月別アーカイブ : 2009年1月

投稿日:2009年01月11日

2009年01月11日

「簡単に出来る」という言葉ほど、万人に使えない言葉はないと思う。
例えば私の場合、料理番組や料理本でどれだけ「簡単」に勇気をもらってトライしたことか。
が、全部「簡単に出来た!」という余裕の感想は持てなかった。
簡単じゃなかった。
でもこれは簡単なんだ。
と、余計苦手ジャンルに対するダメ意識が強くなっただけだった。
「簡単に出来る」と言えるジャンルを持っているという人はそのジャンルについて応用がきき、一つ失敗しても別の方法で克服をすることが出来る。そこが違うので、このように「簡単に出来る」には決して簡単ではない構造がある。
本日、メカジャンルにて格闘中。パソコンなどの機器に詳しい人ならきっといろんな模策方法で先に進んで行けることが、どうしても自分には出来ずに気がつけばまた雨戸も閉めずに部屋の中が真っ暗になっていたのだった。
はぁ〜〜〜あ。
「メカに強い人の脳みそソフト」とかが売っていたらいいなぁ。
ソフトを入れたら急に応用がきいて、機転のきく人に変身をする。
2009年すごろく。
今日のマスは”何をやっても解決出来ず、途方に暮れて一回休み。”
明日はいい目を出して先に進みたいのだ。


投稿日:2009年01月10日

2009年01月10日

年が明けてからまたプールに通うようになった。常連さんはみんな行動が決まっていて、私もそうだがプールのどのレーンで自分のメニューをこなすのかのパターンが変わらない。毎回ウォーキングレーンで腕を横に振って歩く人、毎回真ん中のレーンで黙々とクロールを泳ぐ人、私はビート板2枚を持って一番手前のレーンに入っている。
常連さんの泳ぎ癖ももう覚えた。例えば、左足だけ大きな水しぶきが上げる人が居る。その人が過ぎて行く時は近くに居ると水をかぶるので、水しぶきを受けながら「あぁ、あの人だな」とわかるといった具合だ。
ここ何回か見かける人はウォーキングのデューク更家さんに少し似た男性で、この人もはじっこレーンでクロールを頑張っているのだが・・・・。また癖のある人で、この人は息継ぎの度に「うわ〜っ」と呻き声を上げる。最初は溺れそうになっているのかと驚いたのだ。
「うわ〜〜っ」
パシャ、パシャ
「うわ〜〜っ」
慣れて来てもやはり少し気になってしまう。
プールは一枚の絵みたい。
十人十色。
「うわ〜〜」の人は泳ぎ切ると表情も変えずに立ち、水しぶきのクジラさんも周りに水をさんざん掛けていることに全く気がつかずに居る。
自分のフォームが一番わからないものなんだ。
紙芝居風に時間で追いたいプールでの絵なのであった。


投稿日:2009年01月09日

2009年01月09日

収録の帰りに渋谷駅に向かって歩いていたら、駅直結のデパートのあちこちにセールの張り紙が張ってあった。
人がたくさん居る!
なんか、盛り上がっている!
こんな時、私は明かりが好きな虫のように、何故か吸い寄せられてデパートの売り場に入って行ってしまうのだ。
本日、平日の普通の午後。
世の中、不況で大変なはずなんじゃないのか。
だがここはそんなことを微塵も感じさせない程の大盛況、ものすごい人だかりになっていてそれが全て女性で、まさに「運動会、冬の陣。ただいま騎馬戦。」状態。殺気が漂っていたのだった。
”なんか・・・すごいなぁ”
最初はこの騎馬戦を同じ女性としてやや冷静に見ていたのだが・・・・、今手に取って眺めて元に返した物が、ほんの少しよそ見をしていたら別の誰かがもう買って行ったり、別の売り場では一瞬手から離したスキに他のお客さんが買って行ったり・・・、そうしてさっきの店に戻ると迷っていた品が消えていた。ということを数分の間に体験、「飛ぶように売れる」渦の中に居たことで、私も「今買わないとなくなっちゃう!」モードに切り替わったのだった。
「よ〜し、だったらもう心おきなく買うぞ」
私は結婚式や引っ越しの際に、恐らく途中で金銭感覚がわからなくなってしまうタイプだろう。だんだん気が大きくなり、だんだんアバウトになり、よくわからないが「10円も10万円ももう同じなんじゃないか」という錯覚を起こすのだ。
以降姫は、「丸井も行かなくちゃ」「ここまで来たんだからパルコも行っておきましょう」「せっかくだから西武に寄って」「最後にもう一回だけ最初のあの店に行ってみましょう」と、とっても頑張りました。
だが、
シンデレラはデパートの閉店時間と共に魔法が解け、ただのくたびれた女に戻り・・・。
あらま、わたし。
なんでこんなに買ってしまったの。
つい勢いで・・・熱くなってしまった。
帰り道、財布の中に冷たい冬の風がヒュ〜〜っと吹いて行ったのであった。


投稿日:2009年01月08日

2009年01月08日

今日は年号が「昭和」から「平成」に変わった日なのだそうだ。なのだそうだ・・・というのは、ニュースで見て「あぁ、そうだったの?」と当時の映像を思い出したからだった。
私にとって「昭和」が「平成」になった瞬間は、テレビで小渕元首相が「平成」と書かれた色紙を掲げた映像。だがそれをどこか他人事のように眺めていて、”これからは平成になるんだ”という現実感は全くなかった。とにかく、その響きは中国か韓国の何処かの土地名のようで、年号だという感覚がなかった。
しかしあれから時は流れ、今年はもう平成21年。年越しの時、近くの八幡さんでお詣りの列の私の後ろに並んでいた若者達が「平成何年生まれ?」「2年」と会話をしていて、「ええっ?」と驚いたっけ。だって、私は平成になってから平成での計算が出来ない。平成生まれの人達はそこら辺の不自由を感じずに会話が出来るということに、ジェネレーションギャップを覚えたのだ。
「あれっ、今平成何年だったっけ」
こんな質問は古い人間のすることとなった。
平成に変わって年号計算力を失い、次いで消費税導入によってスーパー、コンビニでの計算力を失い、そしてパソコンの普及によって漢字能力を失った昭和人達なのである。


投稿日:2009年01月07日

2009年01月07日

いつから流行りになってきたのか、最近は店頭で「ゆたんぽ」をよく見掛けるようになった。
ゆたんぽと、それからゆたんぽカバーもワンちゃんの洋服なのかと間違える位、可愛いものがいっぱい出ている。これがドラッグストアで買えたり、雑貨屋さんや輸入雑貨店ではコーナーを作って置いてあって、若い女性達に向けた商品となって今や店先に並んでいるのだ。
でも、ゆたんぽって準備が少し面倒臭いんじゃないの?
労力的にはカップラーメンを作るぐらいなのだろうが、その労力さえ「面倒臭い」と感じる女の子って多い気がする。
お洒落なネイルやキラキラのデコ作りなどの面倒臭いことに頑張った分、脱いだ物をたたんだり片付けることをやらなくなっているのではないか。マスカラやお化粧は念入りに時間をかけてするが、洗濯物は結構溜まっているのではないか。髪はクルクルとカールに時間を費やすが、風呂場の排水口につまった髪は取らずに放置したままなのではないか。
小姑みたいな見方だが、彼女達は外に出て人に見られるモノに関しては、面倒臭くてもやる一方で、家に人を入れない限りは大丈夫なことはやらなくなっていると私は考えるのだ。
ゆたんぽは家グッズに属すので、若い女子達は欲しがらないと思うのだが・・・・。
「てか、一応買ったんだけどチョー面倒臭くって、結局一回も使ってないしー」
ベッドの下に転がったまま、半年経ってもまだ部屋にそのまま形を変えずに転がっているゆたんぽを想像するのであった。


投稿日:2009年01月06日

2009年01月06日

午後、日比谷の東宝アド会議室にて、4月発売のDVD「ハコイヌ」の音打ち合わせ。
昨年12月に資料を頂き、少しずつ作業はしていたが、実際にお目にかかって打ち合わせが出来る方がきっといろんなヒントが得られる。今日は原作者の佐藤先生とも初めてお目にかかれたし、そこで少しお話を伺うことが出来たり、絵コンテを追いながらプロデューサーの山口さんから詳しいイメージの説明も受けることが出来た。
映像に音楽をつけるという作業は昨年一つさせていただいていたが、全編の音楽担当というのは初めてのことなので、私にとっては新たな世界。初めてなのでコツみたいなものも何もないので、それなら逆にその世界を知らないからこそ浮かぶ発想というものを出せればいいなと思う。
自分一人で作る世界も好きだが、多くの人間が関わって一つの作品を作り送り出すということに、前から携わりたいとずっと思ってきた。ハートフルにやりたいなと思う。
まず目指すのは、自分が誰かに何かお願いをして、出来上がったものに「わぁ、嬉しい!」と返事をしたあの気持ち。今度は逆の立場で”音楽、どういうものがついて来るんだろう”と待っていただいている制作の方々の笑顔に向かってやりたい。その笑顔があって初めてその向こうに居るまだ見ぬ多くの人達の笑顔を感じられるのだと思う。
佐藤英明さんが途中で、「心の中にあることを上手く言葉に出来ないから絵に託しているようなところがあるんですよ」というようなことをおっしゃっていた。
私のやることは、ハコイヌに託された想いを大事に受け取って、音楽に注ぐことだ。
丁寧に、心を注いで。
今月もすっかりお正月が遠くなって、2009年のお仕事も動き出した感じがした。


投稿日:2009年01月05日

2009年01月05日

ちょっと前に話題になった脳内メーカーをやってみたら、私の脳のほとんどは「食」で占められていて、その周りを「嘘」が一周して囲んでいた。
あらまぁ。
あきれていたら「生まれ変わりメーカー」というのがあったので、気を取り直して今度はそれをやってみたのだった。
すると・・・、
私のルーツは「カブトガニ」とあった。
矢印を辿ると、私は「カブトガニ」から「ピュアな縄文人」になり、それから「伊達政宗のペット」「天然ボケのドイツ人」を経て自分になったということだった。
うぅううううむ。
どう解釈していいかわからない。
ダンボのことも調べてみた。犬の前世は何だったんだろう。思いつかなかったが、ダンボは最初は「マグロ」だったと出た。その後「嫌味な弥生人」「ピュアな商人」「ゴッホのおさななじみ」と生まれ変わって現在の「ブタに似たチワワ」になったそうなのだ。
お前はマグロだったのかい。
カブトガニについては、何とも感想を述べ難い生き物で、嬉しいという感覚はあまりないというのが正直なところなのだ。
気を取り直して、また別の項目をクリックしてみた。
「助平星人」
何にも答えていないのに。
私は助平星人と診断された。
もう、この辺で受け入れよう。
はい、私は助平星人です。
気を取り直すとどんどん深みにはまっていく脳内メーカーのページであった。


投稿日:2009年01月04日

2009年01月04日

2009年が始まった。
ここ何年かは年明けと共に胃腸炎や風邪になって寝込んでいたので、元気にお正月を迎えられたことがまず嬉しかったのだ。
年明けに近所の八幡さんにお詣りに行き、お正月3日間は家でテレビを見たりモビールを作ったりしてゆっくり過ごした。
そして今日は叔母一家の新年会。吉祥寺の中華料理店での昼食会があった。
「あけましておめでとうございます」
お正月、実家は留守になるので私は東京でさほど変化のない日々だったので、4日目にして初めて私にとってお正月らしいムードを体感したのだ。
叔父と叔母、従兄弟のよっちゃんと菜穂子ちゃんとヒロくん。叔父は私の母の兄でもう75歳なのだそうだ。祖父とそっくりの風貌になったなぁと思って眺めていたら、従兄弟も叔母も私の顔が母にそっくりになったと言う。
えぇ〜っ、そうですか。
母は矢野顕子さんにそっくりの顔だった。矢野顕子さんと私とでは顔のパーツが違うので、自分では似てると思わないのだが・・・。パーツを越えた所でちょっとした仕草や表情が似て来ているのかもしれない。
昼食会のあとは、みんなでカラオケに行く。叔父はカラオケが好きなようで、さっきの店では気配がほとんどなかったが、カラオケに行くことになったら急に生気が戻って来たのでちょっと笑えた。「カラオケ」の単語に反応して、突然中華料理店内でお気に入りの曲の入力ナンバー8桁を、たて続けに口走っていた叔父であった。
叔父はうちの父、しげおっちとはキャラが全く違う。変わり者のしげおっちとは正反対なのだが、”変わりもんの正反対”なら普通の人かと聞かれたら、決してそうではなく、叔父も相当変わっている。前はダンディで無口なおじちゃまだったのだが・・・。
家族で集まるとこんな感じなんだよなぁ。
子供の時に見上げていた厳格だった親達は、大人になったら印象が変わる。親の言うことが「絶対」だった頃があった。いつをもって変わったのかわからないが、少なくとも親は自分の友だちには居ないタイプだ。
少しの違和感と苦笑、それが今は家族で集まる時の楽しい味付けとなっているのである。