はじめに

〜このWeblogの生い立ち〜

2000年1月〜2001年の暮れまで、私は目覚めてから眠るまでを病室のベッドの上で過ごしました。入院生活が1年と4ヶ月が過ぎようとしていた頃、友人が「無料のHPがあるけど、気晴らしに書いてみたら?」と、提案をしてくれたことがきっかけとなって、ポケットボードという物を入手し、日々思うことを綴り、それを友人の携帯に送ってUPしてもらうという形で日記はスタート。住む場所、職業、性別、何も明かさずに始めた日記でした。

「wasa-b」は、当時お気に入りだったわさびふりかけから命名。

投稿日:2007年02月07日

2007年02月07日

家での作業は、一日中家に居て地味な時間が延々続く。
今日はダンボに付き合ってもらって、長めの散歩に出ることにした。
草野球のグラウンドを横目に小さい公園を通り過ぎる。
車が通れない真っ直ぐの道を行くと、しばらくするとバス通りに出る。
昔から自転車で探検をするにしても、なんでもない住宅街の中を行くのが好きだった。花壇に花が植えてあったり、なんてことのない門灯やガレージに可愛い三輪車が置いてあったりして、そういうのを見つけるととても楽しい気分になるのだ。
散歩猫が犬をお供にして、今日は日が暮れるまで行けるところまで行こう。
窓辺に掛かるカーテン。新しく建った家。マンションの自転車置き場。小学校のフェンスが続いて、足が止まったのは習い事教室だった。普通の家をちょこっと改築した住宅街の中にある習い事の教室。ここはピアノも絵画も習字もやっていて、どうやら場所を提供しているだけみたいだったが、それでも私が通っていた習字教室に似た懐かしい匂いのする教室だった。
ダンボを見ると、”家に帰りたいのを我慢してもう随分になる”といった不服な歩き方になっていた。
ここ、どこだろうね。
ダンボの信用を失い、無視をされた状態・・・。
場所がわかった時には、駅の近くに居たのだった。
あれまー。
こんな所まで来てしまった。
いつもはバスで来る辺り、
だったらついでに買い物でもして帰ろう。
と、思ったのだったが・・・。
”ワンちゃん、お断り”
”ペットを連れての入店はご遠慮ください”
どこもかしこもペットはダメ。
そりゃそうだ。
散歩猫は人間に戻ったが、ダンボはどこから見ても子ブタ犬。お前はどうやらどこの店にも入れてはもらえないようだよ。
日は暮れはじめると一気に夜へと変わっていく。少し春のようだった空気が、ひゅるると冷たい風に変わるのには時間はかからなかった。
寒い。
冷たい。
座りたい。
私もここまで来れたところまではよかったが、帰りの体力を計算するのをすっかり忘れていた。
すっかり日が暮れて、辺りは夜になり。
民家の石垣に腰を掛ける。
ダンボは震えながら私を恨みの目で見ていた。あきらかに私に対して怒っていて、その目は「配分ミスだろう」と言っていたのだった。
はい、そうでござんす。
すみません。
”行きはよいよい、帰りはきつい〜。”
自転車での探検も、そう言えば帰りのことを考えずよく失敗をしていた。行きは楽しい探検、帰りは厳しい耐寒遠足・・・、気分転換だったはずではなかったのか。
遠かった。
修行に変わった本日の散歩であった。


投稿日:2007年02月06日

2007年02月06日

先月引っ越しをしてきたお二階さんは、非常に静かな暮らしをしている。前の住人は男性が二人だったので、ワンコが増えた今の方が生き物の数は増えたはずなのに、人の気配がするなと思う時がある程度であとは何が聞こえてくるわけでもない。
こんなに暮らす人で変わるものなのか。
適度な距離のお二階さんでよかった。というか、前の人が余程の荒くれ者だったのだ。考えてみたら私が一階で暮らすのはここが二軒目。前はテラスハウスで上は同居人の部屋だったが、生活音は気にならなかった。木造の一階に住むと必ずしも”他人の生活が丸わかりになる”というわけではなかったのである。
私の実家は木造の二階建て、今はどこもかしこも古くなったが、引っ越した時は新築のやや洋風の庭付き一軒家だった。だいたい一軒が70坪ぐらいの敷地で、建て売りの住宅でなく、土地を買いそこにそれぞれが家を建てるようなエリア。決して高級住宅街ではなかったが、いわゆる幸せそうなニューファミリーがマイホームを建てるタイプの新しい住宅地だった。
引っ越したのは小学校1年の7月。だが新築の家は最初の台風の時にひどい雨漏りとなり、その時からいらんこと言いの母は、父が建ててくれた家に父が居ない時にケチをつけるようになった。
「ウチは安普請だから」
台風が来る度に「ウチは淀川が切れたら流されちゃうわよ。安普請だから。」と言い、そしてもうひとつとても真面目な顔で口にしていたのは、「ウチは安普請だから、二階の底が抜けちゃうかもしれない」ということだった。
「えぇっ、二階が落ちてくるの?」
「そうよ。だから静かにしてちょうだい。」
ポッポやポンカンやキッカンやミホちゃんからも、そんなことは聞いたことがない。
「ウチだけがそうなるの?」
「そうよ。ここは安もんのウチだから」
ひどい母だが、当時はその言葉を鵜のみにしたのだ。
”私んちは、安もんのウチ・・・。”
二階で友だちとはしゃいでいると、「やめて!二階が落ちてきちゃうから!」と”ドスドス”に対して特に厳しいチェックが入る。
「ベッドみたいな重い物を置いても、二階は落ちない?」と、心配になって聞く時には、「さぁ、ウチは安普請だから。」と、不安を煽る。
おかげで私は家の中を静かに歩くことを身につけた。だから生活の中でも足音は静かなのだ。
今の部屋に来た時、「何てうるさいの・・」と、二階の部屋を見上げてゲッソリしたが、同時に自分が二階に住んでいた頃はこんなに下の人に迷惑を掛けていたのかと、過去自分の階下で生活をしていた住人に悪いことをしたなぁと思ったのだったが・・・。
今の暮らしが正常だったことがわかった。
前のお二階さんは荒くれ者だった。
そしてあの荒くれ者達が、安もんの家で育たなかったことを知ったのであった。


投稿日:2007年02月05日

2007年02月05日

夕方、ダンボを連れて川ベリの道を散歩した。
ダンボは、
「ちっちゃい〜。可愛い〜」
と、言ってもらったり
「おっきいですね〜。チワワ?」
と、言ってもらったりする。
ちっちゃいんだって。
おっきいんだって。
面白いね。
普段はあまり川べりの方には行かない。
ダンボが風の音をとても怖がるからだ。
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ヒューと音がするとビックリして一人で猛ダッシュで逃げる。何度か驚いているうちにリードに足を絡ませて一人でギャン!と言って転ぶ。そして一人で転んでおいて私の顔を恨みの目で見るのだ。
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行動が速すぎて、私もどうしていいのかわからない。
散歩嫌いになって欲しくないので、風の音がたくさんする川べりにはあまり行かないようにしていたのだった。
でもね。ダンボ。
もうすぐこの辺りも景色が春に変わるんだよ。せっかく近くに住んでいるのだから、どう変わるか一番寂しい裸の木の時から見ておこうよ。
尻尾をお尻の下に隠したダンボと川べりを行く。
風が「ひゅ〜〜っ」。
”こわい〜〜っ”
枯れ葉が「カサカサ〜〜っ」。
”こわい〜〜っ”
お前のように落ち着きのない犬は見たことがない。
私の目線の少し上には桜の木。雪柳が白い花を咲かせるのは3月、今日は梅のつぼみが膨らんでいた。
「見てごらんよ」
何度も誘ったが、ダンボは見えない敵と戦うことに全てを賭けている様子だった。
もうすぐ4歳になるダンボ。
お花には興味がないかな。
待っていますよ。春を。
緑道に夕方の太陽の光が差し、空には昼間の青空が広がっていた。
立ち止まって、少しあごを上げて景色を見る時は、
私の心が穏やかな時。
街灯と、私と、ダンボと。
もっと遠くまで行きたいね。
今度はあっちの方まで。
指さすように、川ベリの道に3つの影が長く伸びていた。


投稿日:2007年02月04日

2007年02月04日

青山「月見ル君想フ」にクレイジーフィンガーズのライブを観に行った。
ステージには3台のピアノ。上の階の席はピアノを弾く集団のライブを楽しむのに、とてもいい位置なのだ。
同じ楽器同士の人達は、実は現場での接触が一番少ない。私はそうだ。自分がライブをしたりレコーディングをする時には、鍵盤は自分がやるので探すのは「鍵盤以外のパート」になる。ドラムの人の「この間、@@くんと一緒にやってね」なんて話の中にドラマーの名前が出てくることもほぼない。同じパート同士の人達がステージを共にすることは、意識して場を持たない限り、なかなか機会がない関係なのだ。
今日はピアノで音を楽しむというライブ。出演はリクオくん、YANCY氏、Dr.kyonさんの3人。上からの角度は3人の手元が見える。技術も個性も申し分ない3人の手の動きまでバッチリ見えるのだ。
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鍵盤は自分にもわかる唯一の楽器。
これだけ長く音楽をやってきているというのに、私は他の楽器のことがまだわからない。一緒に音を出している時は他のことに頭がいっているが、レコーディングやなんかで一人ずつ弾いているところを見ると、「楽器が弾けるってすごいですね〜」と、未だに未知の世界を覗く感覚になっているのである。
デジタルピアノは上手からヤマハ、ローランド、ヤマハと機種名までは読めなかったが、YANCYさんのヤマハとリクオくんのヤマハは、機種は違っていたので、ステージがまだ始まる前のこういう所にも既に違いが出ているなぁと思ったのだった。
ステージが始まるといつものドライブ感溢れるライブで、お客さんを音でどんどん引っ張っていってくれる。3人で同じフレーズをユニゾンで弾く所が結構あるのだが、上からだと手の動きもよく見えてそれも楽しい。同じフレーズでタイミングもピッタリなのに、手の形と手の運び方、体の揺らし方は3人3様で、ライブ中にふとピアノ教室に通っていた頃のことを思い出したのだった。
「手はまぁるく」
「小指が立っていますよ」
私は手の形がなかなか先生の指導通りに出来なかった。
今でもお姉さん指で鍵盤を押す時に小指が立つ。もう直らないのでこのままだが、YANCYさんの小指がピョコっと上がる所を見つけてなんだか親しみが沸いた。
MCではクレイジーフィンガーズとしての今後、それからそれぞれの活動のお話もあった。
そっか。今日が終わったら、またそれぞれやることがあるんだなぁ・・・。
私にもしたいことの構想がいろいろある。それにはいくつか必要とする要素があって、まず体力と声のコントロールがもう少しあって欲しい。
せっかちになるな。
自分のペースで行こう。
そっちを目指せば必ずそっちに行ける。
何事も時間のかかる生活の中で自分の中に芽生えたお守りは「腹黒くさえならず、シンプルにすがすがしい心だけを持ってその夢に向かっていれば、いつか必ずそっちに行ける」ということだ。
音楽も何でもそうじゃないかなと思う。ただ「前向き」という言葉だけを大事にするのでなく、何を以って前向きにやるか、その歩んでいく何でもない時にどう考えるかということが実は一番重要だ。
毎日は既に、小さく見えない夢を叶えているかどうかの現場。
帰り道、家に向かいながら、私は自分の夢の方に向かって歩いているかな?と、自分自身に問いかけたのだった。


投稿日:2007年02月03日

2007年02月03日

昨日は、今日の節分を楽しみにしていた。
豆撒きはスカーッとする。我が家では、外や家の中に豆を投げつけてバラバラッと豆が散らかした上、お掃除隊が全部それらを片付けてくれるからなのだ。
家ん中の豆は犬のダンボが。そして外には、鳥やいつもここを縄張りにしている白いブタ猫が。
食べてくれる。
やりっぱなし、オーケー。
片付け、なし。
腕が鳴るのだ。
豆は下からではなく、当然私は上から撒く。あれは可愛く撒くものではない。鬼を追い払うのだから形相を変えて、叩きつけるように撒くぐらいが丁度いいのである。
ご近所さん、驚かないでね。
ダンボちゃん、怖がらないでね。
だってこれは日本の行事なんだもの。
昔は2月のイベントと言えば、私も「バレンタインデー」だった。節分は味のしない豆を食べる地味なイベント、「えぇ〜〜、今からやるの〜」と好きなテレビを中断させられて一家の行事に付き合わされる面倒臭いものだったのだ。
だが、女も年季が入って来ると、バレンタインデーよりも節分の方が体質に合ってくるようになる。節分の方がしっくりくるようになるのだ。そして私の母も、節分の日には一家の中で、この行事を一番仕切っていたのだった。
私もいつから節分の方が楽しくなったのか、もう忘れたが、退行催眠で辿れば、恐らくその前の年に健気だった女心がポキッと折れる出来事があったことか何かが導き出されるのだろう。
鬼はぁ〜〜外!
福はぁ〜〜内!
チョコレートでなく、豆でもくれてやる!
今日は豆を買わなきゃ。
太巻きも買わなきゃ。
だが・・・・。
「あぁあああ、しまった。忘れてた〜〜!」
節分のことを、ふと忘れている時間帯があって、再び思い出した時には12時直前になっていたのだった。
”みんなやったんだろうなぁ・・豆撒き・・・”
節分は”鬼を追い払う日”。
主語を誰も言わないが、正しくは”「妖怪に姿を変えられた美しい女達」が、鬼を追い払う日”なのである。


投稿日:2007年02月02日

2007年02月02日

外出先から帰って来たら、まず玄関に近いゴンタに挨拶をする。
「ただいま、ゴンちゃん」
シーン。
寝ているんですね、はい結構です。
次に廊下突き当たりのドアを開け、キッチン隣りの自分の部屋を覗く。
「ただいま、ダンボ」
シーン。
寝ているのですね。
犬なので目を覚ましたはずだが、”別にええわ”ということで布団から出て来ないのですね。
いいですよ。別に。
マフラーをはずし、コートを脱ぎ、鞄を置き、そのまま部屋着に着替え・・・。
ヒーターにスイッチを入れたら、ダンボはピョーンと布団から飛び出てくるのだった。
”ずっと、待ってたんだもん。おかえりなさい。大好き〜!”
急に懐くダンボ。
嘘つけ。ヒーターがついたからでしょう。
いえ、
いいですよ。
はいどうぞ、ヒーターをつけました。
ヒーターを消すのは私が寝る時だ。
「おいで」
基本的にはベッドの足元で寝るダンボだが、寒がりなのでこの時期は暖かい所がいいらしい。
布団をめくると、スポっと私のお腹のあたりにやってきて、クルンと丸まって湯たんぽになってくれるので、これは私にとっても都合がいい。ダンボも足元より温度が高いのはここだと知っているので、トコトコとやってくるのだった。
”隣りで寝たい!大好き!”
はいどうも。
ありがとね。
<おやすみなさい>
zZZZ・・・・。
しばらくすると。
”狭い!もっとあっちに行って!”
私が寝返りを打つと、寝ている湯たんぽは両足で私の背中を押して向こうにやろうとする。
ちょっと。
蹴るな。
これ、私のベッド。
いや・・・。
いいですよ、別に。
はいはい、もうちょっとこっちに寄ります。
只今、動物との暮らしの中で、私は「愛とは見返りを求めないこと」の修行を積んでいる最中なのである。


投稿日:2007年02月01日

2007年02月01日

雑貨が好きな私だが、これは”トゥマッチだろう!”と思って店で眺めるだけの品がある。
ウエルカムボードだ。
玄関の外に吊したり置いたりするものには、なんでこう「welcome」とプリントされているものが多いのだろう。それがまぁウエルカムボードというものなんだろうが、私個人としてはウエルカムボードにわざわざウエルカムと書くのは、余計なことなのではないかと思うのだ。
<welcomeはいらないわ>
心の中でつぶやきその場をあとにする。
泥棒もウエルカム?
セールスもウエルカム?
ノー、サンキュー。
逆にボードを出すなら「セールスお断り」とやりたいところ。だがそれでは玄関先が少し冷たい感じになるなと思うから控えているぐらいなので、誰が立つのかもわからない玄関口に、この家の住人の意思としてせめて”ウエルカム”と手は広げない、としているのである。
今日から2月。
近所のクリスマスイルミネーションの家は、まだクリスマスの時と同じフルセットのイルミネーションで、電動サンタがビヨーンと箱から出たり入ったりしている。近くで見たら、サンタが出た時の大きさは、私より背が高くなっていて、相当大きい物であることがわかった。
あの家もある意味、「ウエルカム!」と家全体で言っているようなものだ。
お店じゃないんだから、ウエルカム!はやめようよ。
しかし今度、ウエルカムボードを出している家を見つけたら一回ピンポンを押してみようか。
「あのぅ・・」
「はじめまして!」
「ウエルカムってあったから・・」
「きちゃった!」
ちょっと。
気持ち悪がらないで下さいよ。
別に私は怪しい者ではない。
ウエルカムってそういうことだろう。
来ちゃいけないの。
ウエルカムボードはトゥマッチな雑貨なのだ。


投稿日:2007年01月31日

2007年01月31日

小学校の音楽の合奏で、憧れながら一度も触れることなくして終わった楽器があった。ビブラフォンだ。
ビブラフォンとは、乱暴に言えばおもちゃ屋さんで売っているような鉄琴のデカいやつだ。マレットというバチを持って叩く楽器で、鉄琴にはないダンパーペダルがついている。これを踏むと音が伸び、「キーン、ホワワ〜〜ン」と、優し〜い音がするのだ。似た楽器ではマリンバという鍵盤が木のものがあるが、後に音が”ホワワ〜ン”と残るこの”ホワワ〜ン”にクラクラして、私が恋したのは、マリンバでなくこのビブラフォンだった。
一度でいいから触ってみたかった。
小学校の音楽の授業であった合奏の持ち楽器は、先生が担当楽器を決めていたので、毎年「今年こそは選ばれますように」と願ったが、とうとう私にはビブラフォンの役は回ってはこなかった。
お転婆な私だったが、「触ってみたい!」と言えなかった。遠目で見ていただけのまぶしい楽器だった。
その楽器を持っている人が居る。
パーカッショニストの三沢泉ちゃんだ。
去年、あるイベントで偶然彼女とバッタリ会ったのだが、そこで彼女はあの憧れの楽器、ビブラフォンを演奏していたのだった。それまでコンガやボンゴ等のパーカッションを前にしている姿しか私は見たことがなかったが、その日はなんとビブラフォンを真ん中に置いていたのだ。
「キーン、ホワワ〜〜ン」
あ、あらら・・。
それだけで吸い寄せられて行く。
「キーン、ホワワ〜〜ン」
<うふふ。こっちよ>
他の楽器を聴いていても、大音量でもないあのビブラフォンが鳴ると、ハッとそっちに心が行ってしまう。ビブラフォンは小悪魔系の楽器。それを自在に彼女は操っていたのであった。
今日はその三沢泉ちゃんのソロライブを千駄ヶ谷に観に行ってきた。泉ちゃんは、相馬裕子ちゃんのライブや西川峰子さんのレコーディングで一緒にさせてもらったが、ミュージシャンとしてのその演奏とセンスは超一流だ。ミュージシャンとしての顔は知っていたが、今日はソロだけでなくイベント全体を彼女が主催しているということで、そういう精力的な一面にも惹かれて出掛けたのだった。
パーカッショニストのソロって一体どんなライブ。ステージにセットされていたのは、あの魅惑のビブラフォンとそれからいくつかの小物パーカッション。横のテーブルにはおもちゃや小物が飾ってあって、女の子の部屋の様なディスプレイがされていた。
足元にはエフェクターのようなメカ。
これらを目にしても、始まるまでそれがどんなステージになるのかは私には全く想像がつかなかったのだった。
これを・・・・何と説明をすればいいのか。
初めて観た泉ちゃんのパーカッションソロワークは、まさしく「音楽」。音を楽しむと書いて音楽と読む、そのものだった。
そこにセットされていたもの全てを使って、一つ一つの音を出してお客さんに聴かせながら、同時にそれを足元のメカで録音をし、どんどん音を重ねて最後にはパーカッションアンサンブルの美しいサウンドに仕上げていく。テーブルにあったおもちゃも雑貨も、そこにあった全部が楽器になることを私は目の前で観ることとなった。
ミュージシャンサイドとはまた別の顔。
対極にあると言っていい程、違ったアプローチだ。
リズムを一切刻まずに、でも出来上がったアンサンブルは、リズミックな作品になっていて本当に感動をした。
「これで、終わりです!」
照れたように泉ちゃんの挨拶があった。
釘付けになっていたので、「もう終わり?」という位時間が早く感じた。
ステージが終われば会場が明るくなるというのは、もう何度となく見てきたライブコンサートでの会場の風景だ。
今日は違った空間。
どんな空間。
私はおもちゃのチャチャチャの曲の中に居た。
なのに朝になっておもちゃ達が帰ってしまった。
そんな気分だ。
音楽という夢の中に、さっき自分は確かに居た。
違ったのかな。
片付いていくステージを見てみた。
魔法は解け、どれもただの楽器とおもちゃに戻っていたのだった。


投稿日:2007年01月30日

2007年01月30日

今日はデモ作りの仕上げの日。
2階の人が引っ越してきてから、こちらの暮らしが変わったことは、部屋での作業の音量と時間を気にするようになったということなのだ。
内見に人がやってきていた時には、「アァアア〜」「ララリラ〜」と、声を出したりスピーカーの音をちょっと大きめにし、ダンボにも一緒に頑張ってもらって、この家から出る最大迷惑音をアピールしていた。
”ここの家は、こういうことをしますのでよろしく”と最初に断りをいれておかないと、あとで文句を言われるのはたまらん。
が、内見者が住人になった時、このアピールは終わりになり、コソコソモードへと変わるのだった。
「あの家は楽器を使っています」
そう報告をされると、今度は私が住人として危うい立場になる。場合によっては、新しいお部屋を探しにどこかの物件の内見者となることだってあるのだ。ところてんを押し出すように、2階に住人がきて私が押し出しとなる。トランプゲームでも意外な展開があるように、私の暮らしにだって、いつ波乱が起こるかわからない。だいたい、私は前の家で突然の押し出しとなった。
まず、外に2階の人のバイクと自転車の有無を確認する。両方ない日が2階が留守の日。今のうちにやろう。昼間っから雨戸を閉めて「ア〜アァアアア〜ッ」。
録音作業で声を出す時はマイクに他の音が乗らないようにと、オケをヘッドフォンで聴く。なので、私の耳には全部の音が鳴っているのだが、私の家から漏れるのは私の歌声だけということになる。これはちょっと私自身が恥ずかしい。歌詞が全部ついていても、一部だけ歌詞がある時も、最初からアカペラで歌うと決めて歌うものとそうでないものは、伴奏がないとどうも滑稽になるのだ。
今日は何度か外を見たが、自転車が停まっていた。昼も、午後も、夕方も。
だが仕上げは今日しかない。
「ラーリラー、ワウッ!」
「ウゥウウウ〜、ラーブッ!」
「ワォーーー、チャーンス!」
私んちだけのことじゃない。音楽仲間はだいたいいつもこんな感じで家でデモを作っている。音楽の仕事は華やかでもなんでもなく、滑稽なことの連続なのである。


投稿日:2007年01月29日

2007年01月29日

胃腸炎は胃が少し楽になったかと思ったら腸に来る。
正月の時もそうだった。
上から下へ、自分の内蔵が動いているということを知る貴重な体験学習にもなっているが、何せトイレがすぐ近くにないといけない状況なので、家から出られないのだ。
お腹が痛い。
ヘルプ、ミー。
言ったところで何も変化は起こらない。部屋の空気が動いたのは、「ツーショットダイヤルですか」と、知らん女子と話したい男性が間違ってウチに電話を掛けて来た時ぐらいなのである。
こんな時に。
助けてくれるのでないのなら、そっとしておいてくれ。腹が立って電話線を抜いたのだ。
飲めば出る。
何かちょっとでも食べると出る。
以前、某男性アーティストが”腸内洗浄”にハマっていて、中国まで”腸内洗浄”をしに行ったと言っておられた。40分位の時間をかけて肛門からお湯を入れて溜まった老廃物を一気に排出させるのだと、そのしくみについて教えてもらったことがあったが、とにかくクセになる気持ち良さなのだそうだ。
ウイルスも一気に排出出来るのかなぁと横になりながら考える。
しんどい時は、何かそれがいいかもしれないと聞くと、何故か「それをやってみたい」と、トライしたい気持ちが強くなるのだ。
自宅で腸内洗浄ってどうすればいいのか。
お湯はある。
だが、適当なサイズのチューブがない。
洗濯機のホースは太過ぎ。
ストローは硬そう。
今日もイタチと犬と私はほぼ寝て一日を過ごした。
「君等元気なのに、よく毎日同じ場所でこんなに寝ていられるな」と、寝ながらイタチと犬にちょっとあきれたのであった。