はじめに

〜このWeblogの生い立ち〜

2000年1月〜2001年の暮れまで、私は目覚めてから眠るまでを病室のベッドの上で過ごしました。入院生活が1年と4ヶ月が過ぎようとしていた頃、友人が「無料のHPがあるけど、気晴らしに書いてみたら?」と、提案をしてくれたことがきっかけとなって、ポケットボードという物を入手し、日々思うことを綴り、それを友人の携帯に送ってUPしてもらうという形で日記はスタート。住む場所、職業、性別、何も明かさずに始めた日記でした。

「wasa-b」は、当時お気に入りだったわさびふりかけから命名。

投稿日:2011年05月18日

2011年05月18日

今日は旅もいよいよ終盤、フランスを出国する日なのだ。
午後2時25分発のTGVに乗ってエクスアンプロバンスから空港に向かい、6時過ぎに空港に着いてから20時の飛行機で日本に発つので、今日は観光はなく移動だけで一日がかりになる。
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11時にホテルをチェックアウトして、まずはタクシーで駅に向かう。14時台の列車なんだから早すぎるかなとは思ったが、駅に着いてからブラブラして過ごせばいいかと思ったら、TGVのプロバンス駅は駅しかない何にもない所だった。
まぁ、遅れるよりいいか。
待ち合いの椅子に座って時間をつぶすことにした。
ここまでの旅は危なっかしいながらもなんとか大きなトラブルにならずに済んできた。後は無事に空港に到着をして帰りの飛行機に乗るだけ。いつも詰めが甘い私なので、ここで「頑張ろう!」とあらためて自分自身に言い聞かせる。
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列車の中や駅構内では割とワンちゃんを見かけた。こちらではケージに入れることなく、リードで散歩をするのと同じ状態で犬を連れていられるので、臆することなく犬がトコトコ歩いていたりする。日本でもどこでも、私は外で犬を見るとダンボのことを思い出す。ダンボに会いたいなぁ。もうすぐ会えるよ、ダンボ。なんてことを思いながら電車のチケットを何度も確認して眺める。
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2時近くになってようやく私が乗る前後の列車が電光掲示板に表示され始めたので、確認に行った。まさかこんなに早く駅に着いて乗り遅れたりしたら本当に自分のことがイヤになる。そんな失敗はしないぞ。ここはしっかり行こう。
だが・・・・、電光掲示板に表示された自分の乗る列車の情報がちょっとおかしい。
時刻はチケット通りなのだが列車番号がチケットにある「5019」ではない。こういう場合はどうしたらいいんだろう。列車情報を更に細かく見てみると、14時25分発のTGVは8両編成でやって来るとある。ホワイ、何故?私の席は16号車、それじゃあ私はどうしたらいいのでしょう。
よくわからないので取りあえずホームで電車待ちをしていたペネロペクルス風美女に尋ねてみたら、親切に一緒に駅員さんのところに尋ねに行ってくれた。結局駅員さんが言うには、どこの号車でもいいから乗っていいですよということだった。8両編成の電車に16両編成分のお客が乗っても大丈夫なのでしょうか。で、これは別の列車ですがちゃんと空港に行くんでしょうか。
はっきりした答えが得られないうちに14時25分発の列車はやってきて、あんなに早く駅に着いたのに最後は遅刻ギリギリの気分で乗り込んだのだった。
電車に乗ったはいいが落ち着かない。
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だって私の席はないのだ。
本当はあったのに。
ちゃんとお金も払ってあるのに。
席がない。
今座っている席は誰かが乗って来たら立たなくちゃいけない。
そして実際に途中の駅で「僕の席です」という人が現れて何か悪いことでもしたかのように気まずく席を立ち、空いている席を見つけて座ったものの駅に着く度に「この席も追われるかもしれない」と落ち着かないまま過ごしたのであった。
そして移動時間は過ぎて。
パリ・リヨン駅を過ぎたら次が私の降りるシャルル・ドゴール空港。
次だわ。
パリ・リヨン駅を列車が出発すると降りる用意を始めてふと腕時計を見た。
すると。
時刻は18時5分をまわったところではないか。チケットを見直してみた。そこにはシャルル・ドゴール空港到着時刻が18時5分と書いてあった。
外を今列車が出たばかりの駅のホームが流れていく。
待ってーーーー。
私の降りる駅はここだったみたいです。
今、確かにパリ・リヨン駅だったと思ったのに・・・・。
オロオロしながら車内で目が合った乗客に「空港は今の駅でしたか?」と尋ねたら、「次ですよ」と答えてくれた。電車が遅延しただけのことだったのだが、何のアナウンスもないので思わず混乱したのだ。よかった。よかった。私にはまだ帰れるチャンスが戻ってきたってことね。というか、帰れなかったらまずい。
空港駅に着いてそこから私の乗る第一ターミナルまでが少し距離があるという前情報を元に、ひたすら案内板を見ながら第一ターミナルを目指して移動をする。案内通りにエスカレーターに乗ったり下りたり乗ったり下りたりして、気づいたら駅のホームに立っていた。
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そこに電車がやってきた。
何故、電車を下りたのにまた私は電車のホームに私は居るのだ。
ここはどこ。
ここでまたうろたえる。
近くに居た人に、この電車は何なんですかと尋ねたら第一ターミナルに行く電車なのだと教えてくれた。またもや百聞は一見にしかず。空港の第二だか第三ターミナルと第一ターミナルの間は電車が走っていてそれに乗って移動するということを知った。
はふぅ〜っ。ちかれたび。
こんなにギリギリになってなおヒヤヒヤすることにばかり遭っている。もうちょっと旅が終わることで感傷的になるのかと思っていたが、ちゃんと帰れますようにとお祈りばかりしている一日だった。
7時近いのにまだ外は夕日がまぶしく差している。
電車の窓から夕日を眺めながら、あともうちょっとでドタバタだった一人旅も完結するんだなぁと思った。
そしていよいよ帰国の路へ。
飛行機は全日空機。なので機内に入った瞬間日本語が飛び交っていた。後は日本に連れて行ってもらえるだろう。そう思うとホっと安心をした。
楽しい旅だった。
メルシー!オールヴォワール!
ありがと、さよなら。
また来るね。
ようやく寂しいなという気持ちが沸いてきた。
そして定刻の20時、飛行機はまだ明るいパリを後に日本へと飛び立ったのであった。


投稿日:2011年05月17日

2011年05月17日

昨日は自転車を借りることが出来なかったが、今日は朝にはあるということだったので、昼前にフロントに行った。
「ボンジュール!」
自転車はもう届いていますかと女将に尋ねたら「ええ、ちょっと待ってね」と言ってそれからどこかに電話を掛けている。優しい綺麗な女性なのだが、その電話の相手にだんだん強い口調になって最後はあきらかに怒っている様子だった。
電話を切ると女将は言った。
「ごめんなさいね。自転車は届けてもらえないから街にあるお店まで取りに行っていただけないかしら」
えぇええええ。
今日も自転車はないんですか。
多分、自転車のレンタルの店がズボラなんだろう。明日だったら行けると昨日は言っておいてそして今日はそのまますっぽかしたと思われる。しょうがない。これが「日本ではない」ということなのだ。
そうして結局私はタクシーで街に出ることになったのだった。
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自転車の件ではガッカリしたが、かわりに街に行けば「円を両替してくれる両替所」があると女将に教えてもらったので、気分が晴れやかだ。どっちみち今日じゅうには街に行っておかなければならなかった。
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プロバンスの街は噴水があちこちにある。青い空が似合うまぶしい日差しで高いビルなどはないが人で賑わっていて、私にとってこの密度感は丁度いい。両替所で両替を済ませたあと念の為にクレジットカードでキャッシングをしてから自転車のレンタル店に向かった。
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(スムージーメーカーをよく見かけました。美味しかったです)
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(仏像好きフランス人も居る)
少し人気が少ない細い路地に入って歩く。
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しばらく行くと、鼻歌を歌いながら自転車の蛇行運転をするドレッドヘアの危なそうな男の人とすれ違う。
またしばらく行くと店を見つけた。
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ここかな?
確認をしていたら声を掛けられた。さっきのドレッド男だ。
ドレッド男は「自転車を借りに来たんだよね」と言って店の鍵を開けて、そうして中に私を入れてくれた。この人が自転車レンタルの店主だったのだ。そして私が来ることを知っていながら鍵を締めて昼ご飯を食べに行こうと出かけたところで私とすれ違ったので戻ってきてくれたのだが、あやうく店が閉まっている状況になるところだった。セーフなのだ。
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そしてようやく自転車を借りて街をまわることとなったのだった。
フランスでは自転車は車と同じ。車と同じ右側通行で車道を走る。日本も自転車は車両の一種で左側通行をしないといけないのだが、街では守っている様子もなく野放し状態。だがフランスでは一方通行も厳守なので厳しいルールの中で自転車は走っている。
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途中でmacの店の前を通る。日本の店舗とは違ってこじんまりとしてブティックの様な外観。だがi-pad2のポスターはちゃんと貼ってある。確かにmacのプロバンス店なのだろう。
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坂道を登ってセザンヌのアトリエで持ってきた岡本太郎氏の本を読む。観光地になってはいるけれど、なんだかとても和む。建物の感じや庭のちょうどいい草木の自然な感じが、私の好きな温度感だったので外のガーデンチェアで結構長く過ごしたように思う。鳥のさえずる声と緑が気持ちよかった。
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今日でフランスも最後の夜。
たくさんの景色を見ることが出来た。早かったなぁ。名残り惜しいがまた来ればいい。「ボンジュール」「ボンソワール」「メルシー」。言葉はほとんど話せなかったが覚えた言葉はとっても自然に口にすることが出来るようになっていた。
ホテルに帰る前に「サーモン専門店」を見つけた。
「ムニエル!」
反射的にムニエルに惹かれて店の前に行ったが、そこはスモークサーモン専門店であった。
カフェではどの店も相変わらず人が入っている。
アコーディオン弾きのおじさんがフラっとやって来て噴水の広場で演奏を始めたら、ものすごく上手かった。
冒険は今日まで。
明日は帰り支度の日。


投稿日:2011年05月16日

2011年05月16日

プロバンスのホテルは街からうんと離れた場所にあるので、残った2日間は何にもしないボーっとした時間にしようと昨夜は思っていたのだが・・・。
朝起きたら天気がいいのでやっぱり出かけたくなった。
とはいうものの、このホテルは車を持っている人達が休暇でやって来るようなところらしく、車がない私の方が浮いている感じがする。みんな車がある人達なので送迎バスみたいなものもない。山を下りてもバス停はそこからまた少し歩かないとない。
車がないと不便なのだ。
せめて自転車でも借りれたらなぁ。
試しにフロントに行って聞いてみることにしたのだった。
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相変わらずフランス語も英語も幼児レベル以下だが、ジェスチャーがだいぶ言葉代わりになってくれているようで、自転車って借りれたりするのでしょうかという質問も上手く伝わったようだった。ホテルの女将さんが言うには、ホテルでは貸し出しをやっていないけれど街のレンタル自転車屋さんから借りることが出来るということで、選択肢としては「タクシーで街まで行って直接店に自転車を借りに行く」か「ホテルまで自転車を持って来てもらう」かのどちらかが選べるということだった。
結局「ホテルまで持って来てもらう」方を選び女将さんからは「じゃぁ、自転車屋さんに電話をして今から来てもらうよう伝えておくから、お部屋にいらしてください。自転車が届いたらお部屋にお電話しますね」と言ってもらってそれで部屋で待つことにした。
それから30分が過ぎ、1時間が過ぎ・・・・。
遅いなぁ。
いやいや、日本に居るときのような時間厳守的な発想はやめよう。フランス人だからお昼休憩は休むのかもしれない。「すぐに」「今から」というのは「お昼休憩」はカウントされないんだと思うことにして、もうしばらく電話を待つことにした。
そうして1時半になり・・・。
すぐにと言ってから3時間ぐらいになるのだが、その後どうなったんだろう。もしかしたら自転車はもうずいぶん前に届いているのではないか。だったら少しでも早くフロントに取りに行った方がいいだろう。と、フロントに自転車が届いたかどうか尋ねに行くことにしたのだった。
「ボンジュ〜ル」
さっきの女将さんが居たので、自転車の件を尋ねたらなんと女将さん、「自転車は今日は来なくなったんですよ。明日の朝に届きます」と笑顔で話すのであった。
え!それは笑顔で話すことなのですか。
というか何故その電話をしてくれないのですか。
ここは日本ではないのだ。このアバウトな感じにカリカリしちゃいかん。自転車は明日の朝には来ているのだからもうこのことについては忘れよう。待ちぼうけの時間がとてももったいなかったと感じたが仕方が無い。近くに大型ショッピングセンターがあって今日はそこが開いているので、せめてショッッピングセンターのカルフールに行って来よう。
こうしてまた、i-phoneの地図をお供にトボトボと山をおりて歩いてカルフールに向かったのだった。これは、”東京に観光に来たが、借りる予定のレンタカーが店に行ったら全て出払っていて、しょうがないのでそこから歩いていける「西友」に東京に来た記念として買い物に行く」というようなもので、旅としてはおかしな行程だと思う。こんなとき、つくづく一人旅でよかったなと思うのであった。
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i-phoneをお供に歩いたら結局、行き止まりで行けなくなり、所要時間の3倍はかかってようやくカルフールスーパーに到着した。i-phoneは頼りにしたい時ほど私に修行の場を設けているように思うのだ。音声翻訳変換ソフトも2つ入れていたにもかかわらず、いざ使おうと思って話しかけたら延々「識別中」のままだったり「識別出来ませんでした」だったりとちっとも役に立ってくれていないのだ。旅の供としてはやっぱり機械はあかん。そう思う。
カルフールは日本にも数年前まであった大型スーパーで、日本にやってきた頃は店員さんがローラースケートか何かを履いて店内を移動しているというのがずいぶん話題になった店だ。ここでマクドナルドに入る。フランスに来てから何度か目にしている光景なのだが、こっちの人はまだレジでお金を払っていない品物をつまみ食いしたりしている。バナナを食べながら歩いている人も居たし、クッキーを食べている人もいて、ここマクドナルドでも私の前に並んでいたカップルがハンバーガーが出来上がるまでにポテトを食べていた。別に悪いことではないらしい。
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カルフールから帰ったら今日は!今日こそは!
ホテルでムニエルを食べよう。ムニエルがなかったとしても魚料理は何かしらあるだろう。そうしてホテルに戻ったらディナータイムに合わせてレストランに行ったのだった。
しかし。
結果から言えば今日も私はムニエルに出会えなかった。
何故かコースの選択肢は肉料理もしくはニョッキで魚料理は一品料理もなかったのだった。肉料理は骨付きのラムか何かでどうも気が進まずにニョッキを選ぶしかなくなり、またしても「フランスに来たんだからイタリア料理は食べない」と決めていたのにイタリアンなチョイスをしていたのだった。
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もうムニエルはないよね。
恐らくこのまま日本に帰って杉並の自宅でムニエルを食べることになるのであろう。
旅もあと残す所わずかとなってきた。
ところで、そろそろ両替をしないとユーロがないんですけれど。
フロントに行って旦那さんに両替のことを尋ねに行くと、ホテルでは円からユーロへの両替はやっていないとのことだった。じゃぁ街に行けば両替所はありますかと尋ねたのだがこれがまた不安なことに「さぁ、円はやっているかどうか・・・」という返事でムニエルどころか現金がないことが悩みの種となる。こちらのタクシーはカードが使えないので、現金支払いでないとダメなのだ。ところがホテルをチェックアウトして列車の駅までのタクシー代が結構かかる。この分のユーロが足りないと思われるのだ。
i-phoneで調べたが、プロバンスの街に両替所があるという情報に全然出会えない。そうだわよね。これだけ日本に海外から観光客が来ているというのに、浜田山駅には「exchange」と看板が出ている店なんてないし、吉祥寺にも阿佐ヶ谷にも高円寺にもないんだから、パリであんなに見かけた「両替所」がプロバンスにないということは事前に考えておかなきゃいけなかった。
お金、ないんだわ。私。
帰れるのかしら。
急にとっても不安になってきた。
調べても調べても両替所情報に行き着かず、半泣きになっていたが・・・・・。最後は眠くなってほとほと疲れたことで、もういっか。と急にレットイットビーな気分に覆われてきてそして寝ることにしたのであった。


投稿日:2011年05月15日

2011年05月15日

朝、グルノーブルを出発する前に生方さんがグルノーブルの朝市を案内してくれた。
野菜や果物、ソーセージからお花まで、丁度日本で言えば”縁日の屋台”のように店が出ている。地元の人達が普段の生活食材を調達していて、生方さんも行きつけの店があるのだそうだ。歩きながら店の人と挨拶をかわしたりしている。ここでは私は美味しそうなチェリーを買った。
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グルノーブルのマルシェの次に、アラブ人の朝市を案内してもらう。
ここは日用品から洋服、貴金属や雑貨小物、骨董品に布地もあって、フリーマーケットの会場のよう。たくさんのお客さんが来ていた。
今日は昨日とは変わって天気がいい。グルノーブルはアルプスに近く街の景色も「フランス」というより「スイス」のイメージ。一昨日まではすごく暑かったそうだが、今日は日本の11月のようなひんやりとした澄んだ空気だった。
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朝市を楽しんだ後、駅へ向かう。
道中、今回のこれまでのドタバタな旅の話を生方さんに聞いてもらう。すると生方さん曰く、それでも私の旅は何事もなく順調な方で、”乗るはずの列車”が、今日は走らなくなって電車のかわりにバスが走ることになったりすることもよくあることらしい。
もしも日本でそんなことがあったら大変な事件だ。
早めに駅に着いたのでカフェでお茶をする。たった一日だけのグルノーブルだったがとても思い出深い時間になった。思えば今回の旅は”どこか海外旅行に行きたい”という漠然とした気持ちがスタートだった。ツィッターで「杖の一人旅でも大丈夫な街はありますか」とつぶやいたところ、グルノーブルは人が親切であることを生方さんが教えてくれてそれで急に「行ってみたい!」と興味を抱いたフランスなのだった。
来てよかった。名残惜しいです。
いいや、また来ればいいんだわ。
そうして電車の時刻も迫って来たのでグルノーブルを後にするべく改札へと向かうのであった。
ところで、どのホームに行けばいいんでしょうか。
”何番ホーム”を意味するアルファベットのホームをさっきから探しているのだが、それがないのだ。どこのホームなんだろう。
と、思っていたら「もしかしたら!」と生方さんが声を上げて急いで駅員さんに何かを聞きに行ってくれたのだった。
まさかのまさか。
さっき話に聞いた「乗るはずの電車が走らないことになってかわりにバスがその区間を走る」ケースなのだった。
出発まで何分。急げ急げ。バスってバスって、どこから出ているの。
驚いた。一人だったら機転は利かなかった。そのまま駅で電車を待ち、電車はもちろん代わりのバスにも乗れず、移動手段を失ってこれまた半泣きになって途方に暮れていたはずだ。
楽しかったグルノーブルでの一日。生方さん、ありがとう。
無事に代替バスに乗って、今日の行き先エクスアンプロバンスの途中駅、Valenceへと向かったのであった。
ヴァランス駅からはマルセイユ経由になる。いつからか外の景色のたまにポツっと見える集落が南仏独特のオレンジがかった壁と屋根の家並に変わっていた。
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マルセイユ経由でプロバンスに到着したのは時刻で言えば夕方。だが今は日が長い時期なのでまだ1時過ぎぐらいなのかなと思うような日差しだ。ここから今日から泊まるホテルにタクシーで向かったのだった。
フランス旅ももう後半となり、到着してから続いていた時差ボケもようやく落ち着いて体調的にも身軽になってきた。ホテルは思っていた以上に駅から遠く、しかも最後は山道をのぼった所にあるが、敷地内にレストランやプールもあるホテルだから食事はもう街に出ずにここで取ればいい。
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そうだ、今日こそムニエルを食べよう。
ホテルの階段の所に張ってあるレストランの写真には、私が食べたかったような白身魚のポワレなどの洋食メニューが写真で載っていた。
よ〜し。
今日はレストランで美味しいものを食べるぞ。
そうしてとてもウキウキしながらレストランに向かったのであった。
「ボンジュ〜ル」
もうレストランは開いていますか。
そう尋ねたのだが・・・・・。
なんと。レストランにコックさんとウエイターの男の子は居たのだが、どうも困った様子で私に何かを話している。わかりやすく説明をしてもらうと、今日は日曜日なのでレストランも休みだということだった。その時にフランスでは日曜日は店が休みになることが多いということを思い出したが、それがホテルに泊まっていても同じだったとは思いもしなかった。だから今日はムニエルどころかコーヒーしか出してもらえないということなのだ。
ニッコリ笑って明日は開いていますと言われたが・・・・。
うむむむむむぅうううううーーーーーー。
私はお腹が空きました。今回の私は修行や断食の旅ではなく、ひたすら「ゆる〜いいい加減な旅」がしたかったのです。ある意味、食べ物にありつけないというのは「ゆる〜いいい加減な旅」とも言えるが、今日こそはムニエルがあると自信さえ持っていただけにレストランも休み、売店などもないと知ってガックリ来たのだった。
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およよ。
およよーーーーーーー。
しばらく部屋に戻ってジっとしていたが、あめちゃんを食べて空腹をしのぐと思うと急に侘しくなってきた。そうして私は一人歩いて山をおり、知らない道をひたすら歩きその後小さな商店街まで1時間ぐらい歩き続けたのであった。
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そこで一軒だけ開いていた洋菓子店でシュークリームを買った。
本日の夕飯はシュークリームだった。
”夕飯にシュークリーム”はやっぱり違和感があった。
食べながら<どうして夕飯がシュークリーム?>と自問した。
かつてマリーアントワネットが「食べ物がなければ、ケーキを食べればいいじゃない」と言ったその言葉を思い出したのであった。


投稿日:2011年05月14日

2011年05月14日

今日はパリからグルノーブルに移動をする。今日はライブに参加させてもらうので、いつものような失敗は出来ない。まずは列車に乗り損ねることのないよう1時間早めにホテルを出てパリ・リヨン駅に向かった。
ここから「TGV」という日本でいう新幹線に乗るのだが、ここパリ・リヨン駅は構内が広くまたチケットなど改札のシステムが日本とは違うということで、勝手がわからず苦戦した日本人旅行者は多いみたいなのだ。
フランスに来る前に、私も旅のブログを書いている人達の文章で注意点などをチェックしていたが、百聞は一見にしかずとは本当にこのことで、今のところ全てのことにおいて実際に経験してみてやっと書いてあったことが理解出来たという後追い状態になっている。
実際に駅に着くとやはり何かしらわからないことが浮上してくる。つたない言葉と親切に教えてくれる人達のおかげで、第一関門であった「乗る予定の列車に無事に乗ること」が出来た。
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数日前に魔女と交渉して手に入れた席はclass1の席。魔女がくれたわけでもなく私がクレジットカードで買ったただの高いチケットなのだが、グリーン車的乗り心地で電源の差し込み口までついていて椅子もフカフカで気持ちがいい。
ところで。
今日私はグルノーブルに行くのですが・・・・。
事前にわかっていたのは、東日本大震災支援チャリティライブに生方さんと一緒に出るということだけ、場所も時間もそれから生方さんと2人だけなのかバンド構成なのかも全く知らないのだ。山の上の方に行くとだけ会話の中で知ったので、自分の頭の中でつたない山の絵が浮かびそこに小屋があるのを想像してみたりする。
だが。
実はTGVに乗ってから、モヤモヤが私の心をうす~く覆っている。
というのも、パリに来てまもなくに一度連絡をし合って以降、生方さんと連絡がつかなくなっているのだ。
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どうしちゃったんだろう。
もう向かっているんですけど。
列車の到着時刻も連絡したんだけどなぁ。
駅に着いたら待っていればいいのかしら。
TGVに乗ってからもメールしてみたが返事がないまま、グルノーブルに近づいていきいよいよ不安になってきたのだ。
しばらく暗かった。
暗かったが。
ようやく「ま、会えなかったらその時はしょうがないか」と気持ちの整理をつけ始めた頃に生方さんから電話があった。どうも私からのメールは紛れてしまっていたらしい、加えて私は私でfacebookを通じてもらっていたメールに気づいていなかったとその電話で知ったのだった。
ホっ。
ヒヤヒヤのあとに幸せはやって来る。
よかった。よかったのだ。
グルノーブル着。
ホームに生方さんが迎えに来てくれた。生方さんとは多分15年ぶりぐらいになるのだと思う。私にとっては大先輩の音楽家なのだが、温厚な人柄な方なので緊張せずにいられる方なのだ。最近は楽器は「テルミン」を弾かれることが多いみたいで、ピアノパートは今日は私が演奏させていただく。ということで、ちょっとピリっと緊張する。相変わらず今日はどこで誰と何時から演奏をするのか知らないが、ホテルにチェックインしたあとで生方さんのフランスの友人パスカルさんの車で「どこか」に向かって移動をした。
今日はフランスに来て以来初めての雨。
車窓からは田園風景もなくなり高い山が見える私の抱いていた「フランス」とは全く違う風景だ。
山を登っていく時の景色は六甲に似ている。少し離れた山の中腹に古城が見えていた。
グルノーブルから30分程走った山の上の方の小さなホールが今日の会場で、今日は4月から開催されていたグルノーブル日仏協会主催の東日本大震災支援チャリティコンサートの最終日だということをようやく知ったのだった。そして出演はグルノーブル在住の日本人の音楽家の方々、最終回の今日と偶然旅行の日程が合ったということで私もお仲間に入れてもらってのコンサートとなったのだった。
お琴のSちゃんにピアノのKさん、バイオリンのYさん。それに車でここまで連れてきて下さったパスカルさんの奥さんもみんな日本人。みなさんご縁があって今はフランスで暮らしているのだそうだ。
そんな選択肢についてはこれまで私は思いもつかなかった。
例え思いついたとしても行動には移せなかったと思う。
すごいなぁ。素敵だなぁ。
生方さんとのライブは生方さんと私とのユニット形式。テルミンとのコラボは初めてだが音程がフワフワした自在な楽器とのセッションは個人的に好きなものだった。それに生方さんの曲は聴いた時はシンプルな印象があるのだが、演奏がやけに難しい。普通のコード進行やラインに行かないのでコードネームがつかない小節が結構ある。演奏中はだから気が抜けずとても難しかったが、独特の世界観がある生方さんの曲を私はとても好きになった。
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コンサートが終わるとパスカルさんの家でのホームパーティにそのまま私も参加をした。
実は今日コンサートをした場所と、そこから近いこのパスカルさんの家のある此処がどこなのか、まだ知らない。グルノーブルから車で30分ぐらい山を上がった辺り。生方さん以外はみな初対面の人ばかり20名程の中に混ざって、キッチンでお手伝いをしたりお料理を食べたり笑ったりしている私は一体誰なのだ。自称人見知りの私はどこへ行った。
フランスに来て「美味しいもの」にありつけていなかったが今日は久しぶりに「美味しいもの」を一杯いただいた。
友達も出来た。
思っていた一日とは全然違っていた。
一昨日は「野宿することになるかも」と焦り、今日は今日でパリからの移動中のTGVでは生方さんと連絡が取れないことで、「グルノーブルに着いても誰とも会えないかも」と暗くなっていた。
知らない景色も旅の素晴らしい思い出になるが、やはりそこに人との出会いがあればもっともっと素晴らしい思い出になるのだとしみじみ思った。
ところで。
此処は何と言う地名なんだろう。
ここ、どこ。
結局知らないままなのだが・・・・。
ま、いいか。
他でヒヤヒヤ緊張している旅だから、アバウトで構わないところは思いっきりアバウトなままでいいのだ。


投稿日:2011年05月13日

2011年05月13日

パリ4日目。
今日でパリに宿泊するのは最後になるのだが、時差ボケもあってか体調があんまりよくない。これでも以前の自分の行動範囲からすれば控えている方で、本来ならあっちもこっちもどっちもそっちも行っていたであろう私も、今回の旅はものすごく体調に気遣いながら予定を組んでいる。
たった一回の旅であれもこれもまわろうとするのはやめよう。また来よう。そう思って行きたかった所を残して、今日はブラっと近所の散策をするだけにした。
ホテル近くのパン屋さんにスーパー、それからイートインコーナーのあるコンビニ風の店ではお気に入りのヨーグルトを購入。日本でもあるものなのかわからないが、パリに来てスーパーでたまたま買ってから気に入って食べているヨーグルトがある。買ったらスプーンももらって席に座って食べる。ひんやりして適度な甘さでやっぱり美味しい。
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街をブラブラしているとレンタサイクルの「velib」のステーションをよく見つける。見つけるのだが書いてある言葉がわからないゆえにうまく機械の登録操作が出来ず、もう6カ所ぐらいのステーションでフラれているのだ。よくめげないなぁと自分でも思うが、一つ気になることがある。これはクレジットカードでレンタルするのだが、途中まで操作は出来ていて最後の所で失敗をしているのでそれこそ30回以上はクレジットカードを入れてトライしているのだ。で、途中デポジット150
ユーロという表示が出て来ているのだが・・・・。
これって日本に帰ってから、すんごい料金を請求されるってことはないですよね!?
150ユーロx30回以上分の料金ってどれぐらいになるんだろう。
1ユーロ115円として、150ユーロだとしたら17,250円。それを30回とすれば・・・。
51万7500円になった。
一度も自転車に乗れなくて、それで日本に帰ってからこんな請求が来たらどうしよう。とにかく言葉がわからないと自分が何をどう失敗したのかさえ掴めないのだから、やっぱり言葉はいくらかは使えるようになっていた方がいいと思ったのだ。
こっちに来てからずっといい天気が続いている。
ハトは日本に居るのと同じ色。ふ〜ん、ハトは一緒なんだなぁと妙に感動をする。
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今日の唯一の目標は「ムニエル」を食べること。あまり「食」にこだわりがない私だがそんな中で「美味しいムニエル」だけは食べたいなと思っているのだ。家での料理もムニエルは頻度が割と高くそれなりに満足はしているが、もしかしたら感動する味に出会えるかもしれない。だから今日はどうしてもレストランで美味しいムニエルを食べたいのだ。
夕食の時間になって街で店を探しながら歩いていたら、一軒の素敵な構えのレストランを発見。看板のメニューを見ていたら「魚料理」を表す「poisson」の文字があり、そこには「saumon」という単語が入ったメニューが書いてあった。
「saumon」ってサーモンのことですよね?!
本当は白身魚がよかったが、サーモンでもよい。例えムニエルでなくてもサーモン料理であれば、魚料理の何かしらが食べられるのだろうと思って店に入ることにしたのだった。
念のため、「saumon」の文字を差し店員さんに聞いてみた。
<これは魚ですよね?!>
そうです。魚ですとニッコリ笑ってもらったので迷わずこのメニューにしたのだった。
せっかくパリ最後の夜だからと、軽いコースを頼んだ。
薄々気づいてはいたのだが、こちらは量がとても多い。サラダは前菜と書いてあったが皿にてんこ盛り状態で出てきておまけにドレッシングがフレンチだけあって酸っぱい。普段あまりすっぱいサラダを食べないこともあってサラダがちっとも減らないのだった。
<せっかくの魚料理の前にお腹が膨れちゃう。>
本当に量が多いので食べても食べても減らず、頑張って食べたのに見た目1割ぐらいしか減らなかった。
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<でも魚料理を私は楽しみにしてるんです。>
サーモンのグリルなのかフライなのか何が出てくるのかとっても楽しみにしていた私であった。
そうして。
メインの料理が運ばれてきたのだが・・・・・。
「え!!」
・・・・・・・・・・・。
出てきた料理は魚料理ではなく「ラビオリ」であった。
確かに「saumon」はサーモンで正解、店員さんの返事は正しいものではあったのだが。
「saumon」は、クリームソースのラビオリの上にピロっと一枚乗ったスモークサーモンのことなのであった。
うぅううううううううむ〜〜〜〜〜〜〜〜。
確かに間違いではない。
ないのだがぁあああああああ。
ラビオリはフランス料理でなく「イタリア料理」なのである。今回私はせっかくフランスに来たからと敢えてイタリアンの店は避けて来たというのに最後の最後になって「ラビオリ」を自ら頼んでいたとは・・・。しかもあまり好きでないクリームソース・・・・。
とほほ。夢のムニエルは消え、ラビオリもすごく頑張って食べたが見た目1割ぐらいしか減らない状態でお腹が一杯になってしまった。
この店は美味しい店ではなく、量が多い大味の店だったと思われる。
あぁあああああああ〜〜〜〜〜ぁぁああっ。
本日でパリともお別れ。私自身はヒヤヒヤの連続だったが、第三者としてもし私が自分を見る立場だったとしたら、「このひと、ほんまにアホやわ」と大笑いしていた。
実に私らしい、いろいろとあったパリなのであった。


投稿日:2011年05月12日

2011年05月12日

ホテルを出て南に歩いてみた。近くに可愛い雑貨屋さんがあるとガイドブックにあったので、時間を合わせて行ってみたがまだ閉まっていた。この通りはパッサージュと言ってわかりやすく言うと「アーケード街」だ。細い路地風なのだがディズニーランドの一角に来たのかなと思うほど生活感のないアーケード。ステッキ屋さんに玩具屋さん、カフェや古い切手を売っている店も数軒あったが、人形のパーツを売っている店がめずらしく個性的に映った。
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パッサージュを抜けたところで「Velib」を発見する。
「Velib」は市内に何カ所もステーションがある無人レンタサイクルで、30分以内にどこのステーションでもいいので返せば、繰り返し乗れて一日1ユーロ、150円足らずで借りられるという人気のレンタサイクルなのだそうだ。ただ無人のステーションなので、機械を相手に手続きをしなくちゃいけない。i-phoneで検索をすると「Velib」の借り方が写真付きで手順をわかりやすく書いてあるページに辿りつくのだが、何度やっても借りれなかった。30分粘って結局駄目だったのであきらめてまた南に歩くことにした。
今日は昨日乗れなかったロープン・トゥールバスの赤い路線に乗って周遊するのだ。サンジェルマン・デプレ地区目指して歩いていたが、地下鉄の入り口を見つけたので地下鉄に乗ることにした。私は旅先に出るとそこのバスや電車に乗ったり、地元スーパーで買い物をしたりするのが大好きなのだ。地下鉄は乗り降りをする時、乗客が扉の取手を開けて乗り降りをする。
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椅子はかたくて座り心地が悪い。旅行者なのでものめずらしくてそれらも可愛く見えるが、日本の地下鉄は乗り心地やシステムもすごく進んでいるのだと思った。乗り換え駅も含め駅構内は階段が多く、昔の私だったら地下鉄移動はとてもじゃないが出来なかったと思う。
「odeon」という駅で下車してブラっと散策をする。お昼は「ガレット」の老舗のお店に行きたかったのだが、歩いているうちにお腹が空いてきたので偶然見つけたガレットの店に入る。しかしそれにしてもガイドブックをちっとも役立てられていない。散策をしながらガイドブックの地図を見ているが、どうも自分の場所がわからなくなっているみたいで、ここがどこなのかがわからなくなってしまった。
でもまぁ、こういうプチ失敗みたいなものは気にはならない。別に誰かと約束があるわけでもないので、遠回りをして時間を無駄に使ってしまったというのも休日の場合はOK。ただこのあとはロープン・トゥールバスに乗って、モンパルナスの駅に行く。明後日乗るTGVの指定席の予約を取りに行くのだ。TGVのユーレイルパスはもう持っているが、指定席は別に取らないといけないので、早めに準備をして安心したい。明後日だけは予定がある。ライブがあるのでグルノーブルに13時に着いていないといけないのだ。
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昼食後、バスに乗ってモンパルナス駅に向かう。だが今日はデモ行進があるらしく、予定のルートと違う道をバスは進んでいた。モンパルナスの駅と離れたルートを通っていることを知ってガッカリしたのだが、そのうちにバスもストップしてしまった。お客はみんな下ろされ各自解散でよろしく!ということみたいで、日本だったらお客は怒っているだろうが、ここがどこなのかも教えられないまま運転手さんは笑ってバイバイと手を振っていたので脱力した。この国ではよく電車やバスがストライキで止まったりするらしいので、デモで通行止めになったからおしまいです!ということみたいだった。
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再び地下鉄に乗ってモンパルナス駅へ。
よその国の駅はとてもわかりにくいのだ。それは案内の言葉が何と書いてあるのかがわからないからなのだが、駅自体もここは広かったので指定席を取る為の窓口に辿り着くまで4カ所ぐらいの窓口を回っていた。
あせらない。あせらない。
旅に来たら何でもスムーズには行かないものなのだ。指定席さえ取れればそれでよし。
そう、思っていたのだったが・・・・。
ネットで読んでいたのだがこの指定席を取る時には、時々「ない」と言われて門前払いを受けることがあるらしい。しつこく粘ったらなかったはずの指定席が急に「ある」状況になったり、理由はわからないがともかくそういうことがあるらしいので、当日に指定席を取るのではなく前もって取るのが余裕を持った行動だと書いてあったので、二日前に来てみたのだが・・・・・。
「ボンジュール」
窓口に行き指定席を頼んだら、魔女は冷たく「14日のグルノーブル行きはないわ」とヤル気のない顔で言うのだった。
<本当にないのかしら>
ちょっと疑ってかかる。
魔女が鼻歌を歌っているところがどうもうさんくさい。
<ちょっといじわるで言っていたりしない?>
本当に全然ないのかしら。
すると、一つもないけれど今だったら前の晩の指定席はあるというのだった。
本当に全然ないのなら、当日はグルノーブルに行けないということでそれは困る。だが、では前日に行くとするならグルノーブルで取ってあるホテルの予約を一泊前倒しで追加予約をしなくてはいけないじゃないか。
この場合、先にホテルを押さえてから指定席を取るのが順番として正しいだろう。が、さてこの二つの調整を私はどうやってしたらいいのだろう。日本語だったら整理して説明が出来る。フランス語の「ボンジュール!」と「メルシー!」だけのボキャブラリーだけで一体どうすればいいのか。
取りあえず一旦窓口を後にして、グルノーブルのホテルに電話を掛けてみることにした。
「HELLO」
ハローと言っている。電話は通じたがこのあと何をしゃべればいいのだろう。必死になって「My name is miki yoshikawa」「14th,may.I go to your hotel」「ん〜〜、ヨヤク。シテイマス。」「イン、ホテル!」
よくわからないが伝わっている様子だったので、本題に突入してみた。
「デモ、ソノ、マエノヒニトマレマスカ」「14th,before day,13th」「ソノヒカラ」「アイ、ウォント、泊まりたいです」
ここからは自分でも何を言っているのか、そして相手の人も何を言っているのかがわからなくなった。とても親切に私の話を聞いてくれているのだが、もう知っている単語は全部使った。そして予約が取れなかったら、その時は野宿をしたらいいかと思って最後は指定席を先に取ってしまおうと思ったのだった。
「サンキュー、after,I call,hotel」
気持ち的には、どうもありがとうございました。またあとで電話をしますと言っているのだが、多分伝わってはいないだろう。
電話って切る時に何ていう挨拶をしてから切るのだろう。
ここで急にまた困った。
電話を切ろうと思って、さっきからありがとう、さようならと言っているのだが先方が電話を切らないので私も切れないでいるのだ。
「サンキュー!」
「グッバイ!」
最後は失礼かもしれないがそう言って電話を切った。
しょんぼり。
あ〜あ。
私、もしかしたら野宿することになっちゃうんだわ。
頼みの綱のグルノーブル在住の生方さんと実は連絡がつかなくなっている。魔女が用意出来ると言っていた前日の便は、到着が夜の11時なので、冗談じゃなく初めて行く街で野宿するかもしれない。そう思うと急に悲しくなって涙が出そうになってきた。
そして言葉もしゃべれないのに旅行に来てなんとかなるとなめたことを考えていたことをとっても反省したのだった。
しばらく落ち込む。
よ〜し。
決めた。とりあえずもう前日に行くことにしよう。
そして再び窓口に行ったのだった。
「ボンジュール」
前日の予約を、ではお願いします。
そう言うと・・・・・。
魔女は鼻歌を歌ったあとで「席はもうなくなっちゃったわ」と言うではないか。
お前!それはマジなのか!!
「指定席なら、今日の晩ならあるわ。そうでなかったら明々後日ね」
私が困っているのを知って魔女はずっと薄笑いを浮かべているので、本当は券があるのにいじわるをしているんではないかと言う気がしてきた。
しょうがないのでユーレイルパスを使うのをやめて、クレジットカードを出し「いくらの席でもいいから席を頂戴」と言うと、魔女は鼻歌を歌いながら「列車はいろいろ選べるわよ」と言うではないか。だったら最初から他の選択肢やなんかも教えてくれたってよかったのに。全然席がない!だなんて。あんたフランス語間違っとる!
と、思ったが、なにはともあれようやくグルノーブルに1時過ぎに着く指定席をもらえた。指定席をもらうのに2時間かかった。とっても疲れたのだ。
はぁ〜〜〜あ。
くたびれた。
でも。指定席が取れてこれで一件落着。
割と気を取り直すのも早いのである。
帰りに行ってみたかった高級スーパーに行った。その前にトイレを借りようと老舗百貨店に立ち寄ったのだが、百貨店のマップのどこを見てもトイレのマークがない。もしかしたらパリのデパートにはトイレがないのかもしれないと思っていたが、店員さんに尋ねると道を教えてくれた。
が、ここでも言葉がわからないのでトイレに辿り着けない状況に陥ってしまった。
一人目の店員さんに教えてもらって、行った先は洋服売り場。そこでまた店員さんに教えてもらって道順通りに行ったつもりだったが、次はスタッフ通用口を出て外に出ていた。そこで見つけた休憩中の職員さんにトイレを聞いたら、間違えてここに来たということですごく笑われて恥ずかしかった。
もうこれでトイレに着くと思ったが、そこでもまた迷う。
「トワレット」ってトイレのことではないのかもしれない。もう自分のフランス語が間違っているとしか思えなくなった時、最後に店員さんは「ストレート」と言って真っすぐ先を差してくれた。合計1キロぐらい歩いてようやくトイレに辿り着いた。
そうなの。探していたのよ。ここ!ここ!
トイレに居た人と目が合うと嬉しかった。
今日は次から次へと試される日であった。Velibはその後も見つける度に数カ所でトライをしたがいずれもエラーで終わり、入ったカフェのサンドウィッチはパンもチーズもカサカサだったし、バスを待っていたらそこにはいつまでたってもバスは来なかったし、今何時だろうと思って腕を見ても腕時計を落としたままなので時間がわからない。クタクタに疲れてタクシーでホテルに帰ったら、買ったお土産をレジで受け取るのを忘れて帰ってきたことに気がついた。
私、何でこんなに疲れているんだろう。
特別何も観光をしているわけでもないのに。
今日もムニエルにありつけなかった。夜のセーヌ川クルーズなんて行ける元気もなく8時に就寝した。


投稿日:2011年05月11日

2011年05月11日

目覚めたら朝の5時だった。
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窓を開けたら空気がひんやりする。あんなに鳴っていたクラクションもなく静かな朝だ。時差で体調がすっきりせず朝食を食べてからまた寝て、昼の12時から外に出た。
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今日は2階建て観光バス、ロープン・トゥールバスに乗ってみる。これもまた旅行前に予約をして家でプリントアウトした紙を持ってバスに乗った。今日から2日間、この2階建てバスには乗り降り自由になる。4つの循環コースがあるので、まずはホテルに近い黄色い路線コースで一周することにしたのだった。
バスに乗った時にもらったイヤフォンを6番のジャックに差すと、日本語で観光案内が楽しめる。地図を見ながら風景を楽しんでいたのだが・・・。どうも道順が違う。今のは50番の停留所じゃなかったのかしら。と思っていたら、私が乗ったバスは緑コースで市内の一番オーソドックスな観光名所を回るコースだった。
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ルーブル美術館界隈の景色は圧巻。そしてセーヌ川沿いの右岸を走ったあと、シテ島とサン=ルイ島という中州に渡ってノートルダム大聖堂の周りをグルっと回る。どこで降りてもいいのだが、この先に行きたくてこのまま乗ることにした。
セーヌ川の左岸沿いには古本の屋台がズラっと並んでいる。道の反対側は土産物店が多くここは観光地なんだなぁということが感じられる。天気がいいので市内観光も気持ちがいい。
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その後コンコルド広場を通って、シャンゼリゼ通りに入る。シャンゼリゼ通りは広く真っすぐな道だ。この循環バスはこのまま凱旋門とエッフェル塔にも行くのでどちらかで降りてお昼ご飯でも食べたいなと思っていたが、思っていたよりバスの進みが遅いのでシャンゼリゼ通りで途中下車してお店に入ることにした。
今回の旅行で私は一つだけ食べたいものがあるのだ。それは白身魚のムニエル。こちらは今舌平目が美味しい季節なのだそうで、夕飯は一度は美味しいビストロで舌平目のムニエルを食べるのだ。どこの店が美味しいのかがわからないのがたまにキズだが、なんとかなるであろう。だいたいガイドブックを買ってはみたものの、載っている気になる店というのは東京で言えば「銀座」「新宿」「浅草」「品川」ぐらい距離が離れていても1ページにまとめられていたりする。だからガイドブックの気になる店なんてのは、とてもじゃないが実際には一回の旅でなんか回れない。
バスを降りたら人で賑わっているファーストフード店を見つけたので、入ってみた。
ここはpomme de painというサンドウィッチのファーストフード店で、シンプルなフランスパンのハムとチーズを挟んだものを頼んだらとても美味しかった。ホテルで食べた朝食のクロワッサンもすごく美味しかった。日本で食べるものよりいずれもカサカサしていない。主食がパンの国なので、やはりパンは美味しいのだと思う。
食事をしたあと、トイレに行くことにする。パリはトイレが少ないらしく、「行きたくなってから行くのではなく見つけた時が行き時」だと度々旅のページに書いてあった。なので少し列を作っていたが、ここは並ぶことにしたのだった。
前に並んでいた可愛い女の子が出たあと、入ってびっくり。
洋式なのだが便座がない。フタもなく便座もなく男性用の便器が置いてある。思わずここは男性用かと思ったがそうではなく、こういうトイレもあるということなのだろう。でも、前の女の子は流さずに出て行った。これがフランス式なのでしょうか。あんない可愛い女の子だったのに・・・。トイレの水は流そうよ。ところでどうやって用を足すのかがわからないが・・・・・、いちいち細かいことは言っていられない。ここは工夫をするべし。
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その後は再びバスに乗って緑コースで凱旋門、エッフェル塔を回って終着駅に戻って、バスが終わる6時半までにまだ時間があったので黄色路線に乗り換えてムーランルージュなど夜により華やかになるエリアを回った。このエリアはキンピカピンのドレスなどが売っているお店も結構ある。日本でもこんなお店はある。安くて派手な衣装系のドレス達は値段も日本で売っているのと似た額だった。
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それにしてもカフェが多い。道端にテーブルと椅子が出ている店がわんさかあって、そのどこの店にもお客さんが入って昼間から食事や飲み物を飲んでいるので、美味しいお店がパっと見た感じでは見分けがつかないのだ。
みんなお茶するのが好きなんだなぁという感想で眺める。それから、どこかに似ているなぁと思ったら道端にテーブルと椅子が出ている店があちこちにあるというのは高円寺がそうだ。
ホテルに近い停留所で黄色バスを降りて、今日の散策は終わり。
カフェに入ったが、メニューが今ひとつ読めないので「ファンタ」を注文する。普段飲まない炭酸飲料を「メニューで読めるから」という理由に結構飲んでいる。徒歩で何となく道を探しながら寄り道もし、ホテルに到着。旅先では地元の人が行くスーパーに行くのが好きなのだ。バナナやサラダを買って無事に帰れたなぁ・・・と思って部屋に入ろうとしたら、部屋の鍵をどこかで落として失くしたことに気づいた。
ショック!ふと「で、今何時なんだろう」と腕を見たら腕時計までどこかに落として失くしていた。
6時15分までは時間を見た記憶がある。
スーパーで買い物をしたりして重い荷物を下げていたので、時計はバンドが切れたと思われる。
フロントに行って鍵を失くしましたとうなだれて謝りに行く。
最後の最後に大失敗。
夜のパリも見たいが、とっても眠い。
深追いせずに今日はまたこのまま眠ろう。
今日はムニエルに出会えなかった。
ちょっぴり日本茶が恋しくなった。


投稿日:2011年05月10日

2011年05月10日

今日から8泊10日のフランス一人旅。
成田空港を昼前に出発して目指すはパリ・ド・ゴール空港。だが約12時間のフライトがまずこんなに苦痛なものだったとは。真ん中の席だったのでより窮屈に思えたのだが、約12時間のフライトの4時間目から7時間目の頃は腰がダルくて仕方がなかった。学生時代に沖縄に船で旅行した時の船酔いしたまま船中2泊したあの苦痛を思い出す。到着まで「あと2時間」ぐらいになってようやく心に晴れ間が見えてきたのだ。旅の一番終わりにこの苦痛をまた味わうのだなぁとちょっぴりブルーになったのであった。
16時40分、パリ・シャルルドゴール空港に到着。
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まず着いてから最初にすることは、携帯を海外仕様にすることだった。事前にネットで見て、よくわからなかったので電話で手順を尋ね更に出発前にもう一度細部まで確認をしたのでその通りにやったのだが・・・。これが上手く行かない。一人旅の相棒はこのi-phone。だからi-phoneが使えないととても困るのだ。
予定は早くも狂いだが時間は刻々と過ぎて行くので、空港からホテルまで送迎してくれるバスに乗りに行くことにした。乗り合いバスはベンツのミニバスで、本当なら空港からの景色を楽しめたのだが、携帯はその後トライしているのだがまだ海外仕様に変えられない状態、隣りに座っていた年配のご夫婦に「一人旅なの?」と驚かれて初めて「そうだわ、一人旅なんだわ」とちょびっと暗くなる。
パリは日本の4月初旬ぐらいの気候だと思っていたが、今日は日本で言えば5月下旬ぐらいの陽気だ。窓の外の景色はやはりここが日本ではないのだなぁと思わせる。携帯はエラーで海外仕様にならないが、softbankのサービスセンターに尋ねよう。プリントアウトしてきた紙には24時間サポートOKと書いてある。そうだ、なんとかなる。ホテルに着いたらまず充電をしよう。それからゆっくり問題を解決するのだ。
フランスはそうなのか、それともパリだけなのかはわからないが、車の運転が全般的に荒い。スピードも出すし、ちょっと動きが遅いとすぐクラクションが鳴る。乗り合いバスの運転手さんも、とてもハンサムな紳士だったのにホテルに着く頃は、ただのいらちのおっさんになっていた。
ホテル、到着。
ドキドキしながら、ホテルのドアを開けて「メルシー」と言ってみた。もうここから先は日本語は通じない。はっきり言って私がわかる言葉は3〜4つなのだが、簡単な英語での会話で何となく会話が成立したので安心した。多分、「私はThomasと言います。何かお手伝いすることがあればおっしゃって下さいね」と言ってくれたのだと思う。
やった。何とか無事にホテルまで辿り着けたんだ。
嬉しい。ホっとした。
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だってここまでの旅は全部家でチケットを取ったもので、そして家のパソコンでプリントアウトした紙を持って出かけて来ただけなのだ。飛行機も乗り合いバスも「チケット」ではなく、家のプリンターで印刷した言ってみれば「家にあった紙」なのだ。これが予約券の代わりとなりますと書いてあっても、現地で断られたら途方に暮れてしまうだろうし、本当にこのプリントアウトした紙で飛行機やバスに乗せてもらえるのかしらと不安だったのだ。よかった。私は無事旅に出たのである。
さて、では携帯を充電して次は海外仕様に変えるという課題をクリアしよう。
そう思って新宿で買った「フランス用の電源変換タップ」を壁に差し込んだのだが・・・・。
携帯のプラグがこのタップに差し込めない。
え〜〜〜〜〜〜〜〜。
「フランス用」というところばかりに気が行っていたが、これが何用の電源タップだったのか、家でプラグを差してみるという確認をしなかったばかりに、今初めて「差さらない」ことに気がついたのだった。
i-phoneの電池残量は既に1/3。このまま携帯なしの旅になるというのか。どうしよう。調べものもメールも全く出来なくなることは想定していなかった。言葉も話せないし、どうしたらいいんだろう。そう思うと一人旅だなんてやっぱり無謀すぎたんだわ・・・と、私はこの5分間ほどとっても暗かった。
このままもう携帯なしでいっか。
と、思ったがi-phoneの電源をフランスのMACで買う、もしくはヨドバシカメラみたいな店があるかもしれない。と思い直してとりあえずフロントに行ってThomasさんに相談してみることにしたのだった。
フロントに行って、身振り手振りで説明をしていたら、「オ〜、OK!」と言って、私が手に持っていた電源やらケーブルやらを取って、そしてグイっと押し込んだら「カチッ」と音がして、難無くフランス用電源の穴に充電器は差さった。
「オ〜〜、サンキュー!サンキュー!メルシーボク!ありがとうございました!」
感激した。無人島な旅になってしまうのかもしれないとものすごく暗い気分になっていたが、電源が取れたなら何かしら策はある。よかった。セーフ。
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フランスの夜は明るい。8時半を過ぎたというのに、まだ夕方の明るさだ。
しかし日本時間で言うと夜中の3時半になるので、さすがに起きているのがしんどい。
その後softbankのサービスセンターにかけてみたが、i-phoneの詳しいことは日本時間の営業時間内に再度電話をかけて下さいという返事だった。
はふぅ〜〜っ。
移動だけで一日がたっぷり過ぎた。
試しに・・・と電源を入れ直したら、それだけで解消した。あっけなく解決したがとにかく眠い。問題は取りあえず解決した。
今回の旅では「あちこち頑張って回らない。」がテーマなのだ。東京に住んでいても、浅草に行ってお台場めぐりをしてから銀座で買い物をして、夜の六本木に行って、ほんで秋葉原で電化製品を見てから渋谷のハチ公の写真を撮って・・・なんてことは2年分のお出かけに相当する。パリを東京での生活に置き換えて、一日1つ何か発見があればいいなというところで止めておくのだ。
こうして旅の初日は夜のパリを見るまでもなく眠りに落ちていたのであった。