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投稿日:2013年01月08日

2013年01月08日

処方箋を持って駅前の薬局に行ったら、今回新しく処方された薬の取り扱いがないと薬局に断られてしまった。

またか。

だってこの10年の間に私は取り扱いの少ない薬の処方箋を持って行って、「うちでは扱っていないんですよー」「杉並区では多分手に入らないと思いますよ」「取り寄せはちょっと出来ないですね」とだけ言って何のアイデアもくれずに門前払いをくらったことが度々あり、その度に取り扱いをしてくれる薬局を探す流浪の旅を続けてきた。

そして今回は「箱で買わなくちゃいけなくなるんで・・・」「かかりつけの大学病院の近くならあると思いますよ」と言われた。

もう今は言っている意味がわかる。

が、当時は”あまり出ない薬の在庫を抱えるのは薬局の経営上困る”ということを知らなかった。

というか、本当は処方箋を持ち込まれたら薬局は調剤拒否をしてはいけないのだ。なのに、この10年私が見た薬局の対応は「在庫のない薬は取り寄せられたら取り寄せるがそうでなければ断る」のが常識になっていて、申し訳なさそうにもされない。

杉並区の薬局はこんな状況、これは杉並区限定なのかそれとも全国的な薬局の体質なのかわからないが、調剤拒否を度々受けるうちに切り捨てられた患者に思えて、だんだん怒りに変わってきたのだ。

「かかりつけの病院の近くに行けばあると思います」って・・・。

処方箋の有効期間は4日間。残り二日間でそっちでなんとかして下さいってあなた・・・・、そんなあっさりよく言えますね。

「どうしても無理ですか」

食い下がってみたが、「そうですね。無理ですね~・・」と返事をされた。

半月に一度は通っている行きつけの薬局だったのに。

家に帰って考えてみたが、かかりつけの病院近くの薬局には処方箋の有効期間内には行けそうになく、しょうがないので処方箋に記載されていた病院の薬剤部に電話をかけて相談をする。

すると「処方箋を断ってはいけないはずなんですけどねぇ」との返事。

そうなのです。

処方箋を薬局は断ってはいけないはずなのです。

結局薬剤部の方からその薬局に電話をしてくれることになり、すると何故か”なんとかかき集めて用意した”という連絡があって夕方、手元に薬は届いたのだった。

特別に用意してもらえて感謝をする、という気にはなれない。だって、次から私はまた新たにかかりつけの薬局を探さないといけなくなったからだ。処方箋というのはそこに記載されている薬のうち一種類でも用意が出来ないと、処方箋全部を扱えない、らしい。過去にそう言われて何軒もの薬局に処方箋を受け取ってもらえなかった。

とにかく杉並区の薬局で調剤拒否に度々あっている。本来ルール違反であることが、この10年で当たり前のように大手を振って「ない」で済ませようとする体質に怒っているのだ。

エクジェイドの薬価を調べてみたら、一つ4624円。10円玉位の大きさのラムネみたいな薬が恐ろしく高い値段で私も大変驚いたが、それでも病院で処方された薬なのだから、入荷方法を探るのは患者ではなく薬局側なのではないかと思うのだ。

すごく美味しそうなラムネに見える高価な薬。

一錠5000円近い薬は、今までの中で一番高い。

医療費が免除されていることが大変救いだ。


投稿日:2013年01月07日

2013年01月07日

今年最初の診察と輸血日。

繰り返し輸血を受けていると、身体に余分な鉄分がたまって放っておくと臓器にダメージを与えるのだそうだ。

通常は6.0〜140.0の範囲にないといけないフェリチンという数値が1000を越えたら鉄除去剤の薬を服用するらしく、私も数値が1000を越えたのでエクジェイドという薬があらたに始まることとなった。

薬の小冊子とシェイカーをもらって帰って来た。

朝起きたら錠剤に水100mlを入れてシェイカーでシェイクして溶かして飲むのだそうだ。

今私が服用している薬は、既に特殊なものが数種類ある。

今度の薬も多分あまり一般に使われていない薬なのだろう。

だって輸血を頻繁に受けている人の為の余分な鉄分を取り除く薬だ。

一昔前だったらもう今ごろは亡くなっていたであろう自分が、新薬や治療法の目覚ましい進歩のおかげで、こうして外来に通いながら日常生活を送ることが出来ている。

だから新しいビルや道路が開通するのを目にするだけで、ふと感動することがある。

生きていたから見れたんだわ。

あぁ、薬を飲みつつも、低空飛行ながらも。

今年もすっかり始まったのだなぁ。


投稿日:2013年01月05日

2013年01月05日

今日は東京に帰る日。

去年の里帰りは「帰る日」にとんでもなくもめることになり、ものすごく気分が悪かった。理由は、”帰り方”と”その方法”について父の意見を聞かなかったということが発端だったのだが、最後はどうしてこんなことでキレるのか理解出来ないという程父は癇癪を起こして大変だったのだ。

我が家のイベントは「最終日」に大げんかになることが多かった。いずれも、「帰る方法」について私がゆずらないことによってブチ切れられるパターンで、今回もまた里帰り初日から「帰りはワシが京都まで送って行く」と言っていて、これはすんなりは行かないだろうという予感はあった。

お父さん、京都まで来るのはやめてちょうだい。

付き添いもなく、私を見送ったあと一人で京都から帰られるのは私が困るのです。

タクシーもつかまらないこんなのどかな町に。

だから今年はレンタカーを借りて戻ってきたのです。

行きや帰りの段取りは、私ももう一人で立てることが出来るのです。

外国語もしゃべれないのに海外一人旅にも行っているんですよ。

ドゥ、ユー、ノウ?

今日は6時36分京都発ののぞみで帰る予定になっている。父がレンタカーに乗ってレンタカーを返してそれから一緒に京都駅までついて来るのをなんとか阻止しようと、数日前から私は嘘のシナリオをついているのだ。

それは高槻に里帰りをしている友人と同じ新幹線で帰るので、近所で落ち合って一緒に京都駅まで行くという、なんとも親が厳しい高校生が門限に遅れた時にひねり出すような部類の嘘だ。

「ほんで、高槻の友達はどこに住んでるんや」

「実家は城南町」

架空の友達のプロフィールをねつ造する。

前からの友人で・・・と話しているうちに近藤なっちゃんの情報とちょっと似て来たので、そこら辺を取り入れて質問に答える。

一体私は幾つなのだろう。

当初は友達の家までついて来ると言っていた。

とんでもない。

さすがにそれは困る。計画が壊れるので、なるべく駅から遠い「ついて来にくい」町名を言ったのだが、今度はその城南町の何丁目なのかを聞いて来る。

「何丁目かは聞いていないけど、近くまで行ったら電話をすることになっているから大丈夫」

「そらあかん!」

この時点で既にかなりどんよりしていたが、ここまで頑張ったのでと踏ん張る。すると父は高槻市の地図を出してきて私に見せながら、「城南町」には行き方が何種類かあって、何丁目かによってルートが変わってくるんだと言うのだった。

iPhoneが有るから大丈夫と言っても無駄。

地図を広げられてルート説明が始まりいよいよ疲れてきた。

「あのね!もう一人で帰れるから放っておいて!」

と、言いたい。

が、言えばアウト。

これで癇癪を起こしてエラいことになった。

「じゃぁどこかわかりやすい場所で待ち合わせをしてもらうからちょっと待って」

しょうがないので、架空の友達にメールを打つフリをする。

地図で行きやすそうな建物で中学校を発見したので、これに望みをかけてみようか。

「城南中学の門の前で待ち合わせをすることにしたから」

これで頼むからもう引き下がってくれー。

と、思ったが、まだパワーがあるらしい。

「門は一つとは限らん!」

と言われ、なんとか話をつけるべく

「じゃぁ、正門の前にするから」

と答えたが、

「正門も一つとは限らん!」

と、即返された。

・・・・・。

いいえ。

正門は一つだと思います。

面倒臭い。

もうキレそう。

実に面倒臭いのである。

しょうがないので適当に正門の場所を地図の中から指して、「ここで待ち合わせをすることになったから」と言い、それから会社のY氏にSOSを発信。Y氏に架空の友人になりすましてもらって「じゃぁ、城南中学の正門前で待ち合わせしようね!」というメールを私宛てに送ってもらってようやく納得してもらったのだ。

嘘は見破られなかったが、とても疲れた。

他所の家でもこんな感じなんだろうか。

やっぱりうちはおかしいと思う。

妹一家や孫が寄り付かなくなるのはこういうことが日常茶飯事だからなのである。

は〜あ。でもなんとか話はついたのではないでしょうか。と、ホっと息をついたと思ったら・・・

「もう出発した方がええやろ」

と、急に切り出されることとなる。

「えー?もうちょっと後で十分だと思うけど」

「あかん!3時には出な」

「もう!帰りの段取りぐらいはちゃんと考えてるから放っておいて!」

と、今言えば全てがブチ壊しになる。

ガンバレ、私。言い返すな。

「3時に出ないとだめ?」

「もう出なあかん!間に合わへん!」

そして6時36分発の京都発に乗るのに私は3時に家を出ることになった。

ダンボが移動中はおしっこを我慢してしまうということもあるので、私としてはその辺りを考慮して移動をしたかったのだが、父の前では私の段取りは「ダメアイデア」として却下される。

「じゃぁ、そろそろ行くわ」

大げんかになることなく家を出られてよかった。妹は私が滞在中ついに父に一度も電話もかけてこなかった。孫が来た時の為にと買ってあったお菓子を大量に「これ、持ってけ」と渡された時にはちょびっと父が可哀想になったが、ウツボカズラはやっぱり相当強力であった。

「また来るから」

溺愛する娘が帰るのを名残惜しく見送るのかと思ったが、あっさりとガレージで軽く手を振ったら帰って行った父。

今回、ケンカにならなかったのが唯一の救いだったのだ。

「さてと」

「ダンボちゃん、このあとどうしよう」

城南町の待ち合わせがあるわけではない。ゆっくり京都に向かって運転をしていたが、3時半を過ぎた頃にはもう久世橋を渡って市内に入っていた。

今から3時間も時間がある。

いくら何でも3時に出るのは早かったとあらためて思ったがしょうがない。嵐山や市内をドライブするには時間に余裕も無く・・・。

しょうがなくレンタカー店の近くにあるショッピングセンターに入って、屋上駐車場に車をとめて時間をつぶしたのだ。

ちょっぴりわびしくなった。

家出をして行く所がなくなって困った感じってこういう感じなのかな。

敷地内にある100円ショップやマツモトキヨシをブラブラしたり、車の中でパンを食べたりしていたが意外に日が沈むのが早い。屋上も寒くなってきたのでしょうがなくレンタカーを返して京都駅に着いたがそれでもまだ時間は余っていた。

帰省ラッシュもあって、自由席も満席。

結局13本の新幹線をホームで見送って寒さに震えながらようやく6時36分の新幹線に乗る事が出来た。

身体は冷え冷え。ダンボも新幹線の中でグースカ眠っていた。

こんな年になっても、父にとって私は小学生ぐらいの子供程度らしい。

ウツボカズラから無事に生還した私達なのであった。


投稿日:2013年01月04日

2013年01月04日

今日は午前中にヘルパーさんが来て下さった。

散歩を兼ねて今から近くのホームセンター「コーナン」に、連れて行ってもらうらしい。数日前から切れている蛍光灯の替えが買いたいのだそうだ。

こうして、いつもは週に6日誰かしら訪ねて下さるヘルパーさんに散歩の付き添いをしてもらったり、家の中のことをお願いしたりして父は過ごしている。お正月ぐらいは私が居るんだから出来る事はすると言ったが、それは普段通りの父の生活を乱すとされ「ワシの予定を狂わせんといてくれ!」と一喝され、いつも通りヘルパーさんに来てもらう生活が今日からまた始まったのだ。

時刻は10時過ぎ。

「ほな、買いもんに行ってくるわ」

「じゃぁ、一緒に行って来ますね」

「よろしくお願いします」

ヘルパーさんに挨拶をしたら部屋の中からそぉっと二人が出て行くのを見送った。

<今だ>

鬼の居ぬ間にシャワーを浴びよう。

昨日はシャワーを使わせてはもらえたが、その後も「身体は濡れタオルで拭くだけで十分。シャワーは2週間に一回で十分や」と言っていたので、連続して今日もシャワーを使わせてもらえるとは思えない。父は臭くても人に会わないからいいだろうが、私は明日新幹線に乗って帰るのだ。最低でも数時間は見知らぬ人の隣りに座らなければならないのだから、せめて今日はシャワーを浴びておいた方がいいと思う。

しげおっちが帰って来る前に、急げ急げ。

そうして昨日とは違った落ち着かないシャワータイムとなったが、髪と身体を洗ってさっぱりした。

ふぅ~~っ。セーフ。

もう出てしまえば大丈夫。髪が濡れていたが帰って来た父は何も言わなかった。

が、なんだか機嫌がよろしくない。

洗面所の蛍光灯を替えを買って帰ったものの、交換をしても電気がつかないのがわかったからだ。

実家はもう築40年以上経っている。電気がつかないのは蛍光灯を替えるだけで解決するような単純なことじゃないんじゃないかと思ったが、父はそれを認めたくないらしく、点灯管をまた今度は私と一緒に買いに行くことにしたのだった。

「くそ〜。腹が立つ」

いいじゃないの。点灯管を替えてみてそれでダメだったら、電気屋さんにお願いすればいいのだから。

”せっかち”な私が父と居ると超のつくぐらいの”のんびり屋”に思えてきた。

父の希望通り、また車で「コーナン」に出掛けて点灯管を買いに行って戻ってきたが・・・。やはり点灯管を替えても電気はつかなかった。

「くそ〜。腹が立つ!」

「電話してくれ」

不機嫌な父にせかされて、そのまま電話機を渡され近所の電気店に電話をすることになったが、せっかちモードは加速するばかり。

ぷるるる・・ぷるるる・・・

呼び出し音を三回ぐらい鳴らしたぐらいで待ち切れずに「まだ、出んか」「まだ、出んのか」と横で話しかけてきて7回ぐらいになったところで、急に気が変わったのか「もうやめてくれー」と今度は電話を切るよう命令するのだった。

「もう明日にするわ」

私はこの人の遺伝子を受け継いでいるのか・・。

と思うと、正月早々ちょっと落ち込んだのであった。


投稿日:2013年01月03日

2013年01月03日

昨夜はあまり眠れなかった。

さすがに昨日のスケジュールはキツかったかなと朝ご飯のあと、うとうとしていたら、急に父から「今やったら風呂に入ってもええ」と、叩き起こされた。

「こっちに来てくれー!」

風呂に入るのに、何故風呂場見学をまずしなくちゃならないのか。デカい声で叫ぶので、犬が危険を感じる時に鳴く時の「キャン!」という叫び声をあげていた。

爺さんから、風呂の入り方について説明を受ける。シャワーの温度が急に熱くなったり冷たくなるからコツが要るということらしいのだが、そんなことは今に始まったことじゃない。私が高校生の時からだ。

「ほれ!脱いで!」

「え?」

「ほれ!早く裸になって!」

「ええっ?」

爺さんが私を風呂に入れてくれるというのだが、冗談じゃない。

お願いだからシャワーぐらい一人で入らせて欲しいと何度も頼んでようやく一人にしてもらったものの、「まだ出ないのか」「ちゃんと入っとるんか」と2分おきぐらいに聞きにきていてとても疲れた。

はぁ〜あ。

今回の帰省は車があるので、大好きな北摂〜神戸をドライブしたり六甲や有馬にも行ってみたいなと思っていたが、どうも出掛ける気力がない。パソコンがあるので家でおとなしくしていようか。

実家の辺りはのどかな所。近くに171号線という国道が走っているが、その脇にはドライブスルーや大型量販店、ファミリーレストランなどがあるような車での生活がメインのエリア。「大阪」と言ってイメージされるような景色とは全然違う、山や田畑があって淀川がすぐ近くにある大阪府の田舎だ。現に昨日家に帰った時実家の家の角を曲がる前に、車の前をタヌキが横切っていったが、あまり驚かなかった。

「今日はどこかに食べに行く?それとも何か買いに行く?」

私が東京の生活で高井戸の「オリンピック」に買い物に行くのと同じように、ここらの人は「イーオン」に車で出掛ける。昨夜は父もお正月の間に行きたい店を挙げていたが、気が変わったのか夕方一緒に「イーオン」に買い物に行くことにした。

父は車の免許を返上して、今は車のない生活になっている。昔は車で10分で来られる「イーオン」に頻繁に来ていたみたいだったが、2年ぶりぐらいになるらしい。

「ずっと来たかったんや〜」

ショッピングセンターにあるユニクロに一緒に行ったり、日用品や食材を買ったりとなんでもないことだったが、楽しそうだった。

隣町に妹が居るんだから頼めば連れて来てもらえるだろうに、「だ〜れも連れて来てくれへんからな」と言っていた。まぁ確かに妹達は今日も実家に帰っては来なかった。いつも妹が父の面倒を見てくれているという感謝の気持ちから、お正月は私がバントンタッチで父の相手をするというつもりではいたが、今日妹から来たメールは「やっぱりみんなじいちゃん家に行く気がしない」というもので、父には見せられない内容だった。

「今日は来よるやろうからな」と言って、午前中に孫達へのお年玉を用意していた姿を見ていたのでちょびっと可哀想になる。「むこうにお客さんがあるからやっぱりどうしても来られないんだって」と言ってなんとか納得してもらったが、孫達もお年玉がもらえなくてもいいからじいちゃん家に行きたくないと言っているとは、相当嫌われている。

ショッピングモール内で父は頻繁におならをしていた。

「屁が止まらんのや」

いいですよ。お好きにどうぞ。

帰りには「やっぱり車は便利やな」と言っていた。

「ワシもまだ運転出来ると思うんだがな」

免許を返したことを後悔していたが、「自分が法律」になっているしげおっちが免許を持っていないことに私はあらためてホっとしたのだった。


投稿日:2013年01月02日

2013年01月02日

今日の午後から帰省予定で準備をしていたが、大晦日からダンボの調子が悪くて今朝も下痢をして食欲がない。

ダンボは肝臓と胆のうに持病があるので、見極めが少し難しい。1〜2日で元気になればいいのだが、今朝も元気がないのがどうも気になる。

調子の悪いダンボを連れて行くのは心配・・・。

どうしようか。

実家に戻るのを一日遅らせて様子を見ようか。

まだ午前中なのでとにかくダンボを病院に連れて行くことにした。

ダンボは大事、だが父しげおっちも今日私が帰らないと知ったらとてもガッカリするだろう。病院で検査をひととおりしてもらうと、持病の悪化ではなく気温の変化などによる胃腸障害だろうとのことで、皮下点滴を打ってもらったらダンボはすっかり元気になった。

診察代とタクシー代で25000円が飛んで行った。

ダンボちゃんは我が家の金食い虫。

まぁ、いいか。元気が戻ったなら。これで、今朝”一旦白紙”の方向に向かっていた里帰りも予定通り進めることにしたのだった。

それにしても・・・。

早速、東京発で乗る予定だった新幹線に間に合わなくなった。

あれほど準備を前もってしていたというのに。

まぁ、しょうがないか。

とにかくしげおっちがこの場に居なくてよかった。

もしも。この状況を父しげおっちが見ていたら、ものすごく怒るパターンなのだ。何かしらのアクシデントが起こると癇癪を起こし、一番言いやすい周りの誰かにヤツ当たりをして余計にむちゃくちゃなことになるので最終的には何かが起こったダメージよりも父が癇癪を起こしてその場を破壊したダメージでみんなが疲れるのである。

1時間遅れのひかり号の自由席に乗って京都に向かう。早いうちにと小田原を過ぎた辺りで家に電話をする。事情を話して京都に着くのが遅くなるということ、家に帰れるのは8時ぐらいになるということを伝えて、京都までの移動時間、ようやくホっと息をついたのだった。

そうして。

京都駅に着いたのが6時15分。ここからレンタカーを借りて実家に着いたのが一時間後。家の前に着いたら待ち切れなかったのか家から飛び出て来て、駐車場の係の人のように、いやもっと怖い仕切り方で車をとめるのをリードしていた。

実家に到着。

約束の8時よりうんと早く着いたというのに、しげおっちはご機嫌がよろしくない。どうしたのかなと思ったら、私が椅子に座るなり怒りをぶちまけるのだった。

「千絵たちは今日だ〜れも来えへんかったんや」

お正月は毎年2日に車で30分ぐらいの所に住む妹一家が訪ねていたので、今日の午後は私も妹達が来ていると思っていたのだったが、そうではないらしい。

「ほんでな」

「今年は年賀状もよこさへんかってん!」

年賀状は別によこさなくてもいいと思うが、とにかく今日の午後に待ちぼうけを食らったことがよほど腹が立つらしい。

「でも、お父さん。私が来たじゃない。」

話題を少しそらそうとしたが全く私が来たことに対する嬉しさはない様子。

「千絵は”他の友達は実家に帰ったら落ち着くと言っているけど、私は一回もそんなことはなかった”って言うとった。そんなことあるか!」

いえいえ、それは私も全く同感。

私だってものすごく勇気を出してこの”うつぼかずら”に帰って来たのだ。

さすがに疲れが襲ってきた。それに輸血を受けながらの身体は基本的にしんどいのだ。

「あのね、お父さん。少ししんどくなっちゃったから今はあまりいろいろ話さないでもらえるかな?」

そう言ったが・・・

「ワシは!今話を聞いて欲しいんじゃ!」

と、逆切れされた。

結局最後は「あんた、今から電話して明日は来るように言って」と言って受話器を渡されていた。留守だったのでメールで「電話一本かけてあげて」と送ってそれで終わりになるかと思ったが、しばらくたってから再度今度は自ら電話をかけて孫に「今日は何してたん」「あのね。明日は来た方がいい思うがな」と70歳も年下の子供にわがままを述べているのであった。

はふぅ〜。

「その犬は、前にも連れてきた犬かいな」

ようやく父も落ち着いて、私と犬が訪ねてきたということに目を向けてくれた。

「前にも来た犬ですよ」

「何て名前やねん」

「ダンボです」

「マンボか」

どうせ名前を覚える気もないのだろう。自分のことにしか興味がない人だ。

あぁ、疲れたなぁ。お風呂入りたいな。ゆっくり湯船につかりたいな。

去年の里帰りでは”ワシは風呂には入らん”という理由で「お風呂禁止」令が出された。シャワーもしぶしぶ使わせてもらった経緯があったので「湯船」はダメだろうなと思っていたが、今日はシャワーも使ってはいけないと禁止令が出た。理由はやはり”最近はワシも2週間に一度しかシャワーはせん”からだと言う。

「シャワーもやめといて。」

えぇええええっ。シャワーも入れないの?

「タオルで身体を拭くだけで十分や。ワシもシャワーせえへんもん」

あぁあ。帰って来るんじゃなかった。

私、耐えられるかしら。今日から3日間。

ふと思い出したように父は妹のことをまた怒っていた。

「実家が落ち着かんとはけしからん!」

ちっとも落ち着かない実家なのである。