月別アーカイブ : 2008年7月

投稿日:2008年07月11日

2008年07月11日

「ダンボ、お散歩に行く?」
近所の図書館で「いぬのきもち」という本を借りて、そこに書いてあることを実践するようになってから、ダンボに顕著な変化が出てきた。
たくさんのサイトと本をお手本にしたが、今回は私が驚く程の効果があった。前の家に住んでいた時は、外に連れて行くと、ダンボは家に帰るまで尻尾をギューっとお尻の下に入れたままだった。人のことも犬も嫌いだったし、私とのコミュニケーションもほぼ全くと言っていい、外に出ている間は出来なかった。
今の家に引っ越してから、だいぶ尻尾を振って歩くようになったが、それでも途中でヤル気がなくなったり早く帰ろうと引っ張って先に行ったりするので、”あまり散歩は好きじゃない”という認識があったのだ。
だいたい、だいぶ変化が出たなぁと思っても、散歩に行きたがる日とイヤがって逃げる日があった。
<なんで今日はイヤなの>
昨日の散歩で「もう明日から行かない!」と彼なりに決心した何かがあったのかどうかそれもわからず、飼い主が頑張っても、元々出るのが嫌いな犬もやっぱり居るんだわともうそれで折り合いをつけていたのだったが・・・・。
ひょんなことで見つけた「いぬのきもち」。
散歩が好きになるしつけ法というのを実践したら、たった数日であのビビリん坊のダンボが私の顔を時々見ながら、散歩に出ている時に終始尻尾を振るようになったのだ。
散歩の時の「ご褒美のオヤツをあげるタイミング」に鍵はあった。本当にタイミング一つだった。そしてそれまで他の犬を怖がっていたのが怖がらなくなり、ダンボ自身に余裕が出来てきたら、今度は外でも私の言うことを聞くようになった。落ちたものを拾う、待てと言ったら待つ。前は完全に私は無視されていたが、これもオヤツのあげ方で、改善されたのだった。
ダンボがフリフリ尻尾を振って歩く。
ほんとにこんなに急に変わって驚いた。
「やっとちょっと成長したな。ま、これからも精進するように」
はい、ダンボさま。
世の中にダメ犬は居ないというのは本当だ。正しい伝え方を人間が覚えた時に、動物は初めて合格をくれる。
よいしつけ本とは、飼い主をしつける本なのだと今日も夕方、川沿いの道を歩きながら思うのであった。


投稿日:2008年07月10日

2008年07月10日

急に真夏の天気がやって来て、もう夏バテ状態になってしまった。
昨夜からどうも具合いが良くなかったのだ。今日は夜にDーnaughtのkazzkiくんとの作業があったので、なんとかそれまでに楽にならないかと横になっていたが、結局夜になっても復帰出来なかった。
kazzkiくんに電話をして、今日の予定は中止にさせてもらった。
まだ梅雨明けもしていないというのに・・・。
私の「一年すごろく」、割と私はよく「3マス戻る」や「ふりだしに戻る」に行ってしまう。
要注意なのだ。
本日のマスは、一回休み。
睡眠をたっぷり取って、また先にコマを進めたいのである。


投稿日:2008年07月09日

2008年07月09日

100日間続けられたら、人はそれを習慣にすることが出来るのだそうだ。先日、お仕事でお世話になったKさんがそう言っていた。
そうなんだ。
自分が続いているなと思っているのは、日記を書くことと最近ではプール通い。プールは去年の夏に行きはじめて、その後体調を崩してから春まで全く行かなかったので、そのまま行かなくなると思っていたが、ほぼ習慣としてプールに行くことが自然なことになった。
ギターも100日、頑張って続けていたら弾けるようになっていたのかもしれないが、いずれのトライもそれまでにあきらめたりイヤになったりしてやめたので、「100日で習慣に出来る説」は私の行動パターンとしてはピッタリ当てはまるのだ。
続かなかったことはたくさんある。
吉祥寺のケーキ屋さんのケーキを食べて全制覇し、ケーキ通になろうと思ったことや、切り絵セットを買ってきて、これで切り絵アートを製作するぞと意気込んで結局1つ切り絵を完成させたきりになっているし、油絵セットは押し入れの奥に入れたまま・・・。
新しいことに興味を持ったら、「まずは100日だけ頑張ってみよう」という心持ちでトライすれば、気負いもないし身近な目標が具体的にあるので、同じことをするにしても張りがある。
助走期間が100日、であとは慣性でそのまま行けちゃうだなんて、人って単純に出来ているんだなと思った。
「こんなことやって意味があるのかしら」
「それで上手くなるのかしら」
はじめに興味を持ったものをやめてしまう時というのは、自分に対してクエスチョンを抱いた時。信じる心と疑う心、心一つでその先の道は変わって行くんだなと思ったのだ。
「とにかく100日頑張ってみよう」
次に好きなものが出来た時、今度はそれをお守りに頑張ってみようかなと思う。
そう、そこからはじまる。
夢はいくつになってもきっと叶えられるのだ。


投稿日:2008年07月08日

2008年07月08日

「あら、ゴキブリちゃんが居るわ」
ベッドの下を掃除して下さっている時にヘルパーさんがそう言った。
「えっっっ!!」
ゴキブリ駆除をしてもらってから約1ヶ月。
あれからゴキブリを見なくなっていたので、もうすっかりゴキブリに関する悩みが消えて我が家がまたくつろげる空間になっていたというのに・・・。
それはもう前に死んでいるやつなのですか。
「あらっ。まだ生きているみたいだわ」
「ええっっ!!」
裏返ってもがいているゴキブリ大を見て、それがさっきまで自分が寝ていたすぐ真下に居たんだと思うと、ゾゾーっとした。
「私ね、結構ゴキブリは大丈夫なのよ」
Nさんはゴキブリを新聞紙で包んで手でぎゅーっと握りつぶして下さった。
素晴らしい。
大尊敬。
それでそのゴキブリは死んだが、しかし一体どこからこんなデカいのが入って来たのか。
どんより。
ウチの中は「どこを通ってもゴキブリ駆除剤がある」そうなので必ずゴキブリは駆除剤を口にするらしいのだが、外から侵入してくるゴキブリまで阻止は出来ないのだそうだ。
入って来るゴキブリとはほんの短い間同居しなくちゃいけない。だから一泊素泊まりぐらいのお付き合いは今後もあるということなのか・・・。
いや。
それはいや。
「た、たすけてください・・・・」
場合によってはこの旅のゴキブリは、私を頼りにして来たりもするということも有り得る。
考えただけで心が重たくなってきたのだ。
ヤモリってゴキブリを食べるんじゃなかったっけ。究極の選択として、窓の外にひっついているたっくんとモコちゃんを、正式にウチに招き入れて我が家のペットにしようかと思うのだ。
ねぇ。
素朴な疑問。
ゴキブリはなんで大きくなってもゴキブリなの、
イモムシがサナギになって蝶になるように、ゴキブリも文鳥やリスになってくれたらどれだけよかっただろうかと真面目に悩むのであった。


投稿日:2008年07月07日

2008年07月07日

七夕。
一年に一度しか会えない恋って、どうなの。
会えない時間に〜愛育てるのさ〜という歌があったが、私は単純に好きな人とは会う時間を頑張って捻出して、それで愛を育てたい方だ。
今日はあいにくの空模様。
おり姫と彦星は会えそうもなく。
でも星にとっての一年は、
人間の一年の長さとはまた違うから。
毎日会っている二人が、今日は天気が悪いからデートは今度にしようかぐらいのものだったりするのかもしれない。
また来年。
会えないより会える方が、やっぱり恋はうまく行くと私は思う。
メールや電話もない空の上で。
たくさんの星があるんだから、もっと近くに居る身近な人にしたらいいじゃないのと言ってみたけれど。
やっぱり彼がいいみたい。
「好き」の引力は無重力の宇宙でも働いている。
七夕のおはなし。


投稿日:2008年07月06日

2008年07月06日

明後日から始まる、劇団☆新感線のプレビュー公演、「五右衛門ロック」を観に行った。
東京公演は新宿コマ劇場で7月28日まで、大阪は来月の8日から大阪厚生年金会館で24日までで、チケットは既に完売したのだそうだ。
初めて中に入った新宿コマ劇場。私には演歌の大御所がステージをする場所というイメージがある。実際に北島三郎さんが使用するだけの専用の楽屋があるのだそうで、昭和の大きな演芸舞台は独自のしきたりがありそうなのだ。
以前はこの近くにリキッドルームというライブハウスがあった。リキッドルームが移転してからは来ることもなかったので、私も久しぶりに訪れたのだった。
赤いじゅうたんに古びた階段。中は半円形に見えるステージとそこからスリ鉢状に上に客席が広がっていて、他では観たことのない空間になっていた。特に1階席と2階席のような別れ方のない連なった客席の形は、広々としていてなんだかとても素敵に思えた。
これから初日を迎える「五右衛門ロック」。時間的にはたっぷりとした長さがあったはずだが、特に休憩以降の2部はたたみかけるような展開で、最後は会場のお客さんが総立ちとなって拍手を送っていたのだ。
終わってからバンド楽屋にお邪魔させてもらった。
ホールの裏側ではカツラを持ったスタッフの人や、洗濯物を回収したり、明日の段取りをメンバーに伝えに来たりとまだ人が走り回っている。今回も100名以上のスタッフキャストがこの作品に携わっているのだそうで、この夏これから日々本番の連続を迎える活気に溢れていた。
五右衛門とロックは、そう言えばすごくいい組み合わせだなぁと芝居を見終わったらこの二つが自然に一致するようになった。
生まれ変わったら五右衛門は泥棒でなくロッカーになるのがいいな。
どちらにしても親不幸者か・・・。
古田新太さんの五右衛門はイメージにピッタリだった。いかにも親不孝者の感じがプンプンと匂って、そして不思議な魅力の憎めない五右衛門だった。


投稿日:2008年07月05日

2008年07月05日

信号待ちをしていてふと上を見上げたら、青空をバックに電線に鳥が一羽止まっていた。
昨日から東京の空は夏。
まだ梅雨明けもしていないけれど、夏が来たんだなという感じがある。
電線の高さからも夏は見えるのかな。
「暑いなぁ〜」って鳥も思っているのかな。
手前には大きな銀杏の木があった。夏の銀杏は深緑の葉っぱで、さっきまで銀杏だと気付かなかったから、まだ出番じゃない今の季節は地味な存在だ。
日が沈んで帰りに同じ場所を通りがかったら、盆踊りの音楽が流れていて、もう夏祭りをやっていた。
夏祭りにも海にも行きたいな。
去年ホタルを見損ねたから、今年は間に合えばいいな。
朝顔市にほおずき市。
かき氷はイチゴ味で。
花火もあるよ。
小旅行も出来る。
毎年、そう言いながら夏を終えてしまうけれど。
夏が来た。
夏の始めは毎年、たくさんの楽しい予定を思い描いている。頑張れば叶う夢が夏にはたくさんあるから。
小さな夢だって、叶えられたらやっぱり嬉しい。
夏が来たら、夏に飛び込もう。
暑くてどちらかと言えば嫌いな季節だった。
いつからか好きな季節になろうとしている。
お久しぶり、夏。
はるばる遠くから、今年もよく来てくれたね。


投稿日:2008年07月04日

2008年07月04日

今日はラジオほっこり洞の今月のゲスト収録で、千宝美ちゃんに家に来てもらった。
千宝美ちゃんとは10年以上前、まだ彼女が大阪に住んでいて東京に引っ越す前に出会った。
当時はまだデビューも何も決まっていなくて、全くの白紙状態だったが、東京で音楽をするという決心をしてそれから引っ越して来たのだったと思う。
スっと自然に他人と仲良くなれる親しみやすい女の子。随分年上の私に対しても人なつこい笑顔で話し掛けてくれ、メールもよくくれたので年の離れた妹が大阪から出てきたような感覚になっていた。
昔、私の夢は「スタジオミュージシャンになりたい。」だった。
でもどうやったらなれるものなのかがわからなかった。
その後関西で活動をしながら私の夢は「デビューしたい」にかわっていったが、それもどうやったら出来るのかがわからなかった。
小さい子供のように「知りたいことが沢山あった」のがその時の私だった。
出会った頃の千宝美ちゃんは、知りたいことが沢山あるあの頃の私そのものだった。
デモテープをよく聴かせてもらったし、具体的にいいアドバイスは出来なかったが、意見もよく尋ねてくれた。
どこも直そうとしなくていいから今のまま頑張れ。
きっとチャンスがやって来るよ。
ちっとも答えになっていなかったが、私にとってそれが心からのエールだった。
もう東京に来てからどれぐらいになるの。
今はこっちの友だちも沢山出来たんだね。
あの頃の夢は叶ったね。
そしてまた新たな夢が出来たり、壁にもぶつかったり、それからきっと恋もしたでしょう。楽しいこともあっただろうし、楽しいことばかりというわけでもなかっただろう。
とっても笑顔が印象的だった。
そこが全然変わっていない。
「人はまた元気になれる。」
「人はまた笑顔になれる。」
最近の自分が信じておまもりにしている言葉だ。
こっちも思わず笑顔になる。
千宝美ちゃんの笑顔にはそんな力がある。
今日の朝、窓の外、空の色を見て「今日から夏だ」と思った。例えばこの空の青さと同じ、夏の青空のような笑顔につられて、私も今日はずっと笑顔になっていたのだった。


投稿日:2008年07月03日

2008年07月03日

先月買ったつるバラの苗に、今沢山の花が咲いている。
買った時には切り戻しといって枝を短く剪定してある状態だった。こんなにすぐに花を咲かせてくれるとは思ってもいなかったので、嬉しい誤算なのだ。
ある時、蕾が随分ついていて。
一つ花が咲いたと思ったら、翌日一気に10以上の花がワーっと咲いた。
お隣のご婦人と家の前で会った時に「急に咲いたわねぇ」と声を掛けられた。
「お花、あなた綺麗にやってるから、ここ通ると気持ちがいいのよ」
「楽しませてもらってるから頑張って育ててね」
花を育てるようになって10年とちょっと。
私自身がよその家の花を楽しんで眺めることはあっても、自分の家の花を楽しく見ている人が居るだなんて思いもしなかった。
急に花を咲かせたことも、私と同じように喜んでくれる人が居ることが、花が咲いたのと同じぐらい嬉しかった。
袋小路になった一角では、斜め前の家にやってきた子猫2匹が自分の家のようによく遊んでいる。
君たちもすこし、大きくなったね。
反対側の隣りの家には七夕の笹が飾ってあって、多分お孫さんが書いたんだろう。短冊が下がっている。
賃貸はウチと二階だけ。
だからいつか私はここを出て行くだろうけれど。
まだ今は背の低いつるバラ。
だけど大きくなったらきっと綺麗だと思う。
手を広げて、うんと大きくおなりよ。
水をやる時に心でつぶやく。
カクテルは花びらがヒラヒラとした優しい赤いバラ。
いつか壁一面に咲かせたいなと思ったのであった。


投稿日:2008年07月02日

2008年07月02日

外来の日。
お茶の水駅は近くに大きな病院が二つある。なのでここは病院に来る人が多く利用している駅なのだ。だが地下鉄のお茶の水駅にはエレベーターがついているというのに、JRの方にはエレベーターもエスカレーターもない。左側の手すりが車椅子用のエスカレーターのレーンでつけられなくなっているので、いつも私は階段を登ったところで、息が切れてぜいぜい言っているのだった。
一番後ろの出口は、病院に行く人がかなり利用しているはず。この駅は一体いつになったらエスカレーターかエレベーターがつくのか。
東京の電車は優先座席なんて関係なくなっていて、老人でも席を譲ってもらえない。席が空けばササっと身軽な若い女の子やきびきびしたサラリーマンがすぐに座ってしまう。椅子取りゲームになると瞬発力がまず違うので勝負が出来ないのだ。
お茶の水駅にエレベーターかエスカレーターを。これだけで病院に着いた時の血圧や心拍数が随分変わる患者さんは増えるのだ。だって本当に病院に着いた時には、いつも私はややぐったりしているし、その理由として思い当たることは、やはり”ちょっとずつ無理をして頑張って病院に辿り着いている”ことなのだ。
「電動羽ベスト」ってないのかな。
「空飛ぶ杖」ってのもいいな。
空を飛べたらいいのにな。
子供はそんな夢を抱いている。
ほんと。
空を飛べたらいいのにね。
ちょっと体が不自由な大人も同じ。階段の下に立ち、時々まぶしく上を見上げているのである。