今日は母の命日。
母が亡くなってから、もう8年。
「夜に爪を切ると、親の死に目に会えない。」
以前は決して夜に爪を切らなかった私だったが、もう今はそれを守らなくなった。霊柩車を見ても、お葬式会場の前を通る時も、親指を隠すのももう今はしていない。
自由になったものだ。
母が亡くなったと聞かされた時、私は東京の病院の外科病棟の個室に入院中だった。2度目の手術が終わってまもなく1ヶ月になろうとしているのにもかかわらず、息をするのがやっとという最低ラインの体力で、毎日が辛くて仕方がない時期だった。体重も37キロ位になっていてすぐ近くにある機械みたいなのが「ピー」と音を鳴らすと、看護師さんが「頑張って息をして」と言う。だが、もうそれで十分頑張って息をしている状態でそれ以上の力が出なかった。
母が亡くなった頃、私もギリギリの所に居た。
母が亡くなったと聞いても、悲しむ余力もなかった。
しょっちゅう「ピー」と機械が音を出し、呼吸がちゃんと出来ていない警告をする。
いつか母が亡くなる日は来ただろうけれど、まさかお葬式にも出席しない形になるということは、想像もしていなかったから、母との別れはちゃんと出来ていないままだ。
本棚の所で手を合わせる。
朝、起きたら仏壇はないがチビ太、ゴン太、ご先祖さまに手を合わせる余裕が今は暮らしの中で持てるようになった。
8年経って、今日を穏やかに迎えられていることを幸せだとつくづく思う。
おかあさん、ありがとう。
母は私を連れて行かなかった。私も苦しくて仕方がない毎日だったのに、それでも生きていたいと「生」に希望を向けていた。
私の手や足の形は、母にそっくりだ。
そして声もそっくりになった。
多少体の方は不便になった部分はあるけれど、幸せを感じるアンテナを持てるようになった。
命日にありがとうとあらためて言葉をかける。
母が亡くなって、大事な記念日が一日増えた。
みきちゃんのお母様、きっといつもみきちゃんを見守って下さっていると思います。
私も昨日、父と叔母の命日が近いので、お寺参りに行って来ました。
お寺には、ジャカランタっていう綺麗な花が咲いていました。
私の手の爪も母に似ています。(^^;;
ジャカランタ、初めて聞く名前のお花です。お寺参りに行かれたんですね。素晴らしい。お寺にはそういえばほとんど行ってないなぁ・・・^^;女の人は母親に似てくるんですよね〜。私の母は矢野顕子さん似だったので、もうすぐ私は矢野顕子さんになる予定です^^v