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投稿日:2008年01月11日

2008年01月11日

今朝、起きてしばらくして鏡を見ると左の白目が結膜下出血で真っ赤になっていた。
結膜下出血は数年前に初めてなったが、白目が充血するどころではなく、完全に血でベッタリ染まる状態なので、最初に鏡を見た時には、自分の目がとんでもないことになってしまったのではないかと不安でいっぱいになったのだ。
だがこの結膜下出血、見た目は重症そうだが誰でもなるそうで、あまり心配をしなくてもいいらしい。治療薬も特には使わず、自然にそのまま過ごして出血した部分が吸収されるのを待つのが一般的な対処方法となっている。ただ、今年になって数回私はこの結膜下出血をやっていて、ちょっと頻回だなぁということと、今回は出血量が多く白い目全体が真っ赤になってしまったので、病院に行くことにしたのだった。
それにしても普段白い所が赤い色に変わると、こんなに違和感があるのか。眼科の待合室でも目を引くようで、「今の人の目、変」といった感じで、目が合ったあとにもう一度確認で見られるという行為が何度もあったので、最初はちょっと哀しかったのだ。
もうあんまり見ないでくださいな。
自分の心が女性寄りにあると、ちょっとうつむき加減になるのだが、自分の心を妖怪寄りにやると「見〜た〜な〜」と開き直り気味になるので、心の持ちようというのはいかに大事かがわかる。
別にみなさんには移りませんので。
診察では、程度がちょっとひどいとは言われたが、眼科と神経内科の両方で診てもらって、網膜や血液検査でも異状はなさそうということだったので、安心したのだ。
自分の体に対して無意識に過ごせる時間を、たくさん増やしたいなというのが今年の願いだ。
病院を出る時に、お腹が空いたなと思えるのは幸せ。
そうして一日でも多く、自分を空気のような存在に感じて過ごしたいなと思う。


投稿日:2008年01月10日

2008年01月10日

ポストの中を見ると、文通友達のKさんに出した手紙が受取人不明で戻ってきていた。
Kさんは90歳という高齢なので、お元気なのだが東京都下の完全看護の病院に入院されている。
転院されたのか、ご自宅に戻られたのか。でもつい先日この住所の病院からKさんからもらったばかりだったのだ。
どうして戻ってきたのかな。
何気なく手紙を裏返してみると・・・
封筒の裏側に「成田国際空港支店」とハンコが押されてある。そしてその横には中国語で何か書いてあるシールが貼ってあった。シールには中国の地名らしき箇所に赤いペンでチェックが入れられていて、それでこの手紙が中国に渡って受取人が見つからずに戻ってきたことがわかったのだった。
中国。
中国に行って戻ってきたの?
信じられない。この住所宛てにはもう何度も手紙を送っている。7桁の郵便番号も書いていて、いつも通りに出した手紙だったのだ。こんな住所が中国にあるのかなと思ったが、それなら「大門」という箇所が中国風に見えたのだろう。それにしても、手にした郵便局員さんの誰にも気付かれずに戻されるとは・・・。
長旅で少し薄汚れてしまったバンビのイラストの封筒を手にして、「お前は中国に行ってきたのかい」と心の中で話し掛けた。
「よく帰ってきたね」
それでもまた自分の手元に帰ってきてくれたことは嬉しかった。
いつ送った手紙だったろう。クリスマスが終わって出したものかその前のだったか。何を書いたのか、他愛のない内容だったとは思うが、それももうハッキリと思い出せない。
口をしっかりと閉じて、私にも中の秘密を教えない手紙。もうきっと内容も古くなってしまっただろうから、捨ててしまおうかと思ったが、ノリでピッチリひっついて少しよれた封筒を眺めていたら、手紙の行方を自分が決めてはいけない気がした。
「内容が古くなっていると思うんですけれど、このまま同封しますね」
結局、いきさつを書いて、戻ってきた手紙を入れてKさん宛てに新しく手紙を出すことにしたのだった。
中国のどこを探してもKさんは居なかった。
私の書いたこの手紙を読んで、その内容が理解できるKさんは世界中を探してもやっぱり他には居なくて、それがなんてことのない手紙だったとしても、この迷子の手紙は、手紙というものが、唯一の人間と唯一の人間をつなぐ存在なのだということを考えさせてくれた。
ポストの前まで行って、投函する時、
<今度はなるべく早く届いてちょうだいね。>
今日は神社でお詣りをしているような気持ちになった。
<タイムカプセルみたいだなぁ。>
先月のことだったのに。
遠い日のように思えてくる。
2007年の私がポストの奥でコトンと音を立てた。


投稿日:2008年01月09日

2008年01月09日

千葉県のあるお寺で、山門内にある一対の仁王像の中から、江戸時代後期の庶民が書いたとみられる願掛けのお札が大量に見つかったのだそうだ。
きっかけとなったのは、老朽化の為に仁王像の修復作業を頼んだことで、その数は約7000枚。2005年から現在までの間に二体の仁王像の胴体部分から、次々とお札が出てきたのだそうだ。
実家近くにもお寺があった。小学校の帰りにそのお寺を通って帰ることもよくあったので、仁王像は怖い顔だなぁと思いながら山門をくぐったものだ。例えば、あの胴体の中に昔の人々が書いたお札が入っているだなんて、私は想像をしたこともなかった。
しかし千葉県のこのお寺の仁王さんは7000ものお札を、どこからどうやって胴体の中に入れることが出来たんだろう。ポストのように投函する場所があったんだろうか。そもそも仁王さんの中にお札が入っているということが、一般的なことなのかめずらしいことなのかがわからないのだ。
仁王像の中に入っていたお札は、病気回復や家内安全への願いがほとんどで、和紙に江戸後期の「享和」「天保」などの年号が記されてあったのだそうだ。江戸時代の人もお願いごとは今と何も変わらないことだったのだなぁと思ったのだった。
願掛けをした7000の人達はもうこの世にはいない。
7000もの願掛けを体にずっと持っていて、さぞかし仁王さんも苦しかっただろう。
仁王様、ごくろうさまでした。
「昭和」に「平成」なんて、江戸時代の人には通じない言葉なんだろうなぁ。
「チョー、キモい」
とかも通じないんだろうな。
「クラブゥ〜」って・・・何だそれ。
かく言う私も、変なチリチリ頭をしている。
「なんじゃ、こやつらは」
と、江戸人には驚かれるだろう。
ところで仁王様。時代劇に出て来る「手紙類」は全て達筆なのですが、江戸時代にもものすごく下手な字の人が居たと思うのです。
「コレ、何て書いてあるのか読めねー」
ということだってあったんではないでしょうか。
人ってそんなに数百年で人格が大幅に変わると思わないので、私はその時代その時代の「なんじゃ、こやつらは人口」の絶対数は変わっていないと思っている。
江戸時代も現代も、人々の願い変わらず。
みんないつの時代も、幸せになりたいのだ。


投稿日:2008年01月08日

2008年01月08日

「やぁ、久しぶり。」
「俺だよ。」
<まぁ、いやだ。ジョージ?>
「アケマシテ、オメデトウ。」
<あなたってば、いつも急にTSUTAYAに現れるのね。>
<オーシャン13?>
<また?>
<凝りずに?>
オーシャン12はとてもつまらなかった。”この人、真面目に映画の仕事をやるつもりなのかしら”と、あれでジョージクルーニーのことが、ちょっと好きじゃなくなったぐらいなのだ。
「前回はすまなかった。」
「反省してるよ。」
「もう、キミをガッカリさせるようなことはしないさ。」
<あなたのことは、もう信じないわ。>
「今度は、違う。」
「きっと、キミを驚かせる。」
「生まれ変わった俺を見てくれ。」
「愛してるよ。」
結局、ジョージに推されて私はオーシャン13を借りて帰ることとなった。
惚れた男にはつい甘くなってしまうのだ。
今回は家に2泊、滞在予定のジョージ。お友達のブラッドピットも一緒についてきた。
ダンボは口のかたい親友。
いいかい、誰にもしゃべっちゃいけないよ。
今年は何人の映画スターが家に来るのかしらね。
成田までは来れるが、みんなその後どうしていいかわからないらしい。
京都観光とか。
いろいろあるのにね。
私のお迎えを、いつもこうしてスター達はTSUTAYAでジっと待っているのである。


投稿日:2008年01月07日

2008年01月07日

今日は「爪切りの日」。
新年になって初めて爪を切る日。七草を浸した水に爪をつけて、爪を柔らかくしてから切ると、その年は風邪をひかずに済むのだそうだ。
そう言えば、ちょうど今チワワのダンボは「爪切り」を頑張っているところなのだ。
ダンボちゃんは動物病院に行って爪を切られる度に、うんちをちびってきた。過去100%の割合でちびる上に獣医さん達に撒き散らしたらしく、おむつをされて処置室から帰ってきたこともあった。
爪切りは、どの病院でも私から離されて奥に連れて行かれ、私の見えない所で爪は切られているので、どうやってダンボが爪を切られているかがわからない。
ちびるほど怖いことになっているの?
何にせよ、私が見れないというのが自分でも不安なのだ。だからここは一つ、家でダンボと私が爪切りタイムを持てるようになれば、病院で爪を切ることもなくなる。ダンボにとって、ストレスを抱える項目を一つ減らせるのではないかと考えて、ダンボと私で今年は「明るく楽しい爪切り」を目標にすることにしたのだった。
爪を一本切ったらおやつをあげる。
ダンボは「お風呂」という単語にはベッドの下に潜って出て来ないが、「爪切り」の場合は頑張る姿勢を見せるようになった。
「頑張ろう」と声を掛けると自ら私の所に近付いてきて、自分でも「爪を頑張って切る」つもりになって手を差し出す。
しかし・・・・爪切りを近付けると
「あ!待った」
「やっぱりやめとく!」
と、手をひっこめる。
「やっぱり、頑張ります」
と、また手を差し出したかと思えば
「いや!」
と、思い切り蹴ってくる。
どっちなんですか、一体。
あまりに切らせてもらえないので、今日は無理かなと思い、「もう、今日はやめようか」と、爪切りを片付けに行くと、今度は追い掛けてきて「ごめんなさい、嘘です」「もう一回頑張る!」とヤル気を見せるので、また一から・・・という風に、これを数回繰り返して一日1〜2本、爪を切るという大袈裟な爪切り大会をやっているのだった。
ダンボはこの2月で5歳になる。
「今は出来ないけれど、頑張って出来るようになりたい」という高度なことを言い出したのは、この5年の中で初めてのことなのだ。
私がコーチを務めよう。
オリンピックイヤーだしね。
二人で金メダルを。
エイ、エイ、オー。
2008年、今年のダンボの抱負は、「爪切りへの恐怖心を乗り越える」なのである。


投稿日:2008年01月06日

2008年01月06日

「試飲、いかがですか〜」
スーパーの牛乳売り場で、牛乳の試飲をやっていた。
私は試食や試飲コーナーが苦手なのだ。それまで何の悩みもなくボーっと歩いていたのが、見ず知らずの人に突然呼び止められ、「いかがですか」と微笑まれてお品を渡されるのである。
「えっ」
そして”それ”をうっかり受け取って口にしてしまったが最後。私は一市民ではなく、今ここで買うか買わないかをその場でハッキリさせなくちゃいけないキーマンその1となるのだ。
試食コーナーでの買い物は、純粋に「ものすごく美味しかったから買う」ことはなかったのではないか。この人のバイトの立場として売り上げって関係あるのかしらなどと余計な心配までしたりしていた。
タダより重いものはない。
これが試食に対する私の感想なのだ。
今日試飲をやっていたのは、M社の某牛乳。CMでも見るもので、私もたまに買っている製品だ。認知度も高いのでわざわざ試飲なんてしなくてもよさそうなのだが、今日はキャンペーンなんだろう。
「いかがですか〜」
今日は牛乳がないので、私は買い物に来たようなものなのだ。だから牛乳売り場を素通りするわけにはいかず、どこかしらの銘柄のものを買わねばならない。
「特売でお安くなっていまーす」
せっかくキャンペーンをやっているのだし・・・と思って手を出そうとしたら、そのM社の牛乳は特売になっているにもかかわらず、隣りに並んでいる特濃4、4牛乳よりも60円も高い値段になっていたのであった。
60円。
牛乳の60円の違いは大きい。2980円と3980円の違いよりもシビアになるというようなところがあるのだ。
「どうぞ〜」
にこっ。
お姉さんよ、こっちを見るな。
うーむ。
うーむ。
さんざん牛乳売り場の前をハイエナのようにウロウロし、お姉さんがあっちを向いているスキに、急いで掴んで帰って来たのは、安い方の牛乳であった。
試食コーナーの近くはどうも緊張する。
冷凍イカよりもカチンコチンに凍っている自分を感じるのである。


投稿日:2008年01月05日

2008年01月05日

お正月が終わって。
もうちょっと。
あとちょっとの辛抱だから。
と、
どの家庭も我慢の時だったのだ。
お隣のご婦人もきっとそう。
お向いのおばさんだって。
私も今日まで頑張った。
やっと、ですね。
今日はこの地区の、待ちに待った今年最初の可燃ゴミ収集の日。
年末年始のお休み、長く感じました。
姫達はあなたを待っておりました。
「ヒダリニー、マガリマース」
王子はしゃべる馬車に乗ってやって来る。
毎年そうなのだが、大掃除が終わってやっと落ち着いたなぁとホっとするのは、私の場合年明け最初のゴミを出し終わった時なのである。


投稿日:2008年01月04日

2008年01月04日

夜、山口晶くんと夕飯を食べに出た。
今日のテーマは「美味しいものを食べよう」。
駅前をブラブラして、美味しそうな店を見つけたら中に入ろうという自由な枠での店探しをすることにしたのだった。
イタリアンでも和食でも中華でもインドカリーでも、ちょびっと高級な店でも今日はどんと来い!
美味しいもの、万歳!
美味しいものってどんなもの。
多分、誰もが心の中に「すごく美味しい店」を持っている。だがその数はミシュランガイドに載っている店の数よりも少ないのではないだろうか。私も今まで外食は数えきれないほどしてきたが、「すごく美味しい洋食店」については”四谷のエリーゼ”しか名前が出て来ない。決して舌が肥えているわけでもないのに、数だけを挙げればシビアな食の評論家になってしまう。自分の中の「美味しい店」が、とっても少ないのだ。
では晶くんは、どれぐらい「美味しい店」を自分の中に持っているのだろう。
あぁ・・・・。
たこ焼きなら毎日でも食べたいと言っていた。晶くんから食の話は「昨日、たこ焼きをやったんですよ」「この間、たこ焼きパーティをして」「今度たこ焼きパーティをしましょう」と、「たこ焼き」しか聞いたことがなかった。
そしてマカロニサラダなら毎日でも食べたい私である。
エイ!ヤー!
しばらく下調べをした後で、「韓国家庭料理&焼肉の店」に入ったが、美味しい店なのかどうなのかが最後までわからなかった。頼んだメニューの味に差がある店で、今まで食べた中で一番不味い牛タンと、すごく美味しいニンニクチャーハンを出す店だった。
「これって、美味しいの?」
「う・・・・ん、多分」
そんな場面もありつつ・・・・。
あまり美味しくなかった時には、一緒に行った人とは正直に感想が言える食事がいいなと思う。
本日のテーマ、「美味しいものを食べる」。
この牛タン、噛みきれないよとコソコソ会話をした「美味しい食事」になったのだった。


投稿日:2008年01月03日

2008年01月03日

家の南側と東側の塀は、この辺りを縄張りにしている数匹の猫の通り道のようで、日中度々猫が通って行くのを見掛ける。
猫達が通っても、7割気づかずノン気に毛づくろいをしている我が家のダンボだが、今日はベッドの上に居る時にたまたますぐそばを歩く猫を見つけたのだった。
「ガウ、ガウガウッ!」
東側の塀は、部屋の窓から50センチ程の至近距離。窓の外に向かって、ダンボは部屋の中から猛然と吠えかかる。大きさは、ダンボの方が猫より一周り小さいのだが、ダンボは過去に近所の猫を追い払ったことで、猫に対して自信があるらしいのだ。
片や猫の方は全くビビる様子もなく、目一杯頑張っているダンボを塀の上で冷静にジーっと見ていた。
「もういいじゃない、やめなさいよ」
もし窓がなかったらダンボは猫パンチで一撃で殺られている。今のを男と男の決闘だと思っているのは、ダンボだけだよ。
「ガウ!ガウ!ガウ!」
ダンボの興奮が収まらないので、猫の方がしばらくしてこの場を去るという形で一応の収拾がついた。
数分後。
さっきの猫がまた塀にやって来た。
今度は明らかに家の中を覗いているではないか。そして、それだけでなく私と目が合うとジっと見つめるのだった。
<アイツ、どこ行った?>
え?”やっぱりムカつくし、もう一回来た”ってやつですか?
私にダンボは居るかと尋ねているのだ。
ダンボはまた毛づくろいをしていて、もう外に猫が居ることに気がついていない。
猫が私に訴える。
<呼んできて>
あんまりジっと見つめるので、「ダンボ!猫が来てるよ」と何度か教えたが、その日本語はダンボには通じず、ダンボは毛づくろいに夢中で動く様子はなかった。
<呼んでくれた?>
猫はしばらく塀の上で部屋の中を見ながら待っていた。
<まだ?>
呼んだけど、来ないんだもの。
猫はあきらめて帰るまで、割と待っていた。
まるで小学生の息子の居る家のようだった。
猫は私をダンボのオカンとして見ていた。
厳密にはオカンではないのだが・・・・。
しょうがないので、オカンは最後に、「さっきはおったんやけど、なんやしらんけど、今はおらへんわ」と答えたのであった。
「せやし、もうアンタもおうち、帰り!」
やんちゃなんはええけど、どこのオカンもしょーもないケンカは嫌いなのである。