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投稿日:2012年02月18日

2012年02月18日

日差しが「春」を感じさせるようになってきたら、春の花の準備にかかりたくなる。
上階に住んでいた頃は、春の花の準備は晩秋に済ませ冬の間も適度に花を咲かせてくれていた。だが、今の暮らしは1月2月に春の花が植えられない日差しなので、3月になってようやく苗の種類が増えている状況だ。
2月に入って日差しが春を思わせる日が増えて来ると、ムクムクっと心も目覚めてくる。
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寄せ植えはあまり今までしなかったが、今年は寄せ植えを多く作ってみた。
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植え始めは苗も貧相で地味だが、これが4月を過ぎるとなんとも華やかに咲いてくれる。一度ガーデニングを始めた人がやめないのは、苗から育てる歓びが忘れられなくなるからなのだろう。
今は私も店にある出来上がった立派な寄せ植えは買う気がしない。自分で育てたいのだ。そして実際に、太陽と水があるだけで貧相な苗が見る見るうちに本当に立派に育ってくれる。
毎日寒いけれど、春がきっと来るのですね。
春の苗達は、次の季節が必ずやって来ることを知らせてくれる、我が家のメッセンジャーなのだ。


投稿日:2012年02月16日

2012年02月16日

私がダンボによくするイタズラがある。
三連か四連になったハムやベーコンのパックについているシールを剥がした時に、ダンボの身体に貼ることだ。
ダンボは私がキッチンで支度をしていると、必ずと言っていい程私の足元をウロウロして何か上から落ちては来ないかと待っているのだ。
それが時々うっとおしい。
調理がスムーズに行かないじゃないか。
だが、このパックについているシールを貼ると本人はどうも<気持ちが悪い>らしい。食べ物への執着がちょびっと薄れて足元にしつこくまとわりつくのをやめるので、最初はちょっとしたイジワルな仕返しだったのだが、いつからかこれが私の楽しいイタズラになったのだ。
シールはだいたい背中にひっつける。
敵ももう慣れたもので、私がシールらしきものを手に入れたのを知るや否や、俊敏な動物となり自分の陣地に逃げて行く。運悪く背中にひっつけられた時は、そのまま10分〜20分ぐらいハムのシールをつけたままそこに居る。
「お買い得!増量ロースハム」
と、書いたシールを貼られたままヒーターの前でくつろぐダンボ。”ふふふ、ハムなんだわ。この仔今・・・”と一人笑う地味な楽しみ。そしてしばらくすると、ダンボが”やっぱりうっとおしい!”ということで背中のシールをはぎ取り床に捨て・・・・。
そして床のシールを拾ってゴミ箱に捨てイタズラは地味な終わりを迎える。のであった。
今日はいただいたお菓子に貼ってあったシールをおでこに貼ってみた。
ぴたっ。
<あ、今なんかつけただろう!>
あら?バレちゃった?うふふ。
何故、おでこに。
丁度いいサイズだったから。
今日は顔を掻くようにして取るのかしらん。そろそろうっとおしがるんじゃないかしら。
しかし。
ダンボはおでこにシールを貼ると、今度は背中の時のような反応をしないのだった。人間だったらなんとなく視野に入って、背中に何かついているよりもっと”うっとおしい感”があると思ったのだが、予想は外れダンボはシールを眉間に貼ったままいつまで経ってもシールのことを気にするような風がなかった。
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<お前、シール貼ってあるんだよ>

<気にならないの?>

<ねぇ。かぶれちゃわない?>

自分でしたイタズラなのに、ずっとシールを貼ったままの犬がそばにいると今度は貼った私が”気持ちが悪い”。
ぺろ。
っと剥がして・・・。
ゴミ箱に捨てる。
なんなんだろう、この敗北感は・・・・。
本人が気づかないまま終わるイタズラ程、地味〜なイタズラってないのである。


投稿日:2012年02月15日

2012年02月15日

また同じ夢を見た。
ここ2年ぐらいだろうか。シチュエーションは少しずつ違うのだが、繰り返し同じ内容の夢を見るのだ。
夢の中の鍵になるポイントが同じなので、きっと何か意味があるのだろう。
でもそれが何なのかがわからない。だから目覚めた後に「また、あの夢か」とちょっぴりブルーになる。少なくともすごくいい夢ではないような気がするからだ。
私は夢の中で実家に帰っていて、亡くなった母を含め何事もなく実家で過ごしている。なんてことない日常なのだが、途中でふと元の自分の暮らしのことを思い出すのだ。そうしてそこからは「今日こそ、帰らないと」と焦りが沸いてきて、今日こそ帰ろうと行動に移そうとしている夢なのだ。
不思議なことに、帰らないと!と想いを馳せる自分の家は「東京」にはなく、何故か毎回「京都」にある。
そして毎回「埃だらけになっちゃっているだろうなぁ」と、思っているので数ヶ月ぐらい家を空けてしまったらしい。
父が出てくることもあるが、母がやや中心人物的。実家は本物の実家だったり知らない家だったりで、私が住んでいる家自体は夢の度に変わる。そして夢の途中までは登場しない。急に思い出す我が家は比較的新しい建物のワンルームだったり、おんぼろなアパートだったり、だが一人暮らしでやや狭い部屋の様子。夢の中ではダンボは存在せず、しかしいつも乗っているチョイノリは出て来るという、どうでもいいような設定だけが、同じ夢つながりの時に一致しているのがまた引っかかるのだ。
何に気をつけたらいいんでしょうね、お母さん。
確かに東京に出てからは実家に帰ると、東京に戻りにくい後ろ髪引かれるような雰囲気は実家に漂っていたっけ。
携帯がこーんなに進化した世の中。
あの世との電話が繋がってももう驚かない。
もしこれが夢のお告げで母からのメッセージだとしても、どうも私は正しく分析出来ないのだ。
圏外がなくなって”どこでも電話”が出来たらいいなと夢から目覚めるといつも思うのである。


投稿日:2012年02月14日

2012年02月14日

杉並区の子宮頸がん検診に行ってきた。
2月末までなので、1月の末に予約を取ればいいと思っていたら乳がん検診の方は2月末までもう予約がいっぱいですと言って3軒断られたので、最近は検診を受ける人が増えたのだと思う。4軒目の病院で予約が取れたのでそれはまた別の日に行くのだが、今日の検診は河北検診クリニックという高円寺駅前のビルに行った。
河北病院は阿佐ヶ谷にある総合病院で、検診クリニックが別に高円寺駅前にあるようで、2フロアを使っての検診施設になっていた。
着替えを済ませて私もラウンジで待つ。リラックス出来るようにかラウンジもゆったりしていて、雑誌がありテレビもあり、それぞれ検診を受けに来た患者さんたちが検診着を来てくつろいでいた。
持っている番号札の番号が呼ばれたら、今度は下の階へ移動してそこのラウンジで待つ。番号を呼ばれた数名で移動をして、園芸雑誌を数ページめくったところで診察室に案内をされた。
検診は初めてじゃない。痛くも何ともないのに検診で何か異常が見つかったらどうしよう・・・という不安はよぎる。正直言うと、本末転倒だが、「自覚症状もなく毎日穏やかに過ごせているのに、病気が見つかったと言われたらこの穏やかな毎日がくずれてしまう」ことが怖いのだ。
でも検診は各自にとって必要なことだと思う。がんを患った人達は「検診は必ず受けて欲しい」と自身のブログで、メディアを通じて、会ったことのない私達に向けて真剣に訴えてくれた。少しでも多くの人達におだやかな生活が送れるようにと病床から訴えかけてくれたのだ。
所見では異常なしと先生から言われた。2週間後ぐらいに正確な検査結果通知が届くから今日はこれで終わりですと言われて帰ってきた。
検診はしっかり受けなくては。
いつの間にか私の胸にも自覚が芽生え、そして会ったこともない先輩達に感謝をする。
私も生きている時間の中できっと誰かのお役に立てるよう、このバトンを形を変えてまた自分に出来ることで繋げて行きたいのである。


投稿日:2012年02月13日

2012年02月13日

ごめんくださいませ。
おばちゃんはおばちゃんでも、品のいいおばちゃんが使う言葉だ。
子供の頃にはふぅ〜んという感じで聞いていたが、私も気づけばこの「ごめんくださいませ」を使う年頃となった。
しかし、まだ私はこの言葉を使ったことがないのだ。
使い慣れるどころか、「品のいいおばちゃんの言葉づかい」として時が止まっておった。
いかん。
このままでは私は「品のいいおばちゃん」枠から外れてしまう。
まずは「ごめんくださいませ」が言えないことにはあかんやろ。
と言っても、いきなり友達の電話で使うのは変だろう。
「ほんじゃまたね〜!」「ふぁ〜い」的な会話しかしていない。あぁ、ということは私の友人達も「ごめんくださいませ」が使えないということなのか。
まったくもう。
最近のおばちゃん達は。
いつまでも女子気分のままでいかん。
よし、では私だけでも抜け駆けで品のいいおばちゃんになってやろうじゃないの。
丁度いい練習材料として、宅配の不在票が手元にあった。今日、今から私はクロネコヤマトに電話をして荷物の再配達のお願いをするところなのだ。
ドライバーへの直通電話でなく、コールセンターにかけて女性の窓口の人と直接しゃべって、そこで早速トライしてみよう。そう、やっぱり実践を積むしかないのです。
そうしてコールセンターの女性に電話をし、再配達の手続きを終えて・・・。
さぁ。では行ってみよう!
「それでは、ごめんくささいませ」
初回、失敗。上手く口がまわらず単語が正確に言えなかった。
「ごめんくださいませ」って・・・。
ちょっと面倒臭い、遠回りな言い方であまり個人的には好きにはなれんが。
でも、
いくつになっても何かを新しく始めるって素敵なことね。
今日、私は「ごめんくださいませ」デビューをしたのである。


投稿日:2012年02月11日

2012年02月11日

アウルの新しいアルバム「流星28号」の発売記念ライブに参加した。
ゲストの我那覇美奈ちゃんと会うのも久しぶり、相馬裕子ちゃんも今日は一緒、なので今日は出演者が私にとってきさくな間柄の人達ばかりなのだが、15〜16年振りに一緒に演奏をするTOY森松くんとの再会もとても楽しみにしていたのだ。
一昨年に長くアウルに携わって来られたドラムの五十川さんが亡くなって、ずいぶん喪失感に覆われていたと思う。それを越えての今回のアルバム。ライブで一緒に演っていた曲も五十川さんは参加してはいないが収録されているので、ちょっとだけこの何年間かを思い出させられたりもする。
また会えて嬉しいし、また一緒に演奏出来て嬉しい。
ゲンタくんの歌の演奏がどうして楽しいのかと言うと、いつも「身を預けてもらえている気がする」からなのかもしれない。私が間違えようがちょこっとアプローチがおかしかろうが、気にせずその中で歌ってくれる。もし演奏者が私でなくてもそう出来る人なのだ。自分の世界の足元がかたまっている人なのだ。
だから自分の引き出しを使って目一杯コーディネイトを考えるというやりがいを与えてもらっている。そして私は自分が歌う立場になった時には、ゲンタくんみたいな立ち方でいたいなぁと思わされるのだ。
今日はライブの構成の中で一曲、自分の曲を歌わせてもらう場面があった。
「せっかく久しぶりに一緒に演奏するのなら、森松くんに叩いてもらったら?」と会社のY氏に言われて、初めて「あぁ、そうだったわ!」と急遽森松くんの知らない「忠犬ハチ」を何の資料もないままリハーサルで合わせてもらった。
本当に音を一緒に出すのは久しぶり。
だけどなんなのだろう。この安心感は。
私は弾き語り中、ぽぉおお〜〜ん。と、音を放って「間」を取るのが好き。
いつものようにぽぉおおお〜んと放って余韻を持っても、森松ちゃんだと次の一手でピタっと合う。
こんなに時間が開いたというのに、しっかり合わせてくれる森松ちゃんになんだかじぃい〜〜んとしたのだ。
アウルのライブには当日、デビュー作品からの音楽プロデューサーの井上鑑さんが急遽飛び入りで演奏をして下さることとなり、これまた懐の広い鑑さんの音楽人としての演奏力やお人柄に感動することとなった。
鑑さんに「アウルをこれからもよろしく頼むね」なんて声もかけていただいた。
恐縮しながらもとっても嬉しかった。
血のつながりもないのに、家族でもないのに、最近「この人が居なくなったら、きっととても悲しくて寂しくなるだろうなぁ」と思う友人知人が切実に増えている。
時々
人間関係が面倒臭くなるような時はある。
でも、最近は人とのつながりが大事な宝物であることを、きゅぅ〜んと胸の辺りで実感することの方が多くなってきている。


投稿日:2012年02月09日

2012年02月09日

毎日、寒い日が続いているがふと日差しが春に近づいた気がしたので、近所のホームセンターに苗を見に行った。
うちは冬の間、日当りがあまりよくないので春の苗を植えるのはもう少し待った方がいいのだが、ビオラやノースポールはそろそろ買ってもいいかなぁと思って店内をウロウロしていたのだった。
冬の鮮やかな花、ジュリアンが並んでプリムラなど冬から春にかけての花が置いてあり、いい香りのするストックの苗もある。ストックは初めて自分が種を蒔いて咲かせた思い出の花だ。それからパンジー、ビオラなど春にピークを迎える花の苗があって、チューリップやクロッカス、ヒヤシンスなどちょっと贅沢な球根グループもある。
やっぱり早春は苗の種類が多くて賑やかだ。
と、思っていたら店のはじっこに朽ちた鉢物コーナーがあった。
クリスマス頃、ここで4000円ぐらいで売っていた立派なシクラメンがもう時期を越えたからだろう。210円の値段になっていた。
売り物としてはもう売れ残りになるだろうが、それでもシクラメンはゴールデンウィークぐらいまで頑張って咲いてくれる息の長い花なのだ。
動物でも植物でも、どうも私は「売れ残り」に突然母性が沸いてきてしまう傾向にある。
春の苗を見に行ったはずが・・・帰りにシクラメン3鉢を積んでチョイノリでヨロヨロ運転で帰ってきた。
かつて、長い入院となった年の春。シクラメンはその前の年の晩秋にベランダに置いてから主が居なくなってもなお5月まで私の帰りを待ってくれていたことを思い出す。
私んちへおいでよ。
広くはないけど、それぞれの場所ぐらいは確保出来るしね。
お水をあげるね。
君たちまだまだ一花、咲かせられるよ。
冬から春にかけて咲く花たちは、厳しい冬の寒さを耐える強さを持っている。
その強さを私は尊敬する。


投稿日:2012年02月07日

2012年02月07日

いつ頃からかテレビに出ている人達の中で、”@@キャラ”的な人が存在するようになった。
「毒舌キャラ」「女王様キャラ」「上から目線キャラ」に「タメ口キャラ」・・・コリン星から来た人もいたりで、まぁそれは別に構わないのだが、見ていて不快な気分になるのは「@@キャラ」を名乗ったり、誰かが「@@キャラだし」と、口添えしたりすることなのだ。
え?
何それ?
聞いてないよ。そんなこと。
視聴者としては、いきなりテレビに出てきて、好きなように振る舞われて、それでなんだかなぁと思っていたら”@@キャラ”みたいな肩書きがうっすら透けて見えるように誰かしらが説明をしたりしている。この瞬間に、馬鹿にすんな!という気分になるのだ。そもそも@@キャラなんて視聴者がリクエストしたわけでもなんでもない。
やるならやる。
”@@キャラ”って・・・・。
そんな免罪符みたいなプラカードを掲げて奇異なスタイルを披露することに、どうも私は好感が持てない。
最近はより、ごった煮のようになんでもかんでも一緒の土俵の上に上がって見分けがつきにくくなった。
@@キャラってなんなのだ。
誰が必要としているのだ。
私にはちっとも面白くもないし、楽しくもない。
自分のやっていることに言い訳をする姿が嫌いだ。
まずはその免罪符を封印してから姿を現してはくれないか。


投稿日:2012年02月06日

2012年02月06日

毎週、月曜日は池尻にレッスンに通っている。
窓のない地下スタジオに居るので、休憩時間はどうも地上に上がりたくなる。
上がった目の前にドラッグストアとスーパーがあるので、この2つの店舗でちょっとした買い物をすることが私にとってすごく楽しいこととなっていたのだ。
しかし。
先週、スーパーの方が閉店してしまった。どうも店が入っていたビルが建て替えか何かで入居者や店が出て行かないといけないらしく、ここのスーパーは夏に少し場所を移したところで再オープンするらしい。
去年の年末にスーパーに入っていたパン屋さんが閉店したのはそれでだったのか。
流行っているパン屋さんだったのに閉店のお知らせがしてあって、毎週買っていた枝豆ポンデケージョとミルクパンが買えなくなってエラい寂しかったのだ。それがスーパーまでなくなってしまうなんて・・・。
ビルが解体されたらドラッグストアもなくなってしまうってことだ。
じゃぁ、毎週月曜日、私は唯一のテイクアウト店のたこ焼きばかり食べることになってしまうのかもしれない。
モグラは地上に出てガッカリする。
地上の世界は景色がよく変わる。
あれ?ここじゃなかったっけ?
もう一度地下に戻るといつものレッスンスタジオの景色なのであった。


投稿日:2012年02月02日

2012年02月02日

池袋サンシャイン劇場にロッキーホラーショーを観に行ってきた。
作品の名前はよく聞いてはいたが、実際に観るのは初めて。1970年代に舞台から始まって映画化もされ以後世界各地で上演され続けている作品だ。
高校生の時にローリーくんが、そういえば「ロッキーホラーショー」という単語を口にしていたと思う。仲間に語っていた”ついこの間原付で走った高槻亀岡間の道すがらに見つけた不思議な廃屋の話”などは、まさに日本の風景でなくロッキーホラーショーに出て来るような怪しい風景が想像されたものだった。
今回はいのうえひでのりさん演出、岡崎司さんが音楽監督で、主演が古田新太さんのロッキーホラーショーなので、劇団☆新感線の屋台骨が支える作品となる。岡崎さんは少し前に家に遊びに行った時に分厚い辞書ぐらいの厚さのスコア譜を起こす前で、ズッシリと重そうな厚さを見ただけでうわぁ・・・と私まで気が重くなったのだが、それももう過去のこと。去年の初日から年を越して、東京での公演ももうあとちょっとで千秋楽なのだそうだ。
今回も楽しみなのはバンドによる生演奏。ワン、ツー、スリー、フォーのカウントもなしに、役者さんの動きやセリフをきっかけにバンドがピッタリ息を合わせて何事もなく演奏をしてしまうところは、本当に驚きの連続だ。私の悪い癖でつい「今のタイミングで合わせるだなんてあり得ない!」などと、製作側の方に気持ちがいってしまう。観劇に来たら観劇を純粋に楽しむことが出来ないのは、つくづく自分が中途半端なミュージシャンもどきでイヤになる場面でもあるのだ。
会場には流れを覚えていて、一緒に振り付けをするお客さんや、しっかり仮装をして観に来ているお客さんもいた。この数ヶ月という期間だけでなく、4年に一度のお祭り!みたいな感じで同じチームで再演を続けてもらえたら、更に会場に来るお客さん達も学習を積み重ねて仮装や振り付けやもろもろアイデアを出して一体化する楽しみが持てそうで、また再演して欲しいなぁと思う。
岡崎さんのツィートを観ていると、毎日舞台だけで大変なはずなのに観に来て下さったお客さんからのツィートにさりげなく丁寧に返事をされているところも、すごいなぁと思う。
素晴らしいお仕事をする人達は、なぜかしら決まって威圧感を感じさせない。普通にさりげなく、そして近くにいる親しみさえ抱くように見える。
もうすぐ千秋楽かぁ。
ツィッターのおかげで初演からの毎日をほんの少し垣間みて、一回しか観に行っていない私もなんだか寂しいのである。