月別アーカイブ : 2011年3月

投稿日:2011年03月06日

2011年03月06日

2011年の啓蟄は今日。
冬の間眠っていた虫たちが起き出してきますよという日なのだが、私はこの日がちょっと恐いのだ。
土の中から虫達が這い出てくる。サイズ的に虫ぐらいの大きさなので、見つけても脅威は感じないが、サイズが変わればもうそれは「ゾンビ」になる。昔「ミミック」という昆虫の化け物の映画があったが、私はテレビで宣伝を見ただけでだめだった。
やっぱり虫さん、目が覚めたのね。
という私にはなれない。
「う、うわぁああっ」
<小さいからまだよかったけど・・・・>
可愛いというより、やはり脅威の存在なのであった。
3月に入れば三寒四温でいよいよ春に向かう。
寒い日がやってきたとしても、春は来る。
庭のバラ達もたくさんの芽を出して様子を伺うようになった。


投稿日:2011年03月05日

2011年03月05日

近所の道路が今工事中で、100メートル程の距離がでこぼこの状態になっている。
ここを通る人は、徒歩でも自転車でも車でもいつものようには通れない。
私のチョイノリも山の中を走るマウンテンバイクのように、ちょっとモーグルな走りになっているのだが、普段何気なく走っている道路もそういえばいつの間にか舗装されているのが当たり前になっている。
今はでこぼこの道に出会う方が特別な状況だ。
ハンドルを取られながらもなんとか走り終えた。
私もトランポリン、歩く人もトランポリン、車までがトランポリン。
ビヨンビヨンと跳ねてまた普通のアスファルトに出る。
「あら?」
「普通に戻ったわ」
「もう・・いいんですか?」
「いいんですね」
一度捕まえられた昆虫が、何らかの理由で放される時の、<えっと、これでわたくしはこのまま逃げてもいいんでしょうか?>というような一瞬の間と同じような一瞬の間があって・・・・。
そして人も車も自転車も私も、スタコラサッサとでこぼこ道を後にするのであった。


投稿日:2011年03月04日

2011年03月04日

3月4日は「ミシンの日」なのだそうだ。
ミシン発明200年を記念して1990年に制定された日で、「3」「4」で「ミ」「シ」、語呂合わせでミシン。
私が子供の頃、家にあったのは足踏みミシンだった。右側の輪っかに手をかけて足元のペダルをタイミングよく、でも思い切りよく踏まないといけない。ちょっと気難しい気位の高い存在が、この足踏みミシンだった。
家庭科の授業は当時小学校では足踏みミシンを使っていた。思ったよりそれぞれのパーツが重くて、ちょっとためらって踏み込んだらすぐに動いてくれないし、かといって思い切って踏み過ぎたら、反動で思ったよりも力強く動く。さじ加減がつかめず、普通に縫えたなんてことはまずない。それどころか、ミシンの暴走で生地がぐちゃぐちゃに縫われてしまうことの方が多かった。
気位の高い気難しいご婦人。
「お前、私に命令しようってのかい。ふん、もっと精進してから出直してきな」
ちょっとだけ目をつぶって許してくれる、というようなことは全くなく私にとっての足踏みミシンはなかなか厳しい先輩のような存在だった。
その後電動ミシンが一般的になり、我が家にあったミシンも姿を消した。数年間は上部のミシン部分だけがなくなり、机として物を置く場所になっていたが、いつの間にかそれもなくなり、今では「レトロな机」として懐かしい足踏みミシンの下部がインテリアに取り入れられている雑誌やなにかで見かけるだけとなった。
おどおどしても駄目。
やみくもに勢いだけでぶつかっても駄目。
音符で言えばテヌートの感じだろうか。
中庸でいながらにしてかつ「これ」という力加減で接したら上手く動いてくれた足踏みミシン。
昔はどこにでもあった。
年上の厳しい先輩は、私が大人になりいつか消えて居なくなったのだった。


投稿日:2011年03月03日

2011年03月03日

誕生日を迎えた。
本当は私は生まれる予定日は3月2日だったのだそうだ。
東京の御茶の水にある順天堂病院で私は0時13分、予定日からちょっと遅刻して日付が3日になってから生まれた。
母方の孫嫌いだった祖母が言うには、私は生まれてすぐに手をしゃぶって毛むくじゃらの猿みたいだったらしい。そう教えてくれた時も、かなり悪意のある言い方をしていたが、母は6歳上の兄を死産してから身体を悪くしていたので、祖母は母が命がけ生んだ孫を余計な産物だと思っているところがあったのだ。
そんなことも知らず、私はうぎゃぴー!と泣いてこの世に生まれた衝撃を目一杯叫んでいたのだろう。
物心ついた時、私は相当やんちゃなガキんちょだったみたいだ。当時はあまりなかった豪華七段のひな人形飾りを祖父からもらったみたいだったが、私の背丈で届く範囲のものは牛車からタンスのミニチュアまで、パーツが壊れてセロテープで補修がしてあった。
死産の後、流産が二度あって私が生まれたということだったので待望の赤ちゃんだったのだと思う。私の記憶のない赤ん坊の頃の写真がいっぱいアルバムに貼ってあって、両親にとっての宝物だったんだろうなぁというのが今ではわかる。
母は2000年に亡くなった。
だからもう私が生まれた時のことを聞くことは出来ない。それが残念だ。
誰かの誕生日の日には、その日がどんな気温でどんなお天気の日だったかを想像してみるのが好きだ。時をワープして、どんな風景がそこにあったのか触れてみたいなと思う。
3月3日。今日は寒いけれどお天気は悪くなかったよ。
お祝いの言葉もたくさんもらえて嬉しかったよ。
オギャーとでかい声で泣いていた私と同じなのに、自分のどこにそのかけらが残っているのか全く感覚がない。
でも今日が記念日。
毎日を出来るだけ明るく、生き生きと過ごして行きたい。
出来るだけシンプルに。
今持っている幸せを握りしめて。


投稿日:2011年03月02日

2011年03月02日

女性は何故か「パンが好き」という人が多い。
私もパンが大好き。外出先で美味しそうなパン屋さんを見つけたらフラっと入ってしまうし、美味しいパン屋さんがあると聞けば、探しに出かけて行くこともある。
女性誌でもいつ頃からか「美味しいパン」をテーマにした特集が組まれたり、一冊まるごと特集号が発売されたりするようになったのだ。
今日は美容院で美味しいパン屋さんの特集号を見ていた。
実はちょっとだけ違和感があるのが、雑誌に取り上げられている「美味しいパン」と私の好みとが、微妙に違っているということなのだ。「ここのパンは高かった割りに、あまり美味しいと思わなかったなぁ」「ハード系のおすすめって聞いて買ったけど、なんかただ堅かっただけだったわ」という感想を持った店が絶賛されていたりする。で、自分が「ここのは美味しい!」と思う店がほぼ取り上げられることがないのだ。
今まで私も相当パンを食べて来たというのに!
パン特集を見たばかりに、本を閉じたあと自分のパンに対するものさしが間違っているということなんだろうかと、ちょっと落ち込むことだってある。自称「パン好き」には、自分の応援しているパンが取り上げられていないことがガッカリの大きな理由になるのである。
フランスパンならここ!というページに期待を寄せて眺めてみる。掲載されていないが、私は西荻と荻窪の間にあるパン焼き工房そーせーじのフランスパンはめちゃくちゃ美味しいと思う。
なのに、なんで載っていないの。
かわりによく雑誌に載っているそこから近い場所にある店が取り上げられている。
私はその店よりこっちが美味しいと思うのだけどなぁ。
今日見た雑誌はかなりたくさんのパン屋さんを取り上げていて、こういう雑誌や特集の時は必ずと言っていい程無視をされてしまうチェーン展開をしているパン屋さんまで掲載している。
わくわくわくわく。
<あのお店が出て来ますように>
小さく願いながらページをめくったが、私の大好きな阿佐ヶ谷駅改札前にあるイチオシのEdy’s breadは取り上げられていなかった。
何故。
ここのパン、めっちゃ美味しいんですよ。
何故、私の美味しいと思うパン屋さんは紹介されないのか。
あかん。このままでは私の心がつぶれてしまう。なら自費出版で自分の為に自分編集「美味しいパン特集」を組んだ方がよいのかもしれない。
美味しいパンが大好き。
最初の頃、パン特集と見ると「よーし。美味しいパン屋さんを開拓するぞ~」精神で飛びついていた私だが、今は自分の大好きなお店が載っていますようにと祈るようにページを開くようになっている。


投稿日:2011年03月01日

2011年03月01日

火曜日は資源ゴミ、不燃ゴミを出す日。
発砲スチロールって、何に属すんだったっけ。
火曜日の朝に家に来てくれている若いヘルパーさんのNちゃんに尋ねたら、世田谷区は杉並区とゴミ出しの区分けが違うんでわからないという返事だった。
そうだ。
前に世田谷の先輩の家に行って、「えっと、これは燃えないゴミでいいんですよね」と片付けの時にゴミの仕分けを聞いたら、やっぱり杉並とゴミの分別が違うということを話されたのだった。
杉並で燃えないゴミで分別するものが、世田谷の焼却炉だと焼却対応出来るらしく「燃えるゴミ」として出すのだそうだ。
先輩もNちゃんも同じことを言っていた。
ふぅ〜〜ん。そうなのか。
ゴミの相談は別の区に住んでいる友人にしても解決しないのか。
それにしても昔は黒いゴミ袋になんでも一緒くたに捨てていた。
最初の頃、分別と言われてもすぐに判断が出来ないので、ゴミを捨てるのになんでこんなに時間がかかるんだろうと負担に思ったこともあった。
それが分別に慣れたおかげで今度は「これは燃えるゴミとして捨てていいよ。」と言われると戸惑う。実家に帰った時も分別方法が違っていて、同じく私の家では「燃えないゴミ」部類だったものが「燃えるゴミ」の仕分けになっていて、ゴミ箱に入れる時に妙な罪悪感に覆われたのだ。
「杉並区ゴミ出しカレンダー」を押し入れから出して、答え合わせをする。
「発砲スチロールは、えっとえっと・・・」
「資源ゴミ!」
今日出すこの発砲スチロールは何に生まれ変わるんだろう。
もしかしたらまためぐりめぐって何か違うものになって私の家にやって来るかもしれない。
またおいで。
もしかしたら机の上にあるこのボールペンも、かつて別の形で家にやってきたことのある出戻りくんなのかもしれない。