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投稿日:2014年03月29日

2014年03月29日

今日は関わらせていただくようになって4年になる親父合唱団のお花見の会。

親父さん達は文京区にある某幼稚園の園児や卒園をした園児のお父さんの集まりなのだが、普段からみんなで集まって飲み会をしたり、子供達を楽しませる企画を練ったりしていて、親父合唱団も今では卒園の時期だけでなくお花見の会や区民ホールでの出演など、活動の場が広がっていて、私の知らないうちに歌の技術もどんどん上がった今やすっかり頼もしい会となった。

よくみんなは飲み会を開催しているみたいで、練習の後もそのまま飲み会になっていたみたいだったが、ようやく今日はその「打ち上げ会」に参加することが出来た。

バーベキュー大会をしたり、肝試しをしたり、年間を通じて子供達へのイベントを真面目かつ遊び心いっぱいで取り組んでいるお父さん達。大人になってからたまたま、娘や息子が入園した時期が一緒だったというそれだけの繋がりでこんなに親しくなれるチームがあるのがいいなと思う。

大人なんだけれど、子供の部分も実は全然卒業していないお父さん達。

学校の休み時間のような賑やかさで室内サッカーまで始まった。

「よ〜し、じゃぁ次は縄跳びするぞ!」

「ほら、入ってみ!思い切って!」

本物の父娘だと思って見ていたら、本当のお父さんは座って飲んでいたりする。

他所のお父さんが他所の子と思い切り遊べる、という関係がいい。

今日の東京はポカポカとしたいい天気。

日本の春はなんて柔らかく素敵なんだろう。

今日の日もきっと記憶に残る一日になるのだろう。


投稿日:2014年03月28日

2014年03月28日

深夜にパースを発ってからシンガポールに到着したのが朝。それから成田行きの飛行機に乗り継ぐのだが、このシンガポール空港というのがまたすごく広いのだ。ターミナルとターミナルの間は電車で移動をするのだが、電車移動のあとも果てしなくテクテクと歩く。これがとっても辛い。もっと動く歩道をいっぱい作って欲しいのだ。

シンガポール空港では買い物をする元気はもはやなく・・・。

徹夜明けって一気に10歳くらい年を取った感じがする。膝は痛いし、身体は重いし、顔はブルドッグのようにぶるんぶるんの頬になっている。飛行機のあの窮屈な椅子で眠るということは私には出来ないようで、横になって眠れることがすごく幸せなことだとしみじみ思ったのだ。

こうしてシンガポールから成田行きの飛行機で更に7時間のフライトを終え・・・。

夕方、5時にようやく成田に到着。

よかった。

無事にお仕事を終えられて何より。

ラーメンが食べたいねという話になって、解散前に空港でラーメンを食べに行き、ここでプチ打ち上げ。コーディネイターのNさんにここでもご馳走になる。Nさんはとてもキメ細かいケアを旅の間して下さった。仕事以外にも船旅の間の便利な過ごし方から海や空、知らなかった自然も教えてもらった。

空港には多分ヘバっているであろうということで、Y氏が迎えに来てくれていたので空港でみんなと別れたら家までは車で送ってもらった。

旅の途中であった出来事をさんざん話したあとで、家が近づいて来たので冷蔵庫の中の物を買いたいとスーパーに寄ってもらうことにしたのだったが・・・。

下船前に日本円とアメリカドル、オーストラリアドルへの両替用のお金の仕分けをしていて、ベッドの上に一万円札を置き忘れて来たことにそこで気がついたのだった。

うぎゃ〜〜〜〜〜。

えらい高いチップじゃないの。

1万円のチップを置いて来るなんて、全然身の丈に合わない。

しょんぼり。

旅のハプニング。

今回もなんだかいろいろやらかしてしまったが、まぁ無事に家に帰って来れたのでよしとしようか。

また、旅に出たいなぁ。

ふわり、夜風が春になっていた。

ここが私の暮らす場所。

お引っ越しをして初めての春が来るのだ。

はじめて見る景色。

近くの桜並木が花を咲かせ始めておかえりと迎えてくれた。


投稿日:2014年03月27日

2014年03月27日

快晴。

お昼を過ぎた頃に船内アナウンスがあり、外を見たら町が見えた。オーストラリア、フリーマントル港に到着したのだ。


ここで飛鳥Ⅱは2日程錨をおろし、私達は下船をする。

フロントでパスポートを受け取って船を下り、体育館のような所でまずは入国審査を受ける。オーストラリアは南半球なので夏の終わり、まだ日差しがとても暑い。


もう一隻、大型客船が港に着いたばかりでこちらはvoyager of the seas、アメリカの船の様子。ものすごく大きな船だった。

さぁ、入国審査が終わったら、すぐに移動だ。

今日の深夜に日本に向けて出発をするので、夜の11時頃までパース空港方面のホテルで待機をするのだ。お迎えのチャーターバスの中で、待機先のホテルを知らされたのだが、さっきまでは市内のホテルだと聞いていたので車内は「えぇ〜〜っ」とざわついた。だって空港方面のエリアはどの国もたいてい町から離れている。市内だと聞いていたから市内観光が出来るなぁと楽しみにしていたのに、タクシーで3000円ぐらいの所での待機となるとすんごくビミョーじゃないの。

移動中の景色/土地に余裕があるせいか一階建ての建物が多いです。

結局、ホテルに荷物だけを置いて、本日の帰国組は全員チャーターバスで町に連れて行ってもらい、帰りは帰国の便それぞれに合わせて自力でホテルに戻るという流れになったのだった。

オーストラリアのパース。

日本からの直行便はないので、何か機会でもなければなかなか気軽に訪ねる場所ではないので、ちょっと歩いては写真を撮り、またちょっと歩いては写真を撮る。ロンドンストリートというちょっとした通りなどもあり、駅の南側がお買い物エリアのようなのだが、一見去年訪ねたトロントのような大きな街なのに店が閉まるのがとても早い。駅前の栄えた場所なのに5時になるとどんどん店が閉まって行く。ちょっと早過ぎるんじゃぁないの。こんな大都市なのに、めずらしいです。

駅の北側はモダンなモニュメントがあったりして、美大のような景色だった。そしてそこから少し西に行くと今度はチャイナタウンやイタリアン街など、レストランが密集したエリアになり、ここは店がこれから賑わう前の静かな雰囲気だった。

暮らすには車が必要かなぁ。

結局その中のイタリアンのお店に入って、私達蘭さんチームは夕食をとった。

このまま、ホテルに帰って眠れたらいいなぁ。

今日は一日が長いのだ。

というか、飛行機の乗り継ぎや時差など、もろもろ区切りがつけられなくなっているので、一体どこまでが一日なのか私にもよくわからない。とにかくこのまま夜にはホテルに帰って、深夜にお迎えが来て、空港に向かい、夜中の2時の便に乗ってシンガポール経由で明日の夕方に成田に着くということなので、最後の最後に徹夜みたいな夜を過ごすわけなのである。

最後、あと一息。

無事に帰るまで踏ん張ろう。

ん?

足元がどうも揺れている気がする。

ずっと船に乗っていたからなのか、それとも貧血が進んだのか。

とにかくふとしたことでクラっと目眩がする。

もう病院には行けないぞ。

は〜ぁ。空が飛べたらラクチンなのになぁ。

パース観光を早足で楽しんで、さぁいよいよ帰国モードだ。


投稿日:2014年03月26日

2014年03月26日

船の旅も今日までとなった。

急性胃炎も治って食欲も戻ったが、下船前にもう一度診察を受けることになっていたので、医務室へ行く。血液検査を受けて、炎症反応なども収まってきているので大丈夫でしょうとのことでホっとした。

ネットが繋がらない生活は、とても時間がゆっくりと流れていたような気がする。

ずっと前はこうしてネットもなく私達は暮らしていたのだ。

ちょっとだけ不便な生活はとても新鮮な空気をかわりにくれた。

海と太陽と空にはとても大きな力があることも学んだ。

最後の夜は甲板に出て長い間、夜の海を眺めていた。

今回、旅に来られてよかった。

人も景色も、新しい出会いがあった。

なんとか無事に終われそうな気がする、と思ったらホっとしてちょっと寂しくなった。

ボーっとして”今”を味わえる幸せ。

深呼吸を好きなだけして船旅を胸に刻んだのだった。


投稿日:2014年03月25日

2014年03月25日

旅も後半となった。

夕べはとても綺麗な星空を見ることが出来た。

「南十字星」の近くには「偽せ南十字星」があるのだそうだ。お客さんへの説明を私もそばで聞いて「本物」と「ニセモノ」がどれなのかを目で追う。満点の星空に天の川が瞬いていて、それはそれは綺麗な星空だった。下船するまでにもう一度見られるかなぁ?あの綺麗な星達を。

朝食のビュッフェから部屋に戻ると、またぐっすり眠っていた。

船での生活にも慣れてきてここ最近は、蘭さん、Nさん、Iさんとは一日数回偶然顔を合わせる程度というペースになっているが、それぞれ有意義に過ごしておられると思われる。私は昼寝をしているか図書室で旅の本を眺めているか、どこかでスィーツを食べているか・・・。それにしても、よく寝るなぁ。

今日は午後に蘭さんの「講談初級講座」があったので、シアターに行った。実際に講談の語り手の表現の手法を教えてもらって、みんなで練習して語ってみるのだが、やってみるとこれがとっても難しい。わかりやすいお話ながらもプロのお仕事を垣間見ることが出来て、あらためて彼女の才能を感じる時間となった。なんか、アッという間に終わってしまった楽しい講座だった。

図書室では、下船日がだんだん近づいてきたので、下船先のフリーマントルとパースのことをあれこれ調べている。

パースとフリーマントルにはスワン川という川が流れていて、どこだったかではブラックスワンが見られるらしい。なんとも素敵、エリアはスワンの町なのだった。フリーマントルとパース間は電車で30分なのだそうだが、バスはそれぞれ無料バスが走っていて、クルッと回れる様子。一泊出来たならバスで景色を眺めたいなぁ。

が、去年のアメリカカナダ旅では、最後のロサンゼルス空港の乗り継ぎで突然力尽きた。ものすごくしんどくなってフラフラになりながらなんとか帰り着いたという崖っぷちな感じを経験したので、今回も最後の乗り継ぎが怖いのだ。体力を温存しておかねば。

東京は桜が咲き始めたのだそうだ。船にある今日の日付けの日本の新聞で見た。

日本の春は素晴らしい景色だ。

私にもいつの間にか沢山に増えた桜の頃の記憶を辿っていた。


投稿日:2014年03月24日

2014年03月24日

インド洋上。

今朝の海は波もなく湖の上に居るみたいだ。コーディネイターのNさんの話では波が全然立たない海の景色もあるそうで、そんな海なんて見れる機会は私にはきっとないだろうなぁと思っていたら、今日の海は限りなく穏やかで知らなかった海の表情が見られてよかった。

船には午前と午後の2回、毎日部屋にお掃除に来てくれるフィリピン人の女の子がいる。この辺りの客室の担当なのだろう。顔見知りになり、カタコトの日本語で会話が出来るので今日は少し部屋を片付けてもらっている時に話をした。

この船には世界一周の間、乗っているんですか?

身振り手振りで伝えると、そうだということだった。一年のうちの八ヶ月、船の上での仕事をしているらしい。

ふぇええ~~~っ!

そんなに長く船に乗っているんですか?

すると、船の仕事はもうベテランさんではないか。クリスタルクルーズで3年、パシフィックビーナスに3年、飛鳥には4年乗っているということだった。

ニジュウナナサイデ、コノシゴトニ、ツイタカラ…。

イマ、サンジュウロクデス。

えぇええええーーーっ!?

声も顔立ちも、だいたいお肌の感じからして20代前半にしか見えない。日本に留学に来た女子大生といった感じの可愛らしいお嬢さんなのだ。だが、実際には二人の子供さんが居て旦那様とおじいちゃんが留守を守ってくれているらしい。

コドモニ、アイタイデスー。ウーン、ロンリー。

とてもチャーミングな女の子で、すっかりファンになり、彼女の母国フィリピンに行ってみたくなった。

それにしても。

いろんな仕事があるんだなぁ。

一年のうちのほとんどを船の上で過ごす人が居るということは、知識としては知っていたものの、実際に出会ったことがなかったからすんごく驚いた。

これは前から思っていたことなのだが、学校に通う子供時代のうちに、世の中にはどんな仕事があるかを出来るだけ教えてもらえるような授業があったらいいなと思う。私達は、なれる仕事についてのカタログを持たな過ぎだなのだ。子供の頃のあの元気いっぱいの時に、おおきくなったら就ける仕事カタログ、みたいなものを図鑑として手にすることが出来ていたなら、そのエネルギーは、より建設的に使えていたんじゃなかろうかと思う。私だって大人になってから、この仕事だったらやってみたかったという職種にいくつも出会った。選択肢がもう少し多かったらよかったのにとその度に思ったのだ。

さて、私の今回の仕事は、あとは足を引っ張らずに無事に一緒に成田まで帰ること。船を降りて移動する頃が丁度輸血を受けて2週間、ヘモグロビン値が下がって来ている頃で、その時期に夜中にオーストラリア発シンガポール経由で長時間の移動が待っているのがちょっとした山なのだ。

なるべく体力温存しよう。

と、思いつつ。

もう一人の自分は、バスや電車に乗ったり雑貨屋さん巡りをしたり、散歩ネコ的活動がしたくてはやくもうずうずしている。で、昨日ぐらいからオーストラリアでの下船地、フリーマントルやパースの位置関係、移動手段などをまた調べ始めているのだった。

こういう時の調べ物が大好き。グーグルアースで一応景色は見て来たが、行ってみないとやっぱりわからないことは多いのである。地名や自由時間と体力を想定していくつかのコースを立てる。アイデアは「ただ電車に乗ってみる!」「次にやって来たバスに乗る」みたいにいい加減で、ガイドブックから外れていたりするのだが、私の場合何故かそれでとっても楽しいのだ。おかげでめっちゃまずいパスタ屋や、微妙なお値段のガレット屋なんかも引き当てたりした。

現地でお金はどうやって下ろすの。

ま、いつものごとくなんとかなるやろ。

ヤッホー!

陸に早く着きたいわ。

港町を満喫したい!

無駄にブラブラしたい。

今の私なら船より高速で泳げるような気がしてきたのであった。


投稿日:2014年03月23日

2014年03月23日

目が覚めたら昨日よりまた一層体調が戻った感じがする。

洋食のビュッフェだったら食べたいなと今朝はいつもの1/3くらいの量を食べることが出来た。

食事を終えたら、さっき船内放送でコモド島に到着したというアナウンスがあったことが気になってきた。

窓の外は久しぶりに見る陸地。両側に島が見えたら急に盛り上がってきた。

やっぱり、出かけてみよう。コモド島。パンフレットに載っているコモドドラゴンが闘っている姿を見たら、我が愛犬ダンボを思い出す。全然生き物としては違うのだが、闘っている後ろ姿の短足具合いがダンボの後ろ姿とちょびっとだけ似ているということだけで、会いに行かないと!と思えてきたのだった。

コモド島に碇を下ろしているのはあと5時間もない。

さっきまでは「今日は船で大人しくしていよう」と思っていたが、急に気が変わって”出掛ける方に駒を進める”のがいかにも本来の自分らしい。よ〜し、行くのだ。

そうしてコモドドラゴンを見に行くツアーに急遽申し込んで参加をすることにしたのだった。

船からボートに乗ってブーンと島に連れて行ってもらう。

海の色は深い緑。

そして…暑い。

インドネシアは確かまだ雨季だったんではないだろうか?湿気と暑さで体力を奪われる感じがしたが、もう出てしまったんだから行くしかないでしょう。

ツアーに参加をされているお客さんは杖をついている方が多かったので、歩くペースはゆっくりだったが、病み上がりのせいかそのゆっくりペースにもついていけずない。最後尾にかろうじてひっかかっているぐらい落ちこぼれていた。

インドネシアに来るのは2回目。

20歳の誕生日を大学の友人達とバリで過ごしたっけ。あれから随分時間は流れたが、人々や建物、木々の雰囲気があの頃に見たものと変わっていないのが、またこの地に来られたんだわという気持ちにさせてくれる。

しかし。

何故かあちこちに鹿がいた。

(右下に鹿がいます)

パンフレットには書いてはあったが、海辺でくつろいでいる姿を見ると不思議な感じがする。逆にインドネシアの人が奈良に来て、大仏さんをバックに鹿せんべいを食べている鹿を見ると驚くんだろう。私は今まで「奈良基準」でしか「鹿」について考えていなかった。鹿は暑くて湿気がすごい海辺でもやっていけるのである。

ツアーの人達が溜まって説明を受けている場所があったので追いついて覗いて見ると、木陰にコモドドラゴン2匹が昼寝をしていた。

ドラゴンちゃん達との間に柵は何もない。レンジャーの人が数人棒を持ってはいるが、それだけだ。

(木陰に2匹ドラゴンがいます)


突然ドラゴンが襲いかかってきたら、杖のうちの誰かは餌食になるという距離だと思うのだが・・・。ドラゴンはグースカと寝ている。

あんた達…。こんなにあんた達の近くに肉がいるというのに、興味ないんですか?

ぜんぜん?

丸太ん棒のようにドテンと2匹はピクリともせずに寝ていた。

いいんですか?

確かに私達、新鮮じゃないかもしれませんが。

帰りますね。

じゃね。

良い夢を。

バイバーイ。

ツアーが解散となって、海辺に戻るとしばらく木蔭でぼーっとして過ごした。木蔭に居るとあのムンとした湿気が気にならなくなって来た。風が涼しく感じてそのうちに海に足をつけに行っていた。

泳ぎたいなぁ。

記念に海辺の貝殻を拾った。

人に渡すお土産にはならないようなものが結局、自分にとっては思い出の品になるんだなぁ。

船に帰るととっても眠たくなってグースカ寝てしまった。陽射しが強かったので体力チャージの睡眠だったかもしれない。

夕方に再度診察室に行って、経過を話し診察を受ける。

26日にもう一度だけ来てもらって、その後心配なところがないか最後にチェックしたいんやけど…。と関西弁の先生が話す。

飛鳥に乗るまでは、船医っていったいどんな先生が乗っているんだろう?とちょっと不安だったが、初診からとても信頼できる先生だったので、帰国まで身体のことは先生に預ければ助けてもらえると心強くなった。看護師さん達にも親身にお仕事をしていただいた。

そういえば、今まで”本番直前”の危機一髪的なエピソードはミュージシャンの友達や先輩から聞いてきた。高熱フラフラの状態で演奏をしたという話ぐらいだとめずらしくなく、耳から原因不明の出血があって聴こえないまま視覚だけでその日の演奏を合わせたというエピソードや、あと交通事故に遭い、あとで頭蓋骨がパカっと割れたまま演奏をしたというエピソード・・・。握力がなくなって手を縛って演奏をしたというエピソードに・・・それらいずれもめちゃくちゃ大きなコンサートツアーでの話で本当にビビる。

コモド島でもネットには繋がらなかった。

海だけがこれから先に向かう場所と繋がっているだけだ。


投稿日:2014年03月22日

2014年03月22日

朝目が覚めたら昨日のしんどさの1/5くらいになっていた。病み上がりの感じはするが熱を計ったら7度3分、これなら今日のリハーサルと2回の本番もなんとかやれるんじゃないだろうか。

昨日、いくつもの点滴や座薬や筋肉注射や飲み薬といろいろなアプローチでここまでに収めてもらったドクターと看護師さんたちに感謝だ。

朝8時に診療室から車椅子でお迎えにきてもらって、再度血液検査を受ける。リハーサルが10時からなのでそれに間に合うように点滴も一本受ける。食欲がないが、何か口に入れて普段飲んでいる薬を飲まなきゃなぁ…。フルーツちょこっととコーンフレークほんの少しを食べる。

昨日は丸一日、吐くか唸るか寝ているかで過ぎた。

もう、どうしてこんな時にダウンしちゃうのか。

ここ数年の私は本番に緊張したりしなくなった。それより本番日を迎えるまでの方がプレッシャーが大きく、今回は無事に船に乗れたことでさすがにホッとしていたのだ。

本当にヒヤヒヤすることばかりが起きるのである。

が、夢の中では全然しんどくないのが不思議だ。

夕べなんて、車で空を飛ぶ夢を見たし、イチローと付き合っていてオリックスの練習場を手を繋いで案内してもらうという突飛な夢も見た。イチローはまだ独身で、私が彼女というシチュエーション。球団の人達に紹介してもらって嬉しかった。が、そのあと何故かKORGのシンセサイザーの使い方がわかんないんだよねと相談されていた。やっぱり夢はおかしな流れになっているのだ。

午前のゲネリハを終え、本番までは部屋で横になって体力を温存する。

ピアノの前に本番を迎えて座れた時が一番ホッとする。

昔あんなに緊張したのに。

そう、よく大事な所を失敗しちゃうんじゃないか、とかいろんな邪念が頭ん中を支配して毎度押しつぶされそうになっていた。

それが、”身体さえ元気だったら、なんでも出来る。”ということが身に染みてから 、本番前のあの嫌な邪念がなくなった。

音楽が出来ることに感謝。

神田蘭さんの2公演。

お客様の盛大な拍手で無事に終えられた。

はふ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

よかったぁあああああっ。

ホっとしたぁあああああああっ。

どこまでヒヤヒヤさせるねん、自分!

ところでこの自費診療費はどうなるんだろう。

保険はちゃんと下りるのかしら。

ヒヤヒヤの旅はこうしてまた続くのであった。


投稿日:2014年03月21日

2014年03月21日

早朝、気分が悪くて目が覚めた。

目が覚めたら急に吐き気がして来たのだ。

一度吐いたら楽になるかなと思ったが、結局それから3時間近くゲーゲーやっていよいよこれは自力では治せないなと思ってフロントに電話をしたのだった。

医務室の開始時間になっていなかったが、すぐに診てもらえることになり、血液検査を受けて待っているうちに今度はひどい寒気がしてきたのだった。吐き気止めの座薬をもらって一度部屋に戻ったが、寒気と吐き気がどんどんひどくなってきて、熱が9度を越えていた。

今日もリハーサルがあるのに!

明日はリハーサルと2回の本番があるのです。

こんなギリギリになって、まさかのダウン。

夕べ寝る前まではなんともなかったというのに。

待てよ。

この感じ、前にも経験したことがある。

私は10年に一度ぐらい、急性胃腸炎になって数日間ダウンしているのだ。よくある「周りのだれもお腹をこわしていないのに、自分だけカキに当たった」的な、”一人勝手に食中毒”に、10年ぐらいごとになることがあり、調子が悪くなった時間帯から最後の食事の時間を計算したら過去2回、先生に”@時間前に何か食べましたか?”と訊ねられたケースと同じパターンであることに気がついた。

3〜4日、ダウンするケース。

そんな・・・。

明日の日の為に体調には気を使ってきたつもりだった。いっぱい食べたと言っても、普通の量より少なく食が細いですねなんて言われてきたぐらいだ。

めちゃくちゃしんどい。

おー・・・じーざす。

そして急遽今日はリハーサルをお休みにさせてもらって、医務室のベッドにて点滴や筋肉注射にて治療を受けることになったのだった。

船の中の医務室ってもっと簡単な施設だと思っていた。

が、いつも病院でやってもらっているのと同じ血液検査も出来るし、病室と同じシステムが設置してある。医療用ベッドがあって、看護師さんも常駐。船ん中でレントゲンも撮ってもらった。エコー検査までしてもらった。入院した時と同じで、検温や血圧計、身体の中の酸素濃度を定期的に計ってもらって、ベッドに寝ていると病院にしか見えない風景だった。

熱はなかなか下がらない。

吐き気も変わらず、吐いては喉がかわき、水を飲んではまた吐いて・・・。

<わ、私、どうなるんでしょうか・・・・。>

とても明日の本番でまともに座っていられるとは思えない。

が、どんなことがあっても明日は根性で本番だけは全うしたい。

取り敢えず、このしんどい状態から抜け出したい。

熱が9度前後を行き来し、結局夜まで点滴をずっと受けたが、しんどさが収まる様子はなく8時頃に部屋に戻ってからもずっとうんうん唸っていた。

風邪で一人家で寝ているだけでもとっても心細いのに、船の上で丸一日高熱と吐き気に襲われたら心細くってしょうがない。明日は何があってもはいつくばってでもミッションは全うしたいと思ってはいるが、とにかくちょっとでもマシになってもらわないと、かなりキツい。

私も自分の明日が心配だが、神田さんとスタッフの方々はもっと困っておられるだろう。

アイスクリームを全種類制覇するぞと言っていた意気込みはどこへやら。

し、し、しんどいよぉおおお。

アイスクリーム??何よそれ。

今は”もう今後一生食べ物が欲しくならない”気がしているのである。


投稿日:2014年03月20日

2014年03月20日

今日の朝食は5階にある「フォーシーズンズダイニング」にて和定食を頂く。

10時からホールで通しリハーサルと細かい部分のチェックをする。


(楽屋は華やかな衣装でいっぱいでした)

今日は船が「赤道」を通過するらしい。赤道近辺では影が真下に来るので、長く伸びた影がないのだそうだ。リハーサルを終えて「赤道」体験をしに上のデッキに上がったら、陽射しと気温が一気に真夏になっていたので、すぐにクラクラしてきたのだ。

「赤道」記念に、写真を撮る。

影がどこにものびていない。

これが赤道なのかぁ。

赤道を感じるってこういうことだったとは。ふ~ん。

気温はどれぐらいなのかはわからなかったが、日本の真夏日と同じぐらい体力を奪う力があった。

昼食後は部屋に帰ってまた昼寝をする。今日は波の高さが1メートル程で、ほとんど船も揺れを感じない。時速はゆっくり走行しているので30キロ弱。チョイノリと同じくらい、つまり渋谷を暴走するお洒落自転車の方が速いということか。

午後3時、気功教室でレッスンを受けたら帰り道はスィーツ制覇の旅と称してカフェをハシゴする。ケーキ3個とクッキー3枚とアイスクリームを食べる。

夕飯をセーブして帳尻を合わせよう。

と、昨日も思ったのだ。

部屋に帰ると、船内新聞と日本の新聞のコピーが入っていた。

九州でソメイヨシノが開花したらしい。

日本もサクラが咲く頃となったのだ。

ダンボ、元気かなぁ。

パソコンが出来ないのは不安だが、かといって国際電話で友人にダンボの様子を尋ねて、それで何かあったとしても帰国日まではもう帰れない。

元気で待っていておくれ。

今日は天気が良かったので夕焼けがとても綺麗だった。

飛鳥のブッキングのお仕事を長くされているNさんが、船の上から見える景色のいろいろを教えてくれた。

東京の空だってきっと毎日いろんな表情を持っているはずなのに。

いつも立ち止まれない。

立ち止まったっていいはずなのに。

それでやって来るしわ寄せなんて、たかが知れているはずなのに。

太陽が沈み、遠くの雲がピンク色になり、大きな龍の形になり…。

また雲がちぎれて、ピンク色は蛍光のピンクになり、そうして真っ赤に燃えて、最後はゆっくりと。

スプーンで一つ、かきまぜるように夜の色に溶けて行った。