月別アーカイブ : 2008年3月

投稿日:2008年03月11日

2008年03月11日

「あれ・・・?みきさん」
「あれ・・・?なっちゃん」
今日はラジオの収録。渋谷のスタジオの外の椅子に座っていたら甲斐名都ちゃんにバッタリ会った。
名都ちゃんもここのスタジオで収録をしているらしく、私も一年以上通っていたのに、お互い一度も会わなかったね、なんて話をしながら記念に撮影をした。
RIMG0392.JPG
撮った写真を見てちょっと驚いた。
自分はなっちゃんより、10センチぐらい背が高いつもりでいたが、なっちゃんの隣りに写る私は思った以上に豆タンクだった。
最近はマスクをつけている人が多いのだ。なっちゃんもそうだが、この時期にマスクのヒトを見ると、「風邪ですか」と尋ねるよりも先に「花粉ですか」と訊くようになった。なっちゃんも花粉症に参っているらしい。
そうか、今年は花粉が例年の2倍だもんね。
いや、ちょっと待てよ。
そう言えば誰かが言っていた。
「毎年、今年は例年の2倍とか1、5倍って言ってません?」
例年の数値自体が怪しい。
もはや春の定番アイテムとなったマスク。
花粉が例年の何倍と言われても、もうだんだんわからなくなってきたので、これからは米袋何俵分とか、東京ドーム何個分とか、そういう数値で教えてもらいたいのである。


投稿日:2008年03月10日

2008年03月10日

引っ越してからずっと床に置いてあったテレビを、今日はDーnaughtのメンバーにもらってもらった。
ウチにあったのはブラウン管のかなり大きいテレビで、部屋の隅に暫定的に置いたらそこから動かせなくなってしまっていたのだった。
ちょっとしたことで、物は稼働率が悪くなる。
そのテレビは、画面を見るには椅子を移動して行き、なおかつ少し前かがみにならないと見えない。面倒臭くなった私は、おかげでまだ十分見られるテレビを全く見なくなり、去年の秋にベッドのある部屋に新しいテレビが来るまで、テレビのない生活を送っていたのだった。
完全に物置となってしまったそのテレビ。だが、映りなどの機能には問題がなく、「テレビも見られる台」にしておくのは勿体なかったので、誰かもらってくれる人は居ないかとずっと引き取り手を探していたのだ。
廃品回収の車が来た時に声を掛けてみたが、2000年より製造が前の物はお金が要るのだそうだ。
「え〜っ?だってまだ、十分見れますよー」
大分ムっとした顔で言ったが、もう少しで「何で、若い娘やないとアカンの!!」と、訳のわからないことを叫んでいた。見合いサイトに登録しようとした時に、年齢制限でアウトになった時と同じ敗北感に覆われたのだ。
やっと、その売れ残りテレビが本日もらってもらえることになった。
こんなにでっかいテレビ、本当にもらってもらっていいんだろうか。誰も要らないと言って引き取ってくれなかったのに・・・。
私「ほんとーに、もらってもらっていいの?」
kazzkiくん「いいですよ」
私「じゃ、お願いしていいかな」
kazzkiくん「はい」
私「わぁ、助かるぅ〜。ありがとう」
しかし。
なんだか急に、自分が年齢のさばをよんで若い男の子を騙して婚約を取りつけた悪い人間に思えてきた。
・・・・。
何だそれは。
私は今日家にあるテレビをもらってもらった。
ただそれだけの話なのである。


投稿日:2008年03月09日

2008年03月09日

東京の夜の空に、月が上っていた。
昨日新月だったから、今日は三日月の手前の二日月。
満ちては欠けて、また満ちては欠け。
東京の夜は思った以上に明るくて、地上にはいくつもの明かりが散りばめられているから、月は「あんなところに星なんてあったかな」と、さぞかし不思議がっているだろう。
夜景を見下ろすお月さん。
私はビルの赤いチカチカが瞬くのが大好きだけど、貴方はいかがですか。
東京タワーがありますね。
レインボーブリッジが見えますね。
お台場の観覧車、あれは乗り物なんですよ。
日曜日の夜は、恋人達が乗っていることでしょう。
あまりに綺麗な二日月だったから、私は貴方に見とれていたけれど、きっと貴方の方は私が見上げていたことには気がつかなかったでしょう。
でも、観覧車の中を覗いちゃだめですよ。
お月さん。
今日は二日月。
満ちてはまた欠け、形を変えながらずっと地球の傍に。
昨日、また生まれた月がうっすら目を開けて、地上を見下ろしていた。


投稿日:2008年03月08日

2008年03月08日

渋谷に鞴座のライブを観に行った。メンバーの金子さんと岡部さんは、私が京都でバンド活動をしていた頃に知り合った先輩で、鞴座は関西を拠点に活動をされている3人のユニットだ。
グループ名前の鞴座(ふいござ)。蠍座や魚座のように何かの星座なのかなと思っていたら、「鞴(ふいご)」が空気のポンプみたいな物のことを指すらしく、メンバーの担当楽器がアコーディオンやバグパイプだったりと、鞴を使って音を出す物なので、そこからユニット名がついたのだそうだ。
いろんな楽器を持ちかえながら、曲が続く。バグパイプの本物を初めて見たが、脇に空気のポンプのようなものを挟んで、演奏をするにはかなり複雑そうだ。他の楽器の応用ですぐに出来る楽器ではなさそうで、意外に難しい楽器なんだなと思った。
インストで歌のない世界。ケルト音楽の方には、普段ほとんど触れることがないのだが、楽器自体が持つ温かさからなのか、童話を読んでもらっているような身近な感じがした。
ライブハウスに来るまでの道、渋谷はいつもに増して人が集まっていて洪水のように人が流れていた。
駅からそれほど遠くない場所なのに、渋谷は少し歩くだけで疲れる時がある。
洪水の中からはみ出たどれぐらいかの人達が、ここにこうして座ってゆっくりとライブを楽しんでいた。
扉を開けて中に入れば、渋谷を忘れる土曜日の夜がそこにあった。


投稿日:2008年03月07日

2008年03月07日

古川昌義さんとのレコーディング、「ダッタン人の踊り」のピアノの録音とトラックダウンで、今日はエンジニアの永井はじめさんのお宅にお邪魔する。
ご自宅の地下にあるプライベートスタジオは、歌録りの出来るブースまであって、プライベートスタジオとは思えない環境なのだ。
studio.JPG
永井さんとは今日が私は初対面だが、古川さんとは、数年前の古川さんのASKAさんプロデュースのアルバムが出会いだそうで、ご自身もエンジニアのお仕事だけでなく、プロデュースもされたりと幅広く活動をされている。
スタジオの奥でウーリッツァを見つける。
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本物を見るのは初めてか2回目かぐらいで、今日のピアノ入れの音はまずウーリッツァから試させてもらった。ウーリッツァはローズピアノよりもっと柔らかくて丸い音がする。シンセサイザーの音源を買えば、ピアノのカテゴリーの中に入っている音色だが、本物を触るのは私は初めてだったのだ。
結局OKテイクは別のピアノの音になったが、弾いていて気持ちのいい楽器だった。音と同じで柔らかく弾き手を受け入れてくれる優しい器の楽器で、すっかり今日弾かせてもらって好きになったのだ。
TDは夕方には終わって、それから成城学園前で夕飯を3人で食べた。
家からそれほど遠いわけではないが、成城にはほとんど来ることがなく、駅前は10年ぶり以上になるかもしれない。数年前に駅ビルが建ったらしく景色がずいぶん変わっていた。
お酒がすすむと、古川さんと永井さんが音楽の話を始める。
学生の頃も、こうして音楽の話をしている場で聞いていたなぁ。
そういう場所に居るのが昔から好きだった。楽しそうに好きなことを話している人達の傍らに居るのが好きだった。
いつの間にか雨が上がっていた。
レコーディングも一歩一歩、仕上がりも目前となった。


投稿日:2008年03月06日

2008年03月06日

代官山、晴れたら空に豆まいてにてライブ。
今日のイベントタイトルは、「a bird sing”la la la”」。
誰がつけたのかわからないが、素敵なタイトル。どこにも春という単語が出て来ないのに、春の柔らかいイメージを思わせるところがいいなと思っていたのだ。
私の実家の庭には、春先になるとウグイスがやってきてはホーホケキョと美しい声で鳴いていた。同じウグイスなのか、毎年つがいでやって来て、ある期間家の庭で春を歌ってくれていたのだ。
東京に住むようになると、もうウグイスは来ないだろうと思っていたが、最初に住んだ中野でもウグイスは居た。その声が聞けたのは嬉しいことだった。
「ホーホケキョ」
ところがある年、ウグイスにも上手く鳴けないのが居ることを知った。
「ホー、ホケ」
「キョ」
「ホー、ホー、ホケ」
「キョ」
一息で鳴けないウグイス。どこで鳴いているのかは知らないが、その声が聞こえて来ると、美声に耳を傾けるのではなく「頑張れ」と応援をしてしまうので、こっちまで妙に疲れたのだ。
後になってから知ったが、まだ若いウグイスくんは、上手に鳴けないのだそうだ。その後、病院に居た頃にも鳴けないウグイスくんがやって来ていた。
いつか、思うように鳴ける日がきっと来るよ。
別名、春告鳥。
春がもうすぐやって来るよ。
リハーサルが終わると、少し涙が出た。どうして思うように歌えないんだろうと、やっぱり悲しくなる瞬間はある。
今日は5羽の鳥達が集まりました。
私が一番目に飛ぶ鳥。
空が見えたら、迷わず飛べばいい。
春がもうすぐやって来ますよと、だからいい春になりますようにと、その気持ちを持って今日はピアノの前に座った。


投稿日:2008年03月05日

2008年03月05日

「これは・・・何て種類の犬?」
今日、ダンボはまた何の犬かと尋ねられた。
ダンボちゃんは、おじいさんかひいおじいさんがチャンピオン犬の純血のチワワなのだが、血統書が偽物なのではないかと思う程、私もダンボはチワワには見えないと思っている。
dambo.JPG
チワワとジャックラッセルテリアとミニブタのMIX犬だと答えるのが、一番納得度が高いのではないかと思うのだが、ずっと前に「柴犬」に似ていると言われた時は、さすがにどう返事をしたらいいかわからなかった。
おじいちゃんかひいおじいちゃんは、チャンピオン犬だったのにねぇ。
チワワには規定というのがあるらしく、体重は2、7キロまで。ダンボは体重、体長、体高全て規定の最大値の更に1、5倍なので、チワワ規定によるとダンボではチワワの枠に於いて失格となり、チワワではなくなることになる。
そんな・・・。
どう頑張っても私が22センチの靴が履けないのと同じで、どう頑張ってもダンボの体の長さをそこまで短くすることは出来ないのだ。
チワワじゃないんだって。
どうする?
いいよね、それでも。
私も引っ越しの時に、ダンボの血統書をなくしたようで、チビ太とゴン太の血統書は今もお骨の前に飾ってあるのに、犬のだけがない状態なのだ。
証明するものは、何もなくなり。
本人も自分で名乗るわけでもなく。
何の犬か、誰もわからない。
「ダンボはチワワです」
「え、そうなんですか」
こんな会話を何度となくして来たが・・・。
”本当なのかな・・・”
ダンボちゃん、私心細い。
唯一の血統書もなくなった今、私も自信がなくなり、ふと自分が狂言を言っているような気がしてならないのであった。


投稿日:2008年03月04日

2008年03月04日

少しずつ、春めいた暖かな日が増えてきて、嬉しいのだが・・・・。
去年まいて敷地内にコロンと落ちている”コンバット”を見ると、少し心は曇る。
30個ぐらい外にまき、家ん中にも10個ぐらい置いたが、残念なことに杉並区のゴキブリのお口には合いませんでした。
塩味が足りなかったのですか。
ホワーイ、何故。
どこのゴキブリもそうなのだ。
「どうして食べないのか」「どこからやって来たのか」「あと何人ぐらい家族が居るのか」「何故、ここに来るのか」「どうしたら、ここに来ないでくれるのか」etc・・・。
全てに沈黙をして答えることはない。
不気味な軍団よ。
はぁ・・・あ。
明日は暦の上では「啓蟄」、冬の間眠っていた虫さん達が目を覚ます日なのだ。
ウチの敷地に眠っている虫さんたちよ、君等は起きなくていい。起きてもいいが、どうぞ近くに自然溢れる公園があるからそっちに引っ越しなさいな。
引っ越した年、ヤモリが居て気持ち悪かったが、ゴキブリは居なかった。通りがかりのゴキブリは存在したかもしれないが、恐らく居住はしていなかったのだ。それが去年ある日突然、でかいゴキブリを見つけてからは殺しても殺してもでかいのが部屋に侵入をするようになってしまったのだった。
おかげで熱い夏にも私は部屋ん中で震えて過ごした。
・・・・。
明日、どうしてもみなさんはお目覚めになられるのですか。
花粉と黄砂が舞い、恐怖のミニミニ生き物が土ん中から這い出て来る。
明日は啓蟄、春の乱なのである。


投稿日:2008年03月03日

2008年03月03日

誕生日を迎えた。
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私は父と母にとっての待望の赤ちゃんだった。本当は6歳上に兄がいたが死産となり、その時のお産で母は心臓を悪くし、もう子供は無理だと言われていたのだそうだ。
もう子宝には恵まれないとあきらめていた夫婦の元に、神様が送り込んだのが私だった。
3つ下の妹に比べて、エラく叱られていたという記憶の方が強くて、あまり「待望の赤ちゃんだった」実感が自分にはないが、それでもアルバムの写真は妹のものよりも一冊分ぐらい写真の枚数が多かったと思う。今は「あんた」と呼んでよそよそしい父も、幼い頃は足の裏でお腹を持ち上げてくれて「ひこうき」をやってくれたり、毎週土曜日には会社の帰りに大好きなシュークリームをお土産に買ってきてくれたのだ。
本当は3月2日生まれの予定だったが、一日遅刻をしたのだそうだ。私は2日からほんのわずか遅刻をして、3日の午前0時13分にオギャーとこの世に生まれたのだった。
私が生まれた日、父と母はとても喜んだのだろう。死産だった兄のことがあったから、無事に生まれてくれてよかったと、きっと心から神様に感謝をした。
どれだけ嬉しかっただろうか。
その日は、どんなお天気でどんな風が吹いていた日だったのかな・・・と思いをめぐらせるようになった。
父しか聞ける人はいなくなったけれど。
お猿さんみたいな私の存在を、喜んでくれたんでしょう?!
自分のことを、大事にしないとね。
今日、おめでとうといろんな人に声を掛けてもらったよ。
なんだか、誉めてもらったような嬉しい気持ちになったよ。
今日は私の誕生日。
父と母にとって、人生の中で忘れられない幸せを感じた日なんだと、父とそれから亡き母を想った。


投稿日:2008年03月02日

2008年03月02日

今日は何の日。
遠山の金さんが北町奉行に任命された日らしく、「遠山の金さんの日」というのもあったが、一番目を引いたのが「MINIの日」だった。
32がミニと読めることから、日本のBMWが数年前にMINIの発売に連動して制定したそうで、なので「MINIの日」は、今世紀になってから生まれた日でまだ歴史が浅いのだ。
私はあまり車種に詳しくないので、「この車が好き」といった好みはない方だ。だが、BMWMINIになってからのこの車は好きで、もしも今”好きな車を一台買うことになりました”というシチュエーションになったら、「これ下さい」と言ってMINIの何色かを買いたいのだ。
しかし、
それにしても毎日のようにある、この「今日は@@の日」。
MINIの日は抽選で10台ぐらい、「新車プレゼント!」ということがあったらいいのに、そういうことではないらしい。毎月の「フロの日」の時、近所の銭湯ではゆず風呂だったりよもぎ風呂だったりと、ちゃんとイベントが催されているが、そう言えば「タクシーの日」の時も特に何もない日だったっけ。
乗ったタクシーにシールが貼ってあって、それで知って運転手さんに「タクシーの日って、何か特別なサービスがあるんですかぁ?」と尋ねたが、そもそもその運ちゃんはシールを貼っておきながら、タクシーの日のことをすっかり忘れていたのだ。
「タクシーの日」は、「タクシーの日だったら、乗車記念に何かもらえたりするのかな?と思っていたが、特に何もなくいつも通りに運賃を支払ってタクシーを下りた日」だった。
「MINI」の日も、「どこかでMINIプレゼント抽選会をやっているのかな?と思いながらBMW浜田山では何も抽選会をやっていなかった日」だった。
しかし、今日はいつもより街中でこの車をよく見掛けた。
偶然なのか何なのかわからないが、「やっぱりミニって可愛いなー」と、度々MINIについて考えた日であった。