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投稿日:2008年08月11日

2008年08月11日

救急車のお世話になってから今日で丁度一週間。
最初の数日間はショックでやや尾を引いていたが、昨日、一昨日の外出が問題なく出来たらだいぶ自信がつくなと思っていたので、この2日で気持ち的にも一山越えたかなという感じがある。
あの日は夏バテ気味だったということしかやっぱり思い当たらなかったので、今でも何に気をつけて過ごせばいいのかがわからない状態だが、暑さが少しピークを過ぎたのを機に夏バテはほぼ解消したような気がする。
ダルさが消えたら、また生活リズムが戻ってきた。
よ〜し。
しばらく休んでいたプール。
また明日から行こう。


投稿日:2008年08月10日

2008年08月10日

日本橋にあるお江戸日本橋亭で笑福亭銀瓶さんの寄席があるので、友人のYちゃんと行った。
「寄席」「日本橋」は私の普段の暮らしからは遠い存在だ。寄席は興味があっても行く機会がなんとなくなかったが、今回はYちゃんが銀瓶さんの知人で、私は服部祐民子ちゃんが今日の寄席でゲストで歌うというきっかけから、「じゃぁ一緒に行こう!」と約束をしたのだった。
待ち合わせは、4時半に三越の正面玄関。
私の行動範囲は山手線の西エリア、丸の内や銀座などの東エリアはあまり行くことがない。正面玄関がどこかはわからないが、足手まといにならないように三越の場所とお江戸日本橋亭の場所だけは、把握して行こう。と、それぞれのサイトに行ってアクセスマップを頭に入れて出掛けたのだった。
銀座ってどれぐらいで行けるんだったっけ。
あまり行かない場所は所要時間の想定が出来ない。少し余裕を見て家を出たら30分早く銀座に到着、10分前に三越のデパ地下から1階に上がってエスカレーターの所の地図で「正面玄関」を探していたら、そこに丁度Yちゃんがエスカレーターで下から上がって来た。
10分前にこんなにすんなり会えるだなんてすごい!
正面玄関がわからないのでドキドキしていたが・・・、銀座の待ち合わせが上手に出来た。素晴らしい。
これでもう会場にも着いたも同然。それから1時間程、デパートの中の喫茶店でお茶をして、すっかり休日のデパートに買い物に来た女性客となっていたのだった。
5時半を回った頃、
「そろそろ、行こうか」
開演は6時。少し前には席に着いておいた方がいいよねと喫茶店を出た。三越からは徒歩数分、遅くても15分前には着くなという計算だった。お互い余裕だったのだ。
ところが・・・。
「多分、あっちだと思う〜」
そう言って先導をして交差点を渡ったら、家で見てきたはずの地図と若干景色が合わないことに気がついた。
しまった。私はどうやら地図の覚え方を間違えちゃったらしい。
どうしよう。
ごめんYちゃん。私わからなくなった。
ここでいきなりのリタイア。
あとはYちゃんが覚えている地図に頼るしかない。
のだが・・・・。
「あれ?どっちだったっけ・・・」
早くも三越前で既に二人して方角を見失ってしまったのだった。
気を取り直して今度は地図にあった目印の「千疋屋」「すずや」、「三越前駅」をキーワードに今度は街の人達に尋ねることにした。
「千疋屋ならねぇ、あっちですよ」
ところが教えてもらって行く方向に目的の場所なし。そこでまた誰かに尋ねると、「その住所だとあっちですよ」と全く違う方向を教えられる。「会場まで駅から数分」のはずが三越を中心にあっちこっち歩き回り、その間ポリボックスや買い物客、パトカーや宝くじ売り場のご婦人と一体何人に尋ねたことやら。
「ここに千疋屋があるのにねぇ」
「すずやってなくなっちゃったのかしら」
開演時刻が過ぎ、近いけれどもうタクシーに乗って行こうとあきらめてタクシーに乗ると・・・。
「ねぇ、すごく駅から離れて行くよ」
「三越がどんどん遠くなっていっちゃう」
「どこに行くの、この車」
後ろの席でものすごく心細くなって居たら・・・・
「あれ!三越!」
三越を背にして車で5分程行った所で前方に三越の看板を発見。とっても驚いたのだが私達は二人して本当の待ち合わせ場所の「日本橋三越」ではなくまた別の場所にある「銀座三越」で、会っていたことにようやく気付いたのだった。
銀座と日本橋って同じ場所のことじゃなかったの。
だって、じゃさっきあった千疋屋は?
「あぁ、あれは銀座店ですよ」とタクシーの運転手さんが教えてくれた。
Yちゃんも2年前にこっちに引っ越してきた関西組。
バッタリ会えてすごいね!と喜び合っていたのに。
お互い田舎者だったか・・・・。
寄席に遅刻をして一つ目のお噺に間に合わなかった。
粋な江戸での落語を楽しむ体験が、東京で迷子になるという体験をしたのであった。


投稿日:2008年08月09日

2008年08月09日

池袋の鈴ん小屋というライブハウスに、reunionに参加してもらったオーボエのtomocaちゃんが出演するので観に行った。
ポップスやジャズなどのクラシック以外の場所でも幅広い活動をしているオーボエ奏者といえば彼女で、今日はピアニストの富樫春生さんのライブにゲストで演奏をするのだそうだ。
今日は出演時間が少し遅めだったので、電車で行くのはやめにしてバイクで家を出て夜風に当たりながらブラブラ行くことにする。
早い夜の時間帯はバイクでブラっと出掛けると気持ちがいい。中野に住んでいた時には池袋行きのバスに乗ってたまに池袋に行ったなぁということをふと思い出したので、その道を今日は久しぶりに行ってみようかと、中野に住んでいた頃に自転車で行った新井薬師の商店街を通ってみたのだ。
ここに美味しいパスタ屋さんがあった。一緒によく行った友だちは今は遠くニュージーランドで暮らしている。
パスタ屋さん、あったあった。
角を右に曲がると電気屋さんがあって、信号の所にスーパーがある。
電気屋さんもまだある。
小さな個人商店でいつも前を通る度に、「やっていけてるのかなぁ」と一人余計な心配をしていたのだ。
あったあった。
ここがバス通りになっていて、一時間に数本池袋行きのバスが出ていた。記憶を辿り、途中迷いながらも無事会場に到着。
初めての場所だったが、「晴れたら空に豆まいて」でお世話になっているKさんがここもブッキングをされているようでバッタリ会えたので、一気に緊張がほぐれたのだ。
「こんばんは、ようこそ」
富樫さんのおおらかなMCでゆったりライブは始まり、tomocaちゃんはセンターに立って吹き出した。小柄なのにステージに立つと大きく見えたのだ。
私は彼女のメロディのセンスと、それから相反するアグレッシブな部分がとても好きだ。近い将来、一緒にライブがやれたらいいなと思っていたので、今度の私のライブに一緒に出て欲しいと早速お願いをしたら快く受けてもらえた。
なんか楽しい夜だった。
ご本人達は「ちょっと飲み過ぎた!」と言っておられたが、そうかな・・・・。客席に座った私にはお酒を少し飲んでステージに立つというのも、いいなと思えたステージだった。


投稿日:2008年08月08日

2008年08月08日

数年前に知人のご婦人に紹介してもらって以来、たまに整体の先生に家に来てもらっている。
私は度々、この整体のおかげでなんとなくの体の不調を立て直してもらっていて、自分でも実感として持っているので、今回も早速先生にお願いをしたのだ。
今までにギックリ腰を数回治してもらった。痛めて数日経ってからだと遅いのだそうだが、痛めたその日だったら先生は治せると言う。実際に私はそれで嘘のように施術後すぐに普通に歩けてビックリしたのだ。
あとは何度か続けてお願いした時があって、その時はそのあとに受けた外来での血液検査の数値が劇的に良くなっていたことがあった。理由で思い当たることは整体しかなかったので、次に来てもらった時にどうして血液検査の数値が良くなったのかと尋ねてみたら、多分血流が良くなってそれで働きが悪くなっていた臓器が正常に動き出したからデショウということだった。
自分の体は自分の持ち物でありながら、バッグのように中身を把握することも出来ず、しくみがわからないことだらけだ。血流がいいとか悪いとか、そういうことも自分ではあまり掴めていないので検査の数値を見て、「あぁそうなんだ」と初めて理解をしている。でも確かに血流がよくなれば体はいい状態になるのだと思う。
というのも、この4月からプールに通い始めて4ヶ月程になるが、長い間ドス黒くなってボロボロになっていた足の小指の爪が、最近ピンク色の元の爪の状態になりつつあるのだ。多分これは定期的にプールで足を動かしたことによる効果だと思うのだ。足腰を強くしたいというのはあったが、爪が綺麗になることは期待もしていなかった。
整体を受けると、私の場合その後2日程はなんとなく不調を抱えて過ごし、そしてフっとある瞬間に体が軽くなって好転する。
先生との相性などもあるらしいが、私には合っているのだと思う。
来週ぐらいからきっと調子も上がって来ると信じよう。
大丈夫、大丈夫。
そう、少しずつ自信をつけていこう。
一日に何度も唱える呪文となった。


投稿日:2008年08月07日

2008年08月07日

愛知県の祖父江という所に”おばあちゃんの家”があった。もう今はなくなってしまったが、小さい頃は1ヶ月ぐらい預けられて夏の間はおばあちゃん家の子供のように過ごしていた時期があったのだ。
鬱蒼とした木が生える敷地には、まずぼっとんトイレがある。少し行くと左手に蔵があって、奥が母屋だ。そこは畳の部屋が二つあるだけの小さな田舎の家で、お風呂は薪で沸かす裸電球が一つ暗い場所。シャワーがないことも、それから下駄を履いて風呂場に行くことも私にとっては「ウチとは違う変な家」だったし、朝から近所の養豚場のブタがブヒブヒと鳴いたりと周りの環境もそれからしつけや食べるものまで、あらゆる面で家とこのおばあちゃんの家での毎日は違っていた。
夜、寝る時はベッドでないこともそうだった。
が、一番の違いはカヤを吊ってもらったことだった。
緑色の大きなカヤが8畳ほどの部屋いっぱいに吊られると、その中は安全地帯。昼間さんざん大きなヤブ蚊に刺されてあちこちが赤く膨れてどうしようもなかったのが、蚊取り線香を焚いてもらえばもうあの蚊達にも刺されない。
「もう寝やーよ」と言われて部屋の電気が豆電球になってからも、アウトドアな雰囲気にワクワクしてなかなか眠れなかったのだ。
縁側、冷たい井戸水、とうふ売りの鳴らすラッパ、畑できゅうりをもぎったり・・・。絵に描いたような田舎の暮らしが体験出来たのが祖父江のおばあちゃんの家だった。
もう行くおばあちゃんの家がなくなった今は、ちょっとどこかに行きたいなぁと思うと、のどかな温泉地の宿の案内を眺めていたりする。
でも、やっぱりちょっと違うんだよなぁ。
お金では買えない旅行がある。
もうすぐお盆休み。
帰省する家がある人達の民族大移動だ。


投稿日:2008年08月06日

2008年08月06日

今日から阿佐ヶ谷は七夕まつりが開催される。
アーケードに七夕の大きな飾りがズラっとぶら下げられ、地元の幼稚園や小学校の子供達の作品も展示されている。商店街の店のほとんどが前に出店を出し、そこを来た人達がぶらぶら歩きながら買い食いをしたりして楽しむというのが、このお祭りの楽しみ方のようだ。
少し前に駅前を通った時に、大きな飾りつけが既にしてあって、あぁ、もうすぐお祭りだったなと思って前を通ったのだ。
お祭りに行ったらこれ!というのは、私にとって「金魚すくい」と「りんごあめ」だった。どちらもお祭りに行かないと会えないものだったし、金魚は一匹も取れずに終わってもおっちゃんが金魚をくれたので、私の家の玄関にはお祭り金魚達が入れ替わりながらも水槽に長く居たのだ。
10日までやっているので、どこかでちょこっとのぞけたらいいな。
8月の空は7月とは違う夏の空をしている。
明日は立秋。
そうか、もう暦の上では秋なんです。
暑い暑いとうなりながらも、日が少し短くなってきたなと感じるようになった。


投稿日:2008年08月05日

2008年08月05日

昨夜急に具合いが悪くなったことで、今日はちょっと気持ち的に不安がぬぐえないのだ。
病院では筋無力症が悪くなったのではないと先生も言っていたし、血液検査上でも特に異状はなかった。
大丈夫。
大丈夫。
少しずつ自信をつけていくしかない。
あるミュージシャン仲間のことを思い出した。一時、その人は楽器を演奏しようとすると、その時だけ手が動かなくなるそういうことがあったのだそうだ。
で、どうやって治ったの。
そう聞いたら、「大丈夫、手は動く」と自分に言い聞かせて、そうして少しずつ克服していったということだった。
私もそういう自己暗示で越えていくしかない。
夏バテだったのかなぁ。
いいや、もうあまり深く考えるのはよそう。
大丈夫。
大丈夫。
昨日調子が悪くなったのと同じ時間になると、少し緊張をした。
「また、来たらどうしよう」
やはりちょっとトラウマに覆われそうになる。
いいや、大丈夫。
今日は大丈夫。
30分が過ぎ、1時間が過ぎ・・・・。
今日は無事何事もなく終われた。
あせらず、ゆっくり。
体が何かを私に言いたかったんだろう。
だからそのことについても、考えよう。
自分の体について無意識でいられる日は、それだけで有りがたい一日なのだとあらためて思ったのであった。


投稿日:2008年08月04日

2008年08月04日

夜、夕飯を食べ終わっていつものように薬を飲んでホっと一息ついた時に、両まぶたがピクピクっとし始めた。
たまにあるのだ。
夕方や夜の早い時間にまぶたがピクピクとして、時には口元の動きが少し鈍くなることが。
こんな時は少し休憩をすれば落ち着く。家に居る時だったらベッドに横になって休む。そうすれば1時間から長くて2時間もすればまた落ち着いて来るので、いつものことだろうと思ってベッドに横になったのだった。
だが今日は何か感じが違った。横になって10分程の間に手足、それから首まで重くなりそのまま今度は起き上がれなくなってしまったのだった。
あっという間の出来事。
眼球の動きも鈍くなって、舌が動かなくなった。
自分の体が変になっていることだけはわかる。思い当たることがなかったが、おかしいなと思った時に携帯だけは手に持ったので、会社のY氏と119番に電話をした。
「どうされましたか」
ろれつが回らず、上手く答えられない。
どうしちゃったんだろう。
突然の変調に「なんかまずいことになっているな」ということだけはわかった。
自分の持病をカタコトで伝える。
私の病気には使ってはいけない薬があるので、もし意識がなくなっても誰かこのことを知っておいてくれたら間違った処置は避けられる。
次に住所を聞かれた。
ろれつが回らないので住所がなかなか伝わらなかった。
「鍵を開けておいて下さい」
そう言われたのだが、どうしても起き上がれない。救急車が到着するまでの間も、寝返りがやっとの思いで打てるぐらい。何度かトライしてベッド横の窓の鍵だけ開けることが出来たのだった。
全くいつもと変わらず過ごしていたのに・・・。
考えてもわからなかった。7月から続く毎日の暑さで体調が落ちていたが、みんなバテているんだからとあまり気にしていなかった。
救急隊の人達がその後来てくれて、タンカーに乗せられて病院へ連れて行ってもらったのだった。
病院に着く頃に少しろれつは戻り、それからは少しずつこわばっていた全身が元に戻って行く感じがした。
3時間ぐらいするとほぼ症状は落ち着いて、家に帰ることになった。
とにかく家に帰れてよかったけれど・・・・。
これって夢じゃないんだよね。
今日はジェットコースターのような自分の体だった。
とても怖い思いをした日だった。


投稿日:2008年08月03日

2008年08月03日

母方の祖母の家が練馬区にあったので、夏休みは母と妹と3人で東京のおばあちゃんの家に行くという期間があった。
東京駅に着くとオレンジや黄色、黄緑の電車が沢山行き来していた。線路のすぐそばに家やビルが建っていて、それが都心を離れてもずっと続く。自分の馴染みある風景との違いを一番感じたのが電車に乗った時のことだった。
東京タワーやテレビの公開番組、花火大会に連れて行ってもらったり・・・。としまえんは当時最先端の複合型施設で、流れるプールや波のプールが何と言っても楽しかった。夏休みに行く東京には地元にはない規模のものやことが沢山あったのだ。あの数日で私の背は伸びたんじゃないかと思える程、「東京に遊びに行く」はいつも刺激的な数日間だった。
最近は夏休み限定でテレビ局がイベントスペースを設けているようで、お台場も赤坂も六本木も更に賑やかになっているみたいだ。遊び場の選択肢は昔より増えていて、少子化が進んでいるというのにどこも人がいっぱいということは、それだけ出掛ける人が増えたということなのかもしれない。
暑い時には家に居るのが一番。
そう考えるようになった頃に、不思議と背が伸びるのが止まる。
どうして夏休みの間に、あんなに子供達の背は伸びるのか。
夏休み、子供達の心は「楽しいこと」を探す方に向く。いくつ楽しいを見つけられるかの宝探しのような時間が夏休みだった。
楽しいことは背を伸ばすんだ。
楽しかった頃のことを思い出すと、私も昨日より少し視界が高くなった気がしたのであった。


投稿日:2008年08月02日

2008年08月02日

外出から帰って来て、玄関の鍵を開けようとしたら、鍵がグニャっと曲がってしまった。
引っ越して来た時から、スムーズに開かない鍵だったが、それでも鍵が曲がることはなかったのだ。
暑さのせいで曲がっちゃったの?
この鍵がダメになったら、家の中に入れなくなってしまう。それは困る。なんとかせねば。
むにゅぅ〜〜っ。
曲がった鍵をもう一度差し込み、反対側によじらせてみたら、歪みをちょこっとだけ直せた。
よし、これでトライしてみよう。
その鍵を差し込み直して、再度トライしたら運良く鍵が開いて事なきを得たのだった。
もしも鍵が開かなかったら・・・・、敷地内で寝る野宿体験をすることになっていた。キャンプ嫌いの私には最悪の事態。だが、キャンプ好きの人なら思わぬ手頃なアウトドア体験となり、かえってクセになるかもしれない。
敷地内にテントでも張れば、ちょっとした離れ気分を味わえる。ノートブックのパソコンもワイヤレスの電波が届くので使用可。
ビールが飲みたくなったら家ん中の冷蔵庫に取りに戻ればいい。
トイレもシャワーも完備。
意外に快適な野宿になるかもしれない。
鍵はいびつによじれていたが、それでも開けることが出来た。
鍵ってそんなものなのだろうか。
ウチの玄関はゴキブリやカマキリやみみずが入って来れる。セキュリティがアバウトな我が家なのである。