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投稿日:2012年03月05日

2012年03月05日

私達は多分、思った通りの人生を歩んでいるのだろう。
お金が欲しいと言いながらもお金が潤う生活にない人は、お金がないのではない。お金が優先順位の一番に来る考え方、選択と実際の行動をしていないというだけなのだ。そしてそれは誰のせいでもない。自分の選択であり、もっと極端に言えばたいがいの人は自分の人生を叶えているのではないかと思う。
思えば私自身も高校生の頃から、目の前にある現象にたいしての自分の選択の仕方は変わっていない。昔はそのことについて気にもしていなかったが、年齢と共に私自身のデータがだんだんと増えてきた。ふと考えてみたら、私は自分の思った通りに生きてきたではないか。
自分のデータでわかったことは、私は優先順位の一番が「自由」がキーワードになっているように思える。高校生の頃「大好きな音楽に充てるための自由時間は、どんなにお金が欲しくても確保”したほうがいい”」と思っていた。曖昧なのだ。「した方がいい気がする」といったことで、何の自信があるわけでもない。
が、その後何かしらの選択を迫られて究極の選択をしなくてはいけなかった場合も、考えても考えても答えは出ず、最終的に理屈でなく<@@した方がいい気がする>というただのカンで選んで来たが、びっくりする程私は同じ優先順位で選択をしてきていることに気がついたのだった。
大学の頃一緒に音楽でプロになろうと語り合った友達だって、プロに”なれなかった”のではなく”ならなかった”のだ。その当時は「夢をあきらめた」という感覚があったかもしれない。でも本当はその時もそうではなかったのだと思う。天秤にかける別の生き方があって、良いと思った方を選択して実行をした。
傍目にはおかしく聴こえるかもしれないが、私は今の状況にだからとても満足をするようになった。自分で選んだ人生を歩いているということを少なくとも自覚するようになったからだ。
そして私の周りもふと気づけば、みんな自分で選んだ人生を送っている。なぁんだ。みんな夢を叶えているんだわ。と、そんな風に見るようになってきたら若かった頃に悩んだあれこれがものすごく難しく考えていただけだったように思えてきた。
「もし、あの時あぁしていれば・・・」
いいや、その優先順位で選択をしたことこそがその人自身なのだから。
いつも私達は自分自身が「決定権」を持って過ごしている。
状況のせいでもなく、何のせいでもなく。
それを自覚して過ごすことが自分の人生を力強いものにして支えてくれる。
毎日を明るく、そして建設的に暮らして行きたいのだ。


投稿日:2012年03月01日

2012年03月01日

自宅の電話が鳴った。
「はい、もしもし」
自宅に掛かって来る電話は1/3がセールスの電話。1/3が間違い電話。そして1/3が私あてにかかってきた本当の用事の電話なのだが、今日は間違い電話だった。
「あの・・・」
「はじめてなんですけど」
男の人の声でこう掛かって来たら間違い電話。ここに引っ越して初めて掛かってきた電話がそうだったのだが、電話で女の子とお話出来る2ショットなんとかというところとうちの電話番号が似ているらしいのだ。
引っ越して来た頃は夜中や早朝に頻繁に掛かってきてうんざりしていたのだが、最近はすっかり「三島さんですか」の間違い電話の方が増えて2ショットなんとかの間違い電話はなくなっていたのだが・・・・。
「三島さんですか」の場合は何のためらいもなく相手は話し出す。
2ショットなんとかの場合は必ず電話の主は男性の声、そして緊張しているのか一呼吸おいてから思い切ったように「システムを教えて下さい」「はじめてなんですけど」と切り出されるので、もう「間」の具合で私もだいたい相手の輪郭がつかめるようになってきたのだ。
久しぶりの間違い電話だったが、私ももう慣れたもの。
最初は私も「えっ?えっと、あのぅ」と答えていたがそれは昔のこと。
「あっ、間違い電話ですよ〜」と明るく対応してサクサクっと対応をしながら、サクサクっと電話を切る。
電話を切ったあと、なんだか私は自分がベテランの風俗嬢になったような、一仕事をサラっと終えたかのような不思議な気持ちになるのであった。