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投稿日:2011年03月16日

2011年03月16日

都内のガソリンスタンドは今、ガソリン売り切れという札を出して休業状態の店が多く、開いているスタンドには給油待ちの車の列が長く続いている。
チョイノリは昨日ガソリンを入れて満タンにしたばかりで、私はあと100キロはスタンドに行かなくてもいい状態。電車の動きもよくわからないので、今日は都内3カ所の予定を少し距離はあるが原付で出かけることにしたのだった。
今日は私にしては遠出で全部回って帰って来たら都内7区を通る。走っていると、本当にガソリンスタンドはやっていない所の方が多い。それがどうしてなのかが私もよくわからないのだが、昨日ガソリンを入れてくれたバイトの男の子に尋ねたら、「もううちはあと少しで売り切れになります。タンクローリーはいつ来るかわからないんですよ。わかっているのは明日明後日は確実に来ないということです。」と言っていた。
昨日並んで入れたその店は、休業中の張り紙が出て居た。
ガソリン、次はいつ入れられるかわからないってことなのか。
大事に走らなくちゃなぁと思って、信号待ちの時に愛車を軽く叩いて<ありがとう、よろしくね>と心の中で声を掛けた。
それにしても、地震の日は運良くタクシーに乗ってすぐに家に帰ることができたし、スーパーに行った日も偶然まだ買いだめに人がやって来るピーク前だった。ガソリンを入れたのもたまたまガソリンがなくなったので昨日少し並んで入れたので、この数日ラッキーが続いている。
有り難いなぁと思って一日各所を周り、そして夜、寒いながらも何事もなく無事に家に着いたのだった。
だが・・・・。
私のツキはここで終わる。
バイクを敷地に止めようとしたら・・・。
えらくガソリンくさいのだ。
「えっ、えええ〜っ」
何だろうと思って見てみたら、ガソリンがドボドボと流れて出ている。
振り返ると道路からガソリンの道が続いていて、どこかからチョイノリはガソリン漏れ状態で家までやってきたということになるのだった。
ドボドボドボ。
ガソリンのにおいが充満し、前は水道橋の東京ドーム前で同じ現象にあたふたしたことがあったっけ。あの時は人がたくさん歩いていて、誰かがたばこのポイ捨てでもしたら爆発してえらいことになるとものすごく緊張したのだ。
今日も原付の何かが壊れたのだがそれがわからない。
しばらく動揺していたが、以前ガソリン漏れの時にはコックの元栓を締めるということで一時的にガソリン漏れの対処は出来たなと思い、コックを締めて漏れを止めたのだった。
やっぱりなぁ。
これでガソリンはかなりの量なくなった。
おまけに壊れちゃったら頼りの移動手段がなくなるということだ。
はぁ〜〜〜っ。
なんと残念な。
しかし・・・・.
このところラッキー続きで、その方がなんだか自分らしくなく逆に怖かった。
バイクが壊れて自分らしい状況になった。
すごく困った状況なのであるが・・・・、落ち着いたというか焦るというか複雑な心境なのである。


投稿日:2011年03月15日

2011年03月15日

昨日はホワイトデーだったというのに、ホワイトデーのイベントをやっているところは少なくとも私が知る限りではなかった。
ホワイトデーという言葉は誰の口からも出ない。テレビも新聞もラジオもツィッターでも出て来ない。
ホワイトデーに向けて綿密に準備をして、「さぁ、売り上げるぞ」と意気込んでいた人達が居たはずなのだが、その人達がどうしているのかも含めホワイトデー全部が消えてなくなった。
明日のことはわからないというのはこういうことなのか。震源地から遠いこの場所でもその片鱗が見える。
まだ船酔いのような気分の悪さが収まらない。
今揺れているのか、自分の平衡感覚が鈍っているのかそのどちらなのかがわからない。
天災でこんなに多くの人が亡くなってショックを受けるのだから、なおさら戦争なんてもってのほかだと今は身にしみて思う。


投稿日:2011年03月14日

2011年03月14日

余震がまだ続いているというのに、今朝は近所でユンボを使って何か取り壊し作業をしているみたいなのだ。
近くでこの作業をやっていると家が地震と同じように揺れる。
ガタガタガタガタ・・・・。
作業をしている人達の威勢のいい声が聞こえてくるが、その明るい声がなんだか無性に神経を逆なでする。
今日この作業はちょっといくらなんでも早いんじゃないの。
文句を言いに行こうかと思ったが、これも仕事だと思うとそこまでの勇気が出ずに、かといって家に居てこの揺れを我慢するのも気分がいいものじゃない。取りあえず家を出て用事を済ませるという消極的な対処で一時的に避難することにしたのだった。
しばらくして家に戻って来ると、隣りの家に様子を伺うようにして立っている男性が居る。来客かなと思っていたら男性は私に気づいて話しかけてきた。
「あのぉ・・・」
「裏で作業をしている建設会社の担当の者なんですけど」
「うちにお電話された方でしょうか」
そうか、私はどこに電話をしたらいいのかわからなかったのだが、多分この辺の住民の誰かが苦情の電話を入れたんだろう。さっきまで派手に暴れていたユンボが止み静かな昼間に戻っていた。
「いいえ」
電話をしたのが私じゃないとわかって、男性は急にホっとしたような顔で近づいて来た。
「いやぁ、ユンボを使って作業していたんですけど、地震の影響でこの辺の人達がどうもナーバスになっているみたいで」
一気にカチンと来た。
私は男性寄りの立ち位置ではない。お宅の言うナーバスな住民の一人なのである。だから同意なんて出来る訳もなく、そうしたら瞬時に”一言刺しておこう”とモードになっていた。
「私のうちもすごく揺れていますよ。怖いですよ。私も。」
冷たい声で思い切り睨んで言ってから家に入ったのだ。仕事だと言うのなら仕事が出来るように、どう進めたらいいかを考えるのも仕事だろう。責任者がそんななら私は同情もしない。少なくとも今日このタイミングでユンボはやめていただきたいのである。
その後、この辺りは静かになった。
余震は続いている。
足元が安定しないと自分がめまいを起こしているのか、船酔いなのかという感覚がして気分が悪い。
地面は基本的に揺れないということを前提に暮らしていた。
平和の条件の一つだったのだと思ったのだった。


投稿日:2011年03月13日

2011年03月13日

東日本巨大地震におきまして、みなさまへ。
いつも遊びにいらして下さってありがとうございます。
ご存知の通り、11日に起きた東日本巨大地震で多くの方が被災され、また多くの場所が被害を受けています。
地震の起きた丁度その時間、ライブの打ち合わせで都内喫茶店の二階に居たんですが、長くだんだん激しくなっていく揺れに「あぁ、大変なことが起きてしまった。このまま地球がどうにかなってしまうのかもしれない」と本気で地球の終わりを想像し、とにかくとても怖かったです。
現在まだ被害の甚大さが掌握しきれていない状況です。安否確認が取れた方でさえその後物資のない状態で過ごしておられることと思います。
今現在の時点で義援金寄付先としてこちらのURLが信頼がおけると思いました。ささやかながら出来ることを見つけて、私も被災地の方々の一日も早いライフラインの復旧、再びの平穏を願っています。
http://matome.naver.jp/odai/2129989217646489401
心よりお見舞い申し上げます。
吉川みき


投稿日:2011年03月12日

2011年03月12日

今日のレッスンは急遽なくなった。
家に居られる日は大好きなのに、今日は何もしたくない気分に覆われている。
災害の状況をネットやテレビでずっと見ている。


投稿日:2011年03月11日

2011年03月11日

4月のライブのゲストに来てもらう山本ふじこさんと高円寺で打ち合わせ。
高円寺の駅の北口から少し歩いた所に「ハティフナット」という可愛いカフェがあるのだ。木で出来た小さい可愛いドアを開けて軽くくぐって中に入る。森の中の秘密の小屋っぽい私のお気に入りの店なのだが、ギシギシと音がする木の階段を登って2階の席で待ち合わせをしたのが1時。
ライブの打ち合わせも終わり、いろいろな話でいつの間に時間が過ぎて、あらためてケーキセットでも頼もうかとメニューを頼んだあとのことだった。
<グラグラ>
横揺れを感じた。
「地震・・・」
東京ではこのぐらいの揺れはもう慣れっこになっているので、誰も騒いだりもしない。
私も、もう揺れが収まるだろうと思っていた。
<グラグラグラグラ>
揺れは収まらずどんどん大きくなった。
お店の人が逃げて下さいと言ったみたいだったが、私には聞こえず振り返るとお客さん達があわてて階段の方に逃げて行くのが見える。
でもなんだか私はそのまま動けなかった。<今何が起こってるんだろう。><建物がつぶれるかもしれないな><木造だからつぶれても命が助かるような気がする>
<でもこれは一体何の揺れ?>
たくさん考え事をしてもまだ揺れていた。大きな縦揺れが来ることを覚悟していたが、縦揺れはなく横揺れが大きいまま揺れていた。
隣りの席の赤ちゃんとママ2組と私達が残っていたが、全員が階段に向かった。
まだ揺れていた。食器が落ちて割れる音がし、すぐ近くで何かが落ちたドーンという音がした。
私は真面目にこの時思った。
地球が何らかの理由で終わるのかもしれない。急にこれで私達は終わるんだ。そう思ってカーっと頭に血が上った時に揺れはようやく収まった。
さっきドーンという音がしたのはスピーカーのうちの一つだった。ふじこさんが揺れながらも私をかばってくれていたが、スピーカーはほんの少し落ちる位置がずれていたらふじこさんの頭を直撃していたと思うとゾっとして、この幸運に感謝をした。
たくさんの人が外に出て呆然としていた。高円寺という街は割と物事に動じないマイペースな人が多く、少しのことで慌てない印象があったが今日は様子が違った。民家の大きなブロック塀は壊れて崩れ、また別の場所では鉢が割れていた。何がなんだかわからないまま二人でぼんやり歩いたが、神社の3メートルほどある大きな灯籠が3つぐらいに割れて横倒しになっていた。
ふじこさんと別れてから帰り道を歩き出すと、「また来たよーー」という大きな声がして道が大きく揺れた。昔の私だったら俊敏に対応していただろうが、今はみんなより体力がない。安全そうな場所で立ち止まり転ばないように平衡感覚を捉えるのが大変だった。
偶然タクシーがそばを通って乗せてくれて、それで家まで帰った。
家の中、ぐちゃぐちゃだろうなぁと思ったが、二つ陶器の置物が割れていた以外壊れたものはなく、思ったよりうんと家の中は変化がなかった。ただ犬だけが耳をペチっと後ろに倒したまま丸まって私の顔を睨むようにして見上げていたので、やっぱり恐かったんだろう。
地震ってどこにどんな大きさのものがやってきたのだろうか。
テレビをつけると想像もしていなかった被害が画面に映っていた。東京であんなに恐ろしかったのだから震源地に近い場所だとどんなに恐ろしかっただろう。
都内も電車が止まり、車も走れなくなったようだ。
最初の地震からずっと揺れている感じが収まらない。気持ちが悪い。
興奮状態が自分に続いている感覚がある。


投稿日:2011年03月10日

2011年03月10日

バスで座っていたら小さいおばあちゃんが前に立った。
「どうぞ」
席を立とうとしたら、すぐに降りるからということと「それより、声をかけてもらえて嬉しかったわ。ありがとう」と遠慮をされた。
だがおばあちゃんの言った「すぐ降りる」バス停は次の停留所ではなかった。
そして次の次のバス停でもなく、結局その次のバス停で私も一緒に降りることになった。
ちょっと罪悪感がよぎった。だったらやっぱり席を代われば良かった。というのも、私とおばあちゃんの会話に気づかなかったとなりの老婦人がしばらくしておばあちゃんが立っていることに気づき席を立ち、だがおばあちゃんが座らないので、結構混んだバスだったにもかかわらず隣りの席がポツンと空いていて、妙な空気が漂っていたのだった。
だが、おばあちゃんは「ありがとうね」と再度私に声をかけてくれた。私が立つと思っていたより小さくて弱々しい感じがした。なのでやっぱりまた胸がチクリと痛み、ならばせめて方向が同じならその間が私が護衛をしようと横について一緒に歩くことにしたのだった。
「どちらまで行かれるんですか」
「駅までよ」
「あ、じゃぁ一緒だ」
駅まで数分、じゃあ駅までは一緒に歩こう。
そう思ったのだったが・・・・。
少し一緒に歩いていると、おばあちゃんがすまなそうに私に切り出した。
「あのぅ」
「私ね」
「ちょっと急いでいるんで」
「先に行ってもいいですか」
<ええっ?>
まさかそんなことを切り出されるとは思いもせず・・・・。
咄嗟に「はい、もちろん」と答えたものの・・・・。
するとおばあちゃんは小走りで掛けて行ってしまった。私を悪人だと思って逃げたのではないと思うが、私と一緒に歩くと遅くなってしまうと判断されたのである。
おばあちゃんはそのまま走って角を曲がって見えなくなった。
私が角を曲がった時には、向こうの角も曲がったあとだったらしく、姿は見えなくなっていた。
<気がきかなくてごめん>
そう思ったが、ひ弱な小さいおばあちゃんに最後に振り返って「ごめんね」と言われたことが何よりもショックだった。
<一緒に歩けなくてごめんね>
・・・・・・ってこと???
おばあちゃんからしたら、私の方がひ弱に見えたのでしょうか。
むむむむむー。
おばあちゃん、あなた何者・・・・・?
あのひとはきっと今頃家に帰って、「ひ弱なおばあちゃんの着ぐるみ」を脱いでムキムキマンに戻っているのである。


投稿日:2011年03月09日

2011年03月09日

学校帰りの女子高生たちが、電車に乗ってきた。
自分が高校生だった頃もそうだったが、制服だった頃のおしゃれはスカートやブレザーの丈を変えることや、校則に微妙にひっかからない程度のリップを塗ること、髪型もそうだったがバッグは女子のおしゃれ度を表すアイテムとして、みんな流行に敏感になっていた。
最近の女子高生だと、ぬいぐるみストラップをつけている。あれをチャームと言うのか何と言うのか正式な呼び方は知らないが、みんなカバンに小さいぬいぐるみのキーホルダーをぶら下げているのだ。
私服姿の女の子達もそう。ある子はかばんに、そしてまたある子は携帯に。たいてい一人2~3個はぶら下げているのだが、たまに7~8個ぶら下げている子も見かける。そして数に関係なくぬいぐるみチャームのうちの1つは、ずず黒いというパターンが多いのだった。
子供の頃お気に入りのタオルやぬいぐるみがあって、どんなにずず黒くなってもそれがないと落ち着かないというお守りアイテムがあったという人が居る。だからずず黒いぬいぐるみストラップを見るたびに「一回ぐらい洗おうよ」と心の中でつぶやいたあとで、「いやいや、この子にとっての小さい頃からの親友のような存在なのかもしれないわ」などと訂正してみたりしているのだ。
小学生の頃、私は最大13個のぬいぐるみと一緒に寝ていた。数が増えた理由は、妹が「これ、もういらない」と愛情をなくしたぬいぐるみを不憫に思って自分のベッドに持って来たからである。13個のうちお気に入りの順番はあったが、当時はその心の中をぬいぐるみに察知されないよう、13個のぬいぐるみに毎晩おやすみの挨拶をしてから寝て居たという妙な気の使いようであった。
あぁ、あんなに気を使っていたのに。
みんなどこへ行った。
というより、あるときを境に私が見捨てた以外ないだろう。
ずず黒いぬいぐるみストラップは青春の思い出だ。
彼女達が大人になり、それからずっとあとになって昔話の際に誰かがふと話題に出す。
「そういえば、つけてたよねぇ~~」
「あった、あった!!」
と、盛り上がってそしてその後あのぬいぐるみをどうしたのか誰も思い出せないまま、次の話題へと移っていくのである。


投稿日:2011年03月08日

2011年03月08日

rikoちゃんのレコーディングでピアノを弾きに行ってきた。
ここは螺旋階段を上がった3階にあるスタジオなのだが、この螺旋階段が結構な難関なのだ。まずヒールの高い靴で行ったら後悔する。あとかなり狭く急な階段なので、ギターやエフェクターを抱えて上がるのも苦労するだろう。加えて電気もないので、最初来た時は一体どんな場所に行くんだろうとドキドキしたのだ。
で、息も絶え絶え上に上がると秘密の部屋のようにスタジオがある。そこがrikoちゃんのアルバムをプロデュースするマルさんのプライベートスタジオだ。
最初、rikoちゃんから「まるさん」という通称だけ聞いていた。
rikoちゃんが何度も口にする”まるさん”が、日本人の丸山さんの略の「丸さん」なのか、どこの国の人なのかしらないが、マルポーニョさんか何かの略の「マルさん」なのか。はたまたマルサンビッチか何かの名前の略の「マルサン」なのかわからなかったのだが・・・。丸さんはSOYSOULの丸本修さん、後で知ったが私が大学生の時の伝説のファンクバンド、AFRICAのベーシストの丸さんだった。
最近はプライベードスタジオで作品を作る人が多くなったが、丸さんのスタジオはツリーハウスみたいで上がるのはちょっと大変だが、木の上にある隠れ家っぽくて妙に落ち着く。
私の大好きなファンキーカッティングピアノで私を起用してくれた初のアーティストがrikoちゃんで、そのことをとても嬉しく思う。
rikoちゃんとはいつかちゃんとしっかりライブがしたいなぁと思っている。
月夜の下のツリーハウスでのレコーディングだった。


投稿日:2011年03月07日

2011年03月07日

先週の月曜日、「よければまたご用命下さいね」とタクシーの運転手さんから連絡先をもらったが、今日も雨が降ったので先週と同じようにしてタクシーで帰ることにした。
先週の運転手さんは、もし家に居たら自家用車で無料でお送りしますよと言っていた。その時に「自分には妻子がいるので安心して下さい。ただ道を覚えたいだけなんです」と運転手さんは言っていたが、やっぱり「わ〜い!やった〜!」という気分にはなれず、通りがかったタクシーに乗ったのだった。
昔、タクシーは車独特のにおいがしたものだった。
が、最近のタクシーは加齢臭がする率が高い。
あの懐かしいタクシーに乗った時にした独特のにおいはどこへ行ったんだろう。
今日の運転手さんはちょっと横柄な態度の男性だった。道順を私に聞いておきながら鼻で笑うのだ。私だって聞かれたから知っている道を答えたのだ。しかもそれは先週の運転手さんが教えてくれた新しい近道、同業者から教わった道なのだ。
「このルートで、行っちゃっていいのかな?」
あんたは試験場の教官か。
結局こまめに道案内をしなくてはならなくなり、先週覚えた新しい道を案内したら最後の方になって「踏切りで、ここはひっかかることがあるんだけどね」「今日は大丈夫だったみたい」と言われて私の道案内は終わったのだった。
合格したあとはややご機嫌だったおっちゃん。
そしておっちゃんは別に運賃をまけてくれるわけでもなく、別れ際はしっかりビジネスの関係なのであった。合格のおまけってものはないのか。
ただでさえ加齢臭で新鮮な空気が吸えず息が浅いのだ。
道案内テストはいらない。
今はナビがあるんだから、なおさらお客で乗ってテストされたくないのである。