はじめに

〜このWeblogの生い立ち〜

2000年1月〜2001年の暮れまで、私は目覚めてから眠るまでを病室のベッドの上で過ごしました。入院生活が1年と4ヶ月が過ぎようとしていた頃、友人が「無料のHPがあるけど、気晴らしに書いてみたら?」と、提案をしてくれたことがきっかけとなって、ポケットボードという物を入手し、日々思うことを綴り、それを友人の携帯に送ってUPしてもらうという形で日記はスタート。住む場所、職業、性別、何も明かさずに始めた日記でした。

「wasa-b」は、当時お気に入りだったわさびふりかけから命名。

投稿日:2007年04月18日

2007年04月18日

西川峰子さんライブ。
渋谷DUOは何度かライブを観に行っている場所だ。いつかここでやってみたいなぁと思っていたので、個人的な夢が峰子さんのおかげで叶った。
普段峰子さんはリハーサルには来られない。リハーサルをせずに本番に臨む方法が一番集中出来ると伺っていたのだが、今回は音リハやバンドリハーサル、当日のリハにも全て参加をしてもらっての本番だ。
リハーサルでは、映像を二カ所で使うので、今日はリハの時に初めて実際のスクリーンに映してのチェックになる。映像は昨日まで手直しをお願いして最後まで無理を言ったが、Y根氏は本当にギリギリまで私のお願いに耳を傾けて下さった。一回限り、すごく上質で贅沢な映像だ。
二部のきっかけになる所を数回、リハーサルをさせてもらう。この部分は、今回峰子さんの曲でもコーラスで参加してもらった、西司さんのモーツァルトのアカペラ曲だ。これまた西くんが快諾をしてくれたので、リハで流してもらったらものすごく良かった。音量のカーブの上げ方は鳥羽氏が調整をしてくれてベストな形になり、これで決まりとなった。
そして本番。
雨の中、会場にはたくさんのお客さんの姿があった。一部は黒に桜の絵の着物で峰子さんが登場をすれば、もうあとは完全な峰子さんのステージ。場所が峰子さんにとっての初めてのライブハウスであろうと、峰子さんの魅力は何も変わらず、会場の隅まで届いたのではないだろうか。私にはそんな風に思えた。
東京でたった一回だけの発売記念公演。
一回で終わりかぁ・・。
個人的にはちょっともったいない気がする。それぐらい、いいメンバー、スタッフだった。その仕事ぶりも私の心には残るソロライブだった。
「縁というのは、決して”偶然”じゃないのよ。」
以前はあまりそういう意味付けに対して、深く考えないようにしていたが、峰子さんがよくこの話をして下さったので、今は素直にそうだなと思っている。
ご縁が続いて行くように、だからその一回を大事にしなくちゃいけないのだろう。
外に出れば、4月とは思えない寒い夜だった。
入口には、峰子さんへ届いた沢山の花達が、姐さんを送るようにズラっと並んでいた。


投稿日:2007年04月17日

2007年04月17日

山口晶くん、リハーサル。
今回も「オルガン」を弾くことになったが、「オルガン」は、やっぱり緊張するのだ。
ピアノという楽器は、鍵盤を押して音が出てから「減衰」と言ってだんだん音が消えて行ってくれる。それにタッチの強弱が鍵盤上で反映する。
ところが、オルガンという楽器はタッチの強弱はほとんどない。厳密にはあるのだが、私にとってはほぼないに等しく、そして何より恐ろしいのは一度鍵盤を押したら、指を離すまでずっと「ビーーー」と、音が鳴っているという点なのだ。
鍵盤を押すと同時に、音が「ビー」と鳴る。
驚いて手を離すと、消える。
今更、驚いてどうする。
と、思い、気を取り直して、再度弾いてみる。
「ビーーーー」
”あんたの責任に於いて、後は音を切るところを決めてくださいな”と、まぁ簡単に言えばそういう関係であるのが「オルガン」という楽器なのである。
「ビーーーーーーーーーー」
私の右手人指しゆび、もしくは中ゆびさんが私に尋ねる。
”隊長!いつまで、こうしていればよいのでしょうか”
えっと・・・・。
「ビーーーーーーーーーーーーー」
今まで!です!
”了解!”
「シーーーーーーーーーン」
急に音がなくなるのであった。
”隊長の言った通りにしました”
あぁ・・・。
その通りです。おつかれさまでした。
白黒ハッキリしている楽器なのである。
そして音の輪郭が非常にハッキリしているので、間違えた時には非常にわかりやすいのであった。
オルガンという楽器の演奏方法で、ピアノではない奏法でグリッサンドというのがある。グオォオオグビビビ・・・という、わかりやすく言えば「ヤケクソ」っぽく聞こえる感じのがそうなのだが、これはグォオオオグビビビ・・・の時には、手の平の下部で鍵盤の上をスライドするので、指はおやすみ中なのだ。でもグリッサンドの着地はだいたいがコード弾きになるので、荒れ狂った最後は指でドミソないし、レファラなどを押さえねばならないのだが、私はこれをよくハズすのだった。
荒れ狂ってグォオオオとやって、目測を誤って「バビーーーーー」と、間違えた所を押さえてしまう恐れ、大。
”隊長!道を間違えました”
”隊長!今がタイミングですか”
”隊長!指示を”
”答えてください!”
隊長、責任重大。
隊長、疲れる。
オルガンとピアノは、全く別の楽器。オルガンを弾く人は、みな緊張をしながら「隊長」として頑張っているのである。


投稿日:2007年04月16日

2007年04月16日

西川峰子さん、バンドリハーサル。
三軒茶屋のスタジオにて。
今日はメインPAの鳥羽氏が加わっての最終音チェックになる。メンバーのみなさんはそれぞれ、他のツアーと並行していて、東京を離れてまた戻って来るといった忙しいスケジュールだ。
音楽の仕事は、つくづく体力が要る仕事なんだなぁと思う。みんながやっているようなコンサートツアーの仕事は、30本とか60本とかで全国を回る。その前にはリハーサル期間もあるし、始まったら途中で体調が悪くなって穴を空けるなんてことは出来ない。
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波多江くんは、ツアーに出ても筋トレは欠かさないのだそうだ。旅先でも走り込みをし、常に筋力を鍛えているのだと言っていた。
緊張の連続の仕事なのだ。
楽器をセットした後に隅っこにあるケース達を眺める。もう今では見慣れたが、楽器だけでなく「ケース」にも憧れを抱いていた頃があった。楽器の持ち運び用のケースには、鍵盤楽器の場合はソフトケース、ハードケース、フライトケースと3段階のケースの種類があって、ソフトケースは軽くて値段も安いのだが、プロの人達はフライトケースという下にキャリーのついた重いケースに楽器を入れていて、京都で活動をしていた時期に、東京からライブにやってくる人達がこのフライトケースで楽器を運んで来るのを見ると、それだけで「すごい人達!」だとビビりながら、横目でケースを観察していたのだ。
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ケースにはツアー名がマジックで書かれたシールが貼ってあったり、航空会社のタグがぶらさがっていたりと、当時の私達は、せいぜいハードケースに楽器屋さんからもらったシールを貼るぐらいしか貼るものがなかったので、それらはかっこいいお札に見えたものだった。
バンドサウンドでのリハーサルは、なんだかいろんなことが頭の中をよぎる。
フライトケースが今日は新鮮に映った日だった。
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7時からは通しリハーサル。峰子さんはやっぱりとても華がある。そして、センターに立つ人としてのオーラがリハでも滲み出ていて、こういう空気に居ると後ろで演奏をする者としても非常に楽しい。
カラオケで歌を80曲ぐらい歌ってもらったこと。生まれ故郷の話を聞かせてもらったこと。那須のお家から見えた満天の星空。春になったら、これがこんな風に咲くのよと自宅の花や植物を見せてもらったこと。
今回のステージは、私の中では、「女の粋」がテーマだ。優しさ、脆さ、人を許す広さ、思いやり、覚悟を決める強さ・・・。短い期間ながらも、私が見て感じた峰子さんがいる。
映像も選曲も、構成も、これが今の私のベストアイデアだ。
あとは本番、やるだけ。
峰子さんやスタッフの方々には、本当にお世話になりよくしていただいた。私のありがとうは自分がいただいた役で返したい。
いい時間だったと、何人に感じていただけるか。
リハが終わった。まだこれからが本番だというのに、何故だか心と体が初めてホっとした。


投稿日:2007年04月15日

2007年04月15日

そろそろ外の風が気持ちよくなる頃なのだ。
バイク、買い時。
去年の秋から「あたたかくなったら買おう」と想いを寄せてきた、自転車がわりのチョイノリというミニ原付があって、冬の間はいろいろと画像を眺めては楽しんでいたのだ。
今まで何度バイク屋さんに電話をしようと思ったことか。だが、春になったら買いますでは冷やかしのようだなぁと思って、ものすごく遠慮をして我慢していたのだった。
もう春ですよね。
GWの前の週なんていかがですか。
いいんじゃないですか。
じゃぁ、もう現実的な話になりますよね。
電話してみます?
いいんじゃないですか。
原付を買うと言ったら、周りに賛成者はあまり居なかった。どちらかと言えば反対を押しきっての行動なので、相談は自問自答が多くなる。
この色、可愛くない?
こっちのもいいんじゃない?
カゴってあったほうがいいかなぁ。
そうねぇ。
こうして秋からずっと私は、己と会話をし続けてきたのである。
やっとバイク屋さんに電話が出来る。
やっと他人との会話が弾む時がやってきたのだわ。
ところが・・・。
今度は電話に出たバイク屋さんが、これまためずらしく反対派に立っての対応をするのだった。
「チョイノリ、走りませんよ」
「エンジンもかかりにくいし」
「前に乗っていて、同じのを買うという人にはいいんですけど」
「サスもないし」
「よく考えてみた方がいいですよ」
「新車でも、ですか?」
「はい、そうですねー」
こんなにも物を売るのに渋られたのは、初めてなのだ。周りの反対派よりも誰よりも反対をしたのが、バイク屋さんなのであった。
せっかくウキウキして電話をしたのに。
六本木まで行ったりはしないのだ。箱根にも行かないし、羽田空港に行きもしない。ただ、バスに乗って行っていたサミットストアやセガミ薬局や西友やおかしの安売り店やビデオ屋さんに、行くだけなのだ。遠くたってオリンピックに花の苗を見に行こうか、程度の”ほんのそこまで”なのだ。
店の人にまで援護してもらえないとは・・・。
弱気になってきたのだ。
このままではチョイノリをやめ、液晶テレビを買ってしまうことになる。う〜〜む。GWはアウトドアかインドアか、極端な枝分かれとなってしまった。
ワクワクウキウキ電話のはずが・・・・。
バイクが元で、現在孤独の風に吹かれ立っている私なのである。


投稿日:2007年04月14日

2007年04月14日

春色の汽車に乗〜って、海に連れて行ってよ〜。
赤いスイトピーの出だしだ。
この歌がラジオから流れて来るのを聴いて、私はまだ見ぬ彼氏と「お付き合い」をすることを思い浮かべて、「恋人が出来る」ことってこういうことなんだわと思ったものであった。
あの歌詞にあった「春色の汽車」は、何故か四条大宮から嵐山に走るミニ電車、嵐電が私の中でぴったんこの電車だったのだ。嵐電は海には行かないのだが、トコトコと少ない車両の電車が走って行くところと、のどかな駅の風景がいい。
憧れたものだ。
だが、実際の私はそういった「お付き合い」に対して、免疫がほぼなかった。中学の時にあった「付き合うブーム」では交換日記をしたが、「別れブーム」が来るとあっさりと別れ、高校の時も彼氏は出来たが「付き合う」って何なのかわからないまま卒業をしたのだ。
「赤いスイトピー」の歌詞にある男女の距離感が、私にとっての「お付き合い」だったんだろう。今でもあの歌の歌詞は好きだ。
振り返ってみて、自分が恋多きだったのか、少なかったのかはわからない。
「春色の汽車」に、恋人と一緒に乗ったことはない。
私はどんな彼女だったのだろう。
だが、嫌いになってした行動は一度もなかった。
一途で甘えたな彼女だったと
本当にそう思っているのである。


投稿日:2007年04月13日

2007年04月13日

今日は代官山で、ライブ。
前は一番緊張をするのは「MC」だった。
今は「MC」の緊張度合いが減ったわけではなく、更に歌い出しの方が緊張をするのだ。
歌が伝わりますように。
いや、それよりも心が伝わりますように。
シンプルになるってむずかしい。
私の心はただでさえ揺れやすい方だ。
でも、心が伝わりますように。
昔、ライブの心得として「お客さんは、その日のその時間を空けて、そこに来るまでの時間、帰るまでの時間を使ってくれていることを、いつも頭に置いておきなさい」と言われたことがあった。
自分の家に来てくれたお客さんには、「お茶、飲む?」「オヤツ、食べる?」と、オカンな私だが、ライブでは私が出せるのは音楽だ。
心も込めたいが、音楽をやっている者としては、最近の変化としては音楽芸が披露出来るようになりたいなと考えるようになった。これからの音楽面での私の課題の一つだ。
表現をする上で、感情移入だけに頼らずしっかりした練習量で裏付けされた音楽芸が披露出来るというのは、個人的に目指していきたいところだ。
心を込め、更にスカーっとしてもらいたい。
今年初めての自分のライブだった。
本当はあまり前の晩は眠れなかった。
まだ正直言えば、見守ってもらっている感じが抜けずにいる。でも、越えていきたい。
集まって下さったみなさんへ。
心より、どうもありがとう。


投稿日:2007年04月12日

2007年04月12日

西川峰子さんのバンドリハーサル。
終日、高田馬場のスタジオ。
「演歌とポップスはジャンルが違う。」と、簡単に言っていたが、今回譜面書きをしてつくづく思ったのが、音の構成の方法が思った以上に違うということだった。私達が洋楽や邦楽で馴染んできたリズムの取り方は、「ウラ打ち」が主で、例えばお客さんが手拍子をするタイミングはウン、パン、ウン、パンと2拍目と4拍目にくるものがほとんどなのだが、演歌曲では1拍目と3拍目が2、4よりも手拍子が打ちやすいものが多い。
バンド全員で同時にアクセントをつけることも、演歌曲では全員がせずに一人だけがアクセントをつける進行が、曲の中に多く出てくるし、ユニゾンと言ってギターや鍵盤楽器など二つ以上の楽器が同じフレーズを弾くということもあまりなく、シンセ1の人がフレーズを弾き終わったらギターの人が別のフレーズで出てきて、その後にシンセ2がフレーズ出しをするといった、オーケストレーション的なアレンジが多用されていることを知ったのだ。
ギターの稲葉さんが言う。
「あらゆる楽器が、複雑に絡んで来ているよねぇ」
今回、バンドのメンバーは私も含めて演歌をやったことがなく、意見は一致する。
譜面を書いたり、打ち合わせを重ねたりしていたので、私はかなり前から音を聴き込んで行く機会があった。感想としては、”これは思っているより手強い・・”ということだったのだが、バンドのみなさんは、「いやぁ、難しいねー」と言いつつ、リハーサル音出し一曲目からピタっと音が合い、この人達ってすごい人達なんだ・・・と、ちょっと感動に近い驚きであった。
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バンド形態で自分がそこに居るというのは、ここ久しくなかった。二段鍵盤も基本的には私はやらないので、ツインキーボードの一人的なことをやるのは、本当に久しぶりだ。
休憩中にメンバーが雑談をしているのを、遠くで聞く。会話を聞いていると、小学校の休み時間とダブるところがあるのだ。何ていう内容でもないのだが、どこか微笑ましい。下品な下ネタが出ないのは、完全な男性だけの現場じゃないからかもしれない。
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高校生の頃も、大学の時もこんな風に輪の外で聞いていたっけ。
午後、6時。峰子さん登場。
「演歌の演奏、全く違和感がないわ」
ほぼ、全曲通すことが出来たので、予定時刻よりも早めにリハは終了した。
メンバーの演奏力には、私もあらためて脱帽であった。


投稿日:2007年04月11日

2007年04月11日

昨日と同じスタジオで、今日は自分のライブ用のリハーサルだ。
今度のライブでは、短いながらも映像を使ったり、ポエトリーリーディング形式の曲をやったりする。そして最後の曲に一番新しく出来た曲をやる。
ここんところ、音楽や舞台ものを観客席で観ていて思うところがあって、完成度や円熟度よりもチャレンジ精神や”このアイデアをとにかく投入してやってみよう。”ということが感じられるものに面白さを抱く傾向にある。「とにかく今、やってみよう」「ぶつけてみよう」という積極的なトライの心って、いいな。自分もビビらず前にムンと足を出して、「今、手の内にあるのはコレ!」と明るく言って観てもらえるような、そんなライブにしたいなというのが今度の目標だ。
「春の華」というイベントタイトルにふさわしい春のイメージ、「元気でいるよ」という曲は最後まで選曲に入っていたが、そうするとどうしても1曲多くなってしまうので、思い切ってカットをした。
私の4月はこのラインナップだ。
自分の歌を自分で歌える幸せ。新曲のsingingbirdは、自分の声のネックになっているところや、今後ちゃんと出せるようになるであろう音域を想定しながら、息継ぎや単語やメロディラインを考えたので、いつもよりもうんと時間が掛かったが、やっと仕上がった。
今日が自分のライブのリハ納め。
あとは当日、笑顔で行けますように。


投稿日:2007年04月10日

2007年04月10日

下北の駅を下りて、スタジオまで私の足だと約10分。途中に可愛い雑貨屋さんがあったり、洋服屋さんがあったり、一度入れば長居をしてしまうドラッグストアがあったりと誘惑が多いのだが、それらを振り切るようにして歩いているのだ。
今日は西川さんのリハーサルの前に、自分の個人練習を入れていたので、いつものように黙々とスタジオへの道を歩いていたのだった。
歩いている時の私の頭の中は、「よいしょ、よいしょ」。ひたすら目的地に向かって、自分に号令をかけつつ”次はあの角を曲がる”ぐらいしか脳みそは動いていないのだ。
ローソンの看板を見据えて、”あの角を曲がって、もうちょっと歩いて・・・”と、歩いていると・・・。
「ヨシカワさん」
「ヨシカワさーん」
と、後ろの方で声がした。
聞き慣れた単語に一瞬足が止まったが、気のせいかなと思って、また足を進めると
「ヨシカワさん!」
振り向くと、西川さんのマネージャーのMさんだった。
「あれぇええ、どうしたんですか」
「今、この上の喫茶店でお茶していたら、ヨシカワさんが見えたんで」
げげ。
道を歩いている人間のほとんどは、周りを見ながら歩いているつもりでいるが、上から視線が注がれているということまでは頭がいかない。
必死になって歩いていたが、上から見た私はさぞかし能面仏頂顔だったろう。しかも目が疲れやすいという理由で、私は少し濃い目のサングラスをかけていることが多く、この日もそうだったので、結構見た目いかつい女になっていたはずなのだ。
壁に耳あり、2階に目あり。
他人は思うほど自分のことを見ていないというが、
時々、思わぬところで人に見られていることがある。
首を上げると下北の雑多なエリアは2階にも店を構えているところが多いことに、今日はじめて私は気がついたのであった。


投稿日:2007年04月09日

2007年04月09日

今日から新学期。クラス替えのこの時期の私の座る席は窓側の後ろの方と決まっていた。男の子でアベくんとか、ウエダくんという名字の廊下側の日当たりの悪い席も、ジメジメしていそうだったが、窓側後方もあまりいい位置ではなかったというのが感想なのだ。
私の前の席はヤマモトさんが多く、後ろにはヨシダさんというパターンで、ワタナベさんは同じ学年の女子にあまり居なかったので、私が最後になるケースも何度かあった。
あの席は友達を作りにくいのである。
私が学校に通っていた当時は女子の数が多く、一つだけポコンと机がはみ出ていたりして、その場所に居るとクラスの中に居る感じがせず、参観日にやってきたような別の位置に居る感覚になったのだ。左は窓。前の人が後ろを振り向いてくれた時は、本当に嬉しかった。
自分に子供が出来たらこんな寂しい想いはさせないぞ。教室のあの侘しいエリアには、子供には行かせない。
結婚するならカ行かサ行の人と決めていた。
既に小学生の頃。
今日から新学期。
まさか子供も旦那さんも居ない暮らしをしているとは、当時は想像しなかったのであった。