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投稿日:2008年05月11日

2008年05月11日

夕方、渋谷で種ともこさんと待ち合わせをした。
待ち合わせ場所は「渋谷駅構内のロクシタン」。
<渋谷駅構内のロクシタンって、あの青山フラワーマーケットの隣の角っこの所だったよね。>
おっちょこちょいの私は待ち合わせ場所を勘違いしていないか、地図やロクシタンHPで何度も確認をする。
よし。
渋谷駅ならここでオッケー。
ところが前日、渋谷の駅前に3階建ての「ロクシタン」がオープンしたことをニュースで見たことで、不安雲に一気に覆われたのであった。渋谷駅前に出来たというでっかいロクシタンは、その待ち合わせのロクシタンから徒歩で言えば3分ぐらいで行けちゃう所で、すぐの距離にあるのだ。
ここの新商品のお知らせダイレクトメールは、お洒落なブックレットを作っているわりに試供品なるものはせいぜい匂いのついた紙が挟んであるだけ。ダイレクトメールを開ける度に、なんで試供品がないのかと怒りさえ覚えるので、そんな店が駅前に二店舗も抱えておくんだろうかと考えたら自信がなくなった。
待ち合わせで店がなくなっていたら・・・。まぁ冷静に考えるとなくなった跡地の前で待っていればいいだけの話なのだが、頭がそこには行かなかった。店がなくなっていたら待ち合わせ場所では会えず、新しく出来た店舗かも・・・とお互いが探しに出て、微妙に会えないまま、またこんな時に限ってどちらかが携帯の電池がいい具合いに切れてしまったりする。そんな想像に傾いていったのであった。
どうする。
そこまで神経質なわりに、私は今日のライブ会場も知らない。「連れていってもらえるし、いいか!」とお気楽に来たので、会場で会うことも出来ない。
どうする。
ロクシタンのHPに出掛ける前にも行き、渋谷駅構内にまだ店があることを確認して家を出たのであった。
渋谷に着いて店があるのを確認出来た時、私は薄ら笑いを浮かべていたと思う。
店内で普通に待ち合わせをした。
ただそれだけのことだったが・・・。
ヒマラヤ山頂でニホンジンに会えたぐらいの喜びを感じたのであった。


投稿日:2008年05月10日

2008年05月10日

近藤ナツコちゃんのユニット、Double Voiceの「70年代昭和歌謡」のライブに一曲、今日はピアノで参加をさせてもらうので、荻窪ルースターに行った。
前に一度、今日と同じ荻窪ルースターでやはり70年代の昭和歌謡のライブを見せてもらったが、あれからもずっと3ヶ月に一度ある満員御礼の人気ライブなのだ。
70年代に世に出た歌謡曲は、勉強になる部分もすごく多いのだそうだ。なっちゃんはいつも話してくれる。私も何気なく聴いて知っていた曲を、何かの機会に譜面にしたり演奏をしたりすることで、はじめて作る過程の一部に触れて奥の深さに気付くことがある。70年代の歌謡曲は奥が深い。なっちゃんはそう言う。「懐かしさ」だけでないものを、こうしてライブを繰り返しながら、実感として確かに得ているんだなぁと思いながら聞いていたのだ。
今日参加させてもらうのはユーミンの「翳りゆく部屋」。ユーミンがまだ荒井由実だった頃の曲で、これをなっちゃんが歌って私がピアノを弾くアコースティックスタイルでやる。
私のピアノを弾く喜びは、母が好きだった曲を弾けるようになりたいという所が始まりだった。「その曲、大好きなの」と母が笑顔で聴いてくれると嬉しかった。そして高校生の頃になるとレパートリーも増え、人間カラオケとなって昼休みになるとよく歌が大好きな友達と音楽室に行って遊んだのだ。
「この歌、大好きなん!」
楽しげに歌う友達の伴奏がとにかく楽しかった。
なっちゃんは昔から歌うことが大好きだと言っていた。歌うのが大好きな人は、歌を歌っている時に本当に幸せそうな顔になる。
知り合って15年位経つんじゃないかな。でも私は東京に来てからは自分の歌以外の伴奏をずっとしていなかったので、なっちゃんとはコーラス隊で一緒にやったが、ピアノは初めてだ。
お互い髪型が変わった。スパイラルパーマの爆発頭じゃなくなった。
70年代、なっちゃんと私は出会っていなかったが同じ大阪の高槻で過ごした。
歌が大好き。
演奏が大好き。
音楽室で楽しかったあの時間にも少し似ている。
でも違う。
この雨の中、お客さんが座って下さっているものね。
”お客さんも、この曲好きだといいね”
いろいろありながらもここまで音楽をお互いに続けてきた同志だなと思うと、演奏をしながらなんだか心が強くなった。


投稿日:2008年05月09日

2008年05月09日

今日はビリージョエルの誕生日。
ビリージョエルの曲を最初に聴いたのは、ラジオの深夜放送だったのではないだろうか。悲しげな口笛で始まる名曲「ストレンジャー」は私にとってセンスのいい洋楽として耳に残り、当時洋楽ならなんでもいいわけではなく好みみたいなものはなんとなくあってビリージョエルの曲は私の胸を掴む何かがあったのだ。
その後に知った「素顔のままで」も名曲だが、私が好きになったアルバムは「イノセントマン」というアルバムで、ビリージョエルの話題になった時にはそれほど会話に出て来ないが、「アップタウンガール」が収録されているセピア色のジャケットのアルバムだ。
このアルバムが出た時は私は大学生で、青春まっただ中。「アルバムを通して聴く」体力が一番あった頃で、よく聴いたアルバムというのは、好きな曲が入っているというだけでなく曲と曲の間がどれぐらいあったかなど、全部の空気感が体に染みついていたりする。
今の時代にあれぐらいの世代でいたら、きっと私は電車の中でもi−podを聴いていただろうなと当時を振り返る。
毎日音楽を聴いていても飽きなかった頃があった。
好きな曲はいつの間に体に入り込んでいて、ささいなコードチェンジの時の音の積み方に影響を受けたことが見え隠れしたりもするのだ。
「彫刻像みたいなヒト」だなぁ。
が、イメージだった。
もう59才。
まだ59才。
向こうは深夜だから、今頃寝てるのかな。
沢山の思い出を曲に乗せて私にくれたアーティストの一人なのだ。


投稿日:2008年05月08日

2008年05月08日

今日はまたいい天気なのだ。
西側の雨戸をガラっと開けたが、いつもは軒下にあるチョイノリはやはりない。昨日の電話では、今日から店の修理部のGW休暇が終わって平常に戻るそうなので、あとで電話をして尋ねてみよう。
丁度バイクを買ったのが一年前、それまではバスで買い物に出ていたし、雨の日には西友のインターネットスーパーで品物を調達していた。ヘルパーさんが自転車で買い物に行って下さっても合計30分はかかり、その頃はスーパーに行くのも立派なお出掛けになっていたのだ。
それがバイクが来てから私の行動範囲は随分広がった。一日に一箇所しか行けなかったのが、家から半径5キロ程の場所にあちこち気軽に出られるようになり、プールに図書館に安い八百屋さんにドラッグストア。ビデオ延滞がほぼなくなった。郵便局は時間外でも本局に行けばよくなったし、さすがに冬の寒い間はバイクはお休みかと考えていたが、結局雪が積もっていなければ雨の日でもバイクに乗っていたのだ。
近所の用事の為にちょこちょこ乗っていただけだったが、走行距離は年間で1700キロにまでなった。
それなのに。
また3倍時間がかかる遠い所になってしまった。
午後、バイク屋さんに電話をしたら、部品取り寄せとなったので早くても引き渡しは土曜日の夕方になるということだった。
鳥か蝶々のように昨日の朝、家をパタパタと出て行ったのに、本日はいも虫となり、せっかく新しい水着を買ったにもかかわらず、プールに行くのをあきらめることにしたのだ。
またスーパーに買い物に行き、荷物が重たくて歩けなくなり、タクシーに乗って帰って来る失敗をするのか。
夜になって。
<本当なら今頃プールに行っていたわね>
部屋で新しい水着を試着し、ダンボに見せたあとで鏡の前で平泳ぎの真似をした侘しい夜となったのであった。


投稿日:2008年05月07日

2008年05月07日

今日は外来日。数日前から、今度の外来はチョイノリで行ってみたいと思っていて、いよいよ本当に実行したくなったのだ。
昨夜は天気予報をチェックした。都心にバイクで行くのは初めてで、しかもお茶の水となると私にとってはかなりの遠出。家からお茶の水までとなるとほぼ冒険みたいなもので、今日が私にとっての「GWのお出掛け」になるんだわと昨夜からワクワクして仕方がなかったのだ。
お昼はどこで食べよう。
日比谷公園辺りにでも行ってみようか。
パソコンで検索をして店の候補もいくつか頭に入れて、今日は「お出掛け」として家を出たのだった。
青梅街道を行き、山手通りを越えると、もう新宿がすぐそこにある。看板に「飯田橋」「新宿」とあるのを見ると、自分のバイクで都会にやって来た実感がわく。新宿を抜け次は飯田橋方面に向かう。車に乗せてもらってしか通ったことのない道。出掛けに日焼け止めも塗った。風が気持ちいいのだ。
神楽坂の近くを通って、いよいよ大通りに合流をした。
「ト、トーキョー」
都心に来ると私は毎回「はるばる東京にやってきた」感覚に覆われる。普段住んでいる所は大変のどかな場所なので、私にとって「何処なのか」が今一つピンと来ず、なので東京っぽい所に来ると、未だに「東京っぽい場所」におどおどするのだ。
ここはどこ。
時計を見たら家を出て40分程経っていた。
もう10分程で病院に着くんじゃないかな。
「おぉ、東京ドーム!」
東京ドームを左にして大きな交差点で信号待ちとなった時・・・・。
”プスンプスン・・・”
バイクが急に止まってしまったのだった。
ガソリンも入っているはずでどうしたんだろうと思って目をやると、ガソリンが勢い良く道にジョーっともれているではないか。足元からガソリンの臭いがしてバイクを動かすと導火線のようにこっちに点々とガソリンが繋がって来る。
「水道橋交差点」。結構な人が行き来していて、ガソリンはまだジョーっと漏れ続けている。この中の誰かが煙草のポイ捨てでもすれば、バイクは爆発して死者が出る大変なことになってしまうのだ。
どうしよう。
こんな時、誰に連絡をすればいいの。
「ガソリン、漏れてるよ」
と、スーツの男性に注意をされる。
そうなんです。それで私はどこに電話をしたらいいんでしょう。
早くしないと爆発しちゃう。
バイクの鍵についていたキーホルダーから、チョイノリを購入したバイク店に電話をする。バイク店が保険会社に連絡をするようにと教えてくれ、ガソリンタンクをオフにするよう指示をくれたのでガソリン漏れはここで収まった。
保険会社、電話通じず。
病院にも行かなくちゃいけない。
えっと、次に私は何をすればいいんだろう。
と、思っていたら駐車整備の見回りの人を発見。とりあえずこのバイクが故障したことと、しばらくこの辺りに置くことは可能か尋ねる。
係の人はどこかと無線で連絡を取って、了承をしてくれ最後に「ガソリンが漏れていたのなら、一応警察に連絡を取っておいて下さいね」と言って去って行ったのであった。
よかった。
おろおろしていた私も少し整理がつき、落ち着きを取り戻した。警察にも連絡をし、「じゃ、ちょっと話を伺いますんでそっちに行きますね」ということだったので、小蔭でようやく私もホっと一息ついたのだ。
5分程して・・・・。
「カンカンカンカン」音を鳴らし小型の消防車がこの辺りをウロウロし始めた。見れば車には6人の消防士さん達・・・・。
<私じゃないよね>
私は自転車に乗った近所の派出所の人が来ると思っている。だが消防隊員の人もこの近辺で誰かを探している様子なのだ。
バイクの近くに立ってみる。
もし探している人がバイクの女性なら、それは私です。
が、消防隊の人達は私に目もくれず人探しにやっきになっている。
<何かあったのかな>
それにしても遅い。もうあれから15分は経っている。もし重大な事件だったら手遅れになっている時間だぞ。
しょうがないのでもう一度電話を掛ける。
「あの、さっき電話した者なんですけど・・・」
事情を説明すると電話の相手はさっきの人と違っていたので今ひとつ事情を飲み込めないみたいだったが、「もうまもなく着くんじゃないでしょうかねー。もうちょっと待ってみてもらえますか」との返事だった。
それから5分。
6人の消防隊の人達に警官3人が合流をして、少し離れた所では今度はミーティングのようなことをしている。
<まさか、やっぱり私じゃないよね>
不安に思っていたら・・・・・
電話が鳴った。
「@@消防隊ですが、ヨシカワさんですか」
約10人の集団は私を探しており、どうしてこんな大事に至ったのかと驚きながら「あのバイクがそうです」と指差すとみんなの「え!」という心の叫びが聞こえてきたようであった。
隊長さんらしき防炎服の人がトランシーバーで「本人と接触!」と緊迫した声で言っている。現場の写真をと言ってまた別の隊員さんがチョイノリの写真を撮る。ミニバイクの女性を9人の消防隊と警官が囲むだなんて尋常ではない光景だった。
待っている間にガソリンは蒸発し、一見ただの路上に止まっているバイクでしかなくなっていた。
一体どうしてこんな騒ぎになったのか、電話をした時の私はもう冷静なはずだったと思うのだが・・・
保険屋さんが手配したロードサービス車が来てバイクを持って行ってもらったら、1時間半経っていた。
病院に遅刻をし、日比谷公園でのランチもなくなり、バイク自体が修理となって「お出掛け」は尻すぼみに終わった。
楽しみにしていた一日遅れのGWの予定。
まぶしい程お日様が光る五月晴れの一日であった。


投稿日:2008年05月06日

2008年05月06日

船場吉兆の「お客の食べ残しを使い回した」というニュースは、かなりショックを受けたのだ。ニュースを聞きながら吐きそうになったので、もし過去に船場吉兆で食事をしたことがある人なら、相当気分が悪くなるんじゃないだろうか。
過去に飲食店の噂話で「あそこの店はパセリを使い回している」「さくらんぼは洗ってまだ出す」などの話は聞いたことがあったが、いずれも悪い冗談だと思っていたのだ。
残った焼き魚をまた焼き直して出すだなんて、メインの料理そのものが使い回しだったわけで、女将は「あれは食べ残しではなく食べなかったお料理」だと言っているが、どうしてそんな考えになるのかと心底ガッカリしたのだ。
手をつけなかったお料理は、前のお客さんが宴席で机の上に乗せたまま長い時間そこにあったもの。だから、ツバだって一杯飛んでいる。
女将もそうだが、板長さんも一度いい具合いに焼いた魚を、もう一度焼くということに、料理人としてのこだわりはなかったんだろうか。二回目に焼くと更に身がしまって美味しくなるんだとでも修行中の若者で教えていたんだろうか。高い値段を取って一流の店として在りながら、どこにどういう哲学があるのかも全くわからない。
裏切るってこういうことだ。
ごめんなさいと謝っても、もう私は信じない。
また独自の法律で「あら、結果裏切っていたということになるんですね。ごめんなさい」というようなことをやるに違いないのだ。
家で食べられる食事を、わざわざ外に出てお金を払って食べるには、誰しもみんな理由がある。とても大切な思い出として、大事にしている人だってきっと居るのだ。
一体店のメニューにある値段は何を以ってその金額にしたのかと思う。
もう絶対に行かない。
船場吉兆は敷居が高くて行けない店から、一生行かない店に変わった残念な店となった。


投稿日:2008年05月05日

2008年05月05日

無料のホームページで日記を書いてみたらどうかと、入院生活が長くなった私に友人が勧めてくれて、気まぐれで何か書き始めたのが2001年のことだった。
締め切りがあるわけでもない。誰かに望まれたり期待をかけられているわけでもない。wasa−bというニックネームで本当に気楽に好きなことを書こうと始めた日記だった。
今日で8年目に入った。
ベッドから一人で下りることも出来なかった私は、あれから病院の窓の外の景色を見ることが出来た。耳を澄ませて聞こえてきた音から景色を想像するだけだったのが、今はスーパーに行って自分の買いたいものを自分で選ぶことが出来るようになった。
自分のことを見失いそうになった時に、日記に書くというただそれだけで、時に自分自身が救われることもあった。
日記を続けてきてよかったなと思うことは、その日の一部だけを切り取ってあったとしても、読めばそこからその日がどんな日だったのかが思い出せることだ。外付けのハードディスクみたいに情報がパソコン本体になくても保存しておけるのと同じ感じだ。
今はブログを書いている人がうんと増えた。
マメに更新をする人は、「save」好きな人。性質は大いに関係があるだろう。
いつまで続くのか、自分でももうわからなくなってきたが、あまり深く考えずに始めたものだから、あまり深く考えずに付き合っていけたらいいなと思う。
”今日はその人の数だけ存在する”ということを教えてくれた。
自分にしか書けない世界にたった一つの文章、それが日記だ。


投稿日:2008年05月04日

2008年05月04日

ダンボと散歩から帰って来ると、家の前の路地の所にご近所さんが立ち話をしていた。
「こんにちは」
挨拶をして家に入ろうとしたら、視界にピュンピュンと元気に動くものが入った。
子猫だ。しかも2匹。
ダンボがものすごく大きな動物に見えるぐらいのチビ猫ちゃん。斜め前の家の息子さんが2匹を貰ったそうで、前にこの辺りでよく昼寝をしていた白い猫も、男性の家の猫だったのだそうだ。
私は猫に嫌われることが多い。それらが累積していくらかは傷ついているので、もう最近はあまり自分からは近寄りに行かなくなったのだが、チビ猫ちゃん達は人懐こく早速近寄って来る。
バイクの下に潜ったり、雑草の匂いを嗅いだり。
いろんなことが楽しい様子。
いつもここに居た白いブタ猫ちゃんは、半年ぐらい前から見なくなっていた。どうしたのかなとは思っていたが、その猫が亡くなってそれでこの2匹がやってきたのだそうだ。
飼い主が居る猫と居ない猫、猫の方が圧倒的に犬よりもノラが多いだろう。外で生活をする猫は車にはねられたり、餌が定期的に得られるわけではないので、飼い猫に比べると寿命がうんと短いらしい。私は犬猫は愛情を注いでもらえる環境にあるのが幸せだと思うので、2匹の子猫が無邪気に遊ぶ姿を見てよかったなと思った。
「またね。ばいばい」
誰が自分のご主人さんなのかは知っているみたいで、最後はぴょんぴょん跳ねながら家の中に男性と入って行った。
ダンボもそう。散歩から帰って来ると迷わず自分の家に入って行く。ここが自分の家だと知っている。それが誰かの家で飼われている動物なのだ。
家の中に入るとダンボがえらくでっかく見えた。
「まだ生まれて1ヶ月なんだって」
名前もつかず犬舎で過ごした半年は、ダンボにとって自由の少ない我慢の日々だったんじゃないだろうか。
子猫ちゃん達、何て名前だったか聞くの忘れちゃったな。
「ダンボ」
名前と呼ぶと、りんごのような頭の形のダンボはもうこっちを見て嬉しそうに尻尾を振っていた。


投稿日:2008年05月03日

2008年05月03日

ゴールデンウィークも今日からは4連休となり、ニュースではまた海外に出国する人達の様子が流れていた。
毎年毎年、私はゴールデンウィークに出掛ける人達をテレビで見送って、Uターンラッシュのニュースで里帰りしていた人や旅行に出掛けた人達を「おかえり」と迎えている。それが私のゴールデンウィークになってしまった。
いいなぁ。旅行。
先日、世界一周の豪華客船の中のラウンジでピアノを弾く仕事に知人が行くということを知って、本気で羨ましがったところなのだ。なんでも、その世界一周の旅は3ヶ月かけて回る旅だそうで、少し前知人が乗れない約1ヶ月半の間、船に乗れる人を真剣に探していたのだそうだ。
私の夢は世界一周の船旅に出ることなのだ。
「ゴールデンウィーク中も仕事なんです」と言いつつ、それが世界一周の船旅の仕事だったら、多少のことは苦にならないだろう。というか、逆にそんな仕事は経験してみたいぐらいだ。
今日から4連休。
私はまた夜になったらじゃらんのページに行き、軽井沢に行ったり、箱根に行ったりしてプチ旅行気分を味わっている。
近くの区の温水プールで泳いでも、「これはホテルの中のプール」だと思うことにする。
ダンボ、ここはワンちゃんと一緒に泊まれるホテルだよと、見慣れた自分の部屋もアロマオイルでちょっとリラックス空間に。
でも今日のお料理はちょっとしょっぱかった。
昨日も同じ、シェフのお料理はムニエルでしたね。つけ合わせのポテトサラダも・・・・。明日は美味しいものが食べたいですね。
妄想4連休。
今日は軽井沢でレンタサイクルを借り、美味しいパン屋さんを探しました。満喫出来たので明日はオーストラリアに行く予定なのだ。


投稿日:2008年05月02日

2008年05月02日

コンピューターの調子がおかしいので、アップルのお客様センターに電話をした。
ここはいつ電話をしても、”ただいま電話が大変混み合っています”状態、待ち時間に流れる音楽を繰り返し聞くのだが、今日は今まで混雑をしていた中でも一番長い待ち時間だったのだ。
ようやく電話がつながって担当の人が電話口に出た。
アップルお客様センターの電話窓口の人は、毎回説明力も知識も素晴らしい。個人的にはJAFの人と救急隊員と同じぐらい尊敬をしている仕事人で、とにかく電話口にマックの人が出てくれると、それだけで問題が半分解決したぐらいの安心を得るのだ。
しかし。
マックの人達にだってそれぞれ新人の頃がきっとあったんだろう。最初から天才の人も居ただろうが、「全然ダメだった頃」を通ってスペシャリストになった人だって居る。
今日はまさに後者のタイプの「新人さん」と思われる回になった。
一番初めは良かった。いつものマックの人の美しい言葉使いの対応で始まったのだが・・・・。シリアルナンバーを尋ねられ私が答えた時から調子がおかしくなった。「Vの・・・」と読み上げると、「Vですか?」とマックの人は聞き返し、Vから始まるシリアルナンバーの製品はないとその人は言う。
「え!」
そんなことを言われたのは初めてだったのだ。しばらくやりとりがあって結局は私の伝えたナンバーで顧客がヒットしたらしく、その件はなんとかクリアしたのだが・・・。
次にお兄さんは、「別の方の名義になっているんですが」と、突然意味不明のことを次に口にする。
「は?」
だってあなた、まだ私は自分の名前も伝えていないのです。
そう伝えるとしばらく間があいて「あ、そうでした。すみません」とマックの人は謝るのだった。
きっと忙しすぎて、頭が混乱しちゃった。
あきらかに許容量を越えてしまったといった様子で、その後もマックの人は丁寧な言葉遣いではあるが、説明力も知識もこちらの話を把握する力も機能せず、唯一本人にその自覚があったみたいで、やけに「申し訳ありません」を連発していたのだ。
一部、会話の中で私の方がマックのことを教える場面もあり、いよいよ不憫になってしまった。
可哀想なぐらい電話の向こうではひからびて水分がなくなった人間が居るのを感じたのだ。
お昼休憩に行っておいでよ。
再起動したら直るかな。
うちのパソコンより調子の悪い今日のマックの人であった。