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投稿日:2008年06月10日

2008年06月10日

午後、ゴキブリ駆除の業者さんに来てもらった。
見積もりの相談の際に、隙間はなるべく塞ぐようにと言われたので、昨日は玄関のスライドドアの隙間をクッションシートで塞いで、今日に備えていたのだ。
前に住んでいた家での効果は絶大だった。保証期間内にまたゴキブリが出れば何度でも来てもらえるというのが、こういう業者さんに頼んだ時の安心な点で、「出なくなることを保証してもらえる」のが何より心強い。
今日も作業に入る前に駆除業者のお兄さんから説明があったが、「ゴキブリはゼロになります」とはっきり「ゼロ」という言葉が出て来る。今の世の中、何かを尋ねても明言を避けてあいまいにされることが多い中、はっきり「ゴキブリを退治しますよ」と言ってもらえるのは大きいのだ。「ゴキブリ退治に全力を挙げます」という言葉と「ゴキブリを退治します」という言葉では、私の後々の夜の恐怖度数が違って来るのである。
作業中は人もペットも、部屋で普段通り過ごせる。
食器を片付けたり、後で拭き掃除をする必要もない。
先が1メートル程ある細長い管がついた水鉄砲のようなグッズでペースト状の薬剤を業者さんが部屋の隅々に塗って行く。
プチュ。
プチューっ。
イメージとしてはこんな音がしている。薬剤は引金のような所を引くと水鉄砲の先から出るしくみになっているのだ。
部屋でくつろいでいてもよかったが、結局「プチュ」を全部付いて見て回った。
作業時間は1時間足らず。
何か大きな音を立てるでもなく静かに終わった。
「これでまもなくゴキブリは居なくなりますよ」
薬剤は卵にだけは効かないので、タイムラグがあるそうなのだが、大きいゴキブリは今日から見ないで済むと思っただけで、たいそう明るい気持ちになったのだ。
人間とペットにがほぼ害がないらしいが、無臭で遠目で見る感じはピーナッツクリームに似ていた。
ゴキブリさん、さようなら。
網戸にしたらスィーっと気持ちのいい風が部屋を通り抜けて行った。


投稿日:2008年06月09日

2008年06月09日

今日は母の命日。
母が亡くなってから、もう8年。
「夜に爪を切ると、親の死に目に会えない。」
以前は決して夜に爪を切らなかった私だったが、もう今はそれを守らなくなった。霊柩車を見ても、お葬式会場の前を通る時も、親指を隠すのももう今はしていない。
自由になったものだ。
母が亡くなったと聞かされた時、私は東京の病院の外科病棟の個室に入院中だった。2度目の手術が終わってまもなく1ヶ月になろうとしているのにもかかわらず、息をするのがやっとという最低ラインの体力で、毎日が辛くて仕方がない時期だった。体重も37キロ位になっていてすぐ近くにある機械みたいなのが「ピー」と音を鳴らすと、看護師さんが「頑張って息をして」と言う。だが、もうそれで十分頑張って息をしている状態でそれ以上の力が出なかった。
母が亡くなった頃、私もギリギリの所に居た。
母が亡くなったと聞いても、悲しむ余力もなかった。
しょっちゅう「ピー」と機械が音を出し、呼吸がちゃんと出来ていない警告をする。
いつか母が亡くなる日は来ただろうけれど、まさかお葬式にも出席しない形になるということは、想像もしていなかったから、母との別れはちゃんと出来ていないままだ。
本棚の所で手を合わせる。
朝、起きたら仏壇はないがチビ太、ゴン太、ご先祖さまに手を合わせる余裕が今は暮らしの中で持てるようになった。
8年経って、今日を穏やかに迎えられていることを幸せだとつくづく思う。
おかあさん、ありがとう。
母は私を連れて行かなかった。私も苦しくて仕方がない毎日だったのに、それでも生きていたいと「生」に希望を向けていた。
私の手や足の形は、母にそっくりだ。
そして声もそっくりになった。
多少体の方は不便になった部分はあるけれど、幸せを感じるアンテナを持てるようになった。
命日にありがとうとあらためて言葉をかける。
母が亡くなって、大事な記念日が一日増えた。


投稿日:2008年06月08日

2008年06月08日

家での作業が多い先輩と友人が、「いい椅子に座った方がいい」とよく真顔で言っていて、最初は椅子になどあまり興味がなかったが、だんだん影響を受けてきて自分も中古のいいオフィスチェアを買ったのが今年の春だった。
あれから3ヶ月が経った。
今やすっかり私も「長時間デスクワークをする人は、いい椅子に座った方がいい」と力説するようになったのだ。
一瞬座っただけでは違いはほとんどわからなかったが、先輩と友人が言った通り、長時間座ると本当に大きな差が出ることを、この3ヶ月で私も実感したのだった。
今の椅子に座るようになってから、何時間座り続けても腰が痛くならなくなり、椅子から立ち上がった時に、腰痛を感じることは全くなくなったのだ。そうして、最初の頃は感じなかった、家にある他の椅子との座り心地の差がハッキリとわかるようになったのである。
私は変わった。
もう肉体的に成長する箇所は、私には一ヶ所もないだろうと思っていたが・・・・。
かなり体が硬くなってからでも、人間のお尻は成長をする。
いい椅子に座ろう。
体の為に。
とにかく私は・・・。
違いのわかる尻になったのである。


投稿日:2008年06月07日

2008年06月07日

夜、外から帰って来てバイクをいつもの場所に置こうとしたら、黒い大きな大人ゴキブリが歩いていた。
<ぎゃー>
ゴキブリは慌てて去って行ったが、方角は家の壁に向かってであった。
そっちに行かないで。
一気に憂鬱になる。
ロールプレイングゲームのステージ1か何かの最後に出て来るようなでっかい親玉が登場したか位の貫禄だった。
で、ステージ2とか、だんだん難しくなっていくんでしょう?
・・・・・。
私も今から家ん中に入るんですけど。
「一匹見つけたら毎日見る」の法則に沿っている。
今日は3日連続でとうとう大人のゴキブリを見た。
明日は何が起こるの。
このあと、どういう展開になるの。
私には全く筋書きが見えない。
怯える私のそばで、ダンボがニヤリと笑う。
もしかして、お前が黒幕なのか。
誰が一体。
何の為に。
もう誰も信じられない。
信じてはいけない。
平穏だった我が家が陰謀の館へと変わって見えてきたのであった。


投稿日:2008年06月06日

2008年06月06日

昨日、風呂場で青年のゴキブリを見つけたことで、今日は昼間でも浴室と洗面所エリアが怖くなって、早くも家の中でリラックス出来なくなってしまった。
思ったより今年は出現が早かったのと、思ったより明るい時間帯に出現したこと、玄関に隙間があるので侵入口はそこだと思っていたが、必ずしもそうではない様子であった。
どうしよう、この先。
去年は最初玄関で見つけてから、度々大人黒ゴキブリが家にやって来るようになり、夜はビクビクしながら過ごしていたのだ。だが去年はゴキブリが居なくなる前に、私が具合いが悪くなって入院をすることとなった。なのでゴキブリ側は「アイツをやっつけた」と勘違いしているんじゃないかと思うのだ。
そうして「また今年も追い出せる」と強気になっているに違いない。
今年は玄関の隙間からだろう、春先にミミズまで入って来ていた。なんでミミズが・・・。スライド式のドアとドアの丁度重なっている所が隙間を作っていて、我が家の玄関エリアはミニ生物達の憩いの場になっているのだった。
なんとかせねば。
そう思いながら仕事場のドアを開けると、
「あ!」
お前は、チビゴキブリ。
チビゴキブリがトコトコと歩いているではないか。
<ドン!>
怒りと悲しみと恐怖で即踏みつぶした。
どんより・・・。
1匹見つけると100匹居ると聞いたことがあるが、私の経験上1匹見つけると毎日見るようになり、昨日の今日で全く手順を踏んでいる状況となってしまった。
チビゴキさんは今年、この家のどこかで生まれた。
そして彼等は自分の家だと思っている。
気持ちはわからないではないが・・・・。
ヤモリが居た年、玄関にひっついているのがたいそう気持ち悪かったが、そう言えばゴキブリは出なかった。ヤモリは「家を守る」というのは本当だとヤモリを恋しく思い出したのであった。


投稿日:2008年06月05日

2008年06月05日

午後、出掛ける前にシャワーを浴びていたら、髪を洗い終わった時にふと視界に黒い物が入ってきた。
こんな所に・・・。
碁石のようで碁石でない。
アー、ユー、ゲンゴロウ?
足下でシャワーの湯から逃れようとして急いでいたのは、中サイズのゴキブリだった。
<ギャーーーッ>
心の中では絶叫しながら、今までと同じように無言で思い切りシャワーの湯で攻撃をしてゴキブリを排水口まで流した。楕円形の中ゴキは排水口に消えて行ったが、その上からシャンプーやらコンディショナーやらを更に撒いて、風呂から上がるとゴキジェットを噴射したのだった。
引っ越してきた年は一匹も出なかったのに・・・。
0と1とでは大きな差があるんだという話は聞くが、ゴキブリを例に挙げると一番私にはしっくりくる。1匹居たらその日を境に自宅は恐怖の館になるのだ。そうしてこの日から借り主が「犬と私」から「犬とゴキブリ一族と私」という図になる。
トイレに行くにも、洗面所に入るにも「今から入りますよ」とかなりアピールをして生活をせねばならず、本当に共同生活の難しさを感じる。
あの中ゴキは、一体どこからやってきていたのか。
いつも聞き出せないまま退治してしまうので、今日も不気味に理由がわからないまま、彼等が「居ますよ」ということだけを知らされた形となった。
カナブンじゃなかったですよね。
やっぱりゴキブリですよね。
今年もたった一匹を発見することにより、非常に暗い気分になった。我が家のゴキブリ前線は例年より1ヶ月程早く訪れ、それに伴い私の体は”さぶいぼ現象”に見舞われるのであった。


投稿日:2008年06月04日

2008年06月04日

表参道FABに、しらいしりょうこちゃんと千宝美ちゃんの二人が主催するライブを観に行った。
しらいしりょうこちゃんは服部祐民子ちゃんのライブで知り合って、その後西川峰子さんの福岡ライブでギターを弾いてくれた末松さんがりょうこちゃんの制作に携わっていると知ったのだった。
人と人って本当に繋がっているのだ。
そんな彼女の親しい友達が千宝美ちゃんで、その千宝美ちゃんは彼女がまだ大阪に住んでいた時に近藤ナツコちゃんの紹介で知り合っていたのだ。私が入院するまでよくメールのやりとりをしていた。当時の彼女はまだ曲を作り始めたばかりだったと思う。先輩としてのアドバイスをよく尋ねてくれたことを記憶している。
少し前までりょうこちゃんと千宝美ちゃんが仲がいいとは知らず、今日はほぼりょうこちゃんの計らいで千宝美ちゃんとの久しぶりの再会も同時に果たせる日となった。
二人共、ピアノを弾きながら歌うスタイルで、それぞれソロのライブを観るのは初めてだった。のびやかな声で自分の世界観を歌にする。こうしてライブを観に行ってよく感じることは、女性アーティスト達のパワーだ。きっと普段はそれぞれたまに自信をなくしたり、このままでいいんだろうかと考えたり、また一人の女性としてのいろいろなことだってあるはずで。だがライブに立つ時にはきっちり整理をつけて、すがすがしく笑顔でそこに現れる。
りょうこちゃんも千宝美ちゃんも、しっかり自分の世界を持っていて、生命力あふれる笑顔でライブを進めて行く。いいなぁと思った。
表参道を歩くのは久しぶりだった。
2日続けてお洒落な街を散策し、2日続けてライブの日となった。


投稿日:2008年06月03日

2008年06月03日

代官山「晴れたら空に豆まいて」にてライブ。
雨。今日は6月の天気だ。
灰色の雲に覆われて、かすかに小雨が降っている。代官山は元々のイメージは「お洋服を買い物に来るお洒落な街」だったのでもしも買い物に来るのなら、晴れた日にしようと日にちをかえているのだ。
daikannyama.JPG
代官山は坂が多い。小さな道が方々に伸びていて、地図を把握して歩かないと迷路のようにもなってしまう。が、そんな迷路の中に可愛いらしい一点物のお店やカフェがちょこんとあったりするので、迷っても楽しいのが代官山ウォークなのだと思う。
今日のライブの曲目に「あじさい」と「キミに出会って」の2曲がある。「あじさい」は厚く曇った空とあじさい、「キミに出会って」はノラ猫の目線で書いた曲で、リハーサルが終わると代官山の路地散策に、2曲の景色を見つけに出掛けたのだった。
この街は車で来るには入り組んでいる。一方通行も割とあるので、坂道は多いがギアがついている自転車で来ると探検が出来そうだ。
でも今日はネコになって歩いてみる。
古いマンションが汚く見えないのが代官山。築年数がかなり経っていて、外観もさほどお洒落でない建物が不思議と小汚く見えず、素敵な古マンションに見えるのも代官山マジックだ。
あじさいを見つけた。
ajisai.JPG
ネコになったらこんな場所も道になっちゃうんだろうな。
nekomiti.JPG
明るい洋書屋さんを発見。駅からちょこっと離れているにもかかわらず、店内にはお客さんが数人いた。
途中で道がわからなくなって、道を尋ねる。やっぱりネコにはなれないなとここで思う。
古い木造の家。どんな人が住んでいるんだろう。
今日は6月の雨。
シトシトと粉砂糖を濾すように霧雨の代官山を歩いた。


投稿日:2008年06月02日

2008年06月02日

犬のしつけでよく言われることは、「犬が悪いことをした時というのはその場で叱りましょう。」時間が経ってからだと、犬は何故叱られているのかがわからず、混乱するからなのだそうだ。
それは、ほんとなのですか。
犬は自分が悪いことをしても、ケロっと忘れちゃうってことなのだろうか。
嘘だ、そんなことはない。ウチのダンボに限っては「覚えている」と私は確信をしているのだ。
だって・・・。
私が外出から帰って来た時、その日のダンボに後ろめたいことが何もない場合、彼は私の帰宅に対して完全無視をしたまま布団の中でタヌキ寝入りをしているのだが、何か食べ物をゲットしたりした日には、「ただいま〜」と部屋に足を踏み入れた瞬間に布団から慌てて出てベッドの下に逃げ込むのである。
その行動をした時には、腹いせマーキングがどこかにしてあるか、私の食べ物をどうにかしてゲットして完食しているかのいずれかで、時間が結構経っていても自分が何かしたかどうかをこの犬はちゃんと覚えているのだと私は思うようになったのだ。
で、ゴミ箱を漁って何も手に入れることが出来なかった時だけは、ゴミを散らかしたという悪事を忘れて私に布団をめくられて叱られているのだった。
最近はどのようにして盗んだのかが今一つわからないが、どうにかして私の机の上に置いた食べ物を盗る技を修得したようで、クロワッサンがなくなっていたり、チョコレートがなくなっていたりする。
どうやって?
いつの間に?
クロワッサンはパン屋さんで一個売りをしている高い方のクロワッサンだった。キミに味の違いなんて言われたくもないし、だいたい数時間経つと人間の食べ物が体に合わないダンボはそれらを吐くので、ダンボに盗まれた食べ物はただただもったいない終わり方しかしないのだ。
ダンボが逃げることで、「何か盗られた」のだと思う。
でも時々、私は何を盗られたのかがわからない時がある。クロワッサンもチョコレートも、自分が食べてなくなったつもりに一瞬なっているのだ。
数時間前の悪事を、犬は覚えている。
ダンボは時々天才になる。
ダンボは時々、愚かな天才になるのである。


投稿日:2008年06月01日

2008年06月01日

父、しげおっちの誕生日。
しげおっちは私にとっては父だが、今や4人の孫のお爺さんになり年齢も今日で80歳と立派な老人年齢になった。
プレゼントが送れなかったので、夜に電話を掛けた。
「なんや」
「お誕生日、おめでとうございます」
電話の向こうではテレビが流れていて、いつもならそそくさと電話を切るしげおっちだが、今日は話題がちょびっとあるらしい。
「孫達が来よったわ」
「3人で」
しげおっちが言うには、一番末っ子の弟以外高校生と中学生と小学生の3姉妹で、プレゼントを持って実家にお祝いに来たということだった。
「何話したの」
「パジャマくれたわ」
この時点で既に会話として成立していないが、しげおっちは普段私への接し方も大変ぎこちない。<娘とどう接したらいいかわからん>不器用さが不憫に思える程ジェントルマン度数が低く、一言で言えばただの変わりものの爺さんでしかないのだ。
そんな爺さんが、孫3姉妹とどうコミュニケーションを取ったのか。
「あんたは何年生になったんや」
という質問はしていそうだ。
その場に大人の私や妹が居たら、こっちに話し掛けてくるんだろうが今日は逃げ場がない。
今度は次女に
「ほんで、あんたは何年生や」
と、尋ね・・・・。
小学生のおチビちゃんに同じことを聞く。
「ほうか・・」
会話、終了。
どうする、アイフル。
さぞかし話は盛り上がらなかっただろう。姪っ子達ががしげおっちに懐いているという話は聞いたことがないので、もしかしたら今日は3姉妹に母親である妹からバイト代が支給されたかもしれないと思ったのだ。
異星人との交流。
今日はきっと孫達を泣かせないよう、しげおっちはしげおっちなりに目一杯の気を使ったんだろう。
電話を切るとクスクス笑えてきた。
もう誰とも上手くコミュニケーションが取れなくていいので、元気で長生きをして欲しいとこれまた変わりもんの娘は願っている。