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投稿日:2008年08月31日

2008年08月31日

本日、「3度目の正直」にチャレンジ中。
別にチャレンジというほどのたいそうなことではないのだが、8月になってから日中にカンカン照りとなっているのに夜は予想もしなかった嵐になる日が多く、洗濯物を干したまま外出をして雨に濡れているということがある。
今日の洗濯物は洗い直してこれで干すのは3回目。
この間は雨に濡れてもそのまま干し続けて乾燥をさせたが、今回は濡れ率が高かったのでやり直しをした方が早かった。
いつだったか、お世話になっている某氏が「仕事とは、実際の入金があってそこでその仕事はようやく終わるんですよ」と言っていたが、洗濯物についてそれは同じことが言える。洗って干して、取り込んで畳んでタンスに仕舞ったところでようやく洗濯は終わるのである。
早い時には4時間ほどで終わる洗濯が、半分で止まった状態で3日間いるのって実に落ち着かないものだ。
今日は大丈夫。
乾いておくれよ。
パン!パン!と洗濯物を両手で叩きながら、それが我ながらお詣り姿にも思えてきた。
「晴天祈願」
今日こそ乾きますよ。
洗濯物を干す時、人は「乾く」ことを予想またはイメージして干す。普段ネガティブな人でさえ「私の洗濯物だけは乾かないかもしれないわ」といったややこしい考えにはならない、ポジティブシンキングにさせる明るい営みなのだ。
いえ〜い。
そして夜。
またしても私の洗濯物は雨に濡れてブラ下がっていた。
今日はしょんぼり。
でも明日になればまた物干し竿に向かって、「今日は乾くでしょう」とケロっと明るくなっているんだろう。
洗濯は明るい行事。
洗った物よりも、心をカラっとさせる家事なのだ。


投稿日:2008年08月30日

2008年08月30日

大学生だった頃、8月の下旬はサークルの合宿で志賀高原に行く時期だった。
貸し切りバスが一台、そこは下級生達が乗って3回生や4回生になると誰かが車で行くのでそっちに乗り込む。京都東インターから高速に乗って、中津川で下りるとあとはクネクネと続く県道だか国道だかの道を行く。夏のスキー場が私達の夏合宿の場所だった。
宿泊はロッジの年もあったし、ペンションの年もあって、私達のクラブは、練習もあったが厳しい雰囲気はなく、合宿は少し旅行気分も兼ねたみんなが楽しく過ごす数日間となっていたのだ。
合宿が終わると必ず数組のカップルが出来ていた。
<あれ?>
<あら?>
<もしかしてあなたたち・・>
<付き合ってる?>
恋が始まる一番のきっかけはこの合宿だった。
私は空に流れ星がたくさん流れるのを見たことが、思い出に残っている。長野って空が綺麗なんだなぁと思った。空気の澄んだ場所では、こんなにポロポロと日常的に星が流れていて流れ星がめずらしくないんだということに感動をした。
1回生も4回生も、今の私には「大学生」のひとくくりに見えるようになったけれど。
あの頃はもっと1年1年感じることが違っていて悩みも1年ごとに違っていたよなぁ・・・。
みんなどうしているかな。
一瞬で消えてしまうから、流れ星には願いごとを言えなかった。
でも、
あれから願いはいくつも叶ったよ。
写真に残せなかった思い出が、心の奥には何枚もある。
あの頃頭上にあった星達は、今日も長野の空の上で輝いている。


投稿日:2008年08月29日

2008年08月29日

忘れ物が多いのだ。
忘れ物が多いことは自覚しているので、前日から明日の用意をしたり忘れてはいけないものリストを作ってチェックをし、二重三重に関所を設けているのだが、それでも今ひとつ改善された感がないのだった。
手に書いたこともある。病院に居た時にそうしている看護師さんが多かったので真似てみたのだが、今度は手を見るのを忘れてしまう。
なんでだろう。
先週は出先でサングラスをなくし、昨日はリハーサルにダンパーペダルを持って行くのを忘れ、プールには相変わらず着替えの下着を持って行くのを忘れ、ノーパンで帰って来ている。それらは無意識に忘れたのではなく「今日は忘れ物なし。オッケー!」と確認をしているのだから、自分でも本当にガックリとくるのだ。
そして今日は携帯。
家に居る時に、「携帯に充電をするのを忘れないように」と充電していて、それを取って来るのを忘れたのだった。
しょんぼり。
携帯を忘れた日は落ち着かない。
携帯を持っている人全てが素晴らしく見えて来る。
みんな、いいな。
うらやましい。
なんて言っている場合じゃない。私と連絡がつかなくて、誰か困っている人がいるかもしれないじゃないか。
で。
家に帰って急いで電話の所に行ったら、誰からも連絡が入っていなかった。
ホっとした。
あぁ、
そうだわ。忘れ物のことで別にいちいちそんなに気にすることはないかもね。
私は忘れ物が多い。
そして私もまた人から忘れられているのであった。


投稿日:2008年08月28日

2008年08月28日

この辺りでは時々、日中に「パープゥーー」とラッパを鳴らしてとうふ屋さんが通って行く。
麦わら帽子にリヤカーの昔ながらのとうふ屋さんなのだが、昔田舎のおばあちゃんちにやって来ていたとうふ屋さんとはちょっと違っている。リヤカーやのぼりもお洒落で、こちらはあえてレトロなとうふ売りをやっているという感じだ。
今日は夏の日差し。
それにとうふ屋と蝉の声か・・・。
この3つはとても似合う。
コーヒー牛乳を買ってもらったなぁ。
”スポン”と紙栓を開けてもらうとおじさんが手に渡してくれたっけ。
ズシっとびんが重くて。
びんから直接飲むのが新鮮だった。
飲み口のガラスが厚かったなぁ。
「パープゥーー」
音がだんだん近付いてきて、窓の外を見ながら待っているととうふ屋さんのリヤカー姿がカーテンの向こうに現れた。
”来た!”
水色の空に雲が浮かんでいた。
太陽に照らされながらそこをゆっくりリヤカーが行く。
部屋の東の窓は、時々季節を描く素敵なキャンバスになる。
今日はこの一瞬、
夏の思い出を描いた一枚の絵となった。


投稿日:2008年08月27日

2008年08月27日

夜、家に帰って来ると玄関のところに何か物体が居るのを見つけた。
貴方は石、ですか?
・・・・。
いやな予感がした。
もしかしたら、またゴキブリ?
・・・・。
どうやらゴキブリではないらしい。
もうちょっと厚みがあって、
ブローチっぽくて・・・
うげ。
蝉だった。
最近は夏も終わりとなってきて、もうすぐ寿命を終える蝉達の「ゲゲっ」「ミィ〜ッ」「バサバサ・・」という叫びにも似た声や窓にぶつかったりする音をよく聞くようになっているのだ。
蝉に苦しいという感覚があるかどうかはわからない。だが、これらの声や音というのは聞いていてあまり気持ちのいいものではない。蝉は木の高い位置に居て手が届かないからいいのだ。もう木にはつかまっていられなくなって来ると、彼等は人間の暮らしの高さに下りて来る。急に飛んだり舞い戻ったりして来るのが私には怖いのだった。
なんでよりによって玄関の前に居るんですか。
しかもこっちを向いて。
まるで温泉宿のおかみさんに出迎えられているかのようだが、やはり蝉。
<そぉ〜〜〜っ。>
びっくりして飛んで来ないでね。
<カチャ>
そぉ〜っとドアを開けて中に入ると同時にドアを閉めた。
<バシッ>
ごめんね。
もう数日でこの蝉は一生を終えるのだろう。
でも少しの時間、空を飛ぶことが出来たんだね。
それはやっぱりすごいことだ。
明日、玄関を開けた時には居ないでくれたらいいなと思った。
「また元気になってどこかに飛んで行ったんだ」
そう思いたい私が居る。
晴れ、時々せつない。
近くに木々のある暮らしをしてから、夏の終わりになると毎年同じ気持ちになる。


投稿日:2008年08月26日

2008年08月26日

プールに行くと、今日も泳ぎをマスターしようとしているちびっこが奮闘していた。
パパがちゃんとついていればいいのだが・・・。
パパは途中で自分も泳いだりして子供から遠く離れた場所に行ってしまうのだった。
いいんですか。
お父さん。
ついているのがママならこういうことはないのだが、どうもプールでのお父さんはちょっと目を離す傾向にある。
んもう。
知らないですよ。
バシャバシャ。
フンガフンガ。
自分のすぐ近くを泳いでいるのか溺れているのかわからない状態で、ちびっこはアップアップやっていたりする。なので私も気が気でない。監視員のお兄さんが「足がつく所で泳いでね」と注意をしてもちびっこたちは今一つ言うことをきかないので、結局お父さんが泳いでいる間はつかず離れずなんとなく周りの大人達が気にしながらいるのであった。
自転車に乗れるようになる時もそうだが、マスター出来るかもしれない時期というのは、生まれたての動物達と似ている。仔馬がフラフラと立ち上がるアレと同じなのだ。
あっ。おぼれる。
あぁっっ。
・・・ほっ。
あっ、また。
あぁっ。だれか。
・・・ふぅ〜。
ちびっこは自分のことで必死なので、時々水中で他人のことを蹴って行ったりもするのだが、そんなことにさえお父さんは気付いていないのである。「あまりベタベタとそばについていない方が、子供ってものは泳げるようになるんだ」という持論があるのかないのか知らないが、全く間違っておる!少なくとも私は、このちびっこ達の水中たこ踊りにペースを乱されてきた。
お父さん、頼むから途中で子供の面倒を見るのに飽きないでおくれ。
夏休みももうすぐ終わり。
この2ヶ月で泳げるようになったちびっこも沢山いるだろう。
よく頑張りました。
私も頑張りましたよ。
ちびっこ達が溺れそうになった時のつかまる場所、岩場のような役を頑張りました。


投稿日:2008年08月25日

2008年08月25日

整体の先生に来てもらった。
全身をやってもらったあとに、今日は目のツボを丁寧にやってもらった。
少し前に図書館で借りた本に、人間は生まれた時には親からもらった「元気」を持っているが、それは大きくなる間に少しずつ減っていくものなので、「元気」を今度は外から取り入れてそれでエネルギーを補っていかなくてはいけないというようなことが書いてあって、例えばそれが食べ物であったり、よい「気」であったりするのだとあった。
先生にその話をしたら、先生は「元気」「病気」「天気」「空気」・・・これらはみんな「気」で、そうですよ、「気」は人間にとって大きな影響があるんですよという話を聞かせてもらったのだ。
大きな木には長い間生きてきただけの理由があって、エネルギーをたくさん持っているから、大きな木の近くに行ってそこで呼吸法をやると元気をたくさんもらえるのだそうだ。
天気が不安定だと体調を崩す人が多くなるというのは、天の「気」が影響を与えているということなんだなぁと「天気」という漢字について、初めて意味を考えた。
目に効くツボってたくさんあるのだなぁ。
「気持ちいい」も「気」という漢字を書く。ということは「気の持ちがいい状態」ということなのかな。
先生に尋ねてみようかなと思いながら、今日もいつの間にか眠たくなってきて、うつらうつらしていた。


投稿日:2008年08月24日

2008年08月24日

少し前、上品な街浜田山の商店街のとあるブティックに「うんこが腐る」とショッキングピンクの文字で書かれたダイエット薬のポップに非常にショックを受けた私だったが、その後前を通ってもあのポップをもう見ることはなくなった。
恐らく張られていたのは非常に短い期間だったと思う。
上品な街、浜田山だから多分クレームがきて、そういうセンテンスはイメージ的によろしくないということになったんじゃないだろうか。
個人的にはそれでポップは外されたのだと思うのだ。
私の日常の買い物エリアは、北は阿佐ヶ谷で南は浜田山と二つの街に主に出掛けているのだが、この二つの街の特に女性の客層がえらく違う。
阿佐ヶ谷には「おかん」「おかあちゃん」「おばちゃん」が沢山いるが、浜田山には「ママ」「おかあさん」「おばさん」と雰囲気が違い、陸続きの一体どこが境界線になっているのかがわからないのだが、浜田山の女性達はアクセサリーや化粧をした状態で買い物をしているのだ。
あのポップは、とにかく消えた。
私に衝撃だけを与えて。
今そのブティックは、何もなかったかのように「sale」の張り紙だけを残している。
「本当に・・・確かにこの目で見たんです」
UFOぐらいの存在か。
そっと闇に葬り去られた幻のポップなのである。


投稿日:2008年08月23日

2008年08月23日

急に秋のような肌寒さになった。
今日は、お休み。
ちょっとだけ冬眠。
よくこんなに眠れるなぁ・・・と思う程・・・・
一日中眠って過ごした。


投稿日:2008年08月22日

2008年08月22日

ライターの熊谷美広さんの主催するイベント「jam For joy」に参加させてもらった。jam For joyはいろんなミュージシャンがセッションで洋楽や邦楽の名曲を演奏するライブで、出演者が毎回40名位居るような大きな規模のセッションだ。
今回で47回目となるこのイベント。まだ始まった頃に近藤ナツコちゃんに紹介をしてもらった。おかげでたくさんのミュージシャンと知り合うことも出来たし、先輩後輩の垣根なしに仲間になれる空気がこのjam For joyにはあった。
今日は一曲、当初は近藤ナツコちゃんと二人で「タイムアフタータイム」を演る予定だったが、急遽藤原美穂ちゃんと杉原テツさんが加わって4人での演奏となった。
懐かしいな・・・。なっちゃんと美穂ちゃんと私は、jam For joy初期のコーラス3人娘だった。あぁ、まだ私も中野に住んでいた頃だったなぁ。同じ会場の南青山のまんだらで、もう10年以上も前のことがいろいろと蘇って来たのだった。
ライターのくまさんも今日が50回目のお誕生日。そう言えば少し髪に白髪が混じるようになったかなぁ。
私は結構音楽の場所から遠ざかっていた時間があった。こうしてまた「久しぶり」と笑って再会で迎えてもらう時には、それぞれ仲間がずっと続けてそこに居たからまたこうして懐かしい場所に戻してもらえるんだなぁということをしみじみ感じる。
紹介されてステージに呼ばれて上がって、くまさんやなっちゃん、美穂ちゃん・・・あらためて目を合わせたらちょっと胸に込みあげてくるものがあった。
”だめだめ、泣いちゃ”
最近出会った頃にはなかった何かしらのあたたかい重みを、こうして感じる瞬間を持つようになった。仲間って、時間が経つことで言葉に出来ない感情を抱くような気がする。家族でもなく、自分自身でもなく、恋人でもなくあくまでも他人なのだが特別な愛情みたいなものがやっぱりある。
あれ・・・いつからこんなに息が自然に合うようになっていたのかな・・・。
続けていてくれてありがとう。
くまさんは50歳のお祝いにゼッケン50番の黄色いTシャツをみんなからプレゼントされていた。
60歳になったら赤いちゃんちゃんこになるんだろうな。
新しい出会いもあった。
また少しずつ今日を積み重ねていきたいなと思ったのだった。