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投稿日:2007年05月21日

2007年05月21日

松尾清憲&パリテキサスのライブに行った。松尾さんのライブは去年の10月以来、パリテキサスのライブとしては約1年ぶりのライブだ。
去年は確か4月に見せてもらって、その時は鈴木さえこさんがゲストだった。ステージ上のメンバーが、椅子取りゲームのように持ち場をかえて、メンバーは変わらないのに担当が変わって、一つのグループなのに何種類ものユニットに早替わりをするといった、音楽的にとても素敵な遊びが盛り込まれた上質なライブだったのだ。
今日は場所は代官山。私が去年からお世話になっている「晴れたら空に豆まいて」にて。ゲストは杉真理さんで、SONY時代はディレクターが同じだったこともあり、私にとって大先輩だ。
松尾さんのステージが始まる。一曲目が始まるとやはり独特の世界に引き込まれていく。曲と声とそれらを包むサウンドに強烈な個性的な匂いがあって、普段の世界からパンといきなり切り離されるのだが、何故か妙に心地良くそこの中に座っているという感じなのだ。決して癒し系の音楽ではないのだが、癒される何かがあって、それが音なのか何なのかわからないままフルステージを見終わっている。
今日もやっぱり松尾さんのライブは、音だけで楽しくなれる上質なライブだった。
途中、杉さんの登場で知ったが、松尾さんは今年デビュー26周年、杉さんが30周年。お二人は公私に渡って長いお付き合いなのだそうだ。
杉さんがステージに上がると、松尾さんの笑顔がより多くなったような気がした。長い付き合いの音楽仲間なんだということが客席に居ても垣間見えて、それともう一つ強く印象に残ったことは「ようこそ」と会場に来ているお客さんを迎える「ようこそ」の懐の広さを感じるステージだったことだ。
私も今まで「ようこそ」という言葉を何度も言った。そして自分もいろんな場所で何度も聞いてきた言葉でもある。
でもこんな「ようこそ」がいい。
今日はそんなありふれた挨拶について、足を止めて考えたくなるライブだった。
中盤以降、私はずっと微笑んだ顔で客席に座っていた。一人で行ったので、これは非常に”キモい”状態なのだが、まぁいい。
「ようこそ」と言われて私は笑顔になった。それだけのことだ。そしてそのようこそをずっと感じたからずっと笑っていただけだ。
「ようこそ」
どこを切っても「ようこそ」。
私もこんな「ようこそ」を目指したい。


投稿日:2007年05月20日

2007年05月20日

ダンボは時々拗ねる。
ベッドの下に入ったまま、呼んでも出てこなかったり、隣の部屋の椅子に乗ったまま動こうとしなかったり、布団にもぐっていじけていたりする。
どうしたの?
あきらかに目は恨みの目つき。
一緒に暮らす犬はこれで4匹目なのだが、こんな顔をする犬ははじめてなのだ。
構ってあげなかったからなのだろうか。いいや、そんなことはない。構ってくれないのは犬の方で、私は結構相手にしてもらっていないのだ。
お前の気持ちがわからない。
おいでよ。
無視。
私がベッドで横になると、起きてきて無理矢理私の背中のほんの少しだけ空いている隙間にギューっと入ってきた。
狭い。
「退いて!」といくら言っても、今度はそこから動こうとせず、顔をクッションの間に埋めて今度は明らかに拗ね態勢に入っているのだった。
いくら押してもそのまま拗ねポーズ。
「オレが一体何をしたのよ」
「言わなきゃわかんないよ」
「なぁ・・・」
「オレ、お前のことがもうわかんないよ」
「一体何考えてんのかさっぱりわからん」
ダンボは彼女、私はオレ。
時々私は彼氏になる。
「なぁ・・・もう機嫌直してくれ」
ダンボは時々重たい。
だって大事にしているってば。
何で伝わらないのかい。
「彼女」ってつくづくわからない生き物なのである。


投稿日:2007年05月19日

2007年05月19日

今日は前からお願いをしていた換気扇の修理に来てもらった。
ここのキッチンの換気扇は、突然枠ごとはずれて落ちて来るということがあって、ここ最近は怖くて換気扇を回せなくなっていたのだ。
「ガラガラガシャン、ガコーン!」
鉄の塊が落ちていて、壁から青空が見えていた。下敷きにならなくて本当によかった。実体験は笑いごとでなかったのだ。
ピンポーン。
「こんにちは。換気扇、見に来ました」
一瞬不安がよぎる。
換気扇修理にやって来たのは70代位の老夫妻だった。
修理に来たというよりも、これは叔父と叔母が訪ねてきた図である。だってこの人達は本当の内装業者さんじゃない。「内装の人は今入院をしていて、見舞いに行った時に代わりに見てきてと頼まれたんですよ。」「直せるかどうかはわからないけれど、多分直せると思うから・・・」と、代理で電話を掛けてきた”内装業者のおともだち”なのだ。
どんより。
換気扇を直してもらえるかどうかの不安に、換気扇を直しに来て怪我でもされたらどうしようという不安が加わる。
電話じゃこんなにお年寄りだと思わなかった。
「お、お掛けになって下さい」
「いいんですのよ、おほほほほ」
「主人は、多分出来ると思いますんで」
”タブン”・・・。
三脚におじいさんが上ると、私の方が血圧が上がる。
”落ちないでくれー”
”ギックリ腰になれないでくれー”
”無事でありますように”
そこら辺を支えながら10個ぐらいお祈りをしたのだ。
「ネジか」
換気扇が落ちて来る理由は、換気扇を壁にはめただけで一つもネジで留めていなかったからであった。留め忘れ・・・・。おともだちの内装業者の人も大胆なミスである。
取り外した換気扇をおじいさんは洗ってくれた。私がやりますと何度言っても「いいよ、ワシがやるから」と言って、何度も丁寧に洗い直す。最初、本物の業者さんでないことが不安だった私も、手をベタベタにしながら洗剤で繰り返し汚れを取ろうとしてくれる姿に心が動いていったのだった。
横に並んでキュッキュと拭きながら、ちょっとずつ会話をする。
「ウチにも昔猫が居たんだよ」
「そうなんですかぁ」
「18年生きた」
「へぇーーー」
おばあさんの方は、車に戻って留守番をすると言っていたので、おじいさんとの二人の会話になる。
「ワンちゃん何て名前」
「ダンボです。耳が大きいから」
「ワンワン怒ってるねぇ」
「外に出たらしょんぼりするんですよー」
「あはは、内弁慶か」
初めて会った人だがこうして台所で並んで一緒に洗い物をしていると、親しみがわいてきた。
「大家さんともお知り合いなんですか」
「はは、従兄弟ですから」
「え!」
ゲゲ。
ということは、あなたが不動産屋さんから聞いていた大家さんの東京の従兄弟。山口に住む大家さんの東京代理の大家さんっておじいさんのことだったんですか。
”内装業者のおともだち”は、東京の大家さんであった。
はは!と笑って普通に会話をしていたのが、急にはじめましての挨拶に変わったのだ。
イタチを隠しておいてよかった。
入居の際ペットはチワワ一匹が条件だったのだ。
数年前、保谷にある祖母の家を懐かしくなって見に行ったことがあった。祖母の家はアパートで一階を住居にして二階を賃貸にしていたが、今は賃貸のハイツに建てかえられ面影はない。
庭で青虫を採ったことや台所にあった戸棚やテーブル、独特の匂いも、もう記憶の中でしか会えないのだとあの場所に行って感じ、”そうだよなぁ、仕方ないよ”と、ちょっぴり寂しく思いながらも夜の道を自転車で帰ったのだ。
老夫婦にも思い出がよぎっただろう。
新しい建物が建つ前には、誰かの想いがつまっているものが建っている。人にはいくら古く傷んで見えても、大事にしている思い出がそこにはあって、そこに前に何があったのか忘れてしまう人達の中、何に変わろうとなくなって消えてしまったもの達を思い出せる人が存在するのだ。
おばあさんまでが家に上がって来た謎が、ようやく解けた。
換気扇をあんなに綺麗にしてくれた。もうこれで十分ですと何度言ってもおじいさんはキュッキュと磨いてくれた。
結局、数時間一緒に居た。
そうだったのか。
「また何かあったら、遠慮なく連絡してくださいね」
そう言っておじいさんは帰って行った。
最初不安に感じた”内装業者のおともだち”の修理。
少しは似た気持ちを私も知っている。
大事に住むね。
換気扇を回すと新品の風が部屋を回っていった。


投稿日:2007年05月18日

2007年05月18日

インターネットラジオ「この歌この想い」の収録で渋谷に行く。
渋谷駅を背に246号を渡って線路の脇を少し行くと、ビルの4階にスタジオはある。いろんなラジオ番組の収録がここでされていて、家で録っているネットラジオとは環境が違って、ここは防音設備もしっかりしたブースの中でおしゃべりをしている。
自分の座っている部屋からは、ガラス窓を通してディレクターさんの居る部屋が見える。その部屋には録音機材やスピーカーなどのメカが揃っていて、向こうの部屋の声は私のヘッドフォンから聞こえる。私の声はマイクが拾ってあちらの部屋に届き、それで密閉された部屋同士で会話が出来るようになっているのだ。
今まで何人ものディレクターさんと一緒に番組をさせてもらったが、私が「この人と一緒に番組をやっているんだなぁ」と実感するのは、「キュー」をもらう瞬間だ。
「キューを出しますんで」
「キューを送ります」
「キューで、どうぞ」
ラジオのスタジオで、私は「キュー」という単語を覚えた。合図のことだ。
FMでもAMでも、ラジオでおしゃべりをしている人は、勝手に一人でしゃべり出すということはなく、窓の向こうに見えるディレクターさんの「キュー」をもらって話をし始める。だからラジオを聴いている時、曲のイントロが流れてその次にパーソナリティのおしゃべりが聞こえて来る時は、その直前にディレクターさんからの”はい、ではここから話し始めて下さい”という合図が出ているのだ。
”そろそろですよ”の時に手が上がる。手の形は「待て。」私がダンボに餌をあげる前に「待て!」と言って出す手の形と同じだ。その後、餌の場合は「よし!」と言って「手招き」の格好になるが、ラジオにおける”よし!”は「どうぞ」と下から伸べる手の形に変わる。
このジェスチャーはディレクターさんの数だけあると言っていい。手の高さ、送る時の手の形とスピードがみんなそれぞれ違っている。
一緒に番組を始めた頃には、キューをもらうと一瞬頭のどこかで「あぁ、このディレクターさんのキューはこんな感じなんだ」と少し第三者的に思っていたりするのだが、だんだん回を重ねて来ると、「あぁ、このディレクターさんのキューだ」という”馴染み”の感じ方に変わってくる。
K氏のキューは胸から真っ直ぐ前に出されるキュー。そして最近は「あ、このキューだ」と思いながら話を始めている。
こんにちは。
おはようございます。
こんばんは。
私は遠くの街まで、時間関係なく飛んでいける。
はじめまして。
おひさしぶり。
言葉と音楽の間にはキューが入っている。
これも見えない電波の一つなのだ。


投稿日:2007年05月17日

2007年05月17日

sister kayaさんのライブで横浜に行った。
横浜は久しぶり、神戸と同じく海と空とビルの3つがゆったり共存している海寄りのエリアが私の好きな横浜だ。
車を持っていたら夜中にでもブラっと来たい。
チョイノリではさすがに届かない街なのだ。
仕事でなかなか行けない場所に行くと、美味しいものを食べるのが楽しみという人も居るが、私は「お出掛け」自体が嬉しい。
「ワン!」
今日は車に乗って遠くまでお出掛けの、私は犬なのだ。
「ワン!」
横浜と神戸は実に似ている。「もうすぐ着きますよ」の合図の箇所が同じなのだ。阪神高速神戸線も緩いカーブの場所があって京橋の下り口が見えてくるし、横浜も緩いカーブが用意されているので、カーブの辺を過ぎたら「もうすぐ!」なのだ。
会場到着。
犬、会場に着くと人間に戻る。大人の私が今度はリードを引っ張って犬の自分をたしなめるのであった。
「おはようございます」
言語を人間に戻し、店内に入ると・・・。
今私が通っているゲルマニウム温浴器や、マッサージチェアの見たこともないゴージャスな器具達がズラっと並んでいた。
犬、今度は素の女子に戻る。
やりたい・・・。ゲルマニウム温浴の器具にはお湯が張っていなかったので断念したが、我慢しきれなくなってマッサージチェアに座っていた。
マッサージチェアは銭湯に置いてあるのを使ったことがあるぐらい・・。ここのマッサージチェアは体だけでなく腕や足もスッポリ包むので、体ごとドームに入っているような全身マッサージを体験出来、そして機械の動きは次々にメニューが変わるというすごいメカであった。
横浜に来ると、どうも身も心も弛緩する。
帰りは中華街に行く気満々だったが、車は即高速に乗って横浜を後にしていた。
もう帰っちゃうの。
そうだった、デートでもなんでもなかった。
「ワン!」
横浜で食べた美味しいものは、ローソンのお稲荷さんセット。
横浜さん、さようなら。
ダンボと違って私は出掛け好き。
遠くなって行く横浜の景色を、名残り惜しく見ていたのであった。


投稿日:2007年05月16日

2007年05月16日

半分衣替えをした。
衣装ケースを開ける時、私はそこにどんな服が入っているのかがあまり思い出せない。衣替えは、半年前に埋めたタイムカプセルを掘り起こすちょっとワクワクする行事なのだ。
蓋を開けると、そこにあるのは前の年に着ていたものばかりで、言ってみればみんな古着なのだが、久しぶりにそれらと会うと新しい気持ちで手に出来る。「一旦片付ける」ということには、きっとリセット効果があるのだろう。
「お、これはお気に入り。今年も着よう」
好みは季節2つ分で少々変わるのか、前年気に入っていたものが、今年になって感覚が変わっていることもある。
「あ、これもよく着たなぁ」
物によっては過去形になる。
くたびれたものは雑巾や動物用のグッズになるので、別の引き出しに入る。
これらの出し入れの際”もう着ないだろうなぁ”と、捨てるものもあるが、毎年ボーダーラインにありいつの間にか数年が経っている”生き残り服”がある。試着したものの一度も外に着ていないもので、何故か「今年は着るかも」と、収納場所が変わっただけで稼働していない服があるのだ。
「なんか、ちょっと若すぎるかなぁ」
「でも、着るかもしれないし・・・」
何を言う。
もう私は若返ることはないのである。そんなものを置いておいても、年月を重ね更に若さと差が開くだけなのに、一体何年この服達をタンスの肥やしにしておくのか。
”せっかく気に入って買ったのだから、一度ぐらいは着たい!”という欲が邪魔をして、こういう時は冷静なジャッジが出来ないのであった。
おやすみ、冬服さん。
冬服達は今からが冬眠の時期となる。
ハロー、夏服さん。
新緑の季節に、彼等は毎年冬眠から目覚めるのである。


投稿日:2007年05月15日

2007年05月15日

チョイノリが家にやってきてから、生活が変わった。1時間かけて出掛けていた場所や、行く手段がなくて行かなかった場所に15分もあれば行けるようになった。ビデオ屋さんにもよく通うようになったし、本屋さんにも時間を気にせず、思い立った時に行けるようになった。
時速は30キロ。それ以上出すと車体がうなって怖いので、ほとんどのバイクに抜かされて行くが、法定速度をはみ出ることはまずない。
燃費はいい。リッター50キロは走る。前に40キロ走ったところで心配になってガソリンを入れに行ったら、会計が130円位だった。0、8Lですと言われて驚いたのだ。
駅前にあった旅行代理店が閉店し、今は新しい店の工事をしている。何が出来るんだろうと思い浮かべてみたが、想像がつかない。
ぶーんと走って東へ西へ。
「あれがない、買いに行こう」
「あそこはまだ開いていたっけ」
門限がなくなった。
夜に私は蝶となる。
いや、コウモリか。
いや・・・・。
「チキュウニ、タンケンニ、キマシタ」
ヘルメットを被ったままヒョコヒョコと店に入って行く姿は宇宙人なのである。


投稿日:2007年05月14日

2007年05月14日

服部祐民子ちゃんとマネージャーの大山氏とY氏と4人で久しぶりに会う。
今日は何かの話題から衣装の話になった。
祐民子ちゃんは、体型がスレンダー、髪がサラ毛、顔立ちは鼻すじが通った美女である。犬顔と猫顔に分ければ猫に属し、キツネかタヌキかと言われればキツネ顔。お世辞抜きで美人だと思っているのだが、ご本人はそういう自覚がないらしい。
無いものねだりかもしれないが、私は祐民子ちゃん系美女に憧れがある。真逆のタイプの女性なのだ。今自分が選んでいる服や髪型は、自分の体型や髪質に沿って選んでいるが、もし私が祐民子ちゃんだったら私が服屋さんであきらめたあんな服やこんな服、あんな髪型やこんな髪型がしたい!というのがある。
すごくフェミニンないでたちで、ギターを持ってあの歌を歌っている姿が一度見てみたい。きっとどんなに女っぽい服を着ても、媚びたいやらしさはなく稟としたかっこいい立ち姿になるのだ。
しかし、今日も彼女の服は「ババいろ」。
何故か彼女の普段の服の色は、ラクダ色や黄土色に灰色といったものが多いのだ。
「もったいない!」
と、今日はしつこく詰め寄る。
私もババ色で身を包んでいた時期があった。あとは胸がちょっと大きいことを気にして、ピタっとした服が恥ずかしくて長い間着れなかった。
しかし、そのうち乳はしぼんでシワシワの垂れ垂れになる。いかん。
私はもうババ色は着れない。今の私が着れば、もはや”微妙”となってしまった。
”サナギからまた生まれてしまった青虫は
まだ蝶になれる「いつか」を見上げて歌うよ”
彼女が書いた歌だ。
今日は私がこの曲を祐民子ちゃんい贈ろう。
私は彼女を美しい女性だと思っている。


投稿日:2007年05月13日

2007年05月13日

3歳か4歳の頃のことだ。
家の前で友だちと遊んでいて、ふと輪からはずれたら電信柱で張り紙を張っていたおじさんに声を掛けられた。
「チョコレート、買ってあげようか」
チョコは大好きな食べ物だ。
だが、
”このおじさん、あやしい”
”チョコレートを買ってくれるだけじゃない”
”悪い人に違いない”
”断ろう”
大好きなチョコレートよりも警戒心の方が勝ち、ドキドキしながらも「いらない」と言って走って家の前まで帰ってきたのだ。
友だちは誰も気付いてはいなかった。
ドキドキは収まらなかったが、とにかくホっとした。そして子供心に自分のことを警戒心が強い方なんだなぁと思ったのだ。
だが、警戒心が強い割には、「鵜のみ」にする傾向にある。
「え、ほんとー?」
「嘘でしたー。けけけ」
相手はちょっと遊び気分で、アッサリ話をマトモに受けることが面白いんだろうが、もう私は人生の中で2000回以上はこの遊びに付き合ってきたのだ。
盾を立てている場所には二重にも三重にもバリアを張って、セキュリティはかなり厳重になったが、総合してみれば、鍵をバッチリ閉めて出たにもかかわらず、帰ってきたらすぐ横の窓が網戸のままだったという自分の部屋の戸締まりと自分自身の戸締まりは非常に似ている。
「え!?」
「嘘でしたー」
丁度一年前、私は”家なき子”になった。
あれで、もう警戒心を強化しようという気がなくなった。「鵜のみ」体質の箇所は、鍛えてもそこは別の何かには変わらないという結論を持ったのだ。
窓から風が入ってくる。
カーテンがフワフワと揺れて波打つようだ。
鍵は相変わらず、どこか掛け忘れている。
だが、今年の5月はのどかな日曜日を送っている。


投稿日:2007年05月12日

2007年05月12日

電車に乗れば携帯と向きあっている人が多いのだ。
駅のホームでも然り。
「何してんの?」
私は知らない人に心ん中で尋ねている。
メールかな。
ネットかな。
携帯が普及していなかった頃、この人達は電車の中で
本を読んでいた。
中吊り広告を眺めていた。
寝ていた。
ボーっとしていた。
まだ生まれていなかった。
など、だろう。
私は行きはi−modeの”えきすぱーと”で、今乗った電車が何時にどこに着いて、乗り継いでだいたい目的地の駅に何分に着くかを見ていることが多い。で、帰りは携帯は鞄の中に入れてボーっとしている。
電車の中でメールを打つ人達。
「今、仕事終わって帰るとこ」
もし私に旦那が居たとして、その旦那さんからこんなメールが届いたら、「ラッキー、駅前のコンビニで卵買ってきて!」と返すだろうが、一緒に暮らしていない恋人から届くとしたら、こんな文がいいなぁと個人的には思ったりする。
移動中に携帯で何かをしている人が増えた。
そして私のように「この人達、携帯で何をしてるんだろう」と、窺っている人間も少数だろうが存在するようになったのだ。