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投稿日:2012年01月16日

2012年01月16日

留守中に荷物が届いていたようで不在票がポストに入っていた。
不在票に書いてある番号に電話をかけるだけで、また再配達してもらえるだなんて、便利な国だなぁと思う。
電話だけではない。
インターネットでも再配達の受付をしてもらえる。
なんて便利なんだろう。
もう夜も遅かったので、今日は電話も自動受付しかやっていない。じゃぁネットで申し込んでおこうか・・とパソコンから再配達の手続きを取ろうとしたのだった。
もちろん、初回なので会員登録をする。
ここで困るのが暗証番号の設定なのだ。一体私はいくつの暗証番号を持っているのだろう。最初に持った暗証番号は銀行のカードで数字の4けただった。が、その後「英数6文字以上」の暗証番号が登場して、一瞬混乱したもののようやくそれで落ち着いたと思ったら、「英数8文字以上」が登場し、それから「英数8文字以上、大文字も含む」が出現、直近は「英数8文字以上、小文字、大文字を使用」に当たり・・・・。
私の暗証番号は、このあらたな壁のおかげでその都度、暗証番号の変化形で切り抜けそれが逆に今度はどれがどれだったかが思い出せない状況になっているのだ。
最近私はこの自分の持っているそれぞれの暗証番号が重荷で仕方がない。似ている暗証番号は、思い出せないとき、すごい確率のパターンになっていてもう太刀打ち出来なかったりするのだ。
あぁ、全て清算してしまいたい。
もう一度一からやり直したい。
嗚呼・・・・。
メールソフトに暗証番号を記憶させていたが、それもメールソフトの不具合と共に去っていった。
便利な世の中なのに。
ネットで再配達を頼めたというのに。
また今晩寝たら暗証番号を忘れてしまう。
暗証番号に囚われている身となった今。
こんなはずじゃなかった。
便利なのに便利ではない。
私の場合、登録したその日だけが便利という会員登録制度なのであった。


投稿日:2012年01月14日

2012年01月14日

去年の年末にメールソフトが稼働しなくなってから困っているのだ。
放っておいたら勝手に直るというような自己治癒力はパソコンにはないので、どこかしら不具合を見つけて修復せねばならないのだろうが、いろいろ時間が取れる限り手を尽くしてはみたものの、復帰しない。受信と送信の何かしらが混乱を起こしているということろまでは掴めてはいるのだが・・・・。
う〜〜〜ん。
一旦白黒つけるのはやめにして、webメールという形でメールソフトを使わずにweb上でメール管理をする方法に切り替えた。
切り替えたのだが、今度はそのwebメールが私の中で上手く使い分けられていないので、こっちの頭が混乱してきているのだ。
かなりネットでも調べたが、同じ悩みを持って誰かに質問をしたりしているサイトなどを見つけても、最後その問題がどうやって解決をしたのかが書いていないケースが多く、確かに同じ状況で困っていた人は居るのだが・・・。その後その人が解決出来たのかもしくは解決はあきらめて別の方法でやりくりをしているか、それともパソコンを捨て原始人に戻ったのか全く消息がわからないのも気になるところだ。
次にパソコンを買い替えたら解消するのかもしれない。
アドレスブックがリンクしないおかげで、メール一つ送るのも手書きぐらいの時間が掛かっている。
テレパシーが使える時代になったらいいな。
あぁ。春はまだか。
ただ今我が家のメールソフトは冬眠中、なのだ。


投稿日:2012年01月13日

2012年01月13日

13日の金曜日。
ホラー映画が嫌いなのだ。だからもちろん「13日の金曜日」シリーズは観たことがない。呪い物も嫌いだし、スプラッター物も絶対にいや。子供も観られる映画だって、後半のクライマックスあたりに来る”もう一難”の辺りは嫌いなのだ。DVDなら早送りをして、大雑把な流れを知ってから巻き戻して恐る恐る観ているので、本当にいやなんだと思う。
が、
「わかるわかる!」と言ってくれる人に出会えたことがない。
変わってるぅううう〜と言われるのがオチなのである。
んなあほな。
お金を払ってまでしてわざわざあの恐怖を味わいたいだなんて、私には考えられないのである。
しかも面白がれる人が居るだなんて信じられない。
ストレス負荷にすれば、ホラー映画を観たら私の場合相当なストレス負荷がかかるだろう。また主人公が危険な方に吸い寄せられて行ったりと余計なことをするのも見守らないといけないのだ。
心臓に優しい映画が好き。
映画に「わ!」と驚かされるようなことは、私の日常には要らない。
もしも、カーテンを開けてジェイソンが居たら・・・・。
腰が抜ける。
怖い映画は私の人生に要らない。
あぁ、つまりは私は人生に刺激がいらないということか。
カレーも辛さは普通でよし。
激辛にチャレンジするようなことは一生ないだろう。
セールス、勧誘、ジェイソン、お断り。
穏やかな13日が何より好きなのだ。


投稿日:2012年01月12日

2012年01月12日

音波振動歯ブラシを購入してから半月以上が経った。
今までずっと手で磨いて来たし、以前歯医者さんにも「電動歯ブラシって効果はどうなんでしょう?」と尋ねたところ「だめですね」とあっさり言われたことがあったので、なんだか続かないかも・・・と思っていたのだが、すっかり歯磨きに対する考え方が変わったのだ。
私の感想としては・・・・。
使ってよかった。もっと早くに使えばよかった。
である。
どの歯も、歯磨きを終えるとつるつるになっている。奥歯の裏側のつるつるには自分でもびっくりしたし、それにつるつるを舌で触るとなんだか気分がいい。少なくとも以前の自分の磨き方より、電波振動歯ブラシの力を借りるのが私にとってはいいということがわかったのだ。
たった数週間で、もう手磨きに戻れなくなってしまった。
だって実家に歯ブラシを忘れて家に帰ったことを知った時は、携帯を忘れて出掛けたような心細い感じがしたし、実際に家に送ってもらってまた歯ブラシが手元に戻って来るまで落ち着かなかった。
歯磨きがこんなに楽しかったとは。
今は歯磨きが楽しくさえなっている。
さぁ、歯磨きしましょう。
おかげで今ではどんなに眠くても歯磨きを”はしょらなく”なった。
使い勝手のいいものは、人生を変える。
シュレッダーも置き場所を変えてから稼働率がグンと伸びた。
こちらは使い勝手を再考し、生活をちょっと変えてくれた。


投稿日:2012年01月12日

2012年01月12日

「ラジオほっこり洞」第54回配信開始しました!
「Radioほっこり洞」http://d-dealer.net
http://d-dealer.net/radio/myrdhkd1201.mp3
★Internet Radio Station では全番組がMP3形式での配信となり、iPhone/Androidで標準ブラウザから視聴いただけるようになりました(Androidについては機種によっては再生できない場合もございます)。
podcastでもお楽しみいただけます☆


投稿日:2012年01月11日

2012年01月11日

バス停に立つと、私はバスがやってくる方向をバスが来るまでジィ〜〜〜っと見つめている。
こんなに自分が健気な姿でいるのは、バス待ちぐらいの時しかないのではなかろうか。
まるで飼い主が消えていったスーパーの入り口を、ジっと見つめる犬のように、私はバスが来る方向を見ているのだった。
バスはいつもカーブの向こうからやって来る。
これはどこのバス停でもそうだ。カーブの向こうから「バスらしき」乗り物を見つけ、そして自分の乗るバスであることを認識し、”やった〜!ついに来た!”と胸が小躍りするのである。”バスらしき”は近づいて来るとトラックだったり、宅配業者の車だったり、引っ越しの車だったりして、バスでないことが意外にあるので、やはりバス待ちの間の私はお留守番の犬と同じような心境で遠くの見つめているのだろう。
カーブの向こうから、まだ見ぬ未来がやって来る。
タクシーや乗用車、トラックにお仕事の車にバスに・・・。
私が待っている一台が必ずその中にあるのだ。
夕日の射すバス停は少し寂しげで、だけどあたたかくて。
あぁ、あれが私の乗るバスね。
待ち人来たる。
待っていたら必ず迎えに来てくれるんだね。
ある日のバス停にて。


投稿日:2012年01月10日

2012年01月10日

い・ち・ごの季節ぅう〜〜。
イチゴの季節がやってきたのだ。果物で一番好きなのがイチゴ。だから少し前からスーパーにイチゴが並び出してから、イチゴとの再会に喜んでいる。
だが、
「イチゴが大好き!」とは、何故か公言しにくい。
なんとなく、なのだが、
イチゴというのはちびっこや少女や若い女子までは「大好き!」と言うと微笑ましい。のだが・・・、私ぐらいの年齢になると「大好き!」と口にすると違和感があるように感じてしまうのだ。「柿」「ざくろ」「桃」「いちぢく」あたりのちょっと落ち着いた果実が似合うように思う。人もシワシワになっていき、好きな果物もシワシワな感じが相応、女性は最後は「びわが好き」になるというイメージがあり、イチゴが好きとあまり無邪気に言えていないのである。
だが、イチゴが大好きなのだ。
イチゴは私が子供の頃には毎年5月頃しか食べられなかった。我が家では贅沢な果物であり、大きい粒のイチゴの場合は牛乳をかけてつぶして食べることは許されなかった。どんな食べ方をしたっていいじゃないかと子供心に反発心が沸いたが、母の謎のしつけにより、牛乳がけをしてもいいのは「小粒のみ」というルールがあったのだ。
イチゴを好きに食べられたらすごく嬉しいだろうなぁ・・・。
と、思っておった。
それが今では冬から食べられるのである。
長い片思いの末に、今やイチゴを自分の財力で好きなだけ手に入れられるようになり、そうして私の冷蔵庫にはイチゴが常備されている。
店頭に並んでいる時は、普通に購入をし、季節が終わる頃には消費を控えつつ、冷凍にしたイチゴでスムージーを作ったり、冷凍イチゴをかじったりして楽しむ。備蓄のイチゴがそろそろなくなっちゃう・・・とやや寂しくなって来た頃に、また店頭にイチゴが並ぶというサイクルをここ数年続けている。
今年もやってきました我が家のイチゴ祭り。
ダンボもすっかりイチゴ好き。
イチゴを私が冷蔵庫から出すと何故かしら、微妙な音を聞き分けてダンボがものすごく盛り上がってアピールをしてくるので、ウチでは鍋を囲んで家ん中が明るくなるというのではなく、イチゴで一気にサンバカーニバルのような家ん中になる。
お祭り、楽しいね。
「ダンボ、イチゴ食べよっか」
イチゴの季節がやってきた。


投稿日:2012年01月09日

2012年01月09日

ある頃からウッドデッキのある窓を開けたらダンボがピョーンと外に出るようになったのだ。
それまでは、外の様子を伺ってからのんびりと外に出ていたダンボ。豆まきで撒いた豆が未だにどこかに落ちているんだろうか。それとも鉢植えの砂をまとめたので肥料か何かを見つけたか。
窓が開いたら、ワクワクする気持ちを抑えられないかのようにして飛び出るダンボ。お前の行動は怪しいですよ。人間だったらすぐに浮気がバレるでしょう。
たまに口をもぐもぐしながら部屋に帰って来るので、何か食べているのではないかとは思っていたのだったが、ようやく、その「食べ物」が何だったのかを私は今日、知ることになったのであった。
「そっちは行かないの!」
土をほじくる癖なんて前はなかったのに、ダンボが前足で土を掘るようになった大きなプランター、豆まきの豆なんてやめなさい。お腹を壊しちゃうから。
と、思ってウッドデッキからプランターの方に行ってみると・・・・。
あれれ!!うそ!!
ホヤホヤと思われる動物のうんちを発見したのだった。
「えぇーっ!?」
私の驚きの声で、ダンボは自分の宝物が取られると察知したのか、急に狩りモードになり身を低くしたままうんちの1/3をゲットして、そうして勢い良くハグハグと食べたのであった。
「ええーっ?」
何なの。どういうことなの。
そもそもコレ誰のうんちなのですか。
ダンボがしたやつなのですか。
そして今お前は確かに食べましたね。
ショックとパニックになりながらも、残った2/3のうんちを園芸用の柄の長いシャベルで夢中で土の中に埋めたのだった。
いや、埋めただけじゃだめだったわ。
今後二度とうんちをほじくり返さないことと、それから脱糞の犯人がもう二度とゆっくりうんちが出来ないようにシャベルを置き、物置状態にしてなんとかその場を凌いだのだった。
部屋に入ったら、ダンボはシッポを振っていた。
そうして自分用のトイレに行き、でっかいうんちをしてからいつものように「うんちが出たよ!」とはしゃぎながら私に報告に来たのであった。
お前・・・・・。
ということは、あのうんちは近所のねこの仕業なのだ。お前があんなに日々嫌って吠えまくっている天敵のねこのうんちを食べていたんだよ。いくら食い意地がはっても、敵のうんちを食べるのは情けないとは思わぬのか。
知らなかった。
もうダンボとチューしたくない。
いくら愛するダンボでも猫糞を食したと知ると、微妙な気分になるのだった。
すると私の心が伝わったのか、今日のダンボは私と少し距離を置いたまま一日を過ごしていた。一緒にいるのに愛のない部屋ってこんな感じなのである。
お前が明日、食べた猫糞を含めたうんちをしたら、それで水に流そう。
でも今日はもう絶対にチューしません。
じゃぁ、もう遅いし。
一緒に寝ようか。
布団に入っても、ちょっと温度が低い私達。
微妙に愛がないまま、単体で寝るのはお互いさぶいという計算だけで一緒に布団に入る愛のない二人なのであった。


投稿日:2012年01月08日

2012年01月08日

犬猫の里親譲渡会に行った。
何年か前から動物愛護団体ミグノンのホームページに時々やってきていたが、諸事情を考えるとすぐに里親になれるという自信もなく、ほんの僅かながら、動物愛護団体に物資を送ったり毎月心ばかりの寄付をすることが、私に出来ることだった。
一緒に暮らした動物達から、私はたくさんの幸せをもらった。
触れると温かく、一緒にいるだけで寂しい心を癒してもらったことがどれだけ多かっただろうか。
物心ついた時から動物好きだった自分には、動物を虐待するだなんて理解出来ないし絶対に許せない。悲しいニュースを目にする度に怒りが沸き、飼い主の居ない動物達が殺処分されてしまうことがなくなって欲しいと数年前から真剣に考えるようになった。
単身者には譲れないという規則があるところもある。しかしここの譲渡会は単身者でも後見人を立てれば譲渡可能だという。
今のネックは、賃貸の条件がチワワ一匹ということと、ダンボが許してくれるかどうかなのだが、賃貸の条件については交渉可能だということがわかってきた。
ダンボも売れ残りのワンコだった。
<私がなんとかしないと、この子はどうなっちゃうんだろう>
そんな思いにかられた時、どうも冷静さを失って連れて帰ってきてしまう癖がある。そして家に連れて帰ると、恒例のアニマルブルーになって、<どうしよう、無責任な行動をしてしまった>と落ち込むのだ。
譲渡会は毎月第2日曜日と第4土曜日に開催されていて、土日に仕事が入っている私にはお正月休みの今日が唯一の譲渡会に行くチャンスだった。
個別のケージの中にはうさぎが数羽、猫は10匹ぐらい居て、HPの写真から成長して成猫の大きさになっていた。犬は数頭、プードルや柴犬、ミニチュアダックスなども居る。都会では血統書のついた犬でも関係なく捨てられているのだ。
今日はすぐに連れて帰るとは言えなかった。預かりのボランティアさん達がとても優しい人達だったので、少なくとも今日譲渡会にやってきていた動物達は、今仮の家で幸せにしているのだと思うとホっとした。
譲渡会の日に、今日みたいにまた時間が作れたら尋ねてみたい。
自分に責任を持って出来ることを見つけていきたいし、この輪を広げて行きたい。


投稿日:2012年01月07日

2012年01月07日

昨年に流行ったドラマ「家政婦のミタ」を今観ているところなのだ。
視聴率もよかったし、ツィッターでも「今日のミタが楽しみ〜」などミタ関連のつぶやきが多く、見そびれちゃったなぁと思っていたら全話録画をしていた人が居て、その人のおかげで今全話を観ることが出来ている。
遅ればせながら、私もみんなが話していたミタの話題が出来るようになったのだ。
ドラマはまだ面白くてたまらないというところまでは至っていないのだが、可愛いのが末っ子の「きいちゃん」だ。ちょっとひらべったい顔で一生懸命お話をしているきいちゃんが可愛くて、ミタ仲間にiphoneのメッセージ機能で「きいちゃん、可愛い〜」と書いて送ったのだったが、今日送る相手を間違えていたことがわかった。
送った先は「きいちゃん」が誰なのか多分わかっていないであろう、ドラマを見ていそうもない友人だったので、私のメッセージはきっと意味不明だっただろうが、とにかく相手が目上の人でなくてよかった。
それにしてもメール程取り戻しのきかないものはない。
ミタさん、笑わないのかなぁ。
ドラマの内容で一番気になるところが筋書きではなく、ミタさんの笑顔に辿り着けるかどうかになってきた。
笑顔って大事だなぁ。
目の前の人が笑顔かそうでないかは結構大きなことなのだと思う。
今年、どれだけ笑顔になれるかな。
目の前の誰かの笑顔が見たい。
ミタさんの笑顔も見たい私なのである。