月別アーカイブ : 2013年9月

投稿日:2013年09月12日

2013年09月12日

外来日。

血液検査の結果、血小板が更に減少しているということだった。

来週は血液検査に加え骨髄検査を受けることになった。

今の所、疑われているのは「再生不良性貧血」。

血液難病に指定されているが、軽度の場合経過観察中に自然によくなることもある病気なので、今のような状況は判断が難しいボーダーラインにある。8月の上旬に白血球と血小板が少なくなっていたのだが、飲んでいる薬をやめたら白血球は正常値に戻り、血小板も数値が上昇しはじめた。

しばらく様子を見て待っているうちに血小板の数も上がるのでは?と言われたのだが、その後現状維持になり、9月に入ってまた減少傾向に向かって行ったので、先生も予測が出来ない状況になってはいたのだった。

外来の度に結果が良くなっているのを期待したが、このまま来週も数値が下がっていたら、近いうちに入院になるだろう。

しょうがない。

しょうがないのだが、奇跡が起こって欲しいなぁとやっぱり願っている。

入院はいろんな予定を全部白紙にしてしまうからだ。

明日の山本かおりちゃんのライブ。

白紙にならなくてよかった。予定通り明日私はいつもの予定で生活が出来る。

どうしよう・・・ということばかりがクローズアップされてしまうが、それでもきっと今だって奇跡はいっぱい起こっているのだ。


投稿日:2013年09月11日

2013年09月11日

今日は週に一度授業をさせてもらっている国立音楽院の秋のコンサート。

渋谷区文化総合センター大和田のさくらホールで、受け持ちのポップスコーラスのクラスの発表があるので、午前中からホールに行く。

去年初めて来た時にホールの響きがなかなか掴めなくて苦戦したものの、あれからもう一年がたつのかぁ。一年って早いなぁ・・・と客席に座って振り返る。去年一緒に出た学生さんたちのほとんどは卒業して、今年はまた新たな学生さんたちが入れ替わったクラスになる。


リハーサル。私自身がステージ上で演奏をするので表の音が確認出来ない。去年それで困ったが、今年はリハーサルの時にI先生が表の音を聴いてアドバイスを下さったので、とても助かった。

こういうホールに来ると、いつもピアノの発表会の日のことを思い出す。

毎年一度、もう今はないのだが当時京都の河原町にあった山一ホールが私が習っていたピアノ教室の発表会で、ステージの上を照らす明かりが独特のオレンジ色で、ピアノの色がどこの場所でも見ない発表会でしか見ない色に照明で色を変えるところがとても印象的だった。今日のホールもやっぱり同じ色の明かりで、ピアノがあの発表会の時と同じ色になっている。

足元のペダルに足が届かなかった演奏会がよみがえってくる。

コーラスクラスの学生さんたちはプロを目指す人より音楽療法を学びたいという人が多いので、細かい部分にあまりこだわらずにいけたらなぁと思う。人と関わってハーモニーを奏でる、大人数になると決して足並みが揃う訳ではないので、それぞれはがゆく感じる場面はあるとは思う。だが、焦点をグっと引いて俯瞰で見られたら、年齢も音感も違ういろんな人と関わってハーモニーを成立させる。このことから学ぶことが大いにある。それぞれ先に持つ夢が違ったとしても、この先何かの折りに音楽だけに限らないもっと大きな問題に対峙した時、何かしらの物の見方となってヒントを与えてくれる。そう思って携わらせてもらっている。

去年も今年も、クラスの学生さんたちに恵まれていると思う。

何か優しいものが流れているのがふと感じられるのが共通した特徴だ。

楽しいひとときを一緒に過ごそう。

ピアノを弾きながらステージ上で笑顔が見られたらとても嬉しかった。

また一緒にこうしてステージに立ちたいな。

来年卒業をするまでまだ時間がある。

外に出たら9月の風が肌をかすめていった。


投稿日:2013年09月10日

2013年09月10日

8月半ばに熱中症から心筋梗塞を起こし、カテーテル治療中に左心房破裂を起こした父。たまたま私が帰省する日だったので妹と深夜緊急手術の際に病院にいることが出来た。

手術中は、「お父さん、今年はワシは今度こそ死ぬからな」と宣言していたことを振り返りながら、姉妹で死に目に会えてよかったと思う・・・と、語りあっていたが、幸運にも父は命を取り留めた。

それから一週間後、リハビリまで出来るようにまでよくなり、奇跡だと思っていたら、その日の夜に急変して再度心破裂を起こし、更なる開胸手術を受けることになった。

その日は心停止をしたというのに、本当に奇跡のように父はまた命を取り留めたのだった。

病院の先生からは二度も心臓破裂を起こしてまだ生きている人の例がないので、貴重な一例として経過を見させて欲しいと言われたのだそうだ。

父の年齢は85歳。

まだ生きていることにとっても驚いているのは私だ。

もう何があってもおかしくはないと思いながら、先週は呼吸器が外れ、そして今日の妹の話では明日ぐらいに集中治療室から出られるかもしれないということだった。

「お父さん、どんな感じ?」

病院食は普通食でなくムース状になったものを食べているらしい。

だが何故かりんごだけはムースにもならずに普通に切ったものが出ているらしい。

妹は「りんご、むしゃむしゃ食べてはった」と言っていた。

”むしゃむしゃ”という言葉が父をゴリラのようにイメージさせる。

「むしゃむしゃ??」

「そう、むしゃむしゃ食べてはったで」

そして話を更に聞くと、しげおっちの「ワシを中心に世界はまわっとる」性格が戻ってきたらしい。妹や看護師さんにどうもまた我がままを命令したり癇癪を起こしているらしく、「看護師さんから”いつもこうなんですか?”って聞かれたわ」と言っていた。

その「いつもこうなんですか?」の質問が全てを表している。

つい先日までは呼吸器につながれて眠った老人だったので、「いつも」の様子ではなくなっていた。

いつもって・・・それはそれはすごいのです。

接するにはゴリラより大変だと思います。

外でとっても失礼な老人が居たとして、家族が何の注意もしないのを見ると「なんて非常識な家族なの!」と腹を立てていたが、今はあの非常識な家族側にいる。何の注意もせずにいるわけじゃぁないのだ。ただ注意をすると火に油を注ぐとんでもない状況に移行してしまうので、少しでも被害を広げないようにしたいと本当は身をかた〜く小さくして”収まれ〜収まれ〜”と事態の収束をひたすら願っておるのだ。

妹も早速「すみません、ご迷惑をおかけします・・」と頭を下げて帰ってきたらしい。

<頼むから他人様にエラそうに命令するのはやめて、おとうさん。>

私も遠くから念を飛ばす。

集中治療室から出られるところまで元気にしてもらった父なのであった。


投稿日:2013年09月07日

2013年09月07日

私の身体はどうも自己免疫疾患の連鎖を起こしているらしい。

西洋医学に加えて漢方薬のお世話にもなってみようかと考えていたのだが、ここに来て1年なら1年と決めてもいいし、実際に漢方薬を処方してもらって自分の身体がよくなる方向を目指してみようと決心がついた。

ネットで探したら家から原付で10分ちょっとのところに漢方薬を調合して出してくれる薬局があって、メールの返信を読んで訪ねることにしたのだった。

こんにちは。

家で地図を見てあとはなんとなく勘を頼りに訪ねてみた。

だって決めたなら始めるのはなるべく早い方がいい。

事前に病歴やここ最近の流れをメールで送っていたので、名前を言うとすぐにわかってもらった。応対してくれた70代前半ぐらいの男性がここの店主と思われる。店の中があまり片付けられていなかったので、一瞬このまま帰ろうかなぁと不安になったが店主の男性が、話しているうちにいい人に思えてきた。

お金目当てのニオイがしない。

むしろ商売が下手そうにも見える。

一人一人に合った漢方薬を調合してくれるのなら、真面目にそのことに取り組んでもらえる人がいい。この病人をなんとかよくしてあげようと思ってくれる人に感じられたならお願いしよう。

なんとなく、この人は信用が出来る人だと思った。

一ヶ月分の薬で15000円を支払う。

ネットに表記してあった料金の消費税分が何故かおまけになっていた。

お薬をもらうとちょこっと気功をしてもらった。店内に「サービスで気功します」と書いてあって、せっかくだからちょこっとお話をしながら気功サービスを受ける。

「母が病気ばかりしていて、どうも私は母の体質を受け継いでしまったみたいなんですよねぇ」

貴女の上にはお兄さんかお姉さんはいませんかと言われて、いいえいませんと一度は返事をしたが、そういえば死産だったのですが兄が居ましたと答えると、一番目の子供は父親の体質を受け継ぎ、二番目の子供は母親の体質を受け継ぐのだと教えてもらった。

また「男タイプ」の身体と「女タイプ」の身体があり、男タイプは基本的に頑丈に出来ていて、女タイプは精密機械であちこち具合が悪くなりながらもなんとか修理をしてもつらしい。母も私も女タイプ、祖母は両方男タイプ、妹も女タイプに思えたが男タイプなのだなぁと妙に腑に落ちる。

人間の身体は複雑なようで単純。もとはアメーバだったので栄養を取り込み、いらないものは排出する。基本はここにあるのだそうだ。

歩けなかったおばあちゃんが歩けるようになりましたよと最後に勇気づけてもらった。

奇跡みたいなお話はあまり自分自身には期待せず、でも漢方の力を信じてみようと思う。

効果がどう起こったのか、または起こらなかったのかは自分が記すことによってそれはそれで「いい記録」になるのではなかろうか。

効果があるといいな。

ちょっと独特のニオイのする粉っぽい漢方薬を家に帰って早速飲んでみた。

続けられるのかしら・・この味とこの量。

一日3回、これから薬を併用する予定だ。


投稿日:2013年09月06日

2013年09月06日

今日は少し秋の気配がした。

空の高さなのか、肌に感じる風の感じなのか。

まだ決して涼しいわけではないのに。

部屋の中に居ても感じる秋の気配。

エアコンがかかったいつもの家の中。

それなのに季節が変わった気がする。

なんだろう。

この感じは。

次の季節を感じた日は何故か少し新鮮な気持ちになる。

忘れていた感じが蘇るのは、その日をほんの少しワクワクさせてくれる。


投稿日:2013年09月05日

2013年09月05日

外来日。

先日のPET検査の結果と細かい血液検査の結果が出る日なので、少しドキドキして診察室に入った。

PET検査の結果では肺にやはり気になる箇所があり、多分ガンではないとは思うけれどと前置きがありながら、呼吸器内科で更に診てもらうことになった。

血液検査の結果では血小板が下がっているのは抗体が関係しているらしく、病名が今度は再生不良性貧血になるかもしれないということで、いずれにしても骨髄検査は近いうちにしましょうと言われて診察は終わった。

PET検査と血液検査を受ける時には、予後のあまりよくない病気の可能性を言われていたので、いろいろ検査はまだ続くものの検査結果を聞いて少しホっとした。

身体をリセット出来たらいいのになぁ。

今日も輸血を受ける。

このところ、新しい薬を飲むとそれがきっかけとなってまた新たな問題を生んでいる。始めるなら今かなぁと、漢方との併用を少し考えている。


投稿日:2013年09月03日

2013年09月03日

昨夜、「よし、やっぱり行こう!」と急遽予約をして、今日から一泊山中湖にダンボと車で出掛けることにしたのだ。

父はまだ集中治療室、私も肺と血液の病気の2つの検査が続いていて、更にダンボも病院通い。本当は全部、気持ち的に晴れてから出掛けられるのが一番よかったが、そんなベストな状況なんてもうこの先ないのではないかと思うようになり、昨夜遅くに「よし、行こうか」とポチっと予約ボタンを押したのだった。

車があるってこんな選択肢が持てるってことかぁ。

フラっと犬を連れて一人旅が出来ちゃうのだ。

素晴らしい。

チェックインの時間に合わせて家を出る。2時間弱で着く予定で、伊豆、箱根、八ヶ岳、那須、千葉、長野といろいろ候補があった中から一番車で近場の山中湖。B#の4枚目のアルバムのレコーディングで行ったのが最初であれから今日が2回目になる。

ダンボを横に乗せて永福下りの乗り場まで10分ちょっと。すぐに高速に乗れた。首都高から中央高速に進み・・・お天気もよくて八王子を越えると運転も慣れてきた。相模湖の辺りまで来ると山が急に迫って来て道路もカーブやトンネルが増えて来る。談合坂のサービスエリアで一旦休憩をした。

大月ジャンクションで河口湖方面に分岐して進む。

ここまで来ると高原の道路の感じがする。緑が多くて見通しのいい緩やかなカーブの道が続く。富士急ハイランドが見えたら河口湖。そこからは東富士五道路へ。東富士五湖道路にまで来ると富士山の麓で道は完全に雰囲気が変わる。なんて走りやすい気持ちのいい道路だろうと思っていたら激しい雨が降ってきた。

山中湖到着。

インターを降りたらすぐに旅気分を味わえる景色に変わった。

湖畔には宿や飲食店、大学のセミナーハウスや会社の保養所などが密集していて、湖にはスワンボートがたくさん浮かんでいた。

湖畔を走って6番のプレートが見えたら右折をして山の中を上がって行く。今日お世話になるペンション、ラムールノアさんに3時半頃に迷わずに到着した。

ペットホテルは2回目になるのだが、ダンボがベッドの上に上がりたがる犬なので、「お布団に上がってもいい」ホテルがなるべく希望なのだが、そういうホテルは割と少ない。ペット同伴歓迎と言っていても、規則が厳しくてくつろげないホテルもあるらしい。ちょびっと緊張をしてダンボとフロントに向かった。

今日の宿泊は一人旅のお客さんが4組もあるのだそうだ。

館内の説明を受けたあとダンボとお部屋に案内してもらう。

館主さんも親切な方で、ベッドの上もOK、館内もリードをつけないと行けない場所は限られていて、のびのびワンコが過ごせそうでよかった。

「ダンボ、着いたよ〜」

実家に一緒に帰ったりしたことでダンボも旅慣れしてきたのか、意外にも順応性高く、早速ベッドの上に乗って家でしているようなくつろぎモードに入っていた。

<わたしたち、旅行に来たのねぇえええ>

なんか嬉しい。

旅って日々の荷物を簡単にリセットしてくれる。

あんなにブルーだった父や自分や犬の病気のモヤモヤを”一旦忘れる”モードにすぐにしてくれる。なんだろう、このすがすがしさは!

宿に夕食はついていないので、ペンションのマスターに教えてもらったお店の中から犬を連れて行けるシチューのお店に行くことにした。

雨はまだ降っているがそれも景色に深みを与えてくれている。

9月に入ったからなのか、それともこちらの気温が低いだけなのか、外は秋の空気が感じられた。

シチューのお店を出たら、湖を一周して宿に戻る。

ワンちゃんのプレイルームがあり、そこで宿泊のお客さんや宿のマスター、ワンちゃん達となんでもない時間をまったり10時を過ぎるまで過ごした。ダンボはやっぱりワンちゃん達の輪から離れたところで<友達なんていらない>と意固地になっていたが、それでもそれなりにその場に居た様子だった。

妹からのメールで父の呼吸器が外れたことを知った。

いろんなことはなるようにしかならない。

なるようにしかならないことはあれこれ考えてもしょうがない。

そう頭ではわかっていても気持ちが晴れ渡ることはなかった。

旅って必要だなぁ。

少なくとも私にとっては。

ダンボと一緒に来れたこともとてもよかった。

秋が深まる頃にまたこんな風にまた1泊旅が出来たらいいな。

山中湖に来たことで大きな深呼吸を味わえた。


投稿日:2013年09月01日

2013年09月01日

春に車を買ってから、車に乗る機会が増えた。

それと同時に決まった時間に聞くラジオ番組も出来た。

日曜日はTBSラジオの「安住紳一郎の日曜天国」の番組後半を聞くのが最近の流れになっているのだ。

土曜日は家に帰ってから落ち着いた頃に、「情報7daysニュースキャスター」を見てそのあとはお風呂に入って寝る準備をするので、安住紳一郎で終わり、そして安住紳一郎で始まる週末を迎えているのだ。

で、その前の日はちょうど外での仕事から帰ってきて、「ぴったんこカンカン」を見ながらの夕食後のくつろぎタイム。

テレビやラジオを聞くよりネット時間の方が長い私にとっては、安住紳一郎がとってもパーセンテージを多く占めていて、特にファンというわけでもなかったのに、だんだん恋人と会っているような錯覚に陥ってきたのだ。

だって、金曜日の夜、土曜日の夜、仕事を終えて帰ってきたら「安住紳一郎」。日曜日は運転中に安住紳一郎が「それでは、いい一日を!」と言ってくれるのである。

人は何度も顔を合わせる人が好きになるという法則があるらしい。

日曜日のお昼前、私はちょっと寂しい。

3日間、私のオフを一緒に過ごす紳一郎に一方的に「それではさようなら」と告げられるのだ。

仕事が終わったら迎えに来てよ。

せめて着くまでつき合ってよ。

先週よりエンディングが早いやん。

最近は家を出るのを少し早い時間にしたのだ。

さようならを告げられた頃に私も車を降りたい。

一人残されるのはイヤなの。

日曜日のお昼前、私はちょびっと乙女になっているのである。