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投稿日:2007年12月20日

2007年12月20日

裾上げに出していたロングコートが、今日仕上がって返ってきた。
私の身長は155センチ。
これでも自分ではそんなに背が低いとは思っていない。
しかし。
日本の女性は平均寿命が延びるのと共に、背も伸びた。平均身長が高くなったおかげで、洋服のサイズもちょっと長くなってきているように思うのだ。いつぐらいか前までは丈直しはジーンズ位で、他は「お直し」に出すということはあまりなかったのに・・・・。今では私の履いているものの足首まであるものは、かなりの確率で裾上げが必要となったのだった。
丈直しに出していたコートは、12センチ裾を上げてもらった。着てみたら丈は上がったが、やはりコートのラインは裾を切らなかった時の方が断然いい。
かつて、私にもギリギリ平均身長にブラ下がっていた時代があったのに、そのボーダーから落ちてしまった。
私も仲間に入れろ。
裾上げ、反対。面倒臭い。
実際にこの間、もうこれは部屋でしか着ないだろうというワンピースを、「もういっか」と、はさみでジョキジョキ切ってよしとしたところなのだ。で、この時も10数センチちょっと切ったのだ。
悲しいかな、私の体は「ロング」について行けなくなった。
先日買ったロングブーツも、膝下部分が若干自分の足の長さが足りない。
ブーツのサイズ直しはさすがに無理。
服にも靴にも私はこう囁かれるようになった。
チンチクリン。
今私はロングブーツを履いて直角に膝を曲げて座ると、ブーツの履き口が太腿裏に刺さるという屈辱に耐えているのである。


投稿日:2007年12月19日

2007年12月19日

一般の家庭でも、かなり凝ったクリスマスイルミネーションの飾りをする家が増えた。おかげでこの数年、この時期になると、新しいレストランや雑貨屋さんが出来たのかと吸い寄せられて行く、真冬の蛾となっているのだ。
近くまで行って、「あら、違ったのね」とガッカリする。こういうことを何度もやっているので、本当に私は「雑貨」や「ケーキ」や「レストラン」っぽいものに目がないのだろう。
先日テレビでは、一年前からイルミネーションの構想を練り始めるというある一家の特集をやっていた。製作もいよいよ大詰めとなると、旦那さんは会社を休んで、イルミネーションの仕上げをするのだそうで、電飾よりも燃えている一家だった。
いざ点灯。
その家はディズニーランドのパレード程チカチカピカピカと光って、一般家庭とは思えない外観となり、近所の人達がたくさんイルミネーションを観に集まって来ていたのだ。
もしも。
私がクリスマスイルミネーション、チカチカの家の住人だったなら。
その時期だけ、お店屋さんを開きたい。
一部屋を、お客さんに入ってもらえるスペースにして、そこで自分の好きな雑貨や好きで作った雑貨を置いて、ケーキやちょっとした料理を出す期間限定のお店をやりたいのだ。
私みたいに、イルミネーションに吸い寄せられるタイプの人間はきっと他にも居るだろう。もしそこが期間限定のカフェだったら、私なら入ってみたい。
”ハンドメイド””雑貨””美味しいパン””ケーキ””ガーデニング”
これらのキーワードに反応するグループは、秋葉原系のグループ人口より多いように思うのだ。
イルミネーションをやっている家は、お店も開いて欲しい。
誰かやらないかな。
今私の居る家は袋小路で、”通りがかる”のは猫だけ。
クリスマスイルミネーションと、期間限定カフェは私のいつかやってみたい小さな夢なのだ。


投稿日:2007年12月18日

2007年12月18日

めまい外来の日。
今日も病院は混んでいる。前回来た時は予約診療だったのが手違いで忘れられてしまい、結局4時間待ちになったのだ。
病院の待ち合い室では、みんな気の長い人になり・・・
むやみに悪態もつかない。イライラしない、あせらない。そうした方が体力温存が出来るからだ。私も携帯の電源も切り、ひたすらそこにジッと座って待つ。これはプチ修行僧体験ツアーだと思うのがいいのだ。
4階に上がり、耳鼻咽喉科に行く。
今日も修行僧が10名程、既におられた。
おばあちゃん僧にスーツ僧、茶髪ギャル僧に混じり、私も座る。スーツ僧はまだここにはあまり来たことがないのか、禁断の携帯を取り出したりして精神統一が出来ていないようである。
おばあちゃん僧を見習いなさい。
もう幽体離脱を始めておられます。
長く修行を積んでおられると、こうなれます。
よっこらしょっと。
今日はどれぐらいの時間、待つのかな。
と、思っていたら今日は座って5分で名前を呼ばれた。
<え!もうですか。>
<いいんですか>
めずらしい。
こんなにすぐに呼ばれるなんて、思ってもいなかった。
欽ちゃん走りでスタスタスタ。
なんだか知らないが、私は徳を積んだとして本日は修行に本格的に入る前によしとされた。
でっかい大学病院で、受付けをしてから診察を受けて会計を終えるまでの時間が30分で済んだだなんて、これが初めてだった。
<嘘みたい!>
<夢みたい!>
これは、普段いかに病院での待ち時間が長いのかということなのだが・・・。
まぁ、何にせよ幸せを感じられるのはいいことだ。
今日はプチ修行僧体験ツアーで、福引きで一等賞に当たるより、ラッキーな気分になったのであった。


投稿日:2007年12月17日

2007年12月17日

近くのお肉屋さんで、コロッケを揚げてもらったら今日は福引き補助券を貰った。
基本的に私は「あてもん」が好きなのだ。賞品がもらえるかもしれないとなると、急に「よっしゃー!」と燃えて来るのであった。
福引き、大好き。
でも当たりを出したことがない。
野心家は夢破れ続けている。
いつだったか、”特等賞や一等賞の玉は福引き期間内の最初の頃には混ぜていない。””中盤以降になって、豪華な賞品の当たり玉は混ぜられる”と聞いたことがある。ふむ。だからあの玉が入っている「ガラガラ」は木で出来ていて、中が見えないようにしてあるのかもしれない。
しかし、福引き期間内に特等賞や一等賞が出ない回というのはないのだろうか。だって、ガラガラの中に入っている玉の数は福引きをしに来る人間より多いはずだ。ということは、福引きにやって来た全員がハズレを出すということだって、有り得るのではないか。
福引き会場に行けば、特等や一等の当たった人の名前が張り出してあるという印象がある。
いつの間に。
本当に、当たった人っているの?
こういう「あてもん」の時、
Aさん/どうせ当たらないだろうと、期待していない。
Bさん/1等や特等は無理だろうけれど、お米券ぐらいなら当たるかもしれないわとワクワクする。
Cさん/自分が1等や特等を当てるのではないかという予感がしてならない。
私はCさんである。
何とおめでたい。根拠のない自信に満ちあふれ、性格的にややネガティブな自分が、「あてもん」を前にした時だけは、超ポジティブに物事を考えられるのであった。
補助券には豪華景品が当たると書いてある。
何が当たるのかしら。
やっぱり旅行がいいわ。
だからもっとコロッケをいっぱい買わなくっちゃ。
私には「アタック25」で優勝出来るような頭脳はない。
福引き券を集めて、勝ちに行くしかないのである。


投稿日:2007年12月16日

2007年12月16日

私が子供の頃、毎週日曜日の朝は「パルナス」のCMがテレビで流れていた。
「パルナス」は、今はもうなくなってしまったが、関西でチェーン展開をしていた洋菓子店で、私の家から一番近かった店は阪急高槻駅のバス通りを南に行った所にあった。
子供向けのアニメ番組の間に挟まるのだから、もっと元気が出る宣伝をすればよかったのに、「パルナス」の宣伝は影絵をバックに「ドナドナ」と同じぐらい暗いテーマ曲が流れるというもので、「美味しそう!」「ママ、買って!」というより、不気味な影絵と裏寂しく凍えそうな曲に、怖いイメージさえ与えたCMだったのだ。
マイナーな曲調で「おとぎ〜の〜く〜に〜の〜ローシア〜の〜」「パルナス、パルナス、モスクワーの味〜」と、歌われたことによって「ロシア」「モスクワ」は、人々が笑わない、年中寒いところなのだと悲しくなり、CMを見たことによって、多分私は「パルナス」のケーキを食べたくなくなったのだ。
店の前を通ると、「ここがパルナスだ」と目をやるのだが、<ロシアとモスクワは暗く寂しい→きっとケーキもカチカチで美味しくない>と思ったものだ。店の人も暗くて怖いかもしれない。暗い国のお菓子は砂糖なんて沢山使えないのではないか。子供の想像力というのは、いい意味でも悪い意味でもものすごく膨らむのである。
影絵と暗い曲の影響で、私はパルナスのケーキをついに一度も口にすることはなかった。
関西で育った私と同世代の大人の多くは、日曜日の午前中に流れていたあの裏寂しいCM曲を歌える。そうして、「あそこのケーキ、美味しかったな〜」という話にはならず「あのCM、怖かったわー」となる。
パルナス、パルナス、モスクワーの味〜♪
で、モスクワの味ってどんな味だったの。
もう今はなき「パルナス」。
だが、子供達に多大な影響を与えた「パルナス」だったのだ。


投稿日:2007年12月15日

2007年12月15日

使い切ったトイレットペーパーの芯を何気なく見ると、「毎度ありがとうございます」という印刷がしてあった。
いえ、そんな。
こちらこそ、ご丁寧にありがとうございます。
でも今までトイレットペーパーの芯に、こんなことって書いてあったっけ。
ううむ・・と、トイレで「考える人」のポーズになる。
このトイレットペーパーは、確かヘルパーさんにお願いをして買ってきてもらったものだ。どこのトイレットペーパーだったかと考えてはみたものの、この使い切ったのが最後の一つで、「毎度ありがとうございます」と書かれた芯だけが、唯一残された品となったのだった。
ドラッグストアに行っても、芯が出て来るまで紙を剥かないと確認が出来ないので、もう見つけられない。
12ロールあったのに、11ロールまで全然気がつかなかった。
ごめんなさいね。
せっかく、お気遣い頂いたのに・・・。
さようなら。
芯さん・・・。
結論。
使い切ったトイレットペーパーは、紙がおしまいになったのを見届けたらそれ以上見つめない存在なのである。


投稿日:2007年12月14日

2007年12月14日

バス通りに建つ、売り出し中の2軒の家の前を久しぶりに通った。
ある日新しい家が建ったなと思って、それ以降前を通るたびになんとなく気にしていた家だったのだ。1軒は割と早い時期に売約済みとなって、家って売れるんだなぁと思っていたらその後しばらくして売約済みだったのが、また売り出し中の物件になっていた。
夏にはプランターの花が置かれていた。花が置かれていたのはよかったが、秋になると突然、運動会の時にしか見ないような世界の国旗が家にかけられていた。社員さんが毎日のようにガレージの所に座っていたが、家ってやっぱり大きな買い物だなぁと思ってみたりと、前を通るたびに、その家のことについて何かしら考えるようになっていたのだった。
あの家は・・・。
まだ売れていない様子。
国旗は外され、今日は誰も座っていなかった。
しかし・・・・。
こんなに前を通っていて、何故数ヶ月気づかなかったのだろう。
家が売れない理由は恐らくこれだったのだ。
新築の2軒の道路を挟んだ斜め向かいには、高圧線鉄塔が建っていたのだった。そして2軒の上にはほんのちょっとズレてはいるものの、高圧線が通っているではないか。
私はこの鉄塔、もう見慣れすぎて見えていなかった。
以前、高圧線の鉄塔のそばで長く生活をしていると、脳腫瘍になる率が高くなるというデータをテレビでやっていた。体に何かしら影響を及ぼすかもしれないということは、やはり大きな不安要素となるのだ。
わけあり物件ってことになるのか・・・・。
前の家の近所にも、違法建築ということで誰も住んでいない数軒の家が新築のままずっとあった。
大きい家、小さな家、古い家、素敵な家。
人が住んでいるのだと思えば、どの家もあまり気にせず私は流して見ているのに、人が住んでいない家の前を通る時には足を止めて見上げていることがある。
人が住まない家の辺りは、温度が低く感じる。
今日も「ただいま」と部屋に入れば、ダンボが布団から顔を出してこっちを見ていた。ヒーターをつけた瞬間、まだあたたまらないこの部屋が、妙にあたたかく感じたのだった。


投稿日:2007年12月13日

2007年12月13日

今年も忘年会シーズンとなった。
居酒屋さんでは、「下駄箱をご利用下さい」と入り口で履物を入れて奥に行く店が多いみたいだが、去年だったか一昨年だったかの冬に、Tちゃんは下駄箱に入らなかったブーツを上の棚に置いておいたら、店を出る時にそのブーツが消えていたという目に遭ったことがあるのだそうだ。
結局、そのブーツは見つからず、可哀想にTちゃんは店のつっかけを借りて、寒空の下新宿からコートにつっかけ姿で家まで帰る羽目になったらしい。
ブーツがなくなっていただけでショックなのに、足元だけがつっかけというコーディネイトで、言い訳も出来ない状態で街の中を歩くのは、女性として相当恥ずかしいことなのだ。
一体、誰が、何故。
女の私は想像する。
可愛いブーツだったので、「もらっちゃおー」と酔っ払った女の子が盗っていった。のだと・・・。
しかし、その話を一緒に聞いていた男性の意見は違っていた。
「盗ったのは男に間違いない」
そんな、あなた、馬鹿な。あはは。
一体、何故、男性が・・・?
すると自信たっぷりの表情で、「盗って家に帰って匂いを嗅いでいると思うよ、オレは男だからわかるね」という返事で、本当に驚いたのだ。
ほ、ほんとなのデスカ。
「間違いないね」
うげげ・・・。
結局、誰が盗ったのかわからないまま、Tちゃんの元にはその後もブーツは帰っては来なかった。
ど〜こ〜のだ〜れだ〜か、
し〜らな〜い〜け〜れ〜ど〜。
ブーツってね。
それなりに、いいお値段がするんですよ。
忘年会シーズン、到来。
飲みすぎの心配だけでなく、女性はブーツの心配もしなくちゃいけないのである。


投稿日:2007年12月12日

2007年12月12日

12月12日、今日は「漢字の日」。
今年も「今年の世相を表す漢字」が、清水寺で発表された。
今年は「偽」。この一文字で、あぁあれかと思い出すことがいくつかあるが、消費期限や食品表示の偽装は表沙汰になっていないだけで、知ればギョっとするようなことがまだまだありそうな気がするのだ。
「え!あそこの@@が・・・」
「あの店の@@も・・・?」
となって、もうとうの昔にウンコとなって海に帰って行った過去までほじくり返すこととなる。それで、今現在は腐ったものを食べたわけでもないのに、その記憶によって急に吐き気をもよおす羽目になるのだ。
もう、知らなくていい。個人的には真実から自分も目をそむけたいところなのである。
子供の頃、スーパーに連れて行かれて「牛乳は消費期限をよく見て!」「一番奥の!」「新しいヤツを!」「そう、それ!」と、繰り返し奥の方の牛乳を取る訓練を受けた私だったのだ。厳格な教育を受けたのに、あれらは全て無駄になった。
しかし、この「偽」という漢字。にんべんに為と書くのなら、人の為になる、プラスになるようないい意味に何故使われなかったのだろうか。
数年前、お気に入りのおかきの消費期限シールが二重に貼ってあって、何気なく上のシールをめくったら、それより前の日付の消費期限シールが貼ってあるのを発見したことがあったっけ。
京都の河原町三条角にあった和菓子屋だった。
今も店はあるんだろうか。
二重にシールが貼ってあれば、要注意。
その品は古い商品なのだ。


投稿日:2007年12月11日

2007年12月11日

うー。
1階の私の部屋は冬の期間、日当たりがあまりよくない。
今日みたいにいいお天気の日でも、3時半を過ぎると電気をつけないと部屋が暗いのだ。2階の部屋はと言えば、これが一日中日が差していて、恐らく日が暮れるまで部屋の中が明るいと思われる。同じ建物でも階によってこんなに違うのか・・・。
3時半だなんて、食べるのが遅い幼稚園児が、まだ3時のオヤツを食べている時間じゃないか。小学生は学校が終わって下校中、この時間に寝ていれば「昼寝」という括りになり、「夕方」と呼ぶにはちょっと早い、それが3時台なのである。
ところが近所にはもっと日当たりが悪い部屋があるのだ。ここは割とお洒落な単身者用マンションなのだが、地形の関係上なのか片側が2階建ての造りになっていて、反対側の道沿いは半地下の階を含む3階建てになっている。
この半地下の部屋が、前を通る度に見下ろす形で部屋があり気の毒な位日が差さないのだ。
どんな人が住んでいるのか。
見たことはない。
一時期、上の階の部屋が空室となっていて、もしかしたら上に引っ越すかなと考えたこともあったが、それはなかった。
半地下ってどんな生活なんだろう。
日当たりって気分的なものに影響を与えたりしないのかな。
慣れるものなのかな。
キノコが生えたりするのかな。
夏が終わって蝉が居なくなるのと時期を同じくして、仮面のようなサンバイザーを被り、UVカット手袋をつけて出掛ける自転車女性達も消えた。
ひょっとして、そういう女性が半地下に住んでいるのかな。
だって、あんなにおひさまが嫌いなんだから。
いいや、それはない。
彼女達こそ、いざ住むとなると日照にとことんこだわり、「絶対に日当たりのいい家じゃなくちゃだめ」と言っているのである。