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投稿日:2010年12月31日

2010年12月31日

2010年、今年もあたたかい応援をどうもありがとうございました。
今年は私にとってまさかの入院手術となりましたが、2009年の秋から指が思うように動かなくなっていた原因が胸腺腫だったということがわかって、結果治療を受けてよかったと思っています。11月から毎日通った放射線治療も無事終えて、昨日はJFJというイベントに参加してきました。指が動かなくなってからは、ピアノも弾けなくなってしまうのか・・・と、正直悲しく途方に暮れることが多かったのですが、一年前に同じく苦しんだ同じライブハウスで元通りの指に復帰してくれたことは今年の最後に本当に嬉しいことでした。
今年あらためて思ったことが、「先の心配をしてもしょうがないんだ」ということ。そしてとにかく今目の前にあることにいかに邪心のない心で取り組めたかどうかが最大の目標で、あとは人生の波に身をまかせて預けられるようになれたらいいなと思うようになりました。
それから建設的な心を持って毎日を送れたらと思っています。
年末に新しい曲を作りました。新しいといってもいつも口にしているようなことばかりで、目新しい言葉はないけれど、新年に向けて仕上げたかった曲です。よかったら動画をアップしましたので、また是非私からの新年のご挨拶として聴いていただけたらと思います。

http://www.myspace.com/1004710363

「HAPPY NEW YEAR(デモ)」
ホームページTOPよりMY SPACEのページに飛んでいただくとご覧いただけます。
今年も本当にあたたかい応援をありがとうございました。
来年が心身共におだやかな一年となりますよう!
最後に一つお知らせがあります。朝日新聞記者さんが11/19分のブログを偶然読んで下さったことがご縁で、朝日新聞の社会面の五線譜というコーナーに記事が掲載予定です。掲載が年明け早々になる場合もあり、お知らせが間に合わない場合があります。是非、朝日新聞ご購読の方は毎日チェックをよろしくお願い致します^^
12月分ブログも更新が遅れていますが、少しずつアップしていきたいと思いますので、こちらもまた今後共どうぞよろしくお願い致します!


投稿日:2010年12月31日

2010年12月31日

大晦日はどこもかしこもみんな慌ただしいのだ。
夕方、スーパーに行った。スーパーに行く時、私が気をつけていることは「お腹をあまり空かせた状態では行かない」ということなのだ。何かちょこっとでもお腹に入れてから買い物に出る。そうしないと「あれもこれもどれもそれも」美味しそうに見えてしまい、気づけばそれらをカゴに入れて清算をしている。一人暮らしとは思えないほどの消費期限に自分が追いつかない食材の買い方をしていまうからである。
で、今日はまたそういう意味では気をつけないといけない日なのだ。
「お正月に向けて」の買いだめを必要以上にしてしまわないように。だってもう今は元旦の一日が休みなだけで、二日になればスーパーはたいてい開いている。だから大晦日だっていつも通りの買い物をすればいいのだ。それなのに、どうも買い過ぎてしまう傾向にあるのが大晦日。レジで前に並んだおじさんも、こんなに買わなくてもいいんじゃない?ってぐらいいろんなものを詰め込んで大金を支払っていた。
活気にあふれるスーパー。
今年のうちにやり残したことはないか。
大掃除、オッケー。
買い出し、オッケー。
年越しソバを食べるから夕飯はほどほどに。
慌ただしいが、新しい年にバトンを渡す大事な時。
世の中のみんなが冷めて過ごしている方が怖い。
みんな元気で慌ただしく動き回っている。
宇宙から見る地球は青かった。
その青い地球をよ〜く目を凝らして見たら、ちょこまかちょこまかいつもより黒い点々達がたくさん動いているよ。
大晦日はゆっくり更けて行く。


投稿日:2010年12月30日

2010年12月30日

全編カバー曲で構成されるイベントJam for joyに参加した。
今回でJam for joyも52回目。継続は力なり、そして継続は仲間なり。毎回30名以上のミュージシャンが集まるそこから発展して仕事を一緒にするようになったり、かけがえのない仲間になっていく場所になっているのだ。私もこのJam for joyのおかげで音楽仲間がたくさん出来た。普段友達作りにあまり積極的ではない自分にとって気心の知れた仲間が出来たことはなにより素晴らしい財産となった。
前日になると宿題に追われる子供のように「明日の曲」の準備をする。ツィッターには「今必死で勉強中!」というメンバーのつぶやきがツィートされる。あっ、Fくんもつぶやいてる。Aさんもつぶやいてる。あっ、Kさんもだし。いや、私もそうだったが・・・・。結構笑えるのだ。
一年前このイベントの時、曲中に指がもつれて上手く弾けなかった。まだ原因が胸腺腫にあるとも知らず、それだけに原因がわからないままの不調に不安だった頃で、弾きながらどんどん指がもつれていくのを自覚しながら<もう演奏も出来なくなるのかな>と半ばあきらめがちにそのことを受け止めようとしていたのだ。
あれから一年になる。
今年は他の年にも増していろいろな出来事があった。”理由がわからないけれど以前のように演奏が普通に出来ない”という状況は苦しかったし、「だったら別の方法で」という風にも考えられなくなっていたし、「もう音楽をやめた方がいいという啓示なのかもしれない」と心を平にすることを含め葛藤の繰り返しだった。
今年は怖くてあまり鍵盤の前に座れなくなっていた。
今月になってからもやっぱり少し怖くて鍵盤を弾けずにいた。
今日は久しぶりのライブだ。
普通に弾けることが嬉しいだなんて変かもしれないが、より自分の音楽観が変わったと思う。邪念なく心を澄ませて一音一音向き合いたいなと思う。
でも頑張りすぎず、気負いすぎず。
いつからか同じクラスの仲間のような近しい感覚があるこのメンバー。
「ハウゥウウウウ〜〜〜」
リハーサル中に隣りの席でコーラスチームがコーラス練習をしている。
チャイムが鳴る前の休み時間のひとときだ。


投稿日:2010年12月29日

2010年12月29日

日用品を買った帰りに近くにあるパン屋さんに立ち寄った。
「あぁ、食パンはね。今日はもう売り切れちゃったんだよね」
店のおじさんがこう言った。
そっかぁ。
「あー、でもイギリス食パンならあるよ」
あら、だったらそれを頂くわ。私はどちらかというと食パンよりちょっと粗い食感のイギリス食パンの方が好きなのだ。ラッキー。
「じゃぁ、イギリス食パンをいただいて帰ります」
おじさんは手袋をした手で山形の食パンを一つ取り上げ、「でもねぇ、まだ焼きたてだからこれはスライスは出来ないんだよね」「いいです。家で切りますから」
パン好きが高じてパン屋さんでアルバイトをしたこともある私だ。焼きたてがスライス出来ないことや、冷めるまでは袋は開けておいて下さいねとビニールの口をとじないでおくことも、<美味しいパンを美味しく食べて欲しい>作り手の気持ちであることは、少しはわかるつもりだ。
なのに。
あなた。
「まだあったかいからビニールじゃなくて、紙に包みますよ」と、大事にパンを包むその白い紙を取る時に指を舐めましたね。お札を数える時や、雑誌のページをめくる時によくやる「指、ペロっ」を、あなたは今しましたね。
オヤジのその唾液はいいのか。
私は指ペロをしたおやじさんの指で取った紙でパンが包まれるのを見ながら、とても残念な気分でいっぱいになったのだ。
「袋は冷めてから入れてちょうだいね」
美味しさ度数、急降下。
家に帰るとまず一番にその白い紙をパンと私の指に触れないようにそぉおおお〜〜っと外して、そして捨てたのだった。
んもう!
いや!
美味しいパンを食べるために、私がその白い紙を一番大事に扱ったであろうことをおやじさんは知らないのであった。


投稿日:2010年12月28日

2010年12月28日

ダンボは最近ちょっと冷たくなった。
ちょっと寂しい。
犬のキモチがわかる本に書いてあったが、飼い主が呼んでも知らん顔をしている時の犬というのは「面倒臭いなぁ」と思って動かないのだそうで、私が「ダンボ!」「ダンボちゃ〜ん」と呼んでいる時に「あいつ、チョーうざい」「あいつ、チョー面倒くせーな」と思いながら無視をされているんだと思うと、やっぱりショックなのだ。
だって私はお前が大好きなのに。
しつこくすると犬もやっぱり相手がうっとおしくなるとは。
しかしキミ、いつも暇で食べるか寝るかしか用事がないじゃないの。
そんな暇犬に、面倒臭いと思われているだなんて寂しい。
「ダーンボ!」
むぎゅ〜っとダンボに抱きついたら、肉球で顔を押された。
「うっとおしいんだよな、お前」
「ちょっとあっちに行ってろよ」
愛が醒めた年下の彼氏って、きっとこんな態度になるのだ。急にダンボが同棲中の年下の彼氏に思えてきた。そうだ、欲しいものがある時だけはいつも態度が変わって。そういえば私が外出する時に、昔は「お前、今からどこに出かけるんだよ」って怒っていたのに、今は「じゃ行ってくるね」と言っても布団から出ずに「あぁ」としか返事もしない。いいえ、寝たまま何も言わない時だってあるわ。
一緒に居るのに寂しいってこういうことを言うのだ。
「ダンボ」
犬も心変わりをするのかもしれない。
昔、ちょっとだけつき合ってすごく傷つく別れを経験した元カレとダンボは同じオーラを発していた。
なんか・・・あの時と同じだわ。
犬でデジャヴ。
今日、家に帰ったら「ちょっと話あんねん」と、別れ話を切り出されるかもしれないのである。


投稿日:2010年12月24日

2010年12月24日

夕方、ラジオの収録で渋谷に行った。
今日はクリスマスイブ。金曜日ということもあって、仕事帰りにクリスマスイブを楽しむカップルも居るんだろうなぁと思っていたのだが・・・。
収録を終えて、時計のベルト交換とそれから今日は美味しいものでも買って帰ろうかなと少し渋谷の街をブラっとしているうちに、どんどん日が暮れてイブの夜に変わって行った。
渋谷駅前のスクランブル交差点はいつもすごい人なのだ。
最初に来た時は「今日はお祭りでもあるのかな」と思ったが、今日は分刻みにものすごい人になっていた。
ちょこっとデパ地下に立ち寄って、西武百貨店を地下から上がったら、渋谷のスクランブル交差点の交差点待ちの人波が見たこともないぐらい膨れ上がって黒い山のようになっていた。
<敵が攻めて来る。>
よくわからないがその時に何故か「関ヶ原の戦い」が脳裏に浮かんだのだ。
普段の渋谷は「お祭り」の様子。
特別な日の渋谷はよりいっそう人が集まってきて、お祭りを越えて戦いに近い殺伐とした景色となりなんだか恐ろしかった。
街頭のケーキも思ったより高かった。
今夜「イブは渋谷で!」と集まって来た人は多い。
私にこのムードは合わなかった。
「イブは渋谷以外で」過ごすのが平和でいいなとつくづく思ったのである。


投稿日:2010年12月23日

2010年12月23日

福袋、残りあとわずかです。
ある店から届いたお知らせメールに、つい福袋を購入してしていた。
福袋は、店に並んで運動会みたいに走って奪い合って買うものだといつからか思うようになった。残り物には福があると言いたくても瞬時に売り切れてしまうので、興味はあるけれど根性がなければ買えないものというイメージがすっかり定着したのだ。
並ばなくていいのなら、一つぐらい欲しいわ。
と、思っていたら最近はネット通販で予約で買える福袋が結構出ている。
ネットでの予約なら自分でも買える。それぐらいの手間なら福袋にかけてもいいという人もやはりいくらかはいるのだろう。
この店の予約は3万円の福袋は既に売り切れていて、残りあとわずかなのは1万円のものだった。
ポチっ。
購入のボタンを押せばそれで購入。支払いを代引きにしたのでとても簡単に買い物は終わった。
買ったあとにハっと目が覚めたような感覚に陥る。
<あれっ、私。福袋なんて買ってしまったわ>
冷静になって考えてみると、別にすごく欲しかったというわけではなかった。
「残りあとわずかです」「福袋」「休みがなく少し心がささくれていた」の三つの要素が丁度タイミングよく私を動かしたのだ。
「行動力」は意外なもの同士の化学反応で発生する。
脈絡の無い三つぐらいの要素がうまいことタイミングが合い、それで一瞬判断力を失った時に、人は大きく行動に出るのである。


投稿日:2010年12月22日

2010年12月22日

ファッション雑誌やカタログを見ていて思うことがある。
それは必要以上にモデルさんの目つきに睨みがきいているということなのだ。
いつからモデルさんは笑わなくなったのだろう。かつてモデルさんは雑誌の中でニコニコ笑っていた。その笑顔がわざとらしいという価値観がきっと出たのではないだろうか。そしてモデルさんの笑顔は取り扱いが慎重になって、逆に今は昔のような笑顔がファッション雑誌には見られなくなった。
だがその睨みに私はずっと違和感を感じてきた。
そんなに睨まなくても・・・・と思いながらページをめくっていたりする。
あまり気持ちのいいものではない。
目力に負けてページをめくっているような、目をそらすような感じ。何かに似ているなぁと思ったら、近所の猫のにらみ合いの図そのままだ。ボス猫の威嚇に耐えられなくなって小さくなって退散する感じ。そう、睨みのモデルさん達はみんなネコ科の大きい動物とダブるのである。
トンがったファッション雑誌ならまだわかる。こんな装いで近所のスーパーには絶対行けないわというようなページばかりで構成されているような外国のファッション雑誌のモデルさん達はそういえば昔からヒョウみたいな目つきでメンチを切っていた。
だが、最近はファッション雑誌だけでなく、「手編みの本」や「かんたんソーイング」「お家でくつろぐ服」などハンドメイド系の本のモデルさんまで睨みをきかせるようになってきたのだ。
手編みのセーターを着て睨まんでも・・・。
睨むまではいかなくても、ヤル気がないような表情で写っているモデルさんも居る。もちろんモデルさん自身がヤル気がないわけではなく、そういう雰囲気を要求されてそれに応えているからこれがokテイクになるわけなのだが、くつろぐ服を着てイヤそうな顔をしているカットを見ると、そのページで一番気になることが「この服、作ってみたい!」ではなく「なんでこんなイヤな顔をしているんだろう」ということになってくるのだ。
睨む目力はあんまり好きじゃない。
少なくとも私はかっこいいとは思わない。
唯一私が微笑ましく受け入れられる「睨み」は、「この頃ヤンキーやったわぁ」と言って昔の写真を見て懐かしむ、元ヤンキー達の昔の写真の中のほんまもんの睨みだけなのである。


投稿日:2010年12月21日

2010年12月21日

押し入れの中の整理をしていたら、母からの手紙を見つけた。
消印は平成7年。宛先が中野区野方の住所になっているので、中野に住んで居た頃に受け取った手紙になる。
何て書いてあるのだろう。
今から15年も前の手紙だなんて。
タイムカプセルを掘り起こしたかのようなワクワクする気分で中の手紙を出してみた。
すると。
そこには、父が体調を崩して入院したこと、それに伴う今後の母自身の生活の不安から話はだんだん私への怒りに変わって行ったのであった。
「一体いつまで浮き草のような暮らしをするつもりなのですか」
書きながらますます怒りが湧いてきたのだろう。
「結婚もしないで、いつまで気ままな生活を続けるつもりなのですか」
「音楽は今更もうやめられないでしょうが、それにしてももういい年なのだから人生設計をもう少し真面目に考えて下さい」
そして最後の締めくくりが「私たちのことはあてにしないように」という文章だった。
二枚に渡る便せんの中にはよくあるような故郷の母親からの「身体だけは大事にしなさい」といった文章は一行も見られず、私の生活についての怒りを延々と綴ったものであった。
母は父が体調を悪くして不安になって、その不安の勢いでこのような手紙を送りつけてきたのだと思うが、いかにも母らしいなと思ったのだ。
だいたい最初にピアノを習わせたのは誰なのだ。ピアノ教室に通わせてそれで、いつどうなっていれば母は満足だったのか。やめずに続けたことを彼女はちっとも見てはいないのである。
「あてにしないように。」で終わった手紙を読み終えると、母の中ではかなりの寄生虫娘扱いだがいつ私がお金をたかったというのだ。全くこんな手紙をもらって捨てずに置いておいたということの方が驚く。
偶然見つけた母からの手紙はこの一通だけだった。
よかったと思った。
あまり愛情あふれる手紙だったら、私はしばらく泣けてきて何も出来なかったかもしれない。
「すごい手紙やん、おかあさん」
笑って手紙を仕舞えたことが私にとっては幸いだった。
もうすぐ平成22年も終わる。
15年経っても私はまだ浮き草のような生活をしていて、気ままな独身生活を送っている。それに当時はなかった病気も抱えて更に母からすればとんでもないダメ人生に見えるかもしれない。
でもねお母さん。
私はお母さんよりも明るい方を向いて毎日を送っていると思う。お母さんよりも日常の中に幸せをたくさん見つけられる自信がある。
母には申し訳ないが、母は私の反面教師だ。
とにかく悲観しぃの母だった。
私は悲観する考え方から幸せを探すのでなく、余計な感情を加えず、もっと、なるべくシンプルに幸せを見つける人生を送りたい。
自分が浮き草だって何者だっていい。
平成7年、あの手紙を読んだ私はきっと自分を不甲斐ないと責めた。
だが今はあの時出せなかった答えが言える。
幸せは決して状況が作るものではないと。
「拝啓、美智子さま」
目を閉じて母に返事を送ろう。
「心配しないで下さい。
私は今幸せに毎日を送っています。」


投稿日:2010年12月19日

2010年12月19日

レッスン合間の休憩時間に駅ビルにあるとんかつ屋さんに入った。
他の店舗は満席の札が出ていたりしていたので、少しゆっくり出来そうなこの店にしようと思ったのだった。
「いらっしゃいませ〜」
男性店長と思われる人に案内をされて席に着く。
お客さんは、やや席にまだ余裕があるといった感じだが、店員さんがとても少ない。お茶を運んだりする女の子が居るが注文は取れないらしい。お客さんが「すみません」と声をかけると慌てて「店長〜」と男性を呼びに行くので、今注文が取れる店員さんは店長一人と思われる。
「ごゆっくりどうぞ」
女の子はそういって奥へ入って行ったのだが・・・・。
どうも落ち着かない。
というのも、近くの席に座るお客さんが店の人にビールか何かのおかわりをしたいが、人が居ないので困っているのが私の席にまで伝わってくるからだった。
それだけではない。
斜め前の男性客が「すみませ〜ん」と声を出した。
女の子が出て来ると近くの席のご婦人が「ビール、おかわり」と言い、斜め前の男性は「ご飯、おかわりお願いします」と言っていて、向こうのテーブルおばあさんが「お茶下さい」と言っていた。
人が足りないんでないの。
特にとんかつ屋さんで私はいつも思うのだが、「キャベツとご飯とお味噌汁はおかわりご自由です」と言ってくれるが、自分で大きな声でおかわり申請をしないといけないのがなんとなく気がひけるというか面倒臭いというか、それだったらもういいか・・・と、断念することが私は多いのだ。お椀の中を察して「おかわり、いかがですか」と尋ねてくれたらいいのだが、私はあのおかわりご自由サービスは「すみませ〜ん」と店員さんを呼ぶだけのことを乗り越えたら、おかわりをあげると言われているような、サービスでもなんでもないような気がしてならないのだ。
し〜〜ん。
今おかわりをしたい人はかなり大声で店員さんを呼ばねばならなくなった。
というのも店内に店員さんが居ないのだ。
かわりにさっきの女の子が店の前に出て「ただ今、@@サービスをやっております。店内お席まだ余裕がございますのでどうぞ〜」と宣伝をしている。そして店長はその奥で関係先と思われる相手との電話中。
お〜い。店にいるお客を大切にして下さい。
というか、いつ私の注文を取りに来てくれるんですか。
ごゆっくりどうぞって、もう私の休憩時間は残り少ないんです。ごゆっくりしているのはお店側なのではないでしょうか。
その後、私は「すみませ〜ん、注文をお願いします」と叫び、向かい側のおばあさんは「食後のデザートまだですか」と叫び、近くの席のご婦人は「注文お願いします」と叫び・・・・。
君ら、呼ばれな来えへんのかいな。
ぜんぜんゆっくり出来なかった。
二度とこの店には来ないのだ。
「どうぞごゆっくり」の日本語からあのとんかつ店は勉強し直した方がいいのである。