月別アーカイブ : 2014年6月

投稿日:2014年06月28日

2014年06月28日

土日の病院は静かだ。

昨日の朝に、月曜日退院が決まった。

それで昨日は退院に向けて、赤血球と血小板の輸血を受けたり、放射線科に治療の最終確認に行ったりして、一日中忙しかった。

今回の入院となった頻脈と低血圧の原因は結局何だったのかは特定出来なかったのだそうだ。2月の肺炎の時も結局原因はわからないまま。今回は脱水があったこと、たんのうが腫れていたのと、肝臓の数値が一時的に悪くなったこと、炎症反応が少し高くなったことが検査上では出ていた。

ネットでキーワードを入れて検索をしたら「脱水症」というのが出てきて、輸液を3日間受けたことやそれまでの食欲不振も合わせたら、うーん、もしかしたらこれに近いのかなぁと思ったりもしたが、正解はわからない。

でもなんだかとってもしんどかった。

今日はのんびりした一日だった。

赤血球の輸血後は特にてきめんに身体が楽になるのがわかる。輸血のお世話になってもうすぐ2年、私の身体は血液の赤ちゃんを作らなくなってしまったが、そろそろ頑張ってまた自分で血液を作れるようになりたいなぁ。

静かな病棟。

退院までもうすぐだ。


投稿日:2014年06月26日

2014年06月26日

この間の入院で友達になったこばちゃんが、外来のあとに訪ねてくれた。

最近、こばちゃんは昔のような特別な力のアンテナがまた敏感になってきたらしい。

ステロイドのせいかなぁと言っていた。

目には見えない不思議な力の存在を私は信じている。自分にはその能力はないのだが、そういう話から特別な力のある音楽の先輩のことを思い出した。

彼女はコンサートツアーのお仕事でひどい足首捻挫をしてしまったのを、自分の手でさすって一日で治してしまったことがあるのだ。

こばちゃんに、その話をしてこばちゃんの手にもきっとそういう力があると思うと言おうとしたら、

「あのね、私も今までずっとそうやって息子達を治してきたのよ」

と、先に言われてしまった。

先輩もこばちゃんも、共通しているのは、周りの人達に常に愛を放っているところ。

こばちゃん、まず自分の身体にその力を使ってよと言ったが、そうだねと言いながらよっしーが元気になるようにと背中に手をあててくれて、また別の病友の顔を見に行って来るわと言って15階へと上って行ったのだった。

「今日も黄緑色が見えるのよね。」

オーラのことだ。

ひぇーっ、見えるんだ。すごい。

きっといろいろ大丈夫。欲を言えばよっしーが治療に対してもっと前向きになれたらもっといいよと助言をもらった。

不思議な話は、もっと前は知り合いの知り合いの話レベルでやや現実感のないものだったけれど、長く生きているせいか、直接本人に聞くようになって、身近なものになってきた。

想いの力は確かにあると思う。想いを私はいっぱい受けている。今までもそう、今も。

Facebookではここ3日、続けて訃報のを目にしている。私自身はご一緒させてもらったことはない方々なのだが、友人を失うことがこんなに寂しく残念なことだとは、若い頃には想像もしなかった。

偶然のように出会い、それからどこかでつながって時間を重ねることが、どんなに人生を豊かにしていたかを、こういう別れで痛烈に感じる、友や出会った人達すべてのご縁は本当に選ばれた出会いだったのだとあらためて思う。

たくさんの出会いがあったなぁ。

私達は、思っている以上に、たくさんのかけがえのないものを手にしているのだと思う。

友人が病気と闘っていることを新たに知ったりもする。

乗り越えて行こうよ、共に。

まだ私も出会えた人達とこの先も一緒に笑ったり、言葉を交わしたりしていたい。

目指すはやっぱり93歳で、一人庭の花の手入れをしているお婆ちゃん。今晩はグラタンにしようかしらとのんびり午後のお茶タイムをしていたいのだ。


投稿日:2014年06月25日

2014年06月25日

いつも、ほっこり洞に遊びに来て下さってどうもありがとうございます。ここ最近は重たい内容が続いていましたが、みなさまからのご心配、温かい想いに力を頂いて心細い毎日を救われてきました。本当にありがとう^ ^

昨日の夜、ようやく呼吸器外科の先生が説明の時間を取って、治療についてのことを話して下さいました。

まずは胸腺腫は放射線治療を20日間、おそらく来週月曜日から平日毎日の通院で7月末まで治療を受けます。その後経過を8月に診る流れとなりました。

血液の治療は免疫抑制の強い薬を使うので、それによって胸腺腫がまた暴れることがないよう、抜本治療でなく今まで通りの輸血対応になりそうです。なので、通える治療ということで、近々退院になりそうです。

ようやく辻褄の合う説明をもらえてホッとしました。この先は、患者数が多くはない二つの病気の治療であることで、風邪のようには簡単には行かないとは思いますが、日常生活に戻れることはとても嬉しく、また少しずつ暮らしを戻していく予定です。

一日一日を、まず基本的に幸せであるということをかみしめながら、有難く大切にしたいです。

穏やかでなんてことのない一日が大好きです。いつからかそういう幸せには気づくことが出来るようになりました。

感謝を込めて。

みんなの毎日も穏やかでほっこりした日々でありますように!

今後共どうぞよろしくお付き合いください!


投稿日:2014年06月21日

2014年06月21日

今朝の採血で血小板とヘモグロビンの数値がまた輸血レベルに下がっていた。

血小板は2万まで下がっていたので、明日輸血を受けることになった。

今回の入院で、各科の申し送り機能がよくないとわかってから、血液内科で受けていた治療の流れを呼吸器外科でも把握してもらおうと、今朝の採血も当初は予定になかったのを、そろそろ血小板が減ってきている頃だから一度確認して欲しいと頼んでしてもらったのだ。

結果はやはり今日のタイミングでの採血で正解だった。

治療に物申すつもりはないが、血小板は下がり始めると一気に下がる。遠慮して言えなかったことで、脳内出血を起こして死んでしまったら私はきっと邪悪な霊となってその後何百年も病院に棲みつくだろう。

そんな歪んだ道を、私だって選びたくはないのである。

はぁーあ。

「私は身体だけは元気でねぇ」

と、93歳ぐらいでまだ庭仕事が趣味だったり、お買い物に出かけているような「マイペース元気婆さん」になりたかった。DNAあみだくじでうまいこと行けば、家系的にはそれも掴めるはずだったのだが。

午後、叔母が訪ねてくれた。

そのあとで。

今日は久々にダンボとの再会が出来た。

もちろん病室に犬は連れては来られない。だが、車で病院の駐車場にやって来てそこに私が会いに行ければ、ダンボと会えるんじゃないかという友人の提案で、「そうか!そんなことが出来るのか!」と気づき、嬉しい嬉しい再会を果たすことが出来たのだった。

「ダンボちゃーん!」

車に乗せられたダンボと再会した時、珍しくダンボは「あっ‼」という顔をした。そして私の予想に反して興奮して喜んでくれた。

気まぐれネコみたいなダンボが犬みたいに接してくれるだなんて。

「ダンボちゃん、元気だった?」

まぁ…5分ぐらいすると私への興味もなくし、よそよそしくなり、私と居るより早く家に帰りたいモードになっていたが、それでもとっても私は嬉しかった。

昨日泣いたカラスが、もう笑ろた。

悲しくて仕方なかった次の日に、心から嬉しくなることは、また出来る。

そうして、つないで、つないで、行こう。


投稿日:2014年06月20日

2014年06月20日

10時。度々お世話になっているA棟15階の血液内科からB棟9階の呼吸器外科にお引越しをする。

左手にERがあってちょっと緊張感がある。私は962号室。二人部屋に入ることになった。

担当の看護師さんに簡単なこれまでの経緯を訊かれる。一通り話したあとに何か不安や聞きたいことはないですかと尋ねられたので、科をまたいだ連絡系統があまりよくないので、それが治療に影響が出ないようお願いしたいんですと訴えたら汲み取ってもらえたようで、ちょっとホッとした。

はぁーあ。

荷物を片付けてお引越し終了。

同じ病院なのに景色が違うなぁ。

ようやく落ち着いてボーっとしていると、「こんにちは」と先生がやって来た。

「前も会いましたね」

咄嗟に思い出せないが、前回の手術でお世話になったのかもしれない。

「また、お世話になります」

と、答えた。

「今回、手術を受けられるんですよね」と切り出されて、唐突な感じはしたが、薬の説明や体調のことを聞かれたので、あぁやっぱり私は手術を受けにこの病棟に来たんだなと理解をした。

「じゃ、また」

薬の説明をしたら先生はあっさり去って行ったが、よく考えたらもっと詳しい説明が聞きたかった。だって私は今回手術は無理ということで放射線治療を受けることになっていたのに、どうしてそれが手術適応になったのか。手術といってもどれぐらいの範囲、手術することになるの、とか。

うーむ。

聞きそびれてしまった。

と、思っていたらさっきの看護師さんがやって来た。

「今のはどこの科の先生なんですか?」

と、看護師さん。

「え?呼吸器外科の先生じゃないんですか?」

「違いますよー」

「えー!」

「どこの科の先生なんでしょうね」

「いや、今、手術ですよねって来られたから。あぁ、私は手術を受けることになったんだ、って、その説明かと…」

「呼吸器外科の先生じゃないです」

「えーっ‼」

これには看護師さんもあきれていた。

やって来たのは内分泌科の先生で、またしても科をまたいだフライングとなった。

私は、

だから、

手術ってもう決まっているんじゃないでしょうか?

早くちゃんとした説明が受けたい。

受けたい。

受けないともう心が持たない。

6時になってようやく昨日訪ねてくれた先生が顔を見せた。

「手術はしなくて済みそうです。放射線治療になると思います」

「え?」

一体どういうことなんだろう。

手術しなくて、“済みそう”というそのニュアンスがよくわからない。

ほんと、どういうこと?

詳しく聞こうとしたら、主治医の先生が今学会でお留守で月曜日に来られるので、その時に説明をしてもらう形でもいいですかと言われて先生は立ち去ろうとするのだった。

ちょっと待って。

待ってください。

急に涙が溢れて来た。

今治療方針がわかっているのなら教えてください。

そう食い下がった。

だって、最初は手術が出来ない。出来ない場所にあるということと、今あるものを取ったとしても播種で広がっているから手術で取りきれる状態じゃないと言われて、放射線治療になったのだ。

放射線治療は根治にならない。そう知って嘆きながらも気持ちの落とし所を探っていたのに。

今度はこの数日間、いろんな先生がやって来ては“手術ですよね”と言って行く。

心の準備もなく手術と言われたらショックだったが、もう一度冷静に受け止め直して、手術を受けられるというのは何か希望に繋がるんじゃないかと仕切り直しをしては、「いや、ちゃんとした説明はまたあらためて」とまたフラットな状態に戻されながら今まで過ごしていたのだ。

内分泌科の先生は、「胸腺腫を取ることで、血液の病気もよくなるかもしれませんし」と言っていた。

白衣を着て、私の担当の先生だと名乗る人の言葉をどれほど真面目に聞いてきたと思っているのか。

今わかっているのなら教えてください。もう、月曜日までこんな状態ではいられません。

そう訴えてようやく、説明をしてもらえたのだった。

胸腺腫の治療は最初の診察時と変わらず放射線治療であるということ。胸腺腫を手術するということでなく、手術を検討していたのは心臓の周りにある腫瘍の中が水だとしたら、その水を抜く作業のことで、そもそも腫瘍を切ることは選択肢にはなかったのだそうだ。

ようやく聞くことが出来た。

そっか。

手術じゃあなかったのか。

運命が大きく変わろうとしていたわけじゃなく、ただの連携ミスに翻弄されただけだったんだ。

みんな悪気はなかったとは思う。

でも私にとっては、こんな悪い冗談みたいなことをされたのだから、せめて心を込めてごめんねの一言ぐらいもらいたかった。

とっても疲れた。

哀しくもあった。

だが、もうこれでどんな先生が勘違いをして私に話しかけても、次からはそれは違いますよと答えられる。仕事のミスに翻弄されるのはまっぴらだ。

自分の治療をようやく知れた。

この間の、最初の診察の時に、あと10年、生きたいんですけれどと言ってそれは無理ですと即答されたことも、また現実のこととなった。

いつまで行けるかわからない。

行けるところまで。

みんな誰しもに終わりはやって来て、自分がそれを自分に感じながら、だけど今日の幸せをちゃんとかみしめられるようになれたら、それが一番いい。

それを目指せたら一番いい。


投稿日:2014年06月19日

2014年06月19日

午前中、呼吸器外科の先生が来た。

明日、今居るA棟15階の血液内科病棟から呼吸器外科のあるB棟9階に移動するのが決まったのだそうだ。

「病棟を移られた頃には治療計画が決まっていると思いますので、移動されたらお話させていただきますね」

初めて会う先生だと思ったら、前回2010年の手術の時にも診てもらった先生のうちの一人だったようで、ちょっとホッとした。

手術なのか放射線治療なのか、まだわからない。明日の説明を待つしかない。

血液内科の病棟は去年の秋から度々入院でお世話になっているので、看護師さんとも顔見知りになっていたし、穏やかな雰囲気なので、好きな病棟だっただけに病棟の移動はちょっと緊張する。

内科と外科は、病棟も含めて雰囲気が少し違う。実際に一昨日、外科の外来に行った時も、血液内科病棟を出る時は「マスクをつけて」「車椅子で」の指示に従って行ったら、外科の診察室に入ると「マスクは外して。別にしなくてもいいでしょう⁈」「あなた、歩けるんでしょう?じゃあ出来るだけ歩きなさい」と教授にたしなめられていた。

なんかちょっと違う気がするんだけどなぁ…と、思いながら「はい」と答えたが、まぁそんな感じだ。

夕方。

木曜日は教授回診の日。

「明日、転科して呼吸器外科に移るんですよね」

と、教授。

「はい」

「で、オペの予定ですよね⁉」

「はぁ〜っ⁉」

驚いた所で担当の先生が「まだ、決まっていませんので」と慌てて遮って取り繕っていた。

えぇええー。

そうなの。

どうなの。

教授達が去った後で、不安にまた覆われる。

明日じゃなくて、今だいたいわかっているのならもう教えて下さいよ。

これでここの病院の、科をまたいだ連絡系統のフォーマットがダメなのはわかった。もうそれは大目に見るから、治療だけはプロでお願いいたします。

というか、やり取りの中でこんな不安なことがあったということは、クレームとして伝えられなくてもせめてこうして文章にして残しておかねば。

まだはっきりしたことは何も教えられてはいない。

でも、やっぱり手術になるのかぁ。

こばちゃんは「ごめん。私が土曜日、また病院にヨッシーを呼んだんだと思う」と、再入院のあと何度か真面目に私にそう言った。

あの時はすまなそうに言っていたけれど、こばちゃんがその特殊な力で私を放射線治療でなく手術に導いたのか。それとも、今不思議な力が働いていると自分が感じる全てが気のせいなのか。

この先に答えがあり。

今文章にしておくことでしか答え合わせは出来ない。

オレンジと黄緑色のオーラしか感じられない。どこからくるのかわからないけど大丈夫っていう自信があるのと言ってくれた言葉を信じよう。


投稿日:2014年06月18日

2014年06月18日

午前中、MRIの検査に呼ばれて行く。

今日は5月末の入院で同室になったこばちゃんの退院日。明るい人だったので彼女と話していると病気のことを忘れてよく笑った。一度は私が見送られて、今日は見送る日。寂しいけれど退院はやっぱり嬉しい。

彼女が帰ってからもらった手紙を読んだ。

こばちゃんは「見える」人らしい。

「感じる」人でもあるみたいで、入院中に彼女の不思議な体験談は聞かせてもらっていたのだが、こばちゃんからの手紙には私のオーラの色が見えていたこと、他にも不思議な話が書いてあった。

「きっと良くなるよ!」

お手紙はお守りに変わった。

心強くなって穏やかに過ごしていると…。

それから数時間後、心臓のエコーを撮りに二人循環器科の先生から「来週の月曜日、手術なんですよね?」といきなり言われる。

「へっ⁉手術⁈ですか⁈」

「あれ、説明受けていませんか?」

「いいえ、受けていません。どういうことなんですか?」

「えーっと」

「何の、何処の手術なんですか?」

「いえ、何も聞かれていないのなら…」

「何のことなんですか?」

すると二人の先生はモゴモゴしてその話をうやむやにしてエコーを撮った後すぐに去って行ったのだった。

急にものすごく不安になる。

手術だなんて聞いていないし、一体どうなっているんだろう。

看護師さんに尋ねに行ったら看護師さんもビックリしてそんな話は聞いていないということで確認をして先生から説明に来てもらうことになったのだった。

昨日の外科外来にしても、今日のことにしても、連絡がちゃんと取れているのかしら?と不安になってきた。

夜になって呼吸器外科の先生が来て、連絡の行き違いだったということ、今今後のことはMRIなどのデータを見ながら手術を含め治療方針を検討しているという説明でようやく現状がわかった。

近々、呼吸器外科の病棟に移るみたいだ。

治療日程や流れも既に「放射線治療」に決まっていたのが、土曜日の一件があったことで振り出しに戻り、思わぬ再考されることになった。何かの力が働いてまた私の運命の舵が切られているのか、それとも気のせいなのかわからない。

とにかく私という船は今どこにむかっているのかわからない。

どこにいくのだろう。

また、こばちゃんからのお守りを握り
しめていたのだった。


投稿日:2014年06月17日

2014年06月17日

赤血球と血小板の輸血を再度受けたら、身体がまた元の調子に戻った。

土曜日の頻脈の原因はまだわからず、だが胸腺腫かが関係しているのかもしれないということで、呼吸器外科の受診をまたすることになった。

呼吸器外科の外来日はここの病院は火曜日と木曜日。私の担当の先生の外来は木曜日。呼ばれて診察室に入ったらたまたま教授の診察室だった。

今日は何で来たの?治療方針ももう決まっているみたいだし…。という対応に一から説明をする。

治療方針が決まったあとに、これこれこういう状況になって、それで原因が胸腺腫にあるのかもしれないということで、診察を受けることに“なったんだと思います“。と、語尾に“患者のわがままできたのではない“ことを含み説明をしてようやく「胸腺腫はウチの科が診るから」と、診察に来た理由を理解してもらえた。

連絡、取り合っていないのかしら。

科をまたいだ複雑な病態になると、治療や検査も増えてくる。

これからどうなるのかなぁ。

ずっとモヤモヤしている。

このモヤモヤ、何とかしたいなぁ。

どんな時でも笑顔でいられたらいいけれど、笑えない時には無理をして笑う必要はないんじゃないか。

私は暗い。

今とっても暗い。

正直であることの方が大切な気がしている。


投稿日:2014年06月16日

2014年06月16日

本来なら外来日。が、一昨日から入院中。

ちょっとのことで息が上がる状態は翌日にほぼ収まって、今日はまた元に戻っていた。血小板が急激に下がったからだと私は思うのだが、血小板は関係ないのだそうだ。

未だこれといった原因はわからず。

採血の結果は腎機能と肝臓の値が悪くなっているのと炎症反応が少し高かったので、内臓のどこかがやはりおかしくなってそれで心臓にきたみたいだ。

しばらく様子をみながら、出来る検査をするとのこと。

眠って過ごす時間が多かった。


投稿日:2014年06月14日

2014年06月14日

昨日から、少し息が上がりやすくなっているなぁと思っていたら、今朝はもっと息が上がりやすくなっていた。

ジッとしていると大丈夫なのに、立ち上がって少し歩くと全力疾走した直後ぐらい息が上がる。ヘモグロビンが相当下がった時と同じような感じなのだが、輸血を沢山して帰って来たのでヘモグロビンがそんなに減っているとは考えにくいし…。

何だろうなぁ。

月曜日になったら外来があるからそれまでの辛抱。そう思いながら過ごしていたのだが、夕方になるとそれが顕著になってきた。

やっぱり何かがおかしい。

月曜日までもたないなと判断したのが6時半頃だ。病院に電話をしたら、一時退院の患者ということもあって救急で診てもらえることになった。

その時点では車で行くつもりだったのが…。その後息の上がりが早くなってしまい、結局動けなくなって救急車のお世話になる。

どうしちゃったんだろう。

寝返りをうっただけで、頻脈になる。

夕方から坂を転げ落ちるように苦しくなっていって、急変して亡くなるというのはこういうことなんだと、今回はいよいよ自分は死ぬんだなぁと救急車の中で思った。

病院に着く頃には少し頭を動かすだけで頻脈になり、嘔吐も始まってとにかく今までになくしんどかった。

救急の処置室で。

採血結果は血小板の数が3000と異常なぐらい減っていた。が、ヘモグロビンはここ最近の数値に保たれていた。通常は血小板の低下でこういう状態にはならないので原因はわからないということだった。その後の検査で胆嚢が腫れていることがわかる。が、これが頻脈の原因ということまではわからず。心電図での検査でも心臓自体が直接な原因ではなさそうと出て、あと精神的なものではこういう状態にはならないと、結局原因がわからないまま夜中に血小板輸血を受ける。

心エコーで少し心臓の周りに水が溜まっていることがわかり、経過観察のため急遽また入院となった。