月別アーカイブ : 2007年6月

投稿日:2007年06月20日

2007年06月20日

調べ物があったので、図書館に行った。
数年前に武蔵野市の図書館カードを作った時には、申請書は紙にペンで必要事項を書いたが、杉並区の図書館カードは、館内にあるパソコンに入力をして、そこで印刷された紙が出てきて、そしてそれを持って窓口に行くというシステムになっているみたいなのだ。
初老の窓口のおじさんにパソコンの説明を受ける。
すごい。時代は変わった。
春に運転免許証の更新に行った時にも、センターの女性はかなり年輩と思われる人だったが、いずれもバリバリパソコンを駆使していたし、ほぼおじいさんのような人が別の機械の前に立ち、「この場合はこうして下さいね」と説明をしていたっけ。
この世代の人達みんなが「機械のことはわからない」というわけではないのだ。
「あちらにあるパソコンで、では操作をしてきて下さいね」と、言われてそちらの方に行くと、小さいパソコンルームがあり、既に一台のパソコンの前には図書検索をしている人が座っていた。
かなり大きな画面でわかりやすい説明。
でもやはりパソコンのキーボードを触り慣れていないと、エンターキーやデリートキーの意味がわからなかったりもするんだろうなぁと思いながら、入力をする。家で使っているのと、やや勝手が違うので私も最後「カタカナ変換」でちょっとつまづき、何度か試しをしたのだ。
カタカタカタ・・・・。
ただいま印刷中。
ほっ。よかった。
無事、クリア!
感じとしては、個人的には幼稚園の入園テストを受けた時と同じような難易度だったと思う。パソコンを事前にやっておいてよかったという感想なのだ。
合格通知を持って、窓口にもう一度行く。窓口に向かいながら「合格しました!」と報告に行くような気分だった。
昔は誰でも作れた図書カード。今も誰でも作れるということになってはいるが・・・。パソコン導入に伴い、”簡単なテストを受けて、合格をしたらもらえる図書カード”に変わったのである。


投稿日:2007年06月19日

2007年06月19日

打ち合わせで市ヶ谷に行った。
市ヶ谷は急な坂になっているエリアがあって、ここの坂はかなりの傾斜なのだ。
常々思っていることが、女性の高いヒールのこと。あれを履くことにより”疑似坂道体験”になる。あれは特殊技能靴だと思っている。男性がもし履いてみたら立ってジっとしていることでさえ難しいことに気づくだろう。私もヒールの高さは7センチになると厳しい。が、実際には10センチ近い高さのヒールの靴を履いている人も多いのだ。
疑似坂道体験靴で本当の坂道を歩くとどうなるのか。
市ヶ谷の坂はかなりの急勾配。上る時はヒールの高さがフォローして素足は平らになるのだが、下りは坂が二乗になり、体は実はすごく妙な働きを強いられることになるのだ。
この辺りは、スーツ姿の仕事中と思われる男性女性が頻繁に行き来している。
見た目、汗を拭きながら歩くスーツ姿の男性の方に「おつかれさま」と声をかけたくなるが・・・・。
既に坂道な靴を履き、坂道を涼しげな顔で歩く女性を見て、私は敬礼する。
<お、おつかれさまです>
いくらビールを飲んでも、ビール腹にならないヒト達。
携帯で誰かと話しながら、坂のことなど気にもせずにかろやかに歩いていく。
”アナタタチ、スゴイデスー”
私はぺたんこ靴でペタペタと行きながら、もう一度敬礼。
みんな「マドンナ」に見えてきた。
疑似坂道体験靴で坂道を下りている女性は腹筋背筋共に、非常に鍛えられているのである。


投稿日:2007年06月18日

2007年06月18日

「晴れたら空に豆まいて」でライブ。
最近はサポートという形だったりシンガーソングライターとしてであったりで、こうしてちょくちょくライブに出させてもらえるようになった。
すると、その場所で毎回「まさか」の再会があって、すごく驚く。私は知り合いが多い方ではないし、顔が広いわけでもない。冷静に考えても自分は人脈が広いとは思えない。なのに、当日その場所に行くと出演者の誰かしらが自分のよく知る音楽仲間と繋がっているのがわかったり、サポートに演奏に来た人が直接の自分の知り合いだったりするのだ。
今日はボサノバカサノバの吉澤さんに再会した。野見山正貴さんのサポートでギタリストで参加をされるのだそうで、”ボサカサ”のお二人とは一緒にライブをしたりラジオのゲストに呼んでもらったりしていたので、これまた嬉しいサプライズだった。野見山さんとはお目にかかるのは今日が初めてだったのだが、私がデビューするきっかけとなったディレクターのO氏と長い友人であることを教えてもらって、今日も「まさか」の繋がりにビックリしたのだ。
20代前半の頃は、ライブハウスに行くとリハーサルの合間にちょこっと話をしたりして、それで出演者とだんだん友だちになっていったものだった。もちろん誰とでも友だちになれるということはなかったが、知らなかった”同志”と思える人に出会える良さが、数組みでやるライブにはあった。
あの頃はいついつのライブの為に新曲を書こう!という目標で曲を書いたりしていたが、今の私の活動は当時の頃に近くて、それを私自身が気に入ってやっている。
今日は今日のライブで歌いたくて新曲を作ってきた。
動き方は20代前半の頃のように。
そして曲は今の私を。
この方法でやっていきたい。
まだ、声がうまく調整出来ないことに正直心が揺れる瞬間がある。でもそれももっと越えていきたい。
今日は私の中の「6月」。
今日選んだ曲は、今年の私の「6月」だった。


投稿日:2007年06月17日

2007年06月17日

明日のライブの最終リハーサル。
自分のライブ用のリハーサルに関しては、去年から方法を変えた。本番に弱いという人にはピッタリの練習法で、それはスタジオに入ったら最初にピアノをポロロロンと弾いたり、声を出さないで初回の通しを基準に手直しをする方法だ。
通しリハというのは、だいたいどのプログラムのリハでも最後にやる。だが、その位置で通しリハをやれば体も心も集中力もいい具合いにそれぞれがバランスよくなって来るので、だいたいその日のベストが出せるのだ。
私はそれが顕著に出るようで、一回目より二回目の方が確実によく、数回通しをやる時には一番最後の回がほぼ一番安定、その差が割とデカい。
だが本番は、いつも一回目で終わる。
いつも「とりあえず、一回ツルっとやってみよう」とやっていたその日の一回目が、一番信頼性のある今の自分の力量なのだということに、やっと気付いたのだ。
音楽には具体的な数値はないが、みんなそれぞれ自己スコアみたいなものを体ん中に持っている。そして、その自己スコアのベストを出すことに、それぞれの音楽魂は燃えている。どんなにキャリアのある人でも、やり始めたばかりの人も、「今日はよかった」「今日はあまりよくなかった」ことで、単純に一喜一憂をする。
音楽は、全員が「今日はよかった」を目指している。
自分はどう工夫をしていこうか。
リハーサルはスタジオに入って最初の通しリハに照準を合わせるのがいい。で、勉強資料用に最後の通しを録音して持っておく。意識的にそういうリハを続けていけば、きっとその先に何かしら得られるものがあると思う。
自分の力量を把握して、スコアを一点でも上げていきたい。
私とタイプが似ている人に、これはお勧めだ。


投稿日:2007年06月16日

2007年06月16日

今日は種ともこさんのライブに行った。
場所は渋谷DUO。今年一月にもソロライブが同じ場所であってそれも観せていただいたが、今回は5月下旬に出たばかりの新しいアルバム「おひさま」の発売記念ライブなのだ。
音楽を作ることや表現すること、種さんの根っこにある音楽魂はずっと変わらずみずみずしい。
いさぎよくその場所に身を投じてみて、なおかつそこで呑まれたりすることなく、最後まで作品作りに常に足を前に踏み出していく・・・。ある期間はどれぐらいかの人達がそれをやれたとしても、これをずっと継続させられるのは、本当にわずかな人に限られる。何かを続けることでさえとても難しい。それを「積極的」な気持ちで以って「続ける」のは、本当にすごいことだと思う。音楽の世界に限らず、だ。
少し前にご飯をご一緒させてもらった時に、ホッピーさんとのアルバム制作のこともお話をご本人から伺えたが、今回のレコーディングのどこがよかったのか。そんな切り口で話してもらったレコーディング話を聞くと、なんだか種さんの物の考え方って建設的で風通しが良くて素敵だった。
今日はMCで5分か10分で出来た曲といって紹介があった。
<わ、どうして>
<出来ちゃった!>
種さんご自身が一番驚いていたんじゃないかな・・・。
などと、想像をしてみる。
目一杯、腕を振り下ろしピアノを弾き。
目一杯、今を歌う。
飛び込み台から身をバーンと投げて、常に音楽だけで勝負しに行くかっこいい種さんだ。
新曲の中の「出町柳」という曲。
「出町柳」は、京都の賀茂川と高野川が一つになって鴨川に変わる場所。あの辺りから見える、雪が積もった冬の賀茂街道の景色が私は好きだった。
切ない曲なのに何故。
種さんの歌を聴いたら、雪のないおだやかな晴れた出町柳を思い出していた。


投稿日:2007年06月15日

2007年06月15日

パン屋さんを見つけると、フラフラっと吸い寄せられてしまうのだ。
今日は荻窪のスタジオに行く途中、新しいパン屋さんを発見して中に入っていた。
そんなにパンばかり、毎日食べて良く飽きないなぁと自分でも思う。私は米は年に5キロの袋が二つあれば十分、家での米消費量は少ない。
バジル入りのパンというのは、今までに何度も食べたことはあったが、今日見つけたのはバジルとドライトマトがふんだんに入っている食パンだった。
家に帰って早速味見をする。
が、今日のは”むむむ・・・”なお味。
種類としては、「ここは一つ塩味で楽しみたいのに、何故甘い?」味グループに属する。
甘い卵焼き。
ザラメがまぶしてあるせんべい。
でんぶ。
ハッピーターン。
あと、何があったっけ。
ドライトマトの所に来ると局所的にそこだけが、甘いパンになる。という、複雑な口当たりとなったのだ。
このバジルドライトマト食パン。
晴れ、時々曇り。
ところによってはにわか雨が降るでしょう。
天気図のような食パン。
パンを眺めているうちに、こんな表現がピッタリに思えてきたのであった。


投稿日:2007年06月14日

2007年06月14日

病院帰りの某地下鉄の駅を下りて。
地上に上がるエレベーターで、じいさんと一緒になった。
じいさんは大きな荷物を持って、荷物が重たいからなのか、エレベーターがノロいからなのか、イライラしている様子。
エレベーターを下りると、不機嫌な顔で荷物を引いて早足で去って行った。
せっかちそうな、じいさん。
バス停の方に向かうとじいさんはバスを待っていた。
同じバスなのか。
じいさんの方に向かって歩いて行くと、じいさん、バスの時刻表を見た後に車道に下りているではないか。
危ないよ、じいさん。
そこは青梅街道と呼ばれているデカい道路、だがじいさんは左側車線のド真ん中に立ち、バスが来ないのかを確認しているのであった。
車道に仁王立ち。
そうしてブスっとした顔で歩道に戻ると、荷物を引いてバスを待たずに歩き出したのだった。
じいさん、そんなに急いでどこへ行く。
「あら、バスが来たわ」
そんなに急がなくても、バスが来たのに。
お先に。
私はバスに乗りますよ。
と、思っていたらバスはそのまま目の前を素通りして行ったのだった。
「なんで!」
「待っていたのに!」
あら。
じいさんに見とれていて、私は自分の乗るバス停を間違えていたのであった。
私はその後、バス停で一本バスを待ち、
そうして家へ辿り着いた。
おわり。
日常とは、昔話や童話のように、何かオチのある話にならないことの連続なのである。


投稿日:2007年06月13日

2007年06月13日

バイクがやってきたことで、それまで交通手段がなかった荻窪にも行けるようになった。個人練習のスタジオもグランドピアノを数台設置しているいい所がある。
しかし、荻窪は道がとても難しい。
特に駅、南側。一方通行や曲がりくねった道、行き止まりに細い路地。目印になる建物をいくつも覚えて、道の選択もいくつも覚えて、全部それらを間違えずに正解を答え続けるまで、荻窪には辿り着けず只今苦戦中なのだ。
全問正解したら、あなたは荻窪に行けます。という、私の住む近辺では恐らく、道が覚えられないNO.1地域になるのである。
一つ間違えると、容赦なく迷い道コースにハマる。「ここ、どこ」という位判断がつかない場所に行ってしまい、自分が今どっちの方角を向いているのかさえわからなくなるのだ。
気をつける箇所が本来所要時間10分程度の距離の中に10〜20箇所も含まれている。しかもそれらは縦横の道幅はほぼ同じなので、道探検家の人には攻略しがいがあるエリアなのだろう。
「右」か「真っ直ぐ」か「左」かの3択問題。
クイズは苦手。その割には、問題が出ると何かしら即答するので、「ここ、どこ」の異次元空間に行くハメになる。
畑に出ちゃった。
とか
あれ?柵。
そこから先は遊歩道。
とか
学校の横なんて走ったっけ。
あらま、寺。
わ。右側、全部墓地だわ。
う〜ん。さっきも川を越えたような気がするんだけど。
あの車に付いて行ってみよう。
待ってー。行かないでー。
あら、そこが家だったんですか。
この公園の道は通ったことがあったけど。
それって荻窪からの帰りの道だったわ。
「ここ、どこ。」
これが行きだけでなく、帰りも同じ位道が難しいので、帰りにも墓地に出たり、電灯のついていない鬱蒼とした道に迷い込んだ時はとても怖いのだ。
今日はアゼ道に毛の生えたような道に最後は迷い込んでしまい、人の家なのかなんなのかまた通ったことのない謎の道を、真っ暗で怖かったので強引に突っ切った。
私ゃ、家ん中ではゴキブリが怖いが、外に出たらおばけが怖い。
”怖い、怖い、怖いーーー”
多分道路以外のところも走った。
と、思う。
少し不法侵入をしたようにも・・・
思う。
それさえわからない。
だって異次元の世界のことなんだもの。
最後は道になり、なんと家に一番近い交差点の所に無事に出られた。
や、やった・・・。
ついに、全問正解・・・。
荻窪に行くのも帰るのも、サバイバル。
チョイノリは私が乗ればUFOにもなるのであった。


投稿日:2007年06月12日

2007年06月12日

青梅K病院に、今日は病友のKさんを訪ねた。Kさんは2001年の1月にほんの2週間病院でルームメイトになったおばあちゃまだ。
まさかこんな風に続く仲になるだなんて、多分お互い思っていなかったと思うのだが、おばあちゃんが「手紙を書くわね」と言って本当に病室に手紙を送ってくれたことから、その後数百通の手紙のやり取りをして今日に至っている。
「病院から戻れて幸せなはずなのに、寂しいんです」
時々、自分自身を持ちきれなくなった私が「寂しい」と素直に言えたKさんだった。今は、私も仕事をしたり自由に一人で外出が出来るようになったが、暗い自分を優しく受け止めてくれたKさんの存在も、私にとって大きな理由の一つなのだ。
Kさんは今年90歳になる。世田谷にご自宅があって、短期入院はこの数年の間にも度々あったが、体が弱いので去年からは完全看護の病院に入所され、もう病院が自室となって1年以上が経った。
片道、私の家からは同じ都内なのに2時間強。まるで旅行に来たのかと思う遠い場所にその病院はある。
「Kさん」
「あら、ヨシカワさん」
机の上には図書室で借りた本と、ノートや筆記用具。壁には達筆なKさんのお習字の半紙が張ってあり、本や絵、映画が大好きなKさんらしい一角になっていた。
おばあちゃんは、ご病気の関係でいつも酸素ボンベと一緒だ。鼻に管を入れて送られてくる酸素が必要で、車いすの後ろにはボンベが積んである。ベッドからの移動は一人では少し難しく、職員さんに抱えてもらって車いすに移動をされるが、随分小さく痩せてしまった感じがした。
「この人はね、有名なシンガーソングライターの人なのよ」
通り掛かる職員さんを呼び止めては、Kさんが顔を紅潮させて私を紹介してくれる。忙しくしている所に呼び止められて、そんな見たことのない人を紹介をされても・・・と困惑する職員さん。
”私はKさんにとって、自慢の友だちなんだ”
小さくなりそうな気持ちを消して、精一杯の勇気で「はい、音楽の仕事をしています」と笑って挨拶をする。
フロアの椅子の所では、最近の出来事や、病院でのこと、お勧めの本の話もしてもらったし、いろんな話をした。
「私はね、あなたにとっても感謝をしているの」
「あなたに出会えて、本当によかったわ」
私がそうおばあちゃんに言われるのには、自分で思い当たるところがない。でも、不意にその言葉が耳に入って来たら涙がポロポロとこぼれた。
「えーっ、嬉しい。私もですよ!」
「Kさんに出会えて、本当によかったです」
手でぬぐうとバレるから、ポロポロとこぼれるままに、”おばあちゃん、見えていなかったらいいな”と思いながら、私も笑った。
いつか、周りの友だちが次々に亡くなって寂しいとおばあちゃんは言っていた。
だから、私は死なない。死なない友だちでいるから、ずっとお友だちでいてください。
最終の送迎バスの時間が迫っていた。
来た時はあまり長居しないようにと思っていたが、時間はアっという間に過ぎていった。
「Kさん、私そろそろ帰りますね」
そこから居なくなるより、見送る方が「寂しい」は絶対に大きい。わかっているのに、わかっていてやはり私は帰ると言うのだ。
ごめんね。
Kさんの口元がヘの字になると、なんだかとても自分が悪いことをしたような胸の痛みがして、「また来ますね」と言っていた。
「また来ますね」程、老人にとって無責任で思わせぶりな言葉はないというのに。
でも口にしたから。
また来ます。
近いうちにきっと。またね。
病院の玄関を出たら、まだ梅雨前だというのに、夏の避暑地の匂いがしていた。
蝉の声だけがしない、夏の旅にいた。


投稿日:2007年06月11日

2007年06月11日

ゴキブリを家の敷地、玄関を出たところで発見してから、私の暮らしは暗くなった。
夜風を入れようと網戸にすれば、夜風と共にゴキブリも入って来るのではないかということを考える。
ピチっ。
風呂場も洗面所もトイレもキッチンも窓を閉める。私の目の届かない場所は、特にピチっと閉めておきたい。
が、夜中にトイレに行くと、トイレの隅っこに置いたコンバットがゴキブリに見えてしまうのだった。
”ぎゃー”
と、トイレのドアを開ける度に、コンバットを置いたことを忘れて驚けるというのも新鮮だが、心拍数は急上昇。体にはあまりよくないのだ。
もし、ゴキを見つけたら私はどうなるのだろう。一時ブームになったパオという噴射式の品があって、それはゴキブリに向けてシューとやると液剤が繭のようにゴキブリを包んで動けなくさせるというものだったが、私は命中させることが出来ず、全く戦いにならなかった。
もし、居たら・・・・。
確実に逃がす。
どよ〜〜〜ん。
クモでさえ逃がしてばかりいる。ハエもそう。今まで出て行ってもらえたのは、子供カマキリだけなのだ。
夜に外のポリバケツに出していたゴミも、夜に出すのをやめた。あそこにゴキは居たからだ。
あんなもの、ゲンゴロウじゃないか。
カナブンじゃないか。
ノー。
そんなにおおらかになれません。
夜、私はとても暗くなった。
被害妄想いっぱいの日々を送っているのである。