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投稿日:2007年02月18日

2007年02月18日

雨が上がると、東京の空も澄んでいて綺麗なのだ。
鳥は雨の時、姿が見えない。
自分が雨空を見上げるということを、あまりしないからなのかもしれない。
雨の時は視野が全体に低いエリアに行く。
灰色は、私にはつまらない色なんだろう。
玄関先のジュリアンが花をつけるようになってきた。
少し前までは、餌がないせいか鳥が食べていくので、枯れた鉢のようになっていた。口からこぼしたと思われるちぎれた花びらが足元に落ちていたので、犯人はやっぱり鳥だったのだと思う。
雨のあとには晴れが来る。
冬の次には春が来る。
私の目線も雨の日は下がって、
雨上がりには上がる。
今日は道が濡れているから、
散歩はまた明日ね。
「散歩は明日ね」と言った「散歩」だけがわかったらしく、行く気満々でダンボはベッドに飛び乗って跳ねていた。
しまった。
お前は人間じゃなかった。
「今日はなし!」
「なし!」
今日みたいに、
夕方になってから晴れ間がさす日は、
晴れた空を見るだけの日になる。
洗濯も出来なかった。
散歩もなし。
でも、何もしなかったのに、
明日のことを考える。
もう、明日を”持って”いる。
雨上がりはよく晴れる。
川沿いの道には梅が咲いているよ。


投稿日:2007年02月17日

2007年02月17日

仕事の帰りに、今日は新宿のY氏行きつけの某バーに寄った。
Nさんのお店は新宿3丁目、末広亭という有名な寄席の店のすぐそばにあって、伊勢丹デパートから少し入った辺りにある静かな店だ。
Nさんは物静かな人で、店内は薄暗い照明、BGMはトムウエイツやボブディランが流れていて落ち着いた感じがいつもある。
今日のお客はY氏と私の二人。なんでもない話をNさんと3人でしていて、ふと”おしぼり”の話題になった。
「この間、おしぼりで鼻をチ〜〜ンとかんでいる人が居て、もうおしぼりで口とか、拭けなくなっちゃいましたよ」
と、私が言うと、
Nさんはふふ・・と笑って
「おしぼりは・・・まぁ。そうだねぇ」
と言ってうつ向いた。
あれ、なんですか。
その薄笑いは。
「おしぼり、なにかあるんですか」
「おしぼりは・・・ふふ。」
Y氏とNさんが、
「いろいろ使うからねぇ・・」
と言って顔を見合わせたのだった。
イヤな予感。この「ふふ」は、太陽の光をあびた「ふふ」ではない。「ふふ」って何だ。「ふふ」って。
もしや。
「ここ、新宿だしね」
「まぁ、いろいろ」
「店もあるし」
げげげ!!
「上半身だけ、とも・・」
うげげげげーーー!!
「言えないしねぇ」
うげげげげげげーーー!!
大ショック。
考えたこともなかった。
中で何をしてどうなって何を拭くのかは定かでないが、
「それは、そういうことなんですか!」
「おしぼりは、それでも利用されるわけなんですか!」
と、はっきりしない「それ」会話をしながらも、はっきり浮かぶどよーんとした世界が脳裏に浮かんだ。
「それは・・・常識なんですか」
「おしぼりについて、みんなが知っていることですか」
次々に、「それ」という単語を使って安心を得たいと質問をしたが、「ま、誰でも知ってるって言えば知ってるんじゃないかな」と、クールな回答が返って来たのであった。
どよーーん。
知らなかった。
少なくとも私は。
おしぼりの常識を今日初めて知った。
「ごちそうさまでした。あー、おいしかった」と、言って口を拭いたことが蘇ると、急に吐きそうになってきたのだ。
ひどいじゃないか。ずっと知らなかったことで、急に怒りがこみ上げてきたのだった。
世のおかん達は息子に常識を教えなかった。
ショック。
もうおしぼりは使わない。おしぼりの前世がもう広がりすぎて、とうとうついて行けなくなった私なのである。


投稿日:2007年02月16日

2007年02月16日

昨日は、一日中笑っていた。
と、いうのは嘘だ。
私は朝リハーサル出掛け前に泣いていた。さっきまですがすがしく、慌ただしく今日の準備をしていたのに、パソコンの前で涙がこぼれてきて仕方がなかったのだった。
泣いた顔のまま、リハに行くかしばらく考える。
今日は「素」でいいか。
いや・・・・。
「やっぱり、それはやめよう」と思い直して、冷水で目を冷やし、目元チェックをしてから家を出たのだった。
理由は晶くんがHP上で、去年の11月のある頃から毎日綴るようになった「慕夜記」にある。出掛ける少し前、迎えに来てくれるY氏に電話をした時に「晶くんのHP、14日のをまぁちょっと読んでみなさいよ。アナタのことが書いてあるから」と、言われて車を待つ間にもう一度PCを開いたのだった。
「最近、毎日更新してるよね〜」
つい先日、打ち合わせやわははと笑いながらの雑談の電話の中で、晶くんに言ったことを思い出す。
彼とはいろいろな話をするが、内容は具体的な作業のことや、そうでなかったら最近あった面白い出来事や、ずいぶん古い学生時代の話題だったりと、何かについて深く語り合うということはなかった。
なんだろうなぁ・・この涙は・・・。
世の中や人と人との間には、見えない感情がたくさん行き来をしている。
だが人に備わっているアンテナは、時に自分は誰からも必要とされていないと思ったり、「アイツはオレのことをあまりよくは思っていないだろう」と勘ぐってみたりと、そちらのマイナス寄りの感度の方が高いのではないかと思う。人は自分なんて見ていない。という風に、人は一人の時にふと何故か思いがちになる。
「孤独」を感じる時は自分にもある。その「孤独」を作るのは誰でもなく、きっとこのアンテナの具合いなのだ。
「人は不真面目である事はかまわない、馬鹿は大好きだ。ただ、決して不誠実であってはならない。」
あぁ、そうか。そうやって言葉にしてもらうと、すごくクリアだ。彼はこんなにハッキリと、自分の哲学、物の見方を口にしてして言う。そう、誰かを悪者にすることもなく、自分を謙ることもなく、だが思い切って言う。
「私のキモチ」から一人の読み手に戻り、彼の視点に共感をした。そして全部を読み切ったら、物を書く同業者としての尊敬に変わっていた。
昨日はありがとうが言えなかった。
心強い仲間が居ることに、ありがとう。いや、これは書くという場所で自分の信念について書いている言葉なのだから、ありがとうと私が言うのは変だなぁ・・・。などと考えているうちに、「お疲れさま」と、手を振っていた。
漠然と心の中に持ちながら、他のもの達といっしょくたに澱んでいる粒子を濁り水の中から言葉にロカして提示する。敢えて手を上げて、自分の意見を晒しに行くのが私達の住む世界だ。
いい仲間が居て、私はとても幸せだ。
さぁ、
昨日ただのワタシになったワタシは、また今日、吉川みきに戻って、何か思い切って口にしていこう。
自分の中にある丁寧な気持ち。
それは近くに居る人が必ず見ている。


投稿日:2007年02月15日

2007年02月15日

今日はリハーサル日。
Y氏に車で迎えに来てもらって、家を出たら近所の家の風鈴が鳴っていた。
夏ですね。
行ってきま〜す。
バス通りに出てしばらく行くと、”年中クリスマスイルミネーションの家”があって、信号待ちで丁度イルミネーションの家の前に停まる。
日中は電飾は消えているので、チカチカはお休み中。キノコやクリスマスツリーに伸び縮みする電動式のサンタは動いてはいなかったが、ここが”夜になるとこんな風になるんですよ!”と、観光案内のように説明をしていたら、派手派手電飾の一つが「謹賀新年」イルミネーションであることを発見した。
「謹賀新年!」
クリスマスと新年を迎え、この前を通り過ぎる。
今年は暖冬で、外も窓を開けると「春っぽいなぁ」と春を感じる日々が多くなった。まだ裸の街路樹達を目にしながら、今年もまた葉っぱ達がもうすぐ出て来るんだよなぁと思い、移動中の時間を過ごす。
「おはようございます」
スタジオに入れば、まずご挨拶。
私の仕事場は、そう言えば朝でも昼でも夜でも、最初の挨拶は「おはようございます」なのだ。窓のない場所での現場が多いからなのかわからないが、音楽関係、放送関係の場所では「こんにちは」「こんばんは」は、ほとんど聞かないのだ。
スタジオに入れば、中は丁度いい温度。
受け付けやロビーでは、空調関係は他のビルと温度設定は変わらず、だがスタジオの中はリハーサルが始まればたいていは冷房が入ることになる。いつもは温度を気にして「リハの日」は冬でもノースリーブで出るのだが、今日は厚手のセーター一枚で行ったので、脱ぐに脱げず失敗したのだ。
ちょっと休憩タイム。
スタジオの観用植物のところに、ハロウィンのカボチャが吊り下がっているのを見つける。
<一体、今日はいくつの季節を体験しているのだ>
トイレに座り、考える人となる。
今日のリハーサルは晶くんとの、22日に一緒に出るイベントのリハーサル。その前の打ち合わせで、晶くんの頭の中にある曲の構想や流れを聞いて、今回はオルガンのリクエストをもらっていたので、その曲を中心にリハは進んだ。
帰り道の環状7号は、春の夕方のような気持ちのいい風が吹いていた。
「じゃ、お疲れさまでした!」
晶くんに手を振って別れ・・・
日が沈むと、風は冷たく冬に戻る。
家の角まで来ると風鈴が鳴っていた。
今は何の季節。
カレンダーだけ見ていてもわからない。
一瞬だけ感じたって、それがすべてじゃない。
いろいろあるんだよ。
いろいろあるんだろうけれどね。
今日。
行ったり来たりしながら、
”春に向かう一日”だった。


投稿日:2007年02月14日

2007年02月14日

今日はバレンタインデー。
父は、可愛い爺さんにはならなかったので、妹からも嫌われ、そして愛をあげる人は誰もいなくなった。
だから今日は、私のカレンダーでは第二の父の日なのである。
チョコレートケーキにしようか。
それとも普通のチョコにしようか。
あれこれと品選びを考えていたのに。
直前になって父に送ることを忘れてしまった。
しまった!
既に時は日暮れの後。
「もしもし」
電話をしたら、父しげおっちはやはり何もないただの一日を過ごしていたのだった。
「だ〜れも来ぇへん!」
「だ〜れもくれへん!」
今日が何の日なのかは知っているのだ。
すみません。
隣り町に住む妹からは電話も来ないと言っていたので、せめて電話で何か喜んでもらえる話でもしたいなと、話題を自分の近況に変えたのだった。
「今度ね、」
しげおっちは、時々私の仕事について何をやっているのかと根ほり葉ほり聞いて来る時がある。
3月の決まっている予定で、父が喜んでくれるかもしれない仕事の話をしてみる。
「雑誌でね、」
「インタビュー写真付きで出ますんで!」
すると爺さん、成人式の時にはあんなにパチパチと写真を撮ったのに、今は娘の写真も興味がなくなったのか、
「お前の仕事になんか興味ないわ!」
という返事、しかも怒鳴り声であった。
会話、そこで終わる。
しげおっちは名古屋人。そこで「名古屋」と大好きな「テレビ」が合体した話題をしてみる。
「今度ね、名古屋のテレビにね」
「え〜〜っ?」
「出ますんで」と言ったら即座に、
「お前の仕事になんか興味ないわ!」
「それにワシの親戚はみんな死んだわ!」
会話、終了。
電話口の向こうでテレビが流れていた。
あぁ、そうか。
ワシのテレビの邪魔をした憎い娘は、そこでようやく怒りの原因を察知し、電話を切ったのであった。
プチ。
やはり嫌われて然り。
爺さんのキモチがわからない。
もし自分が思春期だったらグレているのである。
あぁ・・・・。
バレンタインデーにチョコレートは
やっぱりあげとかなあかんもんなのである。


投稿日:2007年02月13日

2007年02月13日

薬屋さんを探して三千里。
病院に通っている人は知っているだろうが、病院で診察を受けると、いつも帰りに処方せんを貰って私は帰っている。その処方せんを持って取り扱いをしてくれる薬局に行き、薬を出して貰うのだ。
外来日は木曜日。私が貰う処方せんは有効期限が4日間で、以前は比較的家から近い吉祥寺の薬局にお世話になっていたが、ここの休みが土曜日の午後以降日曜日いっぱいなので、実質の有効期限が短く、また今の家に引っ越したことで、病院からも家からも遠くなり、近くで受け取れる薬局があればいいなと思うようになったのだった。
自分が飲んでいる薬の種類は6〜7種類、その中にはあまり使われていない薬が入っていて、大抵の所ではその日に受け取れないことももう学習したので、数日の猶予があっても大丈夫なように私も予備を持っているのだが・・・・・、
薬局はなかなか見つからないものなのだ。
「ウチは@@はないんですよねぇ・・・」
それで沈黙になる。
えっと・・・・。
代案はないのデスカー。
”今日じゃなくてもいい”とか”取り寄せは可能ですか”とか”他に方法はないですか”と、くい下がるが数軒いずれも消極的。というか、電話の対応で既に商売っけがない。ある店では、取り寄せさえ「杉並区のどこに電話をかけても同じだと思いますよ」と断言の返事だったのだ。
「杉並区では、この薬は手に入らないってことですか」
「はい、多分」
ほんまかいな。
隣りの武蔵野市にはあったものが、杉並では手に入らないというのか。だって薬メーカーの本社は、武蔵野市よりも杉並区の方が近いのだ。
今日はやっと見つけたと思った近くの処方せんを扱う薬局の人の配達を一日家で待っていた。
が、もう5時。
電話をしてみると、「あぁ、じゃぁ今から届けますんで」という返事だった。
約束したじゃないか。
お宅が持って行くと言ったから待っていたのだ。
脱力。
薬屋さんを探して三千里。
近所の電信柱の「出会い紹介所」に電話をして、いいご縁を紹介してもらいたい私なのだ。


投稿日:2007年02月12日

2007年02月12日

自分が最初に出会った価値観は両親の持つ価値観だ。
そうだなと納得をしたこと、あまり素直に受け止められなかったこと、反発するものに対しては一旦はその年齢で持っていた鎧で反発はするものの、言葉に変える能力を持たなかったので、ギスギスしたまま自分の中へと入ってきたりして、だが一応は両親の物の考え方は体に受けてきたことになる。
今の私の”いい物の見方”は、ほとんどと言っていい、自分が社会に出て出会った人の言葉に影響を受けたものだ。それまで自分には考えもつかなかった物の考え方や捉え方、自分の体にはなかったものが、ふとした会話で心が大いに動き、そのままその人の言葉が体に入って血や肉となる。言った人はそのことを忘れても、自分にはそのシチュエーションがいつまでもその時の衝撃を覚えている。
素晴らしい価値観を教えてもらった瞬間だからだ。
先日ある女性からのメールを読んでいて、また心が大きく動くことに出会った。
”なめし革”
なめし革なんて単語は、私は初めて人のメールの文章で読んだ。しかも女性の書く何も難しくない内容の中にこの言葉が出てきたのだ。
「なめし革のような女性になれたらいいなと」
そんな女性になりたいといつも思っているのだと、それを気にしながら過ごしているという話をしてくれたのだった。
<革って、傷がついても、それが年月とともに「味」や「風合い」になっていくでしょう!?たとえば刃物のようなもので付けられた鋭利なキズでも、それがだんだんもとからあった、その革の一部になっていって・・・>
刃物で付いたような傷。
刃物という言葉から、深い傷を想像する。
私はそれぐらいショックな何かがあったことには、とても弱い。そしてもうその傷を見れなくなる。もうこれ以上傷つきたくない、もう近付かないから、もう忘れるから。それを誰にも話したりしない。同じだけの傷を相手にしてやりたいという気分にもならない。ただ二度と目にしなくてもいいようにと、かたく鍵をかけることで、過去”自分が感じた”大きな傷について折り合いをつけてきた。
たとえ刃物でえぐったような傷でも、だんだん自分の一部に変わっていく。そのことを自分が意識していれば、どんな傷だってそうしていける。
彼女は平らな文章で、手が届く身近なことのように変えて教えてくれた。
大人は小さな傷の癒し方はだいぶ覚えている。だが私と同じように大きな傷に対しての向き合い方については、まだ持て余している人が多いような気がしている。
かたく閉ざして、それを見ないようにすることも
苦しいこと。
”なめし革”
彼女とは私が20代の頃に知り合った。
これはこの先、繰り返し思い出す話になるだろう。
心動かされた彼女の価値観だ。


投稿日:2007年02月11日

2007年02月11日

家の近くに立つ電信柱には、「出会いの趣味の会」と書いたチラシが張ってある。
ここはダンボと散歩をする時に通る道。
今日も私はダンボを連れたまま足を止める。
じぃ〜〜〜っ。
「パートナー紹介」
立ち止まりその紙を凝視する。
なんでこんな所に・・・?
前もそうだ。このチラシは前に住んでいた家の近くの電信柱にも張ってあった。足を止める理由は、その紙が張っている場所なのだ。
チラシのすぐ横にはおしっこ。
どこかの犬がマーキングをした跡・・・・。
ここのチラシは目線が「犬」、丁度いい高さでおしっこを引っかける的のように、電信柱の下の方に張ってあるのであった。
確かチラシ張りは違法だったんではないだろうか。
そっとここに張って、犬の散歩に来た人に見てもらおうというのが狙いなんだろうが、電信柱はよその犬がさんざんおしっこを引っかけているので、あまりジッと見るということも私はしないのである。
犬を散歩させている人間は、散歩中手にしているものは糞を入れる為のビニール袋とせいぜいティシュぐらいのもので、メモ帳やペンなんて持ってきてはいない。
剥がすには汚い感じがして気が乗らない位置にある。
だからこうして残っているのだろう。
”あっ、違うんですよ。私は。”
チラシをジッと見ている所を人に見られた。
ダンボもチラシを”読んで”いるのが少々おかしい。
そのうち、電話番号もソラで言えるようになるだろう。それで思い切ってそこの紹介所に電話をしたら、近所の犬の散歩をしている人を紹介されるかもしれん。
まぁ、だが動物を飼うと、「人間の男よりいいわ」と思う瞬間が多々ある。
犬の散歩の人をターゲットにしても、あまり効果はないのである。


投稿日:2007年02月10日

2007年02月10日

今日は夜、待ち合わせをして相馬裕子ちゃんとご飯を食べた。
10分前に駅に着いてひとまずホっとする。待ち合わせの人がチラホラ、知らない街の駅前は旅行にでも来たような新鮮な場所に映る。
6時。もうそろそろかな。キョロキョロして辺りを伺う。待ち合わせの時は近くで同じように待っている人がライバルに思えてきて、自分の方が先にここから立ち去るぞという張り合う気持ちが沸いて来るのだ。
<私の方が待ち人が先に来る!>
キョロキョロのスピードが上がる。
6時5分。
夕方まで予定が入っていると言っていたんで、時間が延びたのかな。
6時10分。
駅ってここの駅でよかったよねぇ・・・。
待ち合わせ、ここでよかったよね。
携帯を出して昨夜のやりとりメールをもう一度見たら、最後に送った自分のメール文に、「駅前」が抜けていたことに気がついたのだった。しかも、送ったメールは”6時目処で行くね。で何かあれば途中で連絡取りあいましょう^^”
なんとアバウトな内容。
電話をしたら裕子ちゃんは家で私を待っていた。
普段、電話をくれる時にも、彼女は「今、電話しても大丈夫?」と最初にメールをくれる。大丈夫なのでこちらから電話をすると「掛け直すから!私が電話してもいい?って聞いたんだから掛け直す!」と言う。約束の時間も場所もわからないメールを受け取って謎だったはずなのだが、それが私の約束の仕方だと思って彼女は「はっきりせぇ!」と返信を打たずに健気に待っていたのであった。
ごめん、裕子ちゃん。
10分前についてよかった!と思っていた。
アホである。
彼女が予約をしてくれていた店で、久々の再会。仕事の話や日常の話をした数時間、私も久しぶりに誰かと話しながらの夕食タイムとなった。
店を出ると雨が降っていた。
「この傘、使って!」と裕子ちゃんは言う。いいよ、杖があると両手が塞がるからと言うと、「じゃ、駅まで送ってく!」と裕子ちゃんは言う。いいよ、駅まですぐそこだからと言ったが、彼女は傘をさして送ってくれた。
自分より小さな歩幅。
オフの時の彼女は、”小動物””ちいさい子供”の感じがして、同じ女性なのだが「ちゃんとおうちにかえれるかな?」「車に轢かれないように気をつけてちょうだいね」と、妙な気分になる。
「もうここで十分だからありがとう」と交差点でお礼を言ったが、結局駅の改札まで送ってもらってそこで別れたのだった。
彼女はとても”純”。一緒に居ると、ちょこっとしたことでその感覚が積み重なって行く。
帰りの電車の窓ガラスを雨が打つ。
行きは外の景色を楽しんだ電車も、もう夜の中。
男女共、私が惹かれる人には「純」が共通している。
自分がもし男だったら、裕子ちゃんみたいな女性に惚れている。
ふふふ。
帰ろう、家へ。
男でないので、胸はすがすがしくキュンとして、そして明るく家に帰った私なのであった。


投稿日:2007年02月09日

2007年02月09日

タクシーに乗った。
車内では会話をすることもあれば、黙って過ごすこともある。2度同じ車に乗る時もあるし、3回目だわと驚くこともある。最初は不愉快な対応に感じた運ちゃんが、降りるまでの間で憎めない人柄だとわかることや、逆に暗い話ばかり聞くことになって乗っているうちにグッタリすることもある。だが、タクシーの中というのは、後腐れのないアッサリした他人との関係を楽しむ場所として過ごせる所だと思う。例えその日怒りに満ちてエコーカードを取って帰ったとしても、それが自分の悩みに深い傷を残すこともないのだ。
今日の運ちゃんは50代後半ぐらいの、非常にフレンドリーなおっちゃんだった。”ようこそ、わたしのタクシーへ!”そんな明るいムードがあって、お客さんの私に快適な移動空間をくれようとしていることは乗ってすぐにわかったので、私もリラックスして会話に入って行くようになったのだった。
が・・・・。
「あっ、今の道・・・」
「え!?」
おっちゃん、曲がる所を一本間違えた。
話に夢中になって見失ってしまうこともあるだろう。人見街道というのは車を運転しない人間でも東京西エリアでは知られている道なので、次の角で曲がってくれると思っていたのだったが・・・・。
またしても
「あっ、これ右・・・」
「え!?」
ここで曲がらなければアウト。
車はブーンとまっすぐに進んで行ったのであった。
さっき人見街道と言ったのが、聞こえていなかったのかもしれない。
「人見街道を、お願い出来ますか」
「人見街道って、こっちじゃなかったでしたっけ。もうちょっとまっすぐ行った所に・・・。あ!間違えたー!」
しょうがない。こっちも話をしていたから・・という思いがあったので、ここは私が道案内をしてルートにまた戻っていったのだった。
しばらく沈黙となったが、また運ちゃん、気を取り直して明るい話題をこっちに向けてくれるようになり・・。
「ほら、よければアメどうぞ!」
アメちゃんを受け取り、そこからは運ちゃん、今度は自分の転職話から運転手人生について話す時間となる。今まで乗せたお客さんの話がいろいろと出て来る。タクシーの運ちゃんは”いつもはこの辺で仕事をする”というエリアがあるみたいなのだが、このおっちゃんは「私はね、都内どこでも幅広く走るんですよー」と言うのだった。
「ほら、よければ缶コーヒー!」
今度はおっちゃんは缶コーヒーをくれた。缶コーヒーなんて、今まで渡したことはあってももらったことがない。これって無邪気に受け取っていいものなのか。
「乗られたお客さまには、全員にお渡ししているんですよ!」
「え!全員に?」
「はい、一期一会で何かのご縁ですから!」
だがその後
おっちゃんはまた道を間違えてしまうのである。
「あっ、今のところ・・・」
「え!?」
「こっちじゃなくって、こっちなんです」
「そうだったっけ。あー間違えたー!」
目的地に着くと、いつもより300円以上高い料金を払うこととなったのだった。
明るく去って行ったおっちゃんよ。
幅広く走らなくていいから、道を覚えてくれ。目的地にスムーズに連れていってくれることを私は一番望む。気持ちは十分伝わったが、アメちゃんより、缶コーヒーより、サービスなら料金がピッタリの方がいい。いつかお客さんを怒らせたと言ってその話の時にはおっちゃんは怒っていたが、私はそのお客さんの方に同調する。
が、自分の思いを別に訴えることもなく・・・。
後腐れなく、一期一会。
<今日はハズれ!>
缶コーヒーをバッグに入れて、それでおしまいとなったのであった。