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投稿日:2008年04月20日

2008年04月20日

通販の雑誌の夏号が届いた。
早いなぁ・・・と思いつつも、パラパラっとページをめくってみる。
通販の雑誌は割と好きなのだ。
カーテンや家具、定番の物もあれば随分個性的だなと思う物もある。ダイエットアイテムの中に今日は「ボンレスベルト」というのを見つけた。形は腰痛ベルトのように「巻く」タイプだが、穴が開いていてモデルさんが装着している写真はそこだけボンレスハムのように見えるのだ。
ラベンダーの香りがすると書いてあった。ラベンダーの香りはそんなに必要ではないと思うのだが・・・・。
続いてインパクトがあったのは、お風呂に入りながらスチームパックが出来るという「スチームマスク」。ネーミングは普通なのだが商品の見本の写真が、クマちゃんのお面を被った女性が風呂に浸かっている写真が載っていて、大人の女性がお面を被って風呂に黙って浸かる写真に、ちょっと笑ってしまった。
だいたい笑える物は、女性のための綺麗になるグッズなのだ。ガーデニンググッズのページでは蜂農家と間違える程の重装備の帽子や長手袋が紹介されていて、これらは紫外線対策のグッズだし、ロデオボーイだってもし部屋の中で自分が乗っているところを近所の人が通り掛かって見られたら相当恥ずかしい。
ぜい肉を押し出す矯正下着に、鼻に挟んで鼻を高くするクリップ、強力美白ジェルに背中のウブ毛剃りシェーバーに・・・・。
でもお散歩用のグッズがいくら紫外線対策とはいえそんなに鎧みたいな格好だと、子供はママを怪人だと思いはしないんだろうか。などなど、通販の本を眺めているといろんなことを想像したのだ。
ふぅ〜〜〜〜っ。
一冊見終わって。
女性で居るって大変なんだわと気が重たくなってきたのであった。


投稿日:2008年04月19日

2008年04月19日

みきちゃん、みこかん、みき、みっきん、みっきちゃん、サルみき・・・。
過去、私が呼ばれていた名前はこれだけある。
「サルみき」は高校一年の時についたあだ名だったが、卒業してからも街で大きな声で「お〜い、サルみき〜〜」と、呼びとめられた時はすごく恥ずかしかった。
当時、ヨシオカミキちゃんという女の子と同じクラスだったことから、私は「サルみき」になったのだが、ヨシオカミキちゃんの方は「みきりん」と呼ばれ、だったら「みきちゃん」は空いているじゃないかと今なら主張するが、その頃はそのことに全く気付いていなかった。
”猿の方のみき”でみんなにはわかりやすかったろうが、たまたまその時に私はサルのようなショートカットだっただけなのだ。この時の髪型が今流行の姫系だったとしたら、私は”姫の方のみき”となって「ヒメみき」「みき姫」と呼ばれていたかもしれないのである。
あだ名は時として残酷、しかし確かに特徴を上手く掴んではいるとは思う。が、その場合本人にはあまり有りがたくないことがほとんどじゃないだろうか。
「おっさん」というあだ名の女の子が居た。
「おっさん」は杉本さんと言って、一緒のクラスになった時には既に「おっさん」というあだ名がついていた。
”色黒で少々中年男性のような顔つきだった”ところからそのあだ名はついたのかもしれない。しかし、おとなしいタイプの女の子で性格はおっさんではなかったので、もしかしたら、本人は嫌がっているかもしれないと思い、「おっさん」と呼んでいいのかなと少し躊躇ったこともあったのだ。
「おっさん〜、消しゴム貸してー」
「おっさん、今日はクラブあるの?」
「おっさん」と呼ぶと、「はい、なに」と明るく答えていた。私が知る限り中学高校一貫して、彼女は「おっさん」と呼ばれ続けていたのだ。
「おっさん」は、あれから別の呼び名を得ただろうか。
案外その後もずっと「おっさん」を貫いて、旦那さんからも「おっさん」と、あだ名で呼ばれているかもしれない。
お母さんになっても「おっさん」、おばあちゃんになっても「おっさん」。そして私も「サル」のまま・・・。出世魚みたいに、何か呼び名って変わって行ったりはしないものなのか。
あだ名は意図せず永久に自分の名前として、他人へ刻まれるものなのである。


投稿日:2008年04月18日

2008年04月18日

夜、プールに行った。
私も泳ぎが上手いとは言えないが、来ている人の中で泳ぎが危なっかしい人は居る。
だがこの人達は大人になってからでも、泳げるようになりたい人達なんだろう。私は成人してから習得したいと思ったことはことごとく続かず、何も達成しなかったので、こうして頑張っている人を見るとすごいなと思うのだ。
だって来ている人達は、泳げなくてもヤル気に満ち溢れている。ビート板に掴まりバタ足をしながらこっちに向かって必死に泳いで来るのだ。
6歳児ぐらいかと思っていたら、足をついてプールに立つとおっちゃんだったり、大人の女性だったりする。知り合いでもなんでもないこの人達がだんだん泳げるようになっていく所を、もしかしたら私は見ることが出来るかもしれない。
会社帰りの焼き鳥屋で部下に、「いや、この年になって、ようやく僕は泳げるようになってね」と話したところで、「え〜、部長。泳げなかったんですか」と、全然部下はピンと来なくても、私は生き証人になれる。
「そーなんですよー。このヒト、もう最初はすごい迷惑なバタ足で、近くに居る人たちみんな水被ってましたよー」と、笑える日が来るのではないか。
部長の知らざる一面を知っている貴重な知人になれるのではないか。
それにしても、プールの中ですれ違う時というのは気を遣うのである。こちらが立っていたらバタ足の”バタバタ”で水を容赦なく被り、水中に居ればぶつからないようにと大回りでこちらが回避しないといけない。どうもこの人達は水中で目をつぶっている様なのだ。
水中では目は開けられるようになった方がいいと思う。
でないと、初心者同士がすれ違う時にはぶつかる可能性、大。
そう考えると初心者ってある意味、危険な存在だ。
海にはサメが居て、プールにはサメのかわりに初心者有り、か・・・・。
バタ足の女性と水中ですれ違った。
おっと危ない。
やっぱり避けてあげないとダメみたいだ。
でも、目をつぶってでも「突き進む」ということが出来るっていいなと思ったのだった。


投稿日:2008年04月17日

2008年04月17日

夕方のニュースで、「メタボ犬」の特集をやっていた。
こういう特集の編集は、その犬と飼い主がいかにダメな生活を送っているかの部分がクローズアップされるのだ。今日もワンちゃんが太り過ぎてお腹が床についている姿や散歩をしていてもすぐに息が切れる様子、飼い主さんが人間の食事を与えていたことなどが流れていたのだった。
幸いその特集では、その後飼い主さんが反省をして今はワンちゃんの生活管理をしっかりしてあげるようになったということで締められていたのでよかったのだ。やはりペットがメタボ犬になるのはペット側に非はなく、飼い主の問題なので、「ダメ犬」的特集物を見る時は、まず飼い主に眉をひそめる以前に「すいません」という気持ちが先に来るのだ。
ダンボちゃんも、メタボ犬なんだよね。
過去最高では4、7kgの体重となったことがある。「体重は0、5kg〜2、7kgまでをチワワとする」という規定で言うとダンボは2匹分の体重になる。
その頃からダイエットを心がけてきたが、去年も4、3kgだった。獣医さんから3、6kgを目標にして下さいと言われたのだ。
骨格自体がデカいので、確か家にやってきた子犬の時がギリギリチワワの規定内に居た頃だった。
ダンボちゃん、ダイエット頑張ろうね。
私も頑張ろうと思ってるんだよ、ダイエット。
そうだ、久しぶりに体重を計ろう。
そうして二人でもっとダイエットを頑張ろう。
ダンボを抱っこして洗面所に体重を計りに行く。まずダンボを抱いたまま総計の体重を計り、次にダンボを置いて私の体重を計り引き算をすればダンボの体重が出る。
合計某kg。
ダンボちゃんは、何kgでしょう。
引き算をすると、ダンボは3、7kg。成犬になってから初の3kg台へと体重が落ちていた。そして私の方がイタチ2匹分重たくなっており、メタボは私の方の問題と鋒先が変わったのであった。
ダンボちゃんはダイエットの効果が出てきている。
少し複雑な気分だけど・・・。
ダンボちゃん、よかったね・・・・。
何か視線を感じるなと思っていたら、冷めた目で”お前が頑張れよ”と、ダンボが私を見上げていたのであった。


投稿日:2008年04月16日

2008年04月16日

午後、実家に帰った。
実家に帰る時って、みんなはどういう感覚があるんだろう。
私は飛び込み台からエイヤ!と飛び込む時のあのちょびっと勇気が要る感じがしている。もっと細かく言えば、腹打ちをしてグッタリすることを覚悟してプールに飛び込む時の「よし、行くぞ」の感じなのだ。とにかく行く前には「体力温存」をしていくらか余力を持って臨まないといけない。それが毎回の帰省の私の心得なのである。
「ただいま〜。」
家に戻るとしげおっちは寝ていた。
「もう来えへんと思ってたわ」
起きて来ると早速恒例の行事が始まる。
「今こんなにワシは薬を飲んでるねん!」
「ほれ!」
薬の入ったお菓子の缶が目の前にバーンと出て来るのだ。要約すると、”これだけ薬を飲むほどワシの具合いは悪いので、もう言い残すことがないように、せっかく実家に来たのだから心ゆくまで話がしたい”ということで、ここからは時間の許す限り、「ワシのこと」か「アンタにちょっと言うておきたいことがある」のいずれかの2種類の「ワシの話を聞け」コーナーとなるのだった。
「何時までしゃべってええねん」
父は自称”今にも死にそうな”人の割に2時間も3時間も切れ間なくしゃべり続けられることが出来、毎回聞いている私が聞き疲れで吐きそうになってきて、「おとうさん、ちょっとしんどい・・・・」と訴えているのだが、今日もついに私がグッタリして「ちょっとしんどい」と言うまで、延々「ワシの話」は続いたのだった。
グッタリしていると、
「ほんで、アンタは体の具合いはどうなんや」
ですから、
今ご覧の通りグッタリしております。
「どうなんや」
「ちょっと、休憩させて・・・」
「調子、悪いんかいな」
グッタリした私を見て、急に今度は
「しんどい、言うてたらあかんがな」
「もう帰り」
と言うと急にタクシーに配車の電話をし、電話を切ると同時にもう外に出た方がいいと「ワシ」はいそいそと玄関を出て行ってしまうのであった。
「タクシー、まだ来えへんな」と言っていたが、そんな2駅先がエリアのタクシーが1分後にまだ来るはずもない。
”あの人はちょっと変わっとるわ”
父は自分以外の人のことを、ことごとくこう評価する。
だが、私は今日も思った。
父がやっぱり一番の変わりもんである。


投稿日:2008年04月15日

2008年04月15日

毎年恒例となっている京都の大学時代のサークルの同窓会に行った。
昨日まで、予定的に無理だなぁとほぼ不参加のつもりでいたが、父に以前「16日に家にちょっと寄るかもしれないから」と言ってあってそのままにしていたので、やっぱりここは父の顔を見に行くのも含めて行こう!と決めて、夕方の新幹線に乗って急遽京都に向かったのだった。
いつの間に東京での暮らしが長くなって、最近は京都が私にとって遠くなった気がしてちょっと寂しくもある。新しく出来た京都市内の道や店、街も知らないうちにどんどん景色が変わって行くし、それに数年前から開催されるようになった花灯路のイベントも、私の知らない京都だ。
新幹線を降りてタクシーで御池に向かう時も、こんな道が出来たんだと小さな発見の連続だった。川端通りを上がりながら、鴨川沿いに建つ建物達の灯りを見ると”京都に旅行に来た”感じがした。考えてみたら私は人に教える程京都っぽい所も知らないし、今の京都の面白い所も知らない。中途半端な京都ファンになっちゃったもんだ。
同窓会にはかなり遅れて到着したが、懐かしい顔ぶれが座っていた。全く京都っぽくない普通の居酒屋で、全く京都に関係のない居酒屋メニューがテーブルに並び、「めっちゃ関西弁」の会話が飛び交う。
dosokai1.JPG
しかしなんで毎年同じ居酒屋なのだ。
”京都っぽい”店での同窓会ってないのか。
「ほな、電車あるんでボク帰りますわー」
「おぉ、今からカラオケ行くで」
「私、もう帰らなあかんのです〜」
「むっちゃ腹減ってきたー」
「ワシ、あかん。眠いねん」
みんなさすが、めっちゃ関西弁だ。
純粋な京都弁ではない、柔らかいイントネーションの関西弁が私の慣れ親しんだ言葉で、結局は私の「京都」はみんなの話す会話のトーンになるんだと思う。
「お腹空いたー」が私の口癖だった。らしい。
今日も店を出たら「お腹空いたー」と言っていた。
ダラダラと河原町通りを歩く中年集団。
なんだこの団体は。
昔、ここで青春を送った確かに私達は大学生だった。


投稿日:2008年04月14日

2008年04月14日

吉祥寺のユザワヤに買い物に行った。
吉祥寺は好きな街なのだが、不服な点としてはバイクをとめる場所が少ないということなのだ。バイクでももっと気軽に行きたいというのが、吉祥寺に対する最近私の思うことなのだ。
今日行くユザワヤも駐車場と駐輪場はあるが、ワゴン車とバイクで行った場合はとめるところを別に探さないといけない。
しかし今日は平日、しかも時間的には夜の7時半なので前に見つけていたあのバイク置き場に行けば、もうこの時間だったら空いているだろう。そう思って、そこのバイク置き場にブーンと行ったのだった。
ここはシルバーセンターとの繋がりがあるのか、70代ぐらいのおじいさん数人でシフトを組んで管理をしている。駐輪場とバイク置き場が併設されている屋根付きの施設だ。行くと一人が外、一人が受付室の中で、二人のおじいさんが入り口に居た。
こんばんは〜。
チケットを買って中に入ろうとすると・・・・。
「もう来ないよ。」
「は?」
「駐禁、来ないよ。」
「・・・」
「止めちゃえば〜。そこに」
おじいさんは明るく道路を指差して、もうこの時間は駐禁に来ないから路上にとめればいいと言うのだ。
「いや、いいです。ここに止めますから〜」
明るく返すと・・・
「250円もするのにぃ〜いいいっ?」
と、今度はおじいさん。250円がもったいないと諭すように言い、やはり道路にとめることを勧めるのだった。
どうすればいいのだ。
親切心は有りがたいが、私としてはちゃんとバイク置き場にとめてゆっくり買い物がしたい。
「やっぱり・・・いいです。ここにとめますんで」
かなり遠慮がちに言ったのだが、おじいさんはせっかくいいアイデアを教えてあげているのに、それを素直に聞こうとしない私を頑固者のように見て、今度はガッカリした様に「250円、もったいないのに・・・」と言うのだった。
「そりゃぁ、絶対に来ないとは言えないよ〜」
「・・・」
「でも来ないってば〜〜」
もういいんです。この250円を私はもったいないとは思っていないんですよ。
チャリンチャリン。
自動販売機で250円のチケットを買うと、もう一度横から「250円もするんだよ!」とおじいさんに言われたのだった。
ふぅうううう。ちかれたび。
バイクをとめて入り口を通ると、最後にもう一度言われた。
「あーあ。250円、もったいなかったね!」
バイクをとめに行って、そのお金がもったいないとさんざん無駄遣いのように言われ、最後に「どうもすみません」と小さくなって謝ったのははじめてのことであった。


投稿日:2008年04月13日

2008年04月13日

夜、プールに行った。
去年はウォーキングレーンのはじっこから7メートル位の所を行ったり来たりするだけだったのが、この春からウォーキング&スイミングレーンでの往復という、私にとっては別レーンへの移動という大躍進のプール時間となった。
前も泳げないことはなかっただろうが、私の喉には器管切開をした痕がある。普通はこれが塞がるのだが私の場合小さなピアス穴ぐらいの穴がまだ開いていて、そこから水が入って来るという変な体になっているのだ。
だから、背の届く場所でウォーキングをするだけで終わっていたが、この春からは傷口に貼ればプールにもお風呂にも入れますよという防水シールを貼って、傷を気にせず泳げるようになった。
7メートルぐらい歩いて、足がつかなくなった所から泳いで進む。また足がつく場所に来たらそこからは歩いて進むので、実質は25メートルのうち10メートル位しか泳いではいないのだが、ゴーグルをつけて水面に顔をつけると、ウォーキングでは目にしなかった景色を新鮮に感じたのだった。
しかし、ビックリしたこともある。
水中ってこんなにクリアに人の姿が見えると思わなかった。今、向こうから泳いで来るもうすぐこっちに辿り着くあの男性の、真正面の水中にある景色って、私の腰から下の水着姿なんじゃないの。
水に潜れば、私とは目を合わさずに足腰、見放題ですよね。
真相はつかめないが、全く見ないで泳ぐことは不可能。水の中でもお行儀よくしていないと行けないなと思ったのであった。
私の泳ぎはゆっくりペース。
でも泳ぐって気持ちがいい。
水をかけば、必ず前に進んでくれる。
ここに来ている人達には、どんな目標があるのかな。
”1キロ泳げるようになりたいな。”
その先にある夢は別の物になったけど、今私は小学校5年生の頃と同じ夢をまた抱いている。


投稿日:2008年04月12日

2008年04月12日

電車待ちをしている時、一番前に立っている人がのんびり屋さんの場合、後ろに並んでいる人たちはイライラする。
基本的に、乗っていた人が降りるのを待ってから乗るというエチケットは守った方がいい。が、先頭さんの中には、本当に誰ももう降りて来ないのを確認して更に一呼吸おいてからやっと乗り込む人が居るのだ。
<はよ、乗って下さいよ>
<あ!>
その間に、同じ扉から乗った反対側に並んだ人達がタイミングよく乗り込んで、席を得ていたりする。
で、のんびり先頭さんはと言うと、運良く自分一人だけは席にありつき、後ろの人達のイライラに最後まで気づかないまま善良そうな顔で腰を下ろし、その列で一番後ろだった人は「まもなく扉、閉まりまぁーす」と言われる中無理矢理乗っていたりするのだ。
先頭さんの采配は大きい。私はスーパーのレジの人と、電車を列の先頭で待つ人には、動物的能力に長けた人にやって欲しいのである。空気や気配が読めない人がやれば、後続の人達が不幸になる。
そんな私が今日は夜の渋谷駅で「先頭」の人となった。
座りたいから一台見送っての余裕の「先頭」だったのだが、先頭に立つとつい”今度は座れるんだわ。ふぅ、よかった”と気が緩みがちになって、後ろに立つ人のことを忘れてしまう傾向にあるのだ。
最初、ポツリポツリとしか人が居なかったホームも、各列人が並び、いつの間にか長い列になっていた。
<そうだわ、今日は私が先頭さん>
隣にはゴリラみたいな男性が立っていた。
<あなたとの対決になるんですね>
チラっと後ろを見たら、私の後ろにも人が結構並んでいた。そうか、ゴリラさんチームに負けてはいられないぞと妙に責任感がわいてきた。
電車がやって来ると、心なしか後ろの人達の「頼みますよ」という無言のオーラが背中にピシピシと来たような感じがする。
了解!
全員で席に座ろう、エイエイオー。
気合いを入れて勝負に挑んだが、ゴリラさんは酔っ払っていたせいか思ったよりドン臭かった。
後ろの人はちょっぴし恨んでいたと思う。
今日は先頭として私は頑張った。
オッズは低かったと思うが、私に賭けた人達は今レースでまさかの勝利を手にしたのであった。


投稿日:2008年04月11日

2008年04月11日

代官山「晴れたら空に豆まいて」でライブ。
先月のライブが終わって、ふと”どうして思うように声が出せないんだろう”と弱気になる自分について、もう一度いろいろと前向きに考えてみた。
もっと迷いなくやれるようになりたい。
他のこともそうだし、ライブもそうだ。
足りないところに目を向けるのでなく、自分が持っているものをどれだけ大事に出来るかどうかを、私自身がもう一度考え直す1ヶ月間だったと思う。
具体的にはピアノの伴奏を今までの20%、全体レベルを小さくする練習をした。もっと私は今の私の声を理解して演奏を心掛けた方がいい。
外はいい天気だった。確か少し前の天気予報では、あまりいい天気ではないということだったが、今日は晴れ。
自分のいい所を大事に出来た方がきっといい。
頭では何かしらわかっているつもりでいたことが、全身で納得出来た時に、「迷い」ってふと一瞬消えるんじゃないだろうか。
今日の出番は3番手。
目の前に座って、自分の歌に一緒に時間を過ごしてくれる人達に感謝を込めて。
何が届けられるかはわからないけれど。
今日は、一点の曇りもなく。
迷いなくやれたらいいなと思った。