月別アーカイブ : 2010年5月

投稿日:2010年05月11日

2010年05月11日

今住んでいる家は袋小路の一角にある。防犯灯をつけている家もあるのだが、門灯をつけていない家もあって、一見やや暗い感じがする場所なのだ。誰かが潜んでいていきなり出て来てもおかしくはなく、やはり怖いのでいつも鍵を開ける少しの時間でもキョロキョロと辺りを窺いながら警戒しているのだ。
実家に居た頃に怖い思いをしたことがあった。その日の夜10時ぐらいだったと思う。自転車で家に帰って来て、自転車をガレージに止めて一旦道路に出てそして門から入った時のこと・・・。門を閉めようと振り返ったら紺色の作業服を着た大人の男が門を挟んで1メートルのところまで迫っていたのだった。
咄嗟に「ぎゃーーーーー!」と叫んで敷地の奥に走って逃げ、その間に男は居なくなったみたいだったが、「助けてーーーー!」と叫んでも近所の誰も出て来なかった。それに、家に居た家族もすぐに鍵を開けてはくれなかったので、あの数十秒の間は本当に怖かったのだ。
結局あの男が何の理由であそこに居たのかはわからないままだったが、実家のある住宅街はたまたま通りがかった人が居るような場所にはなく、自転車でゆっくり帰って来たところをどこかでつけられた何らかの犯罪を目的とした男だったのだと思う。あれ以来帰り道、特に家に入る寸前は警戒心が強くなった。助けて!じゃ人は出て来てくれない。「火事だ」と叫ばなくちゃいけないと学習をして、「火事だ」をいつでも叫べるように気をつけているのだ。
今日もいつもの帰り道。バイクで幼稚園前の暗い道を過ぎてホっとして、次の角で曲がってそしてもうすぐ家だわ・・・と、スピードを緩めた所で・・・・。
隣の家の壁の辺り、暗闇に男の人影が一瞬見えたような気がした。
<だ、誰っ!>
幽霊なのか変質者なのかのどちらか。そうでなければ私の目の錯覚か。
もう一度見直したら、隣家のおじさんが夜の庭木の手入れと煙草を吸いに木陰に隠れる形で立っていたのだった。
「びっくりしたーーー!」
思わず声が出た。
ふぅう〜〜〜〜っ。
なんだ、隣のおじさんかぁ・・・。
それにしても夜に暗闇に男の人の姿を見るのはやっぱり怖いのだ。
犯罪者でもなく幽霊でもなくてよかった。
しかし、失礼だがおじさんの風貌はやや落ち武者風。
壁の所にヌッと立つ生首。
それはそれで怖かったのだ。


投稿日:2010年05月10日

2010年05月10日

バス停の向かいにある家は、多分手作りで上階を足している家なのだ。
ie.jpg
二階の上に小さいプレハブみたいなミニハウスがあって、バスを待っている時に見上げては「あの三階は何の部屋として使われているんだろう」と気になっていたのだった。結局何の部屋なのか、家の中から行けるような造りになっているのかなど詳しいことはわからないままなのだが、実はこの家は、このミニ三階の上に更なるミニミニ四階があることに最近気づいたのだった。
真正面から見たらミニ四階は見えないのだが、斜め横から見たら上に洗濯物を干すスペースがあるみたいで、晴れた日には洗濯物が干してあった。
見た目はちっとも素敵ではないこの建物だが、なんとなくツリーハウスのようで家人のロマンみたいなものを感じるのだった。ツリーハウスは木の上に作った隠れ家で外国映画でたまに見たりもするが、隠れ家は大人も子供も特に男の子は好きなんじゃないかと思う。この辺りは二階からだと見えないだろうが、三階四階になると新宿の副都心が見える。もしかしたら屋上にお風呂を作って入ったりしているかもしれない。そう思ったらやっぱり楽しそうだ。
学生時代のサークルの先輩の家が、「オヤジが手を加えた家」らしく、「オレの家、オヤジが一階建ての家を二階にしよってん」と言っていた。確かそこは持家でなく賃貸だったと思う。一階の上に二階を作ったのではなく、平屋の家を一階と二階に分けたのだったと思う。勝手に増改築をしてもいいんだろうか?と思ったがその後のことは私も知らないのでどうなったのか、わからない。
別に綺麗じゃなくていい。お洒落じゃなくていい。
隠れ家はワクワクする。
私も南側の庭のところにテントを張って、別荘気分を味わうのもいいなと思うのだ。


投稿日:2010年05月09日

2010年05月09日

近所の家の門には「ムサシを探しています」という張り紙がされるようになって、もうすぐ一年になろうとしている。
斜め前の家で飼われていた猫のムサシは、この辺のご近所のアイドルだったようで、アメリカンショートヘアの血を引いた雑種のとても人なつこい猫だったのだ。私の家の中にも上がり込んで、「ふ〜〜ん、中ってこんな風になってるんだ」と興味津々にウロウロしたりしていて、他の家にも上がり込んでは抱っこされたり散歩に一緒に行ったりしていたようで、ムサシが居なくなってから「あんな猫ちゃんは、居なかったわね」という話によくなっていたのだった。
「ムサシを探しています」の張り紙はだんだん雨や日光で傷んで、もう外されて終わりかなと思っていたが、また新しいのを作り直して張り直された。
交通事故に遭って死んでしまったということは、私もあえて考えないようにしていた。だが、張り紙をしている家のご婦人がムサシが別の家で飼われていることを知ったのだという話を今日は聞いたのだった。
「ムサシが居たのよ」
少し大きい通りを越えたところにある家の前で、ムサシは見つかった。ところが、奥から出て来たその家の女性が「この仔はウチの仔です!」と言って、家に連れ帰ってしまい、以後家の中に閉じ込めて飼っているのだそうだ。その女性は拾った猫を飼ったと言っていたそうで、だが首輪をしていたらしい。しかし、「裁判をしてでも、ウチの仔だって証明しますからねっ!」とすごい剣幕だったのだそうだ。
「洋服を着せられていてね」
近所のご婦人が残念そうに話す。
私は生きていてよかった!と一瞬思ったのだったが、ムサシと思われるその猫が洋服を着せられて、外に出してもらっていないとわかると急に可哀想になってきた。
この辺りはいつも猫達が好き勝手に探検をしたり、ひなたぼっこをしたりして自由に暮らしている。尻尾をゆる〜く振っている時は、猫は「うーん、今から何をしようかな〜」と考え中の時なのだそうで、その「何をしようかな」の姿をよく見ている。なんだかのどかにしてるよなぁと、そういう光景がまたほっこりした午後の感じがしてよかったのだ。
一度ブラブラ散歩をするのが楽しみとなった猫に、ずっと家に居なさいというのは酷な環境だと思う。
ムサシ、逃げておいで。
「ムサシを探しています」の張り紙が張ってあるところが目印だよ。
ご近所さんはみんなお前のことが忘れられないと言っている。私もまた会いたいよ。
人間の男だったらとんでもない女ったらしだっただろう。関わった人を虜にしてしまう、魔性の猫ムサシなのであった。


投稿日:2010年05月08日

2010年05月08日

テレビをつけたら、ミュージックフェアに聖子ちゃんが出ていた。
「嘘泣き」「ブリっ子」と言われて、女性でも聖子ちゃんは「好き派」と「嫌い派」に分かれたが、どちらかと言えば私は「好き派」だった。いくらトップスターとはいえ、人格から何から何まで、意地悪な言われ方をさんざんされてきた。華奢な一人の女性にかかる重圧は想像を絶するものがあったと思うのだが、みんなの前で取り乱したりすることもなく、常に建設的な態度で人前に出て行く姿がすごいなと思っていたし、40代後半になった今も「姉御」な怖いキャラにならずに透明な感じがするのがいい。
私自身はあまり気の強い女性が好きでない。というか、苦手なのだ。女性も年と共に強さが増していくと思う。だが、その「強さ」が周りの空気をピンとさせるようなものじゃなく、その人自身の芯の部分に補強されていっているのかな?と思わせるような威圧感のないタイプの人に惹かれる。吉永小百合さんや松田聖子さんは、私にとっての後者なのだ。
テレビで歌う聖子ちゃんは、以前より年を取ったのにシワが減っているので、何かしらのアンチエイジングはしているとは思うのだが、それにしても相変わらず色白で綺麗だ。なによりこの年齢にはちょっとない華奢さに驚いたのだ。
やっぱり女性はぶさいくより綺麗な方がよい。
愛嬌では越えられない造作の違いというのはある。
これは「男性」という生き物によって知ったことだ。
私は次に生まれ変わる時には、滝川クリステルになるという予約を神様にしてあるのだ。


投稿日:2010年05月07日

2010年05月07日

近所の家のポストのところに、鮮やかなショッキングピンクの小さいクモを見つけた。ショッキングピンクってこの色だなぁと思うほどのハッキリした明るいピンクで、トコトコと歩いていたのだ。
初めて見るクモ。
何て名前なんだろう。
だが、こんな鮮やかな色をしたクモは毒グモに違いない。
触るのはやめてそっとその場を離れたのだった。
めずらしいクモなのかしら。
歩きながらだんだん妄想が膨らんで来た。
<もしかして、大発見をしたのかもしれないわ>
遺跡を発見した話や、ミイラを発掘した話と同じく、意外な都会で新種のクモが発見されたということだってあるかもしれないのだ。
「確かに見たんです」
でもその場を離れたのだから証拠はない。寂しい一人暮らしの妙齢の女が世の中の気を惹こうとして狂言を吐いたと受け止められないとも言えない。
とりあえず、家に帰ると「ショッキングピンク クモ」で検索をしてみた。
すると・・・。
教えて!gooの質問に既にこのショッキングピンククモについての回答が寄せられているのを知ったのだった。
新種のクモかと思ったショッキングピンククモは、タカラダニという種類のダニなのだそうだ。よく日当りのいいコンクリートや壁に居るらしく、めずらしくもなんともない小虫なのだと知って、ちょっとガッカリした。
ほんの一瞬、世紀の大発見をしたような興奮があった。
スクラッチクジを買う度に「今回は一等が当たったような気がする」と思う思考と同じスイッチが入ったのだ。
凡人、一瞬舞い上がる。
そしてまた凡人に着地する。
なんてことのない、春の風物詩の一つなのだそうだ。


投稿日:2010年05月06日

2010年05月06日

道を歩いていたら、行く先にハチを発見した。
ブンブンブン、ハチが飛ぶ。
ハチは何を思ってか、道路の幅の空間を使って八の字のような飛行をしている。子供の頃、友達がハチに刺されたことがあったのでハチは怖いのだ。何もしなければ刺さないとは聞くが、そんなことハチの全員が守ってくれるかどうかはわからない。
しばらく足を止めてハチが他所に飛んで行くのを待つことにした。
ここら辺に花はないよ。
あっちにお行き。
しばらく待ってもハチは道路の丁度顔の高さの辺りをやはり八の字飛行をしたまま。引き返すにもこの道を行くしかないので、結局私が行くしかなくなった。
外を歩いていて頭上に小さな虫の軍団がついてくることはある。あれは二酸化炭素につられてやって来るのだと聞いてからは息をとめて逃げているのだが、ハチが人にまとわりついてくる時は対処の仕方がわからないのだ。
ハチの動きをじっと見て。
今だ!と思ったらダッシュ。
しようとした時に・・・・
ハチは思わぬ早く戻ってきている。
ハチと出くわした時は、こんな感じでハチは知っていていやがらせをしているように思うことが多い。
顔を刺されたら、痛いだろうなぁ。
何度かためらって出損なって・・・・。
ふぅ〜〜〜。今度こそ、行くぞ。
今だ!ダッシュ!
せ〜ふ!
と思って振り返ったらハチは他所に飛んで行った。
やっぱりいやがらせをしていたんじゃないかと思ったのだ。
ハチが近くに居ると通行が難しい。
それにしても、この間誰も通らなくてよかった。
遠くから見たら、ハチは見えない。様子を見ながらダッシュをして・・・、傍から見れば一人長縄跳びをやっている奇妙な光景に映ったのだ。


投稿日:2010年05月05日

2010年05月05日

今日はこどもの日。
屋根よ〜り〜高〜い、こいの〜ぼ〜り〜。
近所の公園には大きなこいのぼりが下がっていて、前に住んでいた善福寺の公園も池の端と端をロープで渡して、こいのぼりがたくさん池の上に下がっていたのだ。
屋根より高いこいのぼりを持っている家は都会では少なく、だがミニこいのぼりがマンションのベランダの軒に飾られるようになってきたように思う。
本物の鯉ぐらいの大きさのこいのぼり。ふと見つけたときには、ここの家には男の子がいるのかな?と思いながら前を通りすぎたりするのだが、そんな時はなんだかほっこりした気分になる。大きさは結局関係ないなぁ。気持ちはそういうものじゃやっぱり計れないなぁと軒下のこいのぼりを見て思うのだ。
こいのぼりは江戸時代に始まった日本の風習なのだそうだ。だから、今ぐらいの時期に外国人が日本に旅行に来たら、こいのぼりは不思議なものとして目に映るだろう。
「ホワッツ??」
こいのぼりの説明が面倒臭くなった人は「アレハ、サカナノ、ハタデスー」と答え、「ゴガツニ、カザリマス」とものすごく話を短く済ませようとするだろう。
そして本国に帰ったその観光客の外国人が、今度は日本で撮った写真を友達に見せていると友達が聞く。
「ホワッツ??」
あまり説明をされなかったこいのぼりのことを思い出しながら・・・・、「サカナノハタヲ、ニホンデハ、MAYニカザルンダヨ」と説明をする。
「フ〜ン、デモ、ナンデ?」
友人は聞く。
「ウーーーーム」
苦し紛れに魚から連想して、魚や米などの食物や作物の豊作を願ってこういうものを日本では吊るしている、という見解になっていくのかもしれない。
こいのぼりが春風に揺れる風情。
日本で育ったのであたりまえの景色となったこいのぼりなのである。


投稿日:2010年05月04日

2010年05月04日

夜、財布の中を整理していて2枚の一万円札の絵柄がそれぞれ違うことに気がついた。
見比べたら裏面が全然違うじゃないか。
片方はキジみたいな鳥が二羽描いてある。そして片方は頭がニワトリで体が鳥人間のような、やや化け物のような鳥の絵。
「どういうこと?」
「もしかして偽札なの?」
表側を見比べた。すると一見同じように見えるのだがやはりこちらも両方共デザインが違っている。壱万円の文字のレイアウトや額デザインが見れば見る程全然違っていることに気がついたのだった。
みるみるうちに自分の血圧が上がっていくのがわかる。
<私、偽札をつかまされちゃったんだわ>
<でも、どこで?>
<何枚かもっていたのかしら>
<ということは、もうどこかで使っちゃったりもしたのかしら?>
<私、逮捕されるんだ>
一人暮らしだと、こんな時誰も自分について証言してくれる人がいないという後ろ向きな気分になり、一瞬にして奈落の底に落ちた気分を味わうのだ。
次に考えたのは、「ではどちらが偽札なんだろう?」ということだった。
じ〜〜〜っ。
キジ二匹の方が本物っぽい。なんかこっちは私も見覚えがあるような気がするのだ。それに比べて鳥人間の絵の方はレイアウトがおかしい。鳥は左に一羽描いてあるだけで右側がなんかスカスカしていて一万円札らしい迫力に欠ける。
しばらくして、ようやく冷静になってきた。
「そうだわ、インターネットで調べてみればいいんだわ」
インターネットのある時代に生まれて本当によかったのだ。
そしてネットで調べてみると・・・・。一万円札は5年前にデザイン変更になっていることを知ったのだった。そういえばそんなことをニュースで見ていたような見ていなかったような、うっすらと記憶が蘇って来た。キジの方がD号券と呼ばれているもの、鳥人間は鳳凰の絵でE号券なのだそうだ。
よかった。
二枚共本物だった。
しかし、見比べたら今の一万円札の方が絵柄が嘘っぽい。鳳凰の絵が更に嘘っぽさを醸し出していて、この絵を使うのなら個人的には手塚治虫の火の鳥の方がよかった。
数年前、伊藤博文の肖像の千円札を店のレジに出して「きゃ〜、何これ」「知らな〜い」「初めてみた〜」と化石でも見つけたのように盛り上がっていた小学生らしき女子達を見た。「きゃ〜、懐かしい!」じゃないのねとジェネレーションギャップを感じたのだが、うんと未来になってこの二枚の一万円札についても「きゃ〜、何これ」「こんなの見たことな〜い」と言っているかもしれない。
何はともあれ、二枚共使えるお金でよかったのだ。


投稿日:2010年05月03日

2010年05月03日

南青山マンダラにて、jam for joy邦楽カバーナイトに参加する。
jam for joyは、毎回選曲会があって演目が決まるので、「この曲をやってみたい」というリクエストはメンバーもどんどん意見が言えるし、選曲会の中で「じゃぁこれをやろう」と決まる曲もある。本番の一週間ぐらい前になると、各自出演者のもとに曲順表と曲ごとに振り分けられたメンバーリストが書いた紙と、音源CD-Rが資料として届くのだが、封筒を開ける時の楽しみは「今度は、私はどんな曲を演奏するのかな?」ということだ。
知っている曲もあれば、知らない曲もあり、中には「これはどうやって演奏すればいいんだろう」と頭を悩ませる曲もある。今までの難曲はperfumeのポリリズムをピアノとボーカル三人でやるというケースだったが、イベント自体が楽しんで参加するという主旨なので、思い切ったアプローチで演ってみるという楽しさを逆にもらった気がした。
今回の難曲は「与作」だ。長年の友人、オルケスタ・デ・ラ・ルスの橋本仁くんと「ユニットで何かやりたいね」とこの間話をしていたところだったが、二人で演るならお洒落なボサノバなんかいいかも!と思っていたらまさかの演歌が初共演となった。仁ちゃんの歌はリズム感は最高に良くて、音符と休符がいつも生き生きとしている。聞けば仁ちゃんは、最近演歌に深く興味を持っているらしく、今回はそれでこの選曲になったみたいだった。
仁ちゃんがニコニコしながら言う。
「みきちゃん、演歌は日本のソウルやで」
た、た、確かにそうだと思いますが・・・・。
ピアノで尺八の感じを醸し出すって難しかった。ルバートといって、テンポを一旦なくして自由なテンポで弾く箇所が2カ所あったのだが、ピアノの鍵盤でこぶしを出そうとしたら鍵盤でなく、自分の体がコブシを表現していて演奏自体はたいそう下手なものになっていた。
演奏が下手でも楽しく終われるのは、jam for joyぐらいじゃないかと思う。何か別の空気が音楽を作っている会だなぁと思ったのだ。
「気持ちはわかる!」
演奏中に困っていたら途中で飛んできたヤジに笑った。
jam for joyでなら演歌にまたチャレンジしたいなと思えたのだった。


投稿日:2010年05月02日

2010年05月02日

日曜日の夜は時々、「劇的ビフォーアフター」を観ているのだ。
私は新聞広告の家の間取りを見るのも好き、建設中の家を見たら中はどうなっているのか気になるし、賃貸や分譲中の物件も大好き。寝る前の楽しみとしてネットで「物件」を見てくつろぐという変わった趣味があるのだ、
だいたい女性は「家」に興味がある。「リカちゃんハウスが欲しい」と思った4~5歳の時に「家」に対する興味は生まれているわけで、それが他人の家であってもすんごく興味があるのだ。テレビの「お宅拝見」コーナーも好きだし、私の場合ポストに入ってくるチラシのほとんどは即再生紙置き場に入れるが、その中から”新築そっくりさん”などのチラシだけは抜いて、ご飯のあとにフムフムと言いながら眺めているのだ。
大阪の実家も、本当はしたい建て替えがある。それは古民家風の漆喰の壁と焦げ茶色の柱からなる平屋のお家なのだ。今では二階は父も上がらない。物置になったままで、私自身も先々のことを考えると二階の上り下りをする生活は少し厳しいなぁと思うようになった。いいなぁ、白い壁に茶色の柱で大きな窓のある平屋の家。
だが、このビフォーアフター、元の家が「外で脱衣をしなければならない家」だったり「手作りの危険な急こう配の階段」であったり、「しゃがまないと洗い物が出来ない家」だったりと、かなりビフォーとアフターの差が大きい。元の家にまず「え!そんな家があるの?」という驚きを抱くのだ。
私んちの実家だって、築40年の古い家だし、引っ越して来てすぐの台風の時に雨漏りが早速あったり、ゴキブリだけでなくシロアリが出て駆除してもらったり、いろいろあった家だ。だが、トイレやお風呂も部屋の中から行けるし、階段も13段の一般的な階段で、最近のビフォーアフターで見るような家と比べたらノーマルな古い家なので、少なくともビフォーアフターには出られないんだろうなぁと思うのだった。
ベリベリベリ〜。
バリバリバリ〜。
古い家が取り壊されて骨組みだけになった時、匠だけでなく見ている私達にも危うい構造だったことがわかる時がある。基礎の木枠を適当な石で支えてあるだけだったり、木材が挟んであるだけだったり・・・。
「ドンドンしたら二階の床が抜けちゃうからやめて」と母はよく言っていた。
んなあほな、と思っていたが本当に抜けるところだったかもしれないなと、この番組を見て思い出すのであった。