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投稿日:2007年06月10日

2007年06月10日

「レギンスを合わせたりするのも、可愛いと思いますよ。」
は?
”レギンス”って何。
レギンスってスパッツのこと。
「ス」しか一緒の文字がないじゃないか。
スパッツは知らないうちにそういう呼び方に変わっていた。
いつ。
何故。
ややこしい。
スパッツはスパッツの前は、乱暴に言ってしまえば「ももひき」と呼ばれていた。「スパッツ」と私達が言うと、おばーちゃん世代の人達は「スパッツって何だぎゃー」と、嘆いたものだ。
「もう、若い人達にはついていけない」
そうして老人は何か一つ、自分の中で張り切って保とうと努力していたことをあきらめたのだ。
新語は旧語人間達に脱力を与える。
何らかのエネルギーを奪っていくのである。
先日、美容院に行った時にうっかり「リンス」と言ってしまい、店員さんに不思議な顔をされたが、リンスもコンディショナーという名前に変わった。いくら成分や効果が違うと言われても、私には変わらないのだ。バシバシの髪にキューティクルなんてつかない。コンディショナーを使っても、私には効果は何ら変わらないのである。
単語を変えてくれるな。
旧語消費者達を大事にしろ。
と、旧語人間達だって相当な割合で居るのだから、声を出していけばいいのだが、そういう運動はどこでもされていないみたいなのであった。
「コンディショナーは、どこに置いていますか」と、店で尋ねる時、私は軽い敗北感を味わう。
「レギンス、探してるんですけど」と、「スパッツ、探してるんですけど」の言葉の使いわけを、私は”このヒト、何歳”と店員さんの年を勝手に決めてするのか・・・・。
失礼な話じゃないか。
新語は疲れる。
私の脳みそは、新語を覚えるより名刺を頂いた人の名前を覚える方が大事なのだ。
新語、反対。
新語、面倒臭い。
「これ、下さい」
不買というわけにはいかないのでせめてもの抵抗、スパッツとコンディショナーを買う時、私は「これ」という言い方で買おうと思っているのである。


投稿日:2007年06月09日

2007年06月09日

小学生の頃、初めてカセットテープで録音をした自分の声を聞いた時、私も「自分の声って本当にこんな声なのか!」と驚いた。
自分の声は自分が聞いている声とは違う。録音をした自分の声を聞いて「こんな声じゃない」と言い、周りの人に「そんな声だよ」と言われて”嘘〜〜っ、なんかショック・・・”と、ガッカリする人は多い。私もその内の一人だった。
だが、慣れた。
ラジオやCDで自分の声を聞く機会が増えたおかげで、”自分はこんな声なんだ・・・”の回数が増え、そのうちに”自分の声”を認識するようになったのだと思う。
今日はラジオの収録日。
今日はどうしても新曲を持って行きたかったので、今朝出来たばかりのホヤホヤ、「あじさい」を持って行った。
「今日は、あじさい色の服ですね」
と、ディレクターのK氏に言われた。
ほんとうだわ。
意識していなかったけれど。
DSC00756.JPG
私の話し声はいつの間に母にそっくりの声になった。
母も手術をした後片方の声帯がマヒしたが、私もまさか同じ道を辿ることになるとは思わなかった。
「変な声になっちゃったわ」と母は気にしていたが、声が割れる感じや裏返るところもソックリになって、私は自分の声が母の声に思える時がある。
私は母の声を別に変だとは思っていなかった。
今日は収録日。
そして母の命日。
話は相変わらず上手くならないけど。
元気で外に出てこうしていますよ。
お母さん。
母の声で私はマイクに向かってしゃべる。
渋谷の午後がおだやかに過ぎていった。


投稿日:2007年06月08日

2007年06月08日

家は一階の二階の二世帯しかない賃貸物件で、水道料金は大家さんが一括で支払い、二階の部屋の水道の子メーターの数字からそれぞれの世帯の水道料金を割り出して、大家さんから「今月はいくらです」という手紙が来るという変なシステムになっている。
なんでそんなややこしいやり方をするのかわからない。これが大きなマンションでのことだったら一番に文句を言っている私なのだが、大家さんがお年寄りなので、めずらしくおとなしくそれに従っているのだ。
だが、本当はとてもいや。
心の底からいや。
こんなしくみは大っきらい。
だ。
理由は私が二ヶ月に一度、大家さん指定の日に親メーターと子メーターの数字を見て報告をしなくちゃいけないことにある。
それをすると私の水道料金を1500円マケてくれると大家さんは言っているのだが、それでも私は憂鬱なのである。
IMGP7597.JPG
”どうしよう”
”今日だな”
どんより。
”でも、自分でやらなくちゃ”
”どうしようもない”
どんより。
”でも、そろそろ「季節」だし”
”もう出るような気がする”
どんより。
”いや、大丈夫”
”気のせいだから”
”ガンバロウ”
思い切って玄関外の地面の所にある水道メーターの蓋を開けた。
カサカサカサカサ・・・。
ゴキブリが目の前を逃げて行った。
”ぎゃーーーーーーーー”
ど、ど、ど、どんより・・・・。
ビンゴ。やはりゴキブリが居た。
この時点で体の内側にサブイボがビッシリ立ったのだが、親メーターの数字は更にもう一つ蓋を開けないと見れないのだ。
”ここまでやったんだから、あとちょっと”
”ガンバレ”
ふと視線を横にすると、恐らく近所の猫に食いちぎられたと思われるデカいゴキブリの頭が落ちていた。
”ぎゃーーーーーーー”
ギャーの勢いで必死で中蓋を開けた。
親メーターの数字を見るだけで、ものすごく疲れたのである。
”もう、子メーターは見たくない”
”出来ない”
”やりたくない”
”結婚していたらよかった”
”旦那に頼めたのに”
”二階の人も留守か・・・”
子メーターを見るまでに相当心はグズったが、それでも私がやらねばどうしようもないのであった。
こちらの方がゴキブリは居そうな環境である。
植木鉢の支柱をはずして蓋開けグッズを作って、いざ。
”ぎゃーーーーーーー”
ギャーとなりながら、ゴキブリは居なかった。でも、ギャーーとなったのだから居たも同然のストレスはかかったのだ。
親メーター、ゴキブリ有り。
子メーター、なし。
報告なら、数字よりもこっちの方が私には重要なのである。
ゴキブリは大嫌い。
泣くな。
己よ。
昨日、「紫外線防備おばちゃん」軍団に入団し、今日はコンバットを大量に買いに行き、館に配備した。
幸せになるために、日々戦っている私なのである。


投稿日:2007年06月07日

2007年06月07日

花粉症の季節が終われば、マスク姿よりもっと怪しい格好のヒトを目にするようになるのだ。
サンバイザーを深く被り、
長袖の上着もしくは肘から下を何かで覆い、
手には手袋をし、
足はズボンを履いている。
そして
そのヒトは住宅街やスーパーの辺りに出没し、
ほぼ、自転車に乗っている。
角っこから急に出て来られると、もう見慣れたとはいえ、やはり毎度一瞬「何事があったのか!」とドキッとさせられるのだ。
その完全防護服は、現代の鎧カブト。
この鎧カブト軍団は、5月の天気のいい日から出没する、暴走族よりも力を持つ紫外線防備おばちゃん達のことである。
「日焼けが怖いわ〜」
世の中で怖いものは日焼けだけ。不思議と同じ女性でも若いヒトでこの格好をしているヒトはなく、40代以上で一番多いのが50〜60代ではないだろうか。
だからあの格好をしている人を見ると、”若い女性ではない”ということが判別出来る。美を気にするのであるなら逆に意地でも鎧を着ない方がいいのではないかと思うのだが・・・・。
今日は知人女性が完全防護服を身にまとっていた。
黒いサンバイザーを深く被り、「でもね、こっちからはよーく見えるのよー」と黒仮面をこちらに向け、話す。
”そんなに覆わなくったってねぇ・・・・。”
去年までの私は鎧さん達に対してそう思っていた。
が、
「私もそれ、欲しい〜!どこに売ってるんですか〜」
と、言っていた。
IMGP7596.JPG
何が境界線であっち側に行ってしまったのか。
私も今年から軍団の仲間入り。
「今年、一年目の新人です。」
「よろしくお願いいたします!」
怖いもんは日焼けだけ。
一軍の先輩達に続け。
鎧をつけるといざ、軍団達はスーパー激線区に出掛けてチラシという地図を頼りに今日も戦うのである。


投稿日:2007年06月06日

2007年06月06日

自分の曲には、私なりの「出来た」と納得する時があって、それで”出来上がり”になる。それまでは一応形になっていても「出来た」と思えない期間をジメジメと過ごしている。
その期間中はメロディよりも言葉がしっくり歌詞にならない場合がほとんどだ。
以前は曲を先に作ってから歌詞を書いていたが、少し変わったのは歌詞の方に軸を置いてメロディを言葉に合わせるという点だ。そうすると歌詞を書く時に字数にとらわれなくなる。今の私は完全に「曲先」だったのが、「やや詞先」寄りになっている。本来苦手な方法なので、ますます一曲が出来上がるまでが遠い道のりになった。
今までに何十曲かの曲を書いてはいるものの、いまだにコツというのは私にはなく、方法はただ”粘る””あきらめない”の二つ。探すのはひたすら、”そのことをまさに言い当ててくれるその言葉”だ。
あくまでもそれは私の感じ方に於いてだが、私という一人の人間が”どう感じるのか””どう考えるのか”を、何でもない日常の一遍の中での「このアンテナではこう映っています」というのを形に変換出来たら、スーっと一つ、塊みたいなものが整理される感覚がある。
小さな男の子がミニカーを集めるように、私は心の中で感じた何かしらの温度を形にして集めて持っておきたいらしい。それで、私の音楽を好きになって聴いてくれる人は、きっと私と感性が似ていて、更に同じように収拾癖がある人達なのではないかと思う。
私の集めているミニカーのタイプは、「前に乗ったことのある車」や、「街で見掛けてワー!と思った車」、「乗ったことはないけれど、友だちが乗っていてかっこよかった車」だったり、「親切に道を教えてくれた人が乗っていた車」など・・・、想像の世界で描くものでも雑誌で見て憧れた遠い存在のものでもなく、何かしらの機会があって自分の目で見たことがあってそれでなおかつ何か印象に残るエピソードがある車達で括られている。
「出来上がり!」だとある時に思ったら、それを境にピタっと私の言葉探しの旅は終わる。単語が思う箇所に探すことが出来れば完成。ミニカー置き場に置いて、「あぁ、あの子がボクのミニカー好きって言ってたなぁー。新しいミニカー、来たんだよって伝えて、今度遊びに来てもらいたいな!」というようなことを今度は考える。
私と曲の関係はそんな関係ではないだろうか。
新しいミニカーを、あそこのミニカー置き場に入れたくて、曲作りの時の私は言葉に神経質になる。3つ候補がある状態の時はだいたいがその言葉のどれでもない。どこかに1つピッタリだと思える言葉があるのだ。で、もっと細かい時には「@@が」なのか「@@は」なのかについても延々考えていることがある。
どっちでもいいじゃないか。
いいや、どっちでもよくない。
今日はまだあそこには置けない。
言葉を見つけよう。粘ろう。
あともうちょっとだけ粘ろうと思い直したことで、結果「これでよし」にしなくてよかったと思ったことが何度あったことか。
頑張ろうよ。
私の曲作り。
いつもこんな感じなのだ。


投稿日:2007年06月05日

2007年06月05日

ブーン。
今日もバイクに追い越されて行く。
原付、チョイノリは「スピードが出ない」と言われているが、法定速度を守る丁度いいバイクなのだ。30キロ以上出すとお尻がビビバビ振動で怖いし、それに風にハンドルを取られる。40キロ出すと乗っていても怖いのでだいたい30キロ弱のスピードで走っている。
お金も持っていたら持っていただけ使ってしまう。スピードも出せる余裕があれば出せるだけ出してしまう。匙加減というものがどんな具合いなのか、よくわからない私にはこのバイクが丁度いいのだ。
しかし。
自転車にも追い越されて行く。
普通に走っていれば自転車はゆっくり追い抜いて行く関係にあるのだが、差がそれほどつくわけじゃないので、前のバスが停まったりすると私が後ろについている間に自転車は行ってしまう。また信号待ちをしていても自転車は信号無視をしていくので、これまた自転車の方が前にスーっと出て行く。
住宅街を走ると、今は紫陽花がよく咲いている。
仕事の気分転換は、こうして近場を走るようになった。家の中の作業が続くと、だんだん家がくつろげなくなってくる。お茶を入れてもだめ、パソコンで楽しいサイトを探してもだめ、動物と遊ぶだけでもだめ、花に水をやるだけでもだめ・・・。
何でも風通しがいいということは大事なことなんだろう。
肌に風を受けて帰って来るだけで、必ず少しは何かが洗われていて、仕切り直しが出来る。またそれですぐに煮つまったりもするのだけれど。
風は姿がない。
動かしたものが見えるだけだ。
でも風は見えないものも動かすんだ・・・。
バイクに乗るようになって、「風」が人間の何かしらに良い作用をもたらすということを思うようになった。


投稿日:2007年06月04日

2007年06月04日

夏と冬には体験しないけれど、春と秋に体験することがある。
体感といったほうがいいかもいれない。
春なのに、秋の感じが肌にする時。
秋なのに、春の感じがする時。
半年もすればまた会える季節なのに、とても懐かしい気がしてふとその季節を想う。
今日は夕方、それを感じた。
「あれ、今はいつだったかな」
これから晩秋に向かうのと同じ風が吹いていった。すると二度と会えないわけじゃないのに、秋のことがちょっと恋しくなった。
風が少しずつ冷たく澄んでいき、日がだんだん短くなる頃。
裏側の季節のことを思い浮かべる。
でも
気のせいだったのかな。
冬服達はもう押し入れの衣装ケースの中で眠っている。
5時にどこからともなく聞こえていたチャイムが6時に変わった。
いつの間にか日が長くなった。
日本の四季は4つだけじゃない。
梅雨もある。
夏に向かう秋の日。
これも一年の中でたまに出会う日本の季節なのだ。


投稿日:2007年06月03日

2007年06月03日

渋谷のエッグマンに、お世話になっているS氏に難波弘之さんのライブに連れていってもらった。
難波さんはデビューして31周年を迎え、ずっと第一線で活躍をされているキーボーディストの大御所。でもライブは初めてになる。もしかしたら山下達郎さんのコンサートで演奏されている所を観ていたかもしれないが、ご本人のMC付きのステージは、これが初めてだ。
難波さんは、私は話をしたこともない。私が「プロって何なのか知らないが、プロになりたい!」と夢を抱いたきっかけとなったキーボードマガジンにも何度となく載っていて、私からすると私が音楽に目覚めた時に既にプロの人だった。
会場には早めに着いたのだが、席は既に満席。お客さんの層は「音楽好き」の人達といった感じで、この中の何割かがキーボードマガジンの読者に違いない。私も今日は難波さんのセットがよく見える位置に座らせてもらうことにしたのだった。
キーボードが6台。今は音源ラックが充実しているので実際に鍵盤楽器を6台使う人は少ないのだが、MCによるとこれはいつものセットより少ないのだそうで、本当はあと2〜3台後ろに置いて演奏するということで、まずそれに驚いたのだ。それだけの台数のセッティングは演奏も大変だが、運んだり組んだり配線をしたり・・・。演奏が終われば今度はそれをバラし、またケースに入れて運び出すわけで、本番だけでなくリハもあるその度にこれらの基地を作っては片付けるなんて、気が遠くなりそうなのだ。
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本番ではメカニックトラブルがあって、ライブが始まったが次に進めない場面があった。
こんな時、どうするんだろうと私も息をのんで見守っていたが、「前に一度、本番中にキーボードが壊れて・・・・」というエピソードを難波さんが話す。
<壊れて・・・、どうなったの?>
「仕方ないんで、ライブ中に公開修理をしましてね」
「機材解体して、ハンダで直しました。はは」
客席がドっと沸いた。
機材トラブルが起きても、それが別のライブになるというところがすごいなぁと思う。「じゃ、アカペラでやります」というのではなく、「じゃ、修理しているところをご覧下さい」が、ショウになるのだ。
今日は”ハンダ”ショウにはならなかった。機材はお客さんの目の前で”アンプかな?””本体かな?”と原因となるものを一つ一つチェックをして、結局繋いでいる「コンプ」と呼ばれているエフェクターを取り除くと、トラブルは解決をした。
「コンプなしでも、うん。音は変わらないよ」
メンバー同士の会話も聞こえてくる。ミュージシャンの仕事現場の裏側が覗けるような、お客さんはそういうことも楽しめる層だったので、それもショウとなっていた。やはり一流のミュージシャンなんだなぁと、そんなところでも感じたライブだった。
個人的にはバロックコーナーがとてもよかった。
音源とシンクさせて難波さんが、神業のようなキーボードプレイで心を洗っていってくれる。歌があるものが好きな私だが、久しぶりに「歌のない楽器演奏」を心から楽しんだように思う。
ライブ終演後、キーボードセットの前には携帯カメラやデジカメを持つお客さん達がわんさか集まって機材を撮っていた。難波さんが居なくなったあとで、キーボードセットの前でみんな記念撮影をしているのだ。
「わ、私も写真撮ってきます!」
最初、遠慮がちに写真を撮っていたが、いつの間にか一番前に行ってパシャパシャと撮っていた。
そうして最後はステージの上に勝手に上がって撮っていた。
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「きゃー、いっぱい撮っちゃいましたー!」
ご満悦。
キーボードマガジン読者に戻った一日であった。


投稿日:2007年06月02日

2007年06月02日

奥歯が痛むので、また歯医者さんに通っているのだ。
先生の前で鏡と歯ブラシを持ち、いつもどうやって磨いているのかを見てもらうと、「力が強すぎる」ということだった。歯磨き指導を受けながら、この年になって駒なし自転車に乗る練習を見てもらっている感じがしてくる。
「歯ブラシをもうちょっと縦にして・・」
「あ、それじゃぁまだ強い」
「はい、もう一度ー」
頭では理解していても、なかなか上手く行かないのだ。
そうか、私の家にある歯ブラシは買ってもすぐにブラシの先が外に開いてダメになっている。力が強いからブラシがつぶれちゃうのか・・。
「はい、もっと力を抜いてー」
「もっと、もっとです」
「はい、それぐらい!」
「ふぇ?これでいーんでふか?」
OKを貰った時の力の入れ具合いは、いつも家でやっている力の10分の1程度、柄の部分は「握る」のでなく「持つ」のもっと弱い力、「触れるようにして持つ」のが正しい歯ブラシの持ち方であるのだと、今日初めて知ったのだ。
歴代の私の歯ブラシさん達よ、一体何本になるのかその数がちょっと想像が出来ないが、すまなかった。
先生は気さくな人だ。治療をしながら、世間話や共通の知人の話をされる。
「で、最近は@@に行ってる?」
「い、いいへ」
「@@さんには、最近会った?」
「ふ、ふぁい」
ゲホ。
治療中って、上を向いて口をあけているので、返事をしたいのだが、しゃべるのが難しい。しゃべれないので、返事はこういう時はしなくていいものなのか、やっぱり何か答えた方がいいのかと口を開けながら考えているのだ。
「@@さんは、元気かなぁ」
「・・・・」
やはり、”上向き口開け”の時は、「はい」と「いいえ」が限界なのだ。「さぁ、私も最近会ってないんですよー」は高度過ぎて言えないのであった。
治療、終了。
「この歯ブラシを一度使ってみてください」
「はい」
診察が終わって診察券を貰うと、いつも私の心が「逃げろ!」と号令をかける。
今日の治療は、痛い”ウィーン”も注射もなかった。
が・・・・。
現在、青梅街道を歯ブラシを持った女が原付でただいま逃走中。
”誰も追い掛けてこないってば”
それでも今日も逃げるようにして帰る歯医者さんなのであった。


投稿日:2007年06月01日

2007年06月01日

夕方、父しげおっちから電話がかかってきた。
昨日は道を間違えて、買い物にえらいロスタイムを作ってしまったが、なんとか帽子とカードを送ったところ、ちゃんと今日それが父の元に届いたらしい。
「あんなもん、被ったことないわ」
最初に父に贈ったものは確か似顔絵であった。四角いアルミの弁当箱のような顔の輪郭に、シーサーのような鼻、頭髪のハゲ具合いなど、非常に似た似顔絵に出来たと思ったら、あの時も「全然似てへんわ」と言われたのだ。
以来、私は長年に渡り「あんなもん、よう着んわ」「あんなもん、どうやって使うねん」「あんなもん、食ったことないわ」と、数々の贈り物に「あんなもんシリーズ」のコメントをもらってきた。
しげおっちは私が物心ついた時から、”ダンディ”から遠くかけはなれていた。
いつか加山雄三に成長するのかと思ったこともあったが、それはなかった。
でも私は知っている。
普段もへそまがりで、あと私に対してダメ出しばかりをしているしげおっちなのだが、「嫁に行かない」ことに関しては一度も口にしたことがないのだ。
爺さんは「ワシが死んで一人ぼっちになったら娘が不憫」という考えよりも「娘が嫁に行ったらワシが一人寂しくて不憫」の方がプライオリティが高いのである。
もしかしたら元旦に願うことや七夕の短冊に書く願いは、「ワシが死ぬまでミキが嫁に行きませんように」なのではないか。
・・・・。
むむむむ。
しげおっちの生き霊のせいで・・・。
はい。
今年もお父さんのプレゼントは一番のお願いを叶えましたよ。
あんまり顔は出せていませんが・・・。
嫁に行くより寂しくないでしょう。
私もおかげさまで元気に過ごしています。
しげおっちは近所の嫌われ者。
私はもう嫌いを通り越した。
お父さん、おたんじょうびおめでとう。
そんなに毎日がつまらんとばかり言わないで。
具合いが悪いという話ばかりしないで。
お父さんだけでなく、みんなにだっていろいろあるんだよ。だから毎日をなるべく明るい方に顔を向けられるように、それはお父さんが自分でしなきゃどうしようもないんだよ。
3月に一度私は電話で泣きながら訴えたが、
結局父は変わっていない。
まぁ、いっか。
自由に、のびのびと。
どうぞ長生きして下さいね。