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投稿日:2012年12月09日

2012年12月09日

自分の知らないところでクレジットカードが不正利用されようとしたことがきっかけで、私のクレジットカードが現在利用停止中となっている。

新しいカードは10日ぐらいでお届けしますと言われたのだが、その10日がこんなに不便に思うとは思いもしなかったのだ。

今、財布の中には何らかのきっかけで作ることになったクレジットカードは他に2枚あるのだが、使う気がなかったので暗証番号も思い出せない。おまけについ先日、それまで併用で使っていたカードを使い過ぎ防止のために解約をしたところだった。

カードが使えない今はおかげで買い物が出来なくなり、夜のネットショッピングタイムがただのウィンドウショッピングになっている。お金を使わなくて丁度いいわと思ってはみたものの、この数日間眺めるだけの日々を送ってみてあらためて自分が夜中に買い物をしてしまう傾向にあることがわかった。

買いたいのに「ポチ」っと押せないことが、こんなに苦痛だったとは・・・。

いつの間にかクレジットカード依存症になっておった。

新しいカード、早く来ないかしら。

携帯と同じぐらい、クレジットカードが手元にないと落ち着かなくなってしまった私なのであった。


投稿日:2012年12月07日

2012年12月07日

今は週に4日、生徒さんに音楽を教えている。

私はよくしゃべるようになった。

こんなにおしゃべりだったかしら。

20代の頃は自分の意見を言葉にまとめることが出来なかった。胸の内には確かにいろんな自分なりの考えがあったのだが、不意に「あなたはどう思う?」「あなたの意見は?」と尋ねられた瞬間に胸の中にあった微妙な色で構成されていた色鉛筆達が石のように形を変えてしまって、答えられる何かがあるはずなのに上手く言葉にすることが出来なくなってしまうのだった。

時間切れ。

そして私は意見のない人として、もうその場は次へと進んでいるのだった。

そこで私はコンプレックスに覆われる。

考えていることはいっぱいあるのに、どうして肝心な時にすぐに言葉に出来ないんだろう。同年代の人でもすぐに言葉に出来る人達はいる。じゃぁやっぱり私はあまり深く物事を考えることが出来ていないのかもしれないなぁ。そんな風に思うと、意見を求められたり何かを説明しなくちゃいけない機会にビクビクするようになり、余計に上手く言葉に出来ない状態は強くなっていったのだった。

自分を救ってくれたのは「書くこと」だった。

すぐに言えなかったことも時間をかけて整理をすれば、私にも自分の意見が形に出来るんだと思った。歌詞や文章は”すぐに”まとめられない私にとっての救いの方法、胸の中にある”忘れないように形に出来たらいいな”と思う事柄を形にすることはどんないいことがあるか。それは時々、もやもやした雲がかかっていたものを取り払って空を澄ませてくれる効果があった。そしてまた自分の目の前にある道が少しだけクリアになって明るい気分で歩ける助けとなってくれたのだった。

生徒さんたちと接していると、昔の自分が重なって見えることがある。

自分の思っていることを上手く言葉にすることが出来ないとたまに打ち明けられる。

上手く話せるようになるのがいいのか。

いや、そうは思わない。

そのことにこだわらない状態に自分をまた戻せることが一番いいのだと私は思う。

自分を変えるのではなく、気を取り直してまたやるだけ。

というのが私は一番いい道だと思っている。

先生の日の私はおしゃべりだが、大人数のミュージシャン仲間の中では相変わらず気配がない。急に何か尋ねられたらやっぱり上手く答えられないうちに時間切れになっている。

ちょこっと昔のようにコンプレックスに覆われ・・。

まぁいっかと思う。

自分が進行をしなくては物事が進まない状況になったら、人はモードが変わる。聞き役の立場にいる人間が不意にマイクを渡したら、大抵の人は戸惑うただそれだけのことだ。

先生の仕事。

何かを教えるということより大事なのは、その人の持つ不要なコンプレックスという荷物を、ここ一番という時に下ろしてあげることが出来るかどうかなのかもしれない。

何かを学びたい力はそれだけで生き生きと枝を伸ばして行ってくれるのである。


投稿日:2012年12月06日

2012年12月06日

カード会社から封書が届いていた。

この間、行こうと思っている海外旅行の為にキャッシングの額を引き上げておきたいなとネットで申し込んだので、その返事だと思って手にしてみる。

「親展」と書いてはいるが、封筒の厚さがやけに薄い。

申し込みお断りの返事なんだわと開ける前に予感がしたのだ。

だいたい「親展」というハンコが押してある封書は嬉しいものであった記憶があまりない。漢字の雰囲気からすると、”何か特別ないいお知らせ”のイメージがするので「何かしら!」と思ってワクワクしながら開けていた頃もあったが、本当の意味は”本人に開けて欲しい重要な書類”でプライバシーに関わることや、何かの調査書類だったりするのだそうで、棚からぼたもち的なラッキーな物が中に入っているのではないらしい。

封筒を切ると一枚の紙が出てきた。

開けて読んでみると・・・。

「えっ、うそ!」

それは、私のクレジットカードが不正使用をされた形跡があったので、現在利用停止になっているという通知なのだった。連絡を下さいというような文面があって、一番下に24時間対応の電話番号が記してあった。

私が今使っているカードはA社のもので、封書やロゴも確かにA社のものなのだが、以前にもYAHOO bbなる偽の所からのメールが届いたり、AMAZONを名乗る会社からも嘘メールが届いて危うく騙されそうになったので、今回も本当にA社なのかしらとちょっと疑いを持つ。

だが、疑いを持っても私に出来ることはと言えば封書をすかして見たり、中にある手紙をすかして見てみるぐらいしか思いつかない。

だいたい私のクレジットカードが不正使用されるということ自体が嘘っぽい。今まで別に被害にも遭わなかったし、怪しい買い物をしたわけでもないのにそんなことってあるのかしら。

今は夜中の1時。

友人に「ねぇねぇ、どう思う?」と尋ねて電話が出来る時間帯ではないし・・。

胡散臭いが書いてある電話番号に電話をしてみることにした。

プルルル・・・プルルル・・・。

電話が繋がるとA社のクレジットカード担当という男性が出た。

ほら!夜中の1時に出ることが胡散臭い。

<騙されないぞ>

警戒心全開モードで、これこれこんな紙が届いたんですが・・・と話をすると、何やらカチャカチャとパソコンを打ったあと男性は、最近「@@@」というショップや「@@電機」でお買い物をされましたか?と言うのだった。

「いいえ、していません」

男性が言うには、最近被害が出ているやり口で私のクレジットカードを不正使用しようとした誰かが居て、セキュリティシステムでそれらを検知したので今クレジットカードが使えなくなっているということらしい。電化製品を高額に買おうとした誰かがいるとのことだった。

ほ、ほ、本当なの?貴方。

疑っているせいか、この男性の声がますます胡散臭く聞こえる。

あたしゃ、もう騙されませんからね。

「最近、お買い物をしようとして出来なかったことはありませんでしたか?」

男性が占い師のように私のことを聞くのだが、そういえば・・・。

それにはふと思い当たることがあった。つい数日前に友人に贈り物をするのにソニープラザで買い物をしようとしたら、セキュリティロックだとか何とかという単語の入った難しい文章が出て来て、買い物が完了出来ずに終わったのだ。

そのことを伝えると、占い師のように「それは既にクレジットカードをこちらがとめていたからなんです」ともっともらしいことを言うではないか。

あかん、どうもあかん。

私は警戒心全開モードにしても、ふとしたことですぐにすきを作ってしまう傾向にあり、向こうの話術に乗せられてつい最近あった出来事を男の誘導通りに答えてしまった。

「で、カードは今後どうなるんですか」

「新しいカードを再発行することになります」

「はぁ・・」

私としては一番知りたいのは貴方の素性なのだが、もう今持っているカードは使えないらしい。10日ぐらい経つと新しいカードが届くので、これからはそちらを利用して下さいということだった。

「あの、どうして私のカードが不正使用されちゃったんでしょうか」

「最近、海外旅行に行かれましたか」

「最近ではないですけれど・・5月には行きました」

「あぁ、恐らくそれですね」

ちょっと待ちなさい。

今、日本語の使い方が変ではなかったかしら?貴方「最近」って聞きましたよね。「最近」って秋ぐらいのことは「最近」と言ってもいいと思うんですけれど、5月は「最近」じゃないでしょうが。

貴方、胡散臭いわ。

「今回、でも未然に防げてよかったです。」

ほら、いい人のフリをしている。

男性は不正検知が働いた事で、実際の被害に遭うことはまぬがれたと言うのだが、私はそんな貴方が何者かがわからずに疑っておるのです。

「では、10日前後で新しいカードをお送り致しますので」

「は、はい。ありがとございました」

ふぅ〜。

あの男、何者・・・。

夜中は誰にも相談出来ない時刻。

電話を切ったあとで、私はまた「親展」の紙をすかして眺めるしかないのであった。


投稿日:2012年12月04日

2012年12月04日

ポストにまた、ダンボ宛のダイレクトメールが届いていた。

またか・・・。

ポストの中にはチラシやダイレクトメールなど、「入れていらん」紙がいろいろ入っていて、それを家の中の古紙入れに捨てる時、私は毎回ちょっと腹を立てている。

「もう・・・次から次へと・・・こんなん入れていらんのに!!」

だがダンボ宛のダイレクトメールだけは、びみょ〜な気持ちで眺めてしまうのだった。

「吉川ダンくんの保護者さまへ」という添削学習の販促郵便物、これが届くようになってからはもう数年になるのではなかろうか。きっかけはダンボの名前で10000人に当たるという懸賞に応募をしたことだった。しおりやメモ帳、シールなどの子供用のセットが当たって喜んだのもつかの間、それを機会に昔私も続かなかった某ゼミの添削学習セットの申し込みのおまけつきダイレクトメールが届くようになったのだ。

ダンくんは今小学4年生コースを勧められている。

そうだ、懸賞の応募の際に私がダンボの生年月日をそのまま記入したので、確かに人間に置き換えたらそんな年になるだろう。ダイレクトメールは春になるとしっかい進級する。小学2年生のダイレクトメールを受け取っていた頃は今は昔、来春には小学5年生のダンくん宛にダイレクトメールが届くようになるのだ。

ダンくんは、まだ字が読めない。

以前おまけについてきた赤ペンは保護者の私が使っている。

今回のおまけは「暗闇に光るけしごむ」。

すみません、本当に。ごめんなさい。

「冬休みに苦手をなくして、この先学力を伸ばし続けませんか」

と、書いてある。

ダンくんの苦手は未だにおしっこがおしっこシートからはみ出てしまうことである。しゃがんですればストライクゾーンにおさまるのに、足を上げてシーっとやるから思わぬ遠くまで飛んでしまい、私に「おしっこ、はみ出てる、だめ」と叱られてばかりいる。

他の苦手はお風呂。

テレビの中で鳴るピンポンの音はウチのじゃないということがわかるようになったが、人間で言う60歳ぐらいになった今もそんなに賢くはならなかった。

ダンくん宛のダイレクトメールを受け取ると胸が痛む。

「あの、、本当は犬なんです」

と、電話を掛ければいいだけの話じゃないか。

それが出来ずに今日も悶々としている私はへたれなのである。


投稿日:2012年12月03日

2012年12月03日

血液内科の外来日。

最近は血液内科の外来の段取りもわかってきて、診察や輸血の流れも理解したことで外来ものんびり出掛けることが多くなってきたのだ。

合計4つの診療科にかかっているうち、血液内科は朝病院に着いたら中央採血室にまず向かう。ここで採血をして貧血の度合いや今飲んでいる薬の血中濃度などのデータが先生のもとに届いて、それから診察を受けるのだ。

「ヘモグロビンの数値、どれぐらいに減っているかなぁ」

気になっているのは貧血の度合い。

今はだいたい2週間に一度の輸血という対処療法で、薬が効いてくるのを待っているところ。薬は効いて来るのに半年ぐらいかかるらしいので、今日の私のクエスチョンは「貧血の度合いがここしばらくでどれぐらい進んだか」程度で、すっかり外来と輸血というサイクルに慣れてきていたのだった。

診察室に呼ばれる。

「今日はね、採血の結果がまだ上がって来ていないんですがね」

「はい」

「まぁ、低いはずなんで水曜日か木曜日に採血で予定を入れましょう」

「はい、お願いします」

これで診察が終わるのかなと思ったら、今日は先生がくるりを後ろを向いて何か資料を取り出してきた。

「あの、ですね」

「はい?」

「ちょっと調べてみたんですけれど」

よくわからない専門的な検査結果の紙を見せられると、私は「赤芽球癆」という病気だけにくくれないかもしれないという話を軽くされたのだった。

「えっ、それは・・どういうことですか」

病院でだいたいわかるようになってきたことは、先生が病名を告げる時というのは、それが「風邪」であっても「肺炎」であっても「難病」であっても、口調があまり変わらないということで、それが余計に不安を募らせるように今ではなってしまっている。

先生の説明では、「リンパに悪いものがあるらしい」みたいな状況のようで「悪い」「リンパ」という二つの単語があるだけで血が頭に上っていくのがわかった。さっきまでの平穏な待合室での時間が恋しい。また、何があるということなんだろう。

はっきりわかるまではなんとも言えないけれど、慢性の特殊な白血病の可能性があるらしく、詳しく調べるために再度血液検査を受けて帰ることになった。

思わず、「割と早く死んじゃうんでしょうか」と私は聞いていた。

「いや、10年ぐらいは大丈夫ですよ。慢性になるんで」

これを喜んでいいのかどうなのか。

帰り道、今日は暗かった。

たまに雑誌やテレビのインタビューで「私はね、もういつ死んでもいいの」と答えている人がいる。

が、私はまだそんな考えには行き着かない。何かちょっと難しい病気の可能性があると聞けばとても心が沈むし不安に覆われてしまう。

もうちょっと達観出来たならいいのになぁ。

おまけの人生だと思っていたけれど、私は欲張りだ。

17日の外来で結果はだいたい出ているということだった。

あまり悲しくならないように、あまり不安に覆われないように結果を待とう。


投稿日:2012年12月01日

2012年12月1日

数年前まで、年末年始は父は施設のショートステイに行っていたので実家は留守、なので私も里帰りをすることはなかった。

一昨年のお正月は妹一家の家で過ごしたのだが、父は予定を早々に切り上げて家に戻っていた。理由は孫にテレビのチャンネル権があるということへの不満で、私達姉妹はその理由にあきれたものだった。

3歳か4歳のちびっこ相手にテレビのことで張り合うだなんて・・・。

だが。

それが父、しげおっちなのだ。

今年のお正月は私が犬を連れて実家に帰り、そうしたら帰りに「京都まで送って行きたい」「そこで食事でもしようや」と言い出して、こちらは風邪をひいて具合も悪く犬も居るので、予定通り既に取ってある新幹線の指定で帰ると返事をしたことから、最後は地団駄を踏んで暴れるほどかんしゃくを起こしてこれまたびっくりしたのだ。

普段妹一家が父のわがままに振り回されているので、お正月は私の出番になるのだ。

先日、お正月に帰るからと電話をした時には「ふーん」とあまり興味を示していなかったが、妹に嬉しそうに報告をしていたことを知ったのでいよいよ実家に帰らないといけなくなった。

はふぅ〜〜っ。

変わり者の両親は父親一人になっても変わり者度数は尋常ではなく、むしろ実家はますます変わり者帝国として栄えてしまった。とにかく変。相当エネルギーが奪われる。だって実家に帰ってふぅ〜と椅子に腰を掛けたら、「そこはやめてくれ!こっちに座ってくれ!」と座る位置まで決められるのだ。父の思った通りに行動をしないと行けないので、妹は寄り付かなくなり、父は反省するどころか「実家が落ち着かへんとは何事か!」と不服を述べていた。私も同じだが反論はしない。生命力が落ちないように波風を立たせずにやりすごすのみなのである。

それにしても、驚いたのは”最近すごく栄えてきた”と父が言う実家近辺は思ったより不便なままであるということだった。元旦の日は父から聞いたタクシーがつかまるJR島本駅では一台もタクシーは居なかっただけでなく、配車の電話を方々に掛けても全部断られて結局偶然通りがかったタクシーに乗せてもらえたものの、それでも30分小雨降る中途方に暮れたのだ。

そして実家から帰る時には家から配車の電話をしても、これまた一台も配車予約が取れなかった。実家は大阪。いわゆる世間におけるイメージの大阪とえらく違うのである。1〜2時間待ってもタクシーは配車出来ないとのことで結局隣りの市に住む妹に頼んで送ってもらったが、今住んでいる所のように長くて配車待ち10分ということはあり得ない。なので今年は京都でレンタカーを72時間コースで予約をした。

こういうイベントごとで、父が暴言を吐いたりかんしゃくを起こさずに穏便に終了できたケースはない。何かしらあるのだろうが、そんな時には車に乗ってぶらり出掛けて気分転換でもするのだ。

あぁ、そういえば初めて車の免許を取って我が家の運転をするという時、父が教官を買って横に乗ったっけ。

私の運転にことごとく怒り狂ってブチ切れて、車の運転でなく父の対処に気を取られて淀川の堤防から車ごと落ちそうになったのだった。

実家は危険なゴリラでも居る密林地帯に足を踏み入れる程の勇気と知恵と体力が要る。

ご本人はそうは思っていないのだが。

父と会うのは毎回、命がすり減るイベントなのだ。