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投稿日:2008年09月20日

2008年09月20日

春頃、斜め前の家に貰われてきた子猫ちゃん。
最初は道端でひょろひょろと飛んでいただけだったが、塀にも登れるようになり、今はだいぶ大きくなって小さなトラが歩いているような風格さえ見えるようになってきた。
この辺りは行き止まりの袋小路になっていて、車が通らない。前を通るのもここらの住人か用のある人ぐらいなので、猫にとっては安全に遊べる場所なのだ。それに加えてこの猫ちゃんは人にも慣れていて、隣の家にはよく遊びに行っていたみたいだが、好奇心が更に旺盛になって私の家にも遊びに来るようになった。
「来る?」
ドアを開けて中から声を掛けると、好奇心いっぱいの様子で近寄ってそぉーっと中に入って来る。
中に入ると、まるで物件の内見にでも来たかのように、玄関を入るとクルリと中を見回す。
”ふぅ〜ん”という声が聞こえてきそうだ。
この間は風呂場の浴槽の中に入ってしばらくそこでくつろいでいた。さすがは猫だ。軽く飛び上がって音も立てずに浴槽の中に降りる。
ダンボは猫が天敵で、いつもものすごい勢いで猫に吠えるのだが、ベッドの部屋の扉を締めて居ると猫が家の中に居ることに全く気付かない。猫ちゃんがすぐ横の仕事部屋をウロウロ探検しているというのに、ダンボは今日も気がつかずにずっとおとなしくしていた。
”こっちにも行ってみたい!”
<ダメ。そっちはワンコが居るから>
<し〜〜〜っ。>
扉一枚はさんですぐこちらに猫が居るのに何の反応もダンボはしないので、ちょっと可笑しかった。
犬なのに音にもニオイにも気がつかない。
しばらくすると、猫ちゃんは窓をちょこっと開けておいた所から今日も出て行った。
<またね。猫ちゃん!>
これが最近の私の秘密事。
猫が居なくなると、ベッドの部屋の扉を開ける。
窓の外を歩く猫を見つけて、ダンボがピョーンとベッドから降りて窓の所まで一気に走って行く。
「ワン!ワワワン!!」
”オレのうちだぞ!”
”お前なんかやっつけてやるからな!”
いつものように威張って吠えるのであった。


投稿日:2008年09月19日

2008年09月19日

東京では、思ったより蝉が身近に居る暮らしをしているのだが、トンボはあまり見かけないのだ。トンボと言えば、ここ数年サングラスの流行がトンボネガネ風なので、ブーツを履いて街ん中を歩いている女の子達が東京で見るトンボで、トンボって数で言えば全体では蝉よりも少ないのかなぁと思ったりする。
ギンヤンマ、オニヤンマ、あとどんなのが居たっけ。
私もやんちゃだった頃にはオニヤンマを捕まえたこともあったのだ。
トンボはでっかいヤツになると噛まれるので、痛くてちょっと怖かった。トンボからすれば、逃げようとして必死で噛んだのだろうし、いくら相手が子供でもそりゃぁ人間の方が怖かったと思う。
しかし、蝉にしろトンボにしろ・・・。
それに蝶々だって。
昆虫は割と羽根を持っているものが多く、そんな彼等は大人になったら飛べるようになる構造にある。
人間は大人になったら羽根を失う傾向にあるというのに・・・・。
ゆうやけこやけの赤とんぼ。
本当は、夕日に照らされたから赤く見えたのかもしれないね。
もう捕まえたりしないから、うちにも遊びにおいで。
秋の小さな飛行機達よ。


投稿日:2008年09月18日

2008年09月18日

四季の中で、「いい季節だなぁ」と思う時はなんといっても網戸にして過ごせる時期だ。
我が家には年に2回、網戸の季節がやってくる。
一度目は春。
そして2度目が今ぐらいの時期だ。
晴れた日の日中に東の窓と西の窓を開けると、風がスーーっと通って行く。うちは窓が多いので、全部の窓を開けると家の中の空気が入れ替わって、澄んでくる感じがハッキリとわかるのだ。
風はカーテンをフワリと押して、「ここ、ちょっと通らせていただきますよ」と入って来る。
「要らない空気があったら、もらっていくよ」
そうして部屋の中で滞まっている空気を連れて、部屋の中の見えないもの達を掃除して行ってくれる。
高原に出掛けて深呼吸をして吸った気持ちのいい空気みたい。
網戸の季節は、自分の気持ちにも風を通して行く。
「じゃ、今日はこれで」
あら、もう行っちゃうんですか。
「あぁ、開けておいてくれたらまた来ますよ」
今度はきんもくせいの香りを連れて。
風は忙しそうに、次の家に行かなくちゃいけないからと手を振って颯爽と駆けて行った。


投稿日:2008年09月17日

2008年09月17日

「ADLIB」誌の取材でお世話になったS氏と、会社のY氏、DーnaughtのkazzkiくんとTom−Oくんと、8時に渋谷のハチ公前で待ち合わせをして、飲みに行った。
ハチ公前は、いつ近くを通っても待ち合わせをする人で溢れている。今日も一瞬「ここでちゃんと会えるのかなぁ」と不安になったのだ。
ハチ公の銅像は、最初に見た時思っていたより小さい銅像だなという印象があった。人の多さに圧倒されるかのように、ちょこんと立っている。だが一番人を多く見ている犬、たくさんの人達の待ち合わせる様子を見てきた銅像だ。
少し前に取材でお世話になったS氏だが、10年程前にはラジオ番組のディレクターさんとして番組でゲストに行ってその時にお世話になったという偶然のご縁があった。今回はライターさんという立場だったので、話す側は私となり、だがお話がとても面白いS氏だったので、あらためてまたゆっくりお話がしたいなぁと思っていたら、kazzkiくんやTom−Oくん、Y氏もそれぞれ別の形で知り合いだったということが、今日話しているうちにわかったのだった。
最近、知り合いの知り合いは知り合いになることが連続しているが、人と人って本当に繋がっているのだなぁと感じたのだ。
ハチ公前では、あんなにたくさんの人が居ても知り合いにはバッタリ会わない。なのにこうしてゆっくり会話をすると、共通の知り合いが浮かび上がる。だから普段待ち合わせしかしないハチ公前で、一度待ち合わせのあとそのままそこに集まっている人全員で飲み会をしたら、面白い会になるかもしれないなぁと思う。
渋谷でゆっくり過ごすということは、普段ほぼない。
ところで、ハチ公はいつ自分の時間が持てるのかな。
一日中人がやって来て、ちっとも眠れない。
お先に、ハチ公。
おやすみなさい。
久しぶりに渋谷に長居をした日となった。


投稿日:2008年09月16日

2008年09月16日

先日、東京ドームの前で妙な看板を見つけた。
「鳩や小鳥、猫などに
 ご協力ください。」
image.jpg
なにを言っているんですか。
この看板は。
立ちどまってよ〜く見たら、真ん中に「エサをあたえないよう」という文章がはさまっていた。
だが、そこだけ色を変えて強調していたはずが日焼けして逆に褪色してしまい、ほぼ消えていたので、看板としては成立しない文章になってしまった。
エサをあげて下さいという風にも取れる看板。
だが周りに鳩も小鳥も、猫もどこにも居ない。
「鳩」「小鳥」「猫」って別の何かを指しているの?
意図がよくわからない看板。
かわりにすぐ近くでは、自由人らしき人がベンチでお昼寝をしていた。


投稿日:2008年09月15日

2008年09月15日

敬老の日。
世の中のじいちゃんとばあちゃんにとって、「敬老の日」は一大イベント。この日に孫が遊びに来てくれたかどうか、息子から電話が掛かってきたかどうかはすごく大きなことで、ウチの父なんて、去年の敬老の日に妹が訪ねて来なかったことを未だに覚えているのだ。
父の場合は「だ〜れも来えへん!」と怒りをぶちまけていた。が、気の弱いじいさんだったら、「ワシはもう誰からも必要とされていないんじゃ」と悲しい気分でいっぱいになっている。それぐらい、敬老の日というのは老人にとってデリケートな存在なのだ。
今日は早い時間に父に電話をした。
「敬老の日、おめでとう」
「へいへい、おおきに」
父は今日が何の日なのか覚えていた。
「来週、そっちに行くからね」
「へいへい」
相変わらず愛想がないが、やっぱり敬老の日を楽しみにしていたんだなと思うとちょっと胸がチクリとした。
父の場合は「ハッピーマンデー制度」についていけている。だが毎年毎年、敬老の日の日にちが変わることによってお年寄りのどれぐらいかは日にちを間違える人だって居るはずなのだ。
朝からずーーーっと楽しみに待っていて。
夕方ぐらいには、誰も来ないことに「何か事故か病気になっていたりせんじゃろか」と今度は心配になってくる。
夜になってテレビを見ながらも心はうつろ、お風呂にだって「今、入っていて電話があるかもしれんから」とゆっくり入れない。
いつもより遅くまで起きて、待って待って、最後には「みんな忙しかったんじゃろう」と言い聞かせて床につくのだ。
今年は、だから15日が敬老の日でよかったなぁと少し嬉しかったのだ。
だがこれもまた問題がある。来年になって、今年の手帳をひらいて「15日だったはずじゃが」とまた間違える老人が続出するからなのだ。
毎年、胸が痛む敬老の日。
ハッピーマンデー制度はやめて、敬老の日だけは15日に戻して欲しいと願う日となった。


投稿日:2008年09月14日

2008年09月14日

お世話になっている方のお見舞いに行った帰りに、松戸にある叔母の家を訪ねた。
叔母は父しげおっちの姉で、松戸で叔父と息子さん夫婦と4人で暮らしている。
近いようで遠い松戸。松戸市の中でも外れの方らしく、松戸駅から電車とタクシーに乗って割と遠い場所に家はあった。
駅前はタクシー乗り場があるが、電話番号が書いてある看板があるだけ。交番で聞くと「電話をしたら来てくれるよ」と言う。道路沿いに梨園があったりして、松戸って大きな街のイメージがあったけれど、少し離れたらのどかなんだなと思ったのだ。
明日は敬老の日だから。
叔父と叔母に会いに行けたらなと思っていた。私にとっては叔父と叔母なのだが、もう二人共80代。どこから見てもおじいちゃんとおばあちゃんだ。
私の入院中、叔母は時々病院を訪ねてくれた。
もう叔母ぐらいの年齢になると、ちょっとデリカシーのないことを言ったりしてもおかしくはないのだが、いつまでも良くならない私の姿を目の前にしても、一度も後ろ向きなことを言われず、とても言葉に気を使って接してくれたことを横になりながらもすごく優しい人なんだなぁと感じたことを思い出す。
息子さんのたかしさんの奥さん、ますみさんもおおらかな人だ。だいたい叔父と叔母の両方共とずっと同居してくれる人なんて、そうそう居ない。それだけで既に頭が上がらないのだが、それだけでなくいつも明るく気さくに笑っている印象がある。とてもじゃないが自分にはそうはなれないと思う。すごい女性なのだ。
2階建てだが平屋のゆったりした家の雰囲気がした。
風が庭からスーっと入って来て気持ちもいい、そう、山口晶くんのご実家がこんな感じだった。同じだけいい「気」が流れている家だった。
叔母から祖父の上の代の話を今日は少し聞かせてもらった。「黒田」という名字がその上のご先祖さんなのだそうだ。
まだまだ知らない親戚の人が居るんだなぁ。
帰りにますみさんの運転で家まで送ってもらい、ますみさんの弟さんがやっているというラーメン屋さんに連れていってもらい、すぐ近くの駅前で親戚がラーメン屋さんをやっていることを知った。
バイクで10分の距離じゃないか。
本業が音楽関係、ということも知り尚ビックリ。
「知り合いの知り合いは知り合い」だということは、時々考えたりしたが、今日で「知り合いの知り合いは親戚」ということを考える日となったのであった。


投稿日:2008年09月13日

2008年09月13日

近くの八幡さんで秋のお祭りをやっているので、夜ダンボを連れて行ってきた。
「お散歩、行く?」
最近、ダンボは散歩が好きになった。
前の家の時は一歩外に出た時から、尻尾をキューっとお尻の下に入れて家に帰るまで、ちっとも楽しそうではなかったが、テレビやしつけ本などであれこれトライをして、ようやく散歩が好きなワンちゃんになったのだ。
しかし、今日は少し遠い。
「ダンボ、今日はちょっと遠いよ。でも行く?」
ダンボは無邪気に「行く!行く!」と飛びはねていた。ちょっと騙している感じもしないではなかったが、「祭り」「屋台」「買い食い」にどうしても行きたかったので、出掛けることにしたのだった。
川沿いの道を歩く。
この道をずっと行くと大宮八幡宮という大きな八幡さんがある。日中は散歩やサイクリング、ジョギングをしている人が居てのどかな場所だが日が暮れると、やっぱりちょっと歩くにはドキドキする。
月が浮かんでいた。
小さい頃、ウサギが中でもちつきをしているように見えるか何度も目を凝らして見たけれど、私にはそんな風に見えなかったなぁ。
森のような暗い道をダンボと歩きながら、昔読んだ「モチモチの木」の本を思い出した。
静かな川沿いの道を突き当たったら、「秋の大祭」と書かれたお祭りで今度は急に人が増え、参道にはわんさか人が集まって来ていた。
すごい人だわ。
犬連れって入れるのかなぁ。
人の流れに乗って歩き出したら、そのあとは一気に人が増えた。私も人にぶつかりそうだが、ダンボは歩いている人達の視界に入らないので、もしかしたら踏まれてもおかしくはない人の混みようになっていた。
ダンボを見たら、尻尾がお尻の下にキューっと入っていた。
ダンボの目線だと丁度目の前には人の足、足、足。動く竹やぶの中で竹に当たらないように逃げるようなものだったかもしれない。
「ダンボ、ごめんね」
久しぶりにダンボの楽しくない顔を見た。
「お祭りに一緒に行けたら楽しいかも」は、私だけの気持ちでしかなく、せっかく散歩が好きになったダンボに可哀想なことをしてしまったと後悔をした。
人混みから外れて、川沿いの道に降りて
さぁ、帰ろう。
月が外灯より明るい晩。
テクテク、テクテクと二つの影が歩く。
お祭りよりも楽しいことが身近にあったね。
私が散歩を楽しいと思うのは、ダンボが一緒に歩いてくれるから。
今は尻尾を振って歩くダンボが居て、私は楽しくなれるんだと思った。


投稿日:2008年09月12日

2008年09月12日

今年はハロウィンのディスプレイになるのが、去年よりも早い気がするのだ。
8月の終わりにもうとある雑貨屋さんで、カボチャのお化けが一角を陣取っていて「ケケケ・・・」と笑っていて、ハロウィンはもう完全に日本の中のイベントとして定着したのだなぁと、ハロウィンにどうも馴染めない派だった私もついに「そうね、今年ももうハロウィンなのね」と違和感が薄くなってきた感がある。
「この曲って・・・いい曲なのかなぁ」と最初違和感のあった曲が何度も聴くうちに身近に思えてくるあれと同じ現象なのだ。
9月に入ってからは、雑貨屋さんやケーキ屋さんではハロウィンのディスプレイが増えた。確か数年前までは9月は「ハロウィン」フェア月ではなかった。9月は「秋のマロンフェア」など栗がメインだったのだ。
栗はかぼちゃに吸収合併された。ハロウィンに流されず我が道を行くのは焼き鳥屋さんぐらいになったかもしれない。
「ケケケ・・・お菓子をくれなかったら、イタズラするぞー」
それでお菓子がもらえるのか。
いいなぁ。
私もそれでお菓子がもらえるなら、是非ケーキ屋さんに行ってそれをやってみたいのだが、その場合は「もらえる」か「通報される」か微妙なラインにある。
子供の時にハロウィンはあって欲しかった。私はピンポンダッシュをするようなヤンチャ坊主だったから、きっとお菓子をたくさんせしめて帰って来ていたのだ。
子供だから許されることってあるんだなと考えるハロウィンなのであった。


投稿日:2008年09月11日

2008年09月11日

詩人、金子みすゞさんの詩に歌を書いて歌っておられる第一人者、吉岡しげ美さんのイベントで、今日は私も金子みすゞさんの詩を1遍、朗読で参加させてもらった。
小学生の頃、国語の授業で教科書を読まされる授業があったが私はいつも詰まっていて、落ち着きに欠けたまま終始したが、上手に読める子というのは居た。勉強もよく出来たよっちんがそうだ。アガる風でもなく、子供なのに落ち着いたトーンで文章がちゃんと耳に景色となって届いて来る。すごいなぁと子供ながらに思ったものだった。
今日は一般公募の参加者が数名いらして、顔合わせでお目にかかると「ライブハウスは初めて」「人前で朗読をするのは初めて」という方ばかりで、50代以上のご婦人率も高い。
もう何度となくライブハウスに馴染んだ私でも毎回具合いが悪くなるぐらい緊張するのだから、みなさん初めての場所でどんなにドキドキされていることだろうかと思い・・・、よし、ここは何かあった時には私がお助けマンとして頑張ろう!と胸に誓っていたのだった。
だが、いざイベントが始まって、この「今日が初めて」と遠慮がちに言っておられたご婦人方の朗読を聞くと、私はブっ飛んだ。一般公募で来られたご婦人方。人前で読んだことがないはずだった方々の包容力は素晴らしく、金子みすゞさんの持つ優しい目線そのものの温かさが滲み出ていたのだった。
吉岡しげ美さんの温かい目線も、全てが優しい空気になっていた。
私は金子みすゞさんに対して、唯一残念に思っていることがある。それは彼女が若くして自殺でその一生を終えたことだ。
世の中には似たタイプの人間が沢山居る。例えば金子みすゞさんの詩がいいと思った人には、感性のどこかが一致したからなわけで、強引な言い方をすればみすゞさんとその人達は私を含むみんな似た人間ということになる。
似た目線の先輩が人生を精一杯走り切る姿を見せてくれたら、それが後に続く人達にどれだけの力を与えてくれるだろうか。
詩人としてはほぼ世に出ない無名のままだった金子みすゞ。優しく強くあたたかな詩、平仮名言葉に置きかえた平たい言葉で綴った詩達だけを置いて逝ってしまった。素晴らしい詩だからこそ自ら命を絶って欲しくはなかった。それが唯一、個人的に残念なことだ。
今日の朗読をされた最高齢のご婦人は70歳を越えられていた。この方の朗読がまた本当に心に響いた。
同じ文章なのにどうしてこんなに沁みてくるんだろう。
まるでターシャ・テューダーが金子みすゞを詠んだような一幕であった。