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投稿日:2008年07月21日

2008年07月21日

海の日。
父、しげおっちから電話が掛かってきた。
「なんか、朝顔が届いたわ」
昨夜、朝顔まつりの会場から父宛てに朝顔を送ったそれが早速届いたのだ。花好きの父なので、ちょっとは喜んでくれたのかなと思ったのだったが、
「ワシ、24日からショートステイでおらへんから、今日たまたま千絵が来よったんで、やったわ」
千絵というのは私の妹なのだが、偶然今日は実家に来たらしい。
「そんな、朝顔なんてもうても出掛けて水やれへんかったら枯れるがな」
と、父は言い訳を述べ、ついでに
「あんなもん買って、送っても金もったいないやんか」
と、指導まで頂いた。
関西人のじじいというのは、実に面倒臭い生き物なのだ。父の言葉というのは、聞く人によっては「私のしたことって迷惑だったのかしら」と感じさせるニュアンスがある。”ワシは留守にするから、妹にあげたんだけれど、でもありがとうな”の気持ちが、父の話の仕方からはなかなか汲み取れないのである。
関西の不器用な爺さんには、多かれ少なかれみんなこういう所がある。
というか、関西にはまず加山雄三はいない。
関西に住んでいれば男の人はほぼみんな年を取ると父、しげおっちみたいな妙ちくりんな年寄りになるのである。
面倒臭い。
かつ不憫。
しかし、ひとしきり文句を言ったあとで、言い過ぎたと思うのか何なのか
「入谷の朝顔まつりって有名やないか」
と、朝顔まつりについてちょっと会話をしようと急に努力をする。
不憫。
なんて遠回り。
めずらしく普通の社会レベルの会話が一瞬出来る父になり・・・
また最後に
「金、もったいない!」
と、説教になる。
そして今日もぶっきらぼうに電話は切れた。
・・・・。
お金、そんなに勿体ないかなぁ。
いいんです。
この短い変てこな電話が出来たことが、私にはそれだけのお金の価値があるんです。
なんだかんだ言ったって、親子は愛情で繋がっている。
親の気持ち、子知らず。
それから、
子の気持ちだって、親は知らないのである。


投稿日:2008年07月20日

2008年07月20日

夜、入谷の朝顔まつりに連れて行ってもらった。
7月の初め頃、毎年ニュースでほおずき市と朝顔まつりの様子は見ていて、この2つのお祭りは東京の夏が始まる合図のような存在なので、一度行ってみたかったのだ。ほおずき市は今年も行けなかったが、サミット開催の影響で今年は朝顔まつりの方が例年より遅い開催となり、今日は夏の天気と朝顔がぴったりと合う祭り日となった。
「入谷」という場所に来たのは初めてだ。
上野公園から浅草の方を廻る巡回バスが近くを通っているので、そばを通ったことはあった。その時はただバスに乗って揺られていただけだったが、電車だと日比谷線入谷駅もしくは山手線鴬谷駅からが近い。入谷の鬼子母神があってここは東京の下町と呼ばれているエリアだ。
「一鉢、どれでも2千円!」
「4色咲き、大輪ですよ」
道路の片側がやきそばやフランクフルトなど飲食テントが連なり、反対側はどの店も全て朝顔づくし。ニュースでも「1鉢2000円」と明記してあったので、値段は決まっているのだろう。
朝の5時から夜10時までの3日間だけの朝顔まつり。
店先で訊ねたら、これから2ヶ月間毎日花をつけて楽しませてくれるのだそうだ。
朝顔は朝咲いて夜にはしぼんでしまう花。
そっか。だから夜に行けば花が咲いているところは見れないんだった。
何色の花が咲くのかはお楽しみ。
お祭りは夜がいいなと漠然と思っていたが、朝顔のお祭りだったら朝がやっぱり綺麗かもしれない。
今まで朝顔は私の夏のガーデニングのラインナップにはなかった。ただなんとなく、夏休みの宿題のイメージが強すぎて、それにちょっと地味な感じもあった。
毎日、咲くのかぁ・・・。
小学生以来の朝顔。
こっちの鉢のは何色が咲くのかな?
青い花が入っていたらいいな。
「一鉢、下さいな」
鉢に掛かった”入谷の朝顔まつり”の札が、風鈴のように風に揺れた。
蒸し暑い夜。
生ぬるい風が肌にまとわりつく。
そう、お祭りの夜ってこんな感じだ。
2008年、東京も本格的に夏がやって来た。


投稿日:2008年07月19日

2008年07月19日

バス通り沿いに「年中クリスマスイルミネーションの家」がある。
私がここに引っ越して来た2年前の春から、既にチカチカと光を放っていたが、今は前を通るたびに胸が痛くて仕方がないのだ。
切れたままブラーンとぶら下がっている電飾。色が褪せてかつずず黒くなったコビトの電飾人形達。数体あるお人形は電気がついているものと電球が切れたものがある。ここの家のイルミネーション達は外に放置されている状態で、まるで生き残りゲームのように数ヵ月ごとに中の電球が切れているのだ。
「あぁ、この子がダメになっちゃったのね・・・」
と、うなだれて前を通る。
隣りの家と同じ形をしているのだが、イルミネーションの家は外の掃除をしていないようで、花壇の手入れもそうだがゴミや葉っぱの始末もしないので、隣りの家とのメンテナンスの違いがよくわかるのだった。
家人を一度も見たことがない。
もしかしたら、人が住んでいないのかしら。
転勤中、とか?
もういいじゃない。
人ん家のことなんだから。
<ここのゴミを取りたい。>
<切れた電球をかえたい。>
<色褪せたお人形さんたちを納屋にしまいたい。>
<ガレージを掃きたい。>
朽ちたイルミネーション。
きっと
切れた電球が寂しいのではない。
物事が続かないことについて、私はそれが自分の場合でも他人であっても、何故かしら同じぐらい残念な気分になる性質なのである。


投稿日:2008年07月18日

2008年07月18日

東京は連日猛暑が続き、蝉が朝晩鳴く頃となった。
前に住んでいた家と今の家か大きな公園近くなので、それで蝉が夜も鳴いていることを私は知ったのだ。
日中に「ジーー」「ミーー」と鳴いているのには馴染みがあったが、夜に鳴いているのを聞くと今でも「これは何の虫だろう」と少し気味が悪く、イメージとしては蝉っぽい蛾が不気味に鳴いている図が浮かんで来る。
夜に鳴いている蝉と昼のは同じ者の声なのか。
蝉は10日間のうちに恋人を見つけて、結婚をして子供を作らないといけないわけで、すごく厳しいノルマと締め切りを課せられている。だから彼等の鳴き声を聞くとちょっぴり頭が下がる思いがするのだが、蝉にも「夜生まれ」「明け方生まれ」「昼生まれ」がいるんだろう。なのでそれぞれ生まれた時刻を起点としたサイクルで一日があるのかもしれないな、などと思うのであった。
真夜中に蝉になった個体は、昼はまぶしすぎて活動なんてとんでもない。わしゃ寝るぞ。と言って寝ていて、朝生まれの蝉は日中にガンガン飛びまくっている。
ただ日中生まれの蝉は夏休みのちびっこ達が蝉取りに来るので、夜生まれの方が平和な蝉人生が送れるかもしれないと思う。
蝉の声を聞いて思う。
私は早春の深夜生まれ。
暑い季節と早起きは苦手というのは、私にとって自然なことかもしれないのである。


投稿日:2008年07月17日

2008年07月17日

今日はDーnaughtのライブ。
今日も真夏の日差しが刺すように照らしているが、昼の歌舞伎町は眠っている時間帯で人もまばらだ。だが大きな看板がところどころに掛かっていて、若い茶髪のホストの顔写真が並んでいたりする。やっぱり独特の世界が漂うエリアなのだ。
リハーサルが終わると、近くの定食屋さんにメンバーのkazzkiくんとご飯を食べに行く。リハーサルから本番までの過ごし方はみんなそれぞれ、時間が結構ある日だったのでご飯を食べたあとはkazzkiくんと近くにある「花園神社」にお参りに行った。
ここは敷地の中に簡易テントで囲まれた演芸場みたいなものがあるようで、平日の午後にもかかわらずアニメ声の女の子の何やらイベントをやっていた。お客さんは居るんだろうか。背伸びをしてのぞいてみたが、テントで目隠しをしてあって中の様子は見えなかった。
神社を出るとkazzkiくんと別れて、私はまたブラブラすることにする。日中は、少し外を歩いただけでフラっとしそうだ。クーラーのあるところで休みたいと米兵というブランドリサイクルショップに入って涼んでいたら、ビルの最上階に楽器屋さんがあるのを発見。そこで気になっていた品を見つけて勢いで買ってしまった。
高い涼み代になったのだ。
「よ〜し、これで音楽を頑張るぞー」
楽器屋さんで衝動買いをした帰りは、いつも”明るく”こう思うのではなく罪悪感を払拭するためにこう思っているような気がする。大学生の頃から同じことを累計何度してきただろう。
今日のイベントは、Dーnaughtのメンバーも知っているグループとのカップリングだったようで、楽屋では和やかな会話が飛んでいる。会話を耳にしながら”あぁ、メンバーもいろんな場所でいろんな人達と知り合っているんだなぁ”と、なんだか嬉しくなったのだ。
同じように夢を持って頑張る音楽をやっている人間は、知り合ってから時間が経つにつれ思いの深い友だちに変わって行く。例え最初はなんとなくソリが合わない相手だったとしても、不思議なものでそのうちささいな感情を越えたもっと大きな思いが芽生えてくる。
頻繁に会う付き合いにならなくても。
ライブが終わって片付けていたら、対バンのメンバーの人に声を掛けられた。
「D−naughtのメンバーは、みんな兄弟なんでしょ。」
「ええ」
「で、キミはメンバーの彼女?」
「は!?」
「みんな兄弟だったら何か繋がりがあるのかなと思って」
「あはは、何もないですよ〜」
こういう時って、喜んでいいのかどうなのか・・・。
音楽を頑張ってきて、こんな質問をされたのは生まれて初めてであった。


投稿日:2008年07月16日

2008年07月16日

少し前、家の近くですごい女の人とすれ違った。
女性は恐らく3人の子供の母親で、自転車の前と後ろに小さい子供を一人ずつ乗せ、そして一番幼い子を背中におんぶした状態で自転車を漕いで行ったのだった。
屈強なタイプでもない普通体型の30代ぐらいの女性だった。
警察に見つかったら違反として止められるだろう。
だが、その姿を見た時の私は思わず釘付けになった。そしてお母さんはすごい人だなぁと、なんだか妙に感動をしたのだった。
そもそも、自転車の2人乗りが禁止なのは「危険」だからだ。女性がそんなことを知らないわけがなく。3人の子供を連れて自転車に乗る時には、違反であることも危険であることも承知の上で、だが「何か」との比較をした結果こちらの方がいいと判断をしたのではないだろうか。
小さな決心をしてよいしょと自転車で家を出たのだろう。曲芸チックな自転車を目撃した時、「まぁ、何て危ないことをする母親かしら」という風には感じなかった。「私がこの子達を守ります」という神々しさをこの女性は放っていたのだった。
電動自転車が現れたのは、坂の多い所で暮らしている人達にとって画期的な出来事だったと思う。
そして今年3月、車いすメーカーが子供2人を乗せて走れる自転車「かるがも」を開発し、それがまもなく発売されるそうなのだ。値段は7万円前後と電動自転車と同じぐらいなので、これは普及するかもしれない。
<お母さんと一緒に自転車で出られて嬉しかった。>
あの日見た3人の子供達は、お母さんの愛の大きさをまだ知らない。
私はその女性に心打たれた。
ある日の夕方のことだった。


投稿日:2008年07月15日

2008年07月15日

「酔って前日のことを覚えていない」
そんな話をよく聞く。私自身はそういう経験がないが、「この人どうしちゃったの!」位酔っ払った人を目の当たりにし、すごく困ったことが一度あったのだ。
あれは京都でのある夜のこと。
私は何かの飲み会に彼氏と出席をし、帰りは私が彼氏の車を運転して家に送ることになった。だが、道中ささいなことから口論となった。お酒が入った状態で激高したせいか、彼は気分が悪くなったようで口論は一旦中断、車を停めると道端に彼氏は吐きに行ったのだった。
ちょっと心配になったので車を降りて「大丈夫なの」と尋ねたら・・・・、
その瞬間に彼氏の人格が変わったのだ。
振り向くと同時に
「はぁ〜〜〜ッ!」
動物が威嚇をするような仕草をしたのだった。その後は人が変わったように声色も変わり、意味不明のことをブツブツと言っている。内容はあの世に行くかどうするのかといったオカルトチックなもので、全く会話のキャッチボールが出来なくなってしまったのだ。
まるでキツネに憑かれたという表現が近い様子。
「はぁ〜〜〜ッ!」
こんな酔っ払いは初めて。
本当に何かが乗り移ったみたいだった。
結局1時間位経ってもおかしな状態のままだったので、一人にしておけないと判断、車を止めたあとでタクシーに乗せて友人宅に連れて行ったのだった。友人宅に着くとただの泥酔したヒトに戻りそのまま即熟睡、次の日昨夜の妙な言動のことを尋ねても、タクシーの中でゲロを吐いてエラい怒られたことも、何一つ覚えていなかった。
だいたい「酔っ払い」自体が何かに乗り移られているような物体なのだが、その日は輪をかけた変貌ぶりであった。
とにかく「酔っぱらって覚えていない」人は、ほぼ周りの人に迷惑をかけている。
酔っ払いの法則なのである。


投稿日:2008年07月14日

2008年07月14日

岩手・宮城内陸地震が起こってから今日で丁度1ヶ月が過ぎた。その前に中国四川省での地震が起こり、この地震でもたくさんの方が被害に遭われた。
何かが起こると、命を落とす人と助かる人が居る。
その命の境界線が、私は何で決められているのかがわからない。
亡くなられた人について、生前親しかった人が「あの人はいい人だった」と言う。亡くなったどの人も直接褒め言葉を伝えられる機会はご本人はなかったかもしれないが、誰かに感謝され、社会からも必要とされている存在だったのだ。
世の中にはたくさんの悲しい出来事がある。
そしてそれについては多くの人も胸を痛めているはずだ。でも相変わらず身近なところでは何が変わるわけでもない。電車の中では老人を目の前にしながら、優先座席を奪って座り資料を見入るスーツ姿の男性がいる。自転車置き場で自分が倒した自転車をそのまま見て見ぬふりで去って行く人がいる。客だからと言って必要以上にエラそうに店員さんにしている人がいる。etc・・・・。
だがこの人達だって、社会から悲しい出来事が少しでも少なくなるようにと、願う気持ちはきっと持っているのだと思う。自分に何が出来るだろうと募金をした人だって数知れず居て。
世の中に起きている悲しい出来事のどれぐらいかは、人の心次第で未然に防げることだ。
私は被災地に行って何か自分に出来ることをという活動は出来なかった。
世の中に起きる悲しい出来事が少しでも少なくなってほしいと願っている。
それにはまず身の周りの手の届く範囲からだと思う。知らない人と知っている人、分け隔てなく思い遣りを持てる私達になりたい。今日、生きていることに感謝をして、喜怒哀楽の使い道についてはしっかり考えなくちゃいけないと思う。


投稿日:2008年07月13日

2008年07月13日

東の窓から見える草野球場は、真夏日になってからも毎日大人や子供達が試合をしに来ている。
「こんなに日差しが強いのに、野球なんかやって大丈夫なの?」と、他人のことながら少し心配になるのだが、このグラウンドには年明け早々から野球をしに人がやって来ていた。お正月以外にも、師走の慌ただしい時期や真冬の寒い時期、一年を通してこのグラウンドにシーズンオフはなく、いつも誰かしらが野球をしているのだった。
ここに来る人達はみんな、野球が好きなのだ。
大きな杉の木は年中緑色だが、芝生の色が季節で随分変わる。私は野球場の景色を見て四季の移り変わりを感じている。芝生は冬は枯れた茶色をしていて、霜が降りる日は白く氷が張ったように見えて薄く霧がかかっていることもある。夏は鮮やかな緑になり、たまに芝刈り機で職員さんに散髪をされている。
夕方、犬と一緒にグルっと周りを歩くとユニフォームがどろんこになった子供達の姿を多く見る。
おかあさんは洗濯が大変だ。
ここのグラウンドからは、通常でも声が聞こえる距離に私の部屋はあるが、時々風に乗った声がうんと近くで聞こえる時があって、「山本さん」などの短いセンテンスだけが切り取られて風で運ばれて来ることもある。
「カキーン」と音がする。
青空に白球。
今のはホームランの音かな。
こんな暑い日にもやりたい好きなことがあるのが、何よりいいなと思う。
もうすぐ蝉の声がするよ。
東側の窓から見える景色は心地いい。
ここが私の四季の窓だ。


投稿日:2008年07月12日

2008年07月12日

パソコンに向かって座っている位置から見える窓に、毎日ヤモリがひっついているのを見るようになった。
基本的にヤモリは苦手なのだ。だから窓で区切られているとわかっていても、動くのを見るとやはりゾゾゾーーっとする。だがどうやら2匹がここを住み家にしているらしく、「たっくんとモコちゃん」と名前をつけたのだった。
更にチビヤモリが1匹居るようだ。
昼間このチビちゃんは窓にひっついている。
キミは最近生まれたの?
他にも兄弟が居るの。
寸足らずのヤモリはちょっと間抜けな感じだ。動くとおたまじゃくしみたいにニョロニョロっと泳いでいて面白い。
チビちゃんはいつも単独行動で昼だけ居る。
そして最近、一番大きなたっくんの姿を見なくなった。
元気にしてるの?
食べられちゃったのかしら。
ひからびちゃったのかしら。
苦手で気持ち悪いのには変わりはないが、ヤモリ達が全員元気にしているかどうかが気になる。
夜。
チビちゃんは居なくなり、
・・・やっぱり一番大きなのが今日も居ない。
モコちゃん一匹。
死んじゃったのかしら。
夜は窓の所ばかり見ている。
ウチの中では飼えないが、外ならウチに居てもいいという微妙な境界線・・・・。
だがたっくんが居ないと、ちょっと寂しい我が家の夜なのである。