月別アーカイブ : 2010年10月

投稿日:2010年10月11日

2010年10月11日

家に帰ったら病院に居るよりも大変かと思っていたが、思ったより大変ではないことに気がついた。
それは可動範囲が家だと圧倒的に狭いからだ。家だと数歩歩けばエリアが変わっている。歩行器や杖などが使えないような空間なので、今のようにヨボヨボ歩いても家の中は全て行ける場所だし、それに何と言っても湯船に浸かれるのがいいのだ。
すぐに息が切れる。
肺や胸がまだ術後まもないので仕方がない。
鬼ごっこの安全地帯に逃げ込むみたいにしてベッドにすぐに逃げ込んでいる。
ひーひー、ふー。
ひーひー、ふー。
呼吸を整えながら、これから自分は出産でもするのかしらという錯覚に陥ったのであった。


投稿日:2010年10月10日

2010年10月10日

退院の日。
朝の検温が終わると看護師さんは、「今日退院ですね。体温計はもうこのまま頂いていきますね」と言った。
退院も嬉しいが、退院して何が一番嬉しいかと言えばやっぱり離れて暮らしていたダンボのことだ。
ダンボは前回の入院の時と同じく、会社のY氏の家で預かってもらっていた。前回もそうだったが、内弁慶のダンボは意外にもすぐに新しい家や生活に慣れて穏やかに過ごしていたのだそうだ。犬は犬で自分が生きて行くことを考えているらしい。普段私と居る時は、「この子は私が居ないとダメなんだわ」と思わせるところが多々あったのだが、私が居なくなればなったで特にしょんぼりするわけでもなく、いつもの行動をそのまま新しいご主人さまにしていたみたいで、それを知るとちょっと可笑しかったのだ。
今日はY氏がまずダンボを私の家に戻して、それから病院に迎えに来てくれるので、私が帰ると家にダンボがいつもどおりベッドの上でくつろいでいるのだろう。
早く会いたいなぁ。ダンボ。
お昼ご飯を食べて、次回の診察予定やお薬をもらって午後に退院をした。
10年前の入院期間は丸2年だったので、外に出た時にまず「コインパーキング」が目に入って感動をした。本当にあの時は浦島太郎だったが、今回はそういうギャップが一切ない。外来に行ってそれで帰っているのかなと思う程、2週間の入院期間は外の世界と切れた感じのしない時間だったのだと思ったのだった。
一時間程車に揺られて、家に到着。
「ダンボ。ただいま」
奥の部屋に入るとダンボはやっぱり私のベッドの布団の上に、今まで寝ていたんだよといった風にそこに居た。
ダンボは私を見ると・・・・。
耳をペチ〜〜〜っと倒し、警戒心のかたまりのまま私を見ている。
「ダンボ。私だよ!」
犬ってこんなに冷たかったっけ。
尻尾を振って飛んで来るどころか、しばらく耳を倒したまま私のことをジーっと見て、それでだいぶ経ってからよっこらしょとベッドがら降りて来たのだった。
1分ほどして私を思い出したのか、それとも気が変わったのか、急に私の足元で尻尾を振っていた。
<おかえり、おかえり!ボクも会いたかったよ〜>
お前それは嘘だろう。
でもいいや。また会えてよかった。待っていてくれてありがとう。
何もドラマティックなことがなく、そしてまた日常に私は戻って行くのだと思った。そういう平坦で平穏な一コマがずっとこの先も私の中の幸せな出来事として記憶されていくんだなぁと思った。
ただいま。
約一年程、原因がわからないまま体調に翻弄されていて、夏からは検査続きで不安は消えてくれなかった。長い間、漠然としたグレイのものが胸の中から出て行ってくれず、押しつぶされそうだった。
ようやくpauseボタンが解除された。
久しぶりに胸のつかえがおりた夜だった。


投稿日:2010年10月09日

2010年10月09日

昨夜は窓側の患者さんが居なくなったので、カーテンを開けて寝た。
ベッドからタワーが一つ見えていて、スカイツリーを見ながら横になれるだなんて贅沢だなぁと思っていたが、今朝起きて見たらそれはスカイツリーではなく近くのビルの上に建っている鉄塔だった。
明日は退院。
シャワーや洗濯を済ませて帰る準備をする。
退院をしていく患者さんで少し個人的に違和感を感じるのは、お化粧をした姿だ。多分、お化粧をした姿が普段人に会う時の姿なのだろうが、病室ではみんなすっぴん、それに足や手の指もマニキュアのない爪になる。
でもそれで違和感を感じることはなく、お化粧をして綺麗になったはずのそちらの格好の方が、塗りたくったお面のような顔に見えてくるから不思議なのだ。
看護師さんもみんな若くて可愛いのでお洒落の盛りのはずだが、みんな爪を短く切りそろえている。もちろんマニキュアをしている人も居ない。私も楽器を弾く身として爪は短くマニキュアもしない爪を保ってはいるものの、最近外に出ればナチュラル爪の女性がとても少なく、飴細工みたいな爪が「綺麗に手入れされている爪」のように言われる風潮を残念に思っていたのだ。
「こんにちは〜。検温に来ました。お熱はかってくださいね」
「血圧を、じゃぁこっちの腕ではかりましょうか」
朝と午後、夜の3回こうして検温に来られるのも今日が最後だ。
短い爪の手先を綺麗だなぁとよく見ていた。
私もまた仕事に戻れるようになったら、短い爪を大事にお仕事をしたいなと思った。


投稿日:2010年10月08日

2010年10月08日

おしゃべり部屋は相変わらず毎日朝から晩までうるさかったが、今朝一番大きな声でしゃべる患者さんが退院をしたら、部屋の空気が一気に変わった。
やっぱり部屋の主の色にその部屋は染まる。
午後にもう一人退院していったら、信じられないぐらい静かな部屋になったのだ。
ちょっと空気が澄んできた気がする。病室はやっぱり盛り上がらなくていいのだ。「何してるの〜?」と覗かれることもなくなったし、必要以上に来客者の詮索もされなくなった。
午後になり、いよいよ待ちに待った退院の日が決まった。
日曜日の午後、明後日だ。
まだ歩くのもフラフラだし、ちょっと話をしただけで息が切れる。これで退院しても大丈夫なんだろうかと不安にもなるが、手術後もすぐ「歩いてみましょう」「起きてみましょう」「シャワーに入っていいですよ」といろんなことが思ったより早いタイミングでやってきた。
退院に向けて片付けを始めた。
なにはともあれ、退院が決まってとても嬉しい。


投稿日:2010年10月07日

2010年10月07日

今日からステロイドが20mgに減った。
ステロイドが20mgになると院内の散歩がOKになるみたいで、病棟以外の場所に行ってもいいですよと午前中に許可をもらえた。
多分わたしの好きなことは「お出かけ」なのだと思う。おしゃべり部屋に居ても「私もしゃべりたい!」という欲求は起こらなかったというのに、出かけてもいい許可をもらった瞬間「屋上庭園に行ってみたい」という欲求にかられたのだ。
病院の中は年中温度が一定に保たれているので、季節感がない。入院をしていて恋しくなるのはこの「季節感」で、院内は快適な温度であるにもかかわらず、「ちょっと寒い感じ」や「暑くてしょうがない感じ」「冷たい雨の感じ」を味わいたいと思ったりするのだ。窓から見える景色だけではどうしても思い出せない空気の感じを味わいにまず屋上庭園に行ってみた。
<ぅううう〜〜〜っ、さぶい>
さぶいってこういう風のことだったわ。
屋上庭園と名前がついているので16階の更に上にあると思っていたが、今居る病棟の階より低い8階が屋上庭園となっていて、なるほど木々が植えられていてちょっとした公園風になっていた。
「お出かけ大好き!」
許可をもらったことで、一気にお出かけ欲が湧いてきた。
今日はそれから1階にあるコンビニエンスストアに2回行き、シャワーも浴びて洗濯もしてベッド周りの片付けもして・・・・・。
グッタリしてきたところで、またさじ加減もせずにあれこれやってしまったことにようやく気づいたのだった。
ところで今朝の血液検査の結果はどうだったんだろう。
よければ退院の日を決めましょうねと言ってもらったので、一日中楽しみに待っていたのだが、とうとう先生は来なかった。
今日、自分の頭の中は「お出かけが楽しい」「先生は今日はいつ来るのかな」「ご飯、まだかな」の3つしかなく、シンプルなのはいいが本当にあまり物事を考えなくなっていることに気づいた。
自分のことをちょっと大丈夫かなぁと心配になったのであった。


投稿日:2010年10月06日

2010年10月06日

術後は経過も良く、木曜日の血液検査の結果がよければ退院してもいいと先生から言われた。
治療はそれから傷口が治った頃の11月に入ってから、放射線治療を外来ですることになりそうだ。
放射線科の先生が今日はだいたいの流れを教えに来てくれた。
先生の説明では、月〜金まで毎日放射線科に通ってそれを4週間。年内には治療を終えられますよということだったが、お茶の水に毎日1ヶ月も通うなんてことにまずどんよりしたのだ。それだったら入院して受ける方がいいかもしれない・・・と思ったりもしたのだが、この病院は入院待ちの患者さんが多いらしく、極力外来で済む治療は外来でやっていると聞いたことがある。一ヶ月通うのなら、もうお茶の水でバイトでもしたいぐらいだ。貧乏性の私はそんなことを考えたのだった。
ところで私は病棟以外の場所に、いつ行けるようになるのだろう。退院許可が出そうになっているのだが、まだ院内を自由に行き来出来ない状況にある。
だが点滴の管もなくなった。
歩行器は使っているが、随分自由の身になったのだ。


投稿日:2010年10月05日

2010年10月05日

30mgに増えていたステロイドが昨日から25mgに減った。
おしゃべり部屋は今朝も朝食後からおしゃべりが止まらないので、ほぼ騒音のように思えてきたのだ。おしゃべりをするメンバーが3人居るので、途中で話し疲れた人が中抜けをして休憩をする。その間2人がおしゃべりをし、そしてしばらくするとまた休憩を取った人が参加をする。そうするとまた誰かが休憩を取り・・・・。こんな風に上手い具合にローテーションが組まれているので、部屋の中は休みなく会話がなされているのだった。
それにしても声が大きい。
デイルームに避難をしていると、隣りの部屋の患者さんに声を掛けられた。
「こっちに居る方がいいわよね」
ご婦人の目配せで、おしゃべり部屋は隣りの部屋の人達にとってもうんざりされているのがわかったのだ。
<早く・・・元気になって退院して下さい>
私の今の願いは同室のおしゃべり患者さん達がここから出て行ってくれることになった。看護師さんが間に入ってこの部屋を静かにすることは無理、だって看護師さんに対してこの部屋の元から居た二人は厳しい。名札で看護師さんの名前を覚えて、この人は仕事が出来る出来ないというのをチェックしていて、それを他の看護師さんに言いつけたり、本人に直接嫌みを言ったりするので、看護師さんたちもやりにくそうな感じなのだ。
<私を何故、この部屋に入れたんでしょうか>
わかっていて私をここに移動させたと思うとちょっと恨みたい気分になる。
延々おしゃべりが続くと、私はある時を境に頭ん中が飽和状態になる。言葉がブンブン蜂のように飛んで脳みその周りを周回して具合が悪くなるのだ。
頼むから静かにして下さい。
言いたい。暴れたい。
が、転校生は言えない。
言えないのである。
病室は先住者がやはりエラいという暗黙の了解があり、カーテンの開け具合にしても後から来た者は気を使うのである。
「吉川さんは、おとなしいわねぇ」
いいえ、あなた達が狂っているんです。
消灯してもこの人達は1時間まだしゃべり続けていた。
この人達を私は殺人者と呼ぼう。


投稿日:2010年10月04日

2010年10月04日

外科病棟は内科と違って入退院の人の入れ替わりが早いのだ。今日も退院さんと入院さんが多いみたいで、廊下では慌ただしく人が行き来をしていた。
「じゃぁ、お部屋を移動しましょうか」
おしゃべり部屋に私は今日から行くのである。せめて親分格の人が居なくなっていますように・・・。そう願いながら部屋に案内をされると・・・・。
あら?
静かじゃない?
この部屋は今日転院と転科で二人が出て行ったらしく、入り口の患者さんは眠っていて奥の患者さんは丁度留守。あんなにしょっちゅう大声が響いていたおしゃべり部屋はシンと静まり返っていたのだった。
<うそ!?嬉しい!>
メンバーが変われば部屋の空気は変わる。これでこの部屋はおしゃべり部屋ではなくなるんだという期待で昨夜の憂鬱が一気に消えたのだった。
しかし、それは甘い考えに過ぎなかった。
「あら・・・アタシ、寝てたみたいだわ」
入り口の患者さんが目を覚ました。そしてしばらくすると奥の患者さんが部屋に戻ってきた。部屋の住人の入れ替わりは、学校の転出転入に似ている。私は新しくこの部屋に来た転校生。早速興味津々に今までの流れや病歴を尋ねられることとなったのだった。
「昨日まではねぇ、すっごくにぎやかな部屋だったのよ〜」
「すんごい盛り上がって楽しかったわ〜」
二人のご婦人が言うには、ボス格の人間が居たらしい。いつも面白いことを言って、歌を歌ったり話の途絶えない人だったと言っていて、もう一人は90代のおばあちゃんが居てこちらはいつもおとなしいおばあちゃんだったのだそうだ。
ボスが居なくなったら流れがかわると思ったのだが、この二人のご婦人は宴会場となっていた病室に慣れてしまったらしく、ボスの居た頃の空気を今度は二人で担う形になってしまったようだった。私のあとに新しい入院さんが入ってきて、その人も会話に参加をするためおしゃべり部屋はパワーが落ちるどころか、私が確認しただけで14時〜19時半までノンストップで大声で話し続けて本当にうんざりしたのだ。
歩く練習に出たまま、私はデイルームという面会室みたいなところに避難するようになった。
私のベッドの場所に来る患者さんはみんな静かな人なのだそうだ。そう二人は言っていた。いいや、それが普通なんです。本当は。
一人ずつだといい人なのに、集まるとタチの悪くなる人って居る。特に60代のご婦人にこういうタイプは多く、過去の入院でも「勘弁してくださいよぉ〜」的なことはあったのだ。
病室が宴会場になっている。
でも転校生には、それらを覆せる力はないのである。


投稿日:2010年10月03日

2010年10月03日

「歩く練習をして下さいね」
私が今頑張っていることは歩く練習なのだ。
歩行器で病棟内を歩く。歩いていると「頑張っているわね」と褒められるので、歩いているだけで褒められることになんだか違和感がある。
歩く練習を始めてから病棟の中で一部屋、ものすごくうるさい声がする部屋がある。お部屋の患者さんによって、部屋の色が反映されるのだが、ここには相当おしゃべり好きな人がいるらしい。いつ前を通っても大きな声が聞こえてくるのだ。4人部屋のこの部屋で2〜3人の声がいつも響いているのだが、歌を歌っていたりもするので声は10メートル離れても聞こえている。
いやだなぁ。私はこの部屋には来たくないなぁと思っていた部屋だったのだが・・・・。
「安定してきたので、明日から大部屋に移動しましょうね」
部屋番号を聞いてうなだれた。私の移動する部屋が、行きたくなかったまさにその部屋だったからだ。
うぅううーーーむ。
修学旅行かと思うようなあの部屋に行くんだろうか。
憂鬱。
しかし、私がその部屋に移動するということはあのおしゃべり部屋の誰かが退院をするということか。
にぎやかな病室には必ず「親分」が居る。姉御肌でアクのつよ〜い人が居て、その人のペースにみんな巻き込まれていくパターンなので、どうかその親分が居なくなっていますように・・・・と願ったのであった。
夜、また食後に歩く練習をしに廊下に出た。
あの部屋に近づくとやはりおしゃべりが廊下に響いている。
明日から・・・私はこの部屋に来るのね。はふ〜〜。
「とぼけた顔してババンバ〜〜ン。バンバンババババババババ〜〜ン」
「うわっはっはっはっは〜〜〜」
ここはもはや病室ではなく宴会場と化している。どうなっちゃっているの。誰も注意しないのでしょうか。ものすごくガラの悪い歌声と笑い声が廊下の角を曲がっても聞こえてきていた。
静かに過ごせたこの数日間、幸せだった。普段から「親分」「姉御」が苦手な私である。明日から私は大部屋という荒れた海に放り出されるのか。
これもリハビリ。
そうだ。歩くだけで褒めてもらえたのは今日までのこと。
大部屋での生活は社会の窓口。
意外と歩くより重要なリハビリの一つなのである。


投稿日:2010年10月02日

2010年10月02日

朝目が覚めると熱が下がっていた。
毎日レントゲン写真を撮っている。状態がよければどんどん管を抜いていくと先生から言われていたので、今日も何か管が抜けるといいなと思っていたら、今日は背中に刺さっていた針とドレーンを抜いてもらえることになった。
背中の針が抜けると痛み止めの哺乳瓶ともさようならだ。硬膜外麻酔の管がなくなれば痛み止めは飲み薬のロキソニンと座薬のボルタレンの併用になり、この二つの薬は普段でも割と馴染みがあるので、少しよくなってきた感じがしてきた。
ドレーンは体内にある浸出液や血液を対外に出す管で、これがついているとなんとなく動き辛いというか心理的に思い切って動けない。身体からホースが出ていてそこからプラスチックの箱みたいなものに血の色をした液体が溜まっていく。身体からホースが出ていること自体なんだかしっくり来ないのだ。自分の身体が洗濯機になったようで排水がホースから出て行っている。ホースがポロンと取れたらどうなるんだろう?と想像をしてしまうので、どうしても動きがかばうようになってしまう。なので、余計にモゾモゾしてしまうのだった。
処置室でドレーンを抜いてもらい、麻酔をして縫ってもらった。
「明日からシャワーをしてもいいですよ」
これで身体に刺さっている点滴の針が残り一つになった。
血痰はまだ収まらない。が、これももう少ししたら落ち着くだろう。術後こんなに順調にステップアップしていけるのは今回が初めて。過去の治療では「著明に改善@%」「改善@%」「効果あり@%」「効果なし@%」「不明@%」と資料のデータで「不明」「その他」の枠に該当することの連続で、なかなか治療が実ることがなく、打ちひしがれながらこの内訳の細かい内容やその後どうなったかが知りたいとよく思ったものだった。
今回は少しずつ回復しているのかなぁ。
今度は・・・・信じてもいいよね。
いろんなトラウマも含めて、今回乗り越えられたらいいなと思うのだった。