月別アーカイブ : 2007年5月

投稿日:2007年05月11日

2007年05月11日

今花屋さんの店先にはカーネーションが並んでいる。
もうすぐ母の日だ。
だが5月の花は、私にとっては矢車草とスイトピー。この時期、毎年母が庭に咲かせていた。恥ずかしいし目立つからイヤだと言ったのに、学校に行く時に「先生に渡してちょうだい」と、切り花の束を持たされたっけ。
店頭に並ぶカーネーションは、鉢に入ったものが多くなった。どれも同じに見えるが、この中のいくつかが誰かのお母さんのもとにプレゼントとして贈られ、どれぐらいかが売れ残って役割をなくした余剰品となる。
一緒に並んでいても、行く先が違うのか・・・。
母の日のためのカーネーション達がこっちを見ている。花屋を見つけては、私は赤やピンクの鉢の前を通り過ぎている。
みんな同じ位綺麗だよ。
だから、もしも選ばれなくてもどうか悲しまないで。
花は満開の頃が一番美しいわけじゃない。
自分のその先のことに対する疑いを横に置いて、笑っている姿が愛おしい。
カーネーションは、母の日の前の頃が一番光り輝いて見える時期だ。


投稿日:2007年05月10日

2007年05月10日

今日はsister kayaさんとのビューティサロンライブ初日で厚木に行った。
厚木と言えば、う〜んと前に大阪から車でバンドで東京に来て、帰りを高速を使わずに帰った時に途中休憩をした最初の場所が厚木だった。
厚木辺りではまだみんな元気で盛り上がっていたのだ。で、その後の山越えで酔いそうになり、だんだん無口になっていったっけ。名古屋に着く頃には、車内はかなり盛り下がり、高速で帰らなかったことをみんな後悔していたのだ。岐阜以西のことは全く覚えていないので、多分私はグースカ寝ていたと思われる。
今日は高速で厚木に向かう。
東京から厚木までは、東名に乗ればすぐの距離なのだ。
目の前の雨を見ながらリハの復習を頭の中でする。エンディングやテンポ出し、苦手箇所を思い出し過ごす。
遠くに看板が見えてきた。
もう厚木の出口だ。
と、思っていたら車は厚木インターを下りずに本線直進を続けるのだった。
<厚木と言えば、厚木で下りるのかと思った>
普段の私だったらここで、お節介モードが顔を出し「厚木ですけど、ここで下りなくても大丈夫ですか〜」と言っているのだが、今日は何故か<厚木に行くのなら、普通私だったら厚木で下りちゃうだろうな。さすが、下調べ済みで素晴らしい!>と感動をし、”ならば、私も今日は更に頑張ろう”モードになり、練習シミュレーションの世界に没頭していったのであった。
そして没頭し過ぎたのか、私はまた寝ていた。
「厚木って過ぎちゃったのかな・・・」
目覚めたのは、Y氏のこの言葉であった。
「え!?」
「もう厚木、過ぎてますね。」
「え!?」
そこはもう小田原の香りのする山に囲まれた地帯に突入していて、どう考えても厚木ではなかった。
車内、無口な時間。
確かここには4人、人間が乗っているはずなのだが。
結局、本日”秦野中井”経由で厚木に着く。そんな遠回りをしながらも、入り時間に間に合わせたY氏をほめてあげたい。
かつてのバンドでの時と、今日のケース。
内容は違えど、「車内の無口」は緊張感が伴って、いずれにせよ居心地は最悪なのだ。


投稿日:2007年05月09日

2007年05月09日

ラジオほっこり洞、編集日。
ネットラジオも20回目だ。今までラジオの番組をいくつもさせて頂いたが、大きく違う点が一つある。それは自分がやめようと思うまで終わらないということだ。
1クール、2クール。
ラジオ番組では、「期間」をそう呼ぶ。1クールが3ヶ月間だ。”4月から1クールの番組で”という会話だと、それは4月から6月いっぱいまでの番組という意味で、だいたい局では10月に小さな改編があって4月が一番大きなリニュアルになる。
”始まったら必ず終わりが来る”ことをいつも意識したのは、ラジオの仕事だ。いろんな意味で、「時間」が身近にそこにあるのを感じるのがラジオ局だった。あの感覚を意識していられたことは大きな経験だったなぁと思う。
ラジオほっこり洞は1年8ヶ月。
まだ、1年8ヶ月とも言える。
もう、1年8ヶ月とも言える。
終わりを考えないものを、敢えて持つ。
終わりがあることで自分の周りを全て囲ってしまったら・・・・。多分上手くやれたとしたら、それは表面上だけのことで、内面の私は自分の中の何処かがバランスを崩してしまうのだろう。
自分がやめようと思うまで、続けられるものを何でもいい。一つ持っているということは、その人にとってきっといいことだと思う。
多分それは、エネルギーを注ぐだけで終わるということはない。時々、ほんの時々・・・、ここぞという時に自分がひからびてしまわない小さな泉を沸かせてくれる。
今日もお地蔵さんのように動かず、ヘッドフォンを被ってノイズチェックをずーっとしている。
なんでこんなに時間がかかるのか。
とは言え、ショートカット出来ない部分なので、ずーっと座っている。
労力ばかりかかって何になるんだろうなぁ・・・と思う時も正直言ってあり。
だが、自分の支えになってくれるものとは、恐らく普段の付き合いはそういうものなのである。


投稿日:2007年05月08日

2007年05月08日

リハーサルで自由が丘に行った。
自由が丘に行くのは久しぶり、雑貨好きの私にとって自由が丘は「雑貨屋さんの街」なのだ。東京に来た頃は中野から出掛けたが中野からはちょっと遠く、気軽に行ける位置ではなかったので、行くと”回れるだけ回ろう”と、遠足並みに歩いたものだ。
輸入物のポストカードショップ、アンティークショップ、ハーブの店にカジュアルテイストの雑貨店、大好きなリネンショップに和食器の店、雑貨本で地図を頭に入れて探した店もあった。
が、同じく吉祥寺も雑貨の街。この数年の間に自由が丘にしかなかった店が吉祥寺にも出店をするようになり、自由が丘と吉祥寺はほぼ品揃えとしては同じになったので、自由が丘に出ることはなくなったのだった。
あぁ、だがやはり私は雑貨好き。リハーサルスタジオの前に、白いペンキで塗られた雑貨屋を発見する。
”こっちにおいでよ!”
ちょっと早く着いたので、思わずフラフラと吸い寄せられるように店に入っていたのだ。
しかし、
なんでこんなに高い。
フランスのノミの市で仕入れたという雑貨達が並んでいたのだが、ケーキ皿やグラスは日本製のだいたい同クラスのものの約3倍の値段がついていた。そして、500円ぐらいのプラスチックのキーホルダーが50個ぐらい壁に吊してあるのだが、それらは7000円から12000円の値段になっているのだった。
アンティークだか何だか知らないが、どう考えても商品と値段が釣り合わない。これは飛行機代とホテル代を上乗せしていますね。
”嘘つき!”
心の中で叫んだ。
”そんなに可愛いくない!”
だが、自由が丘では店が正しいのである。
買う人がおるのが自由が丘なのだ。
まぁ、よい。
わからんでよい。
私は、カメレオン的に忙しい。
まず客として明るい顔で雑貨屋に入り、店内で貧乏人となり、うなだれて店を出たあと、通りを渡る間に普通人となり、それから地下に下りて「おはようございます」と挨拶をし、そうしてピアノを弾くのであった。


投稿日:2007年05月07日

2007年05月07日

”空から恐怖の大魔王が降ってくる。”
子供の頃、家には「ノストラダムスの大予言」があって、この一節が記憶に強く残っている。寝る時に読んでは”恐怖の大魔王の正体って何なんだろう””自分にはどうしようも出来ないんだ・・・”と、暗くなったのだ。
今の家で、まさしく”空から恐怖の大魔王”が降ってくるという恐ろしい目に何度か遭っている。
それはキッチンの換気扇が突然はずれて、枠ごとバーンと落ちて来る恐怖なのだ。
鉄の塊がガコーン!と音を立ててすぐ横に落ちてくるので当たったら間違いなく骨折をし、頭を直撃したら即死になる。換気扇が降って来る家なんて、今までなかったのだ。
ドリフのコントでさえ、換気扇は落ちて来なかった。
だからそんな危険については考えたこともなかった。
「恐怖の大魔王って何だろう。」と、小学生の頃、ずっと私は寝る時間に想像を巡らせ怯えていた。
私に降って来たのは換気扇であった。
大家さん、ヘルプミー。
降らない換気扇をこの家に。
コントに出来そうだが、私にとっては命に関わるシャレにならない問題なのである。


投稿日:2007年05月06日

2007年05月06日

日々の日記を書くようになってから、6年が過ぎた。始めた頃は、ブログという言葉はまだなかったと思う。続いたことと続かないことがある中で、日記を書くことは思ったより続いているなぁと振り返る。
ギターの練習の方が続くと思った。
お肌の手入れの方が続くと思った。
基本的に私は根気がない。それに文章を書くことは苦手、だからこれは私にとっては意外なことなのだ。
同じく6年続けられたことは、小学校の時の給食を残さずに食べたということだ。ある日、自分が給食を残したことがないことに気がついて、それで給食を残さずに食べることを意識することにしたのだった。
6年間、給食を残さず食べてそれで修行は終わり、今や私は嫌いな食べ物がたくさんある大人になった。
私の場合、好きなこと=続くことではなかった。
今まで続いたことは、たまたま上手く習慣に変えられたことばかりだ。日課のどこかに時間を作れたのが始まりで、その後は時間を作るように少し頑張って意識をしてみたら、助走がついていた。助走がついたところで手を離したら、そのまま駒が廻ってまだ少しずつ距離をのばしているというものが「続いている」。
その日あった真ん中の出来事、はじっこの出来事、どこか一ヶ所を文章に残してきた。だから、読み返すとその日あった出来事が思い出せる。それが自分にとって一番よかったことだ。
やめたら、もともと文章が苦手な私はもう文章に手をつけなくなるのだろう。
6年間のうちで、いいことも悲しいこともあった。
私の毎日は、充実で溢れているわけでもない。特に悩みごとがない日もあるが、悲しみを抱えていても、誰かと会っている時には笑って過ごしている日もまたある。
「あなた」とその波のサイクルが違うだけで、心のバイオリズムはさほど変わりはないと思っている。
日記は給食記録を越えた。
せっかちな私は、長いスパンで物事を積んでいくということを学ぼうと、今修行の途中にあるのだろう。


投稿日:2007年05月05日

2007年05月05日

ゲルマニウム温浴、初体験をした。
先日、今度ライブを一緒にするsister kayaさんとの打ち合わせの席で、ゲルマニウム温浴について教えてもらったのだ。
腕と足を温浴器につけてジっとしているだけで、エアロビクス3時間分の汗を流すらしい。そしてジっとしているだけで、皮膚を通してゲルマニウムが体に浸透して血液中の酸素が増えるらしい。
”ゲルマニウム”という語感が、何故か子供の頃に買ってもらっていた「科学と学習」の鉱石の付録としか結びつかなかったのが、体が弱っている時にその話を聞くと、”体によいこと”として、急に自分にとって身近なよいことに変わるのだから、おかしなものだ。
石を買うように勧められたりしないだろうか。
高い器具を売りつけられたりしないだろうか。
ちょびっと緊張しながら、F駅前にあるというその店に行ったのだった。
着替えを渡されて、美容院のシャンプー台みたいな所に案内をされる。シャンプー台っぽいそれが温浴器で、椅子に座って腕と足をお湯につける格好になり、姿勢としては机に伏していねむりをしているような感じで頭を前に倒す。これでタイマーをかけてもらって20分、座っているだけという説明を受けた。
「では、始めましょう」
ポコポコポコ・・・。
温浴器に腕と足をつけると音がする。水槽のエアーの音にちょっと似ているのだ。お湯の温度は43度。最初の5分は何の変化もなく、ポコポコの音を聞いてお湯につかっていた。
10分を過ぎた辺りで、いつも重かったまぶたがパチっと開く。血流がよくなっているのがわかり、それがゲルマニウムなのかお湯で血のめぐりがよくなっているのかはわからないが、体には変化が出ていた。
15分、ちょっとのぼせてきた。しかし、この辺りから汗が結構流れ始める。特に首から下の汗が出る。つかっているのは腕と足だけだが、サウナに入っているような汗の流れ方をしている。
20分、終了。実感したのは、汗がたくさん出たことと、顔のむくみが引いたことで、特に目のこわばりが消えたことだった。
家に帰ってきて、しばらくしたらまたまぶたは重くなって元に戻ったが、温浴中は18歳の頃の体の軽さを思い出した位の変化は確かにあったのだ。
駅近くの和菓子屋さんのガラスドアには「ちまき」「かしわ餅」のポップが張ってあった。
5月5日は子供の日。
気分爽快、ゲルマニウム温浴初体験の日だった。


投稿日:2007年05月04日

2007年05月04日

荻窪にてアウルのライブ。
ライブハウスには、階段を使って下りる場所が意外に多い。今日は地下一階にあるライブハウスなので、まず最初の緊張は階段を下りることなのだ。
青梅街道沿いに、この”荻窪ルースターノースサイド”はある。前の家ではバスではよくここを通ったし、それから去年部屋探しの時にはこの辺りの物件も数件回ったので、この界隈は「音楽」よりも「暮らし」の色が強い場所でもある。
地下に下りると、ステージが奥にあって、片側にアップライトピアノが置いてあった。今回は二日共、生ピアノを使わないセットだったが、こちらのピアノも昨日と同じカワイのものだった。
アウルとのライブ、二日目は曲目と曲順がまた違う。でも半分終わったらちょっと寂しい。今までは一緒に演奏をする機会がなかったが、知り合ってから随分長くなるせいか久しぶりに従兄弟と再会をしたような身近さが、なんだか今はある。
今日が終わったら二人はまた明日別の場所でのライブがあって、そして京都に戻る予定だ。
東京へようこそ。
明日もあるけれど、そのことは関係なく二人はやるだろうから。
ようこそ。
昨日と今日はいろいろとなつかしい再会もあった。
この次会えるのはいつの日か約束はないけれど。
打ち上げが終わって深い夜になって、アウルを見送って集まってくれたなつかしい仲間とも別れる。
今日がいい日になれば、きっとまた今度があるんだ。
だから、またね。
それまで、またね。
ゴールデンウイークの真ん中、夏休みの終わりのような生あたたかい風が吹いていったのだった。


投稿日:2007年05月03日

2007年05月03日

代官山「晴れたら空に豆まいて」にて、アウルのライブ。
去年の年末に京都でアウルのライブに参加をさせてもらって、今回は二度目の参加になる。前回はバンド編成、今日はアコースティックユニットでの演奏だ。
他のライブでもそうなのだが、リハーサルに入るまでにはまず打ち合わせをし、その後に譜面や曲を受け取って、練習をしたり必要な音源を作ったりといった準備をする流れになっている。
今回打ち合わせで決まった曲で、前回はやらなかった曲が新たにあり、それらの曲は今回譜面が先に届いた。
その中の一曲、タイトルは「流星28号」。
曲が手元にないと、ポップスの場合は譜面だけじゃ、ほぼどんな曲なのかはわからない。コード譜とそのタイトルからどんな曲なんだろうなぁと想像をして、曲が届く数日間、待っていたのだ。
曲を書く人は、タイトルから始める人も居るし、タイトルが最後という人とマチマチで、私はタイトルがいつも一番最後になる。「流星28号」っていいタイトルだなぁと、自分には浮かばないタイトルを見てそんな風に思っていたのだった。
ゲンタくんの歌う恋の歌は、いつもぼんやりとその女性の姿形が浮かぶ。
歌に手を引かれて、恋を思い出し、恋を失い、恋を振り返るのは演奏をする側に居ても体感する。
歌があるからピアノを弾く。
いくら恋なんてもういらないわと口にしても、音楽を続けている以上、自分のすぐそばに切ない気持ちがあることを感じてしまうことがある。
AやDm、B7という記号だけでは何の感情も沸かなかった譜面が、歌になれば心に景色を連れてくる。
人は音楽を聴いて、愛しい人を思い出す。
胸が苦しくなるのか。
あたたかな気持ちになるのか。
後悔がよぎるのか。
ゲンタくんとは長い付き合いになるというのに、そう言えばプライベートを全く知らない。
歌の中の彼女が聴いたら、どんな気持ちになるのかな。
なんて、大きなお世話だな。
歌に触れて誰かを思い出したとしたら、それはその人にとって今でも愛しい人なのだ。


投稿日:2007年05月02日

2007年05月02日

先日、脇腹を「グネった」と言うと、東京人のY氏に笑われた。
じゃあ、「グネる」はどういう言い方をするのかと尋ねたら、それは「捻る」と言うらしい。
「グネるなんて言わないよ。あはははー」
「グネる」って、全国レベルで使われている言葉じゃなかったのか。
しかし、「グネる」には私にしてみれば、「捻る」だけでなく「めっちゃ痛くて泣きそうになった」部分までの表現力がある。「捻る」は「捻る」で存在し、「グネる」はまた別のもっと痛い「捻り」の単語で、先日の脇腹を痛めたニュアンスは、やはり「グネる」なのだ。
丁寧に「捻る」と「グネる」の使い分けを説明したが、全部聞いたあとで、再度
「でもグネるなんて言わないよ。あはははー」
で、会話は終わったのだった。
東京で暮らしていると、なんでもない会話の途中で笑われることがある。人が話している最中に、「ちょっと待って。今何て言った?」と質問をされる。それで急遽単語の意味を説明をするのだが、その説明をし終わった時には何の話をしていたのか忘れてしまうことがあるのだ。
「何、話してましたっけ」
「さぁ・・・」
私の話は、聞いても聞かなくてもどっちでもいい程度のものなのである。
今日は関西人のアウルのメンバーとスタッフの千秋さんが居る中で、「グネる」の話をもう一度してみた。
「グネるって、言いますよねぇー」
関西圏では「グネる」は何の違和感もない言葉なのだ。
「あれ、今日は笑わないんですかー」
先日、あんなに笑ったY氏にちょっとイジワルな仕返しをした。
1対1の場合は笑われ、複数対1になると笑われない。
言葉をめぐる法則なのだ。