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投稿日:2013年08月30日

2013年08月30日

4月頃に薬の副作用で髪が大量に抜け始めて、投薬が中止になったあとも抜け毛が収まらず、髪をといたり洗ったりするのが怖くなっていたのだ。

7月頃、もう一種類脱毛の副作用のある薬の数を減らしてもらったが、それでも抜け毛は収まらず・・・というか、最近は身体の各所に”異常あり”状態になっていて、だがそれが薬のせいなのか病気があらたに出ているせいなのか単純に加齢のせいなのかがわからなくなってきてしまった。

去年、ネオーラルという薬を飲んでいた時には多毛の副作用が出て、その時には耳たぶにまで産毛が生えて、髪の毛も洗髪でどれだけガシガシ洗っても3本ぐらいしか抜けなかった。抜けない状態で増えるため、髪の量も相当多くなっていたという自覚があったのだが・・・。

4月の半ばに急にバサバサと抜け始めてからその量は3分の1にまで減ってしまった。

今まで「薄毛」の悩みは一度も持ったことがなく、禿げの知人友人の持つ”薄毛に本気で悩んでいるキモチ”というものも全く理解をしていなかった。

が、抜けてみてはじめてわかった。

「こんなに抜けちゃって!」

「どうしよう」

髪がもともととても多いので傍目には「薄毛」が目立たないかもしれないが、一日に200本ぐらい抜けて、それが毎日続けばいつかなくなるのである。

そのエックスデイはいつなのか。

「薄毛なんて気にすんな!」

いつか、薄毛の先輩が薄毛の後輩に話しているところに同席をしていたが、「そうだ、薄毛なんて気にすんな!」と自分に言い聞かせてみたものの、ゴッソリと抜けてゴミとなっていくマイヘアーを毎日ゴミ箱に捨てながら、だんだん笑えなくなってきたのだった。

そこで、生まれて初めて育毛剤なるものを買ってみることにしたのだ。

育毛剤で抜け毛なんておさまるわけがないと思いながら、それでも何もしないよりはいいと買った「ラサーナ」という商品。

ただ朝と晩に頭皮にシュっとして軽くマッサージをするだけの品物。

ところがこれが効いたのか、一週間で「抜け毛」が落ち着いた。

あんなにゴソっと抜けていた髪の毛が元の量の抜け毛に戻ったのだった。

ネットで見る「口コミ」はヤラセなんじゃないの?と半信半疑で見ていたりしたのだが、少なくとも私に効果はあった。

一週間で変わるもの?

まだ信じられないが、もうしばらく続けてみようと思う。

生まれて初めての育毛剤。

効果があるって嬉しいのだ。


投稿日:2013年08月27日

2013年08月27日

いつの頃からか私もLINEを使うようになった。

というか、こういうものは誰かからメッセージを送られてはじめて「ふぅ〜ん。これってこういう使い方をするのか」と知り、必要最低限のことしかわかっていないので、使いこなせているわけじゃぁないのだ。

今月になって、”ぐっち”という大学時代の同級生からLINEでメッセージが届いた。つい先日出張でこっちに来ていて会う予定だったが、直前になって都合が悪くなったばかり。だがもうすぐ同窓会で会うので近々会うことになっていた。

<運転は気をつけて下さいね。>

あら、ぐっちもLINEも使うようになったんだ〜。

最近LINEで連絡くれる人が増えたなぁ。

でも、なんだか丁寧な言い回し。

らしくないぞ。

ま、文章になるとかしこまる人って居るよね。

じゃ、ま、私は変わらずってことで!

などと思いながら「ありがとう〜!グッチ優しいね!」などとタメ口で返事を返していたのだった。

LINEではエラい紳士的に接してくれているぐっち。

大人になったんやわ。

それからぐっちは今日までの間に何度か、紳士的なメッセージを送ってくれ、私も相変わらずタメ口の返事を返していたのだった。

そして今日。

はじめて”会話のつじつまが合わない”状況になった。

ぐっちはローマ字にするとkawaguchiさん。

なのだが、

kawaguchiさんって、よく考えてみたらばkawaguchiさんは”ぐっち”一人だけじゃないのである。

そこで初めてこれはもしかして別のkawaguchiさんなのではないかと・・・・。

よぉおおおおおおく考えてみた。

ガビィイイ〜〜〜〜ン。

丁寧な言葉遣いでしかやり取りをしていなかったもう一人のkawaguchiさん浮上。

メールもメッセージもそうなのだが、一度送信してしまうと取り戻す事って出来ないのだ。別に、別に、内容としては失礼なことは書いてはいなかったとはいえ、めっちゃタメ口ではっちゃけた返事に先方は戸惑ってはいなかっただろうか。

今まで人間違いをしていました。ごめんなさい。

と、急に大人文章で謝ったものの・・・・。

あぁあああああああ〜〜〜〜〜っ。もう!

先方、今まで呼ばれたことのない”ぐっち”と呼ばれてどう思っておられたことでしょうか。

間違えているのでは?と思われなかったのでしょうね。

それにしてもLINEでメッセージを試しに私に送ってみたらば・・・タメ口にいきなりのあだ名。

フランクすぎやろ。

あぁっ、穴があったら入りたいです。

遅いやろ。今更。

これを機会にkawaguchiさんにめっちゃタメ口になろうか迷っているのである。


投稿日:2013年08月23日

2013年08月23日

今朝、携帯に妹からの夜中の着信履歴とメールが入っているのを見つけた。

昨夜、出血をして結果再度心破裂が起きたとのことで、そこでまた深夜に開胸手術になったらしい。

心停止が2分間。だが蘇生してまた危険な状況ながらも命を繋いだのだそうだ。

心破裂で助かるだけでもめずらしく、再破裂してなお生還した例は先生の間では例がないらしく、今後数日間の命になるのか数ヶ月になるのかは全くわからないとのことだが、ICUで父はまた治療を受けることになった。

火曜日には呼吸器が外れて話が出来るようになっていたのだ。

「みきちゃん、覚えている?」と妹が訊ねたら「杏林に入院をして手術を受けている」と10年以上前の記憶に飛んでいたらしいが、よくしゃべっていたらしい。一昨日は「上海にいる」と語っていたそうで、妹も笑っていた。昨日はリハビリも始めていてご飯は9割食べていたというのだからかなり身体も戻ってきていたと思ったのだが、やはり高齢なのだなぁ。何が起こるかわからないなぁと思った。

今は薬で眠っているらしい。

眠っていると本人はしんどくないからいい。

私も今月は血液検査の結果で白血球と血小板が減って、状態が変わって要検査となった上呼吸器外科の半年に一度の外来では肺に影があると言われて、来週早々PET検査というガンの検査を受けることになった。

ダンボは肝臓の薬だけでなく、心臓の薬も始まり・・・。

なるべく深く考えるのはよそう。と、思うが基本的にはちょっと暗い。

身体が元気であることは、やっぱりとても大事なことだなと思い知らされる月となっている。


投稿日:2013年08月19日

2013年08月19日

バス停の前を通ったら、バスを待つ人達全員がバスのやって来る方向を向いていた。

そういえば私もバス待ちをしている時、バスのやって来る方向をじぃ〜〜っと見つめているんだった。

時刻表ではまだもう少し時間があるというのに、それでもじぃ〜〜〜っと遠くを見つめている。

かげろうの向こうにバスの姿を見つけたら、その一瞬ものすごい幸せを感じている。

バスを待つ間、人はとっても健気なのである。

飼い主さんがスーパーの中に消えて行き、外で繋がれている待っているワンコと同じぐらい健気なのである。

ミーアキャットのように。

幸せを待っているバス待ちの時間。

「来た!」

多分日常生活の中でも特別幸せを感じる瞬間。

バスがやって来るのを見つけた時、私達はいつも”救いの神”を見つけた気になるのである。


投稿日:2013年08月16日

2013年08月16日

車で東京に戻る日。

帰省の日は一人旅だったが、東京への戻りは後輩のSくんが同乗することになった。

父の顔を見に行ってから大山崎インターから高速に乗る。

Uターンラッシュに巻き込まれない時間帯かなと思っていたが四日市で渋滞にハマる。

まだ東京のナンバーがほとんどない。この人達は名古屋に帰る人達なのねぇ・・。

3時に出発をしたが6時でまだ三重県かぁ・・・。

まぁ、ゆっくりでも無事に帰れたらいいか。

目立った渋滞は結局四日市近辺ぐらいで、その後は車の流れがよかった。長島スパーランドの横を通り過ぎて名古屋港のあたりは景色もよかったし、何より運転手が2人居ると楽だ。

それにしても高速のサービスエリアはとても充実したのだ。

バンドで機材車移動をしていた頃のサービスエリアはちょっと惜しい感じがあって、食べたいものや買いたいものは私の場合「消去法」で選んでいた記憶がある。もうちょっと企業努力してもらいたいわと不満だったのだが、今はテレビでも特集されているように「ここでちょこっと楽しんで行きたい」と滞在したくなる場所に変わった。

犬が居るのでレストランでゆっくり食事を摂ることが出来なかったが、カニクリームコロッケ定食にはかなり惹かれた。

新東名を通ってその後はまぁまぁ順調に東京に帰ることが出来たが、それでもSくんの銀座のマンションに着いたのは夜中の1時前だった。

首都高を使って20分ちょっとで「永福」に行ける予定で、このあとはグーグルのナビアプリを頼りに最後の走りを一人ですることになった。

のだが・・・。

ここからが田舎もん丸出しの失敗が続く。

銀座の乗り場からすんなり高速に乗れたまではよかったのだが・・・。

5分ぐらい走ったら「高速、出口です」とナビ。

なぬ!私は高速を降りてしまったというのですか。

どうも私は汐留の辺りにいるらしい。そのままルートを仕切り直してもらってナビを頼りにしたいのだが、「もうすぐ左です」と言われてもその時点で交差点を過ぎていたりしてナビ案内との連携が取れないのだった。

結局、Uターンをして元の道を戻り・・・そこでもナビとの連携が取れず、高速を見落としてしまい、今度は何故か三宅坂というところまでやってきていた。

よくやくそこで首都高に乗り・・・。

次に私はまた高速を降りていた。

「木場、出口です」

木場って、杉並と反対じゃないの。

なんで木場におるねん!

だんだん腹が立ってきた。

しばらく道なりですってあんた、ゆうたやんか。

だから道なりに進んだよ。

ほしたら急に左方向ってあんた。

急には無理!

そこからまた一般道路をグルっと回って木場から首都高に乗った。

かなりイライラしていた。

今度こそ帰ります。いや、絶対に!

と、思って1分後・・・。

「箱崎、出口です」

出口ってあんた、私今乗ったばかりやないの。

ほんまにこれ、出口なんですか?

ていうか、高速代これではらわなあかんの。

逆走してでも戻りたいんですけど。

あきませんのか?

・・・・・。

全然杉並じゃないやん。

んもう!

んがぁあああああああああああ

私は箱崎インターの出口におった。

杉並まで20分で帰れる予定が時刻は1時半をとっくに回っていた。

箱崎インターから首都高に乗った時、これで4度目のチャレンジになるのだが、ナビをブチっと切ってもうこれは自力で看板を見て帰るしか無いなと半泣きになりながら運転をしたのだった。

<もう信じひん。誰も信じひん。クソナビめ!>

<信じられるのは自分だけだわ>

かなり狭い考えに陥り、危険人物と化していく。

いいや、人間なんてそんなもの。それでええ。普通です。正常でよろしい。

そういえば昨日も同窓会会場からの帰り、阪神高速守口線に行くつもりがナビ案内に任せてそのまま豊中インターまで行ったっけ。

くそぉおおおおおおお〜〜〜〜〜

結局家に着いたのは2時10分だった。

首都高に4回も乗って大損もした。

ナビとしては私の方がうんと使えると思う。

行きは8時間の旅、帰りは11時間の旅。

最後の最後にとても疲れたのであった。


投稿日:2013年08月15日

2013年08月15日

今日は大学の軽音楽部の同窓会ライブ。

去年、FACEBOOKで佛大軽音楽部のコミュを先輩が立ち上げて下さったのだが、懐かしい先輩や後輩と繋がれたことだけでなく、当時の合宿写真や思い出話がアップされる度に楽しかった学生生活のことがいろいろと思い出されてきたのだ。

今の私の音楽の基礎はあの大学生活の4年間にある。

卒業してから時間が経てば経つほど、それを実感していた。

少なくとも私の人生の選択肢を今に向かわせたのは、あの大学生活の全てだった。

たくさん学んでたくさん影響を受けた貴重な宝物の時間だったと、もうみんなに会えなくなってからあの頃のことを愛おしく抱きしめるようになった。

先輩に会いたいなぁ。

一回生の頃、三回生や四回生の先輩は、それこそ『神』な感じで一緒の部屋に居るだけでものすごく緊張して普通の会話なんて出来なかったのだ。とにかくまぶしくて憧れそのものだった。

合宿、楽しかったなぁ。

春休みと夏休みには数日間の合宿があって、民宿や合宿所の普通の部屋が練習スタジオになって朝から晩まで各バンドが練習をしていた。合宿の間にカップルが出来てちょっとしたニュースになったり、それから合宿の最終日には各バンドが演奏をする打ち上げ演奏会で盛り上がったものだった。

当時の部員のほとんどは音楽とは関係のない仕事に就いたが、でもメールアドレスは音楽好きなんだなぁと笑ってしまうような綴りだったり、FACEBOOKや何かのページでも楽器を載せていたりとやっぱり音楽が好きなことには何ら変わりがなくて、いつかまた合宿みたいな演奏の場で同窓会が出来たらいいなと思っていたのだった。

在学中は旗を降って前を歩くタイプじゃなかった。

それどころか、部費の滞納をしたり、”仕事をしない!”と部長に怒られていた。みんなが集まる会では自分の意見さえうまくまとめることも出来ずに、「吉川は意見ないんか」と期待もされなかった。

そんな私だったが、今回一念発起して幹事として会を開催することにした。

佛大なので住職さんにとっては、お盆の開催は参加が出来ないとわかってはいたが、とりあえず今年やらないと後悔するような気がしてならなかったので、次回は誰かがまた気が向いたら開催してくれると期待して今年決行することにしたのだった。

会えなかった人ももちろんたくさん居るが、もう会えないと思っていた先輩、同回、後輩の人達とたくさん会えた。やっぱり先輩はまぶしくて緊張してあこがれのままだったし、同回は気の置けない仲間だったし、後輩はいつまで経っても10代の子を見ている感覚になってしまう。なんか嬉しくて涙が出そうだった。

もうどこへ行っても「最年長」となった私だ。

「ヨシカワ」に戻れて、なんだかとても幸せだった。

あの頃があって今がある。

私の人生にとってなくてはならない4年間だった。


投稿日:2013年08月14日

2013年08月14日

午後、しげおっちの入院している病院へ妹と待ち合わせをして行く。

手術後のたくさんの器械につながれて父は眠っていた。

「お父さん、来たよ」

意識がないのは薬で眠らされているからだ。

人工呼吸器につながれて頭のあたりには心拍数や酸素の量、血圧などの管理のモニターがあって、身体からはドレーンという管が出ていた。

ちっともの嬉しいことじゃないが、この辺りの器械類のことは自分が何度も患者側に立って経験しているので、少しは理解が出来る。

治療としては来週の月曜日ぐらいに薬を切って、呼吸器を外してみて様子を見るそれまではこの状態で経過観察なのだそうだ。

金曜日に東京に戻らないといけないから、父との会話は出来ないだろうが、こうして来れてよかったと思う。

手を握ると冷たかった。

眠っているので”しんどい”ことから解放されていることが救いだ。

ところで、”ICU症候群”という状態というものがあるらしい。目を覚ました時に自分が集中治療室に居ることを知り、このまま死んでしまうのではないかと不安になったり、もう治らないのではないかという恐怖で妄想や幻覚が起きたりするのだそうだ。

私自身は一番最初に”ICU”で目が覚めた時、かなり思考がおかしかったのを覚えている。私の場合は病人である自覚がなくて、呼吸器をつけて身動きも出来なかったのに、看護師さんに「私はいつ退院できますか?」とメモに書いて訪ねていた。来週までに退院しないとお仕事を休まなくてはいけなくなるので、それは困るという考えだったのだが、どう考えても来週退院して仕事に行けるようには見えてはいなかった。ただ相手にしてもらえなかったので、”なんで真面目に聞いたのに答えてもらえないんだろう?”とやや怒っていたっけ。

その後は、妄想がひどくなった。

隣りの部屋に知人が来ているから呼んで来て欲しいとまたナースコールを押して頼んだり、訪ねてきたY氏に「私は盗聴されているから私の家に行ってきて盗聴器を外して欲しい」と真面目に頼んだことも覚えている。変な夢をとにかくたくさん見て、それらを現実だと思っていた時期が続いた。

で、最初の入院の際にはその前3年間程の記憶がかなり抜けていることをあとで知ったのだった。

しげおっちも夢を見ているのかなぁ。

ひどい妄想は私の場合最初の入院の時だけだったが・・・。

点滴を受けているからか、シワシワ老人のはずのしげおっちの手や顔が腫れていた。

黙っているしげおっちを見るのはとてもめずらしい。

あまりなかが良くなかった妹だったが、よくしげおっちに「頼むし、仲良くしてくれや!」と言われていたっけ。

仲良くお父さんのとこに来ていますよ。

また来るね。おとうさん。


投稿日:2013年08月13日

2013年08月13日

今日から里帰り。

車で帰省予定で昼過ぎに家を出る予定だったのだが、朝家に妹から電話がかかってきた。

どうも父、しげおっちの様子がおかしいらしく、妹が言うには「熱中症」。土曜日から様子が変だったが今日もやっぱりおかしいらしい。それで病院に行くことになったので出掛ける予定を一旦連絡待ちにすることにした。

先週電話をした時には「13日に帰って来るんやな」といつもどおりの会話だったのだが、土曜日の朝にヘルパーさんが家を訪ねて下さった時に、しげおっちは家の中で電話の子機やらいろんなものを鞄に詰めて「今から帰りますねん」と言い、ヘルパーさんのことも覚えていなかったらしい。

聞けばエアコンが止まっていて汗だくで、それで意識がおかしくなっていたらしく、少しずつ正気を取り戻したのだそうだ。

ところが日曜日の朝もエアコンを父は止めていたらしい。

今度はコンセントから抜いていたらしく、妹といつものしげおっちではないんじゃないの?という会話はしていた。

「お姉ちゃん、今来たら大変かもよ」

正気を取り戻したらず〜〜っと父はしゃべり続けているらしく、昨日は妹から「助けて」とだけ書かれたメールが送られていたので、帰省はいつも以上にくつろげない状態だなとは思ってブルーになっていたのだったが・・・。

今朝は向かいの家のピンポンを押して「人を探してまんねん」と言っておかしな行動を取ったらしい。妹は「熱中症」だと言うが、本当にそれって熱中症なのか。だって家の中で鞄に何かを詰めて「帰りまっさ」と言ったり、「人を探してまんねん」と言ったり・・・。それは今までの変わり者しげおっちとはまた別のタイプの行動パターンじゃぁないの。

午後になって妹から電話がかかってきた。

「やっぱり熱中症の症状でそうなったみたい」

病院でそう診断を受けたそうで、妹が言うにはこのまま少し入院をして様子を見るということになりそうだということだった。

ところが、後で知ったがこの時に熱中症が引き金になったどうかはわからないが、この時に心電図に異常が出ていてこのあと心筋梗塞でカテーテル治療を別の病院に移送されて行われたのだった。

何も知らない私は「じゃぁ、やっぱり今日じゅうに出ようか」とそれから家を出発、車で実家に向かうことにしたのだった。

その後夜になって三重県あたりで妹からの連絡で、実は心筋梗塞がわかったということとそれに加えて更なる状況の変化を知る。

心筋梗塞のカテーテル治療中に、今度は左心房の壁が破れて現在危ない状態、今から開胸手術になったから高槻病院まで来てということ。

病院に着いたのが11時半頃だったろうか。

父は既に手術室に入っていた。

妹は「お姉ちゃんはもう一度会えなくても大丈夫?」と聞いてきたが、父も85歳という高齢、車でこっちに向かいながら覚悟はしなくちゃなぁと思ってはいた。

お盆に帰省するのは、初めてのことかもしれない。今年は大学のサークルの同窓会ライブを開催したいとめずらしく会の言い出しっぺになって、今日帰る予定は春から立てていた。

「今須のおばさんともちょうど話をしたし、お姉ちゃんも帰って来たし、りっこちゃんともお父さんに会ったし・・。考えてみたら偶然がすごく重なったから、そういう時期やったんやなぁ」といろいろご縁のある再会が続いたので二人して、待ち合いの椅子に座って”覚悟”の会話をしていた。

私も丁度帰って来られてよかった。

その後明け方になって手術は無事に終わったと担当の先生から教えてもらった。

予後については良くなるともどうなるとも言われなかった。ただ再度心臓が破裂したらもうそれまでなので、覚悟して下さいと言われ、私達は頭を下げた。

もう一度命を繋いでもらったしげおっち。

今はICUで眠っている。

とにかく帰って来られてよかった。

家に着いたのは結局6時前。

とても疲れたけれど、なつかしい実家の空気が澄んでおいしく感じた朝だった。


投稿日:2013年08月08日

2013年08月08日

少し前からテレビCMを見て気になっていることがある。

それは「ムヒ」と「明治」のロゴデザインがとっても似ているように思えるのだ。

コマーシャルも「meiji」「muhi」、それぞれ同じ白地バックに赤いローマ字のロゴなのだが、特にそのロゴの自体と大きさ、始まりの文字の「m」のデザインが私には大変似ているように見え、「ムヒ」と「明治」は同じ会社になったのかと思ったりもしながらコマーシャルを見るようになっているのだった。

「meiji」のコマーシャルかと思ったら「muhi」の宣伝だったりするし、よりによってこんな同じ時期に酷似したコマーシャルの作りにしなくてもいいのに・・・。

「白い恋人」と「面白い恋人」で問題になったことがあったが、私にはこの「muhi」と「meiji 」の酷似ロゴの件の方がよっぽど紛らわしい。

”何故?”

”これからどうなるの?”

”お互いの会社はこれでいいのでしょうか?”

いずれのコマーシャルもそんな疑問だけを残して去っていく。

とっても気になる二社のコマーシャルなのだ。


投稿日:2013年08月06日

2013年08月06日

今の家に引っ越してきて7年が過ぎた。

近所をダンボと散歩している時に、電信柱の丁度小型犬の目線の高さに「結婚相談所に近い大人の出会いの場所」の白黒のチラシ風ポスターが張ってあるのを見つけたことがあったのだ。

うーーん。

これってどうなのか。

撤去はまぬがれるかもしれないけれど、これで人間のお客さんが連絡をしてくるとは思えない。

おしっこの的の高さにあったせいか、そのうちに紙は破れて文字も読めなくなって、ただ何かが張ってあった跡でしかなくなった。

ダンボは散歩に出てもおしっこをしない犬なので、電信柱は私達には視界に入らず、あれから何年も経ち、もうそんなことがあったことさえすっかり忘れていたのだった。

ところが。

最近、駐車場と家までの短い道の間に、あの紙がまた張ってあるのを見つけたのだ。

あそこにも、ここにも。

前に張ってあったのと同じ紙が!

また小型犬の目線の先に。

また犬のおしっこの的の高さに。

定期的にこのエリアの電信柱にはこの出会い系のチラシが張られてきたのだ。

犬の中でもやはり格別頭のいいのがいるのではないか。

毎日、毎日おしっこを掛けているうちに字が読めるようになってチラシの意味を理解している犬がいるとしたらすごいのだ。

今度ダンボを連れて電信柱のチラシを見せて文字を読んでやろう。

それにしてもあの高さに張る効果がどれぐらいあるものなのか、一度電話して聞いてみたいものなのだ。