覚めてから眠るまでを病室のベッドの上で過ごしました。入院生活が1年と4ヶ月が過ぎようとしていた頃、友人が「無料のHPがあるけど、気晴らしに書いてみたら?」と、提案をしてくれたことがきっかけとなって、ポケットボードという物を入手し、日々思うことを綴り、それを友人の携帯に送ってUPしてもらうという形で日記はスタート。住む場所、職業、性別、何も明かさずに始めた日記でした。

「wasa-b」は、当時お気に入りだったわさびふりかけから命名。

投稿日:2014年03月24日

2014年03月24日

インド洋上。

今朝の海は波もなく湖の上に居るみたいだ。コーディネイターのNさんの話では波が全然立たない海の景色もあるそうで、そんな海なんて見れる機会は私にはきっとないだろうなぁと思っていたら、今日の海は限りなく穏やかで知らなかった海の表情が見られてよかった。

船には午前と午後の2回、毎日部屋にお掃除に来てくれるフィリピン人の女の子がいる。この辺りの客室の担当なのだろう。顔見知りになり、カタコトの日本語で会話が出来るので今日は少し部屋を片付けてもらっている時に話をした。

この船には世界一周の間、乗っているんですか?

身振り手振りで伝えると、そうだということだった。一年のうちの八ヶ月、船の上での仕事をしているらしい。

ふぇええ~~~っ!

そんなに長く船に乗っているんですか?

すると、船の仕事はもうベテランさんではないか。クリスタルクルーズで3年、パシフィックビーナスに3年、飛鳥には4年乗っているということだった。

ニジュウナナサイデ、コノシゴトニ、ツイタカラ…。

イマ、サンジュウロクデス。

えぇええええーーーっ!?

声も顔立ちも、だいたいお肌の感じからして20代前半にしか見えない。日本に留学に来た女子大生といった感じの可愛らしいお嬢さんなのだ。だが、実際には二人の子供さんが居て旦那様とおじいちゃんが留守を守ってくれているらしい。

コドモニ、アイタイデスー。ウーン、ロンリー。

とてもチャーミングな女の子で、すっかりファンになり、彼女の母国フィリピンに行ってみたくなった。

それにしても。

いろんな仕事があるんだなぁ。

一年のうちのほとんどを船の上で過ごす人が居るということは、知識としては知っていたものの、実際に出会ったことがなかったからすんごく驚いた。

これは前から思っていたことなのだが、学校に通う子供時代のうちに、世の中にはどんな仕事があるかを出来るだけ教えてもらえるような授業があったらいいなと思う。私達は、なれる仕事についてのカタログを持たな過ぎだなのだ。子供の頃のあの元気いっぱいの時に、おおきくなったら就ける仕事カタログ、みたいなものを図鑑として手にすることが出来ていたなら、そのエネルギーは、より建設的に使えていたんじゃなかろうかと思う。私だって大人になってから、この仕事だったらやってみたかったという職種にいくつも出会った。選択肢がもう少し多かったらよかったのにとその度に思ったのだ。

さて、私の今回の仕事は、あとは足を引っ張らずに無事に一緒に成田まで帰ること。船を降りて移動する頃が丁度輸血を受けて2週間、ヘモグロビン値が下がって来ている頃で、その時期に夜中にオーストラリア発シンガポール経由で長時間の移動が待っているのがちょっとした山なのだ。

なるべく体力温存しよう。

と、思いつつ。

もう一人の自分は、バスや電車に乗ったり雑貨屋さん巡りをしたり、散歩ネコ的活動がしたくてはやくもうずうずしている。で、昨日ぐらいからオーストラリアでの下船地、フリーマントルやパースの位置関係、移動手段などをまた調べ始めているのだった。

こういう時の調べ物が大好き。グーグルアースで一応景色は見て来たが、行ってみないとやっぱりわからないことは多いのである。地名や自由時間と体力を想定していくつかのコースを立てる。アイデアは「ただ電車に乗ってみる!」「次にやって来たバスに乗る」みたいにいい加減で、ガイドブックから外れていたりするのだが、私の場合何故かそれでとっても楽しいのだ。おかげでめっちゃまずいパスタ屋や、微妙なお値段のガレット屋なんかも引き当てたりした。

現地でお金はどうやって下ろすの。

ま、いつものごとくなんとかなるやろ。

ヤッホー!

陸に早く着きたいわ。

港町を満喫したい!

無駄にブラブラしたい。

今の私なら船より高速で泳げるような気がしてきたのであった。


投稿日:2014年03月23日

2014年03月23日

目が覚めたら昨日よりまた一層体調が戻った感じがする。

洋食のビュッフェだったら食べたいなと今朝はいつもの1/3くらいの量を食べることが出来た。

食事を終えたら、さっき船内放送でコモド島に到着したというアナウンスがあったことが気になってきた。

窓の外は久しぶりに見る陸地。両側に島が見えたら急に盛り上がってきた。

やっぱり、出かけてみよう。コモド島。パンフレットに載っているコモドドラゴンが闘っている姿を見たら、我が愛犬ダンボを思い出す。全然生き物としては違うのだが、闘っている後ろ姿の短足具合いがダンボの後ろ姿とちょびっとだけ似ているということだけで、会いに行かないと!と思えてきたのだった。

コモド島に碇を下ろしているのはあと5時間もない。

さっきまでは「今日は船で大人しくしていよう」と思っていたが、急に気が変わって”出掛ける方に駒を進める”のがいかにも本来の自分らしい。よ〜し、行くのだ。

そうしてコモドドラゴンを見に行くツアーに急遽申し込んで参加をすることにしたのだった。

船からボートに乗ってブーンと島に連れて行ってもらう。

海の色は深い緑。

そして…暑い。

インドネシアは確かまだ雨季だったんではないだろうか?湿気と暑さで体力を奪われる感じがしたが、もう出てしまったんだから行くしかないでしょう。

ツアーに参加をされているお客さんは杖をついている方が多かったので、歩くペースはゆっくりだったが、病み上がりのせいかそのゆっくりペースにもついていけずない。最後尾にかろうじてひっかかっているぐらい落ちこぼれていた。

インドネシアに来るのは2回目。

20歳の誕生日を大学の友人達とバリで過ごしたっけ。あれから随分時間は流れたが、人々や建物、木々の雰囲気があの頃に見たものと変わっていないのが、またこの地に来られたんだわという気持ちにさせてくれる。

しかし。

何故かあちこちに鹿がいた。

(右下に鹿がいます)

パンフレットには書いてはあったが、海辺でくつろいでいる姿を見ると不思議な感じがする。逆にインドネシアの人が奈良に来て、大仏さんをバックに鹿せんべいを食べている鹿を見ると驚くんだろう。私は今まで「奈良基準」でしか「鹿」について考えていなかった。鹿は暑くて湿気がすごい海辺でもやっていけるのである。

ツアーの人達が溜まって説明を受けている場所があったので追いついて覗いて見ると、木陰にコモドドラゴン2匹が昼寝をしていた。

ドラゴンちゃん達との間に柵は何もない。レンジャーの人が数人棒を持ってはいるが、それだけだ。

(木陰に2匹ドラゴンがいます)


突然ドラゴンが襲いかかってきたら、杖のうちの誰かは餌食になるという距離だと思うのだが・・・。ドラゴンはグースカと寝ている。

あんた達…。こんなにあんた達の近くに肉がいるというのに、興味ないんですか?

ぜんぜん?

丸太ん棒のようにドテンと2匹はピクリともせずに寝ていた。

いいんですか?

確かに私達、新鮮じゃないかもしれませんが。

帰りますね。

じゃね。

良い夢を。

バイバーイ。

ツアーが解散となって、海辺に戻るとしばらく木蔭でぼーっとして過ごした。木蔭に居るとあのムンとした湿気が気にならなくなって来た。風が涼しく感じてそのうちに海に足をつけに行っていた。

泳ぎたいなぁ。

記念に海辺の貝殻を拾った。

人に渡すお土産にはならないようなものが結局、自分にとっては思い出の品になるんだなぁ。

船に帰るととっても眠たくなってグースカ寝てしまった。陽射しが強かったので体力チャージの睡眠だったかもしれない。

夕方に再度診察室に行って、経過を話し診察を受ける。

26日にもう一度だけ来てもらって、その後心配なところがないか最後にチェックしたいんやけど…。と関西弁の先生が話す。

飛鳥に乗るまでは、船医っていったいどんな先生が乗っているんだろう?とちょっと不安だったが、初診からとても信頼できる先生だったので、帰国まで身体のことは先生に預ければ助けてもらえると心強くなった。看護師さん達にも親身にお仕事をしていただいた。

そういえば、今まで”本番直前”の危機一髪的なエピソードはミュージシャンの友達や先輩から聞いてきた。高熱フラフラの状態で演奏をしたという話ぐらいだとめずらしくなく、耳から原因不明の出血があって聴こえないまま視覚だけでその日の演奏を合わせたというエピソードや、あと交通事故に遭い、あとで頭蓋骨がパカっと割れたまま演奏をしたというエピソード・・・。握力がなくなって手を縛って演奏をしたというエピソードに・・・それらいずれもめちゃくちゃ大きなコンサートツアーでの話で本当にビビる。

コモド島でもネットには繋がらなかった。

海だけがこれから先に向かう場所と繋がっているだけだ。


投稿日:2014年03月22日

2014年03月22日

朝目が覚めたら昨日のしんどさの1/5くらいになっていた。病み上がりの感じはするが熱を計ったら7度3分、これなら今日のリハーサルと2回の本番もなんとかやれるんじゃないだろうか。

昨日、いくつもの点滴や座薬や筋肉注射や飲み薬といろいろなアプローチでここまでに収めてもらったドクターと看護師さんたちに感謝だ。

朝8時に診療室から車椅子でお迎えにきてもらって、再度血液検査を受ける。リハーサルが10時からなのでそれに間に合うように点滴も一本受ける。食欲がないが、何か口に入れて普段飲んでいる薬を飲まなきゃなぁ…。フルーツちょこっととコーンフレークほんの少しを食べる。

昨日は丸一日、吐くか唸るか寝ているかで過ぎた。

もう、どうしてこんな時にダウンしちゃうのか。

ここ数年の私は本番に緊張したりしなくなった。それより本番日を迎えるまでの方がプレッシャーが大きく、今回は無事に船に乗れたことでさすがにホッとしていたのだ。

本当にヒヤヒヤすることばかりが起きるのである。

が、夢の中では全然しんどくないのが不思議だ。

夕べなんて、車で空を飛ぶ夢を見たし、イチローと付き合っていてオリックスの練習場を手を繋いで案内してもらうという突飛な夢も見た。イチローはまだ独身で、私が彼女というシチュエーション。球団の人達に紹介してもらって嬉しかった。が、そのあと何故かKORGのシンセサイザーの使い方がわかんないんだよねと相談されていた。やっぱり夢はおかしな流れになっているのだ。

午前のゲネリハを終え、本番までは部屋で横になって体力を温存する。

ピアノの前に本番を迎えて座れた時が一番ホッとする。

昔あんなに緊張したのに。

そう、よく大事な所を失敗しちゃうんじゃないか、とかいろんな邪念が頭ん中を支配して毎度押しつぶされそうになっていた。

それが、”身体さえ元気だったら、なんでも出来る。”ということが身に染みてから 、本番前のあの嫌な邪念がなくなった。

音楽が出来ることに感謝。

神田蘭さんの2公演。

お客様の盛大な拍手で無事に終えられた。

はふ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

よかったぁあああああっ。

ホっとしたぁあああああああっ。

どこまでヒヤヒヤさせるねん、自分!

ところでこの自費診療費はどうなるんだろう。

保険はちゃんと下りるのかしら。

ヒヤヒヤの旅はこうしてまた続くのであった。


投稿日:2014年03月21日

2014年03月21日

早朝、気分が悪くて目が覚めた。

目が覚めたら急に吐き気がして来たのだ。

一度吐いたら楽になるかなと思ったが、結局それから3時間近くゲーゲーやっていよいよこれは自力では治せないなと思ってフロントに電話をしたのだった。

医務室の開始時間になっていなかったが、すぐに診てもらえることになり、血液検査を受けて待っているうちに今度はひどい寒気がしてきたのだった。吐き気止めの座薬をもらって一度部屋に戻ったが、寒気と吐き気がどんどんひどくなってきて、熱が9度を越えていた。

今日もリハーサルがあるのに!

明日はリハーサルと2回の本番があるのです。

こんなギリギリになって、まさかのダウン。

夕べ寝る前まではなんともなかったというのに。

待てよ。

この感じ、前にも経験したことがある。

私は10年に一度ぐらい、急性胃腸炎になって数日間ダウンしているのだ。よくある「周りのだれもお腹をこわしていないのに、自分だけカキに当たった」的な、”一人勝手に食中毒”に、10年ぐらいごとになることがあり、調子が悪くなった時間帯から最後の食事の時間を計算したら過去2回、先生に”@時間前に何か食べましたか?”と訊ねられたケースと同じパターンであることに気がついた。

3〜4日、ダウンするケース。

そんな・・・。

明日の日の為に体調には気を使ってきたつもりだった。いっぱい食べたと言っても、普通の量より少なく食が細いですねなんて言われてきたぐらいだ。

めちゃくちゃしんどい。

おー・・・じーざす。

そして急遽今日はリハーサルをお休みにさせてもらって、医務室のベッドにて点滴や筋肉注射にて治療を受けることになったのだった。

船の中の医務室ってもっと簡単な施設だと思っていた。

が、いつも病院でやってもらっているのと同じ血液検査も出来るし、病室と同じシステムが設置してある。医療用ベッドがあって、看護師さんも常駐。船ん中でレントゲンも撮ってもらった。エコー検査までしてもらった。入院した時と同じで、検温や血圧計、身体の中の酸素濃度を定期的に計ってもらって、ベッドに寝ていると病院にしか見えない風景だった。

熱はなかなか下がらない。

吐き気も変わらず、吐いては喉がかわき、水を飲んではまた吐いて・・・。

<わ、私、どうなるんでしょうか・・・・。>

とても明日の本番でまともに座っていられるとは思えない。

が、どんなことがあっても明日は根性で本番だけは全うしたい。

取り敢えず、このしんどい状態から抜け出したい。

熱が9度前後を行き来し、結局夜まで点滴をずっと受けたが、しんどさが収まる様子はなく8時頃に部屋に戻ってからもずっとうんうん唸っていた。

風邪で一人家で寝ているだけでもとっても心細いのに、船の上で丸一日高熱と吐き気に襲われたら心細くってしょうがない。明日は何があってもはいつくばってでもミッションは全うしたいと思ってはいるが、とにかくちょっとでもマシになってもらわないと、かなりキツい。

私も自分の明日が心配だが、神田さんとスタッフの方々はもっと困っておられるだろう。

アイスクリームを全種類制覇するぞと言っていた意気込みはどこへやら。

し、し、しんどいよぉおおお。

アイスクリーム??何よそれ。

今は”もう今後一生食べ物が欲しくならない”気がしているのである。


投稿日:2014年03月20日

2014年03月20日

今日の朝食は5階にある「フォーシーズンズダイニング」にて和定食を頂く。

10時からホールで通しリハーサルと細かい部分のチェックをする。


(楽屋は華やかな衣装でいっぱいでした)

今日は船が「赤道」を通過するらしい。赤道近辺では影が真下に来るので、長く伸びた影がないのだそうだ。リハーサルを終えて「赤道」体験をしに上のデッキに上がったら、陽射しと気温が一気に真夏になっていたので、すぐにクラクラしてきたのだ。

「赤道」記念に、写真を撮る。

影がどこにものびていない。

これが赤道なのかぁ。

赤道を感じるってこういうことだったとは。ふ~ん。

気温はどれぐらいなのかはわからなかったが、日本の真夏日と同じぐらい体力を奪う力があった。

昼食後は部屋に帰ってまた昼寝をする。今日は波の高さが1メートル程で、ほとんど船も揺れを感じない。時速はゆっくり走行しているので30キロ弱。チョイノリと同じくらい、つまり渋谷を暴走するお洒落自転車の方が速いということか。

午後3時、気功教室でレッスンを受けたら帰り道はスィーツ制覇の旅と称してカフェをハシゴする。ケーキ3個とクッキー3枚とアイスクリームを食べる。

夕飯をセーブして帳尻を合わせよう。

と、昨日も思ったのだ。

部屋に帰ると、船内新聞と日本の新聞のコピーが入っていた。

九州でソメイヨシノが開花したらしい。

日本もサクラが咲く頃となったのだ。

ダンボ、元気かなぁ。

パソコンが出来ないのは不安だが、かといって国際電話で友人にダンボの様子を尋ねて、それで何かあったとしても帰国日まではもう帰れない。

元気で待っていておくれ。

今日は天気が良かったので夕焼けがとても綺麗だった。

飛鳥のブッキングのお仕事を長くされているNさんが、船の上から見える景色のいろいろを教えてくれた。

東京の空だってきっと毎日いろんな表情を持っているはずなのに。

いつも立ち止まれない。

立ち止まったっていいはずなのに。

それでやって来るしわ寄せなんて、たかが知れているはずなのに。

太陽が沈み、遠くの雲がピンク色になり、大きな龍の形になり…。

また雲がちぎれて、ピンク色は蛍光のピンクになり、そうして真っ赤に燃えて、最後はゆっくりと。

スプーンで一つ、かきまぜるように夜の色に溶けて行った。


投稿日:2014年03月19日

2014年03月19日

天気、曇り。

朝食をバイキング形式のリドカフェというところで食べ、10時からリハーサル。船内には演奏やパフォーマンスが出来るスペースがいくつかあって、神田蘭さんの公演の場所はギャラクシーラウンジというところで行なわれる。

広い半円形のステージの後方にはバンドセットが置いてある。楽屋は上手と下手のそれぞれ裏にあって華やかな衣装が沢山掛かっていた。なんだか映画「シカゴ」や「バーレスク」を思わせる会場だ。

今日は神田さんの講談の公演が2回あって、私が加わるマクベス公演は22日の夜2公演。毎日2時間程リハーサルがあるが、それ以外の時間は自由行動なのでリハーサルが終わった午後はカフェをハシゴしてアイスクリームやらケーキやらを食べて過ごす。

船は運行中はずっと軽く揺れている。それが海の中をゆらり漂う感じなので、すぐに眠たくなってくる。船内のソファーに座っては寝、部屋に戻っては寝…と隙間があると寝てしまうみたいだ。夕方、三度目くらいの昼寝から目覚めると、大浴場に行くことにした。

船の一番上の階に大浴場があって、窓一面に海が見え、サウナやジャグジーがある。

夜は蘭さんの公演を観る。

蘭さんの2回のステージが終わってから、レストランにて夕食。

今夜は洋食のフルコース。

ここでは毎日こんな風に、メニューを変えて和洋のコース料理が出てくるのかぁ・・・。

家に帰った時の落差が今から不安になるのだ。

いや。

そんなことを考えるのがやっぱり貧乏性なのである。

ここは一つシンプルに、自分のミッションをしっかり遂行するということに集中して、他のことは深く考えずに美味しいものは美味しくいただこう。

船を降りるまでに船内のアイスクリームは全種類制覇するぞ。エイエイオー!!

夕飯を食べたらすることがなくなった。

パソコンから離れた生活。

早くも今日の曜日や日付けがわからない。

ま、いっか。

デッキから見える月と海に反射する月あかりが綺麗だった。

写真には収めきれない景色。

遠くに船の明かりが見える。

こんな広い海の上で出会う船があるのだなぁ。

だけど落っこちたら大変。

吸い込まれそうな怖さも感じる。


見えないご縁が繋がって、今自分はここにいる。

大きな船に乗って夜の広い海の上でこの景色を眺めている。

不思議な気もする。

だって私はおまけの人生をもらって生きているのだ。この一年だけでも、もう今回こそはダメかなということが、数回あった。

広い自然に触れて、

<なるようにしかならない、だけどなるようになるんだ。>

という言葉をあらためて感じずにはいられない。

こんなに広い自然を目の当たりにすれば、人には自分の意志で動くことと、それから自分の意志では届かないところでうねりをつくる出来事があって当然なのだろうと思ったのだった。


投稿日:2014年03月18日

2014年03月18日

10時にフロントに集合をして、船が錨を下ろしているパラオパシフィックリゾートへ車で向かう。

今日はくもり。

パラオと言えば、青い空と青い海の写真しか見たことがなかった。が、途中海を渡る橋にさしかかった時の景色は、曇った日の琵琶湖に似ていてビックリした。晴れたら琵琶湖の空は薄い青空が印象深く、せっかくだから日本では見ないような空と海の色が見たかったのだが、パラオだって天気が悪い日もあるんだということを知った。

今日から乗船する飛鳥Ⅱは岸にはなく、少し沖の方に泊まっていた。

「おぉおっ、アレに乗るんですか!」

飛鳥Ⅱとパシフィックリゾートの桟橋間は、小型のボートで行き来するらしい。 オプショナルツアーに出掛けるお客さん達が飛鳥Ⅱ側からボートで来られ、反対にバラバラっと雨が降り出した中、桟橋から飛鳥Ⅱに向かうボートに私達は乗り込んだ。

前に横浜港に泊まっているのを見て、乗ってみたいなぁと憧れていた客船。

それからたまに飛鳥のサイトを訪れて眺めていたが、お金持ちじゃないと乗れないという諦めは思わぬ形で叶うこととなった。

立派なホテルのような内観。


船内でチェックインを済ませ、そのあと出航するまではパラオに戻って自由行動が出来るということだったが、天気が悪かったので出掛けるのはやめた。各自部屋に荷物を置いて一息ついたら、飛鳥のお仕事に携わってもう長いN氏に船内の施設を案内してもらう。

ここ、本当に船の中?

図書室にブティック、チェスや囲碁が出来る部屋もあるし、映画館もある。施設がいろいろあり過ぎてとても一度じゃ覚えられない。

夕方、出航をしたらさすがに船の揺れを感じてここが海の上だとわかった。

ここでの食事はコースやビュッフェ、朝から晩まで何かしらが食べられてしかも有料なのはアルコール類ぐらいなので、お酒を飲まない私はお財布を持たずに好きなだけ食べたい物を食べたいだけ食べられる。

公演のリハや本番以外、自分に課せられた用は何もない。

”何して、過ごそう・・・”

普段は携帯にさほど縛られていない生活を送っていると思っていた。

だが、なんだかちょっぴり心細い。

だって昨日成田を出発してから、ネットに繋がらなくなっているのだ。パラオまでは繋がる生活を続けられるというつもりで来たので、予定が変わって”繋がらないこと”がものすごく不便なことのように思えてきたのだった。このままオーストラリアを下船する日まで、ネットに繋がらない生活を10日も過ごすだなんて、信じられない。

と。

ふと見回せば。

だーれも携帯を使っていない。

使えないことに不安がってもいない。

船のお客さんはみんな表情が穏やか。変な威圧感やギラギラオーラがないのが、共通した空気だ。

携帯なんて捨ててしまえ!

本物の贅沢は携帯を捨てることから始まるんではないのか!

携帯という安心おしゃぶりから離脱して大人のお金持ち婦人になるのよ。ワタシ!

取り敢えずいつもの早食いの癖はなんとかせねば。

ゆったりね。

ゆっくりね。

”いらち”厳禁。

やで。

ほんま。

そうね。せっかくこうして機会をもらえたんだから、「食べる」「寝る」「ぼーっとする」以外の何にもしない贅沢を満喫したいのだ。


投稿日:2014年03月17日

2014年03月17日

今日から神田蘭さんの公演で、旅に出る。現在世界一周クルーズ中の飛鳥Ⅱにパラオから乗船をして、オーストラリアのフリーマントルで下船をするというのがおおまかな日程で、神田蘭さんの船上での公演で演奏をするのが、今回の私の旅のミッションなのだ。

先週月曜日の血液検査で、先生に旅に出てもいいと言われるまではドキドキの連続だった。その前の月には3週間近い入院生活を送っていたし、去年の海外旅行以降、それまでの網赤血球の低数に加え白血球と血小板の数もなんだか怪しくなってきていて、先の約束がいよいよ出来なくなっていたので、まずは行けるということが私にとって大きな山場だったのだ。

おかげで、昔はあんなに怖かった飛行機が怖くなくなった。こんなに強運の私が乗る飛行機が無事に着かないわけがないだろうと考えるようになり、海外旅行が大好きになった。

今日はまず、成田空港からグアム経由でパラオに向かう。

検知器で何故か「貴女の頭に反応しました」と止められ、しばらくモジャモジャのカツラのような髪の中を調べられたがもちろん「シロ」であります。

しかし・・・どうしてまた「アタマ」⁈

と、不思議に思いつつ無事に通過。

ここで早速パスポートを取り忘れて係の人に追いかけてきて渡してもらった。相変わらず一つのことに気が行くと他のことをこぼしてしまう。なので、気をつけなければ。

蘭さんと蘭さんのマネージャーのIさん、そして飛鳥ⅡのコーディネイターのNさんとの4名の移動で、11時台の飛行機で経由地のグアムに飛んだのだった。

今は卒業旅行のシーズンなのか、グアム行きの飛行機は若者達が多い。みんな楽しそうだ。

グアムは日本との時差が+1時間。飛行機を降りた瞬間に一気に季節は夏に変わった。

ちょっとムンとするかなぁ。

湿気が少し高い。

パラオへの乗り継ぎまで少し時間が空いたのでここで各自自由行動。こじんまりとした空港なのでちょこっと店を覗いたらおしまい。喉が乾いたのでジョージアの缶コーヒーを買ったら3ドルだった。うーん、高くないデスカ。 こんなもんデスカ。

旅って金銭感覚がちょこっとおかしくなる。

のである。

グアムを出る頃にはすっかり日も暮れて、パラオに着いた時は真っ暗になっていた。パラオと日本の間に時差はない。日本を出てから繋がらなくなっている携帯だが、国名を入れると現在の時刻だけは正確に調整をしてくれる。

空港からは現地のコーディネイターさんがホテルまでの送迎をしてくれた。

周りはもう真っ暗なので海の色や空の青さもないけれど、車は右側通行だし確かにここはパラオみたいだ。日本人のコーディネイターさんがバンを運転しながら、パラオには信号がないということや、近くのレストランやスーパーの情報を教えてくれた。


ホテル、到着。

時差はないが、移動はやっぱりくたびれる。

遅い夕食を近くのレストランでNさんにご馳走になって、11時前に解散。

明日は船に乗るまでに青が綺麗な景色を楽しめたらいいなぁ。

ほんのちょこっとの滞在時間だったが、パラオの人達は日本語が通じる人が思った以上に多いと知った。現地で働く日本人も意外に見かけたし、さっき連れて行ってもらったカフェレストランは日本人の店員さんが居てしかも正しい日本語のメニューだった。

治安もよさそうだ。

親日の国パラオ。

南国の生あたたかい風に、旅が始まったとようやく実感が湧いて来たのだった。


投稿日:2014年03月16日

2014年03月16日

3月も半ばとなり、春を感じさせてくれる日が少しずつ増えてきましたね。

先月はインフルエンザに肺炎、思わぬ入院となって、また先の予定のことがわからなくなってきたなぁとドキドキだったのですが、明日から神田蘭さんの公演のピアノ演奏の為、「飛鳥Ⅱ」の世界一周クルーズの「パラオ〜コモド島〜オーストラリア」までの乗船をしに日本を出発します。

17日はグアム経由でパラオに入り、18日に飛鳥Ⅱに乗船。

27日にパースで下船してそこからシンガポール経由で、帰って来るのは28日夜という日程になります。

今回は気ままな海外旅行とは違って、お仕事なのでいつもの散歩ネコはちょっと緊張していますが、無事に帰って来て楽しいエピソードをアップ出来たらいいなと思っています。

先週は輸血を2日に渡って受けてきました^^

元気に帰って来れますように!

それでは行ってきます!


投稿日:2014年03月15日

2014年03月15日

夕べ、昔の写真を整理していたら、かつてチリチリのクリクリパーマをかけていた頃の写真が出てきた。

あらまー、懐かしい。

運転免許の更新の時には写真持参で行ったら、受付で「この写真で本当にいいんですか?」と怪訝な顔をされたこともある。アフロヘアのカツラだと思われていたみたいで、「地毛です」と答えたのも今となっては懐かしい思い出だ。

で、急にまたあのクリクリヘアにしたいなと思い立って、今日は美容院に行ってきたのだ。

美容院は2年ぶりぐらいになる。

昔からどうも私は美容院が苦手なのだ。

美容師さんたちは接客も気遣いの達人だし、素直にリラックスをして身を預ければいいのだが、髪に対するコンプレックスや鏡が目の前にデーンとあるということの違和感というか、変な自意識過剰のおかげで「なるべく行かないで済む」ようにしてきたように思う。

が、今日は久々にパーマを”あてる”のだ。

「こんなクリクリのパーマ、前も掛けたことがあるんですか?」

まだ見習いの男の子が話しかけてきた。

「20年ぐらい前が最初でしょうかねぇ」

答えたら一瞬沈黙があった。

<モシカシテ、アナタ、ウマレテイマシタ?>

あまり行かないうちに年月は過ぎ、店の美容師さんたちが娘や息子ぐらい年下になっていたのである。

それにしても、みんなよく働くなぁ。

言葉遣いも店の教育がしっかりしているんだろう。みんな綺麗な言葉遣いだった。一日中の立ち仕事だが、「ずっと立っているの、疲れるでしょう?」と訊ねたら一日10時間ぐらい立ちっぱなしだけれど、それは全然苦にならないとのことだった。

ただ、みんな手は荒れるみたいだ。

「ガサガサで、手をつなげない”手”なんですよ」

働く手は、”ガサガサ”を越えてとても素敵だと思う。

混んだ店内もだんだん空いて行き・・・私が最後のお客となった。

「また、いらして下さい!」

担当をしてくれた女の子が最後に笑顔で挨拶をくれた。

これで店じまい。

店員さんが全員外で待っていて「ありがとうございました!」と囲まれ挨拶をされた時は、自分が一瞬姐さんになったような気分になったが・・・。

久しぶりのパーマだ。

今日もまた帰り道に、これからはもうちょっとマメに美容院に行かなきゃなと思ったのであった。