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投稿日:2010年05月21日

2010年05月21日

今日は二十四節気の小満。去年は20日だったが今年は今日が小満になるのだそうだ。
小満は「万物が成長して、一定の大きさに達して来るころ」で、ウチの雑草は6月になったら生い茂って来るのだが、街路樹の若葉達もそろそろそんな頃になってきたなと思うのだ。
自然界に存在するあらゆるものが満ちてくるということで、動物達も活発に動き出す頃らしい。
そして私はほんの少しまたゴキブリの存在に怯える時期となって来るのであった。
せっかく我が家は去年、ゴキブリ駆除のプロにお願いしてゴキブリゼロにしてもらったのだが、ゴキブリに遭遇する率が高い「お仕事」が私にはまだあるのだ。
私の住んでいる所は一階と二階が賃貸になっている。大家さんは遠く山口県にお住まいなのだが、どういうわけかここの建物の水道料金は、大家さんが一括でまず支払って、それでそれぞれ請求が大家さんから来て、私と上の階に住む人が家賃と同時に支払うシステムになっているのだった。
計算方法は、建物の奥にある子メーターと親メーターの数字から、上の階と下の階が使用した水道料金を算出する方法。で、そのメーターの数字を大家さんに連絡をする役目を私が担っているのだ。見て報告するだけで水道料金を1500円割り引いてもらえるのでラッキーと言えばラッキーなのだが、これが私にとって苦行に値するのであった。
まず、水道メーターのフタを開けるとそこにはゴキブリが居る率が非常に高いのだ。冬には居ないのだが夏にはほぼ「居る」。しかもこの水道メーターは、まずフタを開け、更にメーター器についている小さなフタを開けてようやく数字が見えるので、どれだけ頑張っても15秒ぐらいはそこにしゃがんでジっとしていなければならないのだ。
ゴキブリがこの数字を読んでくれたらどれぐらいいいだろう。
それを親メーターと子メーターの両方やらないといけないので、私にとってはこの時期ぐらいからフタを開けるのがすごくストレスになっているのだった。
ゴキブリが居ませんように。
お祈りをしながらフタを開ける。
あまりあわててやると、はずみでフタがまた閉まってしまい、再トライせねばならん。またフタを開けられても肝心の数字のところが砂埃で見えなくて、指で払わないといけない時もある。なるべく短時間で終える為には、ある程度どっしり構えてこの作業をしなければならないと学習してからは、吐きそうな思いをこらえながらメーターの数字を読んでいるのだった。
小満かぁ・・・・。
そろそろ、出て来る頃。
2ヶ月に一度、ほんの1分弱の作業で1500円。
別に怪しいバイトではございません。
アルバイトで水道メーターの数字を読みに来てくれる人を応募したいのである。


投稿日:2010年05月20日

2010年05月20日

やっと外の風があたたかくなってきたなぁと感じるようになった。
だが、この時期から紫外線対策をしっかりしなくてはいけないのだ。
日光浴が好きなダンボは日中、日が射す場所を選んで移動しながら過ごしている。そしてこの白い子豚ちゃんは、この時期からだんだん顔がずず黒くなってくるのであった。
ずず黒くなった原因は紫外線だ。
以前から春になると、なんとなく顔が黒くなるなぁと思っていたのだが、それは夏毛に生え変わった毛が黒い色だからなのかなと思っていた。しかし、去年それは黒い毛のせいではなく、その下の皮膚のシミが濃くなっていることに気がついたのだ。ずず黒くなるのと同時にお腹にも濃いシミが出来る。お腹のシミには生後一年の時に気がついた。その時は大変な病気に罹ったとあわてて病院に連れて行ったが、「コレはシミなので大丈夫ですよ」ということだった。
冬になるとダンボのお腹はきれいなピンク色の肌に戻る。そして夏になるとシミだらけの牛柄になる、それの繰り返しだった。
私には、だから紫外線が見えるようになった。ことになる。
ずず黒い顔のダンボのお腹は、今年は早くも牛柄になっている。
暖かさがやって来るのは遅かったが、紫外線はカレンダー通りにやってきている。
私はやっぱり牛柄にはちょっとなれないわ。
私は窓辺から遠ざかり・・・しかしゴマ塩顔になっても気にしない日光浴大好きなダンボなのだった。


投稿日:2010年05月19日

2010年05月19日

最近、妙に気になるCMが渡辺謙さんの出ている携帯のCMなのだ。
「私のことを渡辺謙とおっしゃる方がいるんですがとんでもない」
「私、携帯なんです。彼の」
で始まるCMだ。
普通にスーツを着た渡辺謙が、ピッタリと持ち主の岡田将生にくっついているのが不気味なのだ。
「いつだって私は彼のそばにいます」
「当然です、役目ですから。いえ、運命ですから」
ちょっと笑った顔がますます不気味に思えて来る。
この薄気味の悪さはなんだろう、何か以前にも同じ感覚になったものがあったなぁと思い出してみたら、江戸川乱歩の「人間椅子」を読んだ後味がそうだった。「人間椅子」は自分の座っている椅子の中に男が入っていたというショッキングな展開のところがあるのだが、あれを読んだ時のゾゾ〜〜〜っとした感触と同じ感じがしたのだ。
「キモい」ってこの感じのことを私の場合は差す。
最後に渡辺謙が「あなたの携帯は、どんな人ですか」と言っている。
人間椅子を重ねてしまうと、携帯を擬人化すれば「人の話をそっと盗み聴きしてほくそ笑んでいる不気味なひと」が想像されてしまう。
人じゃない例えの方がよかった。例えば、どんなワンちゃんですか。だったらもう少し気分が和らいだ気がするのだ。
携帯は確かに今や一番身近な存在になった。
見える背後霊を私達は身近に置いているのである。


投稿日:2010年05月18日

2010年05月18日

夜、DVDを借りにレンタル店に行った。何本か借りようと「お笑い」のコーナーに行ったときのことだった。
この「お笑い」コーナーは近くに「アダルト」コーナーがあるのだ。なのでこっちの通路に入って来た人は「お笑い」か「アダルト」目当てかのどちらかで、なんとなく店の隅にある、やや陽の当たらないエリアなのだ。アダルトコーナーはのれんがかかっていて、更に小部屋になっている別室に入る。別に後ろめたいことは一つもないのだが、なんとなくこの通路に長居したくないというのが、いつもここに立った時の気持ちで、この日も早く楽しそうなDVDを見つけて立ち去ろうと思っていたのだった。
そこに向こうから若いお父さんと幼稚園ぐらいの息子さんがやって来た。
のれんの部屋に気づいたチビくんが立ち止まって言う。
「中に入ってみようか」
若いお父さん、「あぁ、入らないよ」
お父さんは子供連れなのですごく大人な返事をしてその場をやり過ごそうとしていたのだが、子供にすれば秘密の部屋っぽいここに何があるのか確かめに行きたいというのは自然な興味だと思う。
「中に入ってみようか」
もう一度お父さんを誘った。
するとその後ろから来たお母さんが、「いいの、入らないのよ」とダメ押しでなんとか子供をその前から押し出したのだった。
お母さんと私が目を合わせて思わず笑ってしまった。
<困っちゃったわ>
<そうですよね〜>
軽く会釈をして若い家族とすれ違った。
あの男の子も、大きくなったら秘密の小部屋に行く日が来るんだろう。それにしても、無邪気な好奇心で可愛かったなぁ・・・。
と、思った瞬間に、
絶妙のタイミングでスーツを来た男性が今家族が去って行った方角から歩いてきて、ササっと秘密の小部屋に入って行ったのであった。
一瞬時がワープしたのかと思った。
は、早すぎる。
あの男の子が大人になって戻って来た、まさにそんな感じで私はしばらく秘密の小部屋の方を、目を白黒させながら見つめていたのであった。


投稿日:2010年05月17日

2010年05月17日

サルエルパンツを店頭でよく見かけるようになった。
もともとはイスラム文化圏の民族衣装だったのだそうだが、急に今年になって履いている人達が増えた気がする。腰パンが流行出した時は、履いている人がみな短足に見えておかしかったが、サルエルパンツは股のところがズリ落ちたようなスタイル。見方によってはオムツを履いているようなシルエットになり、まだ見慣れていない私にはちょっと違和感があるのだ。
今はトップスが脇のところがゆったりした、モモンガみたいなシルエットの物が流行っているので、上下を流行物で揃えたら影のシルエットはかなり変わった形になるのだ。
去年、履いていて楽そうだなぁと思って一着買ってみたが、股の所がズリ落ちた感じになっているので、逆に足が思い切り開けず、動くには楽ではない。あぁ、でも身近さで言えばサルエルパンツはモンペに似ているかもしれない。
それにしても、日本人もいろんな服を着るようになったなぁと思う。
しかももう出尽くしたかと思っても、また新しい形の物が出て来るファッションの世界だ。
モモンガにモンペが最先端になるとは・・・。
しかし、これだけいろんなものを取り入れているのに、男性がスカートを履くという流行がやって来ないのは不思議なのだ。
こんなに不可思議な服装が流行るのだたら、身近に女子が履いているスカートを、女性だけでなく男性も着るというのが当たり前になってもよさそうなのに・・・。
もう街中で男性がスカートを履いていても、あまり驚かないと思う。
男性からすれば、最初は「スースーして気持ちが悪い」と思うかもしれないが、その違和感は多分最初だけだ。私はパンツよりスカートの方が多い、その理由はパンツよりも動きやすいからなのだ。一見フェミニンに見えるが、スカートの方が実は足さばきもいいし、何より軽いので服の存在に縛られないのがとってもいい。
男性がスカートを履く。そして女性はステテコで「行ってきま〜す」と電車に乗る。お向かいのおばちゃんは水着で出かけ、私はフンドシでサミットストアに自転車で買い物に行く。
もうなんでもいいんじゃないかと最近は思ってきている。


投稿日:2010年05月16日

2010年05月16日

玄関を掃除していたらクモを見つけた。
ウチはクモが多いのだ。家の中でも見つけるし外にも居る。どこからやって来るのか知らないが、ノソノソと歩いているのだが、このクモは丁度私が家に帰って来て玄関から入るのと同じような感じで家の中に向かって歩いていたのだった。
ウチはもうクモは要らない。
阻止しようと、クモの進行方向にじょうろで水を撒いた。
クモは一瞬流れに押されて敷地の方に行ったが、体制を立て直すとまた玄関に向かって歩き出した。
<なにをするのじゃ>
<ワシは家に帰らねば>
その姿はやみくもに進んでいるのではなく、明らかに家の玄関目指しているではないか。
<もうすぐ家じゃ>
いえいえ、ここは私のおうちです。
あなたは巣を張ってそこで暮らして下さい。
もう一度水を撒いて、更にクモを敷地内の遠くに遠ざけた。
これでもう大丈夫だろうと思って、庭の花木に水をやっていたのだが・・・・。
ふと見るとクモはまた玄関に向かって歩いているところだった。
<はぁ〜、くたびれたが、もうすぐ家じゃ>
確かに引っ越して来た頃から玄関でクモを見かけていた。いつもいる部屋から遠いのであまり気にしていなかったが、もしかしたらクモは本当にここを家にしているのかもしれない。
<ただいま>
<帰ってきたぞ>
巣を張ってそこで暮らすのは庶民のクモ。
クモもいろいろ。
このクモは大豪邸に住むセレブじいさんなのであった。


投稿日:2010年05月15日

2010年05月15日

狂犬病ワクチンの注射を受けにダンボを病院に連れて行った。
ダンボは病院は「イヤな所」だという認識がある。家にいる時のリラックス時はダンボは可愛い表情をしていたりするのだが、恐怖心で覆われているのでかなりブサイクな顔になっている。病院でも来ているワンちゃんの様子はそれぞれで、リラックスをして飼い主さんの膝の上で寝ている仔も居れば、他の犬に興味津々のワンちゃんも居る。診察室に行く時だけ「いやだ!」と言って動こうとしないワンちゃんも居るが、待合室では比較的リラックスをして過ごしている印象がある。
そんな中ダンボはものすごく暗い一匹として居る。
私を信頼していないということがよ〜くわかるので、病院は私にとっても痛い場所なのだ。
「大丈夫だよ。痛いことはないからね」
完全に私を無視し、ダンボは一人でこの先にやってくる恐ろしい出来事に対して思いをめぐらしている。家では時々「お膝に乗せてよ!」と甘えることもあるし、膝に乗せたらそのままスヤスヤ寝ていることも多いのだが、病院でのダンボは私の膝に乗るのをいやがるのだ。
<くつろげないんだよ!>
私を蹴って飛び降りて長椅子の下にもぐって、一人になれる場所に行きそこに居る。病院に行くと、飼い主と犬がこんなに距離感のあるペアはそうそう居ないので、犬に無視をされたり蹴られたりする所を見られてたまに苦笑を買っているのだ。
そうかと思えば診察室に入ると、診察台から逃げる為に彼は私の肩に乗って来る。こんな時も信頼をされているのではなく、踏み台のようになっているので今度は先生から苦笑を買うのだった。
犬を肩に乗せた状態で、先生からお話を聞く。
注射は採血はいつも痛がらないので多分ダンボは爪切りが恐ろしいのだと思う。
診察室から出ると、これで帰れるのがわかるらしく、「ハウスに入ります」と家ではそんなことは絶対にしないのだが自らハウスに入るので、その時はおりこうさんの犬に見えるらしい。
ダンボは頭は悪くはないと思う。
だがすごく変わった犬だとも思う。
自分で真面目に考えて、精一杯行動しているのだが、何かがちょっとズレている。
どこが変なのか、上手く口に出来ないが・・・。
病院に行って帰って来ると、いつもダンボと自分が似ていることを思い、うなだれるのであった。


投稿日:2010年05月14日

2010年05月14日

近所の猫がケンカをしている声がよく聞こえてくるようになった。
この辺りを縄張りにしている猫は割と入れ替わりが激しく、一昨年居た猫が姿を見せなくなってからは黒い猫が強くなり、今はメスのトラ猫が姉御として君臨している。
去年、新しくもらわれてきた二匹の子猫は、数ヶ月程前私の目の前でトラにえらく威嚇されていた。トラの大きさは新米猫の約二倍、フー!と怖い顔をしただけで二匹は頭を低くしてごめんなさいのポーズになり、圧倒的にトラが強かった。トラはちょっと太り気味の「怖いおばはん」風で、人間でもこんな人が居るよなぁと思わせるような風格があったのだ。
たまにトラは「何かちょうだいよ」と私の家にやって来る。ダンボが頑張って吠えるものの「ちっとも怖かないね」と動じない。大きさはダンボの1、5倍あるので猫パンチでもされたら一撃でダンボはやられるだろう。私もトラには噛み付かれたことがある。近寄って来ることもあるので懐いてくれたのだと思っていたが、ある日は機嫌が悪かったみたいで、手を出したら<今、アタシに構うなって!>といきなり攻撃された。
もうすっかりこの辺りの主になった、と思っていたトラ・・・・。
しかし猫勢力図は今また変わろうとしている。
一年が経ち去年の子猫が大きくなったのだ。
二匹の弟、後ろに隠れてばかりいたオスの方がトラと互角になってきたというのだ。近所のご婦人に聞くところによると、いつもトラが散歩をしている通り道にオスが寝ていて、オスが道をあけないところからケンカが始まるらしい。
「ちょっと、そこ、アタシが通るんだよ」
「・・・・」
「退いたらどうなのよ」
「やだね」
「このクソガキが」
「ふん」
「やるって〜のかい」
「あぁ、こいよ」
今は最後はトラが飛びかかってオスが家に逃げることで収まっているらしいが、立場が逆転するのは時間の問題だ。
道を譲る、譲らないで血が出る程ケンカするのは、なんだかすごくバカバカしく思えるのだが・・・・。
ここは猫の通り道。
人間は高いお金を払って土地を買い、家を買い、ようやく自分の家を持てたと思っているのに、そんなことは一切関係のない猫の世界なのである。


投稿日:2010年05月13日

2010年05月13日

赤いスイートピーという名曲がある。この曲のおかげで花の名前に疎い人でも「スイートピーなら知っているよ」という人がずいぶん増えたと思う。
うちでは母がスイートピーと矢車草を毎年この時期に咲かせていたので、5月になると庭にはピンクのスイートピーと濃い紫の矢車草がいつも咲いていた。時には切り花にして学校に持って行きなさいと持たされて出かけたし、私にとっては今花を育てるようになる前から馴染みのある花だった。
が、スイートピーはピンクの花が多い。うちに咲いていたのもピンクだったし、店頭で見るスイートピーもピンクが圧倒的に多い。ある頃から黄緑色やオレンジがかった色や色もバリエーションが増えたが、それらは色のついた水を吸わせることで人工的に色をかえただけで、実際に赤い色のスイートピーというのはこの曲が出た頃にはなかったのだそうだ。
今、自転車で通る道のある家のフェンスのところに数種類のスイートピーが咲いている。
その中に赤いスイートピーがある。
以前はなかった赤い色のスイートピーだが、その後品種改良されて出来たらしく、だが私はなかなかお目にかかることが出来なかった。
確かに見慣れた赤い色でありながら、スイートピーとしては見慣れない色だ。
エンドウ豆みたいな不思議な形をした花。でもフリンジが柔らかい風で、優しい感じがした。
「春色の汽車に乗って、海に連れて行ってよ」
この曲を聴いて”いつか、私も素敵な恋がしたいなぁ”とまだ出会えぬ素敵な恋人に思いを馳せたっけ。
春色の汽車って、東京だったらどの電車かなぁ。
心の岸辺に咲いた、赤いスイートピー。
立ち止まり、赤いスイートピーに心が緩む。
フェンスに春風が吹いていた。
ふんわり揺れていた、赤いスイートピー。


投稿日:2010年05月12日

2010年05月12日

駆け込み乗車は危ないのだ。
この間も男性が無理矢理乗ろうとしていたが、こんな人が一日に何人も居て、それが毎日のようにして繰り返されているのかと思うと、駅員さんや運転手さんが気の毒になるのだ。
ギリギリ乗り込んだ人は「よかった〜、ラッキー!」かもしれない。だが見ている私は腹が立って来る。何事も無かったからラッキーだったんだろうが、もしもこれで事故になったら、果たして「僕が悪かったんです」とその人は言うんだろうか。電車に引きずられた被害者になるのは個人的にはなんだか納得が行かないのだ。
こういうマナーの悪い乗客が居ても、車内アナウンスはいつも紳士的。”もっと感情的に怒ってもいいんだよ、運転手さん”と、私は心の中でつぶやく。「駆け込み乗車は危険ですのでおやめ下さい」と、もう何年このアナウンスを聞いているんだろう。
今日は若い女性が閉まりかけたドアにチョップを入れて、そして最終的には彼女の思惑通りドアは開き彼女はこの電車に乗ってきた。よっぽど文句を言ってやろうかと思ったのだ。チョップをドアの向こうに入れた時、ホーム側での彼女は”私は挟まれて、今大変なことになってしまいました”と駅員さんの方にちょっと芝居がかった顔を向けた。
そしてドアが再度開いて車内に入って来た時、その女の子は薄ら笑いを浮かべていたのだ。さっきの小動物のような眼差しは何だったのか。運転手さんがますます気の毒になってきたのだった。
さすがにちょっとは気まずかったのか、そのドアから少し遠い位置まで移動してそこで座って、あとは寝たフリをしていた。
駆け込みセーフで入って来た乗客というのは、一瞬だけ気まずいが気まずいのはその一瞬だけみたいだ。別に悪いことをしている感覚というのはないようで、もう少しこれは「悪いことをした」気分になるような空気を乗客も協力をして作り、そして少しでも駆け込み乗車を少なくなるようにした方がいいんじゃないかと思うのだ。
睨むのが精一杯だったが、精一杯睨んだのだ。
降りる時にもう一度睨んだ。
が、私のビームは届く様子もなかった。
駆け込み乗車は迷惑だし、危ないと思う。
寝たフリの彼女はそのまま寝てしまい、また降りる時にもチョップを入れてホームに降り立っていたかもしれないのであった。