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投稿日:2013年03月31日

2013年03月31日

今年のお正月に実家に帰る際、京都でレンカターを借りたのだが、めずらしく父が「車は無理してでも買うたほうがええ」と私に繰り返し言っていた。

父はどちらかと言えば「あんたは車なんか持つな」というタイプである。

”お父さんがそんなことを言うなんてめずらしいわ”と返してみたが、エラく積極的に車の所有について説いていたので、今年は年明けから車の購入を真面目に検討するようになった。

数年前から車は欲しいなと思い続けてはきたのだ。

実家に居た頃は毎日車に乗っていたし運転をするのは好きだった。単純に東京での生活は、一人暮らしで車を所有すると個人的に維持費が重たくのしかかってくるというのが車を持たない一番の理由で、大金を持っていたらそりゃぁ車を買っているだろう。

車かぁ。

父が言うには原付に乗るよりも車の方が安全であるということ、それから車を持つことによって身体への負担が軽くなるというメリットを優先するのが今の私にとっていいということだった。

「多少無理してでも買うたほうがええ」

多少無理してでもという言葉をもらったことで何故だろう、何か背中を押されたのは確かだった。それからだ。今の家の周りを駐車場をなんとなく探すようになったのは。

この辺りは駐車場が少ない。空きも少なく、訊ねてもいっぱいだと断られることが多く、不動産屋さんに聞いてもこのエリアの物件はありませんとの返事だったり、実際に自分でまわって訊ねても空きはなかった。唯一、「どうしても困っていたらうちの敷地で車が置けないか検討してみるから、またおいで」と言って下さった家があったが、ついに至近の駐車場で安いところが見つかったのだ。

<安い駐車場が近くに見つかったら、車を買おう>

駐車場は破格値とは言わないが身の丈に合った額だったので、私の心はついに「車、買いモード」に入った。

はよ車を買うた方がええと言っていた父に早速電話をしよう。

あれから3ヶ月も経ってしまったもんなぁ。

「もしもし、お父さん?」

仕事の合間に父に電話をしてみた。

「なんや」

「前に車、買うた方がええって言うてたやん?」

「ゆうたかもしれんな」

「私、買うことにしたわ」

すると。

父は喜んでくれるわけでもなく・・・。

「なるべくなら、車は乗らん方がええと思う」

「え!?えぇっ?」

「なるべく・・・、車なんかは乗らんのがええんちゃう?」

「えええええ~~~?」

どないなっとんのですか。ちょっと。

「お父さん、お正月にめずらしく車を買えって・・・。お父さんが勧めてたやん」

「確かにゆうたとは思うがな・・・」

「・・・」

「なるべく車は乗らん方がええとワシは思うけどな」

ビックリした。まさか寝返るとは思いもしなかった。

車、買えってゆうてたやん。

ゆうてたやん。

ゆうとったやん・・・。

電話を切ったら急に心細くなって来た。

フェレットを買った時も、犬を買った時も・・。とにかくそれまでとは違うことにうんしょ!と足を踏み出した時、自分が何かすごく無責任なことをしてしまったのではないかと心細くなる『新しいことをしてしまったブルー』に私は陥るのだが、今回父が背中を押してくれたということが私にとって心の支えとなっておったのだ。

車、どうする。

もう走り出しちゃったわよ。

駐車場も借りるって言っちゃったし。

今私は「買っちゃいなよ~!なんとかなるってば!」と無責任に言ってくれる人に救いを求めている。

人生の中でほんの数回、無責任に「いいじゃんいいじゃん!」と言われたい時がある。

今がまさにその時なのである。


投稿日:2013年03月26日

2013年03月26日

今日は一年間授業をさせていただいた国立音楽院のジャズボーカルクラス、ポップスコーラスクラスの生徒さんたちとの打ち上げがあった。

グループレッスンの講師をするのは久しぶり。京都で23歳からの数年間、ヤマハの講師をしていた時は常々”私は先生には向いていない”と自信がないばかりだったのが、年齢と共に繊細に悩む心はなくなり”やると決まったなら、やるしかないでしょう”ととにかく無我夢中の一年だった。

数年前、別の学校から講師のお話をいただいたが、持病のことで逆に断られた経緯がある。だからもう学校で教えるということには縁がないと思っていた。

それが去年の3月の末に人づてに急に決まった講師。先のことはわからないものだなぁと思っていたら、その年の夏に入院することになって休講にしてしまった。

<あぁ〜〜あ。>

先生としてはやはり頼りない面が多々あったと思うが、あったかい生徒さんたちに恵まれた。

私の音楽に対する想いは「母が好きだと言っていた夜想曲という曲が弾けるようになりたい」というのがスタートだ。おかあさんをびっくりさせたい、おかあさんに喜んでもらいたい。

音楽に対する想いは人それぞれ、何かしら持っているものだ。

今の私は音楽が一番得意な人間になった。

それを生かせたらいいなというシンプルな気持ちに戻っている。

生徒さんが笑ってくれると嬉しかった。

そして私自身は生徒さんの頑張っている姿からエネルギーをもらった。

丁度一年前に「面談がしたいのですが」と急遽呼ばれて学校へ訪ねて行ったのではなかったか。

もうこれから新しい出会いはないだろうと思うのに、まだ新しい出会いが人生には待っている。


投稿日:2013年03月22日

2013年03月22日

サクラサク。

桜が咲いた。関東は例年より半月早い開花なのだそうで、私が記憶している遅かった年の開花は確か遅咲きの桜と同時に咲いた数年前の4月の中旬だった。

その年によって時期が違うというのに、咲く時期が一帯の桜が足並みを揃えているというところがなんだか感動的だ。

遅刻しないんだなぁ。

近所の善福寺川緑地公園は、4月6日と7日が桜まつり。公園にのぼりが立っているので、急遽変更ということにはならなさそうだが、この分じゃぁもう葉桜になっているのではないだろうか。こんなに文明が発達しても桜の開花はギリギリにならないと読めない。寒さに震えていた2月には梅さえ一向に咲く気配もなくて、このまま春になるんだろうかと心配をしたぐらいだから、これこそが人間にはとても及ばない自然の力なのだ。

梅より、長い花枝を持つ桜の方が好きだ。

しなるだけの”あそび”の部分が優しく見えるからなのだろう。

桜が咲けば一年で一番花の種類が多くなる花の頃がやってくる。

生命力溢れたこの季節が好き。

優しく感じるから春が好き。

私の好きな”優しさ”は例えば春に抱く印象と似ている。

しなやかに。

折れずに。

強くそして優しい。

私は桜が好きだ。


投稿日:2013年03月21日

2013年03月21日

「チョコレート、買ってあげようか」

私が幼稚園児の頃のこと。

家の前で遊んでいたら、おじさんが私にそう声を掛けてきた。

みたことのないおじさんだった。

電信柱にチラシを貼付けていてこの辺りにやってきていたみたいだが、子供心にこの人は危険な人じゃないかと判断をしたのだ。

子供ながらに<悪い人だと思っていることがバレないように、おじさんを怒らせないように、だけどこの場から逃げなくちゃ>と頭の中で一気にいろんなことを考えながら「いらない」と断ったのを覚えている。おじさんからそっと遠ざかって家に逃げなくちゃとドキドキした。

あのおじさんが本当に悪い人だったのかどうかは、今でもわからないのだが、だが電信柱にチラシを貼りながら知らない女の子に「チョコレートを買ってあげようか」と話しかけること自体、やっぱりあまり好ましくない行動なんじゃないかなと思う。チョコレートを売っているような店は近所にはなかったし、「うん」と言ってついていったら、一体どこでお菓子を買って私にくれるつもりだったのだろう。

世の中には子供が関わっている未解決の事件がある。

ほんの3分の空白の時間、その間に子供が消えた。そんなことが多いが、あの日の私もそんな感じだった。だって私はその時家のまん前で遊んでいたのだ。交通量の少ない、駅からも遠い静かな住宅街で、近所の人しか通らないような安全な場所。電信柱にチラシを貼っている仕事の人なんて、その家に住んでいた時はその一度しか見なかった。そんな仕事があることさえその時に初めて知ったぐらいだった。

いつも知らない人について行ったらだめだと厳しく言われていた。

でも抱きかかえられてしまったらきっと抵抗は出来ない。

全く思いもよらぬ誰かがふと静かな住宅街に立ち寄ることだってあるはずだ。

「チョコレート、買ってあげようか」

多分、あの日私があったあの男は「どこかで子供に会ったらそう言ってやろう」とその日の朝から思っていたのではなかったと私は思う。ほんの一瞬でそんなことが男の頭に浮かんで予定外に声を掛けた。そうしてもし私がついてきたらそのまま男にとってもっと予定外だった道へと進んでしまったかもしれない。

家に帰ってとても怖かったことを多分母に話したと思う。

が、あまり重大なこととして捉えられていなかったような気がする。

生きていてももうおじいちゃんになっているであろうあのおじさん。

私の目からはこう映っていたが、あの日あなたは何を考えていたのかとふと訊ねてみたくなった。


投稿日:2013年03月19日

2013年03月19日

以前、私の好きな色は寒色系だった。

小物や洋服、身の回りの品から部屋の中の雑貨まで、「さぁ、何色を選ぼうか」という時には必ず青、緑系統のものを選択してきた。だが、病気を機に”元気が出る”とされる「赤」「ピンク」の物を選ぶようになった。

前はむしろあまり好きでない色だった「赤」と「ピンク」。

特に差し色に「ピンク」の物を選ぶようになった。

すると、気づけば差し色だったはずの「ピンク」グッズがとても増えて、ついには「ピンク好き」ではないかと思うほど小物や洋服がピンク一色になっていることに気がついたのだった。

健康を意識して身につけるようになった「赤」「ピンク」に今や覆われる形になっている。

塵も積もれば山となり。

差し色も積もれば山となる。

つい先日ピンクの財布を購入したことで、ようやく自覚した。

度が過ぎると若い子がピンク一色をまとうのとは違う違和感が漂い・・・。

・・・。

もうこうなったら、カメラでもブラ下げようかしら。

今、林家パー子系な私なのである。


投稿日:2013年03月18日

2013年03月18日

近所でまた新しく若い猫を見かけるようになった。

この辺りの猫ちゃんは白黒模様が多く、この子達はみんな血縁関係にあると思われる。この子はグレーと白の女の子の様子。5ヶ月ぐらいの大きさの時に姿を見るようになってから、いつ頃からか赤い首輪をつけるようになった。

先日、斜め前のおじさんに会った時に、おじさんはうちの子だと言っていた。

そうなのか。納得。この家の息子さんは、よく猫をもらってきている。

よく、というのは飼い猫を外にも出しているので、そのまま家出をして居なくなったり、人なつこい子は他所の家の家人に家猫にされたりしているからだ。

うちによく遊びに来ていた”みこ”もついにどこかの家の子になってしまったらしい。人なつこい子はみんなこうして巣立っているのだが、グレーの子は斜め前のおじさん曰く、おじさんの家のベランダで生まれて一匹だけいつまでもベランダから降りられずにミャーミャーと鳴いて居たのだそうだ。それでエサをやるようになったら家に居着くようになったという経緯で、その話を聞いた私は「ふ〜ん、そうなのか」と思っていた。

ところが。

今日、グレーの猫は一軒奥の家のおばさんに「この子は人見知りでね」と言われ抱きかかえられていた。

<えっ?斜め前の家の猫じゃぁないんですか>

「小さいときは目が見えなくてね、それで病院にも連れて行ってね。やっと良くなったの」

<え!?>

「さ、帰りましょ」

グレーの猫は奥の家に入って行った。

グレーは人見知り、ちっともなつかない猫だ。

首輪をしているので、どちらかの家が首輪をつけたはずなのだが。

前にも2軒共が「ウチの猫」と呼んでいた「ムサシ」というすごくひとなつこいキジネコが居た。が、それは別の家の子に今はなっている。奥の家のおばさんがそれを知って交渉をしに行ったが返してもらえなかったらしい。

ムサシの場合、もらってきたのは斜め前の家の息子さんだ。

そんなことを言ったら私だって”みこ”に愛着があった。ノラ猫だったら私が飼っていた。

でも人の家の猫を取ってはいけないだろう。

「ムサシ」は他所の家の猫となり。

「みこ」も他所の家の猫となり。

「グレー」は誰ん家の子?

猫ってそういう風にして飼うのだろうか。

この辺りは捨て猫と野良猫はいない。

猫の争奪戦が密かに繰り広げられているのである。


投稿日:2013年03月17日

2013年03月17日

父に用事を頼まれていたので、それを済ませて電話をした。

すると。

「へいへい、助かったわ。どうもありがとう」

<へ?>

<ありがとうって今、言いました?>

この間は「すんません」で、今日は「ありがとう」かいな。

父がそんな言葉遣いをするだなんて、逆にこの人は本物の父なのかと疑ってしまう。

昔、小学生の頃に眉村卓シリーズにハマって読んで、それで普段怖い母が優しく見えた時に「あそこにあった電信柱の向こう側を歩いたから私、異次元に来ちゃったのかなぁ?」と本気で疑ったのと同じぐらい、信じられない気分だ。

だって、こんなにお母さんが優しいはずがない!

当時眉村卓作品に感化されていた頃の私の答えは、「お母さんは、宇宙人に違いない」だった。本物そっくりなのだが宇宙人が本物にすりかわっているという説が納得出来、そうして夕飯の時になど、チラチラ母の顔を見てホクロの位置が本物なのかどうかを確認したものだった。

そしてあの時と同じ疑いが父に対して湧いてきた。

私に謝ったりお礼を言ったりしなかった父が何故今になって・・・・。

今年こそワシは死ぬって言っていたからかしら。

だからいつもと様子が違うのかしら。

何かの前触れなのかしら。

縁起でもないことを考えていたりする。

ありがとうって・・・。

もう言わないで下さいな。

気持ち悪いから。

ありがとうと言われて不安になる唯一の存在の父なのである。


投稿日:2013年03月16日

2013年03月16日

よくなくしものをする。

「ないないない」と探していて手に持っていたり、頭につけていたりと身体から見つかることもある。

ちょこっと手を離しておいたと思われる思わぬ場所から見つかったり、心あらずの状態で無意識に置いたと思われる場所から見つかったり・・・。

家の中で多分なくしたであろう品はあちこち探っているそのうちに出てきてくれる。

が、行った先でもなくすことも多々ある。

出先はさすがにエリアが広い。
戻って来なかったものの数はかなりの品数になるのだ。

先日は、なくしたと思ってあきらめて書直した譜面はリハーサルをした場所に次の回に行って見つけた。

ホっとしたのもつかの間、それからまたすぐにイヤーマフラーを探すことになった。

かなり粘って探したものの寒さに負け、新しいのを入手した翌日に仕事場で「お忘れでしたよ」と渡された。

そして・・・。

やっぱりあきらめて買い直したお気に入りの腕時計。さんざん探したのでもうさすがに出会えないと思っていたが、仕事場の裏のバイクを止めている生け垣のところに誰かが拾って置いておいてくれたと思われる。それを今日、見つけたのだった。

いつもは見ないような視界の中に偶然入ってきた。

小キズがついていたが、買った時の何倍もの喜びが湧いた。

譜面もイヤーマフラーも時計も、結局は新しいものを使うことになってはいるが、重複したものでもなくして戻ってきた今それらは宝物として家にある。

「腕時計さんも、おつかれさまでございました」

実用品から昇格して宝物殿堂入りを果たした品がまた増えたのだ。


投稿日:2013年03月15日

2013年03月15日

3月に入ってから急にあたたかくなってきたので、我が家の庭も春の花木たちが自分たちの本格的な出番を前に準備を始めている。

今の家に引っ越してきていつのまにかもうすぐ7年になる。途中枯らしてしまった花木はたくさんあるが、”あんなに小さかった苗木がまぁこんなに立派になって・・”と驚く程のガッツを見せてくれた木もあり、枯れていたと思っていたものたちが一斉に芽吹き出すと私もまた庭の手入れに意欲が湧いてくるのだ。

今年はもう少し実の成る木を増やしたい。

と、いうのが私の野望。

庭で収穫出来たものを食べる時というのは、なんだかとっても充実感がある。収穫をするのに何も特別なことはしていないし、元手にお金がかかっているわけでもない。なのにプチっとちぎってサラダに添えてみたり、刻んで料理に加えてみたり、はたまた隣りでお手伝いをしてくれるダンボと一緒に分け合って生で食べてみたり・・・。

家庭菜園に力を入れているわけではなくても簡単に楽しめるのが、パセリ、バジル、ミニトマトでこの3つは毎年春に苗を買っている。実の成る木としてはレモン、ブルーベリー、オリーブ、ブラックベリーがある。しっかり美味しい実がついてくれるので、さくらんぼやキウイも育ててみたいなぁと思うようになってきた。

キウイは結構実るらしい。

が、つる性なので棚が必要になってくるのだろう。

しょっちゅう窓を開けて、あそこにはあれを置いて、そこにはこれを置いて・・・と頻繁に考えるようになってきている。

私にとっては楽しい妄想タイムなのだが。

難しい顔をして壁を見つめて突っ立っている。

また今年も何もない場所を見つめている姿をご近所さんに不審がられる季節がやってきた。


投稿日:2013年03月11日

2013年03月11日

昨日、東京は春の陽気に溢れた一日だった。

このまま春になるのかなと思いきや、「明日は真冬に逆戻り」だと天気予報で言っていた。20度も気温が下がるのだそうだ。

20度も差があるだなんて、体調がおかしくなっちゃう。

気温差が激しいと身体がついていけなくなる人が増えるらしい。体調に気をつけなくては。そう思いながら目覚めてみると思ったより気温が下がった印象はなく、真冬に逆戻りという印象はなかった。

だが、練馬では昨日と今日の気温差が最大で25度だったそうだ。

ひぇ〜っ。杉並って隣りの区じゃないの。やっぱり20度ぐらいの差はあったのかしら。

そうかもしれない。

そうかもしれないのだが・・・・、「真冬に逆戻り」ではなかった。

どんなに気温が下がっても、日の出の時間と日の入りの時間は春の感覚。

やっぱり春なのだ。

寒くても。

”あたたかくてぽかぽか陽気”が春のイメージなだけ。

春に寒い日もある。
冷たい雨の日もある。
雪が降ることだってある。

これが春。

もうすぐきっとあたたかくなる。

冬には逆戻りはしない。

そうだ。

季節は今まで一度だって戻ることなんてなかった。