月別アーカイブ : 2008年12月

投稿日:2008年12月10日

2008年12月10日

すっかり日が短くなった。
日によっては3時半ぐらいに「暗くなってきたなぁ」と雨戸を閉める時があるから、私の部屋は日当たりにモロに影響を受けているんだろう。
以前、今の家より日当たりのいい家に住んでいた時に、「ガーデンソーラー灯」を2つ買ったが、日中に太陽の光を十分浴びていないので夜になると青白い光をほんの少し放つだけですぐに灯りは消えていたので、この家に「ソーラー物」を設置しても何の効果もないだろうなぁと思う。
この近くのマンションで半地下の部屋がある。日当たりはあまり気にしないという人が借りるんだろうが、私は物件選びの際には日当たりは割と気にする方だ。売りマンションのチラシでも、買えるあてなどないのに部屋の向きとベランダの位置だけは一番に確認しているし、日当たりのいい家の前を通ると足を止めてマジマジと眺めている。だいたい、私の不動産屋さんでのリクエストが「ゴキブリがいない、日当たりのいい部屋」なのだ。
紫外線対策と言って太陽を避けるようにしていた夏。
でも結局、冬になって太陽が遠い存在になると恋しく思っている。
我が家にお日様が戻って来るのは春。
3月を過ぎてからだ。
しばらく我が家のお花達よ、眠っておいで。
2階に住んでいた時には冬も花がしっかり咲いていた。
1階の部屋はこんな風に冬眠のような期間があるのであった。


投稿日:2008年12月09日

2008年12月09日

11月の末に、インターナショナルスーパーでちょっと奮発して立派なアドベントカレンダーを買ったのだが、家に帰って開けようとしたら「中国製」と書いてあった。
そうだった。
中国もインターナショナルだった。
しかし、中国製品の食べ物は今年いろいろな問題があって、あまり気にしない私も今では産地を見て更に、「この産地も本当に本当のことを記してあるのかしら」と厳しい目で見るようになったのだ。それまでは迷わず安い品を選んでいた私がこの一年で、「迷ったら高い方を買う」ことで、安心を得ようという風に変わった。
このアドベントカレンダーだって、いろいろある中で「きっと一番着色料などが少ない、体に悪くなさそうな」物を選んだつもりだったのに、よりによって今年一番問題視された中国産だったとは・・・・。
このアドベントカレンダー、とてもしっかりした作りになっていて、ツリー型のミニタンスにそれぞれ24個の立派な引き出しがついていて、見た目は可愛い雑貨。1日目はチョコレートが出て来て、それからはマシュマロやカラフルなキャンディなどを取り出して来た。
しかし、取り出したあと・・・・口にすることがなんとなく出来なかった。
日々増えて行くこのオヤツ達は暫定的にチビ太とゴン太のお骨の所に置いて、御供えのようになっていたのだが・・・・。
日にちが経って来ると心もあまり神経質ではなくなってきた。
「やっぱりちょっと食べられないわ」

「食べても大丈夫かしら」

「食べないともったいないわね」

「ひとつ試しに食べてみようかしら」
私の決心って1週間ぐらいで変わるのだろう。
試しにマシュマロを食べたら美味しかった。
「あらっ、大丈夫やん」
「美味しいやん」
それをきっかけに私というリトマス試験紙はあれよあれよという間に反対色に変わって行ったのであった。


投稿日:2008年12月08日

2008年12月08日

今日はチェウニさんのインストアライブ。
銀座にある山野楽器のホールであるので、銀座に出掛けた。
街が一番華やかになる12月。銀座は東京の大きな街の中でも高級感が漂う独特の街だが、クリスマスの飾りつけをした街はキラキラしていて、一層華やいで綺麗なのだ。「銀座」と言えば高級クラブ。というイメージだが、私の活動時間帯はいつも「飲む時間」ではないので、私の知っている銀座はデパートや画廊、ファッションビルとアップルストア界隈になる。
日が沈むまでは、実に女性が多い街なのだ。
ソニープラザでは20代ぐらいの女性達が。コーチの店では30代ぐらいの女性達が、魚が群をなして泳ぐようにスイスイと出入りしていて、三越のデパ地下に行けば幅広いジャンルの女性達がハンターのような目をしてウロウロしている。堂島ロールは今日も完売。ショーケースは空っぽになっていたのであった。
山野楽器のすぐ手前にある木村屋総本店は、「私もあんぱんが買いたい」と思ったが、ガラス越しに店内を見たらまるで朝セリのような風景。お客さんはみんな女性達だ。指を差して注文をしている姿がみんな前のめり。
女が強い街、銀座。
女性達の強さに、さすがの私も今日は圧倒されながら山野楽器さんに到着したのだった。
私は「韓国人は早口」という印象があったのだが、チェウニさんはしゃべり方も実におっとりした可愛い女性だ。独特のイントネーションで時々カタコトっぽく聞こえる日本語で会話をされるのだが、歌になると綺麗な発音の日本語が印象的になる。チェウニさんの歌からは、言葉を大事に発音することの重要さを教えられるのだ。
今日はクリスマスも近いので「ホワイトクリスマス」が曲目に加わって一緒に私も演奏をした。
「ホワイトクリスマス」は子供の頃、家にあったお気に入りのレコードの一枚。ビングクロスビーが歌っていたものだ。メロウなサウンドと声が素敵で何度もかけてもらって、ドーナツ盤が回るのを背のびして眺めていた。
海の向こうに国があることを知らなかった頃だ。
チェウニさんと、海を越えて時を越えて、こうして銀座で一緒にホワイトクリスマスを演奏出来て、あらためて音楽はいろいろな人や物やことを繋いでくれるものなのだなぁと思ったのであった。


投稿日:2008年12月07日

2008年12月07日

今日はインターネットラジオの番組でお世話になっているkizznaーstationの開局2周年記念ライブに参加をした。
去年の開局1周年ライブは体調不良で参加出来なかったので、今年は自分も加われて嬉しい。
一度、懇親会で何人かのパーソナリティの方とはお話も出来たが、こういうイベントで顔を合わせるともっと繋がりがラフになれる。楽屋は広いスペースでみんな一緒に過ごす。建物の感じもあってか少し学校の休み時間の雰囲気がある。
あぁ、高校2年と3年の時のクラスが丁度こんな感じだった。適度な距離があって、でもクラスのみんなが仲が良かった。文化祭や体育祭には知恵を出し合って、建設的な物の進め方をみんながするので、中にいる自分も同い年ながら「すごいな」と思い、また刺激にもなって、いいクラスだった。
今日のクラスは永島さんがみんなのまとめ役になってくれているようで、予定になかったセッション曲を決めたり、こういう時はなかなか決まらなかったりするみんながやることやなんかをテンポよく仕切って下さった。
伝えたいことや伝える方法、人それぞれの色がある。
自分は「ラジオの世界」に携わらせてもらった最初の頃、「伝えたいこと」が何なのか言葉に上手く出来なかった。想いを凝縮をして言葉にすることが下手だから、音楽に自分の不得手を傾けていたのに、「ラジオ」に関わるとなると、そこを克服しなくちゃいけないんだと真面目に苦手を悩んだものだった。
でもそれは今でも上手くなれたかと問えばあまり進歩出来ていないように思う。
音楽をやっている友人からは「自分の思っていることを上手く言葉に出来ていたら、きっと音楽をやっていなかったと思う」というようなことを私はよく聞く。
今日はみんなのライブを見ながら、みんなはどうだったのかなとそんなことを思ったりした。
伝え方って本当に十人十色だ。
バトンを受け取ったら、自分が今日用意してきたメニューを精一杯演る。基本だがすごく大切なことだと思う。
今日のイベントは見えないバトンが渡された感じがした。
なんかあったかかった。
それから文化祭のあの匂いを少し思い出した。


投稿日:2008年12月06日

2008年12月06日

新宿に出掛けた。
新宿だと大抵は高島屋か伊勢丹方面に行くのだが、今日はバイクで行ったので、あまり行かない京王百貨店の方から入ることとなった。
あっ。
ここは・・・・。
もう10年以上前になるが、私はここでエラい目に遭ったのだ。
それは、京王百貨店の地下売り場にエスカレーターで降りた時から始まった。
その日も多分私はどこかに行く途中にたまたまこの辺を通ったのだと思うのだが、エスカレーターを降りた辺りで中学生ぐらいの少年に声を掛けられたのだった。
「小田急百貨店の前のバス乗り場はどこですか」
見ると、少年はぶ厚いメガネを掛けて白い杖を持っている。看板が読めなかったりして、こんな人の多い所では特に不安にもなるだろう。私も小田急百貨店のバス乗り場はどう行ったらいいかわからないが、じゃぁ自分が誰かに教えてもらえばいいか。
「ちょっと待っていてね」
少年に声を掛けてその場を離れたのだった。
しばらくして。
道順を通りがかりの人に教えてもらって、少年の元に戻って「ここを真っ直ぐ行って、それから」と、道を説明していると・・・
「ボク、足が痛くてもう歩けない」
「え?」
「おんぶして」
「えっ、えぇえええ〜〜〜っ?!」
おんぶって・・・・おんぶ?
道を説明して私はそれで終わりのつもりでいたが、少年はそこまで一人では行けないと悲しい顔をして言う。だがいくら小柄な少年とは言え、おんぶして300メートルはある道のりを歩くのはキツい。よりによって何故またこんな体力の無さそうな私が・・・・。
しょうがないので行けるところまで行くしかないなと、少年をおぶって新宿の地下道を歩くことにしたのだが・・・・。その姿は相当奇妙だったと思う。すれちがう都会人達はみな冷ややかに「そこに居ないもの」として私達を扱っていた。
とにかくおんぶでヨロヨロとバス乗り場のそばまでは来れたが・・・・・。もう足はヘトヘト。ものすごく疲れた。そこに最後に「階段を登る」という途方に暮れそうなヤマが待っていて、フラフラになりながら少年をおぶって階段を上がっていたのだったが・・・・。
なんと。
階段を上がっている時に、少年は手を私の胸の所にやって「モミモミ」したのだった。
え!うそ!
偶然手が当たっただけかもしれない、と一度は思ったが、一度でなかったので残念ながらそれは違っていた。
ショック。
<キミ、歩けなくて困っていたんじゃなかったの?>
急に脱力して階段の途中で取り合えず、「ごめんね。おねえちゃん、もうしんどい」と言って降りてもらった。
「大丈夫?おねえちゃん」
「ボクがおんぶしようか」
ちょっと、なによ!
ピンピンしてるってことじゃん。
しかし人間、体がクタクタになると脳みそもクタクタになるのである。クタクタになってしゃがんで居たら少年が私の手を引っ張って地上まで連れて行ったのであった。
最後に少年に「おねえちゃん!」と言って抱きつかれ、逃げるようにその場を立ち去ったのだ。
くそ〜。
あの少年め。
もう今会っても、私はキミをおんぶ出来ませんよ。
それにしても・・・。
当時、この話をしたらみんなに笑われた。
私だってビックリ。
実にとほほな失敗をした新宿での出来事なのであった。


投稿日:2008年12月05日

2008年12月05日

天気予報では今日は午後には「雨」ということだった。
ほんとうに?
こんなにお天気がいいのに?
私の予想通り、午後になっても空は明るく雨は降らなかった。
それから2時間ほど経って。
急に空は暗くなってきて。
あぁ、雨だ。
朝、すがすがしいお天気だったのが嘘のよう。周りじゅうがほんの短い時間で雨の景色に変わった。
疑いながらも洗濯をしなくてよかった。
雨、雨、雨。
やっぱり雨は降る。
お天気にはきっとお天気の世界のカレンダーがある。
お天気はそれを守っているだけなんだろう。
雲の下は師走。
今日は何日。
12月5日。
雲の流れと時間とでは、どちらが早く過ぎるんだろう。
もう12月も1週目が終わろうとしている。


投稿日:2008年12月04日

2008年12月04日

最近、ブーツにカラータイツを合わせるという組み合わせが流行っている。
黒以外の色のタイツって足が太く見えるのだが、そういうことを気にする女性は、今はあまり居ないらしい。個人的に履くとすれば、せいぜい茶色ぐらいまでが色のバリエーションかなと思っていたが、店頭でも当たり前のように「ショッキングピンク」や「ブルー」、「黄色」「紫」と色鉛筆並の色揃えで置いてあるので、私も数色ついに買ってしまった。
青い足。からし色の足。
赤い足だなんて、つい数年前には見たこともなかった。
見慣れるって恐ろしい。
そう言えば、あんなに「変」だと思っていた若い子達が履いている”おばあちゃん風ソックス”も”おばあちゃん風ぺたんこ靴”も”おばちゃん風ネックレス”も”ブーティ”も・・・・。<私はさすがに買わないわ>と眺めるだけだったのに、今やいずれも買って身につけている。
店に行ったら、それらがもうメインの商品として置いてあるのだ。かなり私としては、店内でも「やっぱり変よねぇ」と長期間見て来たが、慣れるって本当に恐ろしい。少しずつ少しずつ気づかぬ間に心は軟化し、結局全部最後は自らウキウキしながら「これ下さいな!」とレジに持って行ったのであった。
とにかく、カラータイツも買ってしまった。
あとは柄物のタイツはまだ買っていないが、こちらは私が履くと柄がビヨーンと伸びて柄でなくなるので、履く勇気がないので買わない。
青いタイツを履いてみた。
いいのかな。これで・・・。
今、日本の女性達の足は”顔色のとっても悪い感じ”が流行りなのである。


投稿日:2008年12月03日

2008年12月03日

居ない。
やっぱり、今日も居ない。
いつも窓を開けると我が家の中2階の位置で大きなクモとクモの巣が目に入って気味悪く思っていたのだが、先週ぐらいから家主のクモの姿を見なくなっていたのだ。
最初は散歩にでも出ているのだと思っていた。
いつ見ても巣に居るので「ずっとあそこに居るのは、かなり退屈だろうなぁ」と思って、クモの行動がどういったものなのか不思議に思っていたのだった。
そうだよなぁ。
さすがにずっと巣に居るわけじゃないんだよなぁ。
そう思っていたのだが、あれから今度は姿を見なくなったのだった。
巣はかなり立派になっていて、更に拡大しようとしていた風もあったから引っ越したとは考えにくい。死骸はなかったので定かではないが、何らかの理由で死んだのだろう。
大きく育ったクモと大きくなっていく巣を、”今後どうなっていくんだろう・・・・”と、いつも気持ち悪く見ていたので、ちょっとホッとした。
大きな巣だった。
主が居なくなるとクモの巣でも寂しい感じがする。
透明の糸がきらきらと宙で揺れていた。
ドリームキャッチャーがきらきらと揺れていた。


投稿日:2008年12月02日

2008年12月02日

夜、寝ようとしたらダンボが私の枕の上に座っていた。
「もう、寝るよ」
「ダンボ、どいて」
「どいてちょうだい」
どういうつもりなのか知らないが、ダンボは時々私の言っていることがわかっていながら無視をすることがある。今日は私の枕の上から退こうとせずにドカっと座ったまま居るのだった。
「ちょっと。あっちに行ってよ」
電気も消したのだから、もう就寝タイムなのだということはダンボだってわかっている。今日は何なの。どうしちゃったの。
しょうがないのでダンボを押して、無理矢理自分の頭を枕に乗せた。
”ふん!”
一件落着。
静かな部屋となった。
ところが。
ドカッ。
今度は私の顔の前におしりを向けてあらためて枕の上に座り直すのであった。
横になっている私の顔にダンボのお尻が丁度ひっつく形・・・・。
なんで。
ここだけ人口密度が高くなっているのよ。
「あっちに行って」
「あっちに行ってってば!」
手で押すのだが、ダンボが踏ん張るので動かない。
「もう!」
力づくで押したらようやくダンボが枕から出た。
ダンボ、敗退。
シーーーン。
ようやくこれで静かになったのだ。
と、思いきや・・・
ダンボはまた戻ってきた。
ドカッ。
ぐりぐりぐり・・・・。
今度は私の顔の目の前にドカっと腰を下ろし、お尻で私をグリグリ押し出そうとするではないか。
「ちょっと」
「何すんのよ」
わからない。
わからない。
私はキミのことが。
飼い主としての自分について、今一度考え直さねばと思いながら、「もう眠いし、いいわ」とだんだんどうでもよくなってきた。
「ダンボ、おやすみ」
顔だけ、あったかい夜であった。


投稿日:2008年12月01日

2008年12月01日

今月のラジオのゲストに出てもらうしらいしりょうこちゃんに、家に来てもらった。
だいたい月の始めに、ゲストに出てくれるお友達に家に来てもらって録音をさせてもらっているのだが、私が「来てほしい!」とお願いをするわけなので、月に一度のこの時間はとっても楽しみにしているのだ。
しらいしりょうこちゃんとは、服部祐民子ちゃんのライブで知り合ったのが最初。何度か服部祐民子ちゃんのライブで挨拶をした後に、共通の友人が数人居ることがわかって、丁度それから以後ライブ会場でバッタリ会うことが多くなっていったのだった。
不思議な「ご縁」がある。
それは同じ誕生日で同じ血液型、ということなのだ。私はそういう人に初めて会ったので、ということは、もしかしたらDNA繋がりである自分の妹より、似ているヒトなのかもしれないのである。
明後日、りょうこちゃんは「彼のいない彼の部屋」というタイトルのアルバムが発売になる。
なんか、なんか。
意味深なタイトルだわ。
で、私は「彼のいない彼の部屋・・・・で、待っている間につい彼のパソコンを見たら、知らない女性の存在が浮上して・・・」ってことなのかしら!と、シチュエーションを想像したのだったが、そうではなく「彼がいない部屋で、彼が戻って来るのを待っている時に聴いてもらえるようなアルバム」なのだそうだ。
そうか。
なんて早とちり。
私は「事件好き」か。つくづく自分の思考が「家政婦は見た!」的傾向になってきていると思ったのだった。
30分程、スルーでおしゃべりを録らせてもらって、そこから10分ぐらいに後で編集させてもらうスタイルで、今日も無事収録は終了。
Ryoko.JPG
女性が部屋を訪ねる時、いつもの自分の部屋が何となく柔らかくなっているような気がする。
こうやってゲストという名目で、家を訪ねてもらうのは楽しい行事だ。