月別アーカイブ : 2010年6月

投稿日:2010年06月30日

2010年06月30日

ニュースで面白いものを見た。
今位の時期の利根川では大雨のあとに、ハクレンという魚の集団ジャンプが見られるのだそうだ。ハクレンは中国原産のコイの仲間だそうで、産卵の時期のちょうど今頃、大雨で川が増水した日に集団で水中からジャンプをするのだ。集団で繰り返しジャンプをする盛大なジャンプ祭りは一年で基本的には一日だけらしく、日本では利根川でだけこの様子が見られるのだそうだ。大きな魚がトビウオになって飛ぶ映像は迫力があったのだ。
ハクレンは体長が1メートルぐらいある魚で、中国では8メートルぐらいの大きさのものが未確認ながら発見されたとされている。
誰が教えるわけでもないのに「今が産む時」をわかっている。受精卵は川の流れがあって川底に沈んでしまわないことがまず最初のふ化の条件らしいので、子孫を残すために一番いいタイミングにみんな揃って産卵の準備に入る。ジャンプもすごいがそれ以上に魚たちの遺伝子ってすごいなぁと思うのだ。
そうか。
魚は空も飛べるのか。
私も空が飛べるかもしれないね。
出来ないと思って捨てていたことの中に、まだ可能性があるんじゃないかと思い直せそうなハクレンのジャンプだった。


投稿日:2010年06月29日

2010年06月29日

日が暮れてすぐの頃、原付で近所の道を走っていたら向こうから自転車に乗ったご婦人がやってきた。
ううむ?
何か変。
一見問題ない雰囲気なのだが、「間違い探し」のように何かが一カ所おかしいような気がする。
すれ違う時に、わかった。
ご婦人は頭にライトを巻き付け探検隊のようなヘッドライト状態で自転車に乗っていたのだった。
自転車にはライトがついていなかった。
だからだったのだろう。
真面目なご婦人はそこで考えた。
<無灯火運転はいけませんわ>
しかし、頭につけられるようなあの装備の方がよく家にあったよなぁと思うのだ。だってヘルメットではなく、直接頭にバンドか何かを巻き付けたところにライトがついていた。一瞬しか見ていないが、そんな風に見えた。
あの格好でご婦人はどこに行ったのだろう。
どの自転車の人よりも存在感がある。
安全な方法だなと感心したのだった。


投稿日:2010年06月28日

2010年06月28日

何年か前から度々見る夢がある。
同じ夢ではないのだが、シチュエーションが同じ夢を見ている。
私は実家に一時的に帰って来て過ごしているのだが、10年前に亡くなった母が夢ではまだ生きている。そのことを私も不思議に思っていない。そして実家で過ごしているのだが、夢の後半になって「もうそろそろ帰らないと」と、今の自分の家に帰ろうとする、そういう筋書きの夢だ。
夢の中でも私は一人暮らしをしている。ダンボはそれらの夢にはほとんど出て来ない。そして一人暮らしの家は、実際今住んでいる家ではなく、場所も夢によって違う。ハイツの時もあるし、下宿先のようなところもあったりで、東京というわけでもなさそうだ。そして夢の中で私はどうも随分その家に帰っていないみたいなのだ。
夢の中で私は毎回思っている。
<帰ったら多分埃だらけだから、かなりしっかり掃除をしないとダメだわ>
もう何回この筋書きの夢を見ただろう。
「もうほんとうに帰らなきゃ」
そう意を決して「今」の家に帰るところまで必ず夢は筋書きに沿っている。ただ夢の中の景色が夢ごとに違うだけ。
亡くなった母が何かを伝えようとしているんだろうかと考えてみたが、夢の中の母は至って生前と変わらない様子で、いろいろ考えてはみるのだが、母の伝えたいことというのがどうも私には繋がらず、夢からさめると「また同じ夢だった」としばらくそのことが頭に残るのだった。
実際の私は、数年前から自分の育った街が一層好きになった。
大好きな町だったんだなぁと恋しくなる時がある。
夢が「でもまだ帰っちゃいけないよ」と教えてくれているんだろうか。
度々見る夢について考える。
眠っている時に、もう一人の私が私に語りかけている何かのメッセージなのかもしれない。


投稿日:2010年06月27日

2010年06月27日

お昼休みにとある神社の境内で休憩をした。
神社仏閣には京都の大学に通っていた時には全く興味がなかったのだが、今は喫茶店でお茶を飲むよりこういう場所がほっこりするなぁと感じることがあって、それで今日も境内で腰をかけてしばらくぼ〜っとすることにしたのだった。
今日の天気は薄曇り。
すぐ近くには大きな幹線道路が通っているので、車の行き交う音が結構聞こえてきて都会の中にある神社なのだなぁということがわかる。
子供が数人とご婦人のグループがお参りにやってきていた。
少し顎を上げて視野を上にそらしてみる。
ここは古い神社なので、江戸名所図会では周りは何もないような場所に神社が描かれているので、江戸の頃は全く今とは違ったのどかな場所だったのだと思う。当時に少し想いを馳せて視界を上にずらすと、なんとなく時代がワープ出来るような気分が味わえるので、古い建物のある場所に来たら時々こうして時代が現在に特定出来ない角度で眺めることがある。楽しい逃避行だ。
プォップォー。
背後で車のクラクションが鳴って、また今に戻ると都会の中にあるここだけがちょっと古めかしい景色に戻っていた。
東京はいつからこんなに蒸し暑くなったんだろう。
生温い空気が空を覆うようにゆっくりと動いて行った。


投稿日:2010年06月26日

2010年06月26日

私はまだ一度もマンション暮らしをしたことがない。
鉄筋の家に住んだことがなく、それに二階より上の階に住んだことがない。物心ついた時に住んでいたのが平屋の社宅だった。その後今の実家に引っ越し、それが二階建ての木造住宅だった。
東京に来て最初に住んだのが中野区のハイツで、近くには江頭2:50が穴を掘って抜け道を作ったという古いアパートがある辺りだった。その後住んだのが一番マンションに近いがこれも鉄筋ではなく、三階建ての世帯数はそれほどない二階に住んでいた。そして木造のテラスハウスを経て今は木造の一階部分に住んでいる。
だから宅配ボックスやオートロック式の入り口に結局今まで縁がなく、特に宅配ボックスのしくみはずっとわからなかったのだ。
まぁ、高い場所が怖いということもあったが、一度ぐらい高層階での暮らしをしてみるのもよかったかなと今更思うこともあって、物件のHPを見て<もしも、高層階で暮らしをしたなら・・・>の楽しい想像をして楽しんでいることがある。
上階に住んだことがないので、洗濯物は風に飛んで下まで取りに行ったりすることはないだろうか?深夜一人でエレベーターに乗った時、どこかのフロアから悪人が乗って来たらどうしよう!という恐怖はないのだろうか。
だがゴミ箱のようにチラシが投げ入れられている家のポストとは違って、オートロック式のマンションならポストもポストらしくありそうだ。
一番の夢は平屋の一軒家。
引っ越しはとにかくお金と労力が要る。日本はあまり簡単に引っ越しが出来ないようなしくみになっているのだ。
洋服をかえるように住む家をかえる、なんてことはとてもじゃないが私には出来ない。
もうマンション暮らしは一生縁がないままなのかもしれないなと思ったのだった。


投稿日:2010年06月25日

2010年06月25日

夜、割と大きな通りから家に帰る小道に行こうとした時のこと。
すぐ前に数人のやんちゃそうな若い男性達が歩いていた。
この小道が家まで一番近いのだが、ちょっと考えた。
こういう時、彼らの後ろを歩く方が安全なのか、それとも彼らとは違う道に回った方がいいのか。この小道はこの先、ちょっと暗い道になる。かつあげをされたら間違いなく逃げられない。この辺りの住人でないのに、こんな時間にどうしてここを歩いているんだろうということからも、彼らの存在が自分にとって少し心配になったのだった。
どうしよう。
いつもこの道を歩く時は、後ろを振り返りながら急ぎ足で通るのだ。たまに女性や犬の散歩の人が一緒だとホっとする道。あまり遅くなったらこの道は通らず、タクシーを利用するのだが今日は時間的に微妙な感じで、そんな時にこういう状況になったのだった。
どうしよう。
いずれにしても家に帰る道は最後に細くて暗い道が待っている。
やっぱりその中でもこの道が一番明るい通りか。
それにこんな護衛がいればこんなに安心なことはない。それで結局少し距離を保って、彼らの後ろを歩くことにしたのだった。
明かりが暗いところを過ぎて、分かれ道になっているところが見えた。たいていは一緒になる人はその道を真っすぐ進み、私一人が左に曲がる。この角は昼は緑道へ行く人が通るが夜遅い時間には数軒の住人しか曲がらない角だ。
彼らはその分岐のところをゆっくり左に曲がった。
<怪しい>
警戒をしたその時、
前を歩く3人の男達のうちの一人が今度は振り返った。
怖かった。こっちに来たらどうやって逃げたらいいんだろう。今からでも引き返そうか。
でも
私もあと少しで家だわ。
この動揺をまずは悟られないようにしなくっちゃ。
ドキドキしながら歩いていたら、またもや前を行く男達が振り返った。
怖い!
と思ったが、二度目は何故かしら怖くなかった。
どうしてかしら。
うーーーーーーむ。
<え?>
もしかして?
私が不気味がられているの?
むむむむむー。
<変な女がさっきからついて来るんだよ>
前で彼らはそんな話をしていたのだろうか。
<おい、あの女まだついてくるぞ>
<ちょっと待ってよ!私はここの住人なの>
<キモい女だな。早く行こうぜ>
家の近くの角を曲がる時、ようやく理解した。
自分が「かよわい女性枠」から外れたんだなとわかると複雑な気分であった。


投稿日:2010年06月24日

2010年06月24日

この数年で、レインブーツなるものが、ファッションアイテムの中に入ってきたような気がするのだ。
なが〜い間、それこそ私が子供の頃からレインシューズはあって、しかしカテゴリーは雨合羽と共に「雨具」でしかなかった。子供の頃は雨が降るとレインシューズを履かされるのがいやで、大人用のレインシューズはあったが、長靴は子供が履かされる窮屈なグッズだった。
大人になったら長靴を履かないぞ。
そう思って、ちょっとやそっとじゃ雨が侵入してこないのをいいことに水たまりで乱暴にバシャバシャとやっていたっけ。
数年前、会社の忘年会の時に景品で出た長靴は、<もらっても困るもの>として、たらい回しにされていたが、あの数年前には長靴はまだ「ファッション」のカテゴリーにはなく「雨具」だった。
便利で助かるもののはずなのに「雨具」に対して、あんまり感謝の気持ちがなかったような気がしていたのだ。
が、ファッションアイテムとして取り上げられるようになってから、小雨でもレインブーツを履いて出る人が増えた。
時代が変わったのだ。
「あ〜めあ〜め降れ降れ、かぁさんが」
”蛇の目でお迎え嬉しいな”の「蛇の目」が傘を意味していることを知っている若者は逆に少なくなったかもしれない。


投稿日:2010年06月23日

2010年06月23日

時間つぶしに駅ビルのコスメ雑貨店に入った。
ここはコスメやアクセサリーに洋服と幅広い品物が置いてあって、30分ほど店内を見て過ごそうとブラブラしていたのだ。
特にコスメコーナーには各社いろんな商品が置いてある。私はあまりコスメには興味がない方だが、それでもこのコスメコーナーは楽しめる。「これを使ったら、今度こそ綺麗になれるかも!?」という気持ちにさせる魔力が昔からここにはあるのだ。
丁度化粧をしていなかったので、試用見本でフェイスパウダーをポンポンとはたいてみた。
だが、私が見本品をつけるようになったのは極最近のこと。それまでは、どこの誰が使ったかもわからない品物を自分の肌に直接つけるのは気持ち悪く、せいぜい手の甲につけて色をチェックするぐらいでしかなかったのだ。
今も基本的にはこれらは使わない。本当は一番試したいのは口紅で、これは自分の元のくちびるの色との兼ね合いがあるので写真でモデルさんがつけた感じでは判断が出来ず、手の甲で試してもやっぱりわからない。つけてみるのが一番なのだ。だが、店頭見本品の口紅だけはどうしてもトライ出来ない。どの見本品も使用されたあとがあるが、中にはぐちゃぐちゃになっていて誰がどうしてこんな風にしちゃったのかしらと思うようなひどい具合のものもあって、そういうのを見たら余計に試せなくなったのだ。
<口紅はやっぱりダメだわ>
と、思ってふと横を見たら、ご婦人が隣りのコスメコーナーで口紅の見本品を自分のくちびるに塗って鏡を見ているのを丁度見つけたのだった。
<この人、気にならないんだわ>
そのご婦人は、一つだけでなく何本かの色を試していたので、平気な人も居るんだなぁと思ったのだった。
しばらくして、時間が丁度いい頃となったので、駅に向かうことにした。
ふとリラクゼーション店の予約待ちの椅子に座っている女性を見たら、それはさっきコスメコーナーで口紅を試し塗りしていた女性だった。
私達、同類。
コスメ雑貨店は、時間つぶしに立ち寄る楽しいところなのである。


投稿日:2010年06月22日

2010年06月22日

今年の夏至は昨日だったのだそうだ。
どうも6月はまだ今年の助走期間に思えてしょうがない。
夏がカレンダーの中でも一年のピーク時にあるような錯覚になってしまうので、秋が来たら一気に年末になってしまう感覚が変わらないのだと思う。
これから更に日が長くなって行く感じがするのに、もう今日は昨日より日が短くなりつつあるとは・・・・。
北欧では暗くて長い冬が続くので、各国盛大な夏至祭があるのだそうだ。
日本の夏至はニュースでちょこっと伝えられるぐらいで、あまり気にとめられることもない。
日本はあまり日の長さが生活を大きく変える国ではないということか。
昨日、夏至だった。
少しずつ日が短くなっていく。


投稿日:2010年06月21日

2010年06月21日

ラジオの収録が終わってエレベーターに乗ったら、隅っこに折り畳んだTシャツが置いてあるのを見つけた。
さっきここに来てこのエレベーターに乗った時はなかったTシャツ。
落とし物というにはあまりにも綺麗に置いてあり、それはお風呂場でお風呂から上がったら着る為に置いてあるような、そんな風情でそのTシャツはあった。
<あなた・・・どうしたんですか>
Tシャツが答えるわけがない。
私も理由が聞きたいが、なによりこのTシャツくんが一番自分の身の上を誰かに知ってもらいたいであろう。
だって、Tシャツはエレベーターに必要なものではなく、ここに居る意味がないのだ。”俺、この先どうなっちゃうんだろう”と私だったら不安になる。今だって、見知らぬ私が乗って来てギョっとした顔で自分を見ているわけで、だからと言って俺を迎えに来てくれたわけではないのだ。
一人ぼっちでエレベーターの隅っこに居るだなんて、私だっていやだ。
誰も人間が乗らない時、エレベーターの電気は消えているんじゃないのか。
そして数日放っておかれてその後、ビルの管理人さんにつままれて捨てられるのである。
私が引き取ってあげればいいのだけれど・・・・。
いや、やっぱりそれは生理的に無理。
見ず知らずの男物のTシャツを救うという余裕が自分にはない。
ごめんね。Tシャツくん。
<じゃぁね、グッドラック!>
それにしても何故、あんなところにTシャツが?
エレベーターでの怪事件なのであった。