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投稿日:2009年03月11日

2009年03月11日

中学の卒業式の日、学年のやんちゃ者、Kくんに今まで蹴られたりイタズラをされた女子数人で、今までのお返しに最後にギャフンと言わせようとたくらんだのだ。
5〜6人の女子が集まって考えたのは、実にバカらしい仕返し、犬のフンをプレゼントするという企画で、卒業式の朝、じゃんけんでそれぞれ決めた持ち場を担当し、通学路のお寺の前に落ちていたフンを割り箸で拾ったのは私だった。
可愛い箱を用意したのは誰だったか忘れたが、スヌーピーのコップか何かが入っていた赤い空き箱に、コロコロウンチを数個入れて、私達は密かに盛り上がったのだ。
「Kくん」
卒業式が終わってみんなで校門近くで溜まっている時に、私達は駆け寄った。
「おぅっ、なんやねん!」
「今までいろいろあったけど・・・」
「おぅっ」
「はい、コレ!私達からのプレゼント!」
ところがKくん、私達のたくらみには乗って来てくれずに、早速疑いをかけるのだった。
「お前ら、おかしい。絶対何かたくらんでるやろ」
何もたくらんでいないよと必死でシラを切ったのだが、何度かのやりとりをしたあとに「絶対、何かある!」と断言したと思ったら、「こんなもん、いらんわい!」と私達からのプレゼントを蹴ったのだった。
<あーっ>
スヌーピーの箱は飛んで行き、その勢いで蓋が開いたと思ったら、犬のウンチがコロコロと出て来た。
「やっぱりな!」
3年間を通じて、とうとう一度もKくんをギャフンと言わせることが出来なかった。
中学の卒業式、私達は記念の飛び蹴りを受けて終わったのだった。


投稿日:2009年03月10日

2009年03月10日

先日「ハコイヌ」でお世話になったエンジニアのidehofさんが参加する「福」のライブに行った。場所はプーク人形劇場、”コロボックル”のアニメーションに合わせてのライブでステージの上にはメンバー用の映像モニターが置いてあって、その映像を見ながら演奏をするのだ。
チューバの岩原さんとアランさんは晴れたら空に豆まいてのライブでご一緒させてもらったが、その時も面白いライブをやっていて、今日は更にいろんな楽器をされるようだ。
”コロボックル”を私は知らなかったのだが、「つづきのおはなし」のDVDをidehofさんに見せてもらったら、絵のタッチと音楽が私のすごく好きなテイストですっかりハマってしまったのだった。”コロボックル”の立本倫子さんのイラストは、私の思う「可愛い!」にピッタリなのだ。
この「可愛い」に音がつくとまたこれが「可愛い」わけで、「可愛い、可愛いって何を以って可愛いとするのかがわからん!」とウチの父には言われそうだが、これは私と雑貨センスや好きなもののタッチが似た人としか会話が成立しないかもしれない。
が、もしピッタリ合う人が居れば、きっと帰り道には「めっちゃ可愛かったね〜」「すごい可愛かった〜」と可愛いを連発してチョーごきげんだったのだと思う。
音楽的には難易度の高いプログレみたいな技が必要をされ、演奏は大変だったはずなのに、観ている人達が大人から子供まで、何ひとつ難しさに気持ちをそがれずに最後まで楽しめる内容だった。
とても感動をした公演だった。


投稿日:2009年03月09日

2009年03月09日

今日はバービー人形がアメリカで初めて発表された日なのだそうだ。それが1959年のことなので、バービーちゃんはもうシワシワのおばあちゃんになっていてもいいのだが、リカちゃんもサザエさんもバカボンのパパもミッキーマウスもそう、バービーちゃんも不老不死軍団の一人なので、今もキュートな女の子のままなのだ。
私が「バービー人形」の存在を知ったのは、大人になってからだった。子供のおもちゃのはずなのだが、子供の頃にバービー人形があるということは知らなかったし、周りの女の子の中でバービー人形を持っている子は一人も居なかったので、高槻には売っていなかったのではないだろうか。よくわからないのだ。
そんなわけで私達の間では「お人形さん」と言えば「リカちゃん」だった。大抵の女の子は自分の「リカちゃん」を一体持っていて、あとはそれに付随するグッズを買ってもらっていたのだ。グッズで一番の人気はやはりリカちゃんハウス。私も欲しかった。
私が買ってもらえたのは、何故かリカちゃんタンス。「リカちゃんハウス」を持っている友だちの家へ、よくリカちゃんとタンスを持って遊びに行ったのだが、タンスはリカちゃんハウスの大きさには大き過ぎて中に入らず、何の使い道もない物でしかなかったのだった。
お人形さんはみんな若くてべっぴんさん。
バービーもリカちゃんもいろんな種類が出ているのだから、この辺でオバちゃんになったバージョンも出て欲しいなと思う。
オプションアイテムは自転車。前かごと後ろかごがちゃんと付いている物だ。オバちゃんのよく行くスーパーなども順次出して行けば、行きつけの八百屋さんやクリーニング店と広がって行き、そうするとそのうちにジオラマが出来るのだ。
なんだか、オバちゃん人形シリーズがだんだん欲しくなってきたのだ。
そしてオバちゃんハウスにはオバちゃんちゃぶ台やタンスがオプショングッズとして売られている。で、オバちゃんバージョンらしく、タンスの引出しの中には「いつか使うかもしれないから」と取っておいた包み紙やリボンが入っているのである。


投稿日:2009年03月08日

2009年03月08日

代官山、晴れたら空に豆まいてにてライブ。
日曜日の代官山は久しぶりに来たが、平日とは人の量も違って賑やかな感じがする。デートで来ている人達が多く、通りも人が多いわりにはのんびりとした空気だ。
代官山は最近はライブで来る場所になったが、10年程前は買い物に来たり、通っている美容院が代官山にあったので髪を切りに来ていた。
実家の関西に居た頃には、代官山は雑誌のショップ紹介で載っている店がたくさんある街で、雑誌の中でしか見ることのないお洒落な街だったので、東京に来た頃は雑誌の切り抜きを持って”東京見物的”な気分でやってきたりしたのだ。
いくつかの店を覚えたが、未だにあまり店を知らないので、リハーサルが終わって時間が出来ても「どこかに行きたいけれど、行きたい場所がわからない」ので、散歩の犬みたいに”いつも歩くコース”を回ってそれでおしまいにしてしまうので、ちょっともったいない感じもするのだ。
「晴れたら空に豆まいて」にはグランドピアノが置いてあるのだが、ピアノタッチが私には結構難しいピアノで苦戦していた。メーカーは苦手なkawaiのピアノ。鍵盤が重いのと、ちょっと鍵盤が浅めの作りになっているので、なかなか思った感じに弾けなかったりしたのだが、ここ一年程で時々とても弾きやすいと感じるようになった。
このピアノはきっとここに来て、たくさんの人に弾いてもらえるようになって、それに応えるようにだんだん優しくなってきている気がする。
春の歌を、春を呼ぶように歌えたらいいな。
代官山の日曜日が足早に過ぎて行ったのだった。


投稿日:2009年03月07日

2009年03月07日

午前中、ダンボを連れてA動物病院に行く。先月の末に大学病院で検査を受けたが、幸い難しい手術を受ける必要は今のところはなく、この2ヶ月は投薬による経過観察でA動物病院に通うことになった。今日は薬をもらうのと診察を受けるのとで、病院には約半月ぶりに行くことになる。
薬を飲み出して以降、ダンボは吐いたり下痢をすることがなくなった。一時はどんどん痩せてきていたのが、最近は一日を通して元気に飛び跳ねるダンボが戻ってきた。
「先生、こんにちは」
前回の結果報告は、大学病院の方から連絡を入れるということだったので、既に結果は届いていたのだと思う。今日は診察室に入って来られた時に、先生の顔は笑顔だった。
「とりあえず、数値が下がっていてよかったですね」
今日は痛い注射も、奥の部屋に連れて行かれることはないのに、怖がりのダンボは聴診器をお腹にあてられただけで大袈裟に暴れていた。
体重、3、45kg。
また戻ってきた。
「10日後ぐらいにまたいらして下さい。その時に血液検査をしましょう。」
「はい」
「じゃぁ、お薬を出しますんで外でまたお待ち下さいね」
「ありがとうございました」
<え?>
暴れたり、私をひっかいたり、肩の上に乗ってしまったりと、さんざんパニックになっていたダンボの方がきょとんとしていた。
<今日はこれで終わり?>
「はい、ダンボ。帰るよ」
<ウソだ!>
キャリーケースに入ってからも、ダンボは疑い深く「きっとこの後に、怖いことが待っているに違いない」と心を閉ざして怯えていたが、今日は本当にこれでおしまい。
ダンボは病院が大きらい。
まぁ・・・別に大きらいでいいよ。
でも、自分んちの仔でもない、暴れて懐こうともしない、まだたった数回しか面識のないこの動物を、「元気になってきてよかった」と自分のことのように笑顔で見つめてくれた先生の顔に、今日私は感謝と感動をしていたのだった。


投稿日:2009年03月06日

2009年03月06日

今年は桜の開花が例年より早いのだそうだ。
家の近くには夜でもお花見で盛り上がる花見スポットがあるぐらい、桜の時期は見事な桜並木が川沿いに花開くのだが、今は遠目で見れば「もうすぐ咲く」気配は全くないと言っていい程の茶色い枝木でしかない。
これがもうすぐ咲くのか・・・・。
何度見てもそんな雰囲気はないので、なんだか信じられないのだが、それである話を思い出した。
それは「成功」におけるグラフの話で、なんでも「成功」には「成功曲線」というものがあるらしい。ある人が努力を地道に重ねて、事業を成功させたとする。だがその成功までの道のりをグラフにすると、斜め45度に上に上がって行くのではなく、ある時に急上昇をするのだそうだ。グラフが努力に比例して上向きになるのではなく、桜の開花のようにある時期に目に見えて急に花が開き出すというのだ。
今年の「JR東海」の”そうだ、京都行こう”のCMだったと思う。桜が見事に咲くまでには、必ずその前にある厳しい冬を越えなければならない。それがあって桜たちは咲くのだといった内容のくだりがあって、そのCMの言葉も重なって来る。
3月になったというのに、まだあまり春らしい天気には恵まれず2月の方があたたかかったなぁと思い出す今日この頃。
本当に春って来るのかなぁ。
その答えは毎年自分自身が春を見てきた。
春が来ることを信じて枯れずに居る。
私の庭にも冬を越えた花木がいくつか芽を出した。
花木達は、時々休んで眠る。その間は肥料も水も要らない時期になるのだが、私はそれで枯れてしまったかと心配をしたりしている。
あなたはいつの季節に咲く花ですか。
私はいつの季節に咲く花だろう。
わからないから取り敢えず自分の生まれた季節を仮りとして設定しておくのもいいだろう。
信じられないけれど、もうすぐ桜が咲く。
桜曲線が急上昇する3月なのである。


投稿日:2009年03月05日

2009年03月05日

幼稚園の頃、私は尼崎に住んでいた。駅は塚口という駅で、かなり駅から家までは遠かった記憶があるが、それでも最寄りはこの塚口駅だったのだと思う。どこかに行く時、電車はこの駅から乗っていたからだった。
その頃はまだ駅は高架になっていない踏み切りがある小さな駅だった。北側の方が栄えていて、南側には幼稚園で同じ組の子の中華料理店があって高いビルは一つも建ってはいなかったのだ。
北側の駅のそばに、子供心に奇妙な存在の店があった。
何屋さんなのかはわからない。ただ、店のところをショートカットで行ける道があって、それで駅に行く時に前を通っていたのでそのお店を通る。品物が店頭に出される風でもなく、喫茶店のような感じでもない。何屋さんなのか外からは見えず、入口に木彫りの女の人の壁掛けが飾ってある古い木造の建物だった。
木彫りの壁掛けは、今から思えばどこかの土産物屋さんに置いてあるような物なのだが、そこに浮き上がる女性の像が私には怖い幽霊に見えた。だから私はその前を通るのがイヤだったのだが、別に泣いてゴネたわけでもなく、母に「怖い」と打ち明けることもなかったので、その店のことは多分私の中でしか残っていないのだと思う。随分経って派遣のバイトで塚口に行くことがあって、駅を見に行ったら駅前は踏み切りもなくなって高架になっていた。その頃とは全く違う景色になっていて、そしてあの壁掛けの店もなくなっていた。
薄暗い古いあの店は何屋さんだったんだろう。
怖かった壁掛けはきっと誰かの作品だったんだろうが、大人にとっては作品でも、子供には呪いの何かにしか見えないことがあるのだ。
今日は渋谷にラジオの収録に行った。
ハチ公の反対側にある待ち合わせのモアイ像の前を、いつものように通る。
モアイ像もあの頃の私が見たら、怖い奇妙な像にしか見えなかっただろうなと思ったのだった。


投稿日:2009年03月04日

2009年03月04日

近所のガソリンスタンドは入りやすい場所にあるのだが、どうも他店と比べて値段が高いみたいなのだ。原付のガソリン代なので気にもしていなかったのだが、去年ガソリンの高騰でガソリン代が日々値上がりをしている時期に、ニュースでやっている高値よりこの店は更に高い値段であることがわかったのだった。
よく見回してみたら、店のどこにもガソリン代が表示されていない。時価制のお寿司屋さんと同じシステムのガソリンスタンドだったとは・・・・。
それで、そこのスタンドに通うのはやめて別のところで入れるようになったのだが、最近はガソリンの値段も落ち着いてきたので、以前程頻繁には行かなくなったものの、たまに通りがかりにこのスタンドに立ち寄るようになっていたのだった。
「毎度ありがとうございます〜」
接客は気持ちがいいお店だ。
「毎度」と言われると、私としては毎度ではないのでちょこっと胸が傷む。まぁ、初めて行った店でも「毎度ありがとうございます」と言われるので、真面目に受け取らなくても聞き流せばいいのだが。
今日も「毎度ありがとうございます〜」と迎えられた。顔馴染みになった店員さんは居ない。この店員さんも私には記憶がなく、それでようやくこれはこの店の「いらっしゃいませ」の挨拶言葉なんだと解釈することが出来たのだ。
なーんだ。
気にしすぎ。
お釣りをもらってエンジンをかけていたら・・・
「いつもほんと、ありがとうございます」
店員さんがニッコリ笑って見送ってくれたのだった。
あうー。
只今、ガソリンスタンドの二股中。
なんだ、この罪悪感は。
ガソリンを入れに行って、なんだか重たいものを背負って帰って来ているのである。


投稿日:2009年03月03日

2009年03月03日

誕生日を迎えた。
大声で泣いたことが、覚えてはいないが自分がこの世に生まれて初めてしたことだ。
その時、どんな景色だったのかなぁ。
私が生まれたのは順天堂大学病院。6つ上の兄が死産でその後は流産、私は子供をあきらめかけていた両親にとっての待望の赤ちゃんだったのだそうだ。
予定日より一日遅れて0時を少し回った時刻に私は生まれた。まだ名もない赤ちゃんの私を見て、「この子が元気に育ってくれたら、それだけでいい」とその時両親は思っただろう。
私はそれからすくすくと育ち、大人になってから思わぬ病気になったが、それでもまた誕生日を迎えることが出来た。
「おめでとう」って嬉しい言葉だ。
生まれた時にもきっと耳にしたであろう言葉。
春が始まる頃に私は生まれた。
あの時の名もない赤ちゃんは、歩いて歩いて今日という道しるべに辿り着いた。
幸せはどこかに探しに行くものではなく、ここにあるのに気付くもの。
今日の風をすーっと吸い込んだのだった。


投稿日:2009年03月02日

2009年03月02日

夜、先日行って気に入った高円寺のカフェにまた行ってみた。
店の前には草木が可愛いらしく植えてあって、古い家に手を加えてあるその具合いが私好みで、アンデルセンやグリム童話に出て来る「森の中の小さなお家」のイメージにぴったりのお店なのだ。
しかし前回は店内におしゃべり魔女が居て、目の前に座る彼氏だか男友だちだかにずーーーーっと、「わたしってこういうヒトなの」持論を語っているのがこっちにも筒抜けで、非常にくたびれた。言葉も花粉と一緒で、ある一定の量を越えると体に支障をきたす。頭の中にハチがブーンと飛んでいるような妙な具合いの悪さに襲われて、それで店を出たのだった。
せっかく可愛いお店だったのに。
今日はさすがにあの人は居ないだろう。
仕切り直して出掛けて行ったのだ。
ここのお店はちょっとだけ恥ずかしい気分になることがある。それは店内が狭く一階と二階の行き来が大変だからなのだろうが、お客自身が客席中央の柱についているインターフォンの所まで行って、ピンポンを押してオーダーを言うという点なのだ。
普通の民家のインターフォンと同じものをピンポーンと押して、「アイスコーヒーをひとつ」と言う。インターフォンから聞こえてくる声は小さいので、こっちの声だけがヤケに店内に響く。注文をする時って目立つのだ。
今日私が座った席は、このインターフォンのすぐそばだった。
「あの・・・」
という声がしたので「はい?」と言って振り返ると、その人はインターフォンに向かって注文をするところだった。
「ドリアと、食後にアイスコーヒーをお願いします」
と、言う声がハッキリ聞こえて来て、見ず知らずの人がこれからドリアを食べようとしていて、それからアイスコーヒーを飲むんだなという余計なことが頭に浮かんだりする。
前回とはまた違う落ち着かない回となっていたのであった。
今日は私が食事をしている間じゅう、隣りの席の彼氏の方が、「オレ、蝶々ダメなんだよねー」と、蝶々のどこが気持ちが悪いかを語っていた。
それはそれで私も気持ちが悪くなった。
森の中の可愛いお店は一人で行くと、気が散る傾向にある。
しかしながら、高円寺在住の友人でこのテイストのお店に誘える人がいない。高円寺在住の私の友人は、みなカフェではなく焼き鳥が似合うメンツばかりであることが判明したのであった。