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投稿日:2009年08月11日

2009年08月11日

吉祥寺のスターパインズカフェに、「ポンすけ」のイベントを観に行った。
「ポンすけ」はドラムの小畑ポンプさんと、ピアノのただすけさんの二人のユニット。ただすけさんは去年しらいしりょうこちゃんのライブサポートで演奏をされているのを観ていて、ポンプさんは高校生の頃から知っている高槻の音楽仲間。ポンプさん・・・でなく、私にとっては当時の愛称、おばりんのままだ。
おばりんとは、すかんち時代に信濃町スタジオで会って以来・・・。「ポンすけ」の活動をされているのは知っていたが、なんとなく連絡出来ずに居たのだった。
<いつか、また会える機会があればいいなぁ。>
おばりんはもっとシンプルだったんだと思う。
音楽友だちのHPに行ったら、HPを見つけたから・・・・と懐かしい連絡をくれたことで、今日はライブを観に行くことになったのだった。
ピアノとドラムの二人のユニットってどんな感じなんだろう、となかなか想像がつかなかった。ドラムが入ればベースが欲しくなるし・・・・どういう組み立てになるのかなぁ?もしかしたら、アンサンブルや曲という形じゃなくて即興的なユニットなのかもしれないなと思い浮かべながら、行ったのだった。
今日のライブは、女性ミュージシャンやアーティストを迎えての構成。
最初に二人の演奏があったのだが、ピアノとドラムの二つしかないのに、足りないものはないと感じる程、いろんな楽器が聴こえてくる素晴らしいアンサンブルの曲だった。ベースの音がないのに、ベースの音が鳴っているように曲を感じ取れる。誰にでも出来ることではないこのアプローチを素敵だなぁと思ったのだ。そしてその後はホスト役になったり、セッションでいろんなタイプの曲がある楽しいライブだった。
ライブが終わると、少しドキドキしながらおばりんに会いに行った。多分、16〜17年ぶりぐらいじゃなかろうか。
まるで、昔の彼にでも会うかのように。
「おばりん」
久しぶりに人の名前を呼ぶ時に、緊張で声が震えたのだった。


投稿日:2009年08月10日

2009年08月10日

お昼前に、ダンボの調子が少しおかしいのに気がついた。しゃっくりのような状態が続いていて、一心に床をずっとペロペロと舐めている。前にもこういうことはあって、床をしばらく舐めたあとでグエっと吐く。吐けば落ち着くみたいなので、今日も吐きたくて床を舐めているんだろう。
だが、今日はそれが一度で収まらない。
「ダンボ、しんどいの?」
小さな犬なのに、こういう時に私を頼りにしていないんだなぁということがわかる。私は子供の時には、風邪で寝ている時に母が近くに来てくれたらホっとした。お腹をなでてもらうと少し楽になったものだった。大人になってからも、寝込んでいる時には一人だと心細い気分に覆われたので、ダンボの近くに行くのだが、ダンボは私の存在は必要がない様子で、自分でなんとかすることを考えて行動をしている。少し遠巻きに様子を見ながら、この小さいけれど別の生き物であるダンボのことを、尊重しつつ自分の立場でジャッジをしなくちゃいけないなぁということを考えたりしていたのだった。
ダンボの様子は午後には落ち着いたが、夕方の診察には病院に連れて行った。
症状を伝えると、今は落ち着いて食欲もあるのなら特に心配することはないでしょうとのことだった。もうその頃にはいつものダンボに戻っていて、「ごはん」の単語にも飛び跳ねて喜んでいたので、ひとまずホっとしたのだ。
今日の朝はいつもと変わらない朝だった。
いつものように私は朝食を食べて、いつものように過ごす予定だった。
でも犬の調子が悪くなると同時に、私の心も曇ってきて、”さっきまで”の穏やかな時間はいきなり遠い昔のように思えた。
体調に無意識でいられる時間は幸せな時間だ。
自分自身だけでなく、それは身近な人の体調も含むと思う。
「あれ、なんだか変だな」と自覚するまではずっと無意識にいられる体。
普段からたまにこのことを思い出したりもする。長い病院生活を送ってからだ。
元気なダンボの姿を見て、それだけで何て幸せな夜なんだろうと思った夜だった。


投稿日:2009年08月09日

2009年08月09日

夜、阿佐ヶ谷の七夕まつりに行った。
tanabata1.JPG
阿佐ヶ谷では8月のこの時期に毎年「七夕まつり」を開催していてる。商店街には華やかな七夕飾りが施され、地元の人達が作った大きなハリボテが吊るされる中、各店がそれぞれ趣向を凝らした出店を出す。なので、七夕まつりの楽しみ方は商店街を端から端まで歩くことなのだ。わたがし屋さんが出たり、お好みやきやかきごおり、金魚すくいもある。いつもは売らない品を売っているのも面白い。
昨日はダンボを連れて行ったが、すごい人で犬を連れては無理だなぁと10分も居れずに帰ったので、今日は一人で再挑戦にきた。私はいろいろお店屋さんを覗くのが好きみたいで、「買い食い」については子供の頃に禁じられていたせいか、未だにワクワクするのだ。
「今の人が食べていたのが、食べたい」
すれ違った人が、凍らせたイチゴに練乳をかけた物を食べていた。
「和菓子、おいしそう」
tanabata3.JPG
普通のお祭りの屋台と違うのは、それぞれの店の品も店頭に出されて居ることで、普段は素通りしてしまうような店も、出店として在るとまた見方が変わったりもする。ちょこちょこと「これ下さい」と買っているうちに、なんだか一杯買ってしまったのだ。
七夕まつりは商店街の陰謀だと最後の方に、そんな思いがしてきたが、それならば私はとっても易いカモだと思う。先のことも考えず金魚まで家に持って帰るところだった。
しかし「夏らしいこと」なら、やっぱり「夏まつり」に行かなくちゃ。
最近は一人でどこでも行けるようになった。
”彼氏が居たらいいのにな”はもう卒業したみたいで、一緒に行く人はもう居なくてよくなったら、何と身軽になったことか。
「夏まつり」に行けてよかった。
楽しかった!
あとはどんな夏の思い出を作ろうか。
遊園地のプールで一人ウォータースライダーで楽しんでいる自分の姿が浮かんだのであった。


投稿日:2009年08月08日

2009年08月08日

今の家から割と近い場所に、どうも泉麻人さんが住んでおられるみたいなのだ。
泉麻人さんのコラムやエッセイは一時よく読んでいて、その頃の文章によく出て来ていた「落合」が生活圏だったと思う。で、勝手な思い込みにより、「先生は持ち家に住んでいる」ので引っ越しをするはずがないという感覚で居た。
いつだったか「出没!アド街っく天国」という東京の町を紹介する番組で、泉麻人さんが出ているのを見た時も「落合に住んでおられるヒト」だと連想したのだ。
それが、この半年の間に近所の普通の道で、二度もご本人の姿を見掛けている。店があるわけでもない。この辺りを歩くのは、ここら辺に家がある人だけといった状況に「近所にイズミアサトが住んでいる」ということが、ほぼ確定となってきた。
テレビで顔を一方的に知っているヒトを見た時・・・。
一瞬、私は「あっ!」という顔をして怪訝な顔をされることがあるのだが、その時の「あっ!」は「テレビで見た人!」の驚きではない。
「知っている人だけど、誰だったっけ!」
うろたえている「あっ!」なのだ。
”思い出さなくては・・・”とあせっているうちに通り過ぎてしまい、取り合えず軽く会釈をしていたりする。で、しばらくしてようやく頭の中が整理されてきて「テレビで見たヒトだった」と思い出すのである。
泉さんの場合もそうだった。
だって、こんなに不意に脇道から泉さんが出て来るとは思わない。
しかし、二度あることは三度ある。のだ。
今度会ったら、「あっ!」と驚かないかわりに、緊張して目を見られずによそよそしくしてしまいそうで、結局極端な態度になってしまうのであった。


投稿日:2009年08月07日

2009年08月07日

飼い主診断テスト、みたいなものをやってみると・・・・。
ダンボは私をあまり信頼していないという結果になったのだ。
Q/おいで、と呼んだらすぐにあなたの犬はあなたの所にやって来ますか。
やっては来ない。聞こえないフリをして微動だにしないか、やって来ても少し距離を取って手が届かない場所で警戒している。私に飛びついて来るのはエサを持っている時しかないのだ。
ちょっと寂しい。
Q/オヤツをあげた時、あなたの犬はそれをどこで食べますか。
えっ、どこでって。
自分の陣地に持って行って食べるんじゃないの。
と、思っていたらそうではないワンコも居るらしい。飼い主さんを信頼しているワンコの場合、飼い主のそばでくつろぎながらそれを食べるのだそうだ。
有り得ない。
ダンボは私の手から奪うように持って行ったあとは、ベッドの下の奥の方に逃げて行き、それを食べるまでは出て来ない。あげた瞬間からダンボにとって私は敵になるのだが、犬はみんなそういうものだと思っていた。
dambochan.JPG
<お宅のワンちゃんは、あまりあなたを信用していないようです>
ダンボ・・・、そんなことないよね。
「ダンボ」
「ダンボ!」
しーーーーーん。
布団の中に居るはずなのに・・・。
食べ物を持っていなければ用なしの飼い主。
今日もダンボはまた聞こえないフリをするのであった。


投稿日:2009年08月06日

2009年08月06日

服部祐民子ちゃんのレコーディング。
ライブでは一緒に演奏をしていた「しあわせになりたい」を今日はレコーディングする。打ち合わせやプリプロを経て、今日はほぼ一発録りでこの曲を録る。
個人的な思いとしては、ライブで一緒に演奏をしていた時から、この曲を録音する時は自分も携わることが出来たらいいなと思っていたのだ。だから声を掛けてもらった時はとても嬉しかった。
普段の祐民子ちゃんは、自分の哲学を語ることはない。誰かの話を「ふぅーん」という感じで聞いている方で、自らが話す時もそれほど口数が多いわけではない。だが彼女の歌を聞けば、わかりやすい言葉で「これって真実だなぁ」とハっとさせられることが印されている。
どの曲もすごく切れるように痛い。聴きがいがある、演りがいがあるアーティストだと思う。
「しあわせになりたい」に携われて、だからとても嬉しい。
言葉が刺すように痛い。
だけどどこか救われる。
その力強さが祐民子ちゃんの曲に共通する空気だ。
「せーの」で全部を録る。
別々の部屋だけど心をみんなでひとつにして。


投稿日:2009年08月05日

2009年08月05日

私の家の玄関は西向きで、西陽をまともに受ける。
おかげで、夏の暑い時期は日が沈まないと玄関の鍵が使えないのだ。
前の事務所の館がそうだった。
玄関の扉に水を掛けて、冷やすとようやく鍵が開くという状態になっていて、扉自体が触っていられないぐらい熱くなっていたのだ。
でも、普段はそんなことを忘れて過ごしている。
玄関で靴を履いてもまだそのことを忘れているので、「鍵に手こずる」時間まで計算に入れていないので、家を出る時にあせるのだった。
「何で遅刻したんだ」
「玄関の鍵が、熱くてしまりませんでした」
西陽の玄関の家人ならわかるこの理由。だが、上司の家の玄関はそういう不具合いがなかったりするものなのだ。
たまに私は、
「あちっ、あちっ」
と、言いながらものすごい形相で鍵と格闘している。
「岡山県人会」や「広島県人会」のように「西陽玄関家人会」という会を作って、一度同じ苦労を持つ人と慰め会いたいと思うのであった。


投稿日:2009年08月04日

2009年08月04日

渋谷DUOで尾藤イサオさんと西川峰子さんの、9月発売のカバーアルバム「オマージュ」先行発売の記念ライブ。
この「オマージュ」は、お亡くなりになった偉大な歌手の方々の曲を集めたアルバムで、「オム」のカバーは、男性ボーカリストの曲を男性アレンジャーで男性の尾藤さんが歌うという内容。そして「フェム」の方は女性ボーカリストの曲を女性アレンジャーが手掛け、女性の西川さんが歌うといった内容で、作品は独立しながらも二部作という捉え方も出来る面白い形になっているのだ。
そして今日がこの2枚のアルバムお披露目となったのだが、ライブ自体もちょっと変わったアプローチとなった。
ステージの上には「尾藤さんバンド」と「西川さんバンド」の2バンドが乗る。基本的には交互に演奏をするのだが、一緒に演奏をすることもあって、ベースとドラムがツインになるようなことはないので、これは変わった形だった。
ミュージシャンの方はみなさんいろんな所で演奏をされている方々なので、ステージ以外では普段の音楽の話も聞けて、そういう意味ではオフステージも別の楽しさがあったのだ。
峰子さんと出会って、3年が過ぎた。
大先生とお仕事をされてきた峰子さんは、名前も聞いたことのない私との仕事にきっと不安を抱かれたろうに、今までそれを決して口にすることはなかった。そのことに感謝しながら、携わらせてもらった3年だった。
他人をアルバム一枚プロデュースさせてもらった、私にとっても思いの深い作品になった。
ビジネス書には「5年後のビジョンをしっかり描くことが大事」と成功の秘訣が書いてある。
逆算して日々を立てるのも素晴らしい人生設計だと思う。だが、私はビジョンに向かっての今日を過ごすよりも目の前にあることに心を尽くす「まずは、今日」に照準を置くことの方がもっと大切だと信じている。
峰子さんがステージの上で振り向いて笑ってくれた時、嬉しかった。
「心意気」ってなんだろう、自分もそういうものを大事にやっていきたいなと思ったのだった。


投稿日:2009年08月03日

2009年08月03日

夜、打ち合わせにバイクで出掛けた。
場所は目黒。家からだとバイクで最寄りの駅まで行き、電車を乗り継いで目黒駅から歩くことも考えると、家からずっと座って行けるバイクの方がいいなと思ったからだった。
実際に行ってみたら、思ったより時間が掛かって遠く感じたが、まぁそれでも電車で行くのとほぼ同じぐらいの所要時間で行けたのだ。
目黒方面はアクセスの関係であまり行かない場所。だが、雑誌でよく「お洒落な店」が紹介されている洗練された街で、とても久しぶりにこのエリアを走ったら道路沿いだけでも、お洒落な店がたくさんあった。
東京では、”何の仕事をしているのかわからない人達”をよく目にするエリアがあって、この辺りもそう。高円寺辺りで見掛ける”何の仕事をしているのかわからない人達”の家の中は、アジアン雑貨店で買った布がカーテンがわりに吊るされてインドのお香が焚かれているというイメージがあるが、目黒近辺の謎の人達の部屋の中は、生活感がなく洒落たソファが置かれていて、キッチンにはシリアルがポンと置かれているイメージだ。
みんな、何で生計をたてている人達なんだろう。
何をしている人達なんだろう。
信号待ちの度にキョロキョロ。あんまり来ることもないから、この際見れるだけ見ておこう。
私としては、おどおどして都会のお洒落な空気にのまれていたのだが・・・・、
私自身もまた、ちょっと挙動不審な”何をしているのか不明なヒト”に、きっと映っていたのであった。


投稿日:2009年08月02日

2009年08月02日

「あっ」
近くのバス停から「すぎまる」バスに乗った時に、私はそんな顔をした。
うー。
今日はハズレ。
だって、運転手さんが「板東さん」だからだ。
「板東さん」は、本当の名前は板東さんではないのだが、板東英二にソックリなので、私は心の中で板東さんと呼んでいるのだ。何度かこの人のバスに乗ったが、板東さんはとても変わっている。いや、面倒臭い人なので、今では板東さんのバスは「はずれ」だと思うようになったのだった。
「ああっ、もうっ」と、運転中に度々声を上げ、車内がシンと静かになったこともある。対向車にだけでなく、すれ違う、同じ「すぎまる」バスに対しても「これじゃぁ、通れないよ」と、放棄してバスを止めてしまったり。一度は突然「今何か、当たった!」と叫んでバスを止めたこともあった。
この人のバスに乗ると、ヒヤヒヤするのだ。
”これじゃぁ、運転出来ないよ”と拗ねるのを、車内で”そんなこと言わずに頑張って下さいよ”と、心の中で応援せねばならない。
なぜなら、バスをしょっちゅう止めるので、所要時間からどんどん遅れてしまうからなのだ。
この拗ね具合いが、非常に父と似ているので、私にとっては重いのであった。
板東さんのバスに乗ると私はお祈りをする。
<板東さんが拗ねませんように>
普通の時間に駅に着きたい。
そこにまた、向こうからやって来る「すぎまる」バスを発見。
この道は確かに狭いので、コミュニティバスの行き交いはちょこっと譲り合わないといけない。板東さんはその辺りがイジワルで、あんまり人に譲る精神がない。
が、
今日は対向車の「すぎまる」のバスの運転手さんが、板東さんの仲のいい友達だった様子。あっちのバスの運転手さんが「ようっ」といった風に笑って挨拶をしていた。そして2台のバスは軽快にすれ違ったのだった。
ほっとした。
ありがとう、お友達。
というか、
やればできるやん!
板東さんのバスに乗ると、行き道早々に疲れる。
ここの道路の渋滞は板東さんの匙加減ひとつに掛かっている。
今日は板東さんの機嫌もよく、鎌倉街道はスムーズな車の流れとなった。