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投稿日:2010年09月10日

2010年09月10日

ドラッグストアの前で、何かのキャンペーンをやっているようで男の人にふと呼び止められた。
「普段お使いのお化粧落としってどんなものをお使いですか」
どんなものって突然言われても、急に反応が出来ない。だって今の今まで化粧落としのことなど、頭のどこにもなかったのだ。
あわわわ・・・と慌てていると、「魔法のクレンジングなんです。知っています?」
知らない品物だったので知らないと答えると、そこから手品が始まった。
「例えば、ファンデーションなんですけど」
「塗ります」
といって男性は自分の手にベトっとファンデーションを塗って私に見せた。
「コットンにこれを含ませて」
「はい」
「拭くだけで」
「はい」
「ほら!」
キュキュッ。
「取れちゃうんです!」
油性のファンデーションが、目の前で一度拭きで綺麗に取れたので思わず「わぁ!」と声を上げていた。
そして男性はそのまま続けて、「じゃぁもう一度やってみますね」と言って、今度は私の手の甲にベタっとファンデーションをつけたのであった。
<あららららー>
許可もなく知らない女性にファンデーションをつけるのは別に犯罪ではないのだろうか。
そしてまたコットンにクレンジング液を含ませて
「ほら!」
キュキュッ。
「取れましたでしょ」
私はアホである。取れたでしょと言われてみてみたら本当に取れていたので、ここでまた「わぁ!」と声をあげていたのであった。
普段の私は警戒心が強く、行く手にキャッチセールス風の人を発見したら、ものすごく機嫌の悪いオーラを放って声を掛けられないムードを作っているのだが、こういう不意打ちのケースの場合は、上下関係の厳しかった元バレーボール部ならではの、”元気な声で「はい!」と返事をする”モードが表に出てきてしまうのだ。
「今ならこちらのセットを買っていただくと、お値段が@@@円になるだけでなく・・・・」
ともったいぶった感じで話したあとで、「このミニサイズのクレンジングとコットンもつけちゃいます」
「えっ」
男性が次から次へと話を進めて行くので、理解出来ずになかなかついていけない。えっとえっと・・・と整理をしている間に、男性には私が不服そうにしていると見えたのか、「それじゃぁ、更にクレンジング石けんもオマケにおつけします」と、腕で抱えるように品物3点をあふれさせて私に見せた。
<まるでジャパネット高田だわ>
そういえば、私はよくテレビの通販で「なんと!今ならこちらもおつけ致します!」と言っているのを聞いても「え!」と反応をしている。よくわからないが、もう反応するように身体が出来上がっているので、またここで「え!」と、驚いていたら・・・・・
とどめに「だったら・・・もう一つコットンもおつけします」と元気よく言われたのだった。
「はぁ、あの・・・・買います」
展開がはやかった。
今日はなんだか私らしくない落とされ方であった。
そこでお会計をしてくれるのかと思ったら、急に男性はちょっと冷たくなって、おまけでくれるいう品物全てを没収し、元の商品のみを私に渡して「じゃぁこの商品をレジで買ってきて、そのレシートを持って来てくれたらおまけを差し上げますね。どうぞ〜」と言って、そこで男性のご案内は終わった。
ちびっこのおつかいじゃないんだぞ。
レシートをもらって男性の元に帰ったのだが、さっきの笑顔は5割減でおまけの品物を事務的に袋に入れてくれてそれで二人の関係は終わった。
開けてみたらくれると言っていたおまけのコットンが一つなかった。
きつねにつままれたとでも言おうか・・・・。
たまに事態が早回し過ぎてついて行けず、反撃が一切出来ないケースが私にもある。
今日は街に出て手品に遭った日なのであった。


投稿日:2010年09月09日

2010年09月09日

呼吸器外科の診察に行く。
「転移はないようですね」
PET検査の画像を見て昨日と同じ診断を受ける。
「で、手術はどうされますか」
「は?」
検査の結果が出たらそれをもとに治療方法を提示されるのかと思ったら、そうではないらしい。
「手術を受けるかどうか決めて下さい。やるならやります」
「は??」
「治療方法は患者さんが決めることです」
それはわかる。だが、検査の結果が出たところで私はまだ何も治療方法を提示してもらってはいない。普通は専門家が治療方法を説明してくれるんじゃないのだろうか。一般的にはこの方法をとる、とか。選択肢としてはこういう方法もあるが、私ならこの方法を勧める。といった話って何もないのだろうか。素人の私に突然自由に選べますと言われても困るのだ。
「私は素人なので・・・・」
治療方法はどんな選択肢があるのですかと尋ねたら、うちは手術部門だから放射線治療については放射線科に行って聞いてきて下さいという返事だった。
それで思い出したことがある。10年前に再手術を受けた時も、手術前になって担当医が外科部から来たがその時、開口一番に”今回はあなたが手術を受けたいということなので、執刀します。でもよくなるかどうかは保証できません、それはご理解下さい”という変な日本語で念押しをされたっけ。なんだか知らないが外科ではこういう「責任の所在」についての口約束みたいなものがあるのかもしれない。
結局、それで放射線科に行きまた神経内科に行き、また外科に戻って診察を受けることになった。
放射線科も神経内科も、ここではデータを見ながら普通に治療方法を説明してくれる。二科共、まず手術を受けてそのあとに放射線治療を受けるのが一般的な治療方法だと説明を受けた。
最後に夕方の5時になってまた呼吸器外科に行く。
「それで、どうしますか」
「手術を受けたいので、どうぞよろしくお願いします」
気のせいかもしれないが、その一言で空気が変わった気がした。
そりゃぁ手術はイヤだ。今日も最初から何かゴネた覚えもなかったが、外科では「手術を受けたいのでお願いします」と患者が自ら言わないといけないしくみがあるのかもしれない。よくわからないが、私の口からお願いしますと言ったらそのあとはトントンと日程調整の話が進んでいった。
13日に手術の予備検査をして入院の説明を聞く。
手術は9月の最終週のどこか。いつがいいですかと尋ねられたのでいつでも大丈夫ですと答えると、手術室を押さえたら病院から日程の連絡を入れます。という素早い返答があった。手術なんて言葉を聞くと、ものすごく特別なことで思う私だが、先生には長年の自分の仕事という感じなのだろう。私が「じゃぁ音源の締め切りはいつですか」と言って、スケジュール帳を確認しているのとちょっぴりダブるものがあった。
朝10時半に病院に行って、病院をあとにする時は夕方の5時半を回っていた。
少しだけ疲れた。長い一日だった。


投稿日:2010年09月08日

2010年09月08日

神経内科の外来日。
目覚めたら雨が降っていた。東京は一ヶ月ぶりの雨なのだそうだ。恵みの雨なのだが、今日は検査の結果が出ているであろうその内容を聞くことになるので、雨戸を開けても部屋が暗いとちょっと憂鬱になる。
いつもは結構待たされる診察。
今日は名前を呼ばれるのが早かった。
昨夜はなんだかあまり眠れなかった。
もし転移をしていたら・・・・。
これからの治療方法も違って来るし、継続した仕事は出来なくなる。もちろん今後東京で一人で暮らしていくのは無理だ。じゃぁ実家に帰れば、年を取った父に世話になれるのか。父の感じからしたら無理だ。どうしよう。いろいろ考えてみたものの一人で生きて行く方法が思いつかなかった。
「検査の結果が来ているみたいですね。見てみましょう」
まずPET検査の全身の画像が開いた。
「この検査が絶対というわけではないですが。これで見る限りは転移はないですね」
胸腺腫の画像がアップになると「腫瘍も悪性度の低いもののようですね」と先生が先に口にした。パソコンを見ると、放射線科からの申し送りで”悪性度が低いものと思われる”という所見が私にも見えた。
続いて頭部MRIの診断では、小脳にちょっと異常があると言われたが、転移のことが一番心配だったのでそのことについてはなんだかおおらかな気分で聞き流していた。
「詳しくはまた明日呼吸器外来で聞いてきて下さい」
ようやく現在の身体の状況がわかりつつある。
気にしない、気にしないと言い聞かせてきたがずっと気持ちは堅かったのだと思う。今日の検査結果を聞く瞬間が一番怖かった。
「検査の結果から、今後の治療はまず手術を受けてその後放射線治療を受けることに恐らくなると思います」と、おおまかな説明を受けて今日の診察は終わった。
診察室を出たら、フゥっと息がたくさん出た。
ストレスが弾き金になって病気は発症すると言われているが、検査を受けたり結果を待ったりする時間が大きなストレスになるのだと思う。
息を吐いたらほんの少し身体が軽く感じた。
大事にするからもう一回つき合って下さいと自分の身体にお礼とお願いをした。


投稿日:2010年09月07日

2010年09月07日

友達からちょこっと譜面を書くのを手伝ってと頼まれた。
音楽関係の予定を早めにバトンタッチしてもらって音楽の予定がなくなったのでポツンと寂しくなっていたから、こういうお願いごとは嬉しい。
身体と折り合いをつけるようになってからの私は随分消極的になった。消極的というか積極的ではなくなったように思う。音楽に必要なのは腕や人格もそうだが、必須条件となってくるのが本番に穴をあけないということだ。痛くても熱が出ても根性でそこに行くということを、見えないところでみんな経験をしている。そして私は私で「脱力」は根性を入れても歯をくいしばっても乗り切れないことを知った。
仲間うちでも「私もやりたい」「私にさせてよ」なんて気軽に言えるはずの言葉が、なんとなく言えなくなっていた部分はあったと思う。身体と共に音楽とも折り合いをつけている日々になった。
時々音楽が遠くに感じることがある。いや、それも含めて、これが私自身が音楽を通じて学んでいることなのだ、と思い直したりもする。でも、たまに頭の中でシミュレーション出来ているものを、思い切り出し切ってみたいという、消化不良気味の積み重ねに、はがゆさを感じることもある。
譜面を書きながら、その時間は音楽をやっている仲間たちと同じラインにいられる幸せがある。そうだ。今まで正直に言えば、体育の時間に着替えだけをして見学をして授業を受けているその視線になることは多々あった。
本当の本当は羨ましい。
だって選択肢は多い方がやっぱりいい。
全力で走ってみたいなぁ。
でも一つだけハッキリしていることがある。音楽のためになら死んでもいい、なんてことは思わないということだ。
五線譜におたまじゃくしが泳いでいる。
一応かしこまって配置はするけれど、もっと自由でいいんだよ。
譜面ってそういうものだ。作った人は譜面にした細かい部分のいくつかについては、厳密に再現して欲しいとはきっと望んではいないのだと思う。
自分の書いた譜面で誰かが演奏をする。
こういう形での音楽の関わり方があるなら、全力で走るレースに出られなくとも私は私なりに関わっていきたいと思うのだ。


投稿日:2010年09月06日

2010年09月06日

今日は頭部MRIの検査。
ここ1〜2ヶ月で、回数にしたら結構な被爆検査を受けている。微量とはいえ、大丈夫なのかなぁ・・・とは思うが、今日で一通りの検査が終わる。MRIは狭いところに入る圧迫感はあるが、痛くもなんともない検査なのであまり緊張せずに行ったのだが、今日の検査は造影剤を入れてするMRIということで、「また針かぁ・・・」とちょびっと憂鬱になった。
どうしても針を刺す時に身体と心がかたくなるので、最近は「ちょっと大きな蚊に刺された」と思うようにして、なるべくリラックスを心がけている。
ちょっと大きな蚊は一回刺したらしばらく身体に止まっている。
「はい、おつかれさまでした。じゃ針を抜きますね」
この瞬間、自由気分を味わう。
検査、全て終了。
早ければ明後日の神経内科の外来で結果を知ることになるだろう。
検査が終わってスッキリした・・・・ようでスッキリしない。
技師さんに「結果、どうでしたか」と聞きたい気持ちをおさえながら服を着替え、そして放射線科の棟をあとにしたのだった。


投稿日:2010年09月05日

2010年09月05日

渋谷のハチ公前で人と待ち合わせをした。
10年という時間があれば、その間に建物が建てかわったり、駅前がリニューアルされたりして景観が大幅に変わるエリアはたくさんあったと思うが、渋谷駅前はそういう意味では景色が変わっていない数少ない場所なのではないだろうか。
と、私は思うのだが、ハチ公はそうは答えないだろう。
今のハチ公は戦後再建された二代目にあたる。それが1948年のことになるから、昭和20年代から現在に至るまで渋谷の景観とそれから人々の移り変わりを見てきた。
多分ハチ公が目にした中で一番コロコロと様子が変わったのが女性の風貌だったんじゃないだろうか。
<ミニスカートが流行っておる!>
ミニスカートの時代が終わるとみんなヒッピーになった。
<最近はみんなパンタロンじゃ。>
<髪が長いので女かと思ったら、男だったわい>
<サーファーと聖子ちゃんカットばかりで誰が誰かわからんぞ>
そして暴走族やヤンキーなんて言葉が生まれる。
<みんな眉毛が急に細くなったような気がするんじゃが>
<たけのこ族っていうのか、あれは?>
<急にみんな黒い服を着るようになったが、またなんか流行ってるんだろうか>
最近の若いもんは・・・という言葉があるが、だったらハチ公はもっと言いたいことがあるだろう。今日はハチ公の銅像の前で銅像になるパフォーマンスをやっている男性が居て、更に銅像付近には待ち合わせでやってきている老若男女が恐ろしくたくさん居た。
ハチ公は今や日本で一番奇妙な土地に置かれている。いや、道頓堀のグリコのおじさんもハチ公と同じぐらい気の毒な感じもする。一度思い切りグチの言い合いをさせてあげたい。きっとお互いの気持ちがわかるのはこの二人しかいないだろう。
いつもいつも、本当にごくろうさまです。
というか、すいません。
9月の連休にハチ公とグリコのおじさんをどこかのんびり温泉にでも連れて行ってあげたいなと思うのであった。


投稿日:2010年09月04日

2010年09月04日

最近、時間を見つけては部屋の掃除をちょこちょこしている。
そんなに物を多く持たないようにしていたつもりだが、改めて部屋の中を見直すと結構「他人にとっては不要品」なものが多いことに気づく。部屋の掃除というのは、これら「他人にはきっと価値がないんだろうな」と思うような物をエイヤ!と処分することで随分シンプルな状態に戻るのだそうだ。
4年前の引っ越しほどではないが、着ない洋服類やもしかして必要になるかも・・・と取っておいた雑誌や小物や食器も久しぶりに思い切って捨てている。
だが私がこうしていろんなものを捨てていると、いつもはゴロンと横になってくつろいでいるダンボが様子を伺いに来るようになった。少し離れたところから、ちょっとハの字型に眉を寄せる。少し不安になった時にダンボがする顔だ。
4年前の引っ越しの時は毎日少しずつあきらかに部屋が片付いていくので、いつも自由に過ごしていたダンボが、私の顔を伺うようになり、そのうちにピッタリ私について来るようになった。まるで<ボクを置いて行かないでね>とお願いをされているようだったのだ。ダンボにとっては居心地のいい自分の居場所がなくなってしまう不安でいっぱいだったんだろう。
「このおもちゃ、もう汚くなったからバイバイね」
引っ越しではなく日常でたまに古いおもちゃを捨てる時には、やっぱりハの字の眉をしてジっと見ている。
<捨てちゃうの?>
そんな表情をして残念そうにその様子を見ている。
我が家では私より犬の方が物が捨てられない症候群なのかもしれないのだ。
キッチンの入り口で私のことを見ている。
<どうしたの?>
なんでもないよ。
部屋を片付けているだけだから。
お前のことを捨てたりもしないし、置いて行ったりもしないよ。
ダンボ、あとで散歩に行こう。
いつもと同じ散歩道。
日中はまだまだ暑いけどまた少し日が暮れるのが早くなってきた。
夜は秋の虫が鳴くようになった。


投稿日:2010年09月03日

2010年09月03日

PET検査を受けに行く。
この病院は外来で通い始めてもうすぐ3年になるが、地下2階に来るのは初めてなのだ。病院の地下はあまり好きじゃない。院内案内図は載っていないが霊安室がこの階にあるような気がしてならないからだ。
PET検査はガン検査の一つ、ガン細胞は糖分を吸収するのでその性質を利用するらしい。ブドウ糖に近い成分の液を身体に注射をしてみて、糖分の多く集まる箇所を診ることでガンの有無を調べるのだそうで、何年か前にこの検査を知った時はこの検査は自ら進んで受ける勇気はないなぁと思っていた。
予約票を持ってPET検査の受付けに行く。
受付けが済むと、自動ドアの向こうにあるPET検査のエリアに案内をされる。
「こちらで着替えをしたら、待合室で座ってお待ち下さいね」
ロッカールームがあって、ちょっとしたジムのロッカールームっぽい場所だ。着替えを済ませると椅子に座ってすぐに技師さんに呼ばれて奥の処置室に行く。
ここでは血糖値を計ってその後、検査薬の注射を受ける。注射されたら正しい結果を導くために安静にして身体のどこかに偏った負荷がかからないようにジっとしていないといけないらしい。昨日Nさんに聞いた「す巻きにして動けなくされた」あれなんだろう。グルグル巻きは圧迫感があってちょっとイヤだなぁと思っていたら、別室の簡単な個室が4つぐらいある部屋に案内をされ、中にあるリラックスチェアで呼びに来るまでゆっくりしていて下さいという指示を受けた。
す巻きじゃなかった。
40分ぐらいここに居るのかぁ。
電気がついているが蛍光灯の数が少ないので、部屋の中が暗い。
ちょっと心細いなぁと思って15分ぐらいすると、次の患者さんが一人案内されて近くの小部屋に入るのがわかってホっとした。
シーーーン。
「ぶっ」
とても静かだったので人が居ないと思っていたら、足元の小部屋に誰か居たようで大きなオナラが響いた。天井が筒抜けだから悪臭が来たらいやだなぁと思っていたが、結局この部屋には4人患者さんが居たことがその後の物音でわかった。
安静のあとはCTと同じような撮影室に案内をされ、そこで30分ほど撮影をされて検査は終わった。
検査後はすぐに帰ってはいけないらしい。放射性物質を体内から放っている状態らしく、更に隔離別室に案内をされそこで30分待機せなばならなかった。
オナラのおじさんはこの人なのかしら。初老の男性が先に座っていた。私のすぐあとには高校生の男の子がやってきた。こんな若い男の子もPET検査を受けているんだ。一見どこも悪いところはなさそうな、どこにでもいそうなちょっとやんちゃっぽい男の子で、友達はきっと縁がないようなこの場所で制服姿で一人でやって来ているのを見ると、本当は胸の中はどれほど辛いだろうかと考えてみた。
隔離室から出ちゃいけないのに、男の子はしばらくそこに居たがフラっと部屋を出て行った。職員さんが男の子が居ないことに気づいてあわてていたが、コンビニに行っていたようだった。5分程して帰ってきたら買って来たおにぎりを食べていた。
十分、いろんなことを受け入れて過ごしているんでしょう。それぐらいのやんちゃ、したっていいよ。
私達、今なんか放出しているんだって。
ホタルイカ?
「お大事に」
残った高校生の男の子に挨拶をして部屋を出た。
病院に来ることが多くなった。
でも少しずつ何かが進んでいるのだと思おう。
そう思おう。


投稿日:2010年09月02日

2010年09月02日

夜は阿佐ヶ谷でNさんとFさんと久しぶりに会う。
女3人会えば、まぁ話したいことが次から次へと出て来るもんだ。
このメンバーだと私が最年少になるので、最近どこへ行っても最年長の私としては自分がややちびっこ化してそこに座っているような感じがする。
Nさんは数年前にガンに罹って以来、手術や入退院を数回しながら今年に入ってからは温熱療法という代替医療の効果が出て調子がよくなったのだそうだ。スカーフをめくると喉には穴が開いていて今は食道を使っての発声練習中で、声は前のような声は聞けなくなったが、筆談と練習中の声での会話となった。
明日、私が検査だというのを知って「じゃぁ、その前に景気づけにご飯でも!」と誘ってくれたのがNさんで、あれやこれやと話に花が咲く。Nさんはご主人を数年前に亡くしていて今はお母さんと妹さんとの3人暮らし。Fさんと私はそれぞれ独身。独居老人になる先行きの心配などを話しながらも、「まぁ死ぬ時はみんな一人だから!」と酔っぱらった誰かが笑って言えばそれでおしまい。明るい姉さんたちだ。
明日私が受けるPET検査という検査はNさんは既に受けていて、「薬を注射したら、そのあと安静をしなければならないのだけど、ベッドに横になったらす巻きにされて身動きが取れなかった」という話を聞いた。ぐるぐる巻きにされて30分そのまま放置されるだなんて、原始的なのだ。
笑うって身体にいいんだそうだ。
確かに笑うと何かが吹っ飛んで行っている気がする。
お酒が好きな二人とは頻繁に会う機会がないが、今度11月にあるFさんの芝居を観に行くのをその次の3人の再会の約束にした。
11月に、また笑って会いたいな。
タクシーに乗るまでの間、風がぬるくまとわりついた。
久しぶりの阿佐ヶ谷の夜。


投稿日:2010年09月01日

2010年09月01日

今日から9月。
でも外は9月の感じがしない。
今年は暑さが尋常ではなかった。
ここから年末までは加速度を上げて時間が過ぎていくというのに。
ピンと来ないままカレンダーだけがめくれた。
今年の9月1日はこんな感じ。