はじめに

〜このWeblogの生い立ち〜

2000年1月〜2001年の暮れまで、私は目覚めてから眠るまでを病室のベッドの上で過ごしました。入院生活が1年と4ヶ月が過ぎようとしていた頃、友人が「無料のHPがあるけど、気晴らしに書いてみたら?」と、提案をしてくれたことがきっかけとなって、ポケットボードという物を入手し、日々思うことを綴り、それを友人の携帯に送ってUPしてもらうという形で日記はスタート。住む場所、職業、性別、何も明かさずに始めた日記でした。

「wasa-b」は、当時お気に入りだったわさびふりかけから命名。

投稿日:2014年12月13日

2014年12月13日

今日は日本に帰る日。帰ると言っても実際に到着するのは明日の夕方なので、長~い帰路になりそうなのだ。

飛行機に乗るまで、ここが大事なのでこぼさず行こう!余裕を持って!と、いうことで少し早めにチェックアウトをしてまずは駅まで向かった。

ここまでは大きなトラブルもなくて本当にラッキーだった。まずはドレスデン駅に着いて列車のチケットを買う。チケットを渡された時に、「ここを出て左に行って、左に曲がった所にホームがあるわ」と、今までの旅行で一番親切にホームの場所まで教えてくれたではないか。

2日間しか居なかったが、印象としてドイツ人は日本人の「親切」と似た印象があり、更にそれで似ていると思った。

列車のチケットは乗るつもりだった列車より1時間遅れのものだった。

時間的には乗れたのだが、席がないとかそういう理由だった様子。そしてホームは教えてもらった場所にあったのだが、ホームに上がるエスカレーターがなく、エレベーターはなんと全く別の場所にあったので、ホームにたどり着くまで結局20分ほどかかった。うーん、ヒヤヒヤしてきた。結果1時間遅れの列車でよかったのだ。

旅はこういうことが起きる。

しかし。

ここから先はもう時間のロスは一切出来なくなった。

だってドレスデンで私の乗る予定の列車は11時06分発、そしてプラハ中央駅に着くのは13時27分。プラハ中央駅から30分に1本出ている空港バスは空港までの所要時間が確か30~40分ぐらい。飛行機の搭乗は15時05分から30分まで。

都内の電車移動なら多分大丈夫だが、場所が変わるとわけが違ってくる。

列車に乗ったら景色を楽しむ余裕もすっかりなくなり、プラハ中央駅の空港バス乗り場がどこなのか、チケットの支払い方法の選択肢は何があるのか、あとは空港への正確な所要時間、空港に到着したらどのターミナルに行くのかをiPhoneで調べる時間になってしまったのだった。

もしも飛行機に乗りそびれたら…。

新たに買う飛行機のチケットがまず莫大な出費となる。そして帰国日がズレ、黙って海外に来たことが病院にバレる。いや、それだけでなく血小板が危険レベルに突入してしまうので、チェコの病院を探して急遽輸血を受けることになる。これがまた莫大な出費となり、出費がえらいことになり、そして日本に帰ったら病院ではひんしゅく者としてもう勝手にしたら?ということになるのである。

プラハ中央駅が飛行場に一番近いの?

地図で鉄道と飛行場の関係を確認する。

よしよし。プラハ中央駅で、いいみたい。

間違わないぞ!

と、心の中で叫びながら、プラハ中央駅の一つ手前のプラハなんとか駅で間違えて降りそうになる。一緒に6人掛けの個室で相席だったバックパッカーの女の子が察知をして「ここは、プラハ中央駅じゃないわ」と教えてくれたから助かったものの、危うかったのだ。ううう~。もういっこもミスしたらアカンよ、ほんま。私、頑張りや!

なんとかプラハ中央駅までは来ることが出来た。

次は空港シャトルバス乗り場を目指せ!

列車に乗っている間ずっとプラハ中央駅から空港までの行き方を検索して、だいたい理解したと思う。その勘に従って行ってみたのだが…。

ここ?

ここでいいの?

やや寂れたエリアにバス停がいくつかあるのだが、空港に行くシャトルバス乗り場ですよ!!という分かりやすい案内がない。空港行きと書かれたバス停には空港行きでないバスが停まっていて…。

近くでバス待ちをしている人が居たので聞いてみたら、この空港行きでないバスが出発したら空港行きシャトルバスが来るということだった。いや、それは多分の話。私の英語能力はかなり低レベルになっていて、発する方だけでなく聞き取り能力があかんことになっているため、絶対にここが空港行きシャトルバスの乗り場とは言えない。

13時50分発、空港行き。

所要時間は30~40分。ということは、空港に到着するのがだいたい2時半。うお~~~っ!崖っぷちになってきた。ここでいいのね⁈ここで待っていたら空港に行けるのよね⁈

ところで。

チケット売り場はどこ?

そうなのだ。バス停がいくつかあるのだが、キョロキョロ見回してもチケットを売っている場所が見当たらない。

チケット売り場はどこ。

近くにいた人に聞いたら、二階下のフロアのドレスデンに行くときに鉄道チケットを購入したみどりの窓口みたいな所で購入することを知った。

ダッシュで行かないと、もう間に合わないわ。

チケット、エアポートバス、チケット、ナウ、アイゴートゥ、プリーズ、ハリー、 オ〜!

蒼ざめた顔で精一杯のダッシュでチケットを買い戻ってきたが、体力的にはとってもキツかった。このバスに乗らないとという一心でバス停に間に合うように帰って来たら、少しあとに空港行きシャトルバスがやってきて、無事にバスに乗ることが出来たのだった。

はぁ~っ。これでもう大丈夫だわ。

ホッとしたのだが。

さて、私の降りるところはターミナル1?それともターミナル2?これを間違えたら惜しいところで一発アウトとなってしまう。なんてこと⁈帰り道の余韻など一切なく、スマホでまた検索をすることになったのだった。

そして、ようやく空港に到着。

た、た、助かった~。セーフ!

空港でチェックインが出来たらもう今度こそ大丈夫。今回車椅子サービスをお願いしてあるので、その先にある搭乗口までの手続きや道のりは空港スタッフについてもらえ、間違うことなく飛行機に乗れる。

旅の終わりはこれぐらい慌ただしい方が、感傷に浸ることなく逆に「やったー!」感があってハッピーに帰路につけるのかもしれない。いや、セーフだったからそんなことが言えるのだ。やっぱりこんな崖っぷちなことはしてはいけないと思う。

そして、定刻に飛行機はプラハ空港からドバイへ向けて出発した。

来られて本当によかった。

日本に帰るまであと1日。

元気に帰れたらこんなに素晴らしい旅はない。

飛行機恐怖症で海外旅行なんてとてもじゃないが出来なかった私が、数年前の手術を機に、自分の乗った飛行機が落ちるわけがないという考えに変わった。そして今は自分の身体はきっと元気に成田に帰れるんだと疑うこともなく、そう信じきっているのだった。


投稿日:2014年12月12日

2014年12月12日

ドレスデン2日目。朝起きたらどんよりとした曇り空だった。それでも雨が降るのと降らないのとでは随分違う。昨日はザックリトラムで街を回ったので、今日は歴史地区の旧市街から行ってみよう。

昨日、トラムの乗り方を覚えたので今日は大丈夫。と、思って停留所まで来たらトラムマップをホテルの部屋に忘れてきたことに気がついた。

あれがないと、何番のバスがどこに行くのかなど、さっぱりわからなくなるではないか。

いや、次の駅が大きい駅で案内所もあったはず。一日券を買って早速次の停留所でトラムマップをもらおう。

と、やってきたトラムに乗ったら今度は小銭がなく、一日券が買えなかった。そうだった。さっきホテルの部屋にキーを忘れてしまい、お掃除をしていた女性に部屋を開けてもらってキーを取れた時にチップを渡したことで、用意していたトラム用の小銭がなくなったんだった。

んもう!

何やってんの。私は!

結局モタモタしているうちに次の停留所に着き、降りることにしたが、私は無賃乗車で一駅トラムを乗ってしまったことになる。すぐにトラムの一日券を購入したが、タダ乗りをしたことには違いない。

はふ~っ。

ヒヤヒヤドキドキするようなことは嫌いだ。でも、普段からこういうことばかり。なんぼ注意しても直らないので、脳の「忘れ物をしない」を司るところが多分小さいのだと思うようになった。毎日毎日、とっても気をつけているのに毎日毎日こんなにこぼしてばかりはさすがにおかしい。

昨日は行けなかった旧市街に向かう。ドレスデンは今大規模な工事を街中で進めているらしく、何箇所か広い更地に大きなクレーンが入って作業をしていて、工事が終わったらどうなるのかがちょっと気になった。

2頭が引く馬車が走っていました

馬車を後ろから見た図

旧市街の一画、聖母教会は第二次大戦で焼失してしまったが、1990年代から約10年間をかけて再建がされた教会で、中は撮影は禁止で撮れなかったが薄い水色と金と白で彫刻も美しい素晴らしい建物だった。そこで私は30分近くぼーっと座って過ごした。

聖母教会。中がものすごく美しかったです。

「あら!いやだ!私達を撮っているの?」と明るく近寄ってきた女性達をパチリ

教会を出たら、有名なドレスデン要塞を訪ねる。ここは攻撃から守る為の砦だったので、窓もなく土臭い暗い場所だった。

ドレスデン要塞の中です

旧市街にもクリスマスマーケットが開かれていました

全長100mの壁画「君主の行列」

その後はエルベ川を横目で見ながら歴史地区を散策して、トラムで新市街へ向かう。

旧市街は古い建物が集まっていて、新市街は青山や表参道のようなおしゃれな路面店があるようなところ、だが今の時期は日本でもクリスマスムードで華やかでこの街もヨーロッパのクリスマスはこんな感じ!というマーケットがあちこちで開かれていた。

お洒落なカフェ

コインランドリー

おもちゃ屋さん

画材屋さん

何のお店?

海外旅ではびっくりする程まずいレストランに度々入ってしまったので、今度はトリップアドバイザーとガイドブックのオススメの場所に行こうと、今回はレストランは飛び込みで入るのをやめにした。

夜は旧市街の外れにあるRestaurant brennNessel という野菜中心のレストランでポテトグラタンを食べたらとっても美味しかった。ちゃんと口コミを見て言ったら美味しいものが食べられるのだと今回学んだのだ。

レストラン。外観は地味な感じなのですが満席でした

最後にもう一度一番クリスマスマーケットが華やかだった場所に立ち寄って、ホテルに帰った。

大人達が楽しんだホットワインは飲まなかったけれど、ホットりんごジュースで充分雰囲気も味わえた。陶器のマグカップは飲み終えたあと、返せばカップ代金が返ってくる仕組みだった。

観光を楽しめたのは4日間。ヨーロッパに旅しに来るには短かかったが、やっぱり来れてよかった。

明日は帰る日。

ちょっと緊張してきた。

まずは失敗せずに飛行機に乗ろう。エイエイオー!


投稿日:2014年12月11日

2014年12月11日

今日はプラハを出てドレスデンに行くので、9時半頃にホテルを出てタクシー乗り場までコロコロとスーツケースを押して歩いて行く。

プラハに着いた時には完全に壊れてはいなかったが、石畳みの道はスーツケースの割れの部分に負荷がかかっているらしい。

頑張っておくれ。相棒。

それと、国際キャッシュカードが使えるATMをこの2日でとうとう見つけられなかったので、昨日の午後ぐらいから1000円ぐらいの買い物もカードで払うことになり、現金ではギリギリタクシーに乗る分をキープするだけになってしまった。

タクシーで駅にさえ着けばあとはユーロ圏に入る。頑張れ、あともうちょっと。

チェコのタクシーは昔は悪質だったのだそうだ。ぼったくりがひどかったのだが、最近はAAAという政府お墨付きの信頼出来るタクシーが出来たので、ガイドブックでも必ずAAAタクシーを利用するようにと書いてある。

AAAタクシー。これだわ。

やや荒くれ者風のタクシーの運転手さんに見えますが。

そうよ、見えるだけね。

手持ちのコルナが足りるか一応料金が気になったので、乗ってからしばらくしてクレジットは使えるかと尋ねたら…。

残念、使えないという返事だった。

そこで手持ちのコルナを見せて、ではこれで足りますかと聞いたら、運転手さんは「あぁ、これじゃぁ足りないね」とあっさり言うではないか。

わ、わたし。

まさかの無賃乗車?

いや、そんなつもりはないんです。

ていうか、ちゃんと見て。

小銭も合わせたら行けるはずだから。

足りないんだったらこれだけ分で行けるところまで!

無賃乗車する気はないんです!

これだけしかお金を持っていないから、これだけ分で行けるところまで!って、どうお願いしたらいいの!

と、言葉に出来ずただ車内でキョロキョロしてしまう。

すると。

「ユーロで払ってくれればいいよ。」

「おぉ!ユーロOK⁉︎」

よかった。私、ユーロなら両替して今持ってんの。

ホッ。

と、安心したが駅に着くと10ユーロ請求された。おやじは、悪そうな笑みを浮かべてトランクからスーツケースを出してくれたが、そのまま去って行ったので、マナーとしてのチップもたっぷりおやじの方で勝手に上乗せしたのだろう。くそ!義務付けられているメーターも倒さずに。優良なタクシーは嘘なのだ。

ぼったくりタクシーに乗ってしまったとは。

が、無事にプラハ中央駅に到着。

忘れよう。

だいいちクレームを伝える術を私は持っていない。

プラハ駅構内、綺麗でした

ここからはドレスデンに向かう列車に乗る。多少わからないことがあっても、急ぐ理由はないのでとにかく着いてくれさえすればいいのだ。

まずは切符を買いに行くことにした。

過去の旅では列車に乗ることに慣れていなかったのでチケットも日本で購入していたし、駅の構内図も事前に調べたりしていたが、少し学習出来たのか流れがわかってきた気がする。

まず切符を買う。

で、次はホームはどこかしら。

こちらはホームに入るのに改札がなく、構内の店やカフェなどがあっていきなりプラットホームがある。

自分の乗りたい列車のプラットホームはどこかしら。

表記は全部チェコ語。何処に行く列車なのかがまずわからず、しばらく考えていたがここで近くにいた年配の女性に尋ねることにした。

チェコではエクスキューズミーと声を掛けただけで、後ずさりされることがあり、今日も1人目の女性には私はメキシカンなのと言われ、2人目のこの女性も一旦は私は無理よと後ずさりしたのだ。

いや、ここはしぶとく粘らねば。

チケットを見せてドレスデンに行きたい旨を再度伝えると、一緒に列車案内の掲示板を見てくれて、最後に「7番」のプラットホームだわと教えてもらえた。

ありがとう、マダム!

ECという列車に7番ホームから乗り、いよいよドレスデンに向けて出発。

列車はコンパートメント仕様の座席で、6人掛けの個室になっている。列車はエルベ川沿いにずっと走るのだそうで景観が美しい列車としても知られている。

のどかな景色だ。今は冬枯れの景色だが緑の頃や紅葉の季節はもっと綺麗な眺めなんだろうなぁ。

ところで。

飛行場での入国審査は厳しかったのに列車に乗ったら隣町に行くように隣の国に行けるんですね。国境を越えたら新しく車掌さんが検札に来るだけで何事もなくドイツに入国していたのだった。

プラハを出て2時間と少し、ドレスデンに到着した。

ドレスデン駅、綺麗でした

世界最古のクリスマスマーケット発祥の地と言われている街だったので、プラハよりもこじんまりとしたヨーロッパの田舎町のつもりで来たら、ややアメリカンな駅前の風景。道路も広く車社会の街みたいでまずそこに驚いた。

タクシーでホテルまで連れて行ってもらう。今度の人は紳士でよかった。メーターもちゃんと倒して走ってくれるし、安心して乗れたのだ。

ホテルにチェックインして少しゆっくりしたら、今日は少しだけ探検することにした。

まずは大型スーパー。

私は旅先で地元の人が買い物に来るスーパーが好き。

花やお肉や魚などは買えないが、フルーツやヨーグルトなどをちょこっと買ったりして暮らしている気分を味わうのが嬉しい。

スーパーでお買い物を味わった後はトラムに乗ってみた。

ホテルでもらった地図にはトラムの路線図も載っているので、これがあれば一日券を買って乗り降り自由な散歩が出来るのだ。プラハでは車内で切符が買えなかったがこちらでは車内で買えるらしい。事前に調べたトラムの乗り方を元に早速試してみたのだが…。

車内に乗ったがチケットをどこで入手するのかが早速わからず、次の停留所で降りて運転席をノックして運転手さんに聞くことになった。

車内に乗る時に運転手さんからチケットを買うのだと思っていたら車内に販売チケットがあってそこで購入するみたいだ。

そこで車内の販売機を見つけて、一日券を買うことにしたのだが…。

ここでまた問題が起きる。

どのボタンが一日券なのか。

事前に調べていった一日券4.5ユーロに該当するチケットの購入ボタンが見当たらないのだ。

近くにいた若い美男美女のカップルに尋ねると一日券は6ユーロ、紙幣が使える券売機と使えない券売機があるようで私の乗ったトラムは紙幣が使えないタイプだった。

今のところまだ無賃乗車中。

困っていたらカップルが紙幣を両替してくれた。

ありがとう。

とても助かりました。

事前にガイドブックやネットで調べて行っても、その後料金の改正があったことを知らずに現地で戸惑うということは何度かあった。今回もそのパターンだったみたい。フゥ~っ。解決してよかった。

それにしても。

ドレスデンのホテルはどこもほぼ満室のはずなのに、観光客はどこにいるんだろう。日常生活を送っている人達ばかりに見えるのだが。特に誰も盛り上がっている風でもなく、観光客がキョロキョロしているようでもなく、本当に満室になる程観光客がやってきているのでしょうか。

トラムで半周してデパートに立寄、観光地感まだなし

今日は欲張らず旧市街の広場で開催されているというクリスマスマーケットに寄ったら帰ろう。

トラムを乗り継いで会場に向かうと…突然華やかな一角が現れたと思ったらそこがクリスマスマーケットの会場だった。

この先にクリスマスマーケット?

一気にムードが変わりました。クリスマスマーケットです

メリーゴーランド

お店が沢山出ていていい匂いがしている。大人達はみんなホットワインを頼んでいるみたいで、陶器のカップを手にあちこちで楽しそうに談笑している。

キャンドルのお店です

キャンディのお店

メリーゴーランドにミニ観覧車。出店はクッキー屋さんやクリスマスオーナメント、毛糸の帽子を売っているところもあれば木の人形を置いている店もある。食べ物やお菓子も豊富に売っているが、私が欲しいなと思ったのはクリスマスの窓辺に置くタイプのイルミネーションオブジェだった。

こちらでは一般的なもので窓辺に飾るのだそうです。

日本では見たことのない飾り。

いいなぁ。

写真をパチリ。

シュトーレンのお店

私にとってはここにいる人達がこの近所の人に見えるが、きっと彼らの多くが旅行者なのだろう。ドバイ乗り継ぎを境に日本人と会ったのはプラハのボタニカルという店の店員さんだけ。今回の旅もほぼ日本人に合わなかった。

飼い主さんがホットワインを楽しんでおられる中、帰りたくて震えているわんちゃん

雨がポツポツ降ってきた。

今日はもう帰ろうかな。

トラムの乗り方を覚えたので帰りはすんなりとホテルまで戻ることが出来た。

ホテルの部屋はまぁまぁ快適。

バスタブがないのと電気ポットやコーヒー紅茶がないのがちょっと残念。

明日は昼間と夜のドレスデンを楽しみたい。


投稿日:2014年12月10日

2014年12月10日

プラハ2日目。

朝起きたらツアー会社からメールが届いていた。18時10分に迎えに行くというのはやはり間違い。10時半に迎えに行きますとのことで、急遽バスツアーに出かけることになった。

とは言ってもホテルのお迎えはバスが来てくれたのではない。お兄さんが歩いて来て、お兄さんについて待ち合わせの場所まで歩くという流れだった。お兄さんの早足について行けない。スタスタ歩けないからバスツアーを選んだのだ。バスで迎えに来て欲しかったのだ。

待ち合わせの広場にて

バスは11時に広場にやって来た。私を含めた何人かが最後のお客だったみたいで、私達が乗るとバスは丁度満席となった。

プラハの街はこじんまりしているらしい。この約2時間のバスツアーでひと通りプラハの見所はまわれるのだそうだ。ガイドブックに載っている場所を次々に通っていく。

車窓から/プラハ駅

その後緩いくねった坂道を上ってプラハ城に到着をしたらそこから40分は自由時間ということで、フリータイムとなった。

広場でぼんやりしていると。

ザッザッザッザッ。

衛兵さんの交代式がこれから始まるようです

プラハ城の衛兵さん達の交代時間なのか、列になって歩いて敷地内に入って行くところに居合わせることが出来た。ブラスバンドの音楽の後、儀式が丁度行なわれているのを見られて嬉しかったのだ。

プラハ城は小高い丘の上に建っている。街を見下ろすとレンガ色の屋根が続いていて、だけど遠くの方には高層ビルがポツポツ見えて、あぁ、中世ではないんだなと現実に戻る。

丘から

プラハ城付近を散歩中のわんちゃん、スタンダードプードルかな?

旧市街広場でツアーは終了

バスツアーを終えて旧市街から、カレル橋を目指して歩くことにした。

ユダヤ人地区

カレル橋近くに可愛いお店

アイシングクッキーのお店でした

カレル橋のたもと

ここをくぐると橋です

ここにね〜☆白鳥がたくさんいたんだよぉ〜☆んふ☆ローラ風

iPhone のおかげで道に迷ってもすぐに修正が出来る。ヴァルタバ川沿いに歩いてカレル橋に到着して場所を確認したので行ってみたかったカフェレストランを探してしばらく歩く。

普段の私は特にグルメでもないので、不味くさえなければまぁよし、というレベルなのだがフランス、イタリアに行った際はフラッと入った店が、共に信じられないほど高くて不味かったので、今回はガイドブックとトリップアドバイザーの評価を参考にすることにしたのだ。

いつも満席と言われているカフェスラヴィア。ココを目指してチビチビ歩いては休憩し、またチビチビ歩いては休憩し。お目当てのそのお店を見つけたら丁度窓際の席が空いていたので、ラッキーだった。

カフェスラヴィア。窓側の席が空いていました

ポテトのグラタン風、とても美味しかったです

そこでキウイジュースと素揚げした野菜が周りに添えられたポテトグラタン風の物を注文。するとそれがとっても美味しかった。出来ればケーキまで食べたかったがお腹が一杯になってしまったのでモカを頂いて日が暮れていく景色をボーっとしながら眺めて過ごした。

日がすっかり暮れた5時、店を出たらカレル橋を渡ってみた。橋の欄干にはそれぞれ15体ずつ、合計30体の彫刻がある。途中で引き返してトラムに乗ろうと思ったが、あまりに景色が綺麗なので向こう側に渡ってトラムに乗ることにしたのだった。

再び橋のたもと

橋の上から

渡り切ろうとするところ

渡り切ったところで急にお腹が痛くなってカフェに入る

カフェの前で国際キャッシュカードでお金を下ろそうとして失敗。持ち金わずか。

行きの飛行機の座席の前ポケットに忘れて来た地図やトラム路線図がないのは痛いのだ。iPhoneのページを行き来しながら多分これだろうという番号のトラムに乗ったのだが…。

どうも間違えてしまったらしい。

どんどん帰りの方向から離れて行っているなぁと確信してからは取り敢えず降りてみたのだが…。

ここから何に乗っていいのか、ますますわからなくなってきた。

周りに店も何もない暗い通り。これってちょっとした山道ではないの。

寒いし暗いし…。

とにかくアレに乗ろう。

次にやって来たトラムに乗ることにした。iPhoneの「現在地」がちょっとずつ動いて行く。アナウンスがチェコ語のみなのでまたこれがよくわからず、もたもたしているうちに「現在地」は宿泊しているホテルからどんどん遠ざかって行ったのだった。

誰か。

ヘルプミー。

さっき停留所で一緒にこのトラムに乗り込んだ若い女性に思い切って地図を指差しながら「ここに行きたいんですが」と尋ねてみた。

女性はとても綺麗で、だがどちらかと言うとクールな印象、しまった。尋ねる相手を間違えてしまったかと一瞬後悔をする。彼女は返事をしてくれたがこれがまた流暢なチェコ語で全くさっぱりわからなかった。

あー。

えー。

うーん。

アイ。

チェコ語がわからないと顔で伝えるしかなくなっていると、近くに座っていた年配の女性が彼女に話しかけてしばらく会話をしたあとで、今度は多分なのだが英語で「いいわ、あなたをパラディウムまで案内するわ」と言ってくれたのだった。

えええ〜〜〜っ。うっそぉ〜〜〜ん。

私の英訳は正しいのかしら。

どうなの。

連れて行ってもらえるの?私。

それとも乗り継ぎの空港で航空会社のクルーについて行ったような、あんな間違いをまたするのでしょうか。

iPhone地図でそこから急に猛勉強をする。

今いる居場所はここらへん。

で、次を曲がらなければこっちに行くのか。

てことは、ここがなんとかっていう停留所で、ここには地下鉄の駅がある!

ビンゴ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!

バスの中には英語表記は一つもなかった。

アナウンスも英語でのアナウンスはない。

でも、私、帰れそう!

そして彼女は私に合図をくれて終点で一緒にトラムを降りた。で、多分「ここからサブウェイに乗るの」という説明してくれて、そしてチケットの刻印の仕方を教えてくれて、一緒に地下鉄のホームに立っていてくれたのだった。

チケットの刻印の仕方、そうか。こっち側を差し込むんだったのか。

バスの時には間違えていたこともわかる。

ホームに並んで立って電車を待つ頃には不思議と親しみがわいていた。

「ねぇ、あなたはどこから来たの? 」

「日本からなんですよ。」

彼女の方もそんな風に居てくれた感じがした。

「この国は気に入った? 」

「ええ、とても!景色が綺麗!」

いや、本当は貴女のような親切な人で出会えたことが何よりプラハの旅を特別にしてくれたんですと本当は言いたかった。言葉なんて話せなくてもいいと思って旅に来たが、やっぱり言葉は大事だとしみじみ思った。クールビューティーの彼女はいつの間によく笑う可愛い女の子になっていた。

彼女は恐らくこっちに来てまだ2ヶ月。私のヒアリングが正しければどこかから引っ越して来たばかりということだった。

ポツポツと会話をしながら、まるで友達のようにそこに一緒に居た感じがした。

地下鉄は可愛くて清潔でした

地下鉄で3駅。もう私もわかる。彼女は丁度同じ場所に行くから案内をしてくれたんだろうか。本当はそうでなかったかもしれない。だけどそのレベルの話が自分には出来ない。とにかく優しい気持ちをもらって、それでなんとか駅に着く前にとアプリでダウンロードしたチェコ語でありがとうを意味するDikyを指差して見せたら、また笑ってくれた。

駅を出て、「ありがとう、もうここまで来たらわかりました!」と伝えると「じゃあ、私はこの店に行くからここでね!」とそこで別れることになった。さっき、カレル橋の近くで買ったラベンダーのサシェを別れ際に渡したら最後にまたとてもキュートな笑顔で受け取ってくれた。

やっぱり私は「優しい人」が大好きだ。

優しい心をもらうと、自分の中にあった石ころみたいなものが溶けて行く。自分では気づけなかった石ころみたいに硬くなっていたものが消えて行くのだ。

国を越えて優しさは共通するんだなぁ。

とっても素敵な出会いだった。

プラハは今日でお別れ。

輸血の兼ね合いで、ヨーロッパ旅行にしては駆け足の旅だが、訪ねてよかった。

たった2日しか滞在出来なかったが、心に残る大好きな街になった。


投稿日:2014年12月09日

2014年12月09日

まずは無事にドバイに到着。

<着陸寸前のドバイの景色です>

<空港内>

今回は事前に航空会社に病歴などを伝えて、広い空港内は車いすやカートに乗せてもらって移動出来るサービスを申し込んでおいたら、入国審査も移動も係の人がスムーズに最短コースでいろんな手続きをしてくれて、迷うことなく次の飛行機に乗れるゲートまで連れて行ってもらえるみたいだ。

<女性はブルカ姿、でも脱いでいる女性を見たらものすごく綺麗でした>

次の搭乗時間まで、ここで待つらしい。

ふぅ〜〜〜っ、これは助かるなぁ。

ホッとしていたら、さっき乗った便にパスポートのコピーや病歴や薬などを書いたエマージェンシーメモのコピー、海外パケット用のiPhoneの手続きのプリントアウトしたもの、プラハの地図など情報系のもの、それから帰りのフライトのインターネットチケットを入れたファイルを座席のポケットに忘れて来たのに気がついた。

早すぎる早速の凡ミス。

出発前にチェコ語もカタカナ発音で書いた紙もあったのに・・。

いや、今ならまだ飛行機から降りて間もないんだからきっとなんとかなります。

そこで航空会社のカウンターに行って、まずこの状況を伝えなくては。

制服の日本人っぽい人にまず話しかけてみる。

「ジャパニーズ?」

「ノー」

「アイ、アイ、アイ、フォーゲット。えっと、さっき乗ってきた、アイ フロム ナリタ トゥ ヒア。エアプレイン。マイシート?!のフロントポケット」

えっとえっと。 紙。大事なことがいろいろ書いてある紙。ファイルに入った… 。忘れ物はフォーゲットでは伝わらないと思うが取り敢えず身振り手振りで伝えてみる。

「オーケー、心配しなくても大丈夫よ」と言って歩いて行くので、あとをついていけばいいのかと思ってついて行ったら。

「ここからは来ないでね」

と、言われたので待つことになる。

そこは事務室か何かで、前の飛行機に連絡をとってくれていると思ったら彼女は事務室から出て来て、「心配しなくても、ここで待っていればいいわ」と言って去って行ったのだった。

しばらく待っていたのだが、一向に変化がなく・・。

事務所を見に行ったら、そこはただのトイレだった。

伝わっていなかったんだわ。

めげずにカウンターに行って、同じことを訴えるのだが英語が下手過ぎて2人にスルーされ、2人から私の相手を押し付けられた3人目の女性はなんとか頑張ってくれたのだが、途中で勤務時間が終わったようで「お役に立てなくてごめんなさい」と言って去って行った。

紙、書類、えーーっと何て言えばいいんだっけ。

すると年配のクルーがやってきて、「ドキュメントを前の飛行機に忘れてきたのね?」とようやく気づいてくれて連絡を取ってくれたのだった。

「じゃぁ、あちらに座って待っていてね」

いいお知らせかとしばらく待っていたら、その年配のクルーも次の早番の人との交代時間がやってきて、爽やかに去って行ったのだった。

さっき一瞬ナッシングと言ったあれが回答だったってことか。

うそやーん。

見に行ったらあるって。

どうしよう。

データローミングの仕方もわからない。プラハの情報は全部ファイルの中。帰り、私は何時何分の飛行機に乗って帰るの?iPhoneがあれば大丈夫だと思っていたが、そうではなかった。

これでiPhoneを無くしたらもう終わりじゃないの。

iPhone はかっばらいに盗られるらしい。

絶対に盗られてはいけない。

飛び蹴りしてでも奪い返さないと。

腹を決めるしかないので、ここで絶対にこれ以上の凡ミスはしないぞと心に誓った。そうだ。なんとかなるのだ。根性で乗り切ろう。頑張れ、エイエイオー!

ドバイではプラハはプラークという発音のようだ。

プラハと言っても全然通じなかった。

さよならドバイ。

私のドキュメントは誰かの日本語の勉強に役立ってもらえますように。

ドバイを発って約7時間。

<飛行機の中のフライトナウ情報。今、自分がどこにいるのかわからなかった>

プラハに無事到着。

移動をお手伝いしてもらった職員さんにお礼を言って、さぁプラハの中心部に行くぞ!

成田やドバイは大きな空港だが、プラハルズィニエ国際空港はこじんまりした空港でJR京都駅の八条口の辺りをもう少し小さくした感じだ。凍えるくらい寒いかと思っていたら東京とあまり変わらない気がする。曇り空のイメージだったが晴れていてちょっと意外だった。

<プラハルズィニエ国際空港、京都駅八条口に少し似ている>

ここでまた暗雲が立ちこめる。

スーツケースがスムーズに動かないなぁと思って見てみたら、車輪の1つが本体のスーツケース側の所からパキっと割れているではないか。こういう破損関係のことは、空港の外に出てしまったら航空会社へのクレームは受け付けられないらしい。

ふんがー!

ふんが、ふんがー!

そんなこともなんとかなる。なんとかする。んがーーー!

まだ完全に割れ切ってはいないのが救い。残りの3つの車輪になるべく頼りながらとりあえず行くことにした。

空港からはエアポートエクスプレスで市内へ移動。

こちらは今の季節は日没が4時なので、ホテルに着いたのが2時ぐらいだったが既に夕方の日差しに変わっていた。

<ホテル近くのパラディウムショッピングセンター>

はぁ~っ。

着いた~。

よかった~。

初っ端から大事な紙類を忘れたり、スーツケースの破損でひるんだが、携帯とお財布とパスポートをなくさなければ何とかなるだろう。いや、なんとかしなくては。

というか、一つ一つ冷静に片付けていけばいいのである。

<ホテルの外観>

<部屋>

<広くてどこかのお家のようでした>

まずは明日の午前中に参加予定のバスツアーの確認をして…と。

出発ギリギリ前に予約をしたバスツアー。なので、予約が確定しているかはメールを確認しないといけないのだが…。

予約確定のメールが届いていたものの、よく見ると送られたメールをプリントアウトしないとチケットとして有効にならないということが書いてある。

えーっ!

TSUTAYAみたいに、携帯に届いたメールみたいなもんを見せるだけじゃだめなの?

それに出発時間が怪しい。

18時10分にお迎えって書いてあるが、私が申し込んだバスツアーは11時と13時しかないはずなのだ。

前回サンフランシスコに行った時に「夜景を見に行くバスツアー」に参加しようとホテルのフロントに頼んで、時間通りに行ったら最終のツアーが出た後だった。フロントの人にしてみれば「ごめん!時間間違えとったわ~」で終わりかもしれんが、私にとって現地最終日。どないしてくれるねん!とっても悲しかったのである。

二度と同じことには遭わないぞ。

現地の催行会社にホテルの部屋から電話をしてみる。

日本と若干通信音が違うので、何度かけても話し中なのか繋がっているけれど人が出ないのかわからない。ホテルの人に相談をして何とかプリントアウトの件は解決したが出発時間のことは謎のまま。

わからない。

どうしようか。

日本語でメールを送れる場所があったので、出発時間の確認メールを送り、もうあとはなるようにしかならないのでもう考えるのはやめることにしたのだった。

部屋にこもっていてもしょうがない。

ちょこっと旧市街に出掛けてみようか。

<ホテル近くの出店>

<ホテル近くのクリスマスマーケット>

石畳みの道に古い建物。5時半で既に真っ暗。日本の夜10時くらいの夜の景色だ。日が沈むと一気に寒くなって、写真を撮る為に一瞬手袋を脱いだだけで、ものすごく冷たい。

<路地がすごく妖しくて素敵でした>

が、景色は写真を撮りたくなるような絵が多く、まるで映画で観た中世ヨーロッパの世界で、路地に入るとどこかから魔女が出てきそうな妖しい感じもする。

やって来たのは旧市街広場。クリスマスマーケットが開かれていて、ホットワインやケバブ、クリスマスリースや防寒グッズなどいろんなお店が出ている中、ヤギやロバに餌を上げられる露店に吸い寄せられて行った。20コルナでガチャガチャに入った餌が出てくる。

近くにいたロバくんはそれが餌だと知っているので、待ちきれずにフンガフンガ言って顔を伸ばしてきた。

ロバくんとさよならをして少し歩くと、今度は二頭の馬で引く観光用の馬車乗り場を見つけた。京都や浅草では人力車が観光用に出ているので、それのプラハ版ということなのだが、馬車を引く男性がこれまた中世の頃の黒い帽子に黒マントを身につけているので、すごく雰囲気がある。外国人観光客が祇園で舞妓さんを見たら感動するであろう同じ感動をしたのだ。

石畳みを馬車が行く。

ライトアップされた古い街並みが、より一層映える。

あら〜〜っ。

来てほんと、よかったわ!

プラハ、初日の夜。

歴史的な建物を前にすれば、今日起きた失敗や災難もどうでもよく思えてきたのだった。


投稿日:2014年12月08日

2014年12月08日

今日は朝から採血をして、4つの科の受診を受けた後、午後からの輸血を受けたら夜の便で成田からドバイ経由でプラハに向かうのだ。

昨日と今朝はほんの少し、本当に旅に行けるのかしら?と、自信がなくなってきていたが、直前になってやっぱりやめる!と言ったって別に困る人もいない。取り敢えず空港までは行く準備で出掛ければいいじゃないか。

いつものように病院は人で溢れていた。4つの科を受けて輸血となると、病院を出るのが5時から6時半ぐらいになるので、成田のチェックインにまず間に合わせないといけない。

最初の科と次の科では大幅に診察時間が遅れたので、ちょっと焦ったが、輸血は2時前に始まり、5時に無事終了したので、成田空港には余裕を持って到着出来た。


<第2ターミナルです>

今回の飛行機はエミレーツ航空。エミレーツ航空は第2ターミナルが発着らしい。夜だからか人が少ない。夜中までお店は開いているのかなと思っていたが9時ぐらいには閉まるようで、ちょっと意外だった。


<搭乗口へ向かう通路、綺麗でした>

出国手続きを終えて搭乗ゲートから飛行機に乗り込んで、さあ出発。22時にまずはドバイに向けて成田を飛び立った。

エミレーツ航空はアラブ首長国連邦の航空会社。なのでドバイ経由になったのだが、機内では英語とアラビア語がバーンと出ている。

アラビア語はどの部分もさっぱりちんぷんかんぷんだ。

今回行くチェコもドイツも結局私は言葉を知らない。英語も中学生レベル。でも今のところしゃべれなくても何とかなってきたので、またなんとかなった記録を伸ばせたらいいなと思っている。

あとはiPhoneがあるというのが心強い。

というか、iPhoneがなくなったら多分途方に暮れてキョロキョロするだけの妙な日本人になってしまう。

よく日本で、外国人が「アリガトゴザイマス」と言っているところを見るが、その時の私は「わ、この人日本語でありがとうって言えはったわ!」と思って、それでおしまいになってしまう。で、どこの国の人なのか知らない人に何語かわからない言葉で何か言われたあとにニコッとされたら、その時の方が本来のありがとうに近いやり取りを交わした気分になれる、という不思議な感覚がある。

めっちゃ助かった時は現地の言葉でなく、手をあわせてどうもありがとうございます!と思わず日本語が出ていたが、ありがとうは伝わってきた気がするので、今回も思わず日本語になる部分はそれでよしとしよう。

ドバイは日本時間より5時間遅れ。

プラハは日本時間より8時間遅れ。

斜め前の男性は4席に1人座っていて伸び伸びゴロ寝したりしているが、私の列は3席とも人が座っている。190センチぐらいの男性が二人。窮屈そうでちょっと可哀想だがあとちょっとでドバイに着く5時。日本は翌日の9時になる頃。

心細いわとちょっぴり自信をなくしていたが、結局出発したのだから、あとは目一杯楽しんで来たいのだ。


投稿日:2014年03月28日

2014年03月28日

深夜にパースを発ってからシンガポールに到着したのが朝。それから成田行きの飛行機に乗り継ぐのだが、このシンガポール空港というのがまたすごく広いのだ。ターミナルとターミナルの間は電車で移動をするのだが、電車移動のあとも果てしなくテクテクと歩く。これがとっても辛い。もっと動く歩道をいっぱい作って欲しいのだ。

シンガポール空港では買い物をする元気はもはやなく・・・。

徹夜明けって一気に10歳くらい年を取った感じがする。膝は痛いし、身体は重いし、顔はブルドッグのようにぶるんぶるんの頬になっている。飛行機のあの窮屈な椅子で眠るということは私には出来ないようで、横になって眠れることがすごく幸せなことだとしみじみ思ったのだ。

こうしてシンガポールから成田行きの飛行機で更に7時間のフライトを終え・・・。

夕方、5時にようやく成田に到着。

よかった。

無事にお仕事を終えられて何より。

ラーメンが食べたいねという話になって、解散前に空港でラーメンを食べに行き、ここでプチ打ち上げ。コーディネイターのNさんにここでもご馳走になる。Nさんはとてもキメ細かいケアを旅の間して下さった。仕事以外にも船旅の間の便利な過ごし方から海や空、知らなかった自然も教えてもらった。

空港には多分ヘバっているであろうということで、Y氏が迎えに来てくれていたので空港でみんなと別れたら家までは車で送ってもらった。

旅の途中であった出来事をさんざん話したあとで、家が近づいて来たので冷蔵庫の中の物を買いたいとスーパーに寄ってもらうことにしたのだったが・・・。

下船前に日本円とアメリカドル、オーストラリアドルへの両替用のお金の仕分けをしていて、ベッドの上に一万円札を置き忘れて来たことにそこで気がついたのだった。

うぎゃ〜〜〜〜〜。

えらい高いチップじゃないの。

1万円のチップを置いて来るなんて、全然身の丈に合わない。

しょんぼり。

旅のハプニング。

今回もなんだかいろいろやらかしてしまったが、まぁ無事に家に帰って来れたのでよしとしようか。

また、旅に出たいなぁ。

ふわり、夜風が春になっていた。

ここが私の暮らす場所。

お引っ越しをして初めての春が来るのだ。

はじめて見る景色。

近くの桜並木が花を咲かせ始めておかえりと迎えてくれた。


投稿日:2014年03月27日

2014年03月27日

快晴。

お昼を過ぎた頃に船内アナウンスがあり、外を見たら町が見えた。オーストラリア、フリーマントル港に到着したのだ。


ここで飛鳥Ⅱは2日程錨をおろし、私達は下船をする。

フロントでパスポートを受け取って船を下り、体育館のような所でまずは入国審査を受ける。オーストラリアは南半球なので夏の終わり、まだ日差しがとても暑い。


もう一隻、大型客船が港に着いたばかりでこちらはvoyager of the seas、アメリカの船の様子。ものすごく大きな船だった。

さぁ、入国審査が終わったら、すぐに移動だ。

今日の深夜に日本に向けて出発をするので、夜の11時頃までパース空港方面のホテルで待機をするのだ。お迎えのチャーターバスの中で、待機先のホテルを知らされたのだが、さっきまでは市内のホテルだと聞いていたので車内は「えぇ〜〜っ」とざわついた。だって空港方面のエリアはどの国もたいてい町から離れている。市内だと聞いていたから市内観光が出来るなぁと楽しみにしていたのに、タクシーで3000円ぐらいの所での待機となるとすんごくビミョーじゃないの。

移動中の景色/土地に余裕があるせいか一階建ての建物が多いです。

結局、ホテルに荷物だけを置いて、本日の帰国組は全員チャーターバスで町に連れて行ってもらい、帰りは帰国の便それぞれに合わせて自力でホテルに戻るという流れになったのだった。

オーストラリアのパース。

日本からの直行便はないので、何か機会でもなければなかなか気軽に訪ねる場所ではないので、ちょっと歩いては写真を撮り、またちょっと歩いては写真を撮る。ロンドンストリートというちょっとした通りなどもあり、駅の南側がお買い物エリアのようなのだが、一見去年訪ねたトロントのような大きな街なのに店が閉まるのがとても早い。駅前の栄えた場所なのに5時になるとどんどん店が閉まって行く。ちょっと早過ぎるんじゃぁないの。こんな大都市なのに、めずらしいです。

駅の北側はモダンなモニュメントがあったりして、美大のような景色だった。そしてそこから少し西に行くと今度はチャイナタウンやイタリアン街など、レストランが密集したエリアになり、ここは店がこれから賑わう前の静かな雰囲気だった。

暮らすには車が必要かなぁ。

結局その中のイタリアンのお店に入って、私達蘭さんチームは夕食をとった。

このまま、ホテルに帰って眠れたらいいなぁ。

今日は一日が長いのだ。

というか、飛行機の乗り継ぎや時差など、もろもろ区切りがつけられなくなっているので、一体どこまでが一日なのか私にもよくわからない。とにかくこのまま夜にはホテルに帰って、深夜にお迎えが来て、空港に向かい、夜中の2時の便に乗ってシンガポール経由で明日の夕方に成田に着くということなので、最後の最後に徹夜みたいな夜を過ごすわけなのである。

最後、あと一息。

無事に帰るまで踏ん張ろう。

ん?

足元がどうも揺れている気がする。

ずっと船に乗っていたからなのか、それとも貧血が進んだのか。

とにかくふとしたことでクラっと目眩がする。

もう病院には行けないぞ。

は〜ぁ。空が飛べたらラクチンなのになぁ。

パース観光を早足で楽しんで、さぁいよいよ帰国モードだ。


投稿日:2014年03月26日

2014年03月26日

船の旅も今日までとなった。

急性胃炎も治って食欲も戻ったが、下船前にもう一度診察を受けることになっていたので、医務室へ行く。血液検査を受けて、炎症反応なども収まってきているので大丈夫でしょうとのことでホっとした。

ネットが繋がらない生活は、とても時間がゆっくりと流れていたような気がする。

ずっと前はこうしてネットもなく私達は暮らしていたのだ。

ちょっとだけ不便な生活はとても新鮮な空気をかわりにくれた。

海と太陽と空にはとても大きな力があることも学んだ。

最後の夜は甲板に出て長い間、夜の海を眺めていた。

今回、旅に来られてよかった。

人も景色も、新しい出会いがあった。

なんとか無事に終われそうな気がする、と思ったらホっとしてちょっと寂しくなった。

ボーっとして”今”を味わえる幸せ。

深呼吸を好きなだけして船旅を胸に刻んだのだった。


投稿日:2014年03月25日

2014年03月25日

旅も後半となった。

夕べはとても綺麗な星空を見ることが出来た。

「南十字星」の近くには「偽せ南十字星」があるのだそうだ。お客さんへの説明を私もそばで聞いて「本物」と「ニセモノ」がどれなのかを目で追う。満点の星空に天の川が瞬いていて、それはそれは綺麗な星空だった。下船するまでにもう一度見られるかなぁ?あの綺麗な星達を。

朝食のビュッフェから部屋に戻ると、またぐっすり眠っていた。

船での生活にも慣れてきてここ最近は、蘭さん、Nさん、Iさんとは一日数回偶然顔を合わせる程度というペースになっているが、それぞれ有意義に過ごしておられると思われる。私は昼寝をしているか図書室で旅の本を眺めているか、どこかでスィーツを食べているか・・・。それにしても、よく寝るなぁ。

今日は午後に蘭さんの「講談初級講座」があったので、シアターに行った。実際に講談の語り手の表現の手法を教えてもらって、みんなで練習して語ってみるのだが、やってみるとこれがとっても難しい。わかりやすいお話ながらもプロのお仕事を垣間見ることが出来て、あらためて彼女の才能を感じる時間となった。なんか、アッという間に終わってしまった楽しい講座だった。

図書室では、下船日がだんだん近づいてきたので、下船先のフリーマントルとパースのことをあれこれ調べている。

パースとフリーマントルにはスワン川という川が流れていて、どこだったかではブラックスワンが見られるらしい。なんとも素敵、エリアはスワンの町なのだった。フリーマントルとパース間は電車で30分なのだそうだが、バスはそれぞれ無料バスが走っていて、クルッと回れる様子。一泊出来たならバスで景色を眺めたいなぁ。

が、去年のアメリカカナダ旅では、最後のロサンゼルス空港の乗り継ぎで突然力尽きた。ものすごくしんどくなってフラフラになりながらなんとか帰り着いたという崖っぷちな感じを経験したので、今回も最後の乗り継ぎが怖いのだ。体力を温存しておかねば。

東京は桜が咲き始めたのだそうだ。船にある今日の日付けの日本の新聞で見た。

日本の春は素晴らしい景色だ。

私にもいつの間にか沢山に増えた桜の頃の記憶を辿っていた。