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投稿日:2007年10月11日

2007年10月11日

昨日は大手某百貨店で、5万円以上もするおせち料理の予約受け付けを始めたのだそうだが、数分で完売となったらしい。
お正月はそれぐらい優雅に始めたいという人も居るんだろうが、私は出前を頼むのでさえ持ってきてもらえる「1500円以上」の品を選ぶのも大変なのだ。食べたい品以外に2〜3個追加の注文を考えなければならず、「うーん、うーん」とそれで悩んでいるので、そこの店で5万円分の食べ物を頼んだら一体どれぐらい余らせてしまうことになるのかと思う。
働く女性が増えたおかげで、おせち料理は「売れる」ようになったのだそうだ。
私はおせち料理を買ったことは一度もない。おせち料理が食べたいと思わなかったからだ。特別なことをせず普段食べ慣れているパン食で始めるのがいいんじゃないかと思っていて、おせち料理をわざわざ買うなんてことに興味がなかった。
しかし、今年は「おせち」もいいなとちょっと気持ちが変わった。
「おせち」が嫌いだったのは、もしかしたら母の料理だったからなのかもしれない。ものすごく美味しいおせちに出会って、それを正月に部屋で食べたとしたら、それはそれでとても豊かな気分を得られるかもしれない。
一人暮らしだと、何かとこういうことは簡素になりがちだ。温泉や海外で正月を迎えるようなこともなく、家で駅伝を見たり福袋を買いに行くことだけが私の楽しみとなっていた。
「一人暮らしっていいわね〜」
目指せ、そんなお正月。
そうだ、お年玉貧乏になることもない。
百貨店から届くおせちを食し、
風呂にゆっくり浸かり、
一日中ゴロゴロしても誰にも咎められないのだ。
ところで、
どうも高級な日本食の弁当には、美味しいブリの照り焼きが入っているイメージがあって、おせち=ブリの照り焼きだと思ってしまう。
家で食べたおせち料理にブリはなかった。
正月を「おせち」で始めたいと思ったが、どうも私はいつものパン食でなく、ブリの照り焼き定食で始めたいと思っているだけのようであった。


投稿日:2007年10月10日

2007年10月10日

夜、レコーディングの打ち合わせで、トランペットの辰己くんに家に来てもらった。
なんとなくの構成デモを作ったので、それを聴きつつアイデアをもらったりして打ち合わせをする。
自分が慣れ親しんでいる楽器は、鍵盤楽器。楽器が変わると、気持ちがいいぐらい私は何も知らないのだった。
デモなので、一応それ風にシンセでトランペットを入れているのだが、ちょっと恥ずかしい。
周りの人達にも割と居るのだが、他の楽器を触るとみんなおかしい位初心者になるのだ。ギタリストがデモ作りで鍵盤パートを入れる時もかなり苦戦するようで、8時間かかってやっと鍵盤パートの録音が出来たんですよ、なんてこともつい最近聞いたばかりだった。
「このデモのキーだと、ちょっと響きが綺麗に出ないかもしれんなぁ」
と、辰己くん。
なんだか、楽器の特性上そういうのがあるみたいだ。
「へぇーー」
いろいろ話してくれたが、会話のキャッチボールにならず、私は「そうなのかー」「ふーん」「なるほどー」位しか返事をしていない。住宅展示場に行って、キッチンやバスの説明を受けて「へー」「そうなんですか」「はい」と言っているのと同じであった。
辰己くんは前に音楽の話をした時に、「俺はエアーを通った音がやっぱり一番好きなんよ」と言ったことがとても印象に残っている。生ピアノはエアーを通した楽器、シンセ類はエアーを通さない楽器。シンセは音を出す時にシールドという線を繋いで、直接メカからメカに行ってメカから音が鳴るしくみになっていて、エアーという意味はそういう意味だ。
辰己くんとは20年程の付き合いになるが、普段は持論を口にしない人で、それまで私も音楽論をちゃんと聞いたことがなかった。その話をした時もポツンとその言葉が聞けた程度だったが、エアーの話を聞いて「辰己っちはトランペッターなんだなぁ」と、なんだかいいなと思ったのだった。その言葉が今回一緒にやりたいと思った一番の引金となった。
「あの話、すごくいいなと思ったなぁ」
俺、そんなこと言ってたっけとすっかり本人は忘れていたが。
後はトランペットとトロンボーンの譜面を家で書いてもらうということで、打ち合わせは終わった。
大阪の吹田の音楽スタジオで出会ってから20年。
辰己っちはラッパ一本持ってどこへでも出掛けていくというやり方を、そして私は自宅療養でも続けられるよう機材を覚えた。
音楽をやめられなかっただけだとは思わない。
続けたかった者同士だと思っている。


投稿日:2007年10月09日

2007年10月09日

先週からなんだか調子が悪い。
視線を移すとクラっとするようになって、吐き気も少しする。どこがどう悪いのかがハッキリ自分でもわからないので、何科にかかったらいいかがわからないのだ。
昨日は整体の先生に来てもらったが、首から来ているものではないらしい。
やっぱり目かなと思って近くの眼科に行った。
初めてのお医者さんでは、問診表に簡単な質問に書き込むのだが、「いいえ」に丸をつけたり「はい」に丸をつけたりとそこでは「重症筋無力症」と必ず書かねばならない。
私は都立大塚病院という所に通っていて、一年に一度位は薬の副作用が出ていないか眼科検診を受けていて、診察の時にはそのことを尋ねられた。
「何で普段診てもらう所に行かないんですか」
言い方がちょっと冷たかったが、やっぱりデータが揃っている所で診てもらう方が、いろいろな判断がつきやすいらしい。もしかしたら眼科の所見だけで判断出来る症状かもしれないと思って来たのだが、一応診察では目の奥で出血があるなどの症状は出ていないので、主治医の先生に相談してみて下さいということだった。
「お役に立てなくて悪かったですね・・」
ガッカリしたが、先生のこの言葉はちょっと面白かった。面白いというと失礼かもしれないが、「責任回避症候群」「負けず嫌い症候群」とこっちが病名をつけたくなる先生も居る。先生にしてはめずらしいことを言う人だなと思って好感を持ったのだ。
待ち合い室には数人の患者さんが座っていた。
みんなどこが悪いのか、見た感じではわからないが、不調があるからここに来ている。
今日は病院に行った以外はほとんど横になっていた。
2007年すごろく。
本日、休みのマスに止まる。


投稿日:2007年10月08日

2007年10月08日

10時にホテルをチェックアウトをして福岡空港から羽田に戻る。
空港は広いので、移動をするだけで大変なのだ。
疲れたなーと思いながら歩いていたら、空港ロビーの隅で50代位の男性と40代位の女性が抱き合って強烈なキスをしていた。
なんだかドラマがいろいろある空港みたいなのだ。
とにかく無事帰京。
地上は福岡も東京も天気はよくなかったが、雲の上は今日も晴れていた。
それでも私は空は飛ぶより、見上げる方がいい。
家に着いたらきんもくせいの香りがしていた。出掛ける前はしなかったから、この2日の間に時期が来たのだろう。
いらっしゃい、きんもくせい。
留守の間にやってきたんだね。
いつまで居るの。
どうぞゆっくりしていって下さいな。
いつも晴ればかりじゃなくていい。
地上では今日。
お日様は見えないけれど、秋の香りが漂っていた。


投稿日:2007年10月07日

2007年10月07日

香春町町民ホールにて、西川峰子さんふるさとコンサート。
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このホールは出来てからまだ2年位のホールらしく、会場客席共にとても綺麗だ。会館の外に出るとすぐのところにはもう駅がある。ドラムの波多江くんは電車で今日ここには直接来ることになっていて、ふと外を見たら丁度姿が見えた。
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サウンドチェックが終わるとリハーサルが始まる。「サウンドチェック」とは、すごく乱暴に言えば一つ一つの楽器の音作りや、ちゃんと問題なく鳴るかどうかを確認する行程だ。私の場合はその日使用する音色をそれぞれ「ポロン」「ブー」「ピロン」と出す。ギターやベースも同じように音を出す。一人ずつチェックタイムがあり、客席の真ん中辺りにあるPAブースと呼ばれている基地のような所に座る「PAエンジニア」さんがお医者さんで、楽器の健康診断を受けるようなものだ。
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先生が「よし、みんな健康です」と診断してくれたら、次は全員で合わせて音を出す。リハーサルだ。
今日は開演時間が4時。いつもはリハーサルがだいたいこの4時ぐらいにあるが、今日は開演が早いので3時間程早い進行になる。
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最初の数曲を、バンドリハで音決めをして、そこから峰子さんに入ってもらっての全体リハになった。
メンバースタッフ共に普段もいろいろな現場で仕事をしている人達なので、実にスムーズに物事が進む。リハーサルも時間の余裕を持って終わった。
今日のステージの裏は、峰子さんの楽屋、バンド楽屋、スタッフルームの3つに分かれていて、ライブ前はみんなお弁当を食べたり、いろいろ会話も飛ぶ。趣味の自転車の話、最近はどんな仕事をしているのといった情報交換や、会話の中から共通の知人を発見したりと和んだ空気で、少し学校の休み時間に雰囲気が似ている。私はみんなが話しているのを聞いて「あはは」と笑っているのがリラックス出来るみたいだ。
コンサート、開演。
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峰子さんは歌もそうだが、MCでもお客さんをグイグイ引っ張って行く。じゃじゃうまな一面、女性らしい気配り、かっこよくてそれからやっぱり可愛らしい女性だ。ステージに立つ大先輩だなぁと今日もあらためて尊敬をしたのだ。
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今日は私は少し体調が悪かった。一部が終わって二部が始まるまでの間、久しぶりに”無事に終えられますように”と本番中に体のことで弱気になった。数日前からあまり調子がよくなかったが、本番中に具合いが悪くなるのは今まであまりなかったので、無事に終わってまず自分にホっとしたのだ。
打ち上げは博多に移動をして、長浜の屋台に連れて行ってもらった。
懐かしい場所。屋台は15年程前キャンペーンで連れて来てもらって以来だ。多分その時と同じ店なんじゃないか。
お疲れ様でした。
私はお酒は飲めないが、みんながリラックスして笑っている場所に居ることが楽しい。飲めないこともないが、最近はジョッキの上から5センチ飲んだだけで寝てしまう。寝るだけならいいが、具合いが悪くなって寝る傾向にある。
今日、打ち上がったらまたみんな次のことに追われて日々が過ぎていく。
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でもまた今度。
峰子さんはもちろんメンバーもスタッフも、みんな本当に素晴らしい仕事人で、人もみんなおおらかで温かかった。
やっぱり、人なんだなぁ・・・・。
そんなことを考えながら、別れがちょっぴり寂しくなった博多の夜だった。


投稿日:2007年10月06日

2007年10月06日

西川峰子さんのコンサートで福岡に行った。
退院して初めて飛行機に乗ったのだ。音楽の仕事に戻れたとしても、いわゆるツアー系のことはもう私には出来ないと思っていたが、今年は飛行機に乗って福岡まで行けた。なんだかちょっぴり自己ベストが伸ばせたようなそんな喜びがある。
他のメンバー、スタッフのみなさんはツアーの仕事を抱えている人達ばかり。現在ツアー真っ最中だったり、まもなくツアーに出る予定だったりと、とにかく私以外はみんな日本全国旅慣れている。
福岡空港でギターの末松さんと合流をして、ワゴン車計4台で明日コンサートをする田川郡に向かった。
峰子さんからは「7歳まで電気が来なかったのよ」と伺っていた生まれ故郷。情報を収集したが今ものどかな所らしい。
車で一時間半、高速や山道を走って着いたのが今日のお宿。
コンビニまで7キロ。
本当の山ん中だった。
ここは、バンガローがあったり研修会があったりと、学校の林間学校で泊まりに行くような宿泊施設で、ツアー慣れしたみなさんにとっては、あまり来る機会のないお宿だと思われる。今日は連休の初日ということもあって部屋は満室なのだそうだ。
私は和室でなくベッドを用意して頂いたということで、一人だけ別の部屋になったのだが・・・。
鍵をもらってふと見ると、「休憩室」と書いてあった。
休憩室ってどんな部屋。
小さなテレビと茶ぶ台が置いてあって、普段はここの職員さんが休憩時間にご飯を食べに来るような場所なのかな。
みんなと一緒に客室のある2階に上がったが、休憩室はそこにはなく、西川さんのマネージャーの佐々木さんが「1階だったみたいです」と調べてきてくれたので、彼女の案内で休憩室に行ったのだった。
ガチャ。
「えぇーーーっ」
佐々木さんと二人で同時に叫んでいた。
ここって何十畳あるの。
はっきり言って、勘定が出来ない。
休憩室は学校の体育館の半分ぐらいの大きさの、とてつもなく大きな部屋で、そこにベッドがポツンと一つ置かれていたのだった。
バドミントンのコートなら4面は取れるであろう面積。
今まで「広い部屋」であればあるほど、嬉しくなるものだと思っていたが、「恐ろしく広い部屋」だと心細くなる。こんなことは初めてなのだ。
夕飯時、私の部屋のことが話題になり・・・。
あまりに広くて眠れそうにないことを打ち明けると、今度は逆にメンバーの部屋は8畳に3人が寝るということを知り、それで「是非共、私の部屋で寝ていただけませんか」とお願いをして、休憩室にメンバーの方に一緒に泊まってもらうことになったのだった。
おーい。
4人でシェアしてもなお隣りまで10メートルは離れている。
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ギターの末松さんとは、今日で会うのは2度目。「会って2回目の男性ミュージシャンと同じ部屋で寝た」と、父しげおっちに話せば「帰って来〜い!」と激怒されるだろうが、末松さんとの距離は目と目が合っているかも確認出来ないぐらい遠い距離なのだ。
「合宿みたいで面白い」とベースの植田くんは笑っていた。波多江くんは明日現地に直接来るので、今日のこの状況を知らない。「波多江くんも居たら、多分面白がると思うよ」と植田っちはまた笑った。
本当に合宿のようだった。
キーボードの友成さんは大先輩なので、一緒の部屋に泊まってもらうのはどうかと一瞬恐縮したが、大先輩にも本当に同じ部屋で泊まってもらったのだ。
星がとても綺麗だった。
空気が綺麗なところに来たんだなぁ。
西川さんの那須のご自宅もこんな風に星が綺麗だった。
「私の那須の家と生まれ故郷の両方を知っているのねぇ」
お風呂上がりの峰子さんが、そう話してくれた。
「でも、ここの星は本当はもっとすごいのよ」
”こぼれそう”なジェスチャーをして見せてくれた。
自分の生まれ育った町に対する愛着を感じられる話を聞く時、私も一緒に幸せな気分になる。私も自分の育った町にとても愛着がある。
峰子さんはよく「何にもないところなのよ」と言っていた。それは否定的な気持ちから出る言葉なんじゃない。そうだ、私も実家辺りのことを話す時、「何にもないところ」だとよく言っている。
もっと”こぼれそう”なぐらい、なのかぁ。
空にはたくさんの星がまたたいていた。
私には”もっと”が想像出来ない程、十分こぼれそうな輝く星達だった。


投稿日:2007年10月05日

2007年10月05日

JR某駅近くのバイク置き場を初めて利用した。
なんだ、これは!
最近は自転車とバイクが置ける駅前の駐輪場を利用することが多く、最初に利用した新宿近くのA駅では駅前のすぐのいい所に駐輪場があったが、バイクと自転車が綺麗に並べられていた。B駅前の駐輪場はもっとのどかな感じで、気持ちよく使えるように個々がちゃんと気にしているんだ、すごいなぁと思えたのだ。
そこからそれほど遠くない場所。
駅前のけやき通りはあんなに美しいというのに。
なんで自転車置き場がこんなにヒドいのか。
放置自転車なのか何なのか、ゴミのように投げられていたり、置く場所でない所に無理矢理突っ込んであったり、その突っ込み方が様々なマナーのない状態なのだ。バイク置き場も秩序は乱れていて、原付置き場の所にでっかいバイクが置いてあり、とにかく停めるのに難儀した。そして停められてホッとしたものの、今度はこんな所に置いていって大丈夫なんだろうかと不安になってきたのだ。
買ったばかりの頃、これらはきっと持ち主達に大事にされていただろうに・・・・。今ではご主人様に毎日乗り捨てられているのか。
可哀想に。
某駅の駐輪場は自転車ゴミ置き場。
仕方ないが、目をつぶってその場を離れる。だって触ったら触ったで、今度は私が窃盗の現行犯として悪人になる。
「あった、あった」
帰ってきてチョイノリが駐輪場に無事にあるのを見つけた。
3時間程、麹町に行って帰って来ただけなのに、チョモランマからはるばる帰って来たかぐらいの再会の喜びが沸く。
「ただいま」
「元気にしていたかい」
「とにかく、無事でよかった」
駐輪場で一人チョイノリを眺めながら「奇跡」や「幸せ」を感じるというへんてこな日であった。


投稿日:2007年10月04日

2007年10月04日

外来で病院に行った帰りにバス停で彼岸花を見つけた。
去年もここに咲いていたなぁ。
彼岸花はこの辺りでは9月に咲く花。
今は10月。
10月って知ってる?
人間と花のカレンダーは少し違うようだ。
今日は10月4日。
カレンダーを見ないと、
日にちを失うのが人間なんだな。
花のカレンダーは素晴らしい。
体で月日を知っている。
体で1年を覚えている。
毎日に追われることは、人間同士では「暇だ」と言うより上等なことのように扱われる。
が、生き物として考えれば小さい話だ。
何本もの彼岸花が同じ頃に一斉に咲く。
「今は10月って言うんだって」
夕方の風に揺られてゆらゆらと。
仲間同士が伝え合う。
赤い花達がゆらゆら揺れて
おしゃべりをしていた。


投稿日:2007年10月03日

2007年10月03日

レコーディングは小泉さんの「春」に続いて、small color色の「ロンドンデリーの歌」が仕上がっていずれもとてもいい作品になった。2曲共それぞれ、私がお願いしたかったことを、見事に音にかえてもらったのだ。
今月はまた新しい曲のレコーディングだ。8月にヨーロッパツアーに出掛けたトランペットの辰己くんが帰ってきたので、早速連絡をする。ヨーロッパはネット環境のいい所と悪い所があり、ローマ字で返信が届いたりする時もあった。
次の曲は「グリーンスリーブス」。
明るいのか暗いのか、コードの進行が微妙な曲で、私は”甘辛おかき”風の曲という解釈をしていて以前は好きな曲ではなかったが、何故かここ数年でこの”甘辛おかき”が微妙に好きな存在になったのだ。
グリーンスリーブスはみんなで「せーの」で音を出して録る方法でトランペット、トロンボーン、ドラム、ベース、ギター、パーカッション、エレピの7人編成バンドで一曲録る予定で、まずデモを作って聴いてもらってトランペットの響きがいいキーに直し、ここから構成を作って行くのだ。
5日の内に私がまたデモを作って送る。
10日に打ち合わせ。
その後、トランペットとトロンボーンのアレンジ譜面を書いてもらい、打ち合わせをしながら22日に録音をする流れになっている。
8月の時点で7人の10月のスケジュールが合う日は22日のたった1日しかなかった。幅広いジャンルのとてもいいミュージシャンが参加をしてくれるので、今から楽しみなのだ。
辰己くんは、時差ボケに負けず今日も飲んでいた。
多分、日本のお酒が恋しかったのだ。


投稿日:2007年10月02日

2007年10月02日

ラジオの収録で渋谷に行った。
井の頭線の改札を出て、乗りかえで移動をする時によく前を通るブティックがある。スタジオに行く時もここを通るので、渋谷で電車を降りれば私は80パーセントの割合でこの店の前を通っているのだ。
ここはなんとなく入りやすい店なので、たまに立ち寄っている。「あぁ、もう秋物の季節なのね」などと季節を私に教えてくれる場所でもあり、「最近の流行」を教えてくれる先生でもある。ここんところはもうずっと「かっぽう着」みたいなトップスが主流みたいで、どれを見てもおんなじラインなのだ。買えば即流行の服を着ている人の仲間入りになるしくみになっている。
しかし、トップスとかボトムとか、パンツとかレギンスだとか。
本当にややこしい。
私としては、トップスという言い方より「上に着るやつ」の方が自然で、ボトムは「下に履くやつ」、パンツは「ズボン」、レギンスは「スパッツ」と口にするほうがストレスがないのである。
なんとなく、かっぽう着を見ていたら男性の店員さんに話し掛けられた。
「下にパンツなんかを合わせても可愛いと思いますよ」
優しい笑顔だが、「パンツ」の単語に昭和生まれの私はちょっと違和感を感じてしまう。
<パンツ、パンツって>
<あなた・・・>
<場合によっては、それはパンティとも言えますのよ>
「パンツ」に反応をしてやや動揺する大和撫子魂が、私にだってある。
今日も見るだけで出てきたが、そのうちかっぽう着の一枚ぐらいは買うことになるのだろう。
その昔、かっぽう着は料理が上手な人のアイテムであった。
今は爪をのばした状態と、睫毛がムカデの足ぐらい太くワサワサしているのとセットで着用する服となった。