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投稿日:2007年02月08日

2007年02月08日

外来の帰りに、あんまりいい天気だったので上野公園まで行ってきた。
平日の午後だが、人は多い。年輩のご婦人グループに年輩のご夫婦と思われるカップル、学生さんも居るし外国人も結構居る。サラリーマン風の人はほとんど見なかったので、ここは会社をサボって来たいといった場所ではないのかもしれない。なんだか健全な人達が集まっている、そんな雰囲気の今日の上野公園だ。
今日のお目当ては博物館。いや、”今日こそ”という方が正しいだろう。今まで、度々車を持っているY氏をアッシーに利用しようとしたが失敗に終わり、ならば一人で!と目指したものの遠すぎて3回ぐらい途中リタイアしてきたのだ。
博物館がどんなところなのは、正直なところよく知らない。恐竜の骨か呪いの仮面が飾ってあるというイメージしか沸かないのだが、ここ数年博物館に行ってみたくてしょうがないのは、文化の香りただよう友人が以前に「博物館の辺りってとても素敵なのよ」と話してくれたことにある。
友人が数年前に話してくれたこの辺りの景色のことは、自分の頭の中の景色が広がるワクワクする話だった。博物館の敷地内にはあまり知られていない老舗のホテル系列のレストランもあって、そこに行くまでに見える木々の話や、席に着いた時に窓の外に見える景色、彼女の話を聞いているうちにそれらをこの目で感じたいと胸膨らんでいったのだ。
以来博物館は私の行ってみたい素敵で豊かな場所になり、もうその庭園には想像力がプラスされてすっかり私の頭の中では、鳥がチチチと鳴きリス達がクルミを割っている姿まで加わった絵図となってしまった。
しかし、話だけで人の心を虜にしてしまうとは、すごいストーリーテラーだ。
どんな素敵な場所なのかしら。
結局は博物館ではなく、静かに佇む併設レストランに行ってみたい。つまり私の場合は上野のとあるレストランに行きたいだけなのだが・・・・。
・・・はぁ。はぁ。
それにしても遠い。もう地図も頭に入っているのだが、あとどれぐらい歩けばいいのか。
「あれが・・・そう?」
建物が確認出来たところで力尽きた。これは思っているよりも、そして地図で見ていたよりも遠い。まだまだうんと距離があるではないか。
噴水の上を鳥がヒョーイと飛んでいった。
見上げた空は青かった。
今日もまさかのリタイア。
だけど。
憧れの博物館レストランさん。
私は何度でも生まれ変わって
あなたに、またあいにゆきます。
全くもう、人力車サービスは、嵐山でやるよりここの敷地内でやって欲しいのである。


投稿日:2007年02月07日

2007年02月07日

家での作業は、一日中家に居て地味な時間が延々続く。
今日はダンボに付き合ってもらって、長めの散歩に出ることにした。
草野球のグラウンドを横目に小さい公園を通り過ぎる。
車が通れない真っ直ぐの道を行くと、しばらくするとバス通りに出る。
昔から自転車で探検をするにしても、なんでもない住宅街の中を行くのが好きだった。花壇に花が植えてあったり、なんてことのない門灯やガレージに可愛い三輪車が置いてあったりして、そういうのを見つけるととても楽しい気分になるのだ。
散歩猫が犬をお供にして、今日は日が暮れるまで行けるところまで行こう。
窓辺に掛かるカーテン。新しく建った家。マンションの自転車置き場。小学校のフェンスが続いて、足が止まったのは習い事教室だった。普通の家をちょこっと改築した住宅街の中にある習い事の教室。ここはピアノも絵画も習字もやっていて、どうやら場所を提供しているだけみたいだったが、それでも私が通っていた習字教室に似た懐かしい匂いのする教室だった。
ダンボを見ると、”家に帰りたいのを我慢してもう随分になる”といった不服な歩き方になっていた。
ここ、どこだろうね。
ダンボの信用を失い、無視をされた状態・・・。
場所がわかった時には、駅の近くに居たのだった。
あれまー。
こんな所まで来てしまった。
いつもはバスで来る辺り、
だったらついでに買い物でもして帰ろう。
と、思ったのだったが・・・。
”ワンちゃん、お断り”
”ペットを連れての入店はご遠慮ください”
どこもかしこもペットはダメ。
そりゃそうだ。
散歩猫は人間に戻ったが、ダンボはどこから見ても子ブタ犬。お前はどうやらどこの店にも入れてはもらえないようだよ。
日は暮れはじめると一気に夜へと変わっていく。少し春のようだった空気が、ひゅるると冷たい風に変わるのには時間はかからなかった。
寒い。
冷たい。
座りたい。
私もここまで来れたところまではよかったが、帰りの体力を計算するのをすっかり忘れていた。
すっかり日が暮れて、辺りは夜になり。
民家の石垣に腰を掛ける。
ダンボは震えながら私を恨みの目で見ていた。あきらかに私に対して怒っていて、その目は「配分ミスだろう」と言っていたのだった。
はい、そうでござんす。
すみません。
”行きはよいよい、帰りはきつい〜。”
自転車での探検も、そう言えば帰りのことを考えずよく失敗をしていた。行きは楽しい探検、帰りは厳しい耐寒遠足・・・、気分転換だったはずではなかったのか。
遠かった。
修行に変わった本日の散歩であった。


投稿日:2007年02月06日

2007年02月06日

先月引っ越しをしてきたお二階さんは、非常に静かな暮らしをしている。前の住人は男性が二人だったので、ワンコが増えた今の方が生き物の数は増えたはずなのに、人の気配がするなと思う時がある程度であとは何が聞こえてくるわけでもない。
こんなに暮らす人で変わるものなのか。
適度な距離のお二階さんでよかった。というか、前の人が余程の荒くれ者だったのだ。考えてみたら私が一階で暮らすのはここが二軒目。前はテラスハウスで上は同居人の部屋だったが、生活音は気にならなかった。木造の一階に住むと必ずしも”他人の生活が丸わかりになる”というわけではなかったのである。
私の実家は木造の二階建て、今はどこもかしこも古くなったが、引っ越した時は新築のやや洋風の庭付き一軒家だった。だいたい一軒が70坪ぐらいの敷地で、建て売りの住宅でなく、土地を買いそこにそれぞれが家を建てるようなエリア。決して高級住宅街ではなかったが、いわゆる幸せそうなニューファミリーがマイホームを建てるタイプの新しい住宅地だった。
引っ越したのは小学校1年の7月。だが新築の家は最初の台風の時にひどい雨漏りとなり、その時からいらんこと言いの母は、父が建ててくれた家に父が居ない時にケチをつけるようになった。
「ウチは安普請だから」
台風が来る度に「ウチは淀川が切れたら流されちゃうわよ。安普請だから。」と言い、そしてもうひとつとても真面目な顔で口にしていたのは、「ウチは安普請だから、二階の底が抜けちゃうかもしれない」ということだった。
「えぇっ、二階が落ちてくるの?」
「そうよ。だから静かにしてちょうだい。」
ポッポやポンカンやキッカンやミホちゃんからも、そんなことは聞いたことがない。
「ウチだけがそうなるの?」
「そうよ。ここは安もんのウチだから」
ひどい母だが、当時はその言葉を鵜のみにしたのだ。
”私んちは、安もんのウチ・・・。”
二階で友だちとはしゃいでいると、「やめて!二階が落ちてきちゃうから!」と”ドスドス”に対して特に厳しいチェックが入る。
「ベッドみたいな重い物を置いても、二階は落ちない?」と、心配になって聞く時には、「さぁ、ウチは安普請だから。」と、不安を煽る。
おかげで私は家の中を静かに歩くことを身につけた。だから生活の中でも足音は静かなのだ。
今の部屋に来た時、「何てうるさいの・・」と、二階の部屋を見上げてゲッソリしたが、同時に自分が二階に住んでいた頃はこんなに下の人に迷惑を掛けていたのかと、過去自分の階下で生活をしていた住人に悪いことをしたなぁと思ったのだったが・・・。
今の暮らしが正常だったことがわかった。
前のお二階さんは荒くれ者だった。
そしてあの荒くれ者達が、安もんの家で育たなかったことを知ったのであった。


投稿日:2007年02月05日

2007年02月05日

夕方、ダンボを連れて川ベリの道を散歩した。
ダンボは、
「ちっちゃい〜。可愛い〜」
と、言ってもらったり
「おっきいですね〜。チワワ?」
と、言ってもらったりする。
ちっちゃいんだって。
おっきいんだって。
面白いね。
普段はあまり川べりの方には行かない。
ダンボが風の音をとても怖がるからだ。
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ヒューと音がするとビックリして一人で猛ダッシュで逃げる。何度か驚いているうちにリードに足を絡ませて一人でギャン!と言って転ぶ。そして一人で転んでおいて私の顔を恨みの目で見るのだ。
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行動が速すぎて、私もどうしていいのかわからない。
散歩嫌いになって欲しくないので、風の音がたくさんする川べりにはあまり行かないようにしていたのだった。
でもね。ダンボ。
もうすぐこの辺りも景色が春に変わるんだよ。せっかく近くに住んでいるのだから、どう変わるか一番寂しい裸の木の時から見ておこうよ。
尻尾をお尻の下に隠したダンボと川べりを行く。
風が「ひゅ〜〜っ」。
”こわい〜〜っ”
枯れ葉が「カサカサ〜〜っ」。
”こわい〜〜っ”
お前のように落ち着きのない犬は見たことがない。
私の目線の少し上には桜の木。雪柳が白い花を咲かせるのは3月、今日は梅のつぼみが膨らんでいた。
「見てごらんよ」
何度も誘ったが、ダンボは見えない敵と戦うことに全てを賭けている様子だった。
もうすぐ4歳になるダンボ。
お花には興味がないかな。
待っていますよ。春を。
緑道に夕方の太陽の光が差し、空には昼間の青空が広がっていた。
立ち止まって、少しあごを上げて景色を見る時は、
私の心が穏やかな時。
街灯と、私と、ダンボと。
もっと遠くまで行きたいね。
今度はあっちの方まで。
指さすように、川ベリの道に3つの影が長く伸びていた。


投稿日:2007年02月04日

2007年02月04日

青山「月見ル君想フ」にクレイジーフィンガーズのライブを観に行った。
ステージには3台のピアノ。上の階の席はピアノを弾く集団のライブを楽しむのに、とてもいい位置なのだ。
同じ楽器同士の人達は、実は現場での接触が一番少ない。私はそうだ。自分がライブをしたりレコーディングをする時には、鍵盤は自分がやるので探すのは「鍵盤以外のパート」になる。ドラムの人の「この間、@@くんと一緒にやってね」なんて話の中にドラマーの名前が出てくることもほぼない。同じパート同士の人達がステージを共にすることは、意識して場を持たない限り、なかなか機会がない関係なのだ。
今日はピアノで音を楽しむというライブ。出演はリクオくん、YANCY氏、Dr.kyonさんの3人。上からの角度は3人の手元が見える。技術も個性も申し分ない3人の手の動きまでバッチリ見えるのだ。
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鍵盤は自分にもわかる唯一の楽器。
これだけ長く音楽をやってきているというのに、私は他の楽器のことがまだわからない。一緒に音を出している時は他のことに頭がいっているが、レコーディングやなんかで一人ずつ弾いているところを見ると、「楽器が弾けるってすごいですね〜」と、未だに未知の世界を覗く感覚になっているのである。
デジタルピアノは上手からヤマハ、ローランド、ヤマハと機種名までは読めなかったが、YANCYさんのヤマハとリクオくんのヤマハは、機種は違っていたので、ステージがまだ始まる前のこういう所にも既に違いが出ているなぁと思ったのだった。
ステージが始まるといつものドライブ感溢れるライブで、お客さんを音でどんどん引っ張っていってくれる。3人で同じフレーズをユニゾンで弾く所が結構あるのだが、上からだと手の動きもよく見えてそれも楽しい。同じフレーズでタイミングもピッタリなのに、手の形と手の運び方、体の揺らし方は3人3様で、ライブ中にふとピアノ教室に通っていた頃のことを思い出したのだった。
「手はまぁるく」
「小指が立っていますよ」
私は手の形がなかなか先生の指導通りに出来なかった。
今でもお姉さん指で鍵盤を押す時に小指が立つ。もう直らないのでこのままだが、YANCYさんの小指がピョコっと上がる所を見つけてなんだか親しみが沸いた。
MCではクレイジーフィンガーズとしての今後、それからそれぞれの活動のお話もあった。
そっか。今日が終わったら、またそれぞれやることがあるんだなぁ・・・。
私にもしたいことの構想がいろいろある。それにはいくつか必要とする要素があって、まず体力と声のコントロールがもう少しあって欲しい。
せっかちになるな。
自分のペースで行こう。
そっちを目指せば必ずそっちに行ける。
何事も時間のかかる生活の中で自分の中に芽生えたお守りは「腹黒くさえならず、シンプルにすがすがしい心だけを持ってその夢に向かっていれば、いつか必ずそっちに行ける」ということだ。
音楽も何でもそうじゃないかなと思う。ただ「前向き」という言葉だけを大事にするのでなく、何を以って前向きにやるか、その歩んでいく何でもない時にどう考えるかということが実は一番重要だ。
毎日は既に、小さく見えない夢を叶えているかどうかの現場。
帰り道、家に向かいながら、私は自分の夢の方に向かって歩いているかな?と、自分自身に問いかけたのだった。


投稿日:2007年02月03日

2007年02月03日

昨日は、今日の節分を楽しみにしていた。
豆撒きはスカーッとする。我が家では、外や家の中に豆を投げつけてバラバラッと豆が散らかした上、お掃除隊が全部それらを片付けてくれるからなのだ。
家ん中の豆は犬のダンボが。そして外には、鳥やいつもここを縄張りにしている白いブタ猫が。
食べてくれる。
やりっぱなし、オーケー。
片付け、なし。
腕が鳴るのだ。
豆は下からではなく、当然私は上から撒く。あれは可愛く撒くものではない。鬼を追い払うのだから形相を変えて、叩きつけるように撒くぐらいが丁度いいのである。
ご近所さん、驚かないでね。
ダンボちゃん、怖がらないでね。
だってこれは日本の行事なんだもの。
昔は2月のイベントと言えば、私も「バレンタインデー」だった。節分は味のしない豆を食べる地味なイベント、「えぇ〜〜、今からやるの〜」と好きなテレビを中断させられて一家の行事に付き合わされる面倒臭いものだったのだ。
だが、女も年季が入って来ると、バレンタインデーよりも節分の方が体質に合ってくるようになる。節分の方がしっくりくるようになるのだ。そして私の母も、節分の日には一家の中で、この行事を一番仕切っていたのだった。
私もいつから節分の方が楽しくなったのか、もう忘れたが、退行催眠で辿れば、恐らくその前の年に健気だった女心がポキッと折れる出来事があったことか何かが導き出されるのだろう。
鬼はぁ〜〜外!
福はぁ〜〜内!
チョコレートでなく、豆でもくれてやる!
今日は豆を買わなきゃ。
太巻きも買わなきゃ。
だが・・・・。
「あぁあああ、しまった。忘れてた〜〜!」
節分のことを、ふと忘れている時間帯があって、再び思い出した時には12時直前になっていたのだった。
”みんなやったんだろうなぁ・・豆撒き・・・”
節分は”鬼を追い払う日”。
主語を誰も言わないが、正しくは”「妖怪に姿を変えられた美しい女達」が、鬼を追い払う日”なのである。


投稿日:2007年02月02日

2007年02月02日

外出先から帰って来たら、まず玄関に近いゴンタに挨拶をする。
「ただいま、ゴンちゃん」
シーン。
寝ているんですね、はい結構です。
次に廊下突き当たりのドアを開け、キッチン隣りの自分の部屋を覗く。
「ただいま、ダンボ」
シーン。
寝ているのですね。
犬なので目を覚ましたはずだが、”別にええわ”ということで布団から出て来ないのですね。
いいですよ。別に。
マフラーをはずし、コートを脱ぎ、鞄を置き、そのまま部屋着に着替え・・・。
ヒーターにスイッチを入れたら、ダンボはピョーンと布団から飛び出てくるのだった。
”ずっと、待ってたんだもん。おかえりなさい。大好き〜!”
急に懐くダンボ。
嘘つけ。ヒーターがついたからでしょう。
いえ、
いいですよ。
はいどうぞ、ヒーターをつけました。
ヒーターを消すのは私が寝る時だ。
「おいで」
基本的にはベッドの足元で寝るダンボだが、寒がりなのでこの時期は暖かい所がいいらしい。
布団をめくると、スポっと私のお腹のあたりにやってきて、クルンと丸まって湯たんぽになってくれるので、これは私にとっても都合がいい。ダンボも足元より温度が高いのはここだと知っているので、トコトコとやってくるのだった。
”隣りで寝たい!大好き!”
はいどうも。
ありがとね。
<おやすみなさい>
zZZZ・・・・。
しばらくすると。
”狭い!もっとあっちに行って!”
私が寝返りを打つと、寝ている湯たんぽは両足で私の背中を押して向こうにやろうとする。
ちょっと。
蹴るな。
これ、私のベッド。
いや・・・。
いいですよ、別に。
はいはい、もうちょっとこっちに寄ります。
只今、動物との暮らしの中で、私は「愛とは見返りを求めないこと」の修行を積んでいる最中なのである。


投稿日:2007年02月01日

2007年02月01日

雑貨が好きな私だが、これは”トゥマッチだろう!”と思って店で眺めるだけの品がある。
ウエルカムボードだ。
玄関の外に吊したり置いたりするものには、なんでこう「welcome」とプリントされているものが多いのだろう。それがまぁウエルカムボードというものなんだろうが、私個人としてはウエルカムボードにわざわざウエルカムと書くのは、余計なことなのではないかと思うのだ。
<welcomeはいらないわ>
心の中でつぶやきその場をあとにする。
泥棒もウエルカム?
セールスもウエルカム?
ノー、サンキュー。
逆にボードを出すなら「セールスお断り」とやりたいところ。だがそれでは玄関先が少し冷たい感じになるなと思うから控えているぐらいなので、誰が立つのかもわからない玄関口に、この家の住人の意思としてせめて”ウエルカム”と手は広げない、としているのである。
今日から2月。
近所のクリスマスイルミネーションの家は、まだクリスマスの時と同じフルセットのイルミネーションで、電動サンタがビヨーンと箱から出たり入ったりしている。近くで見たら、サンタが出た時の大きさは、私より背が高くなっていて、相当大きい物であることがわかった。
あの家もある意味、「ウエルカム!」と家全体で言っているようなものだ。
お店じゃないんだから、ウエルカム!はやめようよ。
しかし今度、ウエルカムボードを出している家を見つけたら一回ピンポンを押してみようか。
「あのぅ・・」
「はじめまして!」
「ウエルカムってあったから・・」
「きちゃった!」
ちょっと。
気持ち悪がらないで下さいよ。
別に私は怪しい者ではない。
ウエルカムってそういうことだろう。
来ちゃいけないの。
ウエルカムボードはトゥマッチな雑貨なのだ。