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投稿日:2009年01月21日

2009年01月21日

夜、プールに行っていつも行き来するレーンで歩いていたら、見慣れない男性が居るのに気がついたのだった。
夜のこの時間は割と来る人も少なく、しかもその人なりのプールの使い方というのはだいたい決まっている。ウォーキングの仕方や泳ぎ方で2、3回顔を合わせていれば、「あぁ、あの人だな」とわかるのだが、今日の人は泳げないが根性だけで泳いでいるという不自然な泳ぎ方をしていたので、一目でわかったのだった。
不思議な平泳ぎをする。
一かき目、二かき目はほぼ潜水状態。あきらかに沈んでしまっていて、三かき目四かき目で息継ぎの為に急速に水面に上がって来る。で、また息継ぎをしたら沈んで行ってしまうので、ちょっと危なっかしい雰囲気だ。
溺れないでいてくれたらいいなと思っていたのだが・・・・。
このヒト、チャレンジ精神だけは旺盛らしい。
今度は背泳ぎを始めたのだった。
<あ〜〜、ぶつかる>
周りがよけてくれているから、なんとかこの場が成立しているだけで、このヒトやっぱりちょっと無謀だぞ。
気持ちだけで泳ぐのはやめようよ。
そう思ったのだが、この人は今度はバタ足でバシャバシャと荒波を立てている。
ざっぶ〜〜ん。
私も水をかぶる。
みんなかぶる。
耐えきれずにそばにいた男性同士が笑っていた。
いや、ほんと。シャレになりません。私もさっきからすれ違う度に被害を被っているんですよ。
プール内、張本人は気付いていないが、かなりひんしゅくムードは漂っていて、この人がプールから上がって行くと私もホっとしたのだ。
しばらくして。
向こうからものすごい水しぶきを上げながら猛スピードでやって来るクロールもどきの人がやって来るではないか。
ザッブーン。
バシャバシャ。
あれ、さっき帰ったんじゃなかったの。
息継ぎが出来ないらしく一気に泳ぎ切ろうとしているのだが、おかげで水面が大荒れとなった。
いつも来ているインド人風の男性と私が、逃げても逃げても水を受けるのでついに耐えきれなくなった。
「わははははは!」
プールではみな仏頂面で黙々と自分のメニューをやるのが常なのだが、とうとう私は「黙々と」を続けられなくなり吹き出して大声で笑い、するとインド人風の男性も大笑いをして、「ホントニ、コマリマスゥー」と叫んでいた。
近くに居た人はみなほんとうに困りましたよ。
本人だけが最後まで空気を読めないまま、ニヒルに帰って行ったのであった。


投稿日:2009年01月20日

2009年01月20日

私は「長生きがしたい」派だ。出来ればガーデニングが楽しめる家で、90歳を過ぎるまで誰のお世話にもならずに動物と共に元気に暮らすのが自分の夢だ。
未来に対する不安はあるが、それよりも生きていると「様々な素晴らしい発明」が日常のものとなるのをこの目で見られる。体験出来る。これはすごいことだ。
飛行機で海外に行けることも、携帯で誰かとコミュニケーションが取れることも、パソコンで世界が見られることも、その昔には人々が考えもつかなかった夢のようなことだったが、今やそれらは身近なこととなった。
万能細胞がこれからどういう形で身近になるのかその先を見てみたい。まだ見ぬ世界が身近になるのも見てみたい。それをするには自分が長生きをするしかない。長生きがしたいと最近はしみじみ思うようになったのだ。
自分が老人になる頃には「楽ちん羽根」なるものが実用化されているといいなと思う。坂道や階段になるとバッグの中からひょいと天使の羽根なるものを出して、それを羽織ると体がフワリと浮いて楽にこれらを上がることが出来る。これからは老人の人口が増えて行くので、老人お助けグッズがどんどん発明されて欲しいところだ。
子供の頃、手塚治虫さんのマンガに描かれた中でしか見られなかった未来の日本も、今は自分が過ごしている現実の現在となっている。車の形はあのマンガにあったとおり、だが車は空を飛ばない。ところどころ未来予想図と違っていて、答えをこの目で見られていることに充実感がある。
長生きがしたい。
長生きをして、それでどうしたい。
90歳、私は楽ちん羽根で今日も外にお買い物に出掛けているだろう。


投稿日:2009年01月19日

2009年01月19日

昨日、エレベーターに乗る直前に「よろしかったらどうぞ。図書カードが当たります!」と元気のいい声で男性にチラシを渡された。
チラシはもらわないことの方が多いのだ。だがテンポ良く声を掛けられたことで、フラっと私も手が出てしまった。
受け取ってそのままエレベーターに乗ろうとしたら、今度はその男性、タイミングよくチラシを引っこめて「では、こちらでご記入をお願い出来ますか!」と「どうぞ」の手招きをするのだった。
なぬ!
私は何かに記入したりするのは嫌いなのだ。丸井のカードだって長年に渡って記入が面倒臭いから断ってきたが、ある時ふと「ま、いいか」と受けたら、エレベーターで別の階にまで連れて行かれ、担当者に引き継がれて30分ぐらい待たされるという長時間ロスを体験した。
とにかく記入は嫌。
絶対に嫌。
そこで「ごめんなさい。急いでいるんで」と普通に断ったのだが・・・・。
「Oh!sorry,sorry!」
「Please!」
男性はそう言うと、オーバージェスチャーで私に”では、もう行ってもいいですよ”としたのだった。
なんで、急に日本語をやめたの。
私は通常の日本語を話したと思うのだが・・・
「ごめんなさい、今急いでいるんで」

Go men a sight!
It’s my soi del ンデ!
英語で始まってみたが、最後はアフリカ語になる。
う〜〜〜〜む。
エレベーターで上階に上がりながら鏡を見たら、まぁフィリピン人に見えないこともないなと思った。
急にあのヒトは日本人から英語のヒトに変わった。
不思議な出来事だった。


投稿日:2009年01月18日

2009年01月18日

渋谷パルコにハコイヌ展を観に行った。
「絵の世界」は昔からあこがれだった。
自分が描くと、影の部分がどうも違っていたり、遠近が変な感じになっていたりする。だが上手い人は、そこら辺にある紙と鉛筆でサラサラっと一筆書きのように目の前で絵にしてしまう。
どうやったらそんな風に描けるの。
思い浮かんだものを絵に出来るって、どんな感じ。
描いた人の頭の中にはこんな絵が浮かんで、それが形になってこうなったのだ、という所に神秘と感動が沸いてくる。
いいなぁ。
絵が描けたら。
今日は作者の佐藤先生がいらっしゃる日だったので、少しお話をさせてもらった。
ハコイヌの顔のパーツは、笑ったり怒ったりしない。なのに表情がシチュエーションによって寂しそうだったり楽しそうに見えたりする。観る人の心が投影されてそう感じられるのかもしれないですねと佐藤先生はおっしゃっていた。
原画がたくさん飾られている。
さわってみたいなぁ。
目の前すぐで観ていたら、やはりとても素敵で欲しくなった。
お客さんは絶えず来場していたが、中でも小さな女の子が今日のハコイヌ展を楽しみにここにやって来たみたいで、サインをもらってお母さんと嬉しそうにしていたのが印象的だった。
お引っ越しの時に置いて行かれてしまったハコイヌ。
だけど・・・・
お引っ越しで少年が捨てたんじゃなくてよかった。
行き違いで置いて行かれたというところが優しくて、私は切なくなる。
私も二人を応援するよ。
会えたらいいね。
あったかくて切ないハコイヌ展だった。


投稿日:2009年01月17日

2009年01月17日

昨日の晩、何気なくテレビのチャンネルを移動していて、ふと「古典フラの世界」という字幕が出ているチャンネルの所で手が止まった。テレビ東京だったような気がする。舞台で男性2人がフラダンスのパフォーマンスをしていて字幕にもフラの世界とあったが、私はそれをしばらくの間お笑い番組だと思って観ていたのだった。
舞台上の男性2人が「麒麟」の2人に肌の色までソックリ。数分間真面目な古典フラのステージをフラダンスのコントだとして見ていたのだから、「これはお笑いではない」と気づいた時には騙し絵でも見たような気分になったのだ。
テレビ東京はチャンネルで言うと12チャンネル。番組は割とくだけたものが多く、今では私も12チャンネルと言えばテレビ東京をイメージ出来るが、大阪育ちだったので長い間「12チャンネルは教育テレビ」という固定観念があった。
NHKは2チャンネル。8チャンネルは大阪も東京も変わらなかったが、10チャンネル、6チャンネル、4チャンネルが大阪と東京では違っていた。6チャンネルのTBSは大阪では4チャンネルだったと思う。特にNHKは全国的に2チャンネルだと思っていたので、よく2チャンネルに合わせて間違えたのだ。
地デジ放送になると、今度は10チャンネルが5チャンネルになり・・・。なんだかブルーレイやら地デジ対応やら、新語が飛び交うようになっているが、今後果たしてついて行けるだろうか・・・。
そう言えば、今やっているCMでSMAPの稲垣くんがキムタクに質問している。私はあの稲垣くんの立場と同じだ。
「ねぇ、なんでなんでなんで」
稲垣くんはキムタクに聞いている。
でも、私も稲垣くんと同じく”なんでなんでなんで?”なのだ。
いわゆる、疎い組に自分が居るということはわかる。
子供の頃、隣りの家に観音開きのカラーテレビを見せてもらった時はものすごくワクワクした。
今も変わらない。あの箱でいろんな番組が見られることが、当時もただ不思議でならなかった。


投稿日:2009年01月16日

2009年01月16日

杉真理さんと松尾清憲さんのユニット、BOXのライブを観に行った。お二人の共演は何度か見せてもらっているが、なんだろう、音楽っていいなと感じさせてもらえる魅力があって、いつも帰り道にははれやかな気分になっている。
別にMCにしみじみとしたお話があるわけでもない。
周りで歌を聴いて号泣している人がいるわけでもない。
でもライブが終わった頃に、自分の心が穏やかなハッピーで包まれている。
音楽を使って客人をおもてなしする。
私自身の好みで言えば、自分の感情を客人に訴えるタイプの表現者より音楽でおもてなしがしたいと考える表現者の方にあこがれがある。中でも「あぁ、なんて大人なおもてなしの仕方なんだろう」と感動をする時には即尊敬につながったりするのだ。
一曲一曲進んで行くごとに、客席に座っていると気持ちがいい「気」に整って行く。それはきっとMCでは直接口にされないけれど、確かな音楽観や人生観が音符に投影されて、それで音楽と共に伝わってくるのだと思う。
今日も帰りがハッピーな気分になっていた。
いいなぁと感じられることもまた幸せ。
音符だけでない、見えない粒子がその人の音を作っていて、本当は音でなく粒子の方をアンテナが受け取っているのだろう。だからたった12個しかない音程でありながら、「私はこの人が好き」「ボクはこの人が好き」と、いろんな音楽と感じ方が生まれるのかもしれない。


投稿日:2009年01月15日

2009年01月15日

今日は相馬裕子ちゃんと仕事仲間の人達との新年会。
このところ、行き先を適当に把握して家を出て失敗するということが多い気がするが、何度失敗しても「どうにかして着くだろう」という安易な考えが抜けないからで、今日もタクシーに乗ってから大雑把な場所は言えたものの細かい説明が出来ずに困ったのだ。
住所ぐらいメモをしてくればよかった。
今は電話番号入力で辿り着ける。
とても便利になったことで安心をしてしまい、今度は情報を一つも持たずに出てしまうようになった。幸い運転手さんがちゃんと連れて行ってくれたので無事に時間通りに着いたがもうやめよう。途中で「あっ、この道は見覚えがあります」「そうですそうです、こんな場所だった」と言って手を叩いて喜ぶ姿は、まるで猿みたいであった。
今日は遅れてシンガーソングライターの真藤敬利くんも参加、この頃はもう割といい感じにお酒も入っていて、くだけたムードになっていた。音楽話から余談になった時に真藤くんが「エリック・クラプトンのレイラは歌中で”レイラ〜、ざっと4まんにん〜”に聴こえる箇所があるんですよ!」と言っていた。
ざっと4万人?!
レイラが?!
うっそぉ〜。
一度もそんな風に聴こえたことはなかった。絶対にそう聴こえるということだったので、聴いてみよう。真藤くんと会うのは今日が3回目だが、リラックスした場で話したのは初めてかもしれない。こんなにユーモアたっぷりの人だったとは。
家に帰ってレイラを聴いてみた。
<わはははは!あははー!>
「レイラァ〜、ざっと4万人〜」
クラプトンの歌に深夜、部屋で一人大笑いをしたのであった。


投稿日:2009年01月14日

2009年01月14日

一月に入ってから、寒さがしみるようになった。
水道の蛇口をひねっては水の冷たさに震え、服を着替えながら部屋の温度に震え、洗濯物を干そうと窓を開ければ外気に触れて震え、玄関を出たら重装備にもかかわらず震えている。
どっちにしても
お〜さむ、こさむ。
でも今日ぐらいの寒さはまだ”こさむ”なんだろうな。
「東京の寒さなんて寒さに入らないですよ」と、昨日お世話になっているご婦人が笑っておられた。ご婦人は岩手の出身で東京の冬は暖かくちっとも寒さを感じないのだそうだ。
この時期にプールに行くのは寒いと思っていたが、夏よりもプールに入った時の感覚はあったかいので、同じ温水でも冬の方が温水を実感出来る。
北風小僧のかんたろうの曲を流して、灯油屋さんが外を通って行く。
ねぇ、ねぇ。
私にはもう少し寒さが和らぐぐらいがいいんだけど。
少し寒さを持って行ってもらえない?
ヒュル〜ン、ヒュル〜ン、
ヒュルル〜ンルンルンルン〜
かんたろうは私の声に気付かず、ゆっくりと遠ざかって行ったのであった。


投稿日:2009年01月13日

2009年01月13日

高校の頃、私はバドミントン部のマネージャーをやっていた。中学の時のバレー部がキツかったので、高校に入ったら絶対にブラブラするぞと決めて、本当に何にも活動をしない放送部に籍だけを置いていたのだが、ある時「めっちゃ暇やし」「何にもせんでいいし」「頼むしやって」と仲のいい友だちに頼まれて、「ほんまに何もしなくていいんやったら」と渋々入部したら、高校女子運動部の中で一番練習のキツいクラブだったのだ。
<お、おのれ。だましたな〜〜>
体育会系のクラブというのは、一度入ったら基本的に辞められない。なので結局卒業まで私はバドミントン部に所属してみっちりクラブ活動に従事することになったのだった。
バドミントンはそれまで気楽なスポーツだと思っていた。軽いラケットに軽い羽根、別にプレイ中に叫んだりもしない。イメージとしてはテニスの楽ちん版、コートの中をヒラヒラ飛んでいる蝶々という感じがあったのだ。
ウチのクラブはマネージャーも選手同様の基礎練習をする仕組みになっていた。理由は一年生を教えることもマネージャーの仕事のうちだったからで、練習は選手とほぼ同じ内容、違うのは試合には出ないという点だけだったが、練習してみて初めてバドミントンが相当の運動量が要るスポーツだということがわかったのだ。
先輩は普通にプレイをしていて靭帯を切ったし、そういうことは別に特別なことでもなかった。
ウチの部にも大阪府の大会でベスト16までに残れるメンバーが居たが、大会に行ったら格が違う強豪校はあった。四条畷学園だ。ここの選手は別格、他校の選手とは全く動きも違い、一目で「わぁ、強い」とわかる。何か俊敏な動物のようだった。
「オグシオ」で注目を浴びるようになったバドミントン。
うんと昔にだがバドミントンをかじった私だが、認知度が上がると少し嬉しい。
<イチ、ニ、サ〜ン>
後ろに下がる時のステップはこう唱えながら。
シャトルを前に前にと打って。
いつかすっかり辞めてしまったけれど。
バドミントンか・・・。
あの頃はニキビが悩みだった。
いつの間に時は流れたのだった。


投稿日:2009年01月12日

2009年01月12日

今日も昨日の続きで、メカを頑張る日。
どうしても行き詰まってパソコン師匠に相談をしたら、やはり私とは格段の知識の差がある。本当に詳しい。多分直接パソコンをさわってもらったら昨日のうちに全て解決をしたんじゃないだろうか。
よし、今日はまたお天気もいいので頑張る気になってきた。
なので目標をたてよう。
やりたいのはDVDを映像データに変換して、それを分割にし音楽ソフトと同期させて音作業をするということ。だが、今日の目標は一つ出来たらよしとしよう。苦手なことを一気に克服しようとしても、空回りするだけだ。ここは地道にコマを進めて「やれば出来た!」という喜びをヤル気にかえよう。
途中、何らかのトラブルで進まなくなる。
だが、チョー地道に方法を探って夜中になってようやく映像を分割するところまで進めた。ここまでがたったの2行程、わかる人だったら変換に掛かる時間を含め2〜3時間でやれることを、私は丸2日間掛かったので、かなりのロスタイムだったと思うが、山登りで山頂まであと少しの所に来れたぐらいの喜びがあった。
「簡単に出来た」は味わえなかったが、その分「簡単じゃなかったけれど出来た」は大袈裟な喜びを得られる。
かんぱ〜い。
成人の日を迎えた人達のように、一人「出来た記念」で冷蔵庫から出してケーキで祝ったのであった。