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投稿日:2010年12月18日

2010年12月18日

あれ?ない。
先週買ったカーディガンが見当たらない。
家の中をひととおり見て回ったが見つからなかった。
最後に着たのはいつだったろう。
確か月曜日。いや、水曜日だったかも。
昨夜の夕飯に何を食べたのかさえよく覚えていない私だ。この辺の記憶には自信がない。
もう一度、家の中を探す。
イヤな予感がする。多分なのだが・・・恐らく私は道に服を落としてしまったのだろう。
私が一番物を失くすパターンが、「しっかり手に持つ」つもりが手から離れて落としてしまうパターンなのだ。失くさないようにと手で持っていて落とすのだから自分でもいやになる。今までに飛行機のチケットや財布などが入った通常の手提げバッグ、買ったばかりの洋服などを落としてきたが、置き忘れでなく持っていて歩いている道中で手を離しているみたいなのだ。
バッグは河原町通りを歩いていて知らない人に「すみません、鞄を落としましたよ」と追いかけてきてもらって気づいた。親切な人が居てよかった。だが買ったばかりの洋服は遺失物案内に問い合わせても結局見つからなかった。だからいつどこでどうやって私はそれを落としたのかもわからないままなのだ。それにしても拾ったのが男性だったらキャミソールを拾ってどうしていたのだろう。
多分なのだが・・・。
月曜日に落としたのだろう。
あの日は雨が降っていて、タクシーに乗り込んだ時に傘を含め結構荷物が多かった。
タクシーに乗ったあたりかもしくは降りて家に行くまでのどこかで落としたのかもしれないが、気づいたのが遅過ぎた。一週間ぐらい私の家にあっただけで、可哀想に持ち主不明の道路上のゴミとなりもうどこかに廃棄されてしまったのだろう。
思い当たるところに電話をしていろいろ尋ねてみたが、いずれも「うちでは預かっていません」とのことだった。
道端にたまに靴が片方落ちていたり、手袋や服が落ちていることがある。それを見ると、”なんでこんなところに?!”とその物を妙な物体のような目で見ていたが、その物が間抜けなのではないのだ。その落とし主が間抜けなだけなのである。
道端に落ちた衣類たちを気の毒に思う。
カーディガンはどこへ行った。
カーディガンのみぞ知るのであった。


投稿日:2010年12月17日

2010年12月17日

藤原美穂ちゃんレコーディング。
「美穂ちゃん」と呼んでいるが、本当は「ちゃん」付けで呼んでいいのかな?と思うほどの大先輩だ。いくつかのユニットでアーティスト活動をしてきた一方でミュージシャンとしてレコーディングやツアーのキャリアも積んで来た。自分の作品も作りながら他人の作品ではリクエストされたことにさらりと答えてしまう、才能あふれる音楽人であるのと同時に私は美穂ちゃんの「七色の声」のファンでもあるのだ。
低いドスのきいた声から、天使のようなエンジェルボイス、ハイトーンボイスに男性の音域まで、歌えない歌はなく、自由自在に歌が歌える様を間近で観ては何度もため息をついたものだ。
こんな風に表現が出来たらきっと歌っていても気持ちいいだろうなぁ。
長いキャリアのある美穂ちゃんだが、実はソロアルバムは今までに出したことがなかったのだそうだ。それで昨年から少しずつレコーディングを進めて、いよいよ最後の一曲を残すことになったそうで、美穂ちゃんのアルバムに作曲とピアノ演奏で参加させてもらうことになったのだった。
まず最初に、曲を書くのは楽しかった。曲を作る時は、自分が歌える範囲での音域を考えて作る。最近は更に音域が狭くなったので、結構狭い選択肢の中で苦戦しているのだが、「もし、こんな風に歌えたらこのメロディにしたいなぁ」と普段思っているメロディを制約なく曲に出来ることはすごくやりがいがあることなのだ。美穂ちゃんだったら安心して音楽をぶつけられる。私にとって美穂ちゃんはそういう人なのだ。
私にとっても久しぶりのレコーディング。原因がわからないで指が上手く動かず、もつれるようになってからは、ピアノの前に座るのに勇気が要ったが、今はその指も元に戻ってくれた。急には上手くなれないけれど、今のベストを録れたらいいなと思って臨んだ。プロデューサー知野氏が来てくれたことも大きい。美穂ちゃんが信頼を寄せている知野くんだ。私もどっぷり預けて自分の今のベストを録ればいい。
春にはこの初の美穂ちゃんのソロアルバムが出来上がるのだそうだ。
今日の作業が全て終わった頃にふと美穂ちゃんが、「今日こんな風に弾いている姿自体がなんだか、信じられない!」と口にした。そうだった。9月の手術日に美穂ちゃんはICUに訪ねてくれて手を握って帰って行ってくれたんだった。
ずっとお休みをしていた自分のインターネットラジオも、また再開したいなと思う。
「美穂ちゃん、ゲストに来てね。」
作品が出来たらたくさんの人に聴いてもらいたい。
美穂ちゃんの想いの詰まったレコーディングも佳境に入り、そこに自分が居られることが幸せだった。


投稿日:2010年12月16日

2010年12月16日

うちにはダンボに似たグッズともう一つ、鳥のイラストのものが多くある。ダンボに似たグッズは「バンビ」や「チワワ」などをモチーフにしたもので、単純に「うちの子にそっくりだわ!」という親ばか精神から購入してしまうのだが、もう一つの鳥モチーフの物に関しては、気づけば結構あるんだということに気がついたのだ。
鳥は好きなのだ。何故か幸せを運んでくる象徴のように思っているところがある。縁起のいい生き物というイメージを持っているせいか、いつか描いた「ダンボとの暮らし」という唯一の自作の絵の中にも鳥が二羽背景に飛んでいる。
昔小鳥を飼っていたこともあったので、若干世話の仕方などは覚えてはいる。この家でも飼えないこともなくはないが、寿命が短いのが切ないのでどうも生きた鳥を飼おうというところにはいかない。
だが・・・。
前から気になっていた小鳥のオブジェを買って、そこここに置いてみたらこれが思った以上に癒しのペットになってくれたのだ。
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まるで生きている小鳥のようなインコオブジェたち。
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鳥の巣も買って吊るしたら一気に癒し度数が上がった。
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個人的にはモビールなど、吊るしたりして飾る雑貨に関しては、物が増えたにもかかわらずあまり物が多くなったように見えない良さもあると思っている。
ダンボにはただの雑貨で、自分のエリアをおびやかす存在ではなく、共存も出来ている。
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最近我が家にやってきた癒しの小鳥たちなのだ。


投稿日:2010年12月15日

2010年12月15日

今日は今年最後の外来で、そして放射線治療の最終日。
夏頃に胸の辺りに異常があるという診断を受けて以降、いろいろな検査を受けた。自分の身体に異常があると聞かされてからは日常の景色が一変した。いろいろなことを考えたし、それから先のことも考えた。空いている時間には物を処分したりして部屋の整理もしたし、心を平穏にする術をあれこれと模索もした。
毎日の放射線治療は辛かったが、手術や術後の苦しさも過去の出来事になろうとしている。術後あんなに苦しかったのに、あんなに痛かったのに、今は寝返りも平気で打てる。
今日で放射線治療が終わると、今回の再発に関してはひとまず一区切りと考えていいみたいで、そのことは本当に嬉しい。
放射線科の先生やスタッフの方々は親切でいい人達ばかりだったが、この地下2階にある閉塞感のある場所にはもう来ることがないようにしたい。
治療が必ずしも実るとは限らない。何が起こるかわからないというのが今までの私が経験したことだったが、今回は全てがよい方向に出て正直言って信じられないぐらいだ。
4ヶ月の間に私の身体はいろんな状態を経験した。
また元気にしてもらったのだから、いよいよ大事に生きなくちゃいけないなぁと思う。
師走まっただ中の今日、私は立ち止まる。
立ち止まり、昨日までを振り返り、そして今日を確認し、また明日に向いて歩き出せる幸せを噛みしめる。
今年はまだ終わっていないが、私は何度もこの一年の中でやり直しをさせてもらった気がする。
今日もまた再出発。
何度でもやり直して、また笑顔を取り戻したい。
生きるとはそういうことなのかもしれない。
2010年もまた、私にとって忘れられない年になるのだろう。


投稿日:2010年12月14日

2010年12月14日

寒くなってきてから、ダンボはだんだん番犬ではなくなってきた。
「ピンポ〜ン」
チャイムが鳴ると同時にあんなに激しくワンワン吠えていたのが、私が気づいて布団から出る頃になってようやく、「あ、今チャイムが鳴ったんだ」という顔で布団から顔を覗かせていたりする。
それでもダンボにとっては大嫌いなチャイム。
寝ぼけていてハっと我に返り、<しまった!不覚にも俺は吠え忘れてしまった>と慌ててベッドから飛び降りてワンワンやっているが、遅いのである。
「い〜ぬは喜び庭かけまわり、ね〜こはこたつで丸くなる〜」
私が子供の頃に居たジャスという犬は外で飼っていて昔は犬はほとんど外にいたのだが、今は室内で飼われている犬がすごく多くなったことで、犬もこたつで丸くなるようになった。
ダンボはヒーターをつけるとピョ〜ンと飛んできてヒーターの真ん前を陣取る。ヒーターを消すと、毛布の中にもぐりこんでいつまでも寝ている。物音がしても猫の声がしても気づかずに寝ていることもあるので、防犯上「犬がいるから大丈夫」だと思っていたのは今は昔、もうあてには出来ないのだ。先日真夜中に物音がしたので「ダンボ!怖い!」とダンボを起こしたが、私が起こしてそれで目が覚めたダンボが「ワンワン」吠えるという本末転倒な関係になっていた。
ダンボ・・・・。
彼はすっかり番犬でなくなった。
それどころか彼は寝る時に私のそばにピッタリひっついて、暖を取る為に私を利用している。
まぁ、確かに布団に入ると既にあったかいのはいいわね。
「ただいま〜」と、帰った時にお迎えに来てくれないことにももう慣れた。
彼らは冬、番犬や飼い犬をやめて湯たんぽとして存在するようになったのであった。


投稿日:2010年12月11日

2010年12月11日

いつ頃からか我が家のプリンターはインクを替えようとする時に、インクカートリッジが真ん中に止まってくれなくなった。
手順通りインク交換をしようとカバーを開けるのだが右端に隠れたまま出て来ない、もしくはグイ〜〜ンと左に動いてそのまま戻って右端に隠れてしまうのだ。
たま〜に、インク交換の定位置に来てくれることもあるが、最近はそれも極稀となってしまい、インク交換の時は動くカートリッジを追いかけながらなんとかはめ込むという形でやりくりをしてきたのだった。おかげで指を詰めたことが何度あったことか。
今日もイエローインクがなくなったという表示が出た。
いつものようにインク交換の手順を踏んだが、今日はカートリッジは移動もしない。右端に隠れたまま知らん顔をしているのだった。
「出てきておくれ」
「今日はかくれんぼしている時間はないんだよ」
「お願いだから」
いつからかこのプリンターには、文字が妙ちくりんな色になったり譜面が赤紫になったりとイライラさせられることが多くなった。プリンターを使う時はたいていプリンターを使って何かをしなければいけない段取りがあるわけで、余裕を持ってプリントをすることはない。時間的にここで立ち止まると困るケースが多いのに、そんな中「プリンター」に関わると焦る事態が起こることが多くなっていたのだった。
「んもう!」
今日はイライラしたまま右端のインクカートリッジを強引に引き出してインク交換をした。
すると。
それを機会にプリンターはうんともすんとも言わなくなったのだった。
ケーブルを差し直しても電源を差し直しても駄目。私は私でイラっとして強引に主導権を握ったつもりだったが、プリンターの方が更に強かった。
「私、もうプリンターやめる!」
プリンターはプリンターをやめてしまったのだった。
「あっっっっ。あーーーーーーーっ」
困る。困る。どうしても今日は資料をプリントアウトしないといけないのだ。よりによって修理センターも休みの土曜日にプリンターは壊れてしまった。
まぁ、そろそろ寿命だったのかもしれない。
でも急に壊れるだなんて・・・・。メカに強い人ならここから自力修繕に取り組むのだと思う。私も若干の縫い物や編み物系なら自力修繕に取り組めるのだが・・・・。
自力修繕、無理。
近所にコジマ電気が出来たので10分だけ落ち込んで私は新しいプリンターを買いに行った。
機械に弱い人の家で土曜日や日曜日に機械が壊れた場合。
高い確率で新しいのを買いに行く。
土日に電気店にやってきて購入していくお客のうちの恐らく1割は、メカに弱くかつ「今日壊れちゃった」ヤケクソな人達なのである。


投稿日:2010年12月10日

2010年12月10日

3日続けて夜中に熱が出てしんどい。
最初は風邪かなと思ったのだがどうも風邪とは違うようで、夜中眠っているうちに熱が8度まで上がってそれで目が覚めるというパターンみたいなのだ。
人って寝ていると体温が上がるんだろうか。
そういえば眠くなった時って手があったかくなっていたりするなぁ。
そう思ってネットで調べたら、その逆で人は眠っている時に体温は下がるのだそうだ。そうか、冬眠する動物達も体温は低くなる。今までだって、私自身眠っていて熱が出たことがなかったからおかしいなと思って調べものをしているわけで、やっぱりこの熱は何かの原因で出た熱なのだ。
考えられるのは放射線治療か・・・。
今日の治療の時に先生に尋ねてみたら、放射線治療の副作用で熱が出るということは考えられるということだった。
今週は更に治療が辛くなってきている。寝込む程具合いが悪いわけではないのだが、なんだかずっとしんどいのだ。ハッキリ具合いが悪い状態も辛いが、このよくわからないイヤなしんどさに覆われるのも気分的には晴れないものだなぁと思う。
サボりたい。いや、もうちょっとの辛抱。
終わりが見えている治療だ。これが終わればまた元の薬を飲むだけの日常に戻れる。この幸せを数ヶ月前には考えられなかった頃があったのだがら、サボりたいだなんて贅沢な考えだなぁとまた思い直したりする。
一旦休憩をしてしまうと、私はその後ダラダラとしてしまう傾向にある。
頑張れ頑張れ。
サボりたいと思いつつなんとか残す治療もあと3回となった。


投稿日:2010年12月07日

2010年12月07日

朝、ゴミを出しに外に出たらお隣りの家のKさんが丁度玄関を出たところだった。
「おはようございます」
Kさんはご主人が亡くなられて今は一人暮らしをされている。多分70代ぐらいのお年ではないだろうか。小柄で最近は杖を使いながらの外出をされているので決して健康体ではないのだが、それでも私が入院をして退院をすると買い物に出なくていいようにと食べ物をいろいろ下さったり、「元気?」と尋ねてもらったりしていて、とてもよくして頂いているのだ。
たまに立ち話をすることがあって、今日はKさんに「お元気?」と尋ねられたところから話は始まったのだった。
「おかげさまで、すっかり元気に過ごさせてもらっています」
そう答えたのだが、昨日の夜中にKさんは実は私が具合が悪くなったのではないかと心配でドキドキするような出来事があったということだった。
「だったらよかったわ。実は夜中にね」
それは昨夜の夜中のこと。
Kさんの家の猫が台所で鳴いているので何かしらと台所に行ってみたところ、チカチカと電気が点いたり消えたりしているのが窓越しに見えた。最初は近くの電信柱の電灯が切れかかっているのかと思ったらそうではない。いつもは消えているはずの私の家の西側の窓から、このチカチカする明かりが見えたのだった。
<もしかして、具合が悪くなったのかしら>
<SOSのサインなのかもしれないわ>
今は夜中の3時頃。Kさんは急にドキドキしてきて、私の様子を見に行こうか、いや夜中にインターフォンを押しに行っていいのだろうかと焦っていろいろ方法を考えていたのだそうだった。
そして、しばらくオロオロしているうちに、「あら・・・・?」「もしかしたら・・?」
冷静に考えて「クリスマスツリーの明かり?」という風にチカチカの答えがわかったのだそうだった。
Kさんの勘違いだったという話で二人で大笑いしたのだが、まさか仕事部屋にもクリスマスツリーを置いて明かりをつけていたら、それが「SOSのサイン」に間違われていただなんて思いもしなかった。
私は2年前に急に動けなくなってしまい、救急隊員の人達に窓から侵入して助けてもらったことがあった。多分そういう前歴があったのでKさんはそのような心配をしてくださったのだと思う。
昨夜Kさんが胸を痛めてオロオロされていた時、私はと言えば完全に熟睡していた頃だ。
「私ったら、早とちりだから」
小柄なKさんが「アッハッハ」と大きく笑った。
私も大きく「アハハハ」と笑った。
あったかくて優しい話。
私は大人になり、子供もいないのでクリスマスの微笑ましいエピソードにはもう縁がなくなったと思っていたが、思わぬあったかくて優しいエピソードが今年不意にやってきたのだった。


投稿日:2010年12月06日

2010年12月06日

喫茶店に入ったら、近くのテーブルの男女の話し声が耳に入ってきた。
男性はうさん臭い感じの人で女性は綺麗な人なので、タレントさんとマネージャーさんなのかもしれない。案内された席がここだったので腰を下ろしたが、本当はもう少し静かな席がよかったと座ってからちょびっと後悔したのだ。
二人は会話からすると芸能界の人ではなさそうだが、クリエイティブ系の仕事らしい。恋人ではないが親しい間柄、男性の方が業界では先輩のようで、声が大きいので聞くつもりはないのだが、情報がどんどん聞こえてくるのだった。
女性の方は、今日の忘年会を欠席したいらしい。先方に欠席のメールを送ろうとしているのだが、その文面をどうしたらいいのかを尋ねていて、先輩の男性が文章を考えてあげている。
「先週末まで海外に出張をしていたのですが、帰国後体調を崩して・・・」と男性が言うと女性がそれを聞いて復唱をする。丸聞こえなので私も頭の中で復唱をする。
そうして、忘年会欠席のメール文が出来上がった。
のだが・・・・。
「あっ、やっぱり」
男性は今指示した文章をやめにしたいと言い出した。
「というのはやめて」
「海外出張から先週末に帰って来たのですが、その後体調を崩してしまい・・・」
と、男性が言い直し、それを女性がまた復唱をし始めたのだった。
<あんまり変わっていないんですけれど>
心の中でそうつぶやきながら、私も文章を復唱する。
「うん、こっちにしよう」
「うん、わかった」
と、これで終わったと思ったのだ。
だが、ここでまた男性が待ったをかける。
「いや、やっぱりそうじゃなくて、だな」
<どうするの?>
「先週末まで海外出張に出かけていたのですが、その後体調を崩し・・・」
<同じやん>
女性もそんなに素直に頷かなくてよろし。
細かい修正の意図がわからなかったが、その後何度か微修正を加え、メール文は出来上がった。筒抜けで私の耳に全部の会話が入っていると知らなかったろうが、最初の文と出来上がった文の違いが私にはわからなかった。クリエイティブ系のヒトの考えていることはよくわからないのだ。
その後二人はかなり長居をしていたが、めちゃくちゃよくしゃべる男性だった。
延々、俺の話ばかりをしていた。
私はこの喫茶店で書き物をしたかったのに、結局全然集中出来なかった。
店を出る時、女性に「忘年会に行った方がよかったかもね」と言いたかったがそんな隙間もなくそれでもまだ男性は俺話をしていたのであった。


投稿日:2010年12月05日

2010年12月05日

レッスンの休憩時間に代官山の辺りまで散策に行った。
休日の代官山はデートに来ている若者が多い。ゆっくりのスピードで歩いている人が多く、多分「今日は代官山に行く」と言って暮らしている街から電車に乗ってやって来た人達が多くを占めるのだろう。みんな服装がお出かけ風なので、地元の人なのかどうかが最近なんとなくなのだが見分けられるようになってきたのだ。
私も東京に来た頃には”お洒落雑誌に載っていたお洒落な店がたくさんあるお洒落な代官山に行く”というドキドキした気持ちで出かけたりしていたっけ。まだあまり来たことがなかった頃は、自分だけがお洒落な街にやってきた田舎者のような気分で浮いているように思えて仕方なかった。周りの人達も同じようにドキドキしながら、生活のにおいのしないお洒落な街を歩いていたかもしれなかったが、私にはそこに歩いている人達も、自分とは違う暮らしをしている人達に思えていたっけ。
「DEPT」に入って店内の品物を見て、私には”これって日常で誰かが着たりする服なの?”とカルチャーショックを受けたり、何の変哲もないTシャツがゼロが一つ多い値段だったり・・・。今も街の醸し出す雰囲気は変わらないが、私自身がようやくそういうムードにいちいち引け目を感じなくなったのだなぁと思う。
仕事の休憩時間に散歩をしている私。
でもレッスンが終わったら、帰り道にいつものスーパーで食材を買って家に帰るだけで、そこは生活感漂う私の家だ。
代官山はお洒落な雑誌で見て遊びに行ってみる街。
デートの二人と何組すれ違ったかな。
コーヒーにミルクを混ぜた時のように、みんな寄り添ってゆっくり街に溶けて行ったのだった。