月別アーカイブ : 2013年2月

投稿日:2013年02月08日

2013年02月08日

最近また、たまに”飛ぶ夢”を見る。

”飛ぶ”姿勢は、周りの友人達に聞いてみたらそれぞれ違っていて、”高度”についてもみんな違っているのが興味深いのだ。

例えば、私は助走をつけてエイ!と飛ぶ。フワっと浮いたら平泳ぎをして空中に上がっていく。高度が思ったより上がらない時は、平泳ぎの頑張り度数を上げる。頑張った分だけちゃんと高く上って行くことが出来、鉄塔の電線を少し越えたラインが最終的な高度になる。電線に触れないようにちょこっと力の入れ具合を調整しながら電線を避ける。子供の頃から私の飛ぶスタイルはずっと同じだった。

友人達の飛び方は、手をまっすぐに伸ばしてスーパーマンのように飛ぶ人もいれば、バタ足をして飛ぶ人もいる。みんな飛び方は子供の時の飛び方から変わらないのがこれまた興味深い。

今日の夢が飛ぶ夢だったのだが、目覚めてふと思った。

これは、テレビや映画、テレビゲームなどで体験した”飛んだ時の目線”が記憶となってそれで飛ぶ夢を見ているのだろうか、と・・・。夢の中での私は何も不思議に思わずに飛んでいて、それがとても自然でリアルなだけに、脳みそが作っただけでは説明がつかない何かがある気がして仕方ないのだ。

過去、人間は飛んでいたのかしら。

過去世が鳥だったとかそういうことでなく、人間は飛べたのかもしれない。

真面目にそんなことを考えた朝なのであった。


投稿日:2013年02月07日

2013年02月07日

神田蘭さんの公演の稽古日。

今日は神田さんと演出家の貞岡さんに加え、舞台監督と音響さんと新しく顔合わせをする。講談と芝居はまた別のものになるのだが、大きな括りで言えば今回は「芝居」を作る進行に沿っているので、ちょくちょくとお芝居をやっている人独特の言葉遣いが出てくるのが新鮮だ。

台本に「音楽、落ちて」と書いてある。

ミュージシャン用語で言う「フェイドアウト」か「カットアウト」のことみたいだ。

フェイドアウトはだんだん小さくなって消える状態を指す。カットアウトは「バ〜ン!」とはっきり終わる。「音楽、落ちて」の時は演出家さんの指示で「カットアウト」か「フェイドアウト」のどちらのことなのかを口頭で伺って台本に書き込む。

蘭さんはセリフはもう既にしっかり入っておられるので、私がタイミングを逃すとそこで止まってしまうので、いつもと同じように楽器を弾くという慣れたことがやけに緊張する。多分、音楽に入る前のカウント出しなどがなく、セリフのタイミングでインテンポで曲を出すということに慣れていないせいなんだろう。

セリフを聴きながら、台本を確認し、次の曲の入るタイミングを計ってインテンポで曲を弾くということがこんなに難しいことだとは!

普段間違えないような所でひどいミストーンを出したりと、自分でもびっくりするほど下手ピアノになっていてちょっとあせった。いつも生徒さんに「音楽が始まったら、一歩も引かない。ビビらずに思い切って球を投げよう!」と口を酸っぱくして言っているが、この日ばかりは自分に”自分の場面に来たら、ビビらずに弾き始めなさい!”と何度も心の中で言っていた。

こんな下手くそではあかん。

セリフを聴きながら、台本を見て、次の曲だしのテンポを頭で準備万端にするって、昔エレクトーンに初めて触った時の「両手と両足がそれぞれ違うことをしているこれはどうなっているのか」と、とても私には出来ないわと思ったあれに似ている。

稽古が終わるととっても疲れた。

思ったより自在に自分が弾けないことに疲れた。

頑張れ私。

ビビらずに球を投げるのだ。

なんだか、一年生な気分をまた久しぶりに味わっている。

そんな時の方法はただ一つ。

それはどんなことにも共通して言えること。

復習と練習あるのみ、真面目に復習と練習をするだけなのだ。


投稿日:2013年02月06日

2013年02月06日

叔母から電話がかかってきた。

叔母は私の身内で唯一「結婚は出来るならしない方がいい」推進派で、母のように「早く結婚しなさい」の真逆の意見の持ち主。

「みきちゃん、その後どうしてるの」

叔母とは2000年に私が入院をして以降に親しくなった。子供の頃は「賢い親戚の家」として叔母一家へ対する気持ちは敷居が高かったのだ。吉川家とは文化レベルも学歴もかなりの格差があり、また話し言葉も「上流階級」の人達の話し方で、せいいっぱい私もいい子に振る舞っていたが、やっぱり根っこが違うんだ・・・と、叔父一家のことを「うちとは違うええとこの家」として認識をしていた。

だから、気やすく叔父や叔母を訪ねるということがなかったのだが、入院をした時期に叔母が病院に足を運んでくれたことから、私も緊張がなくなった。それどころか、今では「当時思っていたのと違っていた」面を見つけて、むしろ「うちともまた違う変わった家」として親しみさえ抱いている。

「うん、おかげさまで元気に過ごさせてもらってます」

「おばさんは?」

3人の従姉妹はそれぞれ都内と神奈川に居るので、叔母は叔父との二人暮らし。

すると叔母は

「私はほら、まぁまぁなんだけど、おじさんがね。もう困ったものでね」

と、いつもの叔父の愚痴へと移ったのであった。

叔父は私の母の兄。かつて私にとっての叔父は、お洒落な帽子を被り、話し方もスマート。父を含む”大阪のおとん”には居ないタイプの「ダンディな紳士」だったのだが、叔母から聞く話で今ではすっかり印象が変わってしまった。

「みきちゃん、もうね。なるべく結婚はしない方がいいわ」

叔母に言われなくても最近はもう婚活枠から落ちたと思っているのだが、そのまま話を聞く。と・・・

叔父は仕事をリタイアしてから、ずーーーっと家にいるらしい。その話はずっと前から聞かされてはきた。男性の老人は女性の老人と違って、趣味を持つわけでもなく、ただずーーーっと家でテレビを見ているだけの人が多いらしく、奥さんがそれによってストレスが溜まるという図式がよく見られるのだそうだ。叔父の家は典型的なそのタイプの様子。家で叔父はテレビのチャンネルをせわしなく回し、テレビに向かって文句を言い、特に趣味を持つわけでもなくずーーーーっと家に居る。

叔母は趣味が多いので外出もちょくちょくしているみたいなのだが、最近は叔母の外出中に暇になった叔父が冷蔵庫の中のものをあるだけ食べてしまうらしく、そのことを今回は叔母は怒っていた。

「帰って来ると、な〜んにも無くなっているのよ」

「なんにもないのよ!」

叔父は金魚になってしまったのか。

「おしっこははみ出してばかりだし!」

トイレ問題については、老人でなくとも夫婦間での問題になるのは知っている。知人ははみ出しが多かったせいか、ある時から奥さんから「トイレは座ってしなくてはいけない」という命令を受けていて、以来洋式便座に座って用を足している。トイレの掃除をするのはたいていがその家の主婦であり、はみ出した方ははみ出したことにさえ気づかずに呑気に居るので、ある時怒りが爆発して「もういや!」となるのだろう。

家から出ようとしない叔父を、最近は施設の「デイサービス」に行くように勧めているそうなのだが、これまた男の人は今更”知らない場所に行って友達を作る”のが出来ないらしく、叔父も「行きたくない・・」と駄々をこねているらしい。そう言えば父も「行かへん!」と言っていたっけ。

お迎えが女性だと嬉しそうに出て行くのだそうだ。

結婚はしない方がいい。

百歩譲って、籍だけはいれないように。逃げられるようにしておいた方がいい。

と、電話の締めは有り難い言葉をいただいた。

トイレ掃除はかなり臭いことになっているらしい。

叔母の友人間での共通の問題のようだ。

”この人のはみ出しおしっこを毎日掃除出来るかどうか”が基準の結婚か・・・。

なんだか・・・もう・・・。現世ではこのまま一人でのんびり暮らすのがいいのかもしれないなと思うのであった。


投稿日:2013年02月05日

2013年02月05日

今月19日公演の、神田蘭さんのレビュー講談「わたしが・棄てた・女」の稽古が始まった。

神田さんの稽古は2月に入ってから始まっていたが、今日は演奏を入れての初めての稽古。演出家の貞岡秀司さんが来られて蘭さんと軽い打ち合わせが始まると、普段音楽畑に浸かっている私にとっては、やっぱり”普段と違う”感じがする。

楽器をセットしたらまず休憩をして、それから一巡目はなんとなく肩ならし的にスタートして、何曲か演奏しつつ手元の音量だったり音色だったりを調整していくのが、普段の流れ。それに慣れているのだが、お二人は「じゃぁ、始めましょうか」という言葉が終わるともういきなり集中力がすごい。立ち上がりの早い状態にしておかないとついていけないぞ・・と早速身が引き締まる思いがした。

今日は作ってきた曲を聴いてもらいつつ、台本の進行に実際に合わせて「ここはこんな感じで」「ここはこういう風に終わって」などと細かい段取りを指導してもらう。蘭さんは既に台本を覚えていて途中で止まることもないので、またまた気が引き締まる。

貞岡さんの仕事は、音楽の立ち位置に置き換えると「プロデューサー」なのだと思う。作品を俯瞰で見てまとめていく作品作りの「頭脳」の部分を担うのがこの「プロデューサー」の役割なのだが、貞岡さんは指示がとてもわかりやすい。理解しやすい言葉にしてもらえるので、初めてだけれども作業が楽しいなと感じた。

稽古が終わるととっても疲れた。割と最近はこの「緊張感」を味わっていなかったせいなのかもしれない。が、同時にやりがいのある作品作りへの参加に充実感も湧いてきた。

明後日はまたスタッフの方が増えた状態での稽古なのだそうだ。

前からやりたかったことに携われるのは嬉しい。

やっぱり作る現場は楽しい。

新しい出会いがまた楽しいと感じたのだった。


投稿日:2013年02月03日

2013年02月03日

節分。

去年のクリスマスの頃、コンビニに行ったら「恵方巻き」の予約のチラシがレジのところにあって「えっ、もう!?」とすんごく驚いたというのに、あっと言う間にその節分の日がやってきた。

今年は恵方巻きを買わなかった。

いや、毎年買っていないので、『今年も恵方巻きを買わなかった』というのが正しいか。

でも豆まきは割と好きなのだ。

家の外に何かをばらまく、なんてことを普段の生活の中でやったら”ひどく常識から外れた行動”だとされるのに、節分に限ってはそれがよしとされる。大声を上げ、家の中から食べ物を撒き散らすだなんて、そんなおかしな行為が正しい過ごし方だということに興奮する。

やってはいけないことをやるということに解放感を覚える、私は真面目人間。そんなわけで豆まきは私にとって「ストレス発散」にもなる素晴らしい行事なのだった。

ただ・・・。

我が家は豆まきをしたら、ダンボが豆をその直後から掃除機のように吸い込んで食べてしまうという難点があった。

おまけに外に撒いた豆のことをこのチビ犬は、何故かしら翌日になっても覚えている。

窓を開けると豆を探しに外にピョーンと出て行き、数ヶ月かけてまだ見落としている豆がないか必死に探しまわるので、結果撒いた豆全てを犬が食べることになるのだ。それでお腹を壊して病院に連れて行くところまでが我が家の節分、というややこしい構図になってしまった。

<豆まきはしたいけれど、やるなら合理的な方法で。>

この数年間のウチの節分は、こういう本末転倒な状況。

今年の豆まきの豆は、犬用オヤツ「乾燥小粒納豆」を起用いたしました。

外には撒かない。

量は袋に記載してある「小型犬の一日にあげてもいい量」を「福は〜うち!」と言いながら撒いて・・・。

するとそれまで布団にもぐって寝ていたダンボが飛び起きてきて、部屋の中にばらまかれた乾燥納豆を掃除機のように吸い込んで、一瞬で豆まき終了。

はぁ〜っ。

いいのかしら。

独自路線の節分を行く我が家なのである。


投稿日:2013年02月01日

2013年02月01日

貧血の原因が当初告知された再生不良性貧血ではなかったことで、投薬の種類がネオーラルからエンドキサンに変わって一ヶ月。今の所「エンドキサン」は少量投与ということもあってか副作用はほぼ出現せずに過ごせている。

この12年で結構多くの種類の薬のお世話になっているが、副作用にギョっとした薬もいくつかあった。そのうちの一つが先月まで飲んでいたネオーラルだ。

薬の副作用は人によって出方も度合いもまちまちで、飲んでみないことにはわからない。ネオーラルはネットなどで検索をしてみると「毛深くなる」ケースが多いみたいだったが、私も同じくこの副作用が出現して「うわっ」と驚いた。

それは服用を初めて2ヶ月ぐらい経ったある日のこと・・。

投薬量がそれまでの量から増えたことによって、服用後の吐き気がひどくてそちらに気が行っていたが、ふと気づいたらふとももに濃い産毛が生えているのを発見した。

「えぇええーーーっ」

ついに「毛深くなる」が出現したってこと?

どんより・・・。

だって昔これまた大量のステロイドを飲んでいた頃、私は一度毛深くなる副作用を経験している。顔にはひげどころか頬にも濃い産毛が生え、スネとふとももは気がつけば男性の足ぐらいの濃い剛毛に覆われてとっても驚いた。

足をさわると硬い毛が手にザワザワっとあたって、よく言えば新鮮。が、正直言って大いにショックで違和感があった。

大昔に彼氏がスネ毛を手のひらでグチャグチャと摩擦をして「アリ」を足の上に作ってくれたことを思い出して、自分で同じことをしたら「アリ」が出来た。「わぁっ」と驚いたあとにもっとガックリした。

またあんな男性のような足になるのかしら。

薬が効いている証拠とはいえ、複雑だった。

ステロイドはその後量が減ってまた女性の足に戻り、もう二度とあんなことにはならないだろうと思っていたのだが・・・。

ネオーラルを飲み始めたのが8月に入った頃。

それから晩秋になり。

当時のような剛毛にはまだ至っていなかったので、ちょこっとだけ安心していたが、ふと鏡を見た時に「耳に何か汚れがついてる?」と思ったそれが耳にビッシリと生えた産毛だったのには倒れそうになった。

耳にも毛って生えるのか。

耳全体が猿のような毛で覆われているのを知って、一気に力が抜けた。

常識がくつがえって、新鮮さとそれから女性としては頑張る気が消えた出来事だった。

薬の量がその時はかなり多かったので、さすがにそこまでの副作用は出ない薬だとは思うのだが、それでも処方薬が変わったことで毛の悩みは今はようやく収束を迎えた。

今でも時々耳をさわってしまう。

そのしぐさをしている時、私は多分無意識に耳に生えた毛を確認しているのである。